指紋と近代  高野麻子  2016.9.4.


2016.9.4. 指紋と近代 移動する身体の管理と統治の技法



著者 高野麻子 1981年東京生まれ。一橋大大学院社会学研究科地球社会研究専攻修士課程修了、同博士課程単位取得退学。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現在明治薬科大薬学部講師。専門は歴史社会学、移動研究



発行日           2016.2.9. 印刷       2.19. 発行

発行所           みすず書房



現在、「生体認証技術biometrics」と総称され、あらゆる身体的特徴を利用した個人認証技術の開発が進められているが、指紋はその草分け的存在

指紋によって個人を識別する「指紋法」という技術は、19世紀末のイギリスの植民地インドで実用化され、瞬く間にヨーロッパ諸国とそれらの植民地、そして日本を経由して傀儡国家「滿洲国」に伝わった。コンピュータ・テクノロジと無縁の時代に、膨大な労力と資金を費やして指紋法が採用された理由、この方法でなければ解決できなかった問題とは、何だったのだろうか

この問いを考えるうえで、本書では移動する身体の管理に着目する。なぜなら指紋法が使用される背景には、共通して、放浪生活を営む人々、偽名を使って移動を繰り返す犯罪者、国境を越えて往来する移民がいたからだ。指紋法は移動する人々を、国家や植民地統治者が把握、管理可能な状態に置くための統治の技法だった

その後、指紋法の運用が軌道に乗ると、移動する人々だけでなく、領土内の全住民を指紋登録によって完全に管理することが統治者の夢となり、国民国家の形成、再編の局面で繰り返し大規模な指紋登録が議論された。1950年頃から約20年間続いた愛知県民指紋登録はその一例である

一体、近代的統治は何を目指そうとしたのか。そこにはどのような暴力が内在しているのか。本書は、指紋法による身体管理の歴史的変遷から、これらの問いを明らかにしようとするもの





序章 指紋をめぐる問い

指紋が、様々なイメージと経験とともに想起されるのは、個人の識別に利用されているから。静脈、虹彩、声紋、顔貌、歩容などを利用した個人認証技術開発の中で、指紋は草分け的存在

指紋の特徴は、「終生不変」と「万人不同」で、個人の識別を可能にしている

何らかの目的の下で、個人は個体として識別され、導き出された情報に基づいて意味や資格を付与されるもので、誰が、何の目的で、誰を識別するのか、という一連の実践には権力が作動し、それは闘争を引き起こす可能性を常に孕んでいる

「指紋法」という技術  10本の指の指紋を、紋様の種類や降線の数に基づいて記号や数値化することで、分類、検索を可能にした

開発当初は10指指紋法。10本揃わない場合のために1指指紋法が開発された

移動する身体の管理には、指紋法でなければならなかった

近代が掲げた移動の自由とは、法的に制度化され、国家がその管理を独占することで成り立ちうるもの。定住を「常態」とした統治と移動の自由は相互補完的な関係

「滿洲国」では、世界初の完璧な国民管理システムとして、全国民への指紋登録が議論されたが、建国の混乱の中で実現せず

近代的統治は、いったい何を目指そうとしたのか、その過程で何を「問題」とし、指紋法という新たな技法を必要としたのか、指紋法を適用された身体は何を経験したのか。指紋法という指先の微細な紋様を判断することから見えてくる身体管理の在り方を歴史的に辿ることにより、これらの問いに答えていきたい



第1章        「指紋法」誕生の軌跡――イギリス帝国のネットワークと移動する身体という「課題」

中央区明石町に「指紋研究発祥の地」の石碑  1874年スコットランド系医療伝道団として来日したヘンリー・フォールズが、大森貝塚で採取した土器に付着した指紋に興味を持って収集し始めたのが契機。1880年『ネイチャー』誌に「手の皮膚小溝について」と題する論文を投稿。犯罪捜査への利用を示唆していたが、注目されることはなかった

イギリスはインドの統治において、署名の代わりに指紋押捺を行政事務に導入

1858年、インドでの道路建設用資材購入の契約書に、イギリス側が署名に代わって右手の掌紋を押させたのが始まり  契約不履行防止のためで、「万人不同」の特徴を知って利用しようとしたものではない

1871年、イギリスの直轄統治下のインドで犯罪部族法が成立、犯罪部族と指定された部族の管理方法として当時フランスの行刑制度として採用されていた身体の特徴11か所を測定して個人を識別する方法を採用

原点にあるのは、産業と交通の発展によって可能となった人の移動の速度に抗して、より効率的にしかも確実に犯罪者を管理する方法の開発であり、同時に都市部の非定住者を克服するための手段として活用

優生学的見地から指紋に関心を持ったのがイギリスのゴルトン。85年に『ネイチャー』の論文を入手、万人不同と終生不変が保証され、97年には人体測定法に代わって指紋がより正確な個人認証技術として使われるようになった

指紋法の有用性を実証するために南アフリカで実験が行われたのち、1901年にはイギリス本国でもスコットランド・ヤードで指紋法が採用



第2章        指紋法の伝播――イギリス帝国から日本帝国へ

1908年 日本に指紋法導入  刑法の全面的改正に伴い、累犯加重や累犯期間に関する規定が厳しさを増し、個人識別法の導入が早急に求められた

1924年 満鉄支配下の撫順炭鉱の労務者管理に最初の大規模な指紋登録  目的は、炭鉱労働者の移動の抑止であり、雇用者側の連携強化による不良者の自然淘汰、さらには労働者の素質の向上にも繋がるとされた



第3章        滿洲国の理想と現実――建国当初の指紋登録をめぐる動き

1932年 滿洲国建国と同時に、完璧な国民管理システムとして戸籍法に指紋法導入を企図  実際の指紋登録開始は1938年の労働者登録から

目的は2つ。対外的な国家承認に向けた国内の体制の整備と、滿洲事変から続く反満抗日勢力による治安悪化への対策

頓挫したのは、国民を確定し把握するうえで基盤となる国籍法制定や住民登録制度実施における困難性にあり、結局1934年警察指紋から開始

労務管理の必要性から労働者指紋管理法案成立



第4章        労働者指紋登録の開始――労働者移動と格闘する時代へ

1936年 滿洲国では重工業化へ向けた経済建設計画が始まり、労働力過剰地が一転して不足状態となり、入満を統制されていた中国からの出稼ぎ労働者の奨励と、国内労働者の管理が急務となり、これまで対外的に行われていた労働統制が一気に内側へと集中し、法制度や統制機関の整備が一斉に進められる

38年からの2年間で270万枚の指紋原紙が集められたが、実際に管理可能だったかは疑問。最終的には国民登録制度へと行きつく



第5章        労働者管理から国民登録へ――国民手帳法という結末の意味

第6章        警察制度改革と拡大する指紋――警察指紋・県民指紋登録

1961年 警察庁による優良指紋鑑識職員の表彰  受賞者の多くが渡満組

1950年頃から全国で県民指紋登録が実施されたが、大半は短期間で消滅

1969年 愛知県警の鑑識課が県民の半数に及ぶ246万人の指紋を保管していることが判明。同時に、過去20年にわたって県内中学校3年生を対象に、任意とはいえ保護者の承諾もなしに、指紋登録が実施されていたことが父兄からの指摘で発覚

戦後の警察制度の再編に伴い浮上した大規模な住民の指紋登録が漸く姿を消す



第7章        戦後日本の再編と指紋――戸籍法・住民登録法・外国人登録法

1949年 衆議院法務委員会で議論された国民指紋法も、犯罪捜査を主な目的として全国各地で実施された県民指紋登録もまた、法制化には至らなかったが、住民登録法において指紋押捺構想が浮上するとともに、外国人登録法でも指紋押捺が検討され、住民登録では実施に至らなかったが、外国人登録では1955年から適用された

1952年、対日講和条約発効の日に施行された外国人登録法の対象者の9割は植民地出身の在日韓国・朝鮮人であり、彼らは国籍選択の機会を与えられることなく日本国籍を喪失し、一律「外国人」とされ、外登法の下で登録を要求され、1955年以降は14歳以上には原則として人差し指の指紋押捺が義務付けられた  日本帝国という「例外」状態から「正常」な日本へ回帰しようとする植民地主義の忘却に他ならないが、同時に在日韓国・朝鮮人にとって外登法は植民地主義の継続そのものであり、指紋押捺は抑圧や差別の象徴として彼らの身体に深い傷を刻み込んだ

1948年、新戸籍法では欧米流の個人別編製とはならず、夫婦と氏を同じくする未婚の子を単位とする点で、依然として親族に基づく登録であり、「本籍地」という概念も温存、民法改正の下で「家」制度は廃止されたが、親族関係と本籍地に基づく身分登録は継続し、戸籍制度が持つ根本的な構造は変わらなかった

植民地出身者には、日本国籍を与えたが、内地の戸籍法は適用されなかった  戸籍に代わるものとして指紋押捺が考えられた

戦後、戸籍法が身分登録制度として残されたことから、これとは別に実際の居住関係を把握する制度も必要となり、1951年住民登録法制定  戸籍法は身分関係の登録・公証制度となり、居住関係の登録は住民登録法が担うことで役割分担ができた

1999年、外登法に基づく指紋押捺制度廃止



終章 生体認証技術の現在を考えるために

コンピュータ・テクノロジへの依拠  自動指紋識別システムの開発により、指紋でなければならない理由が問われている

グローバルな要請  指紋法では全国民が対象とされたが、近代国民国家の変容の下で、国境を越えたグローバルな動きへの対応が求められる。国境を越える移動に対し、「リスク」とされる人物を世界中で監視するというグローバルな要請によって入国管理システムの指紋認証が実施されている

監視社会  政府に限らず社会のあらゆる部門に監視活動が浸透、住民の情報を収集・管理・利用する主体は国家に留まらない

生体認証技術の多様化  顔認証は監視カメラの前を通り過ぎるだけで認証ができるし、歩き方で個人を識別する歩容認証は広域監視に唯一利用できる生体認証として着目

身体を巡る情報や生体認証技術は、グローバル化の進展に伴い新たな局面を迎えているが、近代から継続している身体管理の在り方や方法を引き継ぎ強化しながら、課題を検証・克服していく必要がある

本書が辿ってきた指紋法による身体管理の歴史的変遷は、まさに今私たちが直面している自らの身体を巡る状況を分析するうえでの第1歩なのである



















(書評)『指紋と近代 移動する身体の管理と統治の技法』 高野麻子〈著〉

2016.4.10. 朝日



 識別と排除、生体認証の行方は

 指紋の「第一発見場所」が日本だったことを本書で初めて知った。維新後に来日した英国人医師フォールズは、知人モースを手伝って大森貝塚から出土する土器を分類中、器の表面に残された指の印象に気づいた。そして研究を重ねて指紋が「終生不変」「万人不同」の特徴を持つことを突き止め、1880年に科学誌に論文を投稿した。

 この指紋が個人識別に初めて使われたのは英領インドだったという。一度、登録すれば照合を通じていつでも個人情報を引き出せる指紋は統治者にとって「夢」の道具だった。その本格的利用を目指したのが「満州国」であり、建国直後に議論された全国民の登録こそ実現しなかったが、1938年に出稼ぎ中国人の指紋登録を開始、戸籍で管理できない移動労働者の状況把握を可能とした。

 こうした指紋利用法に代表される生体認証技術は第2次大戦後、ITの進化とあいまって多彩に発展する。確かに本人確認ミスや「なりすまし」が防げ、犯罪捜査にも役立つ。だが、一度登録してしまえば、そこから様々な個人情報が引き出されて、思わぬ不利益を本人にもたらすこともありえる。

 生体認証技術はどのように使われるべきなのか。その運用主体が官民にまたがるようになった今や「私たちは一連のシステムに巻き込まれており、だからこそ、客観的に思考することが非常に難しい」と著者は書いている。

 そこで歴史に学ぶ効用が期待される。指紋の利用が植民地での統治技術として登場したこと。満州国で磨かれた指紋利用技術が還流した戦後日本で、外国人登録法に採用された指紋押捺(おうなつ)が差別的と批判されたように、それが共同体に潜在する他者排除指向を上書きしがちなこと――。本書が示す史実の数々は、個人を識別する技術が織りなす功罪の紋様を正しく見ようとする人に確かな参照の足場を提供してくれるだろう。

 評・武田徹(評論家・ジャーナリスト)

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 『指紋と近代 移動する身体の管理と統治の技法』 高野麻子〈著〉 みすず書房 3996円

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 たかの・あさこ 81年生まれ。日本学術振興会特別研究員を経て明治薬科大学講師。専門は歴史社会学など。


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