総理  山口敬之  2017.6.22.

2017.6.22. 総理

著者 山口敬之(のりゆき) 1966年東京生まれ。フリージャーナリスト。アメリカシンクタンク客員研究員。90年慶應大経卒。TBS入社。以来25年間報道局に。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て00年から政治部。13年ワシントン支局長。16年退社

発行日           2016.6.10. 第1刷発行                 6.20. 第2刷発行
発行所           幻冬舎

森友、加計問題で安部が追求されるたびに、テレビのワイドショーのコメンテーターで呼ばれ、その紹介テロップの中で本書がクローズアップされた

まえがき
92年、入社3年目で自衛隊による史上初の海外派兵に伴い開設された臨時プノンペン支局にカメラマンとして派遣され、ポルポト派のロケット砲撃という、カンボジア内戦を象徴する瞬間をカメラに収めることに成功、ロイターからも貸してほしいとの依頼があって、世界に配信したが、それを見た本社の幹部から、危険なところにクルーを派遣したことを咎められ、スクープをものにした高揚感が萎んだ
政治部でも、表彰が重なるにつれ社内では政治家との距離が近すぎるとの批判が出てくる
本書では、00年政治部配属直後から見てきた安倍晋三と彼を取り巻く人間模様を描く
初めて会ったのは、小泉内閣の官房副長官時代、「番記者」としての関係
同じ午年で、公私ともに付き合いを深めた
官房副長官自民党幹事長官房長官06年最年少宰相07年辞任12年返り咲く
政権の屋台骨を支えるのは麻生と菅
本書執筆の目的
  安倍とそのキーマンたちの発言と行動を詳らかにし、「宰相とはどんな仕事か」「安倍とはどんな人物か」「安倍の政権運営の実態」を広く知ってもらう
  ジャーナリズムの果たすべき役割を考える材料を提供する ⇒ あらゆる取材はその対象に接近すればするほどリスクが高まる。紛争取材ではジャーナリストが危険に晒すのは自らの命。永田町では政治記者が危険に晒すのは自らの人格。政治家に近づくほど誹謗中傷の対象となるが、取材対象との距離が近いこと=不適切という批判は当たらない。取材対象に肉薄するというジャーナリズムの本能と機能が国民の思考と判断を支える一助となっているか、判断を仰ぎたい

第1章        首相辞任のスクープ
07.9.12. TBSが安倍の辞任をスクープ
7月の参院選での歴史的惨敗の後、麻生に励まされて続投を決断するが、潰瘍性大腸炎の悪化もあり、弱気になっていた
官房長官の与謝野とは、04年与謝野が党政調会長を務めていた時の番記者だったことから付き合いが始まる
与謝野と安倍が深い信頼関係を結ぶきっかけを作ったのは、JR東海の葛西敬之名誉会長で、葛西が93年旧知の与謝野と政策勉強会をするにあたって自民党の若手を連れてきて欲しいと頼んだ時に与謝野が選んだのが安倍
与謝野が、非公式に面会を求めてきて、安倍の様子がおかしいと言ったので、総理辞任を直感したが、念のため安倍の携帯に電話するが、返事はない
麻生から連絡があり、安倍が公明に辞意を伝えたと言われたので、政治部に連絡して速報を打たせスクープとした

第2章        再出馬の決断――盟友の死、震災、軍師・菅義偉
再出馬に際し、安倍の内面の修復に重要だったのが盟友・中川昭一の死
09年夏、麻生政権末期の選挙は自民党劣勢で大物議員の多くが落選、中川も事前の朦朧会見が逆風となって盤石の中川大国にもかかわらず苦戦、民進党に大敗して下野、2か月後に変死。未亡人からの依頼で戒名をつけることになり、安倍や麻生に相談してつける
誇りの持てる国づくりのために全力投球してきた中川の、道半ばでの挫折に対し、その遺志を継ごうと立ち上がったのが、中川の落選後後を託された安倍
113月の東北大震災も安倍の内面に質的変化をもたらす ⇒ 震災の3週間後に安倍とともに隠密で現地入り
外面の復活を演出したのが第二次安倍政権の主役たち ⇒ 健康のために近郊の登山を始め、12年にはフェイスブックで元総理との高尾山登山を呼びかけたところ、300人ほどが集まり、安倍の激励と健康PRになった
2次安倍内閣発足時における政治家の主要メンバーは、麻生と菅、高村
菅の独創的な人事術を象徴するのが、13年の海上保安庁長官人事 ⇒ 慣例を破って初めて制服組を長官に。以後霞が関が官邸の言うことを聞くようになった
15年の政策投資銀行社長人事でも、財務省のポスト奪回の根回しに対し、菅は先回りして麻生を説き伏せ、未然に防ぎ、内部昇格を実現させた
14年、内閣人事局を作り、官僚人事を官邸で一元化し、局長には政治家を配して官邸主導を徹底
秋田の農家出身でたたき上げの菅と安倍の接点は、06年発足の「再チャレンジ支援議員連盟」。菅が「派閥の枠を超えて政策で議員を糾合すべき」と安倍に進言して生まれた派閥横断型の議連で、安倍総裁選圧勝の原動力となる
菅が側近の1人から抜け出して圧倒的な信頼を得たのが総裁選。他の側近が否定的な立場をとる中、菅一人が尻込みする安倍を説得に回り、終盤になって著者が安倍の消極姿勢を菅に電話で伝えると即、菅が安倍の私邸に議員要覧を携えて具体的な票読みで説得に向かい、23位連合の勝利を決定づける
829日、讀賣が安倍サイドからの許可を得て「安倍出馬の意向」とうち、安倍と菅は自ら退路を断つ ⇒ 総裁選は1人の例外を除き菅の読み通りの結果に。菅は山口の電話のお陰と感謝
安倍は、菅の恐ろしさを実感し共に組んで再チャレンジする覚悟を決め、官房長官に抜擢。潜り抜けた試練の大きさがこの2人の絆を不動のものにしている
その次に重要な役割を果たしているのが麻生と高村。12年の総裁選で重要な役割を果たす
麻生は、当初野党で苦労して党を立て直した谷垣を総裁にするのが筋とし、山口を通じて安倍にも伝える。麻生は元々河野派で、河野洋平が野党自民党で苦労し悲哀を味わったことを知悉しているがゆえに、谷垣を男にすべきとしたが、谷垣は派閥内で石原幹事長が出馬を表明し、派閥の長の古賀も石原支持を表明、森や青木のベテランも石原支持に回ったため、直前で出馬を断念したため、石原・石破という選択肢はなかった麻生は安倍の要請に応じる。高村もかつて麻生派との合流を模索したこともあって麻生の動きに同調
麻生は、自らのボスの寝首を掻く、明智光秀みたいなやり口は、自分の渡世の仁義では許されないと、石原を痛烈に批判したことが、2位と3位の差を広げることに成功
安倍は、勝利に貢献した2人に副総理と副総裁のポストで処遇するとともに、麻生には財務大臣として最重要課題の経済の舵取りを任せ、高村には安全保障法制の議論を与党で取りまとめるという難しい役割を与えた
1次内閣では、森、野中、古賀、青木といった重鎮に翻弄されていたが、復活後は派閥の領袖クラスとも戦略的互恵関係を維持することで世代間闘争も未然に防ぎ、老荘青各層に対する党内統率力は円熟味を増している

第3章        消費税を巡る攻防――麻生太郎との真剣勝負
安倍と麻生の本格的な付き合いが始まるのは05年 ⇒ 安倍官房長官と麻生外務大臣の頃から急速に接近、一定の礼儀と作法、独特の緊張感を持った関係が始まる
14年の消費税8%への引き上げに際し、既成事実のように迫る財務省の姿勢に安倍が反発、引き上げは実施したものの、財務省に対する強い警戒感を露にする
97年の橋本内閣での5%への引き上げがその後のデフレを決定づけ、橋本自身も深い自責の念を口にしたが、大蔵省の殺し文句は、「財政危機」と「歴史に名を残す宰相」だった
チーム安倍の事務方の中核は、経産省と警察官僚出身者が担う ⇒ 中でも今井尚哉政策担当総理秘書官と長谷川榮一総理補佐官兼内閣広報官は経産省出身、杉田和博官房副長官と北村滋内閣情報官は警察庁出身。特に今井は、今井敬と元通産次官今井善衛を叔父に持つサラブレッドだが、第一次安倍内閣で事務の秘書官を経て、実質首席秘書官としてチーム入りし、自ら片道切符と称して出身省庁への帰属意識を断ち切って公私ともに安倍を支える
増税後のGDPが予想を下回ったことから、安倍は「増税先送り→信を問う解散総選挙」を考えたが、幹事長の谷垣は筋金入りの財政再建論者であり、幹事長就任に際し釘は刺したが、増税断行の立場を鮮明にする
133月、黒田日銀総裁の下、異次元緩和が始まるとともに、円安株高に振れ、日本経済を覆っていた長年の停滞感を払拭。1410月緩和拡大を宣言し、増税論を後押し
1411月、安倍は増勢延期を決断し、麻生にも結論のみ言い、麻生は黙って従う
財務省の物凄い抵抗もあったが、麻生は安倍の決断を尊重

第4章        安倍外交――オバマを追い詰めた安倍の意地
2次政権発足時に、戦後最悪の関係に転落したとまで評されたアメリアを最初の訪問国として、アメリカでの議会演説の実現を目指したが、3年間の民主党時代に冷え切った日米関係を修復するのは難しく、特にオバマは他の主要国首脳とも自身の性格的な問題から個人的にはうまくいっていない
安倍は、オバマ政権が日本に対し要求しそうな問題3点を重点的に対応、ハーグ条約を批准して国際結婚で破綻した際の子どもの取り扱いについての問題を排除、次いで防衛費を増額、さらに普天間移設を決断したうえで、13年最初のアメリカ訪問を行うが、共同記者会見も大統領主催の晩餐会も開催されず仕舞い
13年秋、アメリカが化学兵器を使用したとしてシリア攻撃を企図、同盟国に対し支持を求めてきた際、安倍はイラクの轍を踏まないよう明確な証拠がない限り支持しないと主張、遂にアメリカ側が明確な証拠となる極秘情報を開示して漸く日本も首を縦に振ったが、そのしっぺ返しはすぐに来て、年末の安部の靖国参拝に対し米国務省がdisappointedとコメントし、日米関係悪化に拍車をかけた
修復に向けて安倍が打った手は、国家安全保障会議NSCの創設と外交担当補佐官に河井克之を任命したこと ⇒ NSC初代事務局長に最も信頼を寄せる谷地正太郎元外務次官を任命、ライスNSC議長と対等のパートナー関係を構築。河井は元外務委員長の自民党衆議院議員で頻繁にアメリカを訪問して議会関係者を中心に人間関係を構築しつつあった
佐々江駐米大使とバイデン副大統領の個人的信頼関係構築もあって、15年安倍の訪米の際議会発言が実現

第5章        新宰相論――安倍を倒すのは誰か
15年の総裁選に於ける野田聖子の推薦人集めの経緯を見ると、安倍に対抗する勢力の現状と、安倍を倒すためには何が必要なのかが見えてくる ⇒ 無派閥の野田がまず頼ったのが政治の師と仰ぐ宏池会の名誉会長の古賀、キーワードは反安倍と反安保
古賀が宏池会の若手に、岸田会長とは話がついているとして声を掛けたが、岸田は早くから派閥として安倍支持を打ち出しており、古賀の工作は頓挫
反安保については、古賀が明確な反安保を謳い、亀井、山﨑といったかつての領袖クラスが異口同音に安保反対を主張したことで、野田の推薦人になることは安保法潰しの逆臣の烙印を押され兼ねない警戒感を党内に拡散させた
野田には総合的な国家像、総合ビジョンが見えなかったこともあって、推薦人を集められないまま出馬を断念
この騒動で注目された「反安保」と「国家像」という2つのファクターに、今後の政局を見る重要なヒントが隠されている
国論を2分する様な「反安保」を政策に掲げても周囲の支持は得られない ⇒ 「反原発」ですら民意は盛り上がり、小沢や亀井などはその流れに乗ろうとしたが、「耳障りのいい政策で国民を釣る」という旧来の日本の政治家の迎合手法が有権者に通じなくなった
有権者が政治家の本気度を値踏みするようになり、国民の重要な意識変化が、永田町の力学を大きく変えつつある
たとえ国民に不人気な法案でも必要と判断すれば果断に実行するという姿勢が、大衆迎合の言説を凌駕 ⇒ 安倍が、特定秘密保護法や原発再稼働、靖国参拝、消費増税、安全保障法案、集団的自衛権の行使容認等に踏み切ったのはその好例であり、個別テーマでは世論の反対が多くても、内閣支持率は落ちていない
Political Asset ⇒ 支持率が高いうちはPAが大きいので思い切った政策を打ち出せるが、支持率が下がるとともにPAが減少してリスクをとらなくなる。これまでの長期政権だった中曽根は国民に叩かれた靖国参拝はすぐに封印、売上税構想も国民の反発ですぐに引っ込めたし、小泉も油性民営化という枝葉末節の政治課題で派手な劇場型政治を仕掛けたが、消費増税は早々に上げないと明言、社会保障の抜本的改革にも手を付けなかった。外交でも最も安易な対米追従に終始し、結果としてイラク戦争では世界で最初に賛成
安倍は、岸信介以来の「媚びない政治」の再興を目指し、「媚びる政治家」への国民の本質的な嫌悪が安倍の静かな追い風となっている
積み上げたPAを何のために使うかで、政治家の資質や人生観が問われる
そのベースにあるのが「国家像」 ⇒ 安倍の目指すのは「誇りの持てる国づくり」
安部のほかには、国家像を明確に提示するリーダー候補は見当たらない




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