バイオリニストは弾いてない  鶴我裕子  2017.6.25.

2017.6.25.  バイオリニストは弾いてない

著者 鶴我裕子(ひろこ) 1947年若松氏(現北九州市)生まれ。山形市育ち。山形大附属中、都駒場高、藝大音楽部卒。76N響入団。07年まで第1バイオリン奏者。「N響アワー」「名曲アルバム」「FMリサイタル」などに演奏とトークで出演。長年にわたってN響機関誌『フィルハーモニー』の「N響休憩室」を担当、新聞、雑誌などでも文才を振るう。独身。姉2人の3人姉妹で、一人は二期会合唱団

発行日           2016.11.20. 初版印刷        11.30. 初版発行
発行所           河出書房新社

ごあいさつ
N響定年退職から10年が経つ。退職と同時に人前で弾くことをやめ、普通の生活を取り戻した

オーケストラのあいうえお
カワイ音楽教育研究会刊行の機関誌『あんさんぶる』075月号~149月号連載
Ø  あいさつ ⇒ 音楽業界の朝一の挨拶は「おはようございます」
Ø  いえじ(家路) ⇒ イングリッシュホルン(コールアングレ)とサックスは似ていて、明らかに仕事をしていると分かるのは数曲しかない。極めつけは《新世界》の第2楽章。家路だけで一生食べていける。今のN響の奏者はカイシャ始まって以来の美人池田昭子
Ø  うべ(宇部) ⇒ 30年前の宇部公演の日は大型台風に直撃され、ホテルから向かいの会場に行くまでにずぶぬれ、濡れたままで演奏。翌日帰りの飛行機がYS112時間まるまる台風に翻弄されっぱなし
Ø  エコロジー ⇒ 79年初のバイロイト体験は《パルジファル》で、劇場全体が真っ暗闇でほとんど見えない。全身で聴く「音楽浴」のような感じだったが、メットの《椿姫》の舞台装置は、これ以上ないと言わんばかりのまばゆいばかりで浪電そのもの
Ø  お国もの ⇒ 外国人音楽家を見ていると、やはり「お国もの」が上手いし、皆からも期待されるが、本人は「圏外」のものをやりたがる。80年代N響の海外公演のアンコール曲は外山雄三の《管弦楽のためのラプソディ》で馬子唄と八木節を聞かせた
Ø  かっ ⇒ 芝田山親方(元横綱大乃国)は弟子と一緒に米を作るところから教える。菓子研究家でもあり、本当に強い男の甘いハートを知ってほしい
Ø  きょうせいの先生 ⇒ 山形大附属中の頃、教育実習の学生の中で素敵な女の数学の先生がいた。別れ際にサインをもらいに行ったら、「たたけよ さらば 開かれん」の一句を書いてもらったが、何の意味だか分からず、「たたけば サヨナラで 開かれない」と思っていて、マイナス思考を訝ったが、本当の意味が分かって、あの先生に会いたい
Ø  クラリネット ⇒ 高校1年のオーケストラの合宿で、クラリネットを吹く3年生と一緒に演奏したのがモーツァルトの《クラリネット五重奏曲》。憧れの先輩の吹く天国的旋律に恍惚状態となったがそれっきり。音楽の魅力の虜だったと思うことにした
Ø  けいけん(経験) ⇒ 初めてのことは価値がある。2時間のトークと演奏も初体験だったが、予想外の成功となり、断らなくてよかった
Ø  こわい顔 ⇒ 昔のクラシック奏者は怖い顔に見えたが、今は楽しげに弾くことを練習している。「N響アワー」でテレビに映るのが嫌でしょうがなかったが、「顔の練習」をすることで解決
Ø  さべつ(差別) ⇒ 昔の大人は「チョーセンジン」といって差別したが、おばさんたちがヨン様を抱きしめて一気に解決。日本に来る演奏家も、「ユダヤ・小男・ブ男・優秀」に該当する項目が多いほど日本が好きになる傾向がある。日本の良さは、人そのもの。大切にしなければ
Ø  シルビア ⇒ 藝大の女子寮「東台寮」で猫の赤ちゃんを飼って、オーデコロンの名前「シルビア」と名付けたが、おしっこが臭くて放り出したら、いつの間にか美校の生徒が飼っていた。彼らは制作に忙しくてにおいに不感症
Ø  スピーカー ⇒ 演奏家は再生音に無関心な人が多いが、退職後初めてタンノイを聴き感激。ほかにも3組のスピーカーを楽しんでいる
Ø  せんぱい ⇒ 先輩になって新人に教えるのは、言った分だけ自分も気をつけなければいけないし、いつも見張っているみたいでイヤだが、今の世の中先輩がそのシゴトをしていないのではないか。山本夏彦は新人採用の際「躾の良さ」を重視したという
Ø  それは自分 ⇒ 人の口臭が臭いと思っていたら自分のだったという話。オーケストラでも音程が合わない時、誰1人として認めようとしない。名ソプラノのルチア・ポップは、第九のソロ四重奏で、下の3人の音程がぶら下がったとき、自分も下げて合わせたという。これぞ名歌手、オトナ
Ø  タンクトップ ⇒ 藤川真弓が大ブレイク。チャイコンの本選で楽器が故障、惜しくもクレーメルに優勝を許したが、特にモーツァルトの演奏は驚きを持って迎えられ、自分もソリスト藤川と共演して自分のアイドルとなった。演奏旅行で一緒した際、彼女に似合うタンクトップをバーゲンで買ったが、渡しそびれ今でも自分で着ている。先日アイドルと飲む機会があったが彼女は覚えていないという。今も近寄り難い
Ø  チャプスイ ⇒ 貧乏学生の頃姉に連れられて行った文化会館の2階のレストランで食べた中華あんかけの味が忘れられない。藝大生になって「文化会館の2階」は学食の次位に(地理的に)身近なレストランとなり、オケに入って「上野の2階」は社食となったが味は落ちる一方。仲間に「geroかけめし」と言われて固まってしまった
Ø  つるが ⇒ 珍しい苗字だが、同姓同名の人が楽屋に訪ねてきてくれた。女3人姉妹で姉2人は嫁に行っているので、自分が鶴我姓の最後
Ø  手が鳴る ⇒ N響のリハーサルは午前10時の時報とともにオーボエのAの音が出る。ゲネプロでは時間前なのに「そろっているから始めましょうか」と始めてしまうのが「N響タイム」といって大切な伝統。公演では、定刻5分過ぎの少し前、ステージ裏でパン・パンと手を叩く音がする。集合の相図だが、池の鯉と同じで、面白いほどきちんと集まってくる。演奏者に失礼と思っても他の手段では集まらない
Ø  トイレ ⇒ 昔の人は外出の前は水分を控えたので、今ほどトイレの外まで行列はできなかった。ガイジンも滅多にトイレに行かない。中世ヨーロッパの城にはトイレがなく、臭いが限界に来ると城を移ったという。江戸時代の日本とえらい違い
Ø  直す ⇒ 自分の人生「直す」ことの連続だった。名演をやり遂げた同じ曲を、次の日はおバカちゃんでやるときほど辛いことはない。自信たっぷりにくどくどと「直」されて、その通り弾く虚しさったらない。「直す」ことは、それまで自分がしていたことを理解しないとできないので、「客観性」に繋がる。「自分を知る」ことは最も難しい
Ø  日射病 ⇒ 今では「熱中症」といって、日に当たっていなくても脱水症状になる
Ø  塗り物 ⇒ 輪島塗の合鹿(ごうろく)椀。塗師の奥田達朗氏は、使うほどに美しくなると言っていた。バイオリンと似ている
Ø  ねこ ⇒ 猫は飼ったことがないが、いつの間にか一匹居ついた
Ø  ノリコ(猫の名) ⇒ 不可解な行動
Ø  はじめの音 ⇒ 名指揮者たちは、リハーサルの時に同じことを言うが、スベトラーノフはほとんど物を言わない。サバリッシュは、”This is the first note of the Concert”と言い、「弾く前からビブラートをかけて」と言ったり、最大限に自意識過剰にさせ、それに続く楽章全体を「ワンライン」で通させる。そのためには「最初の音」が成功していなければならない。自らの生き方も偉大な「ワンライン」だった
Ø  ひそひそ声 ⇒ 音は細く弱く保つ方が大変。藝大の寮でも新入生にひそひそ声を教えるのは大変
Ø  譜めくり ⇒ 日本人は見てくれを重視するので、客席から遠い人が譜をめくるが、ガイジンは平気でコンマスがめくったりする。一斉に譜をめくっても観客は自動的に音を補って聴いているので、どこで譜をめくったのかはわからない
Ø  へんドク ⇒ 変なドクターのこと。著者の本を気に入った女医と知り合いに
Ø  ほん ⇒ 本と音楽は我が人生に不可欠だが、ウェブになったら「紙離れ」が怖い
Ø  「またか賞」と「あれま賞」 ⇒ 尾高賞の受賞作はN響が初演する。毎年変わりばえしないので「また?」となる。応募しようとしたらタイトルが決まっていて『315分』N響メンバーならだれもが一番好きな、練習終了時刻。楽器を手入れして仕舞うときの様々な音の風景が雄弁なものになるのではないかと応募を考えたがやめた。「有馬賞」もスタープレイヤーかN響に多大の貢献をした人が対象、せめて「あれま賞」か
Ø  ミルクティー ⇒ 初の海外旅行は香港で、小澤征爾指揮新日フィルで香港音楽祭に出演。泊まったホテルの紅茶が真っ黒で感激したが、以降同じものに巡り合えない
Ø  無理 ⇒ N響のリハの前日から大型台風が来て、練習所の向かいのホテルに泊まり込み、翌日も強い風雨に電話してやるかどうかを確かめたら、全員が定刻に来ていて、電話してきたことを笑っていた。楽団員はみんな「困難」が好きで、無理を無理と思わない。だからこそうまくなったし、これからもうまくなる
Ø  迷惑 ⇒ N響の予定は3か月前でないと決まらないので、1年も先の高額チケットはとても買えないが、ある年空前絶後の組み合わせのオペラが来て、ビオラの首席奏者が1か月の休暇願を出し受理された。それにしてもオペラの粗筋ほどばかばかしいものはない。要約すればアホな男に女がどれほど迷惑を被ったかということに尽きる
Ø  もう来ない ⇒ グルベローヴァの引退公演で歌った《アンナ・ボレーナ》では、さすがの彼女も1/4音ほどぶら下がることもあり、人間であることを証明してくれたが、最初に聴いたのは79年のウィーンで、歌い終わった後大歓声が5分以上も爆発
Ø  夜行列車 ⇒ N響の地方公演では移動によく夜汽車を使った。快適空間ではなかったが、思い出は多い
Ø  夢 ⇒ サバリッシュは毎年5月に来日。初出勤の55日初めて見て憧れた。215分にリハが終わるまで、強い声で怒鳴りまくっていた、一言ごとにオケが良くなっていく。身なりには無頓着、だけどハンサム。中身が立派だから
Ø  よく生きる ⇒ 軽々と成し遂げたように見える達人でも、みな必死でやっていたのだということがわかると驚く。見えないところで努力している
Ø  ライダー ⇒ オケの仕事で一番難しいのはピアニッシモとディミヌエンド。「クワジ・ニエンテ!」などと抜かす指揮者をどれほど憎んだか。コンドラシンはリハの間中「ディミヌエンド」しか言わなかった気がする
Ø  りり子さん ⇒ 作曲家の林光の従姉でフルートの林りり子は話題に事欠かない人。好きだった同級生のフルート吹きがりり子先生のレッスンに持っていくためにモーツァルトのフルート四重奏をやることになるが、不慣れなビオラをやらされ、案の定りり子先生からダメ出しを食らったが楽しかった思い出
Ø  ルービンシュタイン ⇒ 戦後初来日のコンサートに姉妹そろって武道館へ聴きに行った。こちらを向いて手を振ってくれたような気がして興奮。昔は欠乏と夢が叶うことのギャップが良かった
Ø  レレレ ⇒ 著者が最も尊敬するのは、①他人のために掃除をする人、②人に食べさせる人、③人を看護する人
Ø  ロシア ⇒ N響に来るロシア人はむしろ素朴。共通点はニコリともしないところ。コンドラシンもニコリともしなかったが、最終日花束を持って行ったときはニコリともしないで受け取ったが、そのあと引っ込みながら私に向かって笑み崩れ、花束を高く振りながら去った
Ø  ワンダーランド ⇒ 67歳で初めて舞浜のディズニーランドに行く
Ø  をしまい? ⇒ 何事も終わり方は始め方よりも難しいが、音楽は別

おつるの講演録
振り返れば ロハの人生
公益財団法人竹中育英会奨学生OBOGの組織「竹門会」での講演
高校時代の1年ちょっと奨学金を受ける
10歳でバイオリンを、小学校の器楽クラブの借り物で始める
石炭運搬の船会社をやっていた父が、取引先の借金のかたに引き受けた山形の鉱山を経営したが失敗
小学校でバイオリンを始め、中3の時、父の知り合いの山形新聞の役員の伝手で東京の知人宅に居候をして勉強。芸高は引けない箇所があって落ちたが、都立駒場の音楽科に進む
直後に姉が二期会合唱団に合格して上京、共同生活が始まる
父が病気となって、学校を辞めなければならなくなったところに竹中育英会の話が来て救われた
藝大に合格して女子寮に入り、日本育英会の奨学金と返さなくてもよい特別奨学金を受け、勉強を続けられた
N響に入りたかったが、男のみだったので、多様な仕事で生活費を稼いでいたが、N響のバイオリンが5人ほど定年になるという噂を聞きつけて、エキストラに応募、イタリア・オペラの公演を弾くという幸運に恵まれる
その後オーディションに応募、雇用機会均等法の施行もあって、漸く合格
N響も誤解されやすい
その1 助成金の上に胡坐をかいて楽をしている ⇒ 助成金は全予算の2割のみ。そのうえ、公演をやっても赤字ばかり
その2 ムダ遣い ⇒ 何年かに一度凄いオペラなどを演奏会形式でやるが、一流のソリストや合唱団を使う公演は、大変な出費
その3 楽員が弾くときに無表情で愛想がない ⇒ 必死で難曲を間違いなく演奏している、緊張して笑うどころか息を詰めているのだ




「バイオリニストは弾いてない」 鶴我裕子氏 楽団退職後の気ままな日々
2017/2/12 2:30
情報元
日本経済新聞 朝刊
フォームの終わり
 「弾いてない」のは、バイオリニストとして長年勤めたNHK交響楽団を定年退職したからだ。それから10年。今はプールに行ったり、旅行したりと気ままな毎日を満喫している。歌舞伎やポピュラー歌手のコンサートを体験したのも最近だ。「60歳を過ぎてやっと普通の暮らしを手に入れたの。でもね、今でも夢に見るんですよ。コンサートの本番に遅刻する夢を」
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 本書は退職後の日々の話から、現役時代の思い出、さらには音楽に目覚めた少女時代の記憶などを、ユーモアたっぷりにつづったエッセー集だ。軽妙な語りの中に、プロの音楽家の厳しい人生が垣間見える。
 「現役のときは休みの日だって手放しではくつろげなかった。溶鉱炉と同じで、決して(心の)火を落とせない。いつも緊張していたし、すごいストレスでした。そのぶん、演奏がうまくいったときの達成感も大きかったのですけど」
 山形での少女時代、バイオリンとのひょんな出合いが人生を変えた。「私は死んだように元気のない子供でした。それがバイオリンを前にしたとき、肌がぞぞぞぞとなって、そのときから私は生き始めたのだと思う」と振り返る。東京にレッスンに通うようになり、芸大に進学。卒業後、不合格覚悟で受けたN響のオーディションに受かり、演奏家として歩み始めた。
 「習い事をするというのは、日々自分を直すこと」と記している。「指揮者にダメ出しされながら直していく。そうやって自分を客観的に見ることを学んだ」。音楽家ならずとも、はっとさせられる言葉が本書にはちりばめられている。
 退職してから人前で演奏することはなくなった。「でも家で1人で弾くことはありますよ。楽器にクモの巣が張ったら、罰が当たりそうだから」と笑顔を見せた。(河出書房新社・1600円)

(つるが・ひろこ)1947年福岡県生まれ。山形育ち。東京芸大音楽学部卒。NHK交響楽団に入団、2007年2月まで第1バイオリン奏者を務めた。著書に『バイオリニストに花束を』など。

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