レッド・プラトーン 14時間の死闘  Clinton L. Romesha  2018.1.10.

2018.1.10.  レッド・プラトーン 14時間の死闘
Red Platoon ~ A True Story of American Valor          2016

著者 Clinton L. Romesha, LLC 米陸軍退役兵士。1981年生まれ。99年陸軍入営。最初は戦車砲手としてドイツに配置。その間コソボに出征。韓国勤務の後、志願して「イラクの自由作戦」に従事するために2度出征。「不朽の自由作戦」でアフガニスタンに1度出征。09年戦闘前哨(COP)キーティングが攻撃を受けた際は、第4歩兵師団第4旅団戦闘団第61騎兵連隊第3偵察大隊B中隊レッド小隊のセクション・リーダー(ママ、中尉の下の2等軍曹、サブリーダー?)として防禦の一翼を担った。名誉勲章を含めて多数の褒章を受けている。11年除隊。現在は家族とともにノースダコタ州在住

訳者 伏見威蕃(イワン) 1951年生まれ。早大商卒。英米文学翻訳家。豊富な軍事知識を生かして緻密でレベルの高い翻訳で知られる 

発行日           2017.10.20. 初版印刷        10.25. 初版発行
発行所           早川書房

「地獄」を生き延びた兵士が語る極限の戦記ノンフィクション!
アフガニスタン北東部の山岳地帯に位置するアメリカ陸軍の戦闘前哨(COP)キーティング。この小規模な米軍陣地は、急峻な山々に囲まれた深い谷底にあり、敵の攻撃に対してきわめて脆弱な「死の罠」だった
09103日の早朝、前哨に駐留していたレッド小隊(プラトーン)を含む黒騎士中隊の兵士50人は、四方から俄かに沸き起こった猛烈な銃火器の発射音に眠りを破られた。キーティングは、300人を超えるタリバン部隊による、かつてない規模の奇襲を受けていたのだ
綿密に練られた襲撃計画、隙なき包囲網、絶え間なく降り注ぐ銃砲火を前に、友軍のアフガニスタン国軍は敵前逃亡、米兵たちは次々と斃れていく。その時、無線機から切迫した声が響いた。「敵兵が鉄条網内に侵入!

孤立無援の兵士たちに、絶体絶命の危機が迫る。一方。ロメシャ二等軍曹率いるレッド小隊の生き残りは、ひそかに反撃の機をうかがっていた――。苛烈な戦闘を生き延びた兵士が語る、息詰まる攻防の全記録


序章 いまよりマシにはならない
2009年秋の14日間のある小隊全体の物語
ヒロイックではないが。この戦いによって授与された勲章が示している称誉よりも遥かに人間らしい

第1部        ヌーリスタンへの道
第1章        部下を失う
07年のイラクでの戦争で初めて部下を失う

第2章        手勢をそろえる
イラクでは、3人死んで6人負傷。08年コロラド(ママ、コロラドスプリングス?)に帰還
通常の小隊は戦闘員16人からなり、A(アルファ)B(ブラヴォー)と呼ばれるセクションに分けられる。セクションは、4人編成のスクワド(分隊) 2個からなり、軍曹がリーダー
コロラドスプリングス郊外で訓練

第3章        キーティング
ヌーリスタン州は孤絶していて貧しいので、そこで勤務したことがある米兵は、しばしばアフガニスタンのアパラチアと呼ぶ
独立意識の強い人々が居住、排他的、戦いに長けている ⇒ 79年のソ連侵攻に抵抗して放棄した最初のムジャヒディン(イスラム型戦士)の子孫
9.11後にアフガニスタン派兵を決めたとき、アメリカ政府はヌーリスタン州を含めたパキスタンとの国境地帯で反乱の急増に悩まされていた ⇒ アルカイダとタリバンの戦闘部隊が急峻な山地に網目のような隠れ谷を輸送路に使い、戦士と武器が両国を往復
06年米軍はヌーリスタンとその南のクナール州に力強く突出、両州の奥に前進基地を点々と連ねてこの難題と取り組む ⇒ 陸軍第10山岳師団によるマウンテンライオン作戦
キーティングが最後の戦闘前哨(COP) ⇒ 国境から22.5㎞、ヌーリスタン州カームデーシュ地区で最も深い谷間の底にある、まるで便器のような地形。司法は3600m以上の険しい山。敵の俯瞰射撃を受けやすく、逆に敵を制圧するのは困難。ジャララバード(130㎞先)から攻撃ヘリを呼ぶか、バグラム航空基地(320㎞さき)からジェット戦闘機とスペクター対地攻撃機を呼ぶまでは孤立無援。陸路の補給路も6時間も険しい山道を行かなければならない、誰が見ても不適当な基地。最初の戦闘で死亡した少尉の名に因んで名づけられた。その直後から補給路の使用が禁止された
08年指揮官の爆殺が発生し、遂に前哨の閉鎖が決定し、最後に派遣されたのが我々
102日夜中にヘリで着いて翌3日朝からタリバンの銃撃を受ける
COPには、周囲に見える一番高いところに厳重に要塞化された監視哨(OP)があって機関銃や追撃砲で防戦してくれるが、キーティングの場合はかなりの角度で死角がある
そのうえ、ヘリの着陸地点がCOPの外、川の向こうとあって、毎回補給のためにその地を奪回しなければならない
同じ基地内の友軍であるアフガニスタン国軍は約40人だが、米軍の指揮系統に統合されることを拒み、1年前に設立されたばかりの、規律も劣悪、指揮もなっていない

第4章        金魚鉢の中
最期の部隊となったブラックナイト中隊には、ブルー、ホワイト、レッドの3小隊があり、その他に本部小隊があり、3小隊が交代でOPに詰める
反政府軍に好意的な近隣の村の住民がCOP施設内の仕事をしにやって来るので、COP内はかなりの往来がある

第5章        だれでも死ぬ
医療施設が一カ所、元X線技師で入隊前は医師助手だった軍医大尉が1人。唯一常に電気が来ている場所。兵士の心理療法小屋でもあった
基地閉鎖のために送り込まれながら、近くの基地で反政府軍の反撃が起きたり、米軍兵士が脱走してタリバンに捉えられたとの噂からその奪還を計ったりで、閉鎖計画は事実上凍結、その間籠城状態。そのうちにタリバンが迫ってきて地元住民を退去させ包囲網を敷いてきた

第2部        最大発射速度での連射(ゴーイング・サイクリック)
第6章        「だれかを殺しに行こうぜ」
早朝周囲から一斉に銃火器が砲撃を開始、米軍も応戦、1人狙撃され死亡

第7章        重度の触敵(ヘヴィー・コンタクト)
レッド小隊が前線で強襲を阻止する役割
航空支援の緊急呼び出しを手始めに、一連の応援要請を行う
敵がすぐ目の前に来たが、肝心の地雷が爆発せず。定期点検を怠っていた咎

第8章        コンバット・カーク
戦闘で重症を負ったカークの容態が思わしくないのでバグラム軍病院への医療後送を呼ぶ

第9章       
敵の銃撃が激しく正確になってくる一方、こちらの銃弾が急速に減少

第10章     視野狭窄
陣地から逃げるためにヘリを要求するアフガニスタン国軍に対し、守備位置に戻れと指示
間接照準射撃を受け負傷者が続出
自分も右腕に被弾、撃たれてもアドレナリンが出ている間は気が付かないということが間々ある。包帯を巻いて再び動き出す

第3部        蹂躙
第11章     唯一の応戦陣地
分散してきた味方の陣地をまとめようと援護したが、敵の砲火が激しく断念

第12章     「敵兵が鉄条網内に侵入(チャーリー・イン・ザ・ワイア)
救出に向かった3人は、正面ゲートを破って基地内に侵入してきた敵に包囲されてようやく1人だけ全身に被弾して救護所に戻る

第13章     アラモ陣地
戦闘には、混沌の最中で意識が激しく乱れ、その乱れを永遠に解きほぐすことができないという奇妙な特質があり、さらに、振り返って出来事の断片をきちんとつなぎ合わせるのがおおむね不可能であるという際立った特質もある
ようやく空軍の爆撃機2機が援護に来たが、焼け石に水で、敵は鉄条網内に侵入して、国軍の兵舎だったところに陣地を構える
陸軍の地上部隊が全滅に瀕している場合に発する専用の符牒がある。それは「折れた矢(broken arrow)」コールと呼ばれ、すべての航空機が現在の任務を中断し、符牒の発信源に急行しなければならない。過去に使われたことは一度だけ、65年ベトナム戦争の時で、奇しくも89年前にカスター将軍の指揮下でリトルビッグホーンの戦いに従事した第7騎兵隊の後身で、同じ第7騎兵連隊が発していた
そんな符牒のことはレッド小隊の誰も知らなかった
敵に蹂躙される可能性がある部隊が取るべき防御態勢に対する名称、それは「アラモ陣地」
今回は兵舎3

第14章     そいつらを燃やせ
縮こまって支援を待つより逆襲に出ることを考え、1個分隊を先鋒部隊として反撃
態勢を立て直して火力支援の機動を設立することで接敵に対応する
敵の侵入で通信機が奪われ、通信が傍受される危険性を防ぐために、周波数を変える指示を出す ⇒ 無線機を注意深く聞いていないと通信網から締め出されるがやむを得ない
キーティングの最初の支援要請が午前620分にジャララバードの空挺師団に届いた時、4人のベテランパイロットが着任しており、すぐにアパッチ2機で出撃、710分現場上空へ、黒煙のせいで見にくく、火勢がすさまじかったが、ようやく地上との無線が回復し、あまりに敵の数が多いのに驚きながら、350m500mの上空からそれぞれ、4,50カ所の敵陣地を攻撃。5分到着が遅かったら全滅していたかもしれない
自らが率いて5人の突撃隊を作る ⇒ 優秀な指導者の資質を決める1つの条件は、困難な状況では言葉より行動が重いのを意識することで、自ら采配を振るう覚悟があることをはっきり示す必要がある
重機関銃の弾薬は尽きて、個人装備の銃しか使えなかったが、分隊自動火器が若干残っていたので役立つ
タリバンは、米兵の死体を狙って動画をインターネットに流すが、それをやられると残った兵士は一生その映像を意識から追い出すことが出来ずに苦しむことになるので、それをさせてはならないことも重要な任務の1

第4部        こいつを取り戻す
第15章     反撃開始
肉弾戦となって近距離で撃ち合う
負傷した奴を救助しようと救急用品のパウチをあけると出血を止めるための圧迫包帯の代わりにピーナツバター・クラッカーの袋が入っている改めて選りすぐりの兵隊でないことが立証された。なんと、当直中にスナック菓子を食べるため救急用品を捨ててしまった
アパッチと連絡を取って攻撃目標となる敵陣を教えて爆撃を頼み、一部は効果を上げるが、肝心の先鋒部隊としての成果はなかなか上がらずとまってしまう
戦闘の精髄は結局、2人の人間あるいは集団の信頼の取り交わしであって、それぞれが相手を火力で支援すること ⇒ この単純な合意は、自らの命を進んで他人に預けると同時に、相手の命に自分が責任を持つことで成り立つし、この取り決めがうまく実行されれば極めて効果的であるだけではなく、それに参加する男たちの間に絆が生まれ、それが他の人間にも引き継がれ、きわめて強力な結びつきができる可能性がある
司令塔は作戦の休止を指示したが、座して死を待つより逆襲すべきとして動き始める

第16章     持ちこたえられない
集会所を奪回して正面ゲート閉鎖に成功
午前10時近く、アパッチが給油のため引き返し、戻ってきて爆撃を加えるが、狭い谷を航行している際に敵の対空砲火を浴びて損壊、追加の支援を要請したが、その頃には大規模な航空部隊が上空に集結

第17章     オックスとフィンチ
バグラム基地からとんだ最初のF-15戦闘爆撃機に乗っていたオックスとフィンチは19機の手勢をコントロールしながら遠方からでも誘導弾を使って強力な攻撃を加える
地上部隊は集会所の確保に懸命

第18章     生きている!
8時以降連絡の途絶えていたガン・トラックからも生存者がいることが判明

第19章     B-1(ボーン)
負傷者も収容できる余裕が生まれる
B-1ランサーは、大陸間を飛行できる超音速戦略爆撃機で、パイロットはランサーとは呼ばず、B-1(BONE)をそのままにボーンの通称を使う
1030分を少し回った頃、煙に巻かれて前哨全体が燃えているように見える中、さらには初冬の暴風雨をもたらす積雲が周辺のいたるところで発生し始めた最中に、JDAM(統合直接攻撃弾薬)という精密誘導爆弾で、尾部に組み込まれたGPSで飛行経路を微調整しながら敵陣地を破壊
その援護もあって遺体も回収、あとは負傷者を運ぶためにヘリの降着地帯の奪回が残る

第5部        ステファン・メイスを救う
第20章     「そいつを片付けろ」
航空機による攻撃で若干戦闘能力は落ちたが、タリバンの攻撃は再開される
アパッチの修理チームがアパッチできたため、修理している間それを借りて攻撃を再開
午後1時雷雨が降り始め、時々見える晴れ間をぬってアパッチの攻撃が続く
OPに即応部隊を降下させ、そこから歩いて前哨に向かったのが午後2

第21章     遺体回収
敵の銃火を掻い潜りながら遺体回収を進めていく

第22章     火災
軍医と衛生兵3人で負傷者の手当てをしていたが、兵舎の火災の延焼で救護所が危なくなる中、輸血の必要な患者がいて、第2次大戦前から戦場では許されていた戦友対戦友の輸血キットを探し、血液型を確認の上注入すると急速に意識を回復、煙草を所望するまでになったが、また意識が混濁、それを25分ごとに繰り返す
午後8時前即応部隊がようやく到着、前哨内の分隊全員の様子が把握、7人が戦死
ヘリの降着地帯を奪回して、新しいアパッチが着陸、患者を乗せて護衛の2機と共に基地に向かって飛び去る
大量の血液を失って失血性ショックの最終段階にいて、血圧は生きている人間としては最低に近かったが、821分に離陸した10分後には基地に着いて、残して来た仲間の様子を気にしながら、麻酔をかけられ本格的な手当てをされる。好きなビールはと聞かれ、クアーズ・ライトと眠たげに答えて麻酔の中で気が遠くなる

第23章     さらばキーティング
7人の遺体をヘリで運び出すために遺体袋に収納、アフガニスタン兵も含め続々到着したヘリに乗せ飛び去る
最後のヘリが出発すると、新たなライフル中隊の登場で、漸く警備任務から解かれたレッド小隊はそれぞれに寝る場所を確保して、午後10時過ぎには全員がベッドに入った
午前1時前後に、130人規模の特殊部隊がOPに降下し、その後数日間山地に潜入して洞窟から洞窟へ掃討作戦を展開して敵を殲滅
遺体はすべてデラウェア州ドーヴァー空軍基地に運ばれ、検視(ママ)のあと各地の家族のもとに送られる
基地に運ばれた患者メイスは結局助からなかった
前哨にいた米兵50人のうち8人が死亡、27人が負傷、ただし戦闘に参加していたのは約30人だったので、前哨の防禦に関する限り死傷率は最悪
そのうえ友軍のアフガニスタン兵48人のうち、3人と警備員2人が死亡、8人が負傷、15人が行方をくらました ⇒ 残ったアフガニスタン兵を無事にヘリで送り届ける際重量オーバーでバッグの中身を捨てなければならなくなったが、バッグから出てきたのは戦闘中に密かに米兵兵舎で漁った米兵たちの持ち物ばかりだった
3日間で残骸を片付け、順次ヘリで前哨から出発、最後に残ったレッド小隊は、20分後に爆薬が起爆するように時限爆弾を仕掛けて飛び立つ ⇒ なぜか爆発は起こらなかった。ある意味では、キーティングに象徴的な出来事
その晩B-1がスマート爆弾数トンを投下、さらに翌朝2機目がもう一度爆撃
前哨の壊滅を確認するため無人機を飛ばしたところ、建物がいくつか残りタリバン兵がうろついていたので、さらに無人機2機によりミサイルを2基ずつ(ママ)発射
後日の陸軍の記録によれば、最後の爆発でタリバン戦士は殲滅され、司令官も死亡

第24章     残り火
基地に戻った我々の姿は現実離れしていた
怒りと恐怖と死の3つが同じ割合で混じり合った悪臭を放っていた
キーティング強襲に関する調査が行われ、多くの関係者に尋問した結果、キーティングの失態は、その日戦った兵士には何ら関係なかったという決定的な証拠が報告された
敵の綿密な攻撃計画や圧倒的優位の態勢が可能だったのは、タリバンが高地を制し、前哨内の行動を全て視界に収めていたからだと結論付ける
先任将校で指揮官が、防禦体制を敷くことを怠っていたことが判明、部下の進言を何度も却下していた
次の8か月、中隊のほとんどの兵士はジャララバードで大規模車列の警備に明け暮れ、10年晩春に帰国、11年除隊
12年秋ワシントンDCから呼ばれて米軍兵士にとって最高の賞である名誉勲章授与の候補に挙げられていることを告げられる
他の兵士を救おうとして命を捧げた仲間こそ叙勲されるべきで、あの日に関して私が最も重要だと思っていたことについての価値観に反しているような気がした
1311月オバマから叙勲を受ける
当日の大事なことは、仲間と再会して感無量だったことと、あの日失った仲間の遺族(Goldstar family=戦死者の遺族)に会って深い感銘を受けたこと
オバマは、勲章を授与する前のスピーチで、最後の死者となったメイスの母親から大統領宛の手紙を引用して、中隊の仲間を兄弟のように思い、自分の命を犠牲にすることも含め、彼らの為なら何でもやるつもりだったとあったが、その犠牲とは純粋な愛情にかられたものだったと結んだ     
公式の軍功特記では、敵戦士をどこで何人殺したとあるが、いずれもあずかり知らない数字。そういう推計が不正確であることはよく知られているが、私が重視しなかったのは、公式な記録があまりにもきれいごとで整然としているからで、戦闘中の現実の出来事とは全くそぐわない
私にとって意味がある数字は、失われた兵士の数と、私が違う行動をとっていれば助かったかもしれない兵士の数で、その2つの事実の間に8人の業績が刻まれた墓標がある
失われた戦友を1人でも取り戻すことができるなら、勲章とそれに伴う様々な特典を一抹の迷いもなくすぐさま差し出すはず
中隊はA,B9人。8人死亡したが、戦闘後の写真には11人写っている?

エピローグ
キーティングには二度と戻りたくないが、私たちを部隊として、チームとして、団結させ続けた絆のことは、憧憬の念とともに、これからも懐かしく思うはず
私たちは戦闘の記憶で団結しているが、私たちの人生が清らかに結びついているのは、8人が命を失ったという意識を、私たちが常に心に秘めているからで、彼らは永遠に私たちの心にとどまっている

追悼 8人の氏名と資格

情報源についての覚書
銃撃戦が終わってだいぶたつと、戦闘を生き延びた兵士はほとんどが、矛盾する2つの強い感情に囚われた ⇒ 戦闘を言葉で表現するのはできないし、戦争の真実は戦争に触れ、戦争に触れられた人間のみに理解されているだけだとして沈黙を守ろうとする反面、言葉で伝えなければ、死者の犠牲も含め忘れられてしまい、他人に伝えることができないという不安感が残る
キーティングの攻防は、アメリカのマスコミで大々的に報じられ、3年後にあるジャーナリスとが、The Outpostを上梓、キーティングを設置した決定と、戦略的にも戦術的にも大きな問題があったその前哨を陸軍が維持し続けた理由を調査したもの
この2年間キーティングで共に勤務した仲間と会って当時の記憶を呼び戻したが、本書はその労苦の結実であり、生き延びることができなかった戦友たちに対する最後の責務

訳者あとがき
本書は発売とともに『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラー・リスト(ハードカバー・ノンフィクション部門)11(2016.5.22.)、翌週9位、数か月の間トップ20に留まる
カームデーシュの戦いとも呼ばれる
孤絶した地域の前哨の米兵約50人が300人以上ものタリバンに包囲され、全滅の危機に瀕した
戦闘は、09103日の午前6時前から始まり、14時間の死闘でタリバン側は約150人が死亡
『ニューヨーカー』は、キーティングが、米軍のアフガニスタンにおける反政府活動制圧ドクトリンにとって、無用の存在であっただけでなく、戦術的に脆弱であったことを指摘する軍の報告書を引用。兵士たちの勇敢さを軍は称えたが、なぜ兵士たちはキーティングに行かねばならなかったのか、という根本的な理由は語られていないとも指摘
傭兵の情報誌『ソルジャー・オブ・フォーチュン』の1311月号では、ロメシャともう一人に絞った記事を載せ、1度の戦闘で名誉勲章が2人に与えられるのは50年来初めてという
ソニー・ピクチャーズが映画化権を得て、プロデューサーも決定したという情報もある




(書評)『レッド・プラトーン 14時間の死闘』 クリントン・ロメシャ〈著〉
2017.12.10. 朝日
 極限状態の兵士の行動を克明に
 アフガン戦争で窮地に追い込まれた米陸軍の小隊(プラトーン)元兵士がつづる戦記ノンフィクション。「戦闘をくぐり抜けたものはだれでも、戦いの恐ろしさを言葉では伝えることができないと知っている」としつつ極限状態の再現を試みた内容だ。兵士の荒い息づかいが聞こえるような迫力に引き込まれ、ほぼ徹夜で読んでしまった。
 9・11の米中枢同時テロを受け米国が始めたアフガニスタンでの戦争が長期化していた2009年10月。米軍に激しい敵意を示す山岳地帯に置かれた戦闘前哨拠点キーティングはすり鉢の底のような地形に置かれ「攻撃されればひとたまりもない」欠陥があった。そこにいた米兵約50人がタリバン兵300人以上の攻撃で壊滅の危機に陥った。
 辛くも守りきった14時間の戦闘を描いた本書で、死地にある戦友の絆の深さに圧倒される。互いの連携が自分の身を守ることになるがそれだけではない。自分の命をかけて傷ついた仲間を救い出し、仲間の遺体が敵に奪われるとネットにさらし者にされるため、それを恐れて回収にいく場面は特に印象深い。恐怖の中で複雑な感情からくすくす笑い出す奇妙な行動の描写も、戦場の兵士でないと表現できない重みを持つ。
 この戦闘は米国で大きく報じられたようだが日本では知る人が少ないと思う。戦争が今も続く中で、米軍機の誤爆や民間人の巻き添えが後を絶たず、タリバンからの解放を当初喜んだアフガンの市民も米軍を敵視するようになったことを伝える報道の印象が強い。
 著者も「自分たちがよそ者で、この土地に歓迎されていない」との意識を忘れていない。だが、米軍戦略の欠陥といえる拠点に配属されても「兵士は上官に疑問をぶつけるのが仕事ではない」として兵士の職務に徹した。不利な局地戦でも不言実行を貫く兵士たちの姿が痛ましく、描かれない不毛な戦争の全体像をかえって強く感じさせる。
 評・市田隆(本社編集委員)
     *
 『レッド・プラトーン 14時間の死闘』 クリントン・ロメシャ〈著〉 伏見威蕃訳 早川書房 2700円
     *
 Clinton Romesha 81年生まれ。米陸軍退役兵士。99年陸軍入営。イラクに2度、アフガニスタンに1度出征。


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