フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事長  Ronen Steinke  2017.10.29.

2017.10.29. フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事長
Fritz Bauer oder Auchwitz vor Gericht      2013

著者 Ronen Steinke 法学博士。1983年エアランゲン生まれ。南ドイツ新聞編集部に勤務。法学と犯罪学を学び、法律事務所、少年刑務所で法実務に従事、近年では国連ユーゴスラヴィア法廷に関わるニュルンベルクからハーグへと至る戦犯法廷の発展に関する博士論文はドイツ紙『フランクフルター・アルゲマイネ』から「傑作」と称賛。現在ミュンヘン在

訳者 本田稔 1962年大阪府生まれ。93年立命館大大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学、立命館大)。現在立命館大法学部教授

発行日           2017.8.1. 初版第1
発行所           アルファベータブックス


内容説明
ナチスの戦争犯罪の追及に生涯を捧げ、ホロコーストの主要組織者、アドルフ・アイヒマンをフランクフルトから追跡し、裁判に引きずり出した検事長、フリッツ・バウアーの評伝!!
1963
年、フランクフルトで大規模な裁判が開始された。戦後もドイツに巣食うナチ残党などからの強い妨害に抗しながら、この裁判を前進させた1人の男がいる。ヘッセン州検事長フリッツ・バウアーである。彼はナチ犯罪の解明のために闘った。この時代に、かくも激しく敵視され、排除された法律家は他にはいない……

【日本語版への序文】
フリッツ・バウアーそれは誰か? 2000年代の初頭、私がハンブルクの大学に入学したとき、この名前を初めて目にした。私は、刑法の講義を担当する講師にたずねた。しかし、彼はこのフリッツ・バウアーという人物のことを知らないと答えた。意外であった。というより、残念であった。
1960年代、フリッツ・バウアーほど評価の定まらなかった法律家、挑発的な法律家はいなかった。そのため、当時のドイツでこれほど広く名前が知られた法律家もいなかったであろう。彼は、多くの人々によって挑発ともとられた歴史に残る裁判によって国を揺り動かした。しかし、このようなフリッツ・バウアーは、その後数年も経たないうちに完全に忘れ去られた。それはどのようにしてか?
ドイツ人は、彼らの多くがナチのイデオロギー下において実行した恐ろしい犯罪を戦後になって忘れることを望んだ。フリッツ・バウアーは、1950年と60年代、それを語るよう強く求め、それを議論すべきテーマとして取り上げた。戦後の社会において、激しい討論を巻き起こした。それまで語られなかったことフリッツ・バウアーは、それらを全て白日の下にさらした。そのため、彼は多くの敵を作った。
フリッツ・バウアーが1968年に突然この世を去ったとき、ドイツ司法と社会の保守層にいる多くの人々は、安堵にも似た感情を覚えたのかもしれない。そうでなくても、彼らはバウアーの仕事を彼が行ってきたのと同じ意味において継続するつもりはなかった。フリッツ・バウアーのことを記憶に刻もうと心を動かされた人は、ほんのわずかしかいなかったのである。
少なくとも、フリッツ・バウアーが死去した直後、ドイツでは、人権のために尽力したことに対する賞賛は、フリッツ・バウアーには与えられなかった。しかも、ドイツの国民の大多数は、そのことを気にも掛けなかった。その後大学の研究所にフリッツ・バウアーの名前が付けられたのは、1995五年になってからである。しかし、どれだけの人がその意味を理解しただろうか? この国のために非常に重要な貢献をしたフリッツ・バウアーのことが、なぜ教育機関においてさえ長いあいだ語られなかったのか? なぜ彼の名誉にちなんだ通りや広場ができなかったのか? フリッツ・バウアーとはどのような人物であるのかということを、なぜ若者は学んでこなかったのか? 2000年代の初頭、フリッツ・バウアーとは誰なのかということを、ドイツの大学の刑法担当講師が一度も口にしなかったのはなぜなのか?私は、この疑問を解き明かす答を持ち合わせていないし、その謎は明らかにされていない。それが本書を書かせた動機であった。
本書がドイツで出版された後、2013年にある出来事が起こった。本書が非常に肯定的に受け容れられたのである。大手の新聞で書評が掲載された。数人の映画監督を、フリッツ・バウアーを主人公にしてスクリーンに登場させようという気持ちにさせた。『沈黙の迷宮』では、俳優のゲアト・フォスがバウアーを演じ﹆賞を受賞した。『国家と対決するフリッツ・バウアー』では、名優ブルクハルト・クラウスナーがバウアーを演じ、その映画は数多くの賞を受賞し、ドイツの国民に訴えかけた。さらに『検事長の記録』では、大物俳優のウーリッヒ・ネーテンがフリッツ・バウアーの役を演じたバウアーを最もうまく演技できるのは誰かドイツの各世代の実力派の俳優が競い合ったかのようであった。
2014年、私は、ドイツの最高レベルの裁判官、検察官、司法省幹部を前にして、フリッツ・バウアーについて講演するよう連邦司法省に招かれた。それは、新しく就任した司法大臣の法曹に向けたこのようなメッセージであったフリッツ・バウアーを模範にせよ。連邦憲法裁判所長官のアンドレアス・フォスクーレン(教授)は、本書のために序文を寄せてくれた。それもまたメッセージであったドイツ法曹の職能団体は﹆フリッツ・バウアーを記憶することを嘲笑ってきたが、これによって自らの胸の内に象徴的にフリッツ・バウアーを迎え入れることになった。
間もなくして、ドイツではフリッツ・バウアーの名を冠した最初の学校ができた。さらに、その名を冠した通り、広場、法廷もできた。この国は、厄介者扱いされていた男の記憶を再び甦らせた。時代は、それを求めた。若者は、戦後のドイツを揺り動かしたフリッツ・バウアーに注目し始めた。彼は勇気を示した。残念ながら多くの法律家にはなかった勇気を、自己の良心に従う勇気を示した。彼が模範たりうる理由は、ただそれだけである。
フリッツ・バウアーからのメッセージ従順でいられる権利など誰にもない。法律や軍の命令が犯罪的な内容である場合、それに背くことが個々人の義務である。簡潔に言えば、フリッツ・バウアーがナチ犯罪の解明のために起こした裁判は、我々の責務を本質的に問いただしたのである。さらにこのメッセージは、ドイツにだけ当てはまるものではない。それは普遍的な問いかけである。
私は、2005年、法学部生として素晴らしい一学期を日本で過ごした。本書が日本においても読まれることを願ってやまない。
20175月 ミュンヘン
ローネン・シュタインケ

序文 アンドレアス・フォスクーレン(ドイツ連邦憲法裁判所長官)
バウアーは、自らの生涯を人間の尊厳に捧げた
ドイツの地に初めて成立した民主主義国家としてのワイマール共和国を断固として守ろうとした
かつてのナチの専制支配を糾弾することを新生の連邦共和国の現代的なテーマに据えたが、ドイツ社会は過去の出来事を自己の描写に取り入れる意思を持ち合わせておらず、そのため彼はドイツ社会が自らの過去と向き合わざるを得ないように仕向けた
その結果、ナチスドイツ社会の解明とその犯罪を処罰する闘いは6365年までの第1次フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判において頂点を極めた
法によるナチの克服がせいぜい散発的にしか追求されなかった時代において、バウアーは法を手段にして何ができるのかを示した
バウアーの人生を記憶し続けること、そして彼の功績をそれにふさわしく記念することこそ我々の共通の望みであり、本書はそのための重要な貢献をするに違いない

第1章     アイヒマンを裁判にかけたドイツ人――フリッツ・バウアーの秘密
バウアーは、ユダヤに出自を持つ社会民主主義者であり、36年に亡命し、45年以降ナチ犯罪人を処罰するために闘うべく突撃隊が勢力的に最も配置されていたドイツの国家機構の刑事司法に戻り、フランクフルトの検事長としてアイヒマンの捜査にあたっていた
ドイツ生まれのユダヤ人でナチ政権前にアルゼンチンに亡命していた男の娘がアイヒマンの男に恋をしたことからアイヒマンの存在が明るみに出、そのことを男が通報した先が契機となってアイヒマン逮捕に繋がる
元ナチ官僚は、国家機関に引き続き留まり、個人的なネットワークのみならず、広範な横の繋がりを再び形成し、潜伏する被疑者に対し警告を出していた
ドイツの裁判所によって裁かれた実行犯の半数以上は49年と54年の大赦法によって恩赦を与えられ、少なくとも国家機関の浄化を期待した民主主義者を裏切って、ほとんどすべての元ナチ官僚や当時の追随者までが再雇用の権利を主張し勝ち取った
ドイツの警察はアイヒマンの捜索に協力しようとしなかった ⇒ 連邦刑事警察庁の指導者47人のうち33人が元親衛隊であり、バウアーが捜索の打ち合わせをしようと招いた長官はかつて旧ソ連在の親衛隊大隊指導者で民間人を強制収容所に拉致した責任者
アイヒマン自身も、仲間が張り巡らした網の目によって匿われ、連邦情報局は52年の時点で所在と偽名を入手していたが、バウアーには知らされなかった
バウアーは、投書を見て翌年在ドイツのイスラエル代表部に接触、在ブエノスアイレスのモサド代表部が初めて動いたが事態を厳密に精査せずに戻ってきたため、再度モサドにコンタクトするが動かず
在ブエノスのドイツ大使館を使って捜索したが、既に中東辺りに逃亡したとの情報が戻ってきて、連邦刑事警察庁内部からも近東にいるとのではとの情報がバウアーに伝えられた
イスラエルという国家承認を求める若いユダヤ国家にとって、外交上の予備交渉なしに逮捕するとアルゼンチンの主権を犯すという政治的な疑念から躊躇うイスラエル政府に対し、粘り強く交渉し、漸く翌年末首相のベン=グリオンから逮捕に動く決意を伝えられる
595月アイヒマンがモサドによって確保され、イスラエルに連行、翌年から裁判開始
アイヒマンが死刑にあったら証人として呼べなくなるので、バウアーはアデナウアー政権にアイヒマンの引き渡しを要求すべきとして動かそうとしたが政府は拒否
ハンナ・アーレントも、「バウアーはユダヤ人なので、全体の事態に対して適していない」と、友人のヤスパースに書いている
68年バウアーの死後、イスラエルの新聞がベン=グリオンが公表したことから、アイヒマン狩りに最も貢献した人物として世界に知られることに
63年からのフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判でバウアーは多くの政治的議論を投げかけ、アーレントも、多くの点においてイェルサレムの裁判を補足するものと評し得る裁判であると書いた
バウアーの戦後の履歴書では祖父母の全員がユダヤ人であるにも関わらず無宗教とあり、他のユダヤ人に対して相当距離を置いているように思えたが、後に明らかになったところによるとワイマール共和国でユダヤ人学生と関係を持ち、反セム主義(反ユダヤ主義)に抵抗するために友人を先導し、若手の区裁判所判事の時には反セム主義との激烈な対決にも遭遇、45年時点では誇らしげにユダヤ人を名乗っていた、若い頃亡命先のデンマークで
同性愛行為を理由に尋問を受けたこともあるが、すべて秘匿されていた ⇒ 60年代ドイツでは依然として男の同性愛は可罰的行為であり、検事長の命取りになり兼ねなかった
厳罰や応報的な衝動からではなく、頑ななまでの自由尊重の精神から、戦闘的な検察官であることがバウアーの人生の役割 ⇒ 依然として重苦しい時代に、自分の国を少しは明るくし、検察官として、そして刑法の改革者として、自分の国を後々まで変革
数々の脅迫や憎悪の手紙などにも見舞われながら信念を貫き通した

第2章     ユダヤ教徒としての生活――戦後の評価が定まらない法律家が語らないこと
l  無口な熱血漢――バウアー博士の沈黙
バウアーは敬虔なユダヤ教の過程で育つが、当時ドイツではまだユダヤ人はごく少数で社会の中で対等に扱われていなかったため、ドイツ人と同じ教育を受けたり、第1次大戦ではユダヤ教の禁じた徴兵に応じたりしてドイツ人に同化しようと努めていた
l  それへの帰属を望む一つの家族――帝政時代の幼少期
l  チャヌッカとバール・ミッツヴァ――自意識を育むための教育
社会民主主義の弁士として活躍、その知性によって深い感動を与え得る唯一のユダヤ人として認められるようになる
弱冠27歳で区裁判所判事になったが、36年にはデンマークに亡命
ユダヤ教の教育から厳密かつ冷淡に距離を置いていたが、妹ですらそのことに気づかなかったという ⇒ 45年以降、バウアーは1人になってドイツに戻って来た時、対外的には「無宗教」と「沈黙」で通した

第3章     1921年から25年までの人格形成期――才能の開花
l  23人の友人
22年ドイツに同化したユダヤ人の外務大臣ラーテナウがミュンヘンで謀殺 ⇒ ルドルフ・ヘスの率いる学生突撃隊の暴力が荒れ狂っていた
l  ユダヤ学生連合
21年バウアーはハイデルベルクでユダヤ学連合(自由科学連合)に所属
l  「ドイツ的なものに対する信仰告白」――シオニストとの軋轢
ドイツの民族主義的な学生連合は巨大な組織で戦闘力があり、ハイデルベルクでは比類のない排斥運動を行う
ドイツ的なものに対する信仰告白を矯正され、ユダヤ人であることを主張したグループとは距離を置いて、宗教的には中立を守ったが、ドイツ民族主義の学生連合からは排除され、ユダヤ人グループからも非難を浴びる
大学構内での反セム主義の台頭は如何ともしがたかった
l  チュービンゲン――虎の穴
母の出身地であるチュービンゲンの大学に優秀な成績で進学するが、反セム主義で悪名高い大学で、バウアーはプロテスタント神学の講義を受講
l  産業界の第一人者が喜ぶ博士論文
博士論文は、激しいインフレ状況下での企業のトラストの法的構造を取り上げ、自由市場と国家的管理の間にある第3の道を信じたものだったが、専門家が感銘して注目、魅力的な将来が開ける中、刑事司法に従事し、どん底状態の中で政治闘争に着手することを決意

第4章     ワイマール共和国の裁判官――浮上する災いとの闘いのなかで
l  執務室のドアをノックする音
33年ヴュルテンベルク王国の区裁判判事だったバウアーの同僚が社会民主主義者という名目で強制連行されていく中、バウアーも拘束される
l  ドイツ国旗党の旗の下に結集した赤色活動家――平行線をたどる司法という世界
l  ユダヤ人バウアーの態度を隠蔽する司法省?
31年ある地方紙がバウアーを党利党略から職権濫用して情報漏洩したとの記事を載せ、その根拠がユダヤ人だからというもので、バウアーは名誉棄損で訴える。地方紙は州の司法大臣に対しバウアーの態度を隠蔽するのかと詰問
裁判ではバウアーの名誉棄損が認められたが、直後に民事部に左遷
l  クルト・シューマッハーとの二人三脚――突撃隊との街頭闘争
バウアーは、社会民主党のシュトゥットガルト市委員会の委員長シューマッハーと組んでナチに反対する武装抵抗運動へと向かい、ドイツ国旗党という共和国防衛組織であり準軍事組織に合流、区裁判所判事のままシューマッハーの後継者となる

第5章     強制収容所と1949年までの亡命
l  強制収容所のなかで
33年ナチ政権が発足し、バウアーとシューマッハーは強制収容所へ ⇒ 数々の仕打ちを受けたが生涯その経験を語ろうとしなかったのは、ナチ犯罪をドイツにおいて裁判にかけるために闘ったのが復讐の為ではなくあくまで法の為と主張していたからだった
最後は転向声明書に署名して解放されたが、そのことはのちに決して語ろうとしなかったバウアーにとって屈辱的な出来事
l  1936年 デンマーク――保護観察付きの犯罪者のように
解放後は保護観察付きの犯罪者のような生活を送り、33年以降ユダヤ人が裁判所に出入りすることが禁止されたため弁護士としての活動も出来ず、辛い日々を送る
34年父の生地商で働いていた妹夫婦がコペンハーゲンに移住、その後を追って36年バウアーも亡命したが、不審人物として毎週外国人犯罪対策課に報告に行く義務が課せられた
警察の監視下で男と夜を過ごしたことが同性愛者だとみられ、それ自体は違法ではなかったが、警察が圧力をかけてきたことから、バウアーはそれに反発、一生独身を通したが実際にバウアーが同性愛者かどうかはそれ以前もその後も確認されていない
l  隔絶状態の試練
正規のパスポートがない状態でアメリカ行きのビザは何回も拒否される
l  背後から迫るドイツ人
40年両親もデンマークに亡命したが直後にドイツ軍がデンマークに侵攻、バウアーも拘禁
l  1943年 スウェーデン――ヴィリー・ブラントと肩をならべて
デンマーク人の友人を見つけて偽装結婚し、自身の家族ともどもスウェーデンに逃げる
社会民主党の元議員が活動しており、その中にはヴィリー・ブラントもいたが、バウアーは反ナチ組織の連合幹部に選出され積極的に活動した
l  フリッツ・バウアーはいかにして博士論文を反故にしたか
ナチ党の独裁とともに、大企業カルテルによる企業献金がヒトラーを生み、そのヒトラーが戦争の生みの親
カルテルや資本主義を否定
l  「時期尚早である」―1945年以降の政治と歓迎されざるユダヤ人
45年ナチの降伏直後にドイツに戻ろうとしたが、ユダヤ人は歓迎されざる民族であり、多少なりとも公的な職務に就くのは時期尚早の状態

第6章     720日の人々の名誉回復――フリッツ・バウアーの功績
l  亡命者とナチの亡霊の対決――1952年のレーマー裁判
50年バウアーはブラウンシュヴァイク州検事長に就任
l  1950年 ブラウンシュヴァイクの検事長
バウアーがドイツに戻ることを許された際、占領区の境界線から遠く離れていない管区の裁判所に配属されたが、ブラウンシュヴァイクの市街地は戦争で完全に焼け野原で瓦礫の山 ⇒ 誕生したばかりの連邦共和国の各地に配置された検事長の1
裁判官のほとんどが党員か軍事裁判所判事
連邦共和国は法学的にニュルンベルク裁判の有罪判決を1つも承認せず、突撃隊やゲシュタポの実行犯がドイツの裁判所に連れて来られるのはごく例外で、そのうち裁判にかけられなくてもいいようになり、何千人もの人々が権力のある部署へと舞い戻る ⇒ かつての地位の安定性とその職の終身性において保障されているとみなされ、政治体制が変わってもその都度宣誓して良心に従って奉仕することが認められた
l  「人々をすぐさま驚かせた質問」――レジスタンスを議論する国
52年裁判でレーマーと対決 ⇒ レーマーが44720日の暗殺を企図した集団(レジスタンス活動家)のことを「反逆者」だと言ったことが侮辱罪に該当するか否かが争点で、侮辱罪が成立するためには発言が虚偽である必要がありそこまでの証明はできなかったが、
名誉棄損罪で3か月の懲役刑となった
裁判の開始まではドイツのレジスタンス活動家の行為を支持したのは38%に過ぎなかったが、法廷で歴史政策をめぐる荒々しい論争が終わるころには58%になっていた
バウアーは、軍内部のレジスタンス活動家は軍人として行った宣誓に決して違反していないと述べ、神、法律や祖国に対して無条件に従う責任はあるが、そのような責任が人間に対してもあるということはヒトラー以後のことであり、民法に違反した反倫理的な契約が無効であるのと同じように、ヒトラーに対する宣誓もまた効力はなく、誰もそれに拘束されていると感じる必要はないとした
猛烈な反論と批判の反応があり、殺害予告まで来たが、ナチ体制に対するレジスタンスの道徳的正しさをドイツ人に納得してもらうために国民大衆に対して受容できる同一性のある人物シュタウフェンベルクを持ち出すことによって大衆の支持を得た ⇒ シュタウフェンベルクこそ、ドイツ国家党の所属で、貴族の出身であり、長い間ヒトラーに忠誠を誓った人物
l  「級友のシュタウフェンベルク」――歴史を記述した最終弁論
バウアーの議論
その1. 人間を軽視する法律に服従しなくてもキリスト教の教えに沿う ⇒ 多くの教会指導者が罪深い服従の姿勢を示していた
その2. 不服従こそが愛国主義的であった ⇒ 720日の時点で戦争の敗北が決定的になり、ドイツ民族は政府によって完全に裏切られている以上、反逆罪は成り立たない
その3. 専制君主に屈しないことは本来的にドイツ的である ⇒ 特にニーダーザクセンには「不法をなす者には国王であっても抵抗しなければならない。そのことを持って忠誠義務に背いたことにはならない」という言葉があり、これがドイツ法で認められてきた人民の抵抗権
シラーも『ウィリアム・テル』の中で、「暴君の力にも限界がある。ほかに取るべき手段がない場合、最終手段として剣をとって暴力から自身の最高の財を守ることが許されている」と説いたが、奇しくもバウアーはシュトゥットガルトのギムナジウムで4級下のシュタウフェンベルクと学校の構内演劇で『ウィリアム・テル』を演じていた
バウアーは、レーマーに対して求刑をしなかったが、裁判所は名誉棄損で3か月の懲役を宣告、レーマーは国外に逃亡した
バウアーの呼び掛けた大きな論争は国内で多大な影響を与えた

第7章     「謀殺者は我々のそばにいる」――検察官の心模様
l  何のために処罰するのか?
贖罪と応報から絶縁し、「理性人は理性が失われたがゆえに処罰されるのではなく、理性が失われないようにするために処罰される」と主張
バウアーが首尾一貫していたのは予防であり、ナチ時代の暗黒の過去を法廷に引きずり出すことによって将来のための、一般国民のための教訓になることを期待した
大勢の謀殺犯が面倒な手続きを経ることなく元の仕事に戻り法律に従って生活している中、バウアーは、ナチ訴追の刑事裁判の目的を、「何が起こったのか、ドイツ民族は何を心に刻まねばならないか、いかなる行動を起こさなければならないか、ということに対して目を開かせることができる」とし、過去に目を向けて、「非人道的」な世界観を自ら受け入れる気概に燃えた確信的な人々を我々がどう扱うかが問題だとして、アウシュヴィッツ裁判の22人の被告の問題だけではないとした
l  「私は、自分がどこに向かおうとしているのかを自覚していました」――人道的な刑法を夢見て
全ての刑罰を原則として予防目的に従って新たに整序することは、20世紀の左翼系法学者の下で生み出された革命的思想であり、バウアーの主張するところ
責任に対する応報だけに固まったカントやヘーゲルに代表されるドイツ法学の権力的な伝統に対し反発
l  前進の最先端――1928年の若き裁判官
1920年代に少年法が初めて制定され、バウアーも最初は少年担当検事として取り組んだが、少年法こそ応報ではなく予防目的に基づく初の成果で旧来の刑法に風穴を開けるもの
l  1945年のニュルンベルク裁判――光り輝く模範であり、威嚇の実例でもある裁判
24人の被告を対象とした判決は、60年を経ても私たちの子どもの教育のための確固たる拠り所となっている
連合国はニュルンベルク裁判で、ホロコーストは2義的な役割しか果たさず、もっぱらドイツが侵略戦争を遂行したという点を集中的に非難、ドイツのした戦争が違法であり国際的な秩序と平和に対する違法な侵犯であると評価
バウアーは、連合国の裁判所がナチ犯罪に有罪判決を言い渡した事によって、権力こそが法であるというようなナチの観念をドイツ自身の手で弾劾する姿を世界中の人々に対して明白にきっぱりと示すことができなかったことを後悔しているとし、過去の清算は、古いドイツが過去を清算されるに相応しいからではなく、新生ドイツがそれを必要としているから行われるべきだと主張
l  「君たちは、否と言うべきであったのだ」――法律違反を求めた検察官
バウアーは、過去100年私たちがドイツで完全に忘れてきたのは何なのか、ソクラテスに見出し、聖書で見出した言葉、汝、人間であるがゆえに神に従うべきであるという言葉をもう一度学ぶことが必要と説く。あらゆる法律、あらゆる命令の上には、永遠に続くもの、破棄されることのないものがある
処罰できない裁判官は、最終的には犯罪者の仲間になる
民族謀殺を合法化したナチの法律は最初から無効 ⇒ 全ての法の基礎としての全ての人の平等を否定した法律には決して拘束力はなく、裁判でも「君たちは、否と言うべきであったのだ」と説く

第8章     偉大なるアウシュヴィッツ裁判  19631965年――その主要な成果
l  休廷中のコカ・コーラ
アウシュヴィッツ裁判では、日常的にごく普通の職業についている人たち22人が被告として起訴されたが、それは22百万人の代表として被告席にいた
l  世界が未経験な出来事を演ずる舞台バウアーの業績
56年バウアーはフランクフルト検事長に昇進
戦争終結時親衛隊が裁判所に火を放った時、燃え残った書類が通りに落ち、それを拾った長い間親衛隊に苦しめられていた男性が新聞社に持ち込み、59年にバウアーの下に送られた ⇒ 冒頭に「アウシュヴィッツ 〇月〇日」とある全く普通の文書で、強制収容所にあった司令部の42年の署名が記載され、「逃亡」した被収容者の殺害に関する文書であり、バウアーにとっては「証明書」だった。看守が被収容者を射殺したこと、看守の故殺罪の手続きを開始すること、手続きを打ち切ることの3枚からなり、手続き打ち切りはすでに決まっていたことがわかる。同様の書類から被収容者を射殺した大勢の看守の名前を入手
当時の刑事訴訟法では、行為地が外国の場合、管轄権を有する裁判所を自由に決めることができたため、フランクフルト検事局がアウシュヴィッツを解明することが可能となった
アウシュヴィッツには7千人の親衛隊がいた
裁判所が崩壊前の時代の政治犯罪の手続きを打ち切るのを望んでいたために、ナチ犯罪で有罪判決を得ることが期待できない中、58年にシュトゥットガルトで10人の被告人に対して315年の刑が言い渡された小さな裁判のお陰で、アウシュヴィッツ事件の捜査が完全に途絶えてしまうのを防ぐことができた
フランクフルト検事局の中でチームを編成し証拠集めを始めたところ、たちまち599人の実行犯の所在を突き止めると同時に、他の検事局で扱っていたケースも統合
刑法による浄化作業には限界があっても、真実を確認し、可能な限り全面的に認識する作業には限界はなく、どのようなことがあろうとも追求されねばならず、この国において起こった政治的・人間的な出来事に対し、全ての市民が過去と将来において責任を負わねばならないことを公的な意識に刻み込まなければならない
ナチ犯罪の被疑者は、追いつめられて自殺したり、裁判官もまたバウアーの捜査活動を快く思わず、被疑者を容易に釈放したり、法的な理由を見つけて裁判を打ち切ろうとしたりしたため、捜査が無に帰することもたびたび
l  無神論者がイエス・キリストと議論する(が、モーセとは決して議論しない)理由
バウアーは、政治的な議論をキリスト教に基づいて提起 ⇒ 大半のドイツ人は、ユダヤ人が6百万のために復讐に燃えて訴追していると捉えていたため、ユダヤを一切表面に出さずに、国家をキリスト教的なものにすることによって死刑は不必要でありかつ不相当であるだけでなく非倫理的でもあるという意識を呼び覚まそうとした
カインとアベルの歴史があるが、その中で本質的に重要なことは神が兄弟を殺したカインに赦しを与えたことで、赦しを与えるという人間的な能力こそが大切だと強調
バウアーは、反セム主義に関してもドイツで公に語ったことはなかった
l  強制収容所の一断面バウアーの戦略
61年のアイヒマン裁判でもアウシュヴィッツにおける大量抹殺が裁判にかけられたが、その時には個々の実行行為を問題としたために全体像が見落とされていたが、フランクフルトでは個々の行為者は問題とせず社会的な現象に裁判の焦点が向けられた ⇒ 迅速に殺害を行うために必要不可欠な分業体制が取られていたことを問題とし、それは後に歴史家によってホロコーストの中心的・構造的メルクマールと特徴づけられた
『強制収容所の一断面』と題して一連の殺害行為の詳細を例示、法学的命題の中心的論点を明らかにするための事例として、囚人服を支給した責任者の親衛隊員を謀殺罪の共同正犯として起訴 ⇒ 殺人工場の分業体制に組み込まれていれば、個々の作業を問わない
l  客観的に被害者ではない「被害者」としての対峙
63年デンマークのジャーナリストのインタビューでバウアーが、「今日大成功を収める新生ヒトラーは退却しない」と発言したのが物議を醸した時、一部にバウアーが同じような被害者であったことを割引して受け取る向きがあった
l  舞台装置の背後に身を隠した舞台監督――バウアーの個人的役割
バウアーのユダヤ人としての出自や国を捨てたとして蔑視される亡命者だったことが問題にされ、裁判長も陪席判事の中にもユダヤ人あるいは被収容者の息子ということで忌避の動きがあり、バウアーは極力表に出ず、実際に検証の中心を担った3人の若い検察官を指揮して、裁判を劇的に開始し、研ぎ澄まされた法的責任追及に厳密な形式を与えた
しかし、裁判の全期間を支配したのは、顔に深いしわを刻み込んだ白髪の強制収容所の生存者であり、亡命者だった

第9章     私生活の防衛――フリッツ・バウアーの葛藤 
l  自由に生きる人――バウアーのプライベート
偽装結婚の解消を拒否し、同志だった女性との交友関係は続けたが、フランクフルトでは学生宿舎街に一人で住む ⇒ 不審な若い男が出入りしていたので同性愛を疑われる。特に映画監督とは親密だったが、そのけはなかった
l  刑法典に残留している反動的なカビ(刑法175条など)と検事長の義務
5060年代男性の同性愛者に対する国家的な抑圧が特に厳しかったのがフランクフルトで、バウアーも厳しく対処することが求められたが、市民の私的領域に介入し峻厳な制裁を課して道徳的に晒しものにすることは他のヨーロッパの大部分の国においてはすでに過去のものとなっていた ⇒ 目の前の現実には目を向けず刑法の自由化を実現するための政治の舞台へと向かう
l  同性愛の友人――刑法175(男性間同性愛条項)をめぐって論争するバウアー
連合国の管理委員会は、ナチ党の権力掌握後に刑罰加重的な方向で施行された法規の適用を禁止したが、175条は対象外
最終的に成人間の同性愛行為の可罰性が取り除かれたのは69年で、成人に関する年齢基準がなくなったのは94年 ⇒ バウアー検事長の相応の功績が認められるべき

第10章 孤独への道フリッツ・バウアーの悲劇的な運命
l  同胞に対する恐怖――法律家とユダヤ人
戦後のドイツ社会は依然としてユダヤ人に対し重苦しく深刻な状況であることに変わりなかったが、バウアーはユダヤ人であることを秘匿するとともに、収容所の生存者が左腕に番号を刻印されていたのに、再三にわたり「右腕」にあったのを確認したと話している
バウアーの両親や祖父母はユダヤ的であることを堅持したが、バウアーは45年以降ユダヤとの関係を断ち切り、ドイツ人として正式に認めてもらうための決断をし、そのように振舞い、死の半年前には遺骨の埋葬を拒否し火葬を希望する遺言状を書いて、ユダヤ社会ではありえない選択をした
l  「彼と話ができる人などいませんよ」――フリッツ・バウアー率いる若き検察チーム
バウアーの下でナチ訴追を担当した3人の若い検察官のうち1人はナチ裁判直後に弁護士登録をし、ナチ犯罪からの免責を要求する立場を弁護し、以後バウアーと話を交わすことはなかった
ヘッセンの68人の裁判官の過去のヴェールを剥ぎ取った文書が出た際、バウアーは60年に故殺罪の公訴時効(故殺は15年、謀殺は20年、基準はボン基本法制定の49)がかかる前に彼らを訴追 ⇒ 結局はナチ時代に行った行為の違法性を認識していなかったとして免責され、バウアーは孤立
バウアーの支援でナチ犯罪に取り組んでいた若い検察官たちは、バウアーの庇護がなくなったために冷や飯を食わされる ⇒ バウアーがあまりに自身の目的のためにストイックで、若い部下の忠誠に報いることがなかったことに「若き護衛部隊」は人間的な失望感を味わい、組織の中でよそ者扱いされた
l  「左翼はいつも理想社会の話をする」――人生最後の失望
68年当時フランクフルトでは投石とモロトフ・カクテルという火炎瓶が飛び交う状況で、社会主義ドイツ学生同盟の職業革命家に対してバウアーが断固たる措置を講じていないと強く非難された
バウアーは自由を尊重し、若者世代に期待したが、反抗的な若者の暴力行為は止まず、さすがのバウアーも現実を直視せよと非難
スイスの芸術家村に家を買って一緒に住もうと若い映画監督に誘われたが、バウアーはナチ犯罪の訴追官として勤務してきたので定年を3年延長する権利があり拒否

第11章 1968年の浴槽での死
自殺を裏付ける証拠も、他殺の可能性もなく、単なる事故死
刑事告発が次々に出されることに心身を耗弱させていた
脅迫電話が、夜中中行われるようになり、魔女狩りそのもの
バウアーの後任は、前任者の路線を継承するつもりはないと明言
68年の秩序違反法施行法により、幇助犯処罰の一般規定が修正され、公訴時効が短縮されたため、ほとんどの被疑者が時効により訴追停止となる

解説 戦闘的法律家フリッツ・バウアー――その法的実践の現代的意義
1.    不法と闘う法律家
バウアーは「戦闘的法律家」の1人だが、他の法律家と区別されるのは、自らの手で過去のナチの犯罪的不法を追及した点にある
ナチは司法制度を最大限利用して目的を達成しようとしたが、バウアーは、戦後西ドイツの司法制度を民主的に再生するために、司法界に残留していた旧ナチ勢力を徹底追及する闘いを挑み、様々な妨害に遭いながら、刑法と刑事訴訟法の理論的障壁に阻まれながら、それを打ち破り前進するための努力を続けた

2.    ナチの過去の不法
ナチの支配の方法で重視されたのが法律 ⇒ 法治国家を印象付けて不法な支配を法的にカムフラージュ。戦後処理の過程で大半は廃止
過去の不法の典型事例がレオ・カッツェンベルガー事件 ⇒ ユダヤ人商人がドイツ人女性を愛した行為が血統保護法や民族敵対者令等に違反するとして死刑、相手の女性も虚偽答弁で有罪、判決を言い渡した裁判長は戦後人道に対する罪で終身刑、その際司法取引をした陪席裁判官は免責されたものの、68年のニュルンベルク州裁判所で謀殺罪が認められ数年の懲役刑となり、不法な過去は如何に時間が経とうとも克服されるべきことを証明

3.    不法を克服する法理
「法律の形をした不法と法律を超える法」というラートブルフの論理 ⇒ ナチの不法が明らかになったところで、不法に対する洞察力と抵抗力を奪い去ってきた法律実証主義を批判する論理の必要性が出てきた。目の前にある法律が法の名に値するのかを明らかにし得る理論が必要

4.    過去の克服を阻むもの
戦後ドイツの最重要課題はナチの過去の克服だったが、元ナチの司法官僚や法律家は西ドイツではまだ使える人材であり、被告人から司法行政面で活用される役人の側に変わっていったため、戦前ナチの人種政策を立法面から支えたキーマンが戦後内閣官房として活躍
終身刑を受けた裁判長は減刑のあと釈放、謀殺罪となった陪席裁判官も上級審で争ううちに免訴
バウアーがナチを司法の場で裁くために、司法省や裁判所にいる元ナチと闘わなければならなかったし、刑法や刑事訴訟法の規定や理論とも闘わなければならず、とりわけ共犯理論と時効理論は、結果的に戦闘的法律家の法的実践を妨げる障壁となった

5.    フリッツ・バウアーの法的実践の意義
バウアーをナチの不法と闘った戦闘的な法律家として描きながら、政治的野心や出世欲を持ち、他人に嫉妬し、孤独に悩む等身大のバウアーにも焦点を当てた
決して特別な存在ではなく、1人の普通の人間である。そのことが重要。過去の不法が投身大で語られ、それが11人の課題であることが自覚される。その瞬間、過去の克服の本当の意味が明らかになる
バウアーは、現代に生きる我々が過去の歴史に向き合い、それを克服する意義を教えてくれる



2017.10.19. 朝日
ナチス追及の検事長に脚光 翻訳者「戦争犯罪に向き合わせた」 映画や書籍、相次ぎ話題
 ナチスの戦争犯罪を追及したドイツの法律家が今年、映画や書籍で取り上げられ、話題になっている。ホロコースト(ユダヤ人虐殺)があった強制収容所の幹部らに対する裁判を主導した西ドイツ・ヘッセン州の検事長、フリッツ・バウアー(1903~68)だ。
 ユダヤ系の家庭に生まれた。ナチスの迫害を受けて国外に逃れ、戦後に帰国。強制収容所での残虐行為をドイツ国民として裁いた「アウシュビッツ裁判」(63~65年)を牽引(けんいん)したが、裁判後に「過去の克服に対する嫌悪感が広がっている」と友人宛ての手紙に記したように、死後はあまり注目されなかった。
 ところが今年、バウアーの実話をもとにしたドイツ映画「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」が日本でも公開された。バウアーは強制収容所でのホロコーストに関わった幹部らを特定したほか、ユダヤ人を強制収容所に送る責任者だったアドルフ・アイヒマンの潜伏情報を調べ、妨害を受けながらも身柄拘束に貢献。アイヒマンはイスラエルで裁判にかけられ、死刑となった――。そんな足跡を描いた。
 さらに今夏、評伝(2013年)の翻訳「フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事長」が刊行された。過去の克服と向き合いながらも高く評価されなかったバウアーが近年ドイツで再び脚光を浴びている背景には、極右勢力伸長に対するドイツ国内の反動があるとみられる。
 評伝を翻訳した立命館大学の本田稔教授(刑法)によると、戦後は元ナチス党員が警察や司法機関に復帰し、元ナチスの追及が難しくなっていた。バウアーは、連合国がドイツの戦争犯罪を裁いた「ニュルンベルク裁判」について、「有罪判決を言い渡したのは、ドイツの裁判所ではない」と述べ、自国民の手で裁くべく、収容所の幹部らを特定していった。出自を理由に「報復」とも非難され、中傷の電話が絶えなかったという。アウシュビッツ裁判には収容所から生還した200人以上が証言者として集まり、6人に終身刑、11人に実刑判決が言い渡された。
 本田教授は「ナチスの過去をドイツ司法によって明らかにし、被告人と国民を戦争犯罪に向き合わせた。事実を記憶し、常に自らを戒める謙虚さを持つことを訴えた」と話し、バウアーの功績を評価している。(小川崇)


ナチス残党を追い詰めた男フリッツ・バウアーとは?『アイヒマンを追え!』
2017.01.03 11:30
フリッツ・バウアーを演じるブルクハルト・クラウスナー(C2015 zero one film / TERZ Film
 2016年は英国のEU離脱や米国のドナルド・トランプ次期大統領の誕生、そしてフランスの右翼政党・国民戦線が勢力を広げるなど、世界的にポピュリズムと保護主義が台頭を予感させる年だった。そのなかで、ドイツのアンゲラ・メルケル首相は難民を受け入れる姿勢を崩さず、地域の統合や民主主義を維持しながら差別のない社会を目指すと高らかに唱える姿が印象的に感じられた。
 映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』は、ユダヤ人大量虐殺ホロコーストに関与したナチス幹部を追う、ユダヤ人検事のフリッツ・バウアー(1903-1968)の孤独の闘いを映像化した。
 時は1950年代後半。敗戦から経済復興に傾斜し、戦争の記憶とともにホロコーストの事実さえ忘れ去られようとしていたドイツ。第2次世界大戦後、戦犯ドイツはニュルンベルグ裁判において国際的に裁かれた。しかし、ホロコースト首謀者への裁きは下されず、世界各国に逃亡したり、国内の政財界で平然と高い地位を得たりしていた。ユダヤ人でもあるバウアーは、一人ナチスの残党を追い続けるが、もみ消したい過去をもつ人々が彼を失脚させようと圧力をかけ妨害をする。そんなある日、一通の手紙でナチス戦犯の一人アドルフ・アイヒマン(1906-1960)がアルゼンチンに潜伏していることを知らされ、物語は展開していく。
 イスラエル諜報特務庁(モサド)の協力を得て成し遂げた、1960年のアイヒマン拘束までの捕獲作戦とドイツ人の手によるナチス戦犯の裁き、フランクフルト・アウシュビッツ裁判への道を切り開くまでの歴史に埋もれた孤高のヒーローの物語をサスペンスタッチで描いている。
 
フリッツ・バウアーを知らなかった自分にも憤りを感じた ラース・クラウメ監督

ラース・クラウメ監督(撮影:THE PAGE編集部)
 フリッツ・バウアーは日本はもちろん、ドイツの学校の教科書にすら登場することはない。同作のメガホンをとった気鋭の監督ラース・クラウメ(42)ですら、彼のことを知らずに10代を過ごしたという。
 「こんな偉大な人物をなぜ誰も知らないんだ! 彼のことを知らなかった自分にさえ憤りを感じました。だから映画にして彼のことを多くの人たちに伝えたい」との思いが、オリビエ・グエズとともに2年もの歳月をかけた脚本作成に走らせた。
 さて、フリッツ・バウアーを誰に演じてもらうかという話になったとき、キャスティングディレクターからブルクハルト・クラウスナー(67)を勧められた。『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015)やトム・ハンクス主演の『ブリッジ・オブ・スパイ』(2016)にも出演していたドイツの名優だ。
 「フリッツ・バウアーは僕のヒーロー。正直、本人に演じてもらいたいと思っていたくらいだから、いくらブルクハルトさんが素晴らしい俳優だと聞かされても、可能性のある人全ての演技を自分の目で確かめて納得できる人を選びたいと思っていました」
 オーディションを最初に受けたのがブルクハルト・クラウスナーだった。
 「彼は映画の冒頭に登場するバウアー本人映像、地下室クラブでの若者に向けての討論シーンをパーフェクトに再現してくれたんです。アクセント、ボディーランゲージ、すべてがバウアーそのもの。その演技に圧倒されすぎて、どこを演出していいかわからなくなってしまい、『もう一回お願いします』と言ってしまった。もう一回やってくださったのだけれど、その後のオーディションを受けた人には申し訳ないけれど、もう、ブルクハルトさんしかいない、と決めていました」
 バウアーはデンマーク系でドイツ文化に順化しながらも培われた独特の訛を持っていて、それをしっかり発音できる人を求めていたという。ふさわしい年齢と体格、そして知性、バウアーが抱えている身体的な痛みさえもすべて単なる物まねではなく、瞬時に的確に解釈し、体現してくれたという。
 彼は完璧なまでにバウアーを演じてくれたのだが、編集の段階でひとつだけ問題があった。観客は本物のフリッツ・バウアーを知らないのだ。
 「観客がバウアーを知らないと、ブルクハルトさんの演技の素晴らしさはわかってもらえないのではないか、と思いました。そこで本物のバウアーの映像を最初に見せるという演出を考えました。そうすることによってブルクハルトさんの言動や演技のすべてが本物になぞらえているというのを見てもらえると思ったんです」

1950年代のドイツのスタイリッシュなインテリアデザインなど、随所にこだわって撮影された(C2015 zero one film / TERZ Film
 「おかげさまで本国、ドイツでは30万人を動員しました。しかしコメディー映画だと500万人動員するので、大ヒットとまでは言えませんが。内容が政治やダークな歴史に触れているし、さすがにドイツ国民といえど、もう毎度毎度、第三帝国の負の歴史というものにずっと顔を突き合わせていることを好むわけではないので、歴史や政治などに感心のある方が来て下さったのではないかと思います」
 同作は権威あるドイツ映画賞で最多の6冠の栄冠に輝き、ほか3つの賞を獲得。日本や米国をはじめ20カ国以上での公開が決まっている。
 「賞をいただくことによって、世界各国に羽ばたける機会をもらえて、とてもよかったと思います。面白いのはどの国もその国の歴史と比較して、考えながら観ていただける点です。スペインではフランコ政権が社会に影響を与えたかについて考えられたそうです。おそらく日本では、自国の歴史を思い浮かべながら観てくださるかのではないかと思います。ドイツ国内での成功はもちろん喜ばしいことなんですが、海外ではどう観ていただけるのかが楽しみです」
この物語にクレイジーなスーパーヒーローをつくり上げる必要はなかった
 日本の映画ファンへのメッセージは次のように語られた。
 
 「映画ファンの方は自分が定めたゴールに到達するために、壁をのりこえていく、問題を解決していくヒーローに感情移入できるような物語を望んでいるのではないかと思います。ハリウッドではクレイジーでスーパーな問題をスーパーなヒーローに解決させるという物語をつくり出して、ヒーローと観客をひとつにしようとします。でもこの作品にはそれは必要なかった。実在の人物が本当に過酷な状況のなかで正義のために、巨大な敵と闘った。史実に基づいた物語でありながら、英雄物語が持つドラマ性もすべて兼ね備えているのです。これを僕が発見したのが不思議でならないぐらい。だからぜひ日本の映画ファンにも観ていただきたい。それは僕のためではなく、フリッツ・バウアーのために」
 監督が伝えたかったのは「道徳心」ではない。歴史に埋もれたヒーローの孤高の闘いとその生き様なのだ。バウアーのくゆらす葉巻の煙とフュージョンの音色が淡々としながらも、人々が大切なものを失いかけていた1950年代後半のドイツの空気感を伝えている。
映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』
2017
17日よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
出演:ブルクハルト・クラウスナー、ロナルト・ツェアフェルト、リリト・シュタンゲンベルク、イェルク・シュットアウフ、セバスチャン・ブロムベルク
監督:ラース・クラウメ
配給:クロックワークス/アルバトロス・フィルム
2015
年/ドイツ/シネマスコープ/105分/英題:The People vs Fritz Bauer


MIXI 2015.11.6.
ナチス戦犯のアイヒマンを逮捕しようとした戦後ドイツの検事総長の物語。ラルス・クラウメ監督「The People vs. Fritz Bauer(2015)
先日見た「顔のないヒトラーたち」に出てきた、ユダヤ人検事総長フリッツ・バウアーの物語です。でも若い検事補の名前は違うみたいでした。題名の「The People vs. Fritz Bauer」は、刑事事件で告発されたフリッツ・バウアーという意味だと思います。これには二重の意味があって、ナチスの悪夢を忘れようとするドイツ人民に対する検事総長フリッツ・バウアーという意味と、実際にフリッツ・バウアーがかつてデンマークで男娼を買い刑事訴追されたことがあるという意味です。監督のラルス・クラウメはイタリア生まれのようです

物語は、フランクフルトでアイヒマン逮捕を目指している検事総長バウアーが、モサドの力を借りてでも逮捕を実現しようとします。このあたりは主役が違うだけで「顔のないヒトラーたち」と同じ。めでたくモサドが逮捕しますが、裁判はイスラエルで行われ、ドイツは手出しできません。これも史実ですから「顔のないヒトラーたち」と同じ。

基本的に言葉はドイツ語ですから、英語字幕が出ます。僕の英語力ではとても読み切れないスピードですが、昨日見たスコットランド語(英語とは言えん)のセリフに字幕がないまま見るよりは、文字で理解する情報量の方が圧倒的に多いと分かりました。でも字幕を読むのに気をとられて画面が楽しめません。この映画はドキュメンタリーみたいな雰囲気がある劇映画ですから(セミ・ドキュメンタリーですね)、わりと字幕偏重でもいいかなと思いました。

とはいえ問題は、「顔のないヒトラーたち」のときにも感じたのですが、ユダヤ人大虐殺の主犯アイヒマンを裁くという世論やマスコミの騒ぎ方をそのまま映画にしているという部分。やはりハンナ・アーレントが指摘したように、アイヒマン個人を裁くのではなく、国家規模で行われた大虐殺という犯罪を裁かないといけない。手を下した個人を裁いておしまいにすると、その犯罪の国家的規模が矮小化されるし、さらに個人のせいにして生き残った人々の加担が忘れ去られるからです。

とはいえ、マルガレーテ・フォン・トロッタの「ハンナ・アーレント」という映画でさえ、アーレント女史の洞察に遠く及びませんでした。やはり映画興行としては、アーレント女史の哲学的な領域にまで踏み込めないということでしょう。そんな風に矮小化してアーレント女史を描いて何の意味があるのだろうと僕は思います。まあ、とりあえず「ハンナ・アーレント」という映画がなかったら、僕も彼女の著作を読むことはなかったから、その程度の意味はあったわけですが。こんなものを意味としたくないけどね。僕は自分の不勉強さを恥じるだけです。

The People vs. Fritz Bauer」にも、いろいろうがったセリフが登場します。バウアーが年をとって無力になったのが腹立たしいと言うと、周囲の人間が怒りがあるのは若い証拠と慰めます。それに対してバウアーは違う!と一喝、老いたために無力になりつつあることを知って怒っているんだと言います。そしてアイヒマン裁判をイスラエルで行うことに同意した当時のアデナウアー首相に対して、アデナウアーは、イスラエルに武器を売るためにアイヒマンを渡したと言い切ります。ナチスドイツを支えたメルセデス・ベンツ社が、戦後すぐにドイツの代表企業として活躍し、その社内に元ナチ党員を多数抱えているという指摘も忘れません。

とりあえず、当時のマスコミで取り上げられた程度の正義の描写は行われ、バウアー検事総長の心境にかなり迫ったということで、一見の価値はあると思います。しかし「顔のないヒトラーたち」の公開からすぐあとに、また同じ内容の映画を公開しても、それはあんまり意味のないことのように思えます。写真1が検事総長を演じたバーグハルト・クラウスナー。写真2の減量前のブレンダン・フレイザーみたいなのが、若手検事役。写真3は、クラブで“INKOGNITO”を歌うリリス・スタンゲンバーグです。


TSUTAYA
検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男
この作品のあらすじ・みどころ
ナチスの戦争犯罪の時効が7年後に迫った'59年のドイツ。フリッツ・バウアー検事はナチス親衛隊の逃亡先をつかむが、政府に妨害されてしまう。彼は若き検事ヨアヒムと手を組み調査を続けるが、彼らの前にナチス残党のスパイが現れる。

選評
ナチスの残党に立ち向かった伝説の検事の実話を映画化!政府からの圧力にも屈せず、ナチスの罪を追及し続けた男の熱い魂に心揺さぶられる。敏腕検事がじわじわとナチスを追い詰めていく重厚なドラマに目はクギ付け!
製作年:
2015
製作国:
ドイツ
原題:
DIE AKTE GENERAL
メーカー:
トランスフォーマー
出演者:
監督:
脚本:
 「おかげさまで本国、ドイツでは30万人を動員しました。しかしコメディー映画だと500万人動員するでので、大ヒットとまでは言えませんが。内容が政治やダークな歴史に触ているし、さすがにドイツ国民といえど、もう毎度毎度、第三帝国の負の歴史というものにずっと顔を突き合わせていることを好むわけではないので、歴史や政治などに感心のある方が来て下さったのではないかと思います」
 同作は権威あるドイツ映画賞で最多の6冠の栄冠に輝き、ほか3つの賞を獲得。日本や米国をはじめ20カ国以上での公開が決まっている。
 「賞をいただくことによって、世界各国に羽ばたける機会をもらえて、とてもよかったと思います。面白いのはどの国もその国の歴史と比較して、考えながら観ていただける点です。スペインではフランコ政権が社会に影響を与えたかについて考えられたそうです。おそらく日本では、自国の歴史を思い浮かべながら観てくださるかのではないかと思います。ドイツ国内での成功はもちろん喜ばしいことなんですが、海外ではどう観ていただけるのかが楽しみです」
この物語にクレイジーなスーパーヒーローをつくり上げる必要はなかった
 日本の映画ファンへのメッセージは次のように語られた。
 
 「映画ファンの方は自分が定めたゴールに到達するために、壁をのりこえていく、問題を解決していくヒーローに感情移入できるような物語を望んでいるのではないかと思います。ハリウッドではクレイジーでスーパーな問題をスーパーなヒーローに解決させるという物語をつくり出して、ヒーローと観客をひとつにしようとします。でもこの作品にはそれは必要なかった。実在の人物が本当に過酷な状況のなかで正義のために、巨大な敵と闘った。史実に基づいた物語でありながら、英雄物語が持つドラマ性もすべて兼ね備えているのです。これを僕が発見したのが不思議でならないぐらい。だからぜひ日本の映画ファンにも観ていただきたい。それは僕のためではなく、フリッツ・バウアーのために」
 監督が伝えたかったのは「道徳心」ではない。歴史に埋もれたヒーローの孤高の闘いとその生き様なのだ。バウアーのくゆらす葉巻の煙とフュージョンの音色が淡々としながらも、人々が大切なものを失いかけていた1950年代後半のドイツの空気感を伝えている。

映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』
2017
17日よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
出演:ブルクハルト・クラウスナー、ロナルト・ツェアフェルト、リリト・シュタンゲンベルク、イェルク・シュットアウフ、セバスチャン・ブロムベルク
監督:ラース・クラウメ
配給:クロックワークス/アルバトロス・フィルム
2015
年/ドイツ/シネマスコープ/105分/英題:The People vs Fritz Bauer

 フリッツ・バウアーは日本はもちろん、ドイツの学校の教科書にすら登場することはない。同作のメガホンをとった気鋭の監督ラース・クラウメ(42)ですら、彼のことを知らずに10代を過ごしたという。
 「こんな偉大な人物をなぜ誰も知らないんだ! 彼のことを知らなかった自分にさえ憤りを感じました。だから映画にして彼のことを多くの人たちに伝えたい」との思いが、オリビエ・グエズとともに2年もの歳月をかけた脚本作成に走らせた。
 さて、フリッツ・バウアーを誰に演じてもらうかという話になったとき、キャスティングディレクターからブルクハルト・クラウスナー(67)を勧められた。『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015)やトム・ハンクス主演の『ブリッジ・オブ・スパイ』(2016)にも出演していたドイツの名優だ。
 「フリッツ・バウアーは僕のヒーロー。正直、本人に演じてもらいたいと思っていたくらいだから、いくらブルクハルトさんが素晴らしい俳優だと聞かされても、可能性のある人全ての演技を自分の目で確かめて納得できる人を選びたいと思っていました」
 オーディションを最初に受けたのがブルクハルト・クラウスナーだった。
 「彼は映画の冒頭に登場するバウアー本人映像、地下室クラブでの若者に向けての討論シーンをパーフェクトに再現してくれたんです。アクセント、ボディーランゲージ、すべてがバウアーそのもの。その演技に圧倒されすぎて、どこを演出していいかわからなくなってしまい、『もう一回お願いします』と言ってしまった。もう一回やってくださったのだけれど、その後のオーディションを受けた人には申し訳ないけれど、もう、ブルクハルトさんしかいない、と決めていました」
 バウアーはデンマーク系でドイツ文化に順化しながらも培われた独特の訛を持っていて、それをしっかり発音できる人を求めていたという。ふさわしい年齢と体格、そして知性、バウアーが抱えている身体的な痛みさえもすべて単なる物まねではなく、瞬時に的確に解釈し、体現してくれたという。
 彼は完璧なまでにバウアーを演じてくれたのだが、編集の段階でひとつだけ問題があった。観客は本物のフリッツ・バウアーを知らないのだ。

 「観客がバウアーを知らないと、ブルクハルトさんの演技の素晴らしさはわかってもらえないのではないか、と思いました。そこで本物のバウアーの映像を最初に見せるという演出を考えました。そうすることによってブルクハルトさんの言動や演技のすべてが本物になぞらえているというのを見てもらえると思ったんです」

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