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町工場の娘  諏訪貴子  2017.10.28.

2017.10.28.  町工場の娘 主婦から社長になった 2 代目の 10 年戦争 著者 諏訪貴子  1791 年大田区生まれ。 95 年成蹊大工卒。自動車部品メーカーのユニシアジェックス ( 現日立オートモティブシステムズ ) 入社。 98 年父に請われダイヤ精機に入社するが半年後にリストラに遭う。 2000 年再び父の会社に入社するが経営方針の違いから 2 度目のリストラに。 04 年父の急逝に伴い、ダイヤ精機社長に就任。経営再建に着手。 10 年で同社を全国から視察者が来るほどの優良企業に再生。経産省産業構造審議会委員。政府規制調査会特別委員。ウーマン・オブ・ザ・イヤー 2013 大賞受賞 発行日            2014.11.18.  第 1 刷第 1 版発行       12.11.  第 2 版発行 発行所            日経 BP 社  ウーマン・オブ・ザ・イヤー受賞スピーチの壇上から 幹部が涙を流しているのを見て、私もこみあげてくるものを抑えることができなかった。思わず声が詰まった。会場でもらい泣きしている来場者の姿が見えた。「お父さん、ダイヤ精機を残してくれてありがとう」こう言うのが精一杯だった。会場の拍手が温かく、心に染みた。 第1章         突然、渡されたバトン 04 年父が急性骨髄性白血病発症。余命 4 日で急逝、享年 64 。正確には前年手術した肺がんが脊髄に転移して全身に広がったもの 同じ白血病で兄が 6 歳の時夭折。家族の中で 2 人も白血病を発症するのは極めて稀 告知はせずに、聞けるだけのことを聞き、筆談で金庫の暗証番号を聞いたのが最後 ダイヤ精機の創業は 64 年、自動車部品用ゲージや治工具、金型などの設計製造の請負 兄が 3 歳で白血病を発症、その治療費捻出のためサラリーマンを辞め、ゲージ工場を営む叔父から機械を無償で譲ってもらい創業、高度成長期で作れば売れる時代 亡くなった兄の生まれ変わりが著者だったため、男の子として生き、父の仕事場で遊んだり仕事についていったりした 内向的な性格を治すため、中 2 の誕生日に食事のあと大森駅の改札で衆人環視の中いきなり父に一方的に怒鳴られ、驚きと恥ずかしさで声も出なかったが、終わった後父から、自分か

ニュースクール  紀平英作  2017.10.19.

2017.10.19.   ニュースクール  20 世紀アメリカのしなやかな反骨者たち 著者 紀平英作  1946 年東京都生まれ。歴史家 ( 近現代世界史 ) 。京大名誉教授 発行日            2017.8.25.  第 1 刷発行 発行所            岩波書店 第 1 次大戦の愛国熱に揺れるアメリカで、学問の自由を求める知識人たちが立ち上げた「 New School for Social Research 」 この小さな学校がやがて、ナチスに追われた学者を受け入れるなど、独自の役割を果たしてゆくことになる。デューイ、ビアード、ジョンソンからアーレントまで、学校に関わった人々の思想と行動を通して、 20 世紀アメリカのリベラリズムを描く カバー絵 アメリカ人画家ベントンが描いた壁画《現代のアメリカ》 (10 枚 ) のうちの 1 枚〈都市の活動〉 (1931 年 ) 。ニュースクールの新校舎建設の折に描かれ、長く同校 3 階の教室を飾っていた。現在はメトロポリタン美術館蔵 序章 反骨者たちのアメリカ―― 20 世紀アメリカはいかなる大学生を生み出したか 世界のいたるところに莫大な人的消耗をもたらし、また経済的・物質的影響を与えた第 1 次大戦を起点として現代世界史は始まる その 1919 年初頭 、マンハッタン島のチェルシーに異形の学校「ニュースクール」が創設 「ジャーナリズム、地方行政、労働団体さらには社会科学研究組織に加わろうとする」市民的意欲のあるものであれば、年齢を問わず参加を呼びかけた社会人対象の学校 1931 年グリニッチ・ヴィレッジに移り、ウィーン生まれの建築家アーバンの設計で新校舎建設 ⇒  66 West 12 th Street に今も残る 既成の大学で著名となった有力学者を中心としたことが学院を特異な存在にした 各領域で専門化を図り、象牙の党たる威信を高めようとしていた既存の有力大学に対し、閉ざされたエリート的空間よりも、人文社会科学が持つ総合性と実践性を謳い、日常的に市民社会の担い手・知識人であることを目指していた 中心となったのは、コロンビア大教授で哲学者のジョン・デューイの市民的共同体への関心を共有し、政治的には 20 世紀初めから登

機関銃の社会史  John Ellis  2017.10.12.

2017.10.12.  機関銃の社会史 The Social History of the Machine Gun     1975 著者  John Ellis 訳者 越智道雄  1936 年愛媛県生まれ。広島大大学院博士課程修了。現在明治大商学部教授。 発行日            1993.4.10.  初版第 1 刷発行 発行所            平凡社 1986 年版への序文 By  スミソニアン研究所 国立アメリカ歴史博物館 軍隊史部門  エドワード・クリントン・エゼル 1976 年に出版されたとき、大きな反響を巻き起こし、学術的な出版物や一般向けの雑誌や新聞で広く書評に取り上げられ、議論された 軍事技術の社会史に取り組んだのはエリスが初めてではないが、彼は非常な才気をもってこの問題に取り組んでおり、読者は殺人の機械化、産業化について熟考を迫られる エリスの主張は単純明快。互換性部品によって大量に生産される機械の時代の産物である旋条銃身を持つ機関銃は、 1860 年代に導入されて以来、第 1 次大戦の前夜までに大きな進歩を遂げた。 19 世紀後半、機関銃はもっぱらアフリカ、アジア、その他の土地で少数のヨーロッパ人兵士が原住民の大群を打ち負かすための道具として使われたが、第 1 次大戦までには自動的に作動し、人間が持ち運びのできる銃へと技術的な発展を遂げ、突進してくる敵に対して固定陣地から高速で発射できたし、別の地点に移動して再び速やかに銃撃に入ることも出来た。最初の自動機関銃の発明者であるマクシムは、それを「殺人機械」と呼んだが、ヨーロッパのほとんどの国の軍首脳部は、自国の統治権の強化に役立てるために機関銃を初めて採用した時、自らの若者を殺すために利用する可能性、つまり「失われた世代」を生み出すという可能性に気づかなかった エリスは、「銃は、他のあらゆるものと同様に、社会的な歴史を持っている」ことを確立しようとする。彼によれば、機関銃が兵器として用いられるようになった理由のうちで、それがより優れた技術製品であるからというのはごく一部でしかない。軍の士官階級の目標、発明家たちの没道徳的な問題解決への関心、アフリカやその他の土地への領土拡張の嵐、そういったことすべてが機関銃の開発、採用、