1493 世界を変えた大陸間の「交換」  Charles C. Mann  2016.10.5.

2016.10.5. 1493 世界を変えた大陸間の「交換」
1493:Uncovering the New World Columbus Created    2011

著者 Charles C. Mann ジャーナリスト、サイエンスライター。『アトランティック・マンスリー』誌、『サイエンス』誌などに特集記事を寄稿。ナショナル・マガジン・アワードに3度ノミネート。米国物理学会、アルフレッド・P・スローン財団などの機関から数々の賞を受賞。前作『1491』は全米の話題をさらい、米国科学アカデミー・コミュニケーション賞受賞。続編にあたる本書もベストセラー入りを果たす。『タイム』誌の2011年度ベスト・ノンフィクション部門で1位を獲得

訳者 布施由紀子 翻訳家。大阪外大英語学科卒。

発行日           2016.3.7. 第1刷発行
発行所           紀伊国屋書店

コロンブスのアメリカ大陸到達後、大陸間で、農作物や動物、昆虫、病原菌、鉱物資源、そして人間が行き交い始めた。本格的なグローバル化が進行していった。前作『1491-先コロンブス期アメリカ大陸を巡る新発見』で「アメリカ大陸史の定説を変えた」「歴史の教科書を書き直すべきだ」と各紙誌に絶賛され、一躍脚光を浴びた敏腕ジャーナリストが再び筆を執り、新たな視点で世界の歩みを振り返った全米ベストセラー


まえがき
最初の2部では、コロンブス交換を成り立たせた2つの要素、別々でありながら実は関連していた大西洋経由、太平洋経由の交換を取り上げる
大西洋の部は、イングランド人がアメリカ大陸に建設した初の永続的な入植地、ジェームズタウンの例を引用。純粋に経済を目的とするベンチャー事業として作られたが、その運命を決したのは、生態系に影響を及ぼす力、とりわけタバコの導入だった。このアマゾン下流域原産の植物は、史上初めて真の意味で世界的なブームを巻き起こした(その次が磁器)
3章では、ボルティモアからブエノスアイレスにかけての地域社会を一変させた外来種、マラリアと黄熱病を発症させる微生物について述べる。ヴァージニアの奴隷制からギアナ地方の貧困まで、この生物が様々な問題を与えた広範な影響を検証した後、アメリカ合衆国の形成にマラリアが果たした役割を概観
2部では太平洋に焦点を移す。スペイン領アメリカから中国へ大量の銀が運ばれたのを契機として、この地域でグローバリゼーションの時代が幕を開ける。まずは都市の歴史を紹介、ボリビアのポトシ、フィリピンのマニラ、中国東南部の月港(げっこう)を取り上げる。これらの都市は世界を繋ぐ主要中継点として経済交換が活発に行われた。こうした交換によってサツマイモとトウモロコシが中国に伝わり。中国の生態系に破壊的な影響をもたらす。典型的なループサイクルに見られるように、こうした生態系の変容が後の政治経済の様態を形作ることとなる。最終的にサツマイモとトウモロコシが中国最後の王朝の盛衰に主要な役どころを演じたし、その後に登場した共産主義王朝でも、小さいがやはり同様にあいまいな役割を果たすことになった
3部では、コロンブス交換が2つの革命に及ぼした影響について考察。1つ目は17世紀末に始まった農業革命で、もう1つは19世紀初めから半ばにかけて進みだした産業革命。2つの伝来種、アンデスからヨーロッパに持ち込まれたジャガイモと、ブラジルから南アジアや東南アジアに密かに移植されたゴムノキに焦点を当てる。両革命とも、西洋の台頭と支配勢力としての勃興を支えた。いずれの革命もコロンブス交換がなければ大きく異なるコースをとったに違いない
4部では、第1部から選んだテーマを取り上げる。人類にとって何よりも重要な交換、奴隷貿易に目を向ける。1700年頃までは、大西洋を渡った人々のうち約90%がアフリカ人捕虜。人口学的に見れば、この大規模な人の移動により、アメリカ大陸の景観の多くが3世紀に亘り、アフリカ人と先住民と両者の混血者に支配されることになった。長らくヨーロッパ人の目に触れなかった彼らの関係は、今明らかになろうとしている人間遺産の重要な一面なのだ
この「赤と黒」(赤はアメリカ先住民の肌の色を指す)の遭遇は、他の出会いを背景として実現。コロンブスに触発され、あまりに多種多様な人々が移住していった結果、現代では珍しくない、世界を内包する多言語使用の巨大都市メキシコシティが史上初めて出現。ありとあらゆる社会階層に寄せ集めの文化が広がる
現代に視点を据える最終章では、こうした交換がなおも続いていくことを示唆

はじめに――均質新世の到来
第1章        ふたつの記念碑
生物史に新しい時代を到来させた人間は、コロンブスただ1
コロンブスのカリブの拠点建設は、ヨーロッパによるアメリカ大陸恒久支配に端緒を開き、グローバリゼーションの幕開けをもたらす。物やサービスが一気に無秩序に交換されていくこの現象は、今日も地球上のすべての人間社会をのみ込んでいる
今から25000万年前、地球上には科学者がパンゲアと呼ぶ陸塊が1つだけあった。これがユーラシアとアメリカという2つの大陸に引き裂かれ、それぞれにまったく異なる種類の動植物が発達していった
コロンブスの唯一の業績は、パンゲアの裂け目をはぎ合わせたこと。1492年以降、世界中の生態系がぶつかり合い、混じり合った。これを「コロンブス交換」という
生態学者にとって、コロンブス交換は、恐竜の絶滅以来最も重大な事件
コロンブスの発見とともに、たくさんの昆虫、植物、哺乳動物、微生物が運ばれてきた
牛、ヒツジ、馬、サトウキビ(ニューギニア産)、コムギ(中東原産)、バナナやコーヒー(ともにアフリカ原産)、ミミズ、蚊、ゴキブリ、ミツバチ、タンポポ、アフリカ原産のイネ科の植物、ネズミなどが上陸し、現地の生態系を破壊して繁殖、生物界に激しい混乱をもたらす
コロンブスは、自ら作った航海用の四分儀で地球の大きさを測り、アメリカ大陸の上陸によって自らの考えの正当性が証明されたと主張、スペイン国王から褒美と名誉と富が与えられ、裕福な男として1506年死去したが、同時に正当性を崩す証拠が明らかとなり、スペイン法廷は彼の特権の大半を無効として閑職に追いやり、怒りと屈辱の内に晩年を送り、メシア信仰にのめり込んで自らを神の使者と名乗ったが、失意の人として死んだ
コロンブスの記念建造物も、1923年に提督の記念碑を建てようという提案がアメリカ大陸各国政府の会議の場で承認されたものの、設計コンペが行われたのはそれから8年後、記念灯台が建ったのはさらに60年後の大陸到達500周年を記念してのことだった
記念碑建設に反対した人々は、コロンブスを「人種の絶滅者」と呼んで非難したが、本書はその考えを理解はするが、間違いだという見解をとる
コロンブス交換による影響は非常に広範で、コロンブスの航海が「均質新世(ホモジェノシーンHomogenocene)」という新時代を切り開いたとする生物学者もいる。コロンブス交換により、元は生態学上全く異なる特徴を持った土地同士が次第に似通ってきた。その意味ではコロンブスが望んだとおり、世界は1つになった。彼の記念灯台は、コロンブスを讃える記念碑ではなく、彼がほぼ偶然に創り出した世界、今日われわれが生きている均質新世の世界を認知した証と考えるべき
均質新世とは、異なる物質を混ぜ合わせてどこをとっても同質の混合物を作り出すことを指す「均質化Homogenizing」が起源
マニラ郊外に建つ忘れ去られた記念碑は、近代のマニラ市を創設したレガスピとスペインの航海士セラインの像。コロンブスが達成できなかった、太平洋を西への航海により中国との継続的な貿易関係を確立するという功績を成し遂げ、グローバリゼーションの起源を公式に認めた証。レガスピが中国を目指してフィリピンに到着したのは1564年、メキシコとボリビアで採掘された銀の延べ棒と貨幣が運ばれ、1570年からフィリピンに進出してきた中国船との交易が活発化。一番の人気は絹と磁器で、後に「ガレオン貿易」と呼ばれ、アジア、ヨーロッパ、アメリカ大陸、そしていくらか間接的にアフリカを結びつけた
中国の宮廷が懸念した通り、ガレオン貿易という中国史上初の統制を受けない大規模な交換によって、中国人の生活に制御不能の大きな変化が起きる  キープレーヤーはアメリカ大陸の穀類、中でもサツマイモとトウモロコシが重要な役割
サツマイモとトウモロコシは乾燥した高地でも栽培できたため、農民たちは、以前は定住することの少なかったそのような地域へ大挙して移住。その結果森林破壊が起こり、浸食が進んで頻繁に洪水が発生、政権を不安定にした
レガスピと中国人との出会いは、アジアにおける均質新世の到来を告げる出来事
コロンブスの航海から150年後、マニラから運ばれた中国の絹が初めてメキシコに到着してから70年後の1642年の世界を見ると、スペインの銀の輪によって結ばれた世界が見える  ボリビアのポトシを主な産地とする銀が、世界の貴金属の貯蔵量を2,3倍にしようとしている。ポトシはアメリカ大陸でもっとも人口の多い最大のコミュニティ。この銀の半分はヨーロッパへと運ばれ、1571年のスペインによるオスマン帝国の侵略を初めとしてヨーロッパに戦争を拡大し、経済的にはインフレ・スパイラルを発生させる。アメリカ渡来の農産物であるトウモロコシやジャガイモ、タバコがヨーロッパ各地で生産される。残りの半分は中国によって吸い上げられた
世界は1550年頃から3世紀に亘り小氷期と呼ばれる寒冷期にあり、人口の多い都市は赤道から30度以内の緯度の熱帯に集中。トップは人類の最も富める社会の基準となった北京、2位はインドのヒンドゥー帝国の首都ヴィジャヤナガルで、両都市とも50万を超えダントツ
数百年後には、富と力のすべてが南から北へと移り、最大級の都市はすべてアメリカ合衆国とヨーロッパに位置する。唯一の例外が東京
生態系や経済面の交換によって引き起こされる混乱は、何百年も前から起きたことであり、それを振り返ることには意義がある

第1部        大西洋の旅
第2章        タバコ海岸
タバコ貿易の副産物として、ヨーロッパからバラストとして積んできた石や土がジェームズタウンで捨てられ、そこにくっついていたミミズが、アメリカ大陸の土壌を入れ替える働きをした
入植者たちが南アメリカ大陸から持ち込んで広めたタバコが、各地で重層的な生態系の破壊につながる
チェサピーク湾は後にタバコ海岸と異名をとることになったように、大量のタバコがヨーロッパへと積み出され、農園経営者は、太陽と水と土だけで巨万の富を手にした
タバコ以外にもイングランド人は、豚、山羊、牛、馬などが持ち込まれ、瞬く間に繁殖、特に豚と西洋ミツバチが現地の生態系を破壊した元凶
こうした破壊が、原住民の繁栄、生存を難しくし、逆にヨーロッパ人は自分たちの活動によって環境がなじみの深いものへと変容  初期均質新世の始まり(1650年頃)
イングランドからボストン、北京に至るまで、国際的なタバコ文化が広まり、人々をのみ込む。ヴァージニアこそがこの世界的現象を生み出す重要な役割を果たした。最終的には、タバコ自体はさほど重要ではなく、大西洋を越えて人間以外の多くの生物を直接的、間接的に結び付ける働きをしたものの中で重要なのは、3日熱マラリア原虫と熱帯熱マラリア原虫の2つで、アメリカ大陸において破壊的な役割を果たした

第3章        悪い空気
コロンブス一行は、当時ヨーロッパで流行していて自らが持ち込んだ3日熱というマラリアに罹患
マラリアは、タバコによって間接的に、そして必然的に、ヴァージニアに持ち込まれ、北アメリカを席巻した。同時に南アジア原産のサトウキビも、マラリアとその相棒である黄熱病をカリブ地方とラテンアメリカにもたらし、プランテーションで働くヨーロッパ人の命を奪ったので、入植者たちは捕獲奴隷という形で労働力を輸入。人間版のコロンブス交換である。要するに、生態系に影響を与える生物の導入が経済的交換の形を決定し、経済的交換がさまざまな政治的な流れを作り出した  13の弱小植民地が強大な宗主国から独立を勝ち取ったのもこれら2つの病のお陰だったと言えば誇張になるが、あながち嘘だとも言えない
マラリアは200種ほどの原虫によって引き起こされる。多種多様な哺乳類などに寄生、そのうち4種が人間を標的にし、その仕事を絶望的にうまくやってのける
160612年、ヴァージニアの海岸低地帯が旱魃に見舞われたため、マラリア感染拡大の条件が完璧に揃い、入植者の1/3が上陸から1年以内に死亡。徐々に免疫を獲得して、1670年頃までには死亡率が10%にまで低下
マラリアは、単に患者を苦しめる以上の影響を及ぼし、文化を歪める歴史的な力となり、社会に問題を投げかけ続けた
病に強い労働力として、マラリアに対して先天性免疫を持つアフリカ西部、中央部の奴隷が集められた
奴隷を通じてアフリカ生まれの黄熱病のウィルスがアメリカ大陸に上陸。症状に黄疸が出るところから「イエロージャック」と呼ばれる。1647年から5年の間猛威を振るう
疫学上の境界線を越えたために罹患した典型的なケースは南北戦争で、ヴァージニアに侵入した北軍兵士の多くにマラリアの症状がみられ、北軍敗北の大きな原因の1つとなっている。独立戦争でもイギリス軍の兵士の半分までがマラリアに侵されて動けなかったという

第2部        太平洋の旅
第4章        通貨を満載した船(絹と銀の交換 その1)
明の永楽帝時代の鄭和が率いた艦船は317隻と他を圧倒(スペインの無敵艦隊でも137)140533年の大航海はアフリカ南部にまで達した
明朝の大半は、海禁令と呼ばれた民間の海上貿易を禁ずる勅令を出したが、逆の勅令も出て、太平洋地域での経済交換が成立し、コロンブス交換を順調に進める下地ができていた
福建省が中国の国際貿易の拠点。厦門の南、九竜江の河口にある月港に明の海軍基地が置かれた
1545年、ボリビアの南端のアンデスの高地で銀鉱脈が発見され、その中心都市ポトシはたちまちにして無法者の町として発展。生産されたスペイン銀は地球上のあらゆる土地に運ばれ、スペインのペソ銀貨が世界通貨となって世界の国々を結びつける役割を果たす

第5章        相思草、番薯、玉米(絹と銀の交換 その2)
銀以外のものも貿易によって太平洋を渡る。先陣を切ったのはタバコ。中国南部の広西で発見されたタバコのパイプは1549年に現地で作られたもの
清代の愛煙家は、タバコを「金糸煙」「相思草」と呼び、タバコが時代の最先端を行く富裕層のステータスシンボルとなった

第3部        世界の中のヨーロッパ
第6章        農工複合体
ジャガイモの原産地はアンデス山脈。現在世界でサトウキビ、小麦、トウモロコシ、米に次ぐ5番目に重要な作物。2か月間ジャガイモだけで生活しても何の健康上の問題もない
穀物より生産性が高い
ヨーロッパへのジャガイモの導入が、歴史上重要な転換点だったと考えられている  ジャガイモの消費の拡大と、ヨーロッパ北部の飢餓の終結時期がほぼ一致する。17501950年に急増した人口をジャガイモが養ったことにより、ほんの一握りのヨーロッパの国が世界の大半に対して支配権を主張できた
長期的に見て同様に重要なのは、ヨーロッパと北米がジャガイモを導入したことにより、近代農家のひな型――農工複合体と呼ばれるもの――が出来上がったこと
農工複合体は、品種改良された作物、施肥効果の高い肥料、工業生産された殺虫剤を3本の柱とするが、3つともコロンブス交換やジャガイモと密接に関係
コロンブス交換は、ヨーロッパと北米に生産性の極めて高いジャガイモを運んだだけでなく、生産性の極めて高いアンデスのジャガイモ栽培技術をも伝えた。これには世界初の施肥効果の高いペルーの肥料グアノも含まれる。同時に運ばれた害虫によってジャガイモ栽培が壊滅状態になった時には、世界初の無機化合物系の殺虫剤が開発された
ジャガイモは生産性が高かったのでカロリーの面でヨーロッパの食糧供給を2倍に増やす効果をもたらし、西洋史上初めて食糧問題の決定的な解決策が見つかったことで、ほぼ定期的に訪れていた飢饉が姿を消す
グアノの時代  リマから南に200km、沖合20kmに浮かぶチンチャ諸島は海鳥が多く生息する花崗岩の島々で、厚さ50mの鳥糞石(グアノ)の層に覆われ、とてつもない臭気を放つ。ペルーにある147か所のグアノの産地の中でも最も重要で最大量のグアノを提供する。グアノに含まれる窒素が疲弊した土地に養分を与える。ヨーロッパに輸入されたのは1841年になってから
濃いアンモニアの濃度の中で働くのは、福建から連れてこられた中国人で、作業場は地獄
現在では、第二次大戦後の「緑の革命」――高収量品種の作物と化学肥料と集約的灌漑システムによって実現した変革――を機に、人類は少なくとも当分の間、小規模農場や地元資源という限界から解放されたと説明する研究者が多いが、グアノ船がヨーロッパと北米に到着した瞬間に始まっていて、それは世界中の生活を次々に変えていった技術革新の第1歩だった
ジャガイモとトウモロコシが伝播する前、効率的な施肥方法が見つかる以前、ヨーロッパの生活水準は、今日のカメルーンやバングラデッシュとほぼ等しく、ボリビアやジンバブエよりも低かった。ヨーロッパの平均的な農民が口にした食べ物の量は、アフリカやアマゾンの狩猟採集社会の人々よりも少なかった。さらには、ヨーロッパで最も集中的に農耕が行われた土壌は、19世紀初めには深刻な疲弊に直面していたと言われ、もしグアノが到着していなければ、ヨーロッパ各地で目を覆うばかりの惨状が出現していただろうという。改良品種の作物を施肥効果の極めて高い肥料を使って栽培する工業的単一栽培は、何十億人もの人々をマルサスの罠から救い出した。1700年代に10億人足らずだった世界の人口は今日70億人にも膨れあがったが、世界全体の生活水準は2倍にも3倍にも向上した
その間にグアノは、ほぼ全面的にチリの砂漠で広大な鉱床から採掘される硝酸ナトリウム(チリ硝石)に取って代わられ、さらに人口肥料へと変わっていく
グアノ貿易は近代的農業誕生のきっかけとなったが、反面、大陸間での病原菌の移動という、予想だにしなかった最悪のコロンブス交換を招く  確かな証拠はないが、ジャガイモ疫病菌がグアノと共にヨーロッパに渡り、1840年代にヨーロッパ中のジャガイモ畑に爆発的に広がり、2百万の命を奪う。うち半数はジャガイモ飢饉と呼ばれたアイルランドの飢饉によって亡くなった
ジャガイモ疫病菌は、卵菌の仲間で、土中に潜って塊茎に侵入、汚染されたジャガイモを廃棄する時にもたくさんの胞子が放出されるので注意が必要。ナス科の植物にも寄生
園芸家にはコロラドハムシと呼ばれた甲虫が、19世紀半ばに米国中西部で突然変異を起こしてジャガイモに巣くうようになった
世界に広がるジャガイモ農場は、どこもよく似通っていて、まさに均質新世の象徴であり、病原菌の繁殖にはもってこい

19世紀末には虫害の嵐が吹き荒れた  ワタミハナゾウムシはメキシコから米国南部に侵入して綿花に甚大な被害を与え、オーストラリア原産のワタフキカイガラムシはカリフォルニアの柑橘生産業を壊滅に追い込み、ヨーロッパ原産の外来種ニレハムシは、米国ミシシッピ以東のニレをほぼ絶滅させ、米国のブドウアブラムシがフランス、イタリア全土のブドウ園に致命的な損害をもたらす

ヨーロッパ産のブドウを、アブラムシに抵抗力を持つアメリカ産のブドウの根に接ぎ木する方法で、ブドウは回復したが、ジャガイモの場合はパリスグリーンという18世紀終わり頃に開発されたヒ素と銅を主原料とする顔料が効果を発揮、他の害虫にもヒ素が応用された

コロラドハムシは、極めて遺伝的多様性を持った種で、ヒ素への耐性を獲得、新たなヒ素肥料の開発と鼬ごっこを繰り返す  化学物質の使用が逆効果となって、殺虫剤が標的害虫によって繁殖を抑えられていた「二次性害虫」の数を増やすことが考えられ、1つのシステムのせいで食糧生産が毒を撒き散らす行為に変わる恐れがある

今ではそこに大量販売店で買った「中国産のトマト」の種に疫病菌がくっついているかもしれない


第7章        黒い金
中国最南端、ラオス近くの村に45年前に植えられたパンゴムノキが天然ゴムを産出
原産はブラジルとボリビアの国境地帯のアマゾン盆地で、1500年代初めゴムノキから樹液を採取して様々な製品が作られたが、欧米で本格的に詳しい研究が始まったのは1740年代に入ってから
1820年代、ゴム製のオーバーシューズが発明されて、ようやく日の目を見る
「ゴム・フィーバー」として知られる社会現象の中心地はボストンの北にあるセーラムで、1825年ブラジルからゴム靴やゴム製の衣類を輸入、新しい素材にたちまちフィーバーしたが、ほどなく寒いときにはひび割れし、暑いときには溶けてしまい、悪臭を放つ黒い水溜りと化した
1833年、破産したビジネスマン・グッドイヤーが、赤貧の中でゴムの加工の研究を続け、硫黄処理を施すと高温でも形と伸縮性を保った新種のゴムに変わることを発見
マンチェスターの技師トマス・ハンコックが、偶然そのゴムの破片から同じ性質を発見して1844年イギリス政府から特許をとる。その3週間後、米国政府がグッドイヤーに加硫の特許を与える
グッドイヤーは、1851年ロンドンで開催された初の万国博と4年後のパリ万博で、全てゴムでできた部屋を展示、大成功を収めナポレオン3世からレジオン・ドヌール勲章を授けられたが、借金のために獄中での受賞となった
アメリカでは、立志伝中の人とみなされ、大手タイヤメーカーは彼の名を社名にした
ハンコックは、生前は正当に敬意を表されたが、死ぬ頃には名声が薄れ、1世紀経った頃に切手が発行された
両者とも、加硫の効果や、天然ゴムの伸縮する性質などの理由はわかっていなかった
19世紀後半は、化学が急成長を遂げた時代だったが、ゴムの結晶を作り出すことができなかった  炭素原子と水素原子からできていることはわかったが、両者が何万個も固まって巨大な分子を作っていたので、そもそもその現象が理解できなかった
1次大戦中にドイツの科学者シュタウディンガーは、コーヒーと胡椒の基本的な風味の化学構造式を導き出していた(インスタントコーヒーを普及させた責任は彼にある)が、全く畑違いのゴムの研究に没頭し、ゴムをとてつもなく大きな分子の基本的構成要素とした物質だとして「高分子化合物」と名付け、長い鎖のような分子でできていることを証明。1953年ノーベル化学賞受賞。ゴムの分子は全て炭素原子5個と水素原子8個からなるリングが何万個も連結してもので、鎖同士が互いに巻付き合っているために引っ張ると整然と並び、緩めると分子がでたらめに動くので元通りもつれてくる。加硫の衝撃は大きく、タイヤがその好例だし、絶縁材として電化の発展を支えた
産業革命には3つの基本的な原料が必要で、それは鋼鉄と化石燃料とゴム  西欧諸国では鋼鉄と化石燃料はいくらでも入手できたので、ゴムの供給を安定させる必要があった
アマゾンには、ゴム生産の利益を求めて無数の人が立ち入り
ラオスの、ミヤンマー、中国の国境地帯は、古くからアヘンやヘロインの密造地帯として悪名を馳せてきたが、1999年に中国企業が侵入してきてゴム農園を作り始めた  コロンブス交換の意図的仲介人
アマゾンでは、南米葉枯病菌によってゴムノキに甚大な被害が発生。コロンブス交換によって東南アジアに被害が及ぶのは時間の問題

第4部        世界の中のアフリカ
第8章        具だくさんのスープ
これまでの各章では、研究者たちのコロンブス交換の捉え方がどのように変化してきたかを見てきた
2章、3章では、アメリア大陸への顕微鏡レベルの侵入が最も深刻な影響を引き起こした。最初は、先住民社会の人口を激減させた病気が上陸し、次にプランテーションに奴隷を導入するきっかけとなったマラリアと黄熱病が入ってきた
4章、5章では、太平洋地域でアメリカ大陸原産の食用作物が海を渡ったことで人口が増加し、間接的に広範な環境問題を招くことになった
6章、7章では、18世紀の農業革命と19世紀の産業革命においてコロンブス交換が何らかの役割を果たしたと環境史学者が考えるようになった過程を辿った
人類は、コロンブス交換を引き起こしただけではなく、その流れに翻弄されもしたが、本章のテーマは我々自身の種の中での変動である
1492年を境に、前例のないホモ・サピエンスの再編、即ちヒトのコロンブス交換が始まった
この動きに影響を与えたのは、アフリカ人の奴隷貿易。15001840年に捕らえられアメリカ大陸に送られたアフリカ人は1,170万人、同時期に移住したヨーロッパ人は340万人。数千万いた原住民の世界を彼らが席巻し、アメリカ大陸を作り変えたので、奴隷制こそ、近代アメリカ大陸の基礎をなす制度
ホモ・サピエンスが地球全体に散らばる契機となったアフリカからの大移動は、過去に2度  最初が7万年前に人類がその誕生の地アフリカ東部平原地方から始めて旅立った時であり、2度目が大西洋間奴隷貿易が行われたこの時期
本章では、アフリカ人の強制移住を加速させる主な起動力となったプランテーション奴隷制度と、奴隷制度が期せずしてもたらした驚くべき文化の融合にスポットを当てる
次章では、アメリカ大陸の2大集団となった先住民とアフリカ人との交流を取り上げる。両者はヨーロッパ人への抵抗を共通項として手を結び、大陸全土を揺るがす反乱となり、その影響は今日もなお続いている
メキシコシティは、海を越えてやってきた子孫が住民の大半を占める初の都市複合体であり、ヒトのコロンブス交換によって作られた社会
15501650年、メキシコとブラジルで砂糖生産量が急増したことが、アフリカ人奴隷のアメリカ大陸進出に門戸を開く契機となり、65万のアフリカ人奴隷が上陸
ヨーロッパ人とインディオとの異人種間結婚が始まり、混血社会がカリブからアメリカ大陸全土に広がる。エリート層のインディオは娘をスペイン人に嫁がせてキリスト教式の結婚をさせれば、自分たちの地位を強化できると考え、一方地位の低いスペイン人でも先住民女性と結婚しさえすれば身分の高いインディオの管理下にある品物や労働者を自由にできた
人種の融合はまずトップから始まる

第9章        逃亡者の森
自由を求めて逃亡する奴隷の多くがブラジルの森の中でキロンボと呼ばれる逃亡奴隷のコミュニティを作る。そこにはヨーロッパ人奴隷商に狙われたインディオも加わり、長年にわたって違法な混血集落が存在し続けた
メキシコでは、スペイン人の銀輸送路がアフリカ人に脅かされ、全面的な反乱へと拡大、法的な自由を勝ち取るまでになっていく
最大の成功は、18世紀グアテマラの太平洋岸で達成。奴隷制の完全な廃止を勝ち取る
中南米に比べてアメリカ合衆国で混血が進まなかったのは、奴隷はメイソン=ディクソン線の北へ行けば完全に自由の身になれたことと、慣れない温帯の生態系の中で生き延びていくのはより困難だったから

結び――命の流れ
第10章     ブララカオにて
フィリピンの島でコロンブス交換の今の姿を見て、将来を思いやる









1493 チャールズ・C・マン著 動植物などの移動、伝播を重視
2016.3.27. 日本経済新聞
フォームの終わり
 15世紀末以来、病原菌から原材料や食糧、エネルギー源となる動植物、さらには奴隷を含む人間までが、大陸間を相互に移動・伝播(でんぱ)した。この歴史的事実は、A・クロスビーの名著『ヨーロッパ帝国主義の謎』以来、「コロンブス交換」として知られている。ヨーロッパはその結果、ジャガイモや砂糖や茶、コーヒー、綿花などを獲得した。
http://www.nikkei.com/content/pic/20160327/96959999889DEBEAEBE3E1EBE7E2E0E4E2E1E0E2E3E49F8BE5E2E2E2-DSKKZO9891396026032016MY7000-PN1-1.jpg
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 本書は、以後の膨大な研究成果をふまえた、いわばクロスビーの著作の改訂版である。
 同時に、それは「コロンブス交換」以前の世界を描いた、自著『1491』の続編でもある。
 全体としての著者の議論には、二つの含意がある。ひとつは、コロンブス以前の各大陸には、それぞれに優劣のつけがたい生活文化があったのだということ、つまり、ヨーロッパ中心的な歴史観への警鐘である。
 また、「コロンブス交換」以後の動植物の移動と「相互伝播」の重要性を主張する本書は、必然的に資源・エネルギーにかかわる人類学的・生態学的な歴史観の好例となっている。
 いまひとつの含意は、「世界の一体化」の起点が、「大航海」時代にある、という主張である。それまでにも、大陸間でこうした「交換」が皆無だったわけではないが、動植物の相互伝播が、プランテーションの展開などをつうじて、関係するすべての社会の構造と生態環境を一変させたのは、「大航海」以後の現象だということである。
 西洋諸国の工業化や金融経済の台頭ではなく、「大航海」時代こそが重要だとする点は、世界史的な視点に立つ歴史学のなかでも、同じ生態環境論的な立場のポメランツより、ウォーラーステインに近いといえる。
 もっとも、本書は堅苦しい歴史論理を展開しているわけではない。論調は、科学的というよりは、記述的・文学的で、大著にもかかわらず、きわめて読みやすい。
 植物を中心にさまざまなモノが扱われているが、白眉というべきは、ゴムノキにかかわる考察であろう。近代の技術革新にとって大きな意味があったことも、経済的に重要だったことも分かっていながら、比較的分析されることの少なかったモノのひとつであるだけに、フィールドワークの成果をふんだんに盛り込んだこの部分の記述は迫力がある。
 「世界の一体化」の過程を重視する「グローバル・ヒストリー」や、歴史学と生態環境論との境界領域のあり方を示す、奥深い一書でもある。
原題=1493
(布施由紀子訳、紀伊国屋書店・3600円)
▼著者はジャーナリスト、サイエンスライター。著書に『1491』など。
《評》大阪大学名誉教授
川北 稔


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