漱石を知っていますか  阿刀田高  2018.3.9.


2018.3.9. 漱石を知っていますか

著者 阿刀田高 1935東京生まれ。作家小説家。『奇妙な味』の短編で知られる。0711日本ペンクラブ会長。フランス文学科卒後文部省図書館職員養成所を経て61年から国立国会図書館司書。このころから書き始め、『ころし文句』(64)でデビュー。『ブラックユーモア入門』(69)ベストセラーにとなり、文筆生活に入る(72)。短編集『冷蔵庫より愛をこめて』78)直木賞候補となる。1979、短編『来訪者』で第32日本推理作家協会賞を受賞。1979、短編集『ナポレオン狂』で第81木賞を受賞。1995、『新トロイア物語』で第29吉川英治文学賞を受賞。2003紫綬褒章2007より日本ペンクラブ会長。現在は新田次郎文学賞、直木賞、小説すばる新人賞選考委員、講談社小説現代』のショートショート・コンテスト選考者を務めている。20124月に山梨県立図書館館長に就任した。
作品[編集]
ミステリーブラックユーモア分野でのショートショートエロスが盛り込まれた短編が多く、今日までに書いた短編の数は800にもおよぶ。ショートショートに関しては、「星新一ショートショートコンテスト」の審査員を引き継ぐなど、星新一死後の第一人者的存在である。
また、『ギリシア神話を知っていますか』など、世界各国の古典を軽妙に読み解いた随筆でも知られる。世界の宗教ダイジェスト本『旧約聖書を知っていますか』『新約聖書を知っていますか』『コーランを知っていますか』の三部作を出版している。
人物[編集]
出生時は双子であった。最初に出生した子を弟にするか兄にするかで議論があったが、「最初に生まれた方が兄だ」という父親の判断で、兄につけられる予定だった「高」に命名される。なお、弟は早世した。本人は「名前のおかげで長生きできたのかもしれない」とエッセイで書いている。
姉を肺結核で亡くしている。
西高校時代は文芸部に所属し、黒井千次と知己になる。清水幾太郎の娘が西高校の同窓で、高校によく清水が講演にきていた。
文部科学省設置の文化審議会の会長を務める。1993から1997にかけて日本推理作家協会理事長も務めた。1995からは直木賞選考委員も務める。
阪神タイガースのファンであり、テレビ番組において、「19731010日に行われた阪神-巨人戦(後楽園球場)が行われた当日、病気のため入院し、病室にてラジオ実況中継を聞いていた時のこと。2回までに阪神が7-0で先行、先発投手江夏ということで、9年ぶりの優勝と巨人の9連覇阻止を確信し、安心したのかいつのまにか眠ってしまった。起きてみると7点差を巨人に逆転されており、そのときの精神状態は寝起きのせいもあって、夢かうつつか幻かの混沌状態になって非常に混乱した」などと述懐していた[4]
息子の阿刀田寛日本経済新聞の記者である。
国語分科会委員

発行日           2017.12.20. 発行
発行所           新潮社

初出 『小説新潮』20168月号~178月号


1.    猫の近道を訪ねて 『吾輩は猫である』(1906)ほか
1906年俳句雑誌『ホトトギス』に連載を始める ⇒ 第11章まで
冒頭の文章は、カフカの名作『変身』の冒頭、「ある朝グレーグル・ザムザが目覚めると1匹の巨大な虫になっていた」と似ている
ストーリーはなく、観察と描写と博識の面白さ、それが身上
苦沙弥先生が漱石自身のカリカチュアであるのに対し、ネコの見識もまたもう1人の漱石
小説の良し悪しを判断する物差し                                          坊っちゃん                                                                            草枕
A.    ストーリーの良し悪し                                          1        4                                                                       2
B.    含まれている思想の深さ                                       4            2                                                                       5
C.    含まれている知識の豊かさ                                     5            3                                                                       4
D.   文章の良し悪し、詩情の有無                                  3            3                                                                       4
E.    現実性の有無、絵空事でも小説としての現実性は大切  3            3                                                                       2
F.    読む人の好み。作家への敬愛。えこひいき                 3            4                                                                       3
名作と言われるのは30点くらいで、19点は決して高くない、名作と評するには低すぎる
価値が劣る作品なのかといえば、そうばかりとも言えないが、小説として楽しむには、つらいところがある。学のありそうな人たちが、仲間だけで楽しめる話を交わし、(漱石に他意はなくとも)衒学的に映るのは間違いない。ユーモアもわざとらしく、くどいものの、(見かけに反して)学ぶことの多い小説で、漱石が学者という立場から小説家へ、何を考え、どんな試行錯誤に陥ったか、そのプロセスを作品の中に見ることにおいて、深いものを含んでいる。漱石という大作家の多彩な可能性と周到な瀬踏みを含んでおり、これ以後の名作の萌芽がすべてこの作品の中に潜んでいる
『猫』以前の短編は弱点が多すぎてプロの作品としては落第点に近い
『猫』で小説の多様性を模索して地下水脈を作り、『坊っちゃん』でその1つを形で示した
『猫』は第1章を読めばだいたいわかる。ただし、漱石の文学を、いや、小説というものを知るには厄介だが役に立つ。そういう意味で名作。困った大作。漱石自身もそれを気付いていただろう。『猫』の成功にとりあえず喜んでみても前途の多様性を考えて、――大丈夫かな―― この時期に悩まなければ、あれほどの凄い小説家にはなれなかっただろう

2.    小説の技をちりばめて 『坊っちゃん』(1907)ほか
東京とは風俗、習慣、人情も異なるところへ、直情径行型の青年が赴任するのだから珍事件が起きやすい、そこがこの作品のストーリー
『坊っちゃん』は『猫』の連載中、後半を書いている時に綴られたもの
『猫』は一通りの成功となったが、漱石は納得していない。『猫』は小説としてどこか歪(いびつ)、ストーリーらしいストーリーはないし、イマジネーションも乏しい。登場人物もあまりにも身辺に近く、小説的な現実感を欠く。もう少し小説の基本的パターンを踏む方がよいのではないか ⇒ これを『坊っちゃん』で補おうと努めた
善玉と悪玉を立て、次第にどちらか明らかになって活劇となる、見事な小説のパターン
小説の裏側に清をおき、これに強い味わいを持たせたのも1つのパターンだし、貴種流離譚(良い家柄の若人が故郷を離れ苦労の末立派に成長して帰ってくるという物語)のパターンも踏んでいる。一方『猫』で勝ち得た技は、適度に継続されている。自分がよく知った情況(松山中学)を舞台にして俗物根性を軽くいなし欧米の知識もちらつかせた方が面白いかもなどなど
ただ、芸術としてどうなのか、文学はもっと真摯なテーマを真摯に問うべきものではないのかと、自らに足りないものを鋭く見出し、次に芸術論をちりばめたのが『草枕』

3.    おみくじを引こう 『草枕』ほか
小説は冒頭の数行が大切。これから綴るものを暗示し読者の関心を集めなければならない
芸術の神髄を訴え、この理屈の周辺を訪ねて思案を巡らしている小説
あちこちに飛躍しながらも芸術や文学の在り方を論じている
小説家になりたかった漱石は、まず書きやすい身辺雑記と豊富な知識を基として『猫』を書いて成功し、その一方で、もう少し大衆が喜ぶストーリーが必要との考えに立って『坊っちゃん』を作る。さらにその軽さ、俗っぽさに代わるオリジナリティを求めて、その頃はやっていた人情風俗を描く小説とは異なる芸術の本質に迫るものを、ストーリー性を含ませながら描いたのが『草枕』

4.    絢爛豪華な文章で 『虞美人草』ほか
小説を書くだけの社員として朝日新聞に入社した第1作が『虞美人草』、月給200
文章の工夫 ⇒ 入念な美文調、華麗にして薀蓄が深い
漱石が欧米の文献に詳しいのは驚くことではないが、シェイクスピアに影響されたせいかどうか『虞美人草』にはどこか往時のドラマを思わせるような構造、ドラマを小説に仕立てたような構造があって、作品の各章がドラマの一景一景を呈し、少数の人物が会話を交わしている。ドラマのト書を見るような構造をとっているのでストーリーを追いやすい
周辺の情景が鮮やかに描かれるのは漱石文学の特色であり、文中に二重の嘘は神も嫌いだ
"われは過去を捨てんとしつつあるに、過去はわれに近づいて来るなどと箴言めいた名文句が混じるのも特色で、それだけ抜き出して面白い名言集が編める
弱点といえば、この作品にちりばめられた絢爛豪華な文章も厚化粧の誹りを受け、それも頷けることかもしれない。全篇を貫くぺダンディズムも嫌う人がいるだろうが、それは漱石が確信して試みたことで、内容的には余人が簡単に真似のできるレベルを遥かに超えている。1つの文学と考えることができる
                             虞美人草    三四郎   それから        夢十夜   彼岸過迄
A.    ストーリー             3            5            5        3        4            3
B.    思想の深さ             3            4            5        4        4            4
C.    知識の豊かさ          4            4            4        5        4            3
D.   文章、詩情             4            4            5        4        5            3
E.    現実性                  3            4            4        2        5            3
F.    読む人の好み          3            4            5        2      5            3

5.    小説は男と女のことを書くもの 『三四郎』ほか
小説で時折利用されるユニークな方法として、主人公を1人か2人想定して書き始め、十数ページ進んだところで、そこから先は彼らをして自由に動いてもらう。最初からストーリーや結末を決めずに書く方法で、漱石自ら、主人公・三四郎をして小説のなかに自由に放して、勝手に泳がせる手法を探る、と明言
漱石が朝日に入社して満を持して挑んだのが『三四郎』
恋愛未満の情況において、長く書き続けるのは読者に飽きられる。そこにお金の貸し借りという生臭すぎるが軽々に扱ってはいけない大切な事柄が介入することにより、男女の間に新たに見えてくるものがある。恋愛などとは別な人間のビヘイビアを探ることにより、今までとは異なる変化・進展が見えてくる。実にうまい小説技法となり得るのだ
本道は三四郎を軸とする恋愛未満。心と心の微妙な絡み合いを描いて・・・・・見えにくいことを描いて間然とするところがない。今どきはやらないとも思うが、、恋にはよっ程度胸のないときがある、そして小説とは男と女のことを書くものですという箴言もあるようだ。それに『三四郎』は応えている
三四郎という三人称を主人公にしているが、全編、基本的に三四郎の視点で書かれている作品。三四郎の行動や思索は密に綴られているが、三四郎がどんな風貌かはほとんど書かれていない

6.    さざ波は渦となって一点へ 『それから』ほか
小説にとってタイトルはとても大切。作者に次ぐもの。よいタイトルとは;
    内容を巧みに暗示している。読み終えて「なるほど」と頷けるようなものが望ましい
    日本語の名辞として美しい、整っている。意表をつくものでもいいが巧みな表現であること
    長いのはよくない。短くてもわかりにくいのはペケ
    書き手にふさわしい。曖昧だが蔑ろに出来ない
『それから』は二重丸。『三四郎』を微妙に受け継いでおり、『三四郎』のそれからのようにも読めるし、結末は次作の『門』に微妙に繋がっていて、ここでもそれからとなる
前作でとった手法を受け、次作にまで及ぼす全体的構想が述べられているのだから、小説作法の違いとして面白い
平仮名の4文字はかなり新鮮だったに違いない
    についても、既に売れっ子の漱石にはつきづきしい
ストーリーはわかりやすく、よくあるパターンともいえるが、そのプロセスを描く筆致は入念で、巧みで、素晴らしい
愛情を抱いた友人の妹を別の友人に譲ったものの、改めて昔の恋情が戻って不倫関係になるところの描写が、漱石は男と女のことを書かせて迫力ある作家だと思わせる
最後は、主人公が妹と結婚した友人に向かって愛を告白し、友人に決断を迫るものの、絶交されたばかりか、不倫が露見して家族からも絶縁されるところで終わっているが、社会や秩序に逆らっても、真実の愛を貫きたい、それが秩序が敷かれるより先の、人間としての自然ということだろう。これは文学の存在理由といってよいテーゼである。それを描いたことを多としたい

7.    深読みをしてくれますか 『門』ほか
市井のくさぐさを映して静かに開く。冒頭の主人公を描写する文章に、いくつかの趣向がさりげなくちりばめられている
主人公が散策の折に見る街の風景の描写が入念で、往時の東京を伝えてつきづきしい
作品は二重構造で、前半は現在の苦しい情況を詳説し、後半でその背後にある原因を露にする趣向 ⇒ 前半のやるせなさ、退屈と言ってもよいほどのどうしようもなさが後半に響いて、生きてくる
『門』は、『三四郎』『それから』に続く3部作の最後、『それから』に似たエンディングで『それから』の主人公を少しく継いでいるようなところがある
『門』は文学的に、また作家の思索として中身の深い小説と評されているが、それを知るには相当に深読みをしないと無理なのではないか。苦悩の原因が詳述されていない

8.    夢のあとさき 『夢十夜』ほか
不思議なストーリーを語った挙句、最後ではい、みんな夢でしたとなるのは、聞き手をしてしらけさせるし、小説家はこれを手軽に扱ってはいけないと承知していながら、最後は夢というストーリーを考えてしまうもの
ならば、初めからこれは夢ですと宣言して綴ったら一興ではないかとして書いたのが、『夢十夜』という10編のショートショート集
ショートショートなら、文学作品なら、何かしら寓意があってしかるべき ⇒ 『夢十夜』ではすべてにわたって、この疑問を投げかけねばならない作品集
断片的に夢で見たものを膨らませ、文章も整えて創ったもの、あるいは自分の潜在意識に思いを馳せ、あえて曖昧に綴った作品集と考えるのが適切
寓意は、総じて生きることに対する宿命的な不安を訴える気配が濃いところにある漱石は人間の潜在意識に深い関心があり、あえてやさしく言ってみれば、潜在意識は冥界を見据えているというような思索を持っていたのではないか ⇒ かつてこの世に生き、今は冥界にある人の記憶が、その子孫の潜在意識に残っている。先祖の誰かが100年前に人を殺した記憶が子孫に甦ったという夢なのかもしれない
日常に足を置きながら突飛なことを考える、これは小説の発想の原点であり、『夢十夜』はこれをいろいろなパターンに散らして挑戦している。潜在意識も絡んで、それをさらに奥深いものにしている。そのうえ見事な文章によって綴られているところが憎い

9.    ユニークな短編連作集をどうぞ 『彼岸過迄』ほか
1910年胃潰瘍を悪化させ修善寺温泉で大量の吐血をして危篤に陥ったが、なんとか恢復したあとの執筆。彼岸過ぎ迄連載を続けようとこのタイトルをつけたので、作品の中身とは関りが薄い
連載小説を書いて読者に"面白く読まれるために朝日に入社したが、病後の苦痛を抱えて、なかなか、という情況 ⇒ アイデアと筆の乱れとが、ともに垣間見える作品

10. 摂理を探して 『行人』ほか
胃潰瘍という宿痾に苦しんでいた
『彼岸過迄』を書き終えて7か月休み、『行人』の新聞連載を始めたが3部までで中断、5か月休んで、ようやく最後の1部を書き上げ完成に漕ぎ着けたので、前3部と後1部では小説として少し趣が異なっている
後世は人の死から逆算してその人の生涯を眺めることができるが、当人はある程度まで自分の死を予測することができるとしても、それを日常のくさぐさに組み入れることはむつかしい。『行人』は死の4年前からの執筆、行方の知れない苦しさがあちこちに散って、苦しみの中で豊かな構想を描き、全体と部分の調和を計ること、姿の良い小説を作ることは相当に困難で、そのあたりの苦悩がよく見える作品
「行人」とは旅人のこと、第4部の「塵労」とは世間との煩わしい関わり合いに悩むことで、世界の根元的な摂理に関して心を病んだ兄と旅に出た同行者からの報告が届く。これこそ漱石が作品に託したモチーフ。漱石その人の苦悩だったのかどうか、深くは計り知れない
『行人』は姿の整った小説ではない。作者の溢れる思いが、日常の中に広く、深く語られているけれど・・・・・結論は遠い
                                行人       こころ      道草       明暗
A.    ストーリー             3            5            3
B.    思想の深さ             5            4            3         
C.    知識の豊かさ          4            4            3
D.   文章、詩情             4            5            4         
E.    現実性                  3            5            4
F.    読む人の好み          4            5            3

11. 女性軽視かな 『こころ』ほか
感動の作品、と思ったが、読み手の年齢により印象が異なるケースの典型
『彼岸過迄』『行人』に加えて後期3部作と呼ばれる。最後の1章に作品の力点がある構造がよく似ている ⇒ 大病の苦中の作品
小説とは何かしら謎が提示され、それが深まり錯綜してほぐれ、やがて解決していく、それが小説として面白く、読者を誘うパターンで、広く用いられてよい手法
どこか大切な謎が含まれている作品が多いが、その代表が『こころ』 ⇒ 先生の謎が明示され、そのありようと解決がこの作品の主流
40代で読んだ時には、女性蔑視の小説ではないかと訝った
今になって読むと、人間の究極のエゴイズムと、実存のニヒリズムを漱石は劇的なストーリーに託して綴ったのかなと思う

12. サンドイッチを重ねて 『道草』ほか
重く、切なく、人生の苦い真実を抉り出して描くのも小説の大切な役割 ⇒ 『道草』はそれにふさわしい
苦悩を次々と重ねたサンドイッチみたい、厄介な事情が別々に、しかも続けざまにいくつも重ねてある
『道草』の少し前に発表したエッセイ『硝子戸の中』で漱石は、自分の病気が小康を得ていても治ったわけではなく継続のさなかなんだと知ったとき、何も片付かずに、継続を抱えながら死へと進んでいく、と記しているが、その辺りが『道草』に託されたモチーフ
『道草』は漱石の実人生を下敷きにした作品であることは疑いなく、符合する処も多いが、自らを赤裸々に告白した文学ではない。自分のキャリアを基として、ありうべきイマジネーションを描いたものと考えるべき。主人公のメンタリティや心情、思考は全く違う
小説ってなんだろう? いくつか箴言をあげる
Ø  小説とは、男と女のことを語るもの《山口瞳の言葉》 ⇒ 男と女のことを描いた時にこそ魅力を発揮するということだが、漱石の小説もそれが多い。漱石は女性に強い関心を抱いた作家。必ずしも円満な夫婦関係ではなかったはずだが、これとは別い男女の関係を考えて、人間の、違う性を理解すること、理解し得ないもどかしさ、それは人間そのものの理解に関わっていると考えたときのむつかしさ、この辺りが明らかに晩年の漱石のモチーフになっている
Ø  小説はすべてミステリーである《阿刀田高》 ⇒ 謎が提示され、その謎が深まり、次第に解けていって、やがて大団円に到る、というのが小説を創る技法であり典型
Ø  読み終えて「ここに人生がある」と感じさせてくれるものが小説《バルザック》⇒ 庶民に切実な人生があると書いたのが『道草』
Ø  小説の主脳は人情なり《坪内逍遥『小説神髄』》 ⇒ 小説が人間の心を描く営みであることは論を待たないが、この流れから発展した日本の自然主義文学は自己を赤裸々に描写する私小説に傾き、過去イマジネーションを疎んじる傾向を強くした。彼らは『道草』をよしとするが、漱石の生涯をなぞってはいるが私小説ではない。この違いを見ることが肝要で。イマジネーションを駆使して漱石の思想を帰納して人生哲学をちりばめているが、次の箴言には当てはまらない楽しみにくい作品
Ø  面白い話を語るのが小説《出所不詳》 
Ø  社会全体が是とするものに対して個々の真実を訴え叫ぶものが文学《伊藤整の芸術観の要約》 ⇒ 一切の文化が社会全体がよしとするものを求めるのに対し、それに反してでも個人として心情を吐露するのが文学だという主張。『道草』の主人公の主張
Ø  美しい、正しい文章を示すことが文学の役目《誰もが認める1条》 ⇒ 漱石は、学識が深すぎて現代には通じにくいところもあるが、文句なしに秀でている。名文家であったことは疑いなく、それぞれの情況に頗る相応しい描写を入念かつ的確に披歴するという、小説のあらまほしい道を見事に踏んでいる。上田万年が制度として近代の日本語を創ったのに対し、漱石は具体的にそれを創って示した
Ø  成長小説こそ小説の王道 ⇒ ビルドゥングスロマン、教養小説とも訳されるが、若い主人公が社会との葛藤を体験しながら生来の素質を発展させ、立派な人格に成長していくことを綴るのが小説の大通りというもので、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』が代表例だが、漱石にはほとんど見当たらない

13. 変化は計り知れない 『明暗』ほか
いろいろな登場人物の相互の関係を明瞭に浮かべるのは厄介だが、意図的にいろいろな人の視点を採用して乱れさせているいるのが『明暗』
晩年の漱石は、則天去私を書き残した。文豪の銘としてよく知られているが、意味は必ずしも明らかではない。エゴを捨て天の、つまり自然の道理に従う、という解釈が納得しやすいが、小説論だという説もあり、1人の私の視点ではなく、主観を捨て、天の、神の視点で見て、客観的に書くということ。『明暗』はこれを探っているようにも見える
突然の変化は何によるのか。病気のことだけではなく、人間の心についても、人知を越えた計り知れない変化があるのではないのか
総じて漱石は、『万葉集』や『源氏物語』、いやもっと古くからこの国に輝いた文芸の伝統と、新しくヨーロッパに咲いた小説という形式をどう融和させるか、それを具体的に創作して示した。それに相応しい日本語の良い例をも示した。後代に著しい宝物を残した文豪。まだ近代文学の揺籃期の気配が強く、小説の技法において巧みな人ではなかったが、残してくれた功績は、他を絶して見事。この人なかりせば、日本の新しい文学はずいぶんと進展を遅らせたのではないか
明治という時代を考えれば当然ではあるが、漱石の文学はどこを切っても女性軽視の傾向が強い。漱石自身はヒューマニストであり、軽視の意図はなかったろうが作品はそれを露にしていることを考えると、"国民的作家という尊称は採れない





漱石を知っていますか [著]阿刀田高
[掲載]20180218 朝日新聞
[ジャンル]文芸
表紙画像
独自のものさしで文豪を採点

 夏目漱石をどのように読むか。現代文学の主軸に位置する著者が、漱石文学を一作ごとに解剖し、その作品についての採点を試みた異色の書である。
 『吾輩は猫である』を皮切りに『明暗』までの13作品が著者の目で読み解かれる。作品は漱石の発表順になっているが、おのずとそこには流れがあるという。『猫』はとくにストーリーはなく、「観察と描写と博識のおもしろさ」だが、『坊っちゃん』にはストーリーがあり、いわば「善玉と悪玉」のその活劇が小説のパターンとなっている。『草枕』になると「芸術を思案し検討するページ」「男と女の関係など小説的なページ」がたがい違いに描かれる二重構造の作品にと変化しているというのだ。ストーリーの展開をなぞりながら(現代文に直しているのもわかりやすく)説いていくので、読者としてはなるほどとうなずける。
 著者は漱石文学は案外最後まで読まれていないのではとの指摘もするが、それは漱石の教養や知識、あるいは人間観が必ずしも小説としてすべて成功しているわけではないからと見ているようである。各々(おのおの)の作品を論じた末尾にはAからFまでの「ものさし」をつくり、ストーリーのよしあしから、知識の豊かさ、文章のよしあしなどを5段階に分けて採点し、六角形で図形化している。『猫』や『坊っちゃん』は19点、『草枕』20点、『三四郎』が25点だが、もっとも点が高いのは『それから』と『こころ』の28点といったところだ。『それから』の主人公・代助の《真実の愛を貫きたい》という人間としての自然こそ文学の存在理由だとも説く。知識の豊かさ、小説としての現実性に4をつけた以外すべて5点満点である。
 著者は、漱石作品は日本語の良い例を示し、「後代に著しい宝物を残した文豪」と認めるも、「女性軽視」の面があり、この点が国民的作家たりえないと惜しんでいる。
    
 あとうだ・たかし 35年生まれ。作家。著書に『ナポレオン狂』『ギリシア神話を知っていますか』など。



はっきり言って小説のヘタなこの人が、なぜ「国民作家」と呼ばれ続けるのか?
漱石を知っていますか
阿刀田高/著
発売日:2017/12/22
小説の体をなさない「吾輩は猫である」、不親切な「門」、女性軽視が際立つ「こころ」――多くの難点を抱えつつも一世紀以上読者を魅了してきた作家の真の凄さとは。主要13作の手法・文章・創作者心理・完成度を作家の目から徹底解説。漱石生誕150年のトリを飾る、読まずにわかる名シリーズ最新作!


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