未完の西郷隆盛  先崎彰容  2018.2.27.


2018.2.27.  未完の西郷隆盛 日本人はなぜ論じ続けるのか

著者 先崎彰容(あきなか) 1975年東京都生まれ。東大文倫理学科卒。東北大大学院博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学。16年より日大危機管理学部教授。専門は日本思想史。著書に『ナショナリズムの復権』『違和感の正体』など

発行日           2017.12.20. 発行
発行所           新潮社(新潮選書)

整合が目指した「国のかたち」とは、何だったのか――?
アジアか西洋か。道徳か経済か。天皇か革命か――日本人はいつも自らが理想とする「国のかたち」を西郷に投影し、「第2の維新」による「もう一つの日本」の実現を求めてきた。福澤諭吉、中江兆民、頭山満から、丸山眞男、橋川文三、三島由紀夫、司馬遼太郎、江藤淳まで、西郷を論じ続けてきた思想家たちの150年から、改めて「日本のかたち」を問い直す

はじめに
日本の近代化の中で大きな役割を果たした両極端が福澤と柳田
同時代の人々から「拝金宗」と非難された福澤は、日本の近代化の方向を決定づけた思想家だと言われる。反対に柳田國男は、かなり早い段階から日本の行く末に懐疑を抱いていたというイメージ。農商務省の役人時代、またのちに日本民俗学と呼ばれる学問体系を構築していく最中、しばしば明治政府の近代化政策に疑問を示し、反近代的な立場を表明していた
福澤の歴史観こそが、日本の近代化の進むべき道筋を、決定的なものにしたと考える。その道筋とは、歴史を未開から文明への一方通行だと見做す歴史観で、野蛮・半開の国々は文明を目指して進むべきであり、一直線上を競争し、後ろから前へと進む。日本は半開の国であり、西洋文明こそが追いつくべき目標。明治政府も西洋文明への懐疑を全く持たず、ひたすら直線上を前へ前へと走ってゆく焦燥に駆られていた。文明多元論は出てこない
もし1人物の中にこの2つの立場が同居し、ために激しい葛藤と緊張の人生を強いられたとしたらどうか。実際に秩序を作った政治家の中に、日本の近代化の是非を問い直すことができる傑物がいたとすればどうか ⇒ それこそが西郷
実際の西郷は、後世に残した影響力を含め、もっと複雑にして多様な陰影を孕んでいる、本書はそうした西郷像に迫っていく
西郷は日本に西洋文明を取り入れた近代化の立役者だが、近代化路線に違和感を覚える時、必ず呼び戻される政治家もまた西郷 ⇒ 頭山満などの大アジア主義者たちからカリスマ視され、アジアの盟主として君臨し、西洋帝国主義に対抗するために、西郷を西洋の価値観に「否」を突き付ける反近代主義者として祭り上げられた
西郷の中に同居する近代と反近代の矛盾は、西南戦争でさらにはっきりしたものになる
西郷を担ぎ上げた者たちは、同床異夢で、人々は西郷の中に、それぞれが思い描く近代と反近代を夢想していた ⇒ 「西郷」という名前の響きには、それくらい主義主張を超えて人々を惹きつけてやまない何か魔術的な磁場のようなものがある
本書は、西郷を巡る複数の著作に焦点を当て、この国の近代化150年の意味を問う
本書の主眼は、西郷その人の言行を追うことではなく、その後に紡がれた様々な西郷像を辿ることにある
本書の舞台演出を支える近代日本の思想家は、福澤諭吉、中江兆民、勝海舟、内村鑑三、頭山満、来島恒喜、幸徳秋水、夢野久作、丸山眞男、橋川文三、島尾敏雄、吉本隆明、三島由紀夫、竹内好、江藤淳、司馬遼太郎
150年の間に彼らが西郷について紡いだ言葉は、今なお、とても新鮮に聞こえる。西郷は、

第1章        情報革命――福沢諭吉『丁丑公論』と西南戦争
西南戦争終結の1か月後、福澤が書いた西郷を擁護する論文『丁丑(ていちゅう)公論』が、実際に発表されたのは四半世紀後の01年 ⇒ 出版条例の影響が大きい
西郷と福澤は直接の面識がないが、西郷は福澤の著作を通じてその見識を高く評価
論文では、近代日本の状況ではどうやら日本人は西洋文明を誤解し、士族たちが持っていた「抵抗の精神」を失いかけている、日本を思う者は、こうした維新以前の精神の喪失をどうにかして食い止める方法を見つけるべきだ、西郷の武力による抵抗は自分の考える「抵抗の精神」とは必ずしも一致しないが、西郷の精神には学ぶべきことがある、としている
西郷を非難する者たちが、大義名分と政府見解を同一視している点に注目、時の政権が決定した価値観がそのまま正義になるような体制順応主義で西郷を批判するのは間違い
維新の初めから情報革命によって時代が過渡期を迎え、従来の価値観の瓦解が起きたにもかかわらず、全ての情報が政府に集約され、政府から出ていく、とすれば新政府が進める文明開化政策を、俯瞰し批判評価できる人材が学界やメディアからいなくなってしまい、情報革命の毒を解毒する気概を持った「抵抗の精神」はどこにいってしまったのか
政府による情報独占により、「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」という危機的状況を生み出している
史上初の決定的情報戦ともいえる西南戦争に至る西郷の足取り ⇒ 廃藩置県によって出身藩への忠誠意識の拠り所がなくなった兵士は、長州出身の山県が陸軍大輔になると最大派閥の薩摩藩兵による反発が蠢き始め、長州出身の商人による公金不正使用事件を機に山県が排斥され、西郷が後を継ぐが、士族の間に渦巻く自身の存在意義を容易に見出せない鬱屈と懐疑はいつ暴発してもおかしくない状況にあった。それを一気に発散させようとしたのが征韓論だったが、大久保と岩倉によって封鎖されたため西郷は下野
福澤と西郷の文明観には、その度量の広がりにおいて不思議な一致が感じられる。彼らにとって文明とは、何よりもまず精神の問題であり、普遍性と寛容さを漂わせているもので、福澤の「包羅」と西郷の「慈愛」に、ほとんど同じ響きを感じ取ることができる
なぜ福澤はあれほどまでに執拗に西南戦争とロシアの事例に注目し、極端な官民の軋轢を警戒したのか。西南戦争に同情を寄せ、ニヒリストの過激さに眉をひそめたのか。一方で、西郷はなぜ、西洋文明を学ぶと「人身浮薄に流れ」ると警告したのか
それは、情報の激流が、世界史的なうねりを帯びて人々の心に襲い掛かっていたからで、溢れ出た情報が、官民の軋轢や鬱屈する不満を生み出し、暴力に訴える行動に駆り立てる時代がやってきた。福澤も西郷もこの変化に気付いていた
19世紀に、情報革命の帰結を予言した者と翻弄され殉じた者が、双方ともに同じ精神の構えを日本人に処方している ⇒ 我々にとって他人事とは思えない

第2章        ルソー――中江兆民『民約訳解』と政治的自由
1891年、西郷が散って14年、西郷再臨伝説が生まれる ⇒ 中江兆民が主筆を務める『立憲自由新聞』の社説に掲載
ロシアに対する恐怖心が無意識のうちに広がる ⇒ 大津事件が、「恐露病」に罹患した国民の精神を崩壊寸前にまで緊張させ追い詰めていく
西郷を愛する兆民の期待が、意外にもルソーへの共鳴と同時並行的に生じていた
維新から100年の記念に、橋川文三が書いた論文にも、西郷をルソーに似せた下りがある

第3章        アジア――頭山満『大西郷遺訓講評』とテロリズム



第4章        天皇――橋川文三『西郷隆盛紀行』とヤポネシア論
三島は、「敬天愛人」が持つ危険性を肯定し継承しようとした。佐藤一斎と西郷の陽明学思想が含みもち、玄洋社のテロリズムによって顕在化した「毒」を、三島は革命思想として肯定 ⇒ 68年の学生運動に強い刺激を受けつつ、憲法改正と自衛隊の蹶起を呼びかけ70年に割腹自殺
三島は、日本を覆う現状追認主義に対抗しようとして、陽明学に注目、陽明学こそが明治維新の原動力であり、西郷をも魅了してやまない思想であると主張
三島の陽明学では、「知行合一」と「帰太虚」(太虚=「生死も善悪も超越したあらゆる物事の源」に帰ること)こそが、自らの死を乗り越え革命を引き起こす能動性を与える根拠とした
維新後の100年は西洋風の政治制度と経済成長だけで定義され、天皇と日本人から文化の薫りを奪い去ったので、「文化」を取り戻すために具体的な行動を起こさなければならないとし、その典型を「桜田門外の変」に見出す
三島の最大の理解者である橋川も、全ての日本文化の源泉こそ「天皇」だとする三島の天皇絶対化の論理は、ルソーの「一般意志」の絶対性を想起させ、ルソーがフランス革命後の恐怖政治とテロリズムを生み出したように、三島の天皇概念も西南戦争の動乱を肯定したとする
1858年、安政の大獄で薩摩藩も藩主が斉彬から久光に代わって方針を転換、月照を切り捨てることになったため、西郷は月照と共に錦江湾に入水するが、西郷のみ助かり、そのまま奄美黄島に名前を変えて島流しとする
鳥尾敏雄が唱えたのが、もう1つの日本、つまりヤポネシアの発想の中で日本の多様性を見つけようとするもの
三島にとって何より憎悪すべきは明治以来100年の近代化にあり。明治新政府は、天皇を西洋的な立憲君主の概念に閉じ込め、権力の中央集権化、社会の秩序化、さらには法治国家の中心に天皇を置くことは、天皇を矮小な権謀術数の世界に閉じ込め、さらに悪いことには治安維持法が資本主義を国体だと謳ったことで天皇は私的利潤追求を支える存在まで堕落した。文化的概念が天皇から排除されてしまった。だからこの天皇像は破壊されなければならない。そこで注目した革命理論が陽明学であり、西郷という存在だった

第5章        戦争――江藤淳『南洲残影』と2つの敗戦
西郷は無名時代に島津斉彬に見出されることで政治の世界に飛び込み、斉彬に対する忠誠心は絶対的であり、薩摩藩内の封建的主従関係こそが西郷思想の出発点だったが、58年に斉彬が急逝することで、斉彬への思いを国家に対する忠誠、特に天皇のそれに代えることで生き延びようとした ⇒ 国づくりの基点は天皇にあると確信し、「天皇親政」によって西洋列強に対峙する国づくりを目指すべきと決意。征韓論争も西郷自身が人柱になることで、天皇に人々の中心点になってもらい、天皇親政を実現する意図があった
内村鑑三に「代表的日本人」と敬意をこめて評された西郷は、1930年代、新たな死への道連れを誘う亡霊として軍国主義者から祀られたために、戦前の西郷イコール軍国主義という典型的な西郷批判となった
西南戦争と太平洋戦争の「2つの敗戦」に注目したのが丸山眞男 ⇒ 西郷に対しては懐疑的な立場をとり、「一連の反革命の暴動」を行った人物という評価をし、革命的な暴力ならば肯定する余地もあるが、反革命の暴動は前時代への後退として厳しく退けたが、唯一条件付きで評価できるのとしたのが西南戦争。西南戦争は日本近代史の最大の悲劇。西郷が体現した封建的忠誠が死滅したことで、近代化に当たり必要な「反逆=前近代的な封建的忠誠心」のダイナミズムも共に減衰してしまい、日本の「近代化」は歪んだものになった
江藤淳も西南戦争の謎めいた魅力に取りつかれた一人で、西南戦争を考えることが言葉の世界を通して、丸山と同様、日本の近代化の意味を考えることになった
明治期の詩歌や軍歌といった文藝作品の評論から、西南戦争の意義を問い、日本の近代化とは何だったのかを明らかにしようとした ⇒ 勝海舟を政治家の典型として評価、その対照的立場にあって政治に叙情と悲劇性を持ち込んだ西郷を否定的に評価していたが、海舟が西郷を追慕してやまないという事実に江藤は驚き、西郷は西南戦争で士風を滅亡させ決定的な断絶を起こし、海舟が保全に成功したかのように見えた近代国家もまた太平洋戦争で瓦解したところに、両者の共通点を見つけ、時代の断絶を愛惜し歌うことが文学を生み出すと主張するようになる
江藤によれば、西郷は明治新政府の背後にある西洋文明、さらに言えば世界史的規模で拡張してゆく情報革命と近代化の浸食に、国家存続の危機を感じ取っていたからこそ立ちあがったので、本来日本という国家は何が自分らしさを保証し、譲れないものなのかを考え主張すべきなのに、天皇と政府が率先して自国の存在意味を剥奪しようとしているとした
乃木希典は「連隊旗喪失事件」があって天皇に殉じることになり、国家と強くつながっていたが、漱石はその乃木の立場に憧れていた。乃木が連隊旗を奪われた結果国家とのつながりを失い、孤独な「もの」的存在と化してしまったように、西洋文学によって国家とのつながりを断ち切られた漱石はロンドンで孤独に陥った。それは2人にとて自死に直結する強烈な苦悩だった ⇒ 江藤は、連隊旗喪失事件と漱石の留学体験を重ね、日米関係にまで思考を広げ、そして日本の「近代」と「文学」を論じた
江藤は「西郷南洲」の戦死のなかに、この国がペリー来航以来、引き受け続ける「近代」の凝縮された姿を見ていた。政治的なイデオロギーでは、理念と情念、善と悪全てを含み込んだ「人間」という不可思議な存在をまとめ上げ、つなぎとめておくことはできない。ただ西郷と西南戦争だけが、抽象性を捨てた生々しい日本人と時代を描き出すことを可能にする。賛否いずれにつくにせよ、日本人の琴線に触れ、150年にわたって何度も論じられ続けてきた。この時西郷は、「政治家・西郷」を超えた「人間・西郷」として私たちの前に現われてくるというのが江藤の思想の核心

終章 未完――司馬遼太郎『翔ぶが如く』の問い
福澤の近代に関するイメージは、「情報革命」により人々は不確かな情報に翻弄され、極端な善悪二元論へと傾いていく危険性こそ近代の病理であると考え、その象徴を西郷と西南戦争の敗北に見出す
中江兆民は、「経済的自由放任主義」が社会の紐帯を脅かし、日本人から政治的自由を奪っていく状況を近代に特有の現象と捉え、西郷とともに、儒教道徳の重要性を時代に向けて主張
頭山満の大アジア主義は、「有司専制」が天皇から包容力を奪い、人民の意見が広く入れられる理想の政体の実現を妨げていると明治政府を鋭く批判し、その閉塞感を打破してくれる象徴的存在として西郷を祀り上げた
橋川文三もまた、明治新政府の作り上げた「天皇制」が日本人に閉塞感を与えているとし、それを超克する道を西郷の南島体験のなかに模索しようと試みた
江藤は、アメリカを筆頭とする西洋の普遍的価値が、日本人から言葉を奪い、日本を全的滅亡へと導くことが近代だったと喝破
5人とも、日本の近代化に対して違和感を抱き、西郷という人間の生涯を通じて、日本の「近代」を洞察し、その特徴を明らかにしようと試みた。そして西郷のなかに処方箋を見出そうとしたと言える ⇒ 5人にとって西郷は「反近代の偶像」
とりわけ強く日本の近代化への違和感を抱き、誰よりも長大かつ綿密な西郷論を描き、日本人を魅了したのが司馬
戦後日本とは何かという問いを解こうとしたとき、眼前の官僚組織が太政官のものの考え方を維持している以上、始原どぇある明治維新期にまで遡る必要があると考え、西郷に辿り着いた ⇒ 大久保の近代化路線を手放しで肯定することはなかったが、それに抵抗した西郷への評価は一層低かった。それは西郷の姿勢が、野党の政府批判と同じ欠点を抱えていたから。とりわけ征韓論では西郷に辛口批判
日本人の多くは、西郷に政治家としての力量や理想像を問うて来たのではなく、近代社会の中でどう生きればよいのか、どう死ねばよいのかを考える時、日本人の心の中に西郷はその魔術的な魅力で大きな姿を現してくる。日本の近代150年とは、富国強兵や高度成長がその典型であるように、生きることへの情熱に憑かれた時代。同時にその反動として、テロリズムなどの過剰な暴力と死への憧れを生み出すような生と死の「矛盾」を抱え込んだ時代だった
柳田國男によれば、明治以降の近代化の歪みは、「家」を疎かにし、霊魂の問題について考えなくなったことによって生じたもの ⇒ その歪みは敗戦に至る過程で夥しい死者が出たことによって明らかとなったので、敗戦経験とは日本人が今一度落ち着きを取り戻し、生と死のあるべき姿を見つめ直すチャンスだった。だが実際には生の論理だけが戦後社会を席巻した結果、日本の近代は戦前戦後を通じて生と死の「矛盾」を解決できなかった
だからこそ今西郷が復活しようとしている ⇒ 私たちが生きる近代社会はどんな時代で、どのような生き方を正しいと見做しているか、またどんな死に際を模索すべきなのか。その時思想の左右を問わず、少なからぬ日本人が、また西郷に自らの死生観を仮託しようとするだろう
生の論理と死の論理は2つに分けられるものではない。これが合点できれば、あらゆる行為は天理から外れない。天と人が一体化すれば「天命」を全うできる、即ちこの世に生かされていることの宿命を合点できる ⇒ 日本人は無意識のうちに西郷の言う「天人合一思想」に絶えず帰っていく


あとがき
筆者と西郷の出会いは、91年の大学附属の男子高校入学時に手にとったのが西郷だったところから
とりわけ興味を持ったのが月照との入水事件で、それを通じて死への憧れを持った
次に西郷が出てきたのは、東日本大震災で被災した時。西郷の「天命」という言葉が脳裡に浮上。理不尽な現実に対し、そこに宿命を発見したときのみ、合点して過酷な生と不慮の死を受容することができる
西郷はその政治思想ではなく、死生観によって記憶され続けている ⇒ 本書はその航跡をまとめたもの



未完の西郷隆盛 先崎彰容著 「敬天愛人」の両義性と二重性
2018/1/27付 日本経済新聞
 明治維新から150年が経(た)ち、維新の立役者でありながら、維新後、新政府に対して最大にして最後の「内乱」、西南戦争を起こした西郷隆盛の営為を再評価する機運が高まっている。
(新潮社・1300円)
せんざき・あきなか 75年東京生まれ。日本大教授。専門は日本思想史。著書に『ナショナリズムの復権』『違和感の正体』など。
書籍の価格は税抜きで表記しています
 実は、それははじめてのことではない。そもそも西南戦争当時、あるいはそれ以前から、一見すると西郷とは正反対の位置にいると思われた福沢諭吉や中江兆民が西郷に高い評価を与えていた。その評価は、昭和の戦前から戦後にかけて極端から極端へと揺れ動く。橋川文三は、西郷に「反動性と革命性」の両者を見出(みいだ)した。
 本書は、「遺訓」を中心にして、西郷がさまざまな機会に残した訓話を丁寧に読み解きながら、西郷が持っていた「近代性と反近代性」、さらにはその双方がともに孕(はら)む可能性と不可能性を見事に剔出(てきしゅつ)している。西郷は、日本に近代を可能にすると同時に、そこに生み落とされた西欧的な近代に根底から抗(あらが)い、西欧とは異なった、もう一つ別の近代を自らの手で実現しようとした。
 著者は、西郷思想の中心に「道」にもとづいた「敬天愛人」の理念を位置づける。著者は「遺訓」を、こう要約する。「『道』は私たちがどう生きるべきかを示す倫理的基準である。あらゆる場所と人間を問わない――つまり洋の東西を超えた――普遍的な倫理である。その倫理学は、敬天愛人を最終目的としており、そのためには『克己』、すなわち自分の欲望にうちかつことが必要不可欠になってくる」
 天が示してくれる「道」は平等である。人は天に服すること、天と「合一」することによって、自らの定められた役割を知る。西郷が説く「道」は、西欧のみならず天皇さえ相対化してしまう視野を持っていた。「敬天愛人」の理念は「天人合一」の思想として完成する。それは近代的な資本主義を乗り越えていく、いまだ未知なる可能性を秘めた反近代的にして超近代的なアジア主義を指し示すとともに、自らの「死」さえも厭(いと)うことのない自己の純粋化と絶対化をもたらす。
 近代の日本が、まさにそのはじまりにおいて生み落としてしまった革命的な変革思想にして反動的なテロ思想である。著者は、西郷がもつ両義性と二重性に対峙する。力作である。
《評》文芸評論家 安藤 礼二

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