蒼い炎  羽生結弦  2018.3.5.


2018.3.5. 蒼い炎 

著者 羽生結弦

発行日          2012.4.20. 第1刷発行       2014.2.28. 第9刷発行
発行所           扶桑社

Scene 0.     初めての世界選手権
201112月大阪での全日本、総合3位で世界選手権の代表入り ⇒ 本田以来14年ぶりで最年少を更新。大震災で練習場を失った年だけに注目

Scene 1.     フィギュアスケートと出会う
1999年、姉の背中を追って始める、最初の振り付けはウルトラマンガイア
2004年、ホームリンクが経営難で閉鎖、07年再開、田中刑事の後塵

Scene 2.     15歳のジュニアチャンピオン
20103月、世界ジュニアで村上佳菜子と一緒に優勝し注目

Scene 3.     シニアへの挑戦
2010年秋、高校1年という異例の早さでのシニアへの挑戦 ⇒ トリプルはマスターしていたが4回転は覚えたて
4大陸選手権で2位のデビュー

Scene 4.     311
地震当時は先輩と練習中、スケート靴だけは離さず避難、母姉も一緒になって避難所での生活が始まる ⇒ 10日後東神奈川のリンクで練習再開
世界選手権の代表選からも漏れ、一時はスケートを断念することも頭をよぎる

Scene 5.     アイスショーを練習の場に
5月から60公演こなす

Scene 6.     グランプリシリーズの死闘
201112シーズン、目標は高橋・小塚・織田の一角を崩しての世界選手権代表入り
9月のネーベルホルン杯(国際Bシリーズ)で国際大会初優勝
グランプリシリーズの最初の中国杯は僅差の4位、次のロシア杯でパーソナルベストを出して優勝し、高校生としては日本男子史上初のファイナルの出場権獲得

Scene 7.     グランプリファイナル、そして全日本選手権
結果は4位に終わったが収穫は大きく、その直後の全日本ではフリー1位総合3位となり、世界選手権代表に。課題はプログラムコンポーネンツ(演技構成点)

Scene 8.     理想のスケートとは
スケーティングとスピンが持ち味で、ジャンプは決めて当然

Scene 9.     ライバル、仲間、憧れの選手たち
一番尊敬するのはプルシェンコ、次いでジョニー・ウィアー、さらに僕の上を行くのは高橋大輔、パトリック・チャン

Scene 10.  世界選手権へ、オリンピックへ
世界でフリーの最終グループ入りを目指す

Scene 11.  あとがきに代えて
本書はチャリティが目的




宮城)羽生結弦復活の舞 SP首位通過
加藤秀彬
20182170300分 朝日
写真・図版
 平昌冬季五輪フィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)に16日、仙台市出身の羽生結弦選手(23)が登場し、自身の世界歴代最高得点に迫る111・68点を出して首位に立った。羽生選手がかつて練習した「アイスリンク仙台」(同市泉区)では、職員や後輩たちが、五輪連覇に向けて声援を送った。
 アイスリンク仙台では、トリノ五輪金メダリスト荒川静香さん(36)やバンクーバー、ソチ五輪代表の鈴木明子さん(32)も育ち、羽生選手は4歳から通った。支配人として見守ってきた在家正樹さん(47)は「普段は冗談を言うのが好きな男の子だけど、氷上ではアスリートになる」と話す。
 東日本大震災でリンクは壁にひびが入り、製氷用の配管も壊れて、一時閉鎖した。在家さんは「ライフラインが寸断された状態なのに、スケートのことを考えている場合ではないのでは」と思ったという。しかし、羽生選手の練習環境を少しでも早く提供しようと手を尽くし、リンクは震災の4カ月後に再開した。
 羽生選手が優勝した前回ソチ五輪の後は、「自分もやってみたい」という客が増え、来場者は2割増えた。平昌五輪開幕直後の連休もリンクはにぎわい、毎週日曜のスケート教室は定員でいっぱいだ。
 羽生選手もリンクへの思いは強い。自身の著書「蒼い炎」「蒼い炎2」の印税計約2500万円をリンクに寄付し、団体送迎用のバス2台の購入費に使われた。羽生選手は今でも帰国時に滑ることがあり、昨年12月のリニューアルの際は音響面で助言したという。在家さんは「リンクにとって家族みたいな存在。フリーでも、完全燃焼してほしい」と願う。
 羽生選手がこの日SPでトップに立ったことに、リンクで滑っていた人たちも喜んだ。小学5年の尾形広由君(11)は、自宅で羽生選手のSPを観戦してから練習に訪れた。羽生選手と同じ4歳からスケートを始め、ほぼ毎日練習しているといい、「目標はゆづるくん。けがをしても関係なく、ノーミスなのがすごかった。僕もオリンピックに出たい」と目を輝かせた。スケートは小学生以来という同市泉区の大学生石川琴菜さん(21)は「けがが完治しているのか心配だったけど、復活したんだなと思った。金メダルを取ってほしい」と期待した。(加藤秀彬)




羽生 結弦(はにゅう ゆづる、1994(平成6年)127[6][9] - )は、宮城県仙台市泉区出身のフィギュアスケート選手(男子シングル)。全日本空輸 (ANA) 所属[13]早稲田大学人間科学部在学中
主要な戦績として、2014年ソチオリンピック2018年平昌オリンピック優勝、2014年世界選手権2017年世界選手権優勝、グランプリファイナル4連覇(2013-2016年)、全日本選手権4連覇(2012-2015年)。
男子シングル競技における、ショートプログラム112.72点)、フリースケーティング223.20点)、トータルスコア(330.43点)の現世界歴代最高得点記録保持者である。世界ランキング最高位1位。世界ランキングは201310月より1位を保持している[14]
世界記録は2012年から2017年の間に12回更新しており『レコードブレーカー』と称される[15]ISUジャッジングシステムのもとに開催された国際大会において、史上初めてショートプログラム100点、フリースケーティング200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手である[16]
人物[編集]
名前は「を結ぶように凛とした生き方をして欲しい」と父が命名した。血液型B
2歳の頃から喘息(ぜんそく)の持病があり、スケートを始めた当初の目的のひとつは、喘息を克服することにあった[17]15歳の時に、喘息の持病がありながら五輪金メダリストになった清水宏保に会う機会があり、スケートを続けていくための助言を得た経験がある[18]
肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、特に10代の頃は体力や持久力の面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療、吸入薬、鍼治療、気道を開く施術、移動時や練習時にマスクを着用することで心肺機能を上げるなどの対策を続け、体力面のハンデは大幅に改善された[19]。しかし完治したわけではなく、特に練習拠点をカナダに移してからは、環境の変化により激しい発作に襲われることが増え[20]、現在(2017年時点)も発作を起こすと明かしている。
演技前に必ず行う胸の前で十字を切るような動作は、実際には「士」の形を描いており、「ジャンプの回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認するためのおまじない」である。201511月以降から、両手で天を仰ぐような動作を最後に加えるようになった[21]
影響を受けた選手として、エフゲニー・プルシェンコジョニー・ウィアーステファン・ランビエールハビエル・フェルナンデスディック・バトンを挙げている[22]。同郷の荒川静香は東北高、早稲田大(荒川は教育学部)でも先輩(13歳上)にあたり、彼女の代名詞であるレイバック・イナバウワーを自身の演技に取り入れ、荒川へのリスペクトを示している。
特に2002ソルトレイクシティ五輪でのプルシェンコの演技を見て心酔し、技の手本とするに留まらず、彼のマッシュルームカットまで真似した時期もある[23][24]。また、彼の得意技であったビールマンスピンを自身の演技に取り入れ、リスペクトを示している[25]。これに対し、プルシェンコも羽生を賞賛する言葉を多々述べている[ 1][26][27][25][28][29]2015年のNHK3つの世界記録を更新した翌日のインタビューでも、理想とする王者像はプルシェンコであり「彼のような存在になれるように努力していきたい」と述べている[30]

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