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親鸞と日本主義  中島岳志  2017.11.25.

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2017.11.25.親鸞と日本主義
著者 中島岳志 1975年大阪生まれ。大阪外大卒。京大大学院博士課程修了。北大大学院准教授を経て、現在は東工大リベラルアーツ研究教育員教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。05年『中村屋のボースインド独立運動と近代日本のアジア主義』で大佛次郎論壇賞
発行日           2017.8.25. 発行所新潮社(新潮選書)
本書は、『考える人』(2010年冬号~12年冬号)に掲載した『親鸞と日本主義』に大幅な加筆・修正を施し、第5章、終章を新たに書き下ろしたもの
なぜ”南無阿弥陀仏”は、ファシズムと接続したのか――。 大正から昭和にかけて起きた親鸞ブーム。その「絶対他力」や「自然(じねん)法爾」の思想は、やがて”国体”を正当化する論理として、右翼や国粋主義者の拠り所となる。ある者は煩悶の末に、ある者は戦争の大義を説くために「南無阿弥陀仏」と唱え、「弥陀の本願=天皇の大御心」と主張した。「親鸞思想と国体」という近代日本の盲点を衝き、信仰と愛国の危険な関係に迫る。

序章 信仰と愛国の狭間で 著者は、親鸞の思想を人生の指針に据えている。迷いが生じると、『教行信証』や『歎異抄』を繙く 「念仏を唱えれば救われる」という浄土真宗のテーゼと親鸞が最後に行きついた思想との齟齬 ⇒ 親鸞は、「称名念仏」と「浄土」との因果関係を根本的に疑っていた 親鸞の「絶対他力」の思想の根本には「宿業(しゅくごう)」という、「人間はただ、(不可避)にうながされて生きるもの」だという観念がある ⇒ 人間の理性や知、「はからい」には、決定的な限界が存在し、人間の知の届かないところに人間の行為の源泉が存在する 保守思想では、人間の理性には決定的な限界が存在すると考え、人智を超えた伝統や習慣、良識などに依拠すべきと説く。人間は永遠に不完全な存在であり、不完全な人間が構成する社会は永遠に不完全なまま推移せざるを得ないとし、「理性への過信」を含む左翼的啓蒙思想を排する 親鸞の「悪人正機」の主張と保守思想の懐疑主義的人間観は明らかに交差するし、「自力」への懐疑と「理性の限界」の認識には間違いなく通底するものがある 『歎異抄』は自己に反省的契機をもたらしてくれる重要な指標 親鸞の思想が魅力的なのはその徹底した論理性 ⇒ 日本の思想に纏わりつく情緒性は、自然の情景の中に「もののあわれ」や「神秘」…