世界をつくった6つの革命の物語  Steven Johnson  2017.1.27.

2017.1.27. 世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史
How We Get to Now ~ Six Innovations that Made the Modern World 2014

著者 Steven Johnson 『感染地図――歴史を変えた未知の病原体』など9冊のベストセラーを著している。影響力のある様々なウェブサイトを立ち上げており、PBSBBCのテレビシリーズ『私たちはどうして現在にいたったか(How We Get to Now)』の共同制作者であり、司会も務める。妻と3人の息子とともにカリフォルニア州マリン郡とニューヨーク市ブルックリンで暮らす

訳者 大田直子 翻訳家。東大文、社会心理学科卒

発行日           2016.8.30. 第1刷発行
発行所           朝日新聞出版

ガリレオは祭壇ランプに何を見たか?
古代洞窟に歌は響いたか?
ツタンカーメンのコガネムシとは?
イヌイットの瞬間冷凍とは?
きれいすぎて飲めない水とは?
給油ロウソクは何に変わったか?

まったく(・・・・・)新しい(・・・・・)発明(・・・・・)を切り口にした、
まったく(・・・・・)新しい(・・・・・)世界史(・・・・・)の物語

序章 ロボット歴史学者とハチドリの羽
ここで取り上げるイノベーションは日常生活に属するもの ⇒ 電球、録音、エアコン、コップ1杯のきれいな水道水、腕時計、ガラスレンズ
私たちの生活は、多勢の先人のアイディアと創造性によって魔力を与えられた様々なものに囲まれ支えられている
これらのイノベーションは、妥当な予想を遥かに超える、多様な変化を社会に引き起こしている
授粉行動:白亜紀のどこかの時点で、花は花粉の存在を昆虫にしらせる色とにおいを進化させるようになり、同時に昆虫は花から花粉を取り出し、他の花に授粉する複雑な装備を進化させた。さらに花は昆虫の授粉行為を進化させるためによりエネルギー豊かな花蜜を花粉に加えた。ミツバチなどの昆虫も花を見つけて惹きつけられるための感覚の道具を進化させた。ダーウィンの言う共進化で、花蜜の産生を引き起こした顕花植物と昆虫の共進化から、最終的にハチドリという遥かに大きな生物にも、植物から花蜜を取り出すチャンスが生まれた。昆虫には脊椎動物にない基本的柔軟性が生体構造にあるので、飛びながらでもじっとしていられるが、ハチドリは骨格構造による制限があるにもかかわらず花の横でホバリングが可能な羽を持ち、花から花蜜を取り出す間空中に浮かぶことができるような斬新な方法を進化させた。これは進化が何度も起こしている不思議な飛躍
グーテンベルクの印刷機が、眼鏡需要の急増を引き起こしたのも同じことで、読書という新しい習慣のせいで大陸中のヨーロッパ人が突然遠視だったことに気づいたからで、眼鏡の市場需要に刺激されて、レンズが開発され、顕微鏡の発明につながり、体が細胞からできていることを知る
バタフライ効果 ⇒ カリフォルニアでチョウの羽がはためくと大西洋の真ん中でハリケーンが起こるというカオス理論の一種。事実上不可知の因果の連鎖を伴うこと
本書のテーマの1つは、これらの不思議な影響の連鎖、「ハチドリ効果」である。ある分野のイノベーションが、最終的に、まるで異なるように思われる領域に変化をもたらす
あらゆるテクノロジーの進歩に関して予期せぬ結果が、新たな問題を引き起こす可能性がある
本書で取り上げるイノベーションについて、良し悪しに関わらず、あらゆる結果を詳しく説明しようとした ⇒ その結果をどう受け止めるかは、読者自身の政治や社会変化に関する信念体系で決まる
本書の着眼点は、おおむね北米とヨーロッパを基準にしている

第1章        ガラス
BC 8000        旅人がリビア砂漠で大きなガラスのかけらに躓く
BC 14th C      ツタンカーメン王の墓に入れる装飾品にガラスが使われる
96180        ガラス職人が丈夫で透明なガラスの製造方法を発見
12th C           世界初の眼鏡「目のための円盤」ができる
Around 1301 イタリアの職人が「クリスタッロ(現代のガラス)」の製造に成功
Around 1400 ガラス職人が鏡をつくり、自画像が描かれるようになる
1440s           グーテンベルクが印刷機を発明、識字能力が上がり、眼鏡の市場が広がる
1590             オランダの眼鏡職人ヤンセン親子が顕微鏡を発明
1608             望遠鏡発明
1610             ガリレオが望遠鏡での観測により地動説を唱える
19th C           カメラ用レンズの発展/世界初の映画用カメラがつくられる
Early 20th C   ガラス繊維を撚り合わせたグラスファイバーがつくられる
After 1940th   テレビ映像がつくられる
1970             光ファイバーができる
1991             グラスファイバーを使ったWWWがサービス開始
NOW             スマホで写真を撮影、SNSにアップ、配信という工程すべてがガラスに支えられている

ガラスが初めて装飾から先進技術へと変容したのは、ローマ帝国の最盛期。ガラス窓はこの時期に作られた
1204年、コンスタンティノ-プル陥落によって起こった数多くの移住の1つが、トルコの小さなガラス職人集落が、ヴェネチアに住み着いたことで、彼らはアドリア海岸の低地から生まれたこの裕福な新しい都市で商売を始めた ⇒ ムラーノ島に集結し、技術的な創意工夫から透明度の高い「クリスタッロ」と呼んだ現代ガラスを生む
透明性に加え、光を正確に曲げることによって世界の見え方を変えることができたのは革命的であることが判明 ⇒ レンズの発明
1440年代のグーテンベルクによる印刷機の発明が、識字率を劇的に上昇させ、大勢の人々に、自分が遠視であることを気づかせ、眼鏡の需要が急増 ⇒ 眼鏡は普通の人が身につける、新石器時代の衣服の発明以来、最初の先進技術になった
凸状のガラスを使って光を操ることを専門にする人々が出現 ⇒ 最初の光学革命の開拓者。1590年、顕微鏡の発明へ。その18年後には望遠鏡の発明となり、1610年にはガリレオが木星の周囲を衛星が回っているのを観察し、すべての天体は地球を中心に動くというアリストテレスのパラダイムに、初めて現実的に異論を唱えた
レンズはさらに1920世紀のメディアで画期的な役割を果たす ⇒ 写真と映像
さらに、ガラスには別の奇妙な物理的特性のあることが判明 ⇒ ガラスを繊維状にして撚り合わせたグラスファイバーと呼ばれる新素材で、耐久力が鋼鉄線と同等以上に強いところから、家の断熱材、衣類、サーフボード、クルーザー、ヘルメット、コンピューターのチップを接続する回路基板など、ありとあらゆる場所で使われるようになる
デジタル情報をコード化する方法として光が検討されるようになって、グラスファイバーの透明性が価値あるものとなる ⇒ 1970年、コーニング社が桁外れに透明なガラスを開発。ベル研究所の科学者は、この超クリアなガラスでできたファイバーを束にして、その端から端に向けてレーザー光線を放ち、二進コードの01に相当する光信号を波動させた。集中的で乱れのないレーザーの光と、高度に透明なグラスファイバーという、一見関係のない2つの発明が、光ファイバーと呼ばれるようになり、同線よりも遥かに電気信号をノイズや干渉に妨げられずに送れることが判明、現在地球規模のインターネットの基幹回線に利用される。現在大西洋には10種類のケーブルが横断、すべての音声とデータの通信を担う
インターネットの利用は、現代人の日常であり習性ともなっているが、二酸化ケイ素がすべてのもとにあることはほとんど誰も意識していない
自撮りのもとは自画像に行きつくが、1400年以前にはヨーロッパ芸術の伝統的表現法として事実上存在しなかった。自画像への興味が爆発した直接の原因は、ガラスを扱う技術の別の進展にある ⇒ 水晶のように透明なガラスを冶金のイノベーションと結びつけ、ガラスの背面をスズと水銀の合金で覆い、ピカピカでよく反射する面を作り出す。鏡が初めて日常生活に入り込み、個人的なレベルの新発見となる
絵画の線遠近法も、鏡に映る姿を描くことによって考え出されたし、鏡に映る姿と絵を比べてみることによって、芸術家の目をつくる役割を果たすと同時に、鏡の中の自分を見つけることによって自らの内面生活を詳しく探求するようになり、ヨーロッパ人の意識に新たに自分を中心に据えるという根本的な転換が起こる
この意識の転換は、ヴェネツィアやオランダで始まっていた近代資本主義と相俟ってルネサンスを起こす社会的パワーのもとになっていく
鏡は現実に、だが数量化できない形で現代の自己が生まれるのに役立ったが、それがいいことだったかどうかは別の問題
マウナケア山頂の13の天文台では、光学望遠鏡が設置され、「補償光学」という乱気流補正システムによって乱気流で乱れた光線を補正しながら天体観測が行われているが、そこで現在見えるのは何十億光年も過去の世界であり、タイムマシンを覗くようなもの
我々の歴史には物質的要素もあって、物質の基本構成要素によって形成され、それが社会運動や経済体制のようなものにつながった歴史となっている ⇒ 物質史
炭素をプラスチックという形にしてガラスに代わる丈夫な透明素材に変えられるが、その技術は生まれてから100年も経っていない
炭素が人間の誕生から身近にあって依存関係にあったのに対し、ケイ素は地殻の90%以上がケイ素化合物で出来ていながら、約1000年前になって突如人間社会にとって不可欠となった ⇒ その理由は、二酸化ケイ素という物質が540℃まではその特徴を現さなかったところから溶鉱炉の技術と密接に関係していると推測される
ツタンカーメンの墓に入ったリビア砂漠のガラスの破片は、彗星が地球の大気圏に突入し砂漠の中で爆発したことによってできたと考え始めている

第2章        冷たさ
Ø  1659   イギリスの科学者が気体の量や圧力と温度の関係を発見
Ø  1805   ボストンの実業家フレデリック・テューダー(後の「氷王」)が氷を西インド諸島に運ぶ事業を開始
ニューイングランドでは、日光を避けて保存すれば、大きな氷の塊は真夏まで解けないことを経験から学び、氷を西インド諸島に運べば莫大な富を築けると直感し、船を仕立てる
氷はかなりいい状態で到着したが、マルティニークでは島民の誰も興味を示さず、1813年倒産
Ø  Around 1815      氷の採取、断熱、輸送、保管に成功
ニューイングランドの製材所で排出するおがくずが氷の断熱に効果があり、二重殻建築でつくった貯氷庫に保管すれば長持ち、西インド諸島の産品を満載した帰りの船を使えば輸送コストも縮減できる。徐々に西インド諸島でも氷商売が軌道に乗る
Ø  1820s アメリカ南部各所に貯氷庫を設ける
Ø  1830s リオとボンベイにもニューイングランドの帆船で氷が運ばれる
テューダーは巨万の富を稼ぐことになるが、最終的に、インド市場が一番の稼ぎ頭となる
1819世紀の貿易主要産品はすべて熱帯と亜熱帯の灼熱に依存した産品であり、化石燃料も何億年も前に植物によってとらえられ、保存された太陽エネルギー。というように高エネルギーの環境で育つものを収穫し、低エネルギーの気候帯に出荷することで富を築くことができたが、氷の商売は世界貿易史上一度限りの逆パターンで、氷を価値あるものにしたのは、ニューイングランド・ウォールデン池の冬の低エネルギー状態と、そのエネルギー欠如を長期にわたって保存できる氷の特異な能力
Ø  1842   フロリダの医師が天井から吊るした氷の塊が、室内の空気を冷やすことを発見、人口の冷却装置をつくる
Ø  Around 1860      大量製氷装置がフランスでつくられる
南部諸州の生活必需品になるのにそう時間はかからなかった
1860年には、ニューヨークの家庭の3軒に2軒は毎日氷を配達させていた
氷による冷却はアメリカの地図を塗り替えたが、特にシカゴの変容がどこよりも大きかった ⇒ 大平原を征服した牧場主が飼育する畜牛の肉を東部に出荷する
Ø 1868    肉の保存に適した天然氷による冷却室ができる ⇒ 豚肉王ハッチンソンが豚肉を加工処理する目的でつくった
Ø 1878    肉の長距離輸送が可能な冷蔵庫を開発 ⇒ 冷蔵庫は冷蔵戦につながり、シカゴの肉が4大陸に運ばれ、世界貿易に成功したことが大平原の自然景観を変え、工業的な肥育場にとって変わられた
氷が新たな食糧ネットワークを可能にし、シカゴは鉄道帝国や食肉処理場の町と考えられるが、同時に水素の四面体結合の上に築かれたというのも真実
Ø  1902   空気を冷却する装置の発明
氷貿易はテューダーが莫大な富を夢見たことから始まったが、人工の冷たさの物語は、もっと差し迫った人道的ニーズから始まる ⇒ 亜熱帯地方のマラリアに罹患した患者の熱を下げるために、氷の塊を天井から吊るしたところ、氷塊が空気を冷やして一定の効果があったものの、ハリケーンの襲来で氷が届かなくなったため、人工で氷をつくることに挑戦
圧縮した空気を水で冷やしたパイプに流すと、空気が膨張する際周囲から熱を奪い空気を冷やすことを発見
本格的に人工による冷却が必要になったのは、1861年の南北戦争の時。北軍が南部を封鎖したため、ニューイングランドの天然氷が南部諸州に届かなくなったため、フランス人によるアンモニアを冷媒に使った製氷機が密輸され、生鮮食品の流通にも効果を発揮した
空気を処理する装置を開発したのはウィリス・キャリア。1902年、ブルックリンの印刷会社で、湿気の多い夏にインクが滲まない策を考案したところ、湿気除去装置に空気を冷やす効果があったことが契機となって、室内空間の湿度と温度を調整する仕掛けを設計
Ø  1920s バーズアイが瞬間冷凍プロセスを開発 ⇒ ゼネラルフーズ社の誕生
1920年代初めまでに、イヌイットが極寒の地で自然の瞬間冷凍により食物の味を落とさずに保存していることからヒントを得て、氷点下40度で凍らせる瞬間冷凍のプロセスが開発され、冷凍食品が市場に出始める
Ø 1925    パラマウントの映画館が実験的なエアコンシステムを披露 ⇒ キャリアが開発したトラックに荷台ほどの大きさの装置が大型の商業施設に広がるが、家庭向けの冷却装置の小型化は第2次大戦で先延ばしに
Ø  1930s 冷凍の「テレビディナー」が誕生 ⇒ 冷凍食品市場が急拡大
Ø  Late 1940s         窓に取り付ける可搬型エアコンが初めて市場に登場 ⇒ キャリアの製品が家庭に浸透し始める。エアコンの小型化の成功によるもので、20世紀のダウンサイジングに関してはまずトランジスターやマイクロチップを思い浮かべるが、エアコンの小型化もイノベーション史に記録するに値する
Ø Around 1950        冷房や冷凍がアメリカ人のライフスタイルに深く浸透 ⇒ 南部のサンベルト地帯が寒い州からの新たな移住者で膨張、民主党の地盤だった南部に比較的保守的な退職者が増加し、政治地図まで塗り替える。特に大統領選では、194080年にサンベルトの選挙人は29人増加、一方ラストベルトでは31人減少。20世紀前半、サンベルトから出た正副大統領は2人だけだが、52年以降は08年にオバマとバイデンまで、勝利した正副大統領のどちらかにはサンベルトの候補者が入っていた
Ø NOW    クーラーによって暑い地域への居住が可能になり、家庭電化製品によって人類史上最大の人口移動が引き起こされている
冷却革命 ⇒ 人工冷却のテクノロジーが卵母細胞凍結保存の新技術を生み、新たな子づくりの方法の自由がもたらされたように、冷たさを操れるようになったおかげで、地球全体の定住パターンが再編され、多勢の新生児が生まれている

第3章       
Ø Paleolithic(旧石器時代)      ネアンデルタール人が洞窟内の音響学的効果を利用?
1990年代初頭、フランス・ブルゴーニュ地方で発見された古代洞窟内では、壁画が注目される以上に反響や残響が注目され、反響音の最も強い部分に壁画が配置されていることに気づく。ネアンデルタール人たちは自然の音響効果を利用して儀式的なものを行っていた可能性がある
声のテクノロジーが本格的に出現したのは、ようやく19世紀末になってから。出現した時にはほぼあらゆるものを変化させたが、始まりは声の拡大ではなく、書き留めるという単純な行為から
Ø Around 1500        音波の発見 ⇒ 音は目に見えない波となって空気を伝わるという仮定の下で、音を記録する研究が始まる
Ø 1857 音を記録する機械「フォノートグラフ(音の自動筆記)」ができる ⇒ 解剖学では人間の耳の基本構造が正確に描かれ、音波が耳管を通って鼓膜の振動を引き起こす様子が記録されたのを見た優れた速記者だったフランスのスコットが、人間の声を文字に起こすプロセスの自動化・機械処理を思いつき、音を記録媒体に刻み込むことに成功
ただ、記録したものを音波に変える「再生」のことまで考えていなかった
Ø 1872 ベルが音をとらえ、伝える手法を発見 ⇒ 主な用途として、生の音楽を共有する手段を想定
Ø 1877 エジソンが蓄音機を発明 ⇒ ロウを使った巻物に蓄音機で書状を記録し、郵便で送り、相手方が蓄音機で再生。結局人々は音楽を聴くのに蓄音機を使い、友人と連絡するのに電話を使っていて、ベルもエジソンも、全くあべこべのことを考えていた
電話は、「ハロー」という言葉を、会話を始めるときの挨拶として、地球上のどこでも認識される言葉に変えるとともに、電話交換機の発明は、女性が初めて「専門職」階級に入り込むきっかけとなった
電話の最も重要な遺産は、ベル研究所で、20世紀のほぼあらゆる主要なテクノロジーの誕生に不可欠の役割を担う ⇒ ラジオ、真空管、トランジスター、テレビ、太陽電池、同軸ケーブル、レーザー光線、マイクロプロセッサー、コンピューター、携帯電話、光ファイバー
1956年、AT&Tは電話サービスの独占維持を許されるが、ベル研究所から生み出される特許発明はアメリカ企業に無償で使用許可を与えなくてはならず、新たに取得する特許はすべて安価な料金で使用を認めなくてはならないとの司法省の裁定が下る ⇒ この裁定のおかげで、ベルから生まれた興味深いアイディアすべてを他の企業もすぐ採用できた
Ø 1910 無線装置で史上初めて人間の声を船から海岸に送信することに成功
初の公共ラジオ生放送 ⇒ ラジオは19世紀末に、もともとはモールス信号を送るためのものとして発明された。ガス入り電球に組み込まれた電極が無線信号を増幅する効果を使って伝送装置を開発、1910年にメットで上演された《トスカ》を劇場内に送話機を吊り下げて初の公共ラジオ生放送を行うが、ノイズばかりで大失敗に終わる
Ø Around 1920        真空管の発明 ⇒ ガスを抜いて真空にした電球を発明、電気信号を必要とするあらゆるテクノロジーにおいて、その信号を強化する装置となる
Ø 1920s        拡声器ができる ⇒ 真空管アンプの活用の一例
Ø Early 1920s         ラジオが家庭で聴けるようになる ⇒ 真空管を初めて家庭に持ち込んだ主流のテクノロジーがラジオ。元々は双方向メディアとして生まれたもので、今日でもアマチュア無線として続いている
Ø Late 1920s           ラジオによってジャズがアメリカ全土に広がる ⇒ プロの放送局が一括してニュースや娯楽を消費者に向けて流すようになると、一部地域に限定されていたジャズが瞬く間に全米で流行。サブカルチャーがメディアで勢いをつけ、アフリカ系アメリカ人のセレブが大量に誕生。公民権運動の始まりもジャズの全国伝播と密接に関係
Ø 1920s30s          ヒトラーが真空管アンプとマイクを使って演説 ⇒ 真空管アンプが新しい種類の政治イベントを生み出す。演説者個人を中心とする大規模集会で、この新たな力の源泉に気づき利用したのがヒトラーであり、キング牧師とともに20世紀の決定的な政治集会を出現させた
Ø 1943         伝説の数学者アラン・チューリングとベル研究所による大西洋横断電話通信は、音声をデジタル信号に変える画期的な発明を利用したもの(コードネーム:
SIGSALY)
Ø Early 1950s         真空管アンプを使うギタリストが魅力的な音の「ひずみ(ファズ音)」に気づき始める ⇒ 60年代を象徴するサウンドに発展
Ø 1956         北米とヨーロッパの間で初めて大西洋横断電話線が敷かれる ⇒ 同時にかけられるのは24通話のみ。ホワイトハウスとクレムリンをつなぐ「レッドフォン」も元々はテレタイプだったのは、即時通訳の難しさを考えるとリスクが高すぎたから
Ø 1960s        ビートルズが真空管アンプとマイクを使ってライブを行う
Ø Late 1960s          ジミ・ヘンドリクスが新しいサウンドをつくる
Ø NOW ソナーによる海洋探査、超音波による妊婦検診 ⇒ 1912年、タイタニック号の沈没で氷山の脅威が現実となり、船内で自ら音をつくり、その新しい音が水中の物体に跳ね返って生じる反響を聞くことを考え、540Hz辺りだけを反響させる水中電信の送受信システムを開発、イルカが反響定位を利用するのと同じ原理で、世界初の実用的なソナー装置となる。翌年勃発した第1次大戦では、ドイツ潜水艦の脅威に有効と思われたが、イギリス海軍は無視、ようやくソナーが海軍戦の標準装備になるのは第2次大戦以降
ソナーの発明が、母親の子宮内を見るのに音を使う超音波装置となり、妊婦検診に革命を起こす ⇒ 生まれてくる子供の性別判断に使われ、中国では女児の中絶といった倫理問題を生む
テクノロジーの進歩には独自の内部倫理があるが、そのテクノロジーの応用にまつわる倫理は私たち次第

第4章        清潔
Ø  Early 19th C シャワーや入浴が衛生上よいことが認められ始める
水に体を浸すことは不健康どころか危険でさえあるというのが20世紀になるまでの衛生についての社会通念だった ⇒ 19世紀初頭から変わり始める。石鹸の議論が出てくるのは20世紀になってから。公共インフラの進歩によりきれいな水が家庭に入ってくると同時に、病気の細菌説が奇説から科学的コンセンサスに進化していたことも背景にある
Ø  1847   患者の処置前に手を洗うこと、同じ日に分娩と死体解剖を行う場合には手を洗うべきと提案した医師が非難される ⇒ 基本的な消毒行為が医学界に根付くのはほぼ半世紀後
Ø  1850s   シカゴでコレラや赤痢が定期的に流行 ⇒ シカゴはまっ平な土地で、重力による排水が困難。豪雨が降るとものの数分で表土が汚いぬかるみになる。公衆衛生のための主要なシステムは、残飯を貪り食う豚で、1850年代まで排泄物の管理が全くできていなかったことが原因
Ø  1854    コレラの原因が汚染水であることを特定 ⇒ ロンドンでの疫学的研究が進み、汚染水が原因であること、さらにガラスのイノベーションによって発明された顕微鏡によって、コッホは汚染水の中で繁殖する微生物が原因であることを発見するとともに、細菌の密度を測定することに成功、一定の量までであれば飲料にしても安全だということを証明
Ø  1855    シカゴ下水道委員会が結成
Ø  Around 1860      アメリカで初の下水管敷設工事 ⇒ 既存の建物をジャッキで揚げて下に下水管を敷設。シカゴには、アメリカのどの都市よりも早く総合的な下水道システムができる
Ø  1869    毎日体を洗うことが唱道される
Ø  Early 1870s       シカゴ川に流れた下水が浄水されないまま飲料水に ⇒ 下水処理が優先されるあまり、上水と一緒に流された
Ø  1898    塩素が細菌を水から除去、適量なら溶解した水の飲用が無害だとわかる ⇒ 無害となる細菌の量が特定されたことで、新しい化学物質を使って直接病原菌を除去するアプローチが始まる
Ø  1905    コッホがコレラ菌を特定した功績によりノーベル賞受賞
Ø  1908    史上初の都市水道水の大規模塩素消毒実験成功 ⇒ ニュージャージーで、当時「さらし粉」と呼ばれて消毒剤に使われていた次亜塩素酸カルシウムを適量使用すれば効果があることを確信。その成功によって塩素消毒が標準的な手法として全米の地方自治体に採用され、世界的に広まる
Ø  1913    アメリカ発の家庭向け市販漂白剤「クロロックス」誕生 ⇒ 塩素を家庭用洗剤として応用し、爆発的な人気を呼ぶ。ラジオとテレビが試しにドラマを放送するようになった時、スポンサーになったのは個人向け衛生用品の企業で、その見事なマーケティング活動は「ソープオペラ」という表現に残っている(石鹸の会社がスポンサーになることが多かった昼のメロドラマのこと)
Ø  After WW I 1918        全米各地に塩素消毒された公共の浴場やプールが1万か所開業 ⇒ 20年代半ばまでに女性たちは膝下を、40年までにはすべての体のラインを公然と露出するようになった。女性の体の露出に対する基本的意識が改革されたが、ファッションを推進する要因に次亜塩素酸カルシウムが挙げられることはほとんどない
Ø  Around 1930      塩素消毒や浄水技術により病気による死亡率を30年間で43%減少させる ⇒ きれいな飲料水が平均的なアメリカの都市で、総死亡率の43%減少につながり、幼児死亡率を74%、子どもの死亡率も同じくらい低下させた
Ø  2011    日光と食塩だけで排泄物を処理できるトイレが考案される
Ø  NOW    コンピューターのマイクロチップの製造に使うきれいすぎて飲めない超純水がつくられる ⇒ 不純物を避けるため、細菌汚染だけでなく、普通に浄化された水に含まれるミネラルや塩分や様々なイオンも取り除かれたため、人間が飲用するとその水が人間の体内からミネラルを吸い取ってしまう
下水とクリーンルームは、清潔の歴史の両極端であり、現代社会を築くため地下に汚物の川という不快な空間をつくり日常生活から切り離す必要があったが、同時にデジタル革命を起こすために過度に清潔な環境をつくり、それを日常生活から切り離す必要があった。現代社会はそれらの上に成り立っている

第5章        時間
Ø 1583    ガリレオがピサの大聖堂にある祭壇ランプの振動量を脈拍で測定 ⇒ ピサ大学の1年生だったガリレオが観察したことを、20年後に思い出して、振り子による時間の測定に結び付ける
当時コンマ何秒の正確さを必要としたのはカレンダーではなく地図だった ⇒ 世界航海の第1次黄金時代であり、航海の途中で緯度は空を見上げるだけで測ることができるが、経度は出発点と現在地の時刻の違いからしか測定できず、両地点の正確な時刻を測定することが必要とされた
18世紀半ばにイギリスで始まった産業の離陸は、正確な時計があったからこそ海上での経度を測定できるようになり、そのおかげで地球規模の海運網のリスクが大幅に縮小し、実業家たちは原材料を安定して手に入れ、海外市場に参入することができた。1600年代末から1700年代初めにかけて世界で最も信頼のおける懐中時計はイギリスで製造され、そのおかげで精密な道具を製造する専門技術が蓄積され、それが産業イノベーションへの要求が生まれたとき大いに役立った。時計職人はのちの生産工学の前衛部隊だった
Ø 1700s   ジョサイア・ウェッジウッドの工場がタイムカードを導入 ⇒ 産業労働者の生活では、1日の労働時間の管理が必須。従来は、1つの仕事を終えるのに必要な時間が単位となり、職人は一定の仕事を単位とする出来高払いが慣習だったが、それを工場の機械の稼働に合わせて、労働を時間で管理するよう改変
Ø Late 1840s   イギリス全土の時間をグリニッジ標準時で標準化
Ø Early 1860s 標準化された部品で安価な時計「Wm・エラリー」がつくられる ⇒ 時計の人気が急上昇した時に、大衆向け懐中時計を紹介する通信販売カタログを発行して成功したのがシアーズとローバックの2
時計は大衆化されたが、標準化されていなかったために、地域によって別々の時刻を指していた。この不揃いには誰も気づかなかったが、電信と鉄道の発達により情報や移動が迅速に行われるようになると、標準化されていない時刻の曖昧さが露呈、時刻の標準化が急務となった ⇒ イギリスではグリニッジ標準時に統一
Ø 1869    アメリカの大陸横断鉄道が開業
Ø 1880s   クォーツに圧力をかけると安定した頻度で振動する特性が発見される ⇒ ピエールとジャックのキュリー兄弟が、石英(クウォーツ)など特定の結晶に圧力をかけると、かなり安定した頻度で振動させることができることを発見
Ø 1883    鉄道運行の便宜のため地域ごとに50種類あった時間を4種類に変更 ⇒ 広大な地域の時刻を統一するために、50の異なる鉄道時間を4つの地域に統一。18831118日は「正午が2回ある日」と呼ばれる
Ø 1884    グリニッジ標準時が国際標準時となる ⇒ 正確に時刻を知る方法は、太陽を見ることではなく、グリニッジからくる電気パルスとなる
Ø Early 1900s 原子の発見 ⇒ 時間測定の特性で不思議なのは、科学の1分野にきちんと属していないこと。それどころか、計時能力は躍進するたびに、ある分野から別の分野へと引き継がれている。日時計から振り子時計への転換は、天文学から物理学(力学)への転換に支えられているし、次は電気機械技術に依存
Ø 1903    マリー・キュリーが放射線の研究の功績でノーベル賞受賞
夫のピエール・キュリーは炭素年代測定法の可能性に気づく
Ø 1920s   無線伝送にクォーツが使われる ⇒ 1880年代に発見された、石英結晶の「等しい時間」で伸び縮みする能力を応用し、無線伝送を安定した周波数に固定する
Ø 1928    クォーツを使った時計を開発 ⇒ 1日に1000分の1秒しか狂わないが、地球の自転自体1日を正確に規定できるほど一定ではなかったことがわかる
Ø 1930    アメリカの標準時をクォーツ時計で合わせるようになる
Ø Late 1940s 炭素年代測定法が確立される
Ø Mid 1950s    原子時計を製造 ⇒ 20世紀初頭の原子の発見が原子力発電と水素爆弾につながると同時に、人類が知る限り最も安定した振動子であることも発見。地球の自転より何十倍も信頼できるリズムを刻む時計の発明につながる。ナノ秒まで計測
Ø 1967    原子秒の正確な測定の成功により国際度量衡総会にて時間の定義を変更 ⇒ 1日は地球が1回転するのにかかる時間ではなく、86,400原子秒であり、世界中に270台ある同時刻に合わせた原子時計が刻むこととされた
Ø Around 1970s      大衆市場向けにクォーツを使った腕時計が誕生
Ø NOW    人工衛星に格納された24個の原子時計のネットワークを使ったGPS(全地球測位システム)で自分の位置を割り出せる ⇒ 原子時間の誕生で日常生活が根本的に変わる。3つの異なる衛星からの時間によって正確な位置を計算できる

第6章       
Ø  Over 100,000yrs ago     人間が初めて火を制御して使いこなすようになる
10万年ごとに広がったり後退する氷河
宇宙から見ると、人工的な光の出現は地球史上、6500万年前に小惑星の衝突によって加熱した灰と塵と雲に覆われて以来、唯一最大の変化
人工光に関して不思議なのは、10万年以上前に人間が初めて火を制御して使いこなした時に最初のテクノロジーを用いて生まれたことを考えると、それから何世紀もの間テクノロジーとして停滞していたこと
産業時代の夜明けまで、一般の人々は獣脂ロウソクを作って明かりとした
Ø  Around 1712 マッコウクジラが発見され、その脳油でロウソクがつくられる ⇒ 嵐でナンタケット島に打ち上げられた50tの鯨の頭骨内に1900リットルの脳油が獣脂に取って代わる
Ø  1802   初期の電池と白金のフィラメントで数分間明るく燃やすことに成功 ⇒ 化石燃料の最初の商業用途は光だが、鯨油同様極端に高価
1800年の平均賃金で1時間働くと10分間の人工光を買うことができた。1880年の石油ランプでは、同じ1時間働いて3時間の読書ができた。現在1時間の賃金で人工光を300日分買うことができる
Ø  1830s 世界で初めて銀板写真法で撮られた写真がプリントされる
Ø  1841   白熱電球の特許が認められる
Ø  1861   ギザのピラミッドでフラッシュ撮影の原型が発明される ⇒ マグネシウムを普通の火薬と混ぜて起こす小爆発の閃光を利用して「王の間」の壁を撮る
Ø  1879   エジソンが「電気ランプ」をつくる ⇒ 電球には3つの基本要素が必要。電流が流れたときに光を放つ何らかのフィラメント、そのフィラメントがすぐに燃え尽きないようにするためのメカニズム、さらに、そもそもその反応を開始させるための電力の供給手段の3つ。1802年に白熱電球が光をともしてから数十人の発明家が挑戦。そのうちの少なくとも半数はエジソンが最終的に辿り着いた基本手法を考え付いている。炭素フィラメントを酸化防止のために真空内に取り付けることによってすぐに燃え尽きないようにしている。エジソンの唯一最大の貢献といえるのは最終的に高価な白金に代わって採用した炭化竹フィラメントで、材料の竹は中国と日本から輸入。エジソンはマーケティングと宣伝に長け、メディアを抱き込んで市場を味方につけたことが成功の背景
Ø  Around 1880 「ブリッツリヒト(フラッシュライト=フラッシュ撮影)」が普及 ⇒ 暗く薄汚い共同住宅における劣悪な住環境をフラッシュで撮った写真が世論を喚起し、アメリカ史上最大の社会改革につながる。1901年のニューヨーク州共同住宅法は、アメリカの進歩主義時代における最初の大改革の1つであり、さらには工場の労働環境をも改善
Ø  End of 1882   エジソンの会社がロウアー・マンハッタンのパール・ストリート地区全体の電灯に電力を供給 ⇒ エジソンは、メンロパークの研究所に専門分野も国籍も多様な技術者を集めチームをつくったが、これこそ20世紀に目立つようになった学際的な研究開発ラボの先駆けであり、発明のためのシステム全体を発明したといえる。さらに研究者には株で報酬を払うことも考案。このチームの輝かしい成功がパール・ストリートでの電気の供給で、複数のイノベーションのネットワークがすべて繋がったからこそ、電灯の魔法が安全になり入手し易くなった
Ø  1898   H.G.ウェルズは、小説『宇宙戦争』の中で火星人が熱線を使う様子を描写
Ø  Late 19th C    化石燃料を使った新しいランプの明るさにより雑誌や新聞の発行数が爆発的に増加
Ø  Early 20th C   化石燃料が生活の中心になる/ネオンを電球に応用 ⇒ 空気を液化するシステムで液体窒素と酸素を作る際にできる廃棄物がネオン=希ガス。そこに電流を通すと色がつく。ほかの希ガスでもいろいろな色が出て、白熱電球より5倍以上も明るいことが判明、ガラス管に希ガスを注入して発光させ看板に活用することを思いつく
Ø  Early 1920s   看板制作会社がネオンサインの大規模な新規ビジネスを起ち上げる
Ø  Late 1950s    レーザー光線が現実につくられる ⇒ 1898年の小説の世界が現実に。SF作家が科学者の先を行く
Ø  1950s バーコードの前身となる光学的コードがデザインされる
Ø  1974   レーザー技術を応用したバーコードスキャナーが実用化される ⇒ 4年後になってもスキャナーを備えた店は1%で、普及は遅かった
Ø  NOW   レーザーを利用して持続可能なクリーンエネルギーの供給源をつくる研究が進む ⇒ 192本のレーザーが水素を圧縮する時、燃料球は太陽の核よりも熱い太陽系で最も熱い場所になる。まだ大規模に効率よく再現するには至らないが、いずれ無限のエネルギー源を手に入れることができるのではないか

第7章        タイムトラベラー
ほとんどのイノベーションは現在時制の隣接可能領域で起こり、その時利用可能な道具や概念と連動する。しかしときに、個人や集団がまるでタイムトラベルのような飛躍をする。どうして彼らが隣接可能領域の境界の向こうを見ることができるのか? それが最大の謎
タイムトラベルをする天才の中には純粋に知的力量からそうなる人もいるが、アイディアが展開される環境、あるいは思考を方向づける関心や影響のネットワークからもタイムトラベラーは生まれる
彼らに共通する要素があるとしたら、それは彼らが表向きの専門分野の余白、あるいはまったく異なる領域の交点で仕事をしていたこと
境界は地理的な場合もあれば、概念的な場合もある
タイムトラベラーは多趣味の傾向があり、様々な分野の専門知識の「異系交配」が達者 ⇒ ダーウィンとラン
ガレージが発明家の作業場の代名詞になった理由の1つは、いつも仕事や研究に使われる場所の外にあるからで、1つの分野や産業に規定されず、知的ネットワークが集約する空間となったこと
イノベーションの歴史=タイムトラベラーの歴史からわかることがあるとしたら、それは自分自身に誠実であるだけでは不十分で、直感を疑い、地図に載っていない領域を探った方がいい。同じルーチンに収まっているのではなく、新しいつながりを作る方がいい。世界を少しよくしたければ、集中と決意が必要。1つの領域内にとどまり、隣接可能領域の新しい扉を1度に1つづつ開ける必要がある



世界をつくった6つの革命の物語 スティーブン・ジョンソン著 無意識のまま進む連鎖たどる
2016/10/2 3:30 情報元
日本経済新聞 朝刊
フォームの終わり
 「風が吹けば桶(おけ)屋がもうかる」。定番の古い小咄(こばなし)だ。
 このプロットを、科学技術と社会の歴史的関係に当てはめてみる。これが本書の戦略である。
 ただし、笑い話などではない。純粋に学問的な本なのだ。扱うのは「ガラス」「冷たさ」「音」「清潔」「時間」「光」。6つの項目だ。
 それぞれの「発見」にはじまり、「技術改良」を経て、社会にかかわってゆくようすを、多くの逸話をまじえ、時系列にそって、歴史絵巻さながらパノラマ的に総覧してゆく。
 著者の視座は領域横断的だ。
 たとえば、物理学なり生物学なり、ひとつの自然科学分野で発見された知見が、狭い専門領域を脱し、ひろく社会に出てゆく。そうしたなかで、市民的価値観であるとか、社会の常識などといったものに、陰に陽に改変をせまる。そしてまた反対に、科学技術イメージの方も、社会がもつ文化資本から、ひとかたならぬ影響をうける。しかも、知らず知らずのうちに。
 こうした双方向的なイメージ授受の関係を、歴史的かつ批判的に追ってゆく。これが本書の狙いだ。
 たとえば「冷たさ」。まずは、天然氷との出合いが語られる。そして、製氷技術の開発や人工冷却装置の誕生を経て、冷たさを日常的にコントロールできるようになった社会に言及し、そこにおける、氷・冷気・製氷をめぐるさまざまな表象世界の内部構造を指摘する。
 いわば、科学の社会受容史。そんな趣がある。
 だが見誤ってはいけない。著者の目論見(もくろみ)は、そこで終わるのではない。
 著者が真にあぶりだしたかったのは、こうした社会的表象の連鎖が、いかに多様なものであり、いかに無意識のうちに進行するものであり、だから、放っておけばいかに危険なものになるかという潜在的可能性である。
 製氷技術の誕生により影響を受けるのは、なにも直接氷にまつわる領域ばかりではない。精子バンクの現実性、家族観の根本的変容、生命倫理のジレンマなど、およそ黎明(れいめい)期には夢想だにできなかった次元にまで、影響をあたえてしまう。そんな間接的連鎖を認識することの重要性である。
 たんなるカオス理論の「バタフライ効果」としてではない。学際的分析の労をいとわず、最後まで論証可能性を信じて探究する。そんな醍醐味が伝わる一冊である。
原題=HOW WE GOT TO NOW
(大田直子訳、朝日新聞出版・1900円)
▼著者は米国の作家。著書に『ピア』『イノベーションのアイデアを生み出す七つの法則』など。
《評》早稲田大学教授 原 克

『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』 グーテンベルクがインターネットの生みの親?

村上 20160822
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作者:スティーブン・ジョンソン 翻訳:大田直子
出版社:朝日新聞出版
発売日:2016-08-05
体重わずか数グラムのハチドリは、ほとんどの鳥が真似することも困難なホバリングをすることができる。空中の定位置に留まるためには、羽を打ち上げるときも打ち下げるときも揚力を発生さるような、回転可能な羽を進化させる必要がある。ハチドリがこの独特なデザインの羽を持つようになったのは、花蜜を吸うためであると考えられる。ホバリングは、花蜜を取り出すために威力を発揮し、ハチドリの小さな身体に十分な栄養をもたらすのだ。
ハチドリの羽の進化を促した花蜜は、顕花植物と昆虫の共進化の産物である。花は花粉を昆虫に運んでもらうために色やにおいを進化させ、昆虫は花からより多くの花粉を取り出して他の花に受粉させるような装備を進化させた。この植物と昆虫の共進化の果てに、高密度なエネルギーをもつ花蜜が生まれ、その花蜜を栄養源とするハチドリへと至ったのだ。
著者は、このようなイノベーションの連鎖を「ハチドリ効果」と呼ぶ。これはカオス理論の「バタフライ効果」とは異なる。バタフライ効果による連鎖の因果関係は説明がつかないが、ハチドリ効果の影響はより明確なのである。花蜜の存在は、明らかにハチドリの姿に影響を与えている。花蜜の誕生はハチドリへの進化を約束するものではないが、その可能性を間違いなく切り開いた。
本書では、このように「ある分野のイノベーション、またはイノベーション群が、最終的に、まるでちがうように思われる領域に変化を引き起こ」した6つの物語が紹介され、人類がどのように現代のテクノロジーを手にしたかを明らかにしていく。グーテンベルクによる印刷機の発明はインターネットへ繋がり、冷房の発明がアメリカ大統領選挙の結果を変え、衛生観念の発達が高性能マイクロプロセッサをもたらしたと著者は言う。なんとも突飛に思えるこれらの因果の鎖を、著者は巧みなストーリーテリング能力で繋げていく。6つのテーマ(「ガラス」「冷たさ」「音」「清潔」「時間」「光」)のどれから読み始めても、好奇心をくすぐってやまないエピソードが満載で、テクノロジー進化の歴史を楽しみながら知ることができる。
グーテンベルクの印刷機が世の中を大きく変えたことは誰もが認めるところだが、この発明が人類のある弱点を浮き彫りにしたことはあまり知られていない。その弱点とは遠視である。文字がびっしりつまった印刷物を手にするまで、多くの人々は自身が遠視であることを知らなかった。文字を読みたいという新たな欲求は、眼鏡の需要を急増させ、それまでは珍しかったレンズが大量に製造された。この一連の流れはレンズ製造技術を格段に向上させ、顕微鏡や望遠鏡の発明へと繋がっていく。ハチドリ効果は、ある分野のイノベーションが他分野の技術の欠陥(この場合は人間の遠視)を顕在化させ、また別の分野でのイノベーションを誘発することでもたらされる場合がある。
ハチドリ効果はまた、「何かを測定する能力の劇的な向上と、測定のためにつくられた道具の改善」によって発生することが多い。19世紀の物理学者チャールズ・ヴァーノン・ボーイズは、繊細な物理効果の測定方法を追い求めてガラスに目をつけた。ボーイズは熱して軟らかくなったガラスを矢にくっつけて、その矢を的に向けて放つことで、極細のガラスを手に入れる。こうして得られたガラスの繊維は想定外なことに、同じ太さの鋼鉄線と同等以上の強度を示し、それまで注目されることのなかったガラスの強さという特性が利用されるきっかけとなった。これは今ではガラスファイバーと呼ばれ、断熱材、ヘルメットや回路基板などに利用され、現代社会に欠かせない存在となっている。
ガラスの進化はここでは終らない。1970年代にそれまでの常識を超えるほどに透明なガラスが発明され、レーザー光線と掛けあわせることによって、地球規模のインターネットを支える光ファイバーが現実のものとなったのだ。グーテンベルクがいなければ、印刷技術がこの世に誕生しなければ、ガラス技術は成熟することはなく、インターネットも現在のものとは大きく異なっていたのかもしれない。今の世界は、このようなハチドリ効果が無数に重なりあうことで形作られている。
本書は、6つのストーリーの具体的なエピソードを軸に進んでいくが、どのような環境でイノベーションの連鎖が発生するのか、イノベーターにはとのような特性が必要なのかという俯瞰した視点での議論も行われている。変化のスピードが加速度的に増している現代で、変化に振り回されるのではなく、「どの努力を促進するべきか、どの利益はわずかなコストにも値しないか、判断するための価値体系」を築き上げるためのヒントが満載な一冊だ。



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