裁判の非情と人情  原田國男  2018.2.14.


2018.2.14. 裁判の非情と人情

著者 
 1945年2月26日鎌倉市生まれ。67年東大法卒、博士(法学、慶應大)69年裁判官任官の後、長年にわたり刑事裁判に携わり、10年に東京高裁部総括判事を定年退官。地裁16年、高裁12年、最高裁の刑事調査官4年、残りは法務省刑事局で刑法全面改正作業に6年。現在慶應大大学院法務研究科客員教授、弁護士。『逆転無罪の事実認定』ほか

発行日           2017.2.21. 第1刷発行
発行所           岩波書店(岩波新書)

初出 『世界』(13.10.17.1.)に連載した『裁判官の余白録』

裁かれるのも「人」なら、裁くのも「人」のはず。しかし、私たちにとって裁判と裁判官は、いまだに遠い存在だ。有罪率99%と言われる日本の刑事裁判で、20件以上の無罪判決を言い渡した元高裁判事が、思わず笑いを誘う法廷での1コマから、裁判員制度、冤罪、死刑に至るまで、その知られざる仕事と胸のうちを綴る

第1章        裁判は小説よりも奇なり――忘れがたい法廷での出会い
判決所の起案は左陪席が書いて、右陪席が修正し、最後に裁判長が完成させる
証人尋問における宣誓は、決まった文書を読み上げるだけで、右手を上げる宣誓はない
宣誓をしたうえで偽証すると偽証罪に問われるが、日本では偽証罪の起訴は極めて少ない
検察が、よほど明らかでない限りは起訴を控える。特に警察官の偽証はまず起訴しない
裁判官自身が告発することもできるので、裁判員制度移行後は厳しくなった
被告人の更生は、刑事裁判の大きな目標で、量刑も本人の立ち直りに役立つものでなければならないとされ、戦前はよく判事が刑務所に被告人を訪問し、刑の執行状況を確認
刑事裁判では、判決言い渡し後訓戒をすることができるが、するかしないかは裁判官の自由 ⇒ 被告人の更生に関心を持たなくなったら、刑事裁判は終わり
いろいろな人生経験が法律家には必要 ⇒ 小説も役立つ。著者が愛読するのは藤沢周平の『海鳴り』『玄鳥』『蝉しぐれ』、池波正太郎の『鬼平犯科帳』もいい。読書一般は裁判官にとって心の糧
可哀想な奴は救うという精神で一貫しているのは、裁判の場合も同じで、検察官の控訴を恐れるべきではない ⇒ 再度の執行猶予ということもあり
裁判官に一番欠けたところは、世情と人情に疎いこと
裁判所では日本語を用いる

第2章        判事の仕事――その常識・非常識
普通の社会との違いは、裁判の公正さに対する神経質なまでの注意
民事裁判管に比べ、刑事裁判の方が重圧がかかるところから、成り手の希望者が少ない
「認定に臆病」な結果、起訴事実が認められない時、無罪判決を出すことは勇気がいるので、この勇気のない裁判官は「有罪にして執行猶予」と妥協する ⇒ 民事の場合は無罪とするが、刑事の場合は検察よりの判断に傾く傾向は否めない
裁判のような実務家は、研究者と違って、時間制限の中で生きている
裁判官生活中最も心掛けたのは、記録を紛失しないこと ⇒ 大型事件(脱税や経済犯など)では「万丁事件(丁数で数えるので頁数はその倍)」といって記録が膨大になる
死刑判決には相当の精神的プレッシャーがかかる ⇒ 自信たっぷりの死刑判決など本来ない
事件の配点(割り振り)は、受付順に機械的に行われるので、裁判官は事件を選べない
裁判官の仕事は、記録を丹念に読む以外はない ⇒ 記録を隅から隅まで丁寧に読むべき

第3章        無罪判決雑感
有罪とするには、「合理的な疑いを超えた証明」が必要 ⇒ 反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、中傷的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いを入れる余地があっても、健全な社会常識に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、有罪確定を可能とする趣旨
人を裁くことの意味 ⇒ 人を裁くということは、人に許された仕事なのか、社会秩序維持のために必要なことはわかるが、本質的に許されない業なのではないか
団藤重光は最高裁判事の時、事実を争われた死刑事件で言い渡しの後、傍聴席から「人殺し」という叫び声に目覚めて、死刑廃止論者になった ⇒ 学説を変える動機にはなっても、裁判官を辞めるわけにはいかない

第4章        法廷から離れて――裁判所の舞台裏
裁判官の書いた本3
鬼塚賢太郎『偽囚記』 ⇒ もともと著名な刑事裁判官で、著者が高裁裁判長の時に逆転無罪としたある殺人事件の弁護人
岡村治信『青春の柩 生と死の航跡』 ⇒ 著者が若いころ東京高裁の左陪席として勤めていた時の最初の裁判長
ゆたかはじめ『汽車ポッポ判事の鉄道と戦争』 ⇒ 石田穣一の著書

第5章        裁判員と裁判官――公平な判断のために求められるもの
犯行時少年であることが量刑上深刻な問題となるのは、死刑か無期懲役かの判断の場面で、少年法では18歳未満の犯行に対し、死刑の場合は無期を科するとなっている ⇒ 18歳を僅かに超えている場合には、死刑を選択するかどうかの判断に当たって「相応の考慮」を払うべき事情の有無を判断する必要がある。特に裁判員にとっては大変な負担になり兼ねないが、裁判員の人生経験や多様なものの見方が反映されることがより良い裁判の実現に役立つのではないか
裁判官と刑事弁護人の本質的な違いは、被告人が本当に真犯人ではないという確信(心証)を持てるかどうか ⇒ 自身が多くの逆転無罪を出した経験から言えば、真っ白な例は少なく多くは灰色無罪。黒と断定できるかどうかの判断の結果。裁判官は提出された証拠から合理的な疑いを超えた立証がなされているかどうかを判断するだけ
被告人から距離があればあるほど、本当は犯人なのに嘘を言っていると思いやすい。世間がその代表だろうが、裁判官もその例外ではないので、最初からそういう偏見を前提にすると素直に証拠を見ることができなくなる









(ひと)原田国男さん 日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した元裁判官
2017880500分 朝日
 「原稿の第一読者は女房。『私がわからなければ、誰もわからない』と指摘を受けたおかげ」
 弁護士として働くかたわら、月刊誌で40回連載したエッセーをまとめた「裁判の非情と人情」(岩波書店)が日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。軽妙な語り口で、悩み迷う生身の裁判官の姿や死刑への思い、冤罪(えんざい)の再発防止策を打ち出さない最高裁への疑問などがつづられている。
 鎌倉生まれ。東大法学部を経て1969年に任官し、65歳で定年退官。高裁判事時代に20件超の逆転無罪判決を出したが、「最初は『無罪系』ではなかった」。
 転機は87年から4年務めた最高裁調査官時代だ。徹底的な調査報告をする同僚調査官の仕事ぶりに触れ、自分はまだ足りないと感じた。「本当かもしれない、と被告の言い分を一生懸命聞くと、事件が見えてくる」
 裁判は結局、有罪とする証拠があるかどうかだ。「僕は正義感で動く人間じゃない。大事なのは、目の前のことに最善を尽くすこと。おかしいと思うと好奇心が出てくる。それって魂でしょ」。豪放磊落(ごうほうらいらく)だが、自身が下した有罪判決にも無実の人がいるかも、との思いを抱く繊細さもある。
 映画「男はつらいよ」と藤沢周平の時代小説をこよなく愛す。最近は、ペット店で一目ぼれした愛ネコ「アビー」にデレデレだ。
 (文・大久保真紀 写真・金川雄策)
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 はらだくにお(72歳)


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