東京β―更新され続ける都市の物語  速水健朗  2016.9.24.

2016.9.24.  東京β―更新され続ける都市の物語

著者 速水健朗 1973年石川県生まれ。ライター、編集者。コンピュータ誌の編集を経て現在フリーランスとして活動中。専門分野はメディア論、都市論、ショッピングモール研究、団地研究など。TOKYO FM「速水健朗のクロノス・フライデー」パーソナリティ

発行日           2016.4.25. 初版第1刷発行
発行所          筑摩書房

本書は、フリーペーパー『Scripta(紀伊国屋書店出版部)20092月~141月の連載『トーキョーβ』に、大幅加筆修正したもの
元になった連載は、オリンピック招致に失敗した時代に書かれた東京論で、書籍化する時点では全く逆の形に書き直し

はじめに
東京の町は、常にその姿を変化させている
東京ほど、かつての姿を後世に残していない都市は世界にも例がない
本書は東京論。かつての東京の姿が伝わるフィクション(映画、ドラマ、小説、マンガ)を多く取り上げている。都市の変化を意識的に描いている作品を論じる
ソフトウェアやウェブサービスなどにおいて、正式版をリリースする前に発表する「試用版」をβとする習わしがある。永遠に完成しないという意味合いを含めてベータと命名することがITの世界で流行ったのは少し前のこと。完成せずに更新され続ける街をテーマにした都市論であることを示すのにふさわしい題名としてつけた
東京オリンピック以降の東京は、新宿、渋谷といったターミナルを中心とした西側が発展してきたが、発展の傾向が次の段階へと移行しつつある東京の変化を捉えたつもり。湾岸の埋め立て地をはじめ、水辺の東京が次なる発展の現場である
東京を舞台とした作品群を全体として俯瞰すると、街の変遷のイメージが積み重なった地層をなす堆積物に見えてくる。こうした堆積物としての都市の記録の束を発掘することで、東京の変化を探る。それが本書の目的


第1章        東京湾岸の日常――家族と高層集合住宅のクロニクル
東京中心部の大規模開発は、オリンピック決定以前から進んでおり、五輪開催とは関係なく、発展を迎えているというのが正解
臨海地域は、幾度かの計画変更によって宙づりにされてきた場所であり、おざなりな開発に翻弄されてきた地域でもある。「放置されてきた場所」であり、そこに明確な変化が現れたのはせいぜい2000年代中盤以降で、大きく変えた要因はタワーマンション
日本住宅公団が設立されたのが1955年。低中層の大規模修繕集合住宅の大量供給を進め、団地の時代が始まる
58年竣工の「晴海団地高層アパート」は15棟全669戸。14棟は5階建て、1棟のみ10階建て。設計はコルビジェに学んだ前川國男で、コルビジェによる集合住宅の傑作「ユニテ・ダビタシオン」との共通点が多かった。97年解体しトリトンスクエアに変貌
62年、この団地を舞台とした映画《しとやかな獣》公開。当時団地の生活は一般の庶民にとっては憧れの対象。戦後の日本人が貧困から抜け出すためになりふり構わずにあがき、手に入れた「新しい生活」を、そこに住む家族の必死さ、そして空疎な人工物で埋め尽くされた埋立地の光景の2つに象徴させた映画
59年、戦時中飛行場だった晴海に東京国際見本市会場が完成、様々な情報発信の場になったが、96年有明に東京国際展示場(通称:東京ビッグサイト)が完成し移り、晴海は解体
取り残された晴海が注目を浴びるのは、東京が2016年のオリンピック候補地に名乗りを上げたとき。当時はメインスタジアムの予定地だったが、2020年オリンピックでは選手村に。オリンピックのあとは周辺の開発も含め2万戸の住宅が供給される計画
83年、映画《家族ゲーム》公開。東雲の都営アパートが舞台でロケ地。《しとやかな獣》と同様、湾岸の団地を舞台とした核家族の物語
戦後の激し変化から安定の時代へと変遷し、高層の集合住宅はいつしか人を詰め込むだけの「コンクリートのポンプ」になり果てるとともに、「寝食の分離」「個室化」のように生活空間を機能で分断した結果、戦前までの日本家屋が持っていた特徴を更新した
東京湾岸の埋め立て地は、土地不足の解消という目的ではない。隅田川河口に埋立地が作られたのは江戸時代中期で、ゴミ処理という生活上の必要性から始まった
1696年、5代将軍綱吉の時代に始まり、最初は永代橋の東岸(現在よりも若干上流)
ゴミ処理が業者によってビジネスとなり、石川島、越中島と相次いで洲が島となった
1880年 東京築港案が策定され、晴海が誕生。有明、東雲、豊洲は関東大震災の瓦礫処理で埋め立てられた
埋立地の有効利用は、江戸・東京と続く行政上の懸案事項。幻に終わった40年のオリンピックと万博の開催も埋立地の活用案がベース
戦時中、豊洲に石川島造船所が移転、周辺に鉄工所が次々と操業を開始。東京港が41年開港、湾岸地域が東京港の工業地帯として発展。月島の周辺には大正期から鉄工所が集積した工業地帯として発展し始めていたが、東京港の開港で拍車がかかり、周辺も工業地帯として目覚ましく発展
86年、映画《男女7人夏物語》は、隅田川周辺のウォーターフロントを舞台にしたヤッピー(ヤング、アーバン、プロフェッショナル)の物語。ウォーターフロントとは、水辺を新たに都市の機能として見直す都市計画のこと
98年、宮部みゆきの直木賞作品『理由』の舞台は、南千住のアクロシティ。総戸数662戸の大規模再開発プロジェクト。9092年竣工
関東大震災の後の都市計画で、工業地区として位置付けられたのが荒川区、足立区、墨田区で、荒川と隅田川の水運を活かし、戦前から中小の町工場が並ぶ街として発展。戦時東京大空襲で多くが焼失したが、戦後の高度成長前期における軽工業の発展の中心を担う。この地域のランドマークが千住火力発電所の4本のお化け煙突。高さ83m
97年、建築基準法の規制緩和により、容積率上限引き上げとともに、日影規制の適用除外とされる「高層住宅誘導地区」が規定され、一気にタワーマンションの建設ラッシュとなる
2010年連載開始の桐野夏生『ハピネス』は、08年竣工の三井不動産の「パークシティ豊洲」を舞台としたタワーマンションに住むママ友たちとの複雑な交流を描く
従来の湾岸の集合住宅の物語は、湾岸を人工的な場所、殺風景で人間が住むにはそぐわない場所として描いてきたものが多かったが、最近になってようやく反転し、湾岸の埋め立て地にポジティブな意味合いを見出した作品が出てきた  東京の臨海地帯が、日常生活の舞台として自然に選ばれ、美しい光景として描かれるようになり、イメージを新しく変えていくことになるだろう

第2章        副都心の系譜――2つの刑事ドラマからみる副都心の発展
72年の映画《太陽にほえろ!》と97年の《踊る大捜査線》の舞台は、いずれも当時「副都心」として発展が期待された場所
《太陽にほえろ!》の舞台だった新宿は、60年代まで新しい若者文化の中心地であり、学生運動の舞台でもあったが、ある瞬間を境に超高層ビルの立ち並ぶ日本最大のオフィス街へと変貌。その境目にあたるのがこのドラマの始まった72
新宿の変化の中心は西口駅前で、71年に京王プラザホテルが開業。新宿副都心計画に基づく西新宿地域の再開発が本格化。一極集中型都市として発展しつつあった東京を、多心(多芯」では?)型都市構造に分散するための計画が58年に発表された「副都心計画」で、新宿、渋谷、池袋を「副都心」として再開発する方針が示された
《踊る大捜査線》は、第7番目の副都心・お台場が舞台。「臨海副都心」計画に沿って開発されるが、当時はフジテレビの本社屋が移転するタイミングで、他にランドマークはない
85年、東京を新しい時代のビジネス拠点としてアップデートする必要性について検討がなされ、出てきたのが「東京テレポート構想」で、情報化時代の港として整備しようというもの。背景には深刻なオフィスの供給不足(空き室率0.2)があった
商業用地全18区画貸与の公募に対し108件の応募があったが、抽選結果の発表が9011月。バブル崩壊で撤退・中止が相次ぎ、開発に伴う有利子負債は5000億円に達し、キーテナントだった伊勢丹の撤退、代わってセガのアミューズメント施設が入ったため、その他のテナントも若者向けに方向転換が必要となった
フジの移転も反発の声が強かったが、鹿内と鈴木都知事の個人的関係から強行したもの
95年開催予定の世界都市博の中止決定も大きい
03年の劇場版《踊る大捜査線》ではお台場が大変貌を遂げる  95年の臨海副都心への来訪者数は25百万だったのが03年には41百万、14年には55百万へと膨らむ
特に、まったく歴史のない街がインバウンドの観光客の人気スポットとなった事実は興味深く、当初計画とは違う形ではあるが、街として発展を遂げ、失敗した都市計画の街ではなくなった

第3章        東京のランドマーク変遷史――東京タワーからスカイツリーへ
1889年、エッフェル塔建設。312.3m。鉄の住宅という近代化を象徴した塔
東京タワーは、テレビの電波塔として誕生。電気メディア時代の象徴
東京ウスカイツリーは何の象徴か?
東京に誕生した4つのランドマークが登場した時代とそれが作られる必然性、その塔が象徴するものを探索
l  浅草12階  1890年完成。正式名:浅草凌雲閣。高さ52m。浅草の近代都市化を目指して、江戸時代からの見世物小屋を六区に封じ込めて公園を整備し、その隣に塔を建てた。眺望という「見世物」を見せるための映像メディアだったが、目玉のエレベーターは安全上の問題からすぐにサービスを停止、高いところからの眺望という目玉も新たに誕生した活動写真の前にすぐに飽きられ、明治末期には外壁に巨大な広告看板が貼られ、広告塔としての役割に代わった。関東大震災を機に浅草の凋落が始まり、12階も倒壊。真下に広がっていた私娼窟も近くの玉ノ井に移転、街全体の活気が失われていった
l  お化け煙突  第1次大戦後の産業の発展期を迎えて、本所、深川周辺は工業地帯として急速に発展、都市下層民の多くが工場労働者として東京下町の産業化を下支えする存在に。この頃のランドマークが83mのお化け煙突。空襲の影響を受けずに残った煙突は、戦後の復興期から高度経済成長期前半(53~63年頃)の映画によく登場、家電の時代の萌芽がみられ、電化時代の東京の発展のシンボルとなった
l  東京タワー  58年完成。333m。テレビのための電波塔として高度成長を成し遂げる日本経済の中に君臨。それまで局ごとに電波塔を持っていたが、各局の電波を統一して総合電波塔から発信した方が効率がいいという結論に辿り着き、産経や大阪新聞の社長で「新聞界の風雲児」と呼ばれた前田久吉が、第3者の立場に立って57年に日本電波塔を設立し、東京タワーの建設に着手。最初の候補地は上野だったが、湿地で不適切となり芝公園に決まる
テレビ塔が衛星に代わったのは63年。日米間の衛星中継でケネディ暗殺が伝えられたのが嚆矢、翌64年には放送用の静止衛星が打ち上げられ長時間の中継が可能となって東京五輪で活躍。5年後にはアポロ11号の月面着陸を映し出した
80年代は、日本の企業の躍進が世界で注目され、東京が金融、文化などで重要な影響力を持つ「世界都市」となっていった時代。同時に世界の中の日本という意識が芽生え始めた日本人は、みずからの首都である東京の在り方にプライドを持ち始めていた。東京タワーはこうした「世界都市」としての東京を象徴する存在でもあった
2011年、テレビの地上波アナログ放送停止。完全停波は2年後。11年の東北大震災で先端が折れ曲がった
l  東京スカイツリー  12年完成。テレビ局による新たな共同アンテナ
東京は、ランドマークの交代とともに大きくその姿を変えてきたが、スカイツリーが何を象徴するのかは未知。東京タワーと併存する光景とは、まだ過去を切断しきれずにいる日本の現状の風景なのかもしれない

第4章        水運都市・東京――水の都江戸と2層レイヤーの都市
かつての江戸は運河や小さな河川が縦横に走り、水路を使って人や物資を運んだ水運都市。城を囲むように見附御門(=見張り施設)。水質は良く、極めて衛生的
1975年の飯田濠(牛込見附)が再開発により暗渠となった際には、住民からの大規模な反対運動が起こる
86年発表の「第2次東京都長期計画」では、東京湾の臨海地域が第7番目の副都心に位置づけられ、お台場、天王洲、芝浦、汐留などが次世代の東京の都市機能を担うべき開発の対象となったが、バブル崩壊で開発速度は減速
58年には、住宅公団初代総裁・加納久朗によって東京湾埋め立てによる新東京の造成、皇居の移転の提案。同時期、建築家・菊竹清訓もメガフロートによる浮島方式の都市を考案
61年、丹下の「東京計画1960」発表、東京湾海上都市を、環境に適応して姿を変えるべきとする「メタボリズム」の一部として捉えようとしている
2層レイヤーの街の上部は近代ビル街で、下層部は「水辺の町」。無秩序に開発が行われ、かつて活気のあった下町や商店街が廃墟化する
日本橋の上を首都高が覆った翌64年が、東京の「都市交通が運河から道路に決定的に切り替わった」瞬間  「水辺の町」または「水運都市」として見つめ直す動きが復活している
日本橋は、1603年家康によって創架。5街道の基点。日本の道路元標が置かれる。現在の橋は20代目でルネサンス式石造石拱橋として1911年建造。国の重要文化財
日本橋の景観を巡り考える都市イデオロギー  江戸の風景を再現することが「美観回復」であるという考え方のイデオロギー性が目に付く。首都高撤去派と肯定派を隔てる「思想」には大きな分断がある。2つの「史観」にどういう折り合いの付け方があるのか、それを探るような議論が行われるべき

第5章        接続点としての新橋――鉄道とテレビ、2つのメディアのステーション
54年のプロレス中継はテレビが登場した時代を象徴するメディア史的事件
新橋駅西口に27インチテレビが設置され、2万人が観戦  体験型イベント
鉄道の開通とテレビの始まりが同じ場所という偶然  メディアを「人間の身体を拡張するテクノロジー」という定義に従えば、鉄道も移動のための足の拡張であり重要なメディア
18721914年、帝都東京の玄関口、駅舎はアメリカ人建築技師リチャード・ブリジェンスの設計による木骨石張り2階建ての西洋建築で、同年の大火で焼失した銀座が煉瓦街として再生したのと併せて文明開化のシンボルとなる
その後の新橋は、随一の花街から戦後の最大規模の闇市を経て現在はサラリーマンの街
日露戦争後の熱狂は、日清戦後に比べても明らかに高い背後には、急速に台頭してきたメディアの影響がある。当時のマスメディアの中心は新橋。それまでの新聞は「言説」が中心だったが、日露戦前後から「報道」中心に変わり、全国紙が定着する契機にもなり、中央集権国家成立を後押し
1889年新橋・神戸間全通、翌々年には上野・青森間全通で列島縦貫の幹線鉄道完成
1900年、中央停車場建設着工、11年呉服橋仮設停車場から東海道線運行開始、14年中央停車場完成
丸の内は、困窮する政府救済の名目で陸軍から三菱が買い上げたまま、「三菱ヶ原」と呼ばれる荒涼とした場所。1894年三菱1号館完成
現在の新橋のおもしろさは、昭和的な空間と、最新の大規模修繕再開発で生まれた汐留シオサイトが隣り合わせで並んでいるところ
貨物専用駅として使われた元々の新橋駅、当時の汐留駅は、関東大震災以降、東京の新しい台所として急発展した築地市場の盛況を支えてきたが、トラック運輸に押される形で役割を縮小させ、国鉄民営化前年の1986年廃止。31haという広大な土地は国鉄時代の借金返済の好機だったが、バブル時代の地価高騰に拍車をかけるという懸念や発掘された歴史遺構が再開発を遅らせ、バブル崩壊後に細かく分割されての分譲・再開発として「汐留シオサイト」プロジェクトが決着、最終的に区画整理が終了して建設工事が始まったのは2002
新橋・虎ノ門間の通称「新虎通り」は14年完成。68年前の計画が実現
シオサイトは3層構造で歩車分離を徹底し、地表の道路には横断歩道すらない。その1階に往時の停車場の模型を復活させて観光資源としようとしたが、その意義は認められるが、周囲から埋もれた形で歴史的建造物だけを再現しても、かつての停車場が持っていた威厳や荘厳さまでは再現されない

第6章        空の玄関・羽田空港の今昔――観光の時代の始まりと現在
都市と空港の関係は、現代において重要性を増している。空港の機能が今後の都市の発展を規定すると言っても過言ではない
羽田の開港は1931年。23年の震災後の帝都復興計画の一部として、東京湾築港内に国際飛行場を作るべく提案したのは長岡外史陸軍中将
「公共施設としての空港」という当たり前の概念が漸く日本で芽吹いた歴史的な出来事
ターミナルビルの設計は、白木屋を手掛けたモダニズム建築で知られる石本喜久治で、「新しい東京」を象徴する建物となる
戦後の進駐軍による接収、周辺1200世帯の強制収用を経て、52年返還。55年ターミナルビル完成
戦後の消費社会の到来とは、観光の時代の始まりを意味
1978年、成田開港。羽田は世界への玄関の役割を一旦終えるが、2010年国際定期便の就航再開、あらためて東京の表玄関としての役割を果たしていくことになる



東京β―更新され続ける都市の物語 [著]速水健朗
[評者]加藤出  [掲載]朝日 20160626   [ジャンル]社会 
完成しない街、住人意識も複雑

 東京は世界的に見ても独特な都市である。第一に規模が巨大だ。隣接地域も含めた都市圏という概念で人口を数えれば、東京圏は世界一である。大型のオフィスビルやマンションがこんなにも続々と建設されているのも、成熟経済の先進国の首都では極めて珍しい。
 本書のタイトルは「東京β(ベータ)」である。ITの世界で永遠に完成しないことを「β」と呼ぶことに倣い、「完成せずに更新され続ける街をテーマにした都市論」という意味合いで「β」が付けられた。
 街の風景が変化し続ければ、住人の意識にも様々な変化が生じ得る。複雑で多層的なそれをあぶり出す手法として、著者は東京を舞台にした映画、ドラマ、小説、マンガを本書に大量に登場させている。
 「それらを全体として俯瞰(ふかん)すると、街の変遷のイメージが積み重なった地層をなす堆積(たいせき)物に見えてくる」。その中から「都市の記録の束を発掘することで、東京の変化を探る」ことが本書の狙いだ。その試みは成功しているといえる。
 例えば、晴海団地高層アパートでの空疎な「新しい生活」を描写した1962年の映画「しとやかな獣」、バブル期前夜のドラマ「男女7人夏物語」、タワーマンションにおけるママたちの階級(ママカースト)を描いた小説『ハピネス』、崩壊した家族同士が再開発を免れた下町で結びついていくマンガ『3月のライオン』は、いずれも臨海地域での物語である。
 それらの比較が、東京の人々の意識の変遷を明瞭に浮かび上がらせていた。また、ゴジラは東京湾に、ガメラは羽田に登場したことには本質的な違いがあったとの考察も目を惹(ひ)く。
 なお、ニューヨークにおける「ママカースト」の実情は、W・マーティン著『パークアヴェニューの妻たち』(講談社)が生々しく解説している。同書のニューヨーク論と本書の東京論を比較するとより興味深くなると思われる。
    
 はやみず・けんろう 73年生まれ。ライター、編集者。著書に『フード左翼とフード右翼』『ラーメンと愛国』など。


WEBRONZA書評]『東京β
速水健朗
松本裕喜 (まつもと・ひろき) 編集者
1949年生まれ。40年間、三省堂で書籍を編集。主な仕事に建築・都市をテーマにした『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』や、歴史・思想ジャンルの『江戸東京学事典』『戦後史大事典』『哲学大図鑑』『心理学大図鑑』など、また言葉・詩歌がテーマの『一語の辞典』『新明解故事ことわざ辞典』『三省堂名歌名句辞典』などがある。2013年退職後、俳句雑誌『鬼』編集長。本をじっくり読むのが、強み、読むのが遅いのが、弱点。
20160805
巨大都市東京をつかまえる  
 この本は映画、テレビドラマ、小説、漫画、アニメに描かれた個々の風景を通じて戦後の東京の変化を眺めていく。
書房) 定価:本体1400円+税
 都市の物語は東京湾岸の高層住宅から始まる。東京湾岸の臨海地域は江戸以来の埋め立てによって生まれた土地である。
 まず、1958年に竣工した晴海団地を舞台とした映画『しとやかな獣』(川島雄三監督、1962)が取り上げられる。
 日本住宅公団(現・都市再生機構、UR)の鉄筋コンクリート造の高層住宅は当時の人々にとって憧れの住まいだったようだ。ちゃぶ台からソファやテーブルの生活への転換であり、新しい西洋風のライフスタイルの実現だった。
 1960年代にさる大手出版社の団体交渉で、「現在の賃金では公団住宅にも住めない」との組合側の要求に対して、経営側の回答は「当社の社員が公団住宅に住むのは贅沢だ」というものだったそうだ。日本の公団住宅のような大規模な住宅団地は世界のどこにもないらしい。公団住宅の歴史については、木下庸子・植田実編著『いえ 団地 まち――公団住宅設計計画史』(住まいの図書館出版局)という本に詳しい。
 その20年後の映画『家族ゲーム』(森田芳光監督、1983)では、同じ湾岸の東雲地区の都営アパートが舞台である。周囲には広大な空き地があり、ガスタンクや倉庫の並び立つ殺風景な光景が広がっていた。人々が裕福になって、すでに高層住宅は憧れの住まいではなく、家族を閉じ込めるきゅうくつな空間に様変わりしていた。
 次いで紹介されるのは、テレビドラマ『男女7人夏物語』(鎌田敏夫脚本、1986)の隅田川べりの独身者向けマンションである。バブル景気に沸く直前のこのトレンディドラマでは、東京のウォーターフロント(水辺空間)がヤッピーな若者たちにふさわしい舞台として選択された。
 東京論が一番盛んだったのは1990年前後だと思うが、バブルの崩壊後も東京への一極集中が進み、東京圏はいま現在も拡がり続けている。東京はこれまでの都市論の射程を超えた巨大都市になってしまったのではないかという気がしていたが、都市をメディアとして捉えたこの本のように、切り口を工夫すれば東京論はまだまだ可能なのだ。個々のバラバラな作品の中から、その時代時代の街のイメージを「都市の記録の束」として取り出し、東京の変化を探った著者の試みはかなり成功していると思う。
 宮部みゆきの推理小説『理由』(1998)は、隅田川と荒川が近くを流れる荒川区千住のタワーマンションが舞台である。舞台となった南千住のマンション群は製紙・パルプ工場の跡地に立てられた。戦前から戦後にかけてこの地域には千住火力発電所があって、その4本の巨大な煙突は「お化け煙突」の名称で親しまれたランドマークであった。小津安二郎監督の『東京物語』(1953)冒頭の場面にもこの煙突は出てくるらしい。
 東京のランドマークと言えば、パリのエッフェル塔完成の翌1890年に竣工した浅草凌雲閣(浅草十二階)、テレビ塔として芝増上寺境内に建てられた東京タワー(1958)2012年に浅草に完成した東京スカイツリーがある。東京タワーは「繁栄と消費の帝都」の象徴として、特撮の怪獣映画やドラマでは何度も破壊された。
 1990年代になっても岡崎京子の漫画『ハッピィ・ハウス』や『へルタースケルター』で、「楽しくて仕方がない街でありながらも、リアリティーの感じられない街『TOKIO』の中心に立っている塔」として東京タワーは描かれているという。先日、首都高速から東京タワーのネオンを眺めたが、広大な都心部の景観の中ではクリスマスに飾る住宅のイルミネーションのような可憐な姿に映った。もうモスラやゴジラが襲うことはないだろう。
 これまで東京論を書く人は圧倒的に地方出身者だった。それというのも、東京生まれの人には気づかない視点を地方出身者は持ちえたからだ。しかし東京出身者に言わせると、明治維新以来、東京の中心部は地方出身者によって開発が推し進められ、東京原住民は周辺部に追いやられ続けてきたのが東京の歴史だという。
 本書の「はじめに」で著者は、「町の変化を受け入れないという姿勢は、大げさに言えば既存住民の論理であり、既得権益の過剰保護でもある。良い都市とは常に変化し続ける都市のことである」と述べる。ヨーロッパの都市をモデルにしてきた建築家や都市計画家が決して口にすることはない都市の論理だろう。リゾームのように増殖し続ける現代の東京を読み解くには、「変化し続ける都市」の観点は欠かせないのかもしれない。
 10年くらい前、東京の下町についての著書のあるイギリスの地理(社会)学者ポール・ウェイリーさんが「東京は衰退する」をテーマに本を書いていると言っていたが、その後どうなったのだろう。発想の根底には「変化し続ける都市」への危惧もあったのではないかと思うが、いま「東京は衰退している」と言えるだろうか。むしろ21世紀の都市としてますます繁栄しているような気がする。
 しかし、もしこれから世界の都市が「東京化」していった場合、どんな未来、どんな光景が待ち受けているのだろうか。

東京とはどのような都市なのか
はじめに
速水健朗さんの新刊『東京β――更新(アップデート)され続ける都市の物語』の刊行を記念して、「はじめに」と「第3章 東京のランドマーク変遷史――東京タワーからスカイツリーへ」を大公開!
6
319時よりHMV&BOOKS TOKYOで刊行記念イベントもあります。気鋭の宗教学者・岡本亮輔さんと観光都市TOKYOをめぐるトークです。観覧フリーなので、ぜひお立ち寄りください。
速水健朗さん×岡本亮輔さんトークイベント 〜観光都市TOKYO、過去から見るか? 今から見るか?~ このイベントは終了しました
 東京の街は、常にその姿を変化させている。
 東京の街角に何か新しい建築物ができたなと気がつくことがあっても、かつてそこが何だったのかは、もう思い出せはしない。そんなことはあまりに当たり前になりすぎていて、誰も思い出そうとすら考えないのだ。東京とは、そんな街である。
銀幕の東京 ―― 映画でよみがえる昭和』を書いた川本三郎は、「普請中」「建設中」であることを「宿命づけられている」と東京について書いた。ヨーロッパの歴史のある都市であれば、100年前の姿であっても残っているが、東京の場合は100年はおろか、50年前であってもその姿はまったく違うものになっている。
 震災、戦禍、高度経済成長、バブル経済。消失と乱開発を繰り返してきた東京。東京ほど、かつての姿を後世に残していない都市は世界にも例がない。
 だが、かつての東京がどんな場所だったか、そこにどんな生活や文化が存在していたのかを振り返る手段はある。さいわいなことに東京を舞台にした映画やドラマ、さらには小説やマンガは数多く存在している。これらの中には、かつての東京がそのまま封じ込められているのだ。
 本書は、東京論である。かつての東京の姿が伝わってくるフィクション(映画、ドラマ、小説、マンガ)を数多く取り上げている。ただただ東京が写っていればいいというわけではなく、〝都市の変化〟を意識的に描いている作品を論じている。
 すでに触れたように、この街に住むものにとって、東京の風景の変化は当たり前のものでしかない。筆者もすっかり開き直り、いまさら東京の変化を否定的に考えるつもりもなくなっている。従って、本書は懐古趣味という視点から東京の過去の風景を眺めるという内容にはなっていない。むしろ、街の変化を前向きに捉える視点は、都市というものの本質を理解するためには必要なのだ。都市は、現在その街に住んでいる人たちだけのものではなく、これから住みたいという人のものでもある。街の変化を受け入れないという姿勢は、大げさに言えば既存住民の論理であり、既得権益の過剰保護でもある。良い都市とは常に変化し続ける都市のことである。開き直るとそういう結論に至る。東京の歴史を語る際に、いちいちノスタルジーなど感じてはいられない。
 その意味を込めて本書のタイトルは、『東京β』とした。ソフトウェアやウェブサービスなどにおいて正式版をリリースする前に発表する「試用版」をβとする習わしがある。永遠に完成しないという意味合いを含めてβと命名することがITの世界で流行ったのは少し前のことだ。本書は2009年から4年間、紀伊國屋書店出版部が刊行する『scripta』というフリーペーパーにて掲載されていた連載を元に、大幅加筆修正したものであり、書籍化の題名もこの当時付けたものをそのまま使用することにした。完成せずに更新され続ける街をテーマにした都市論であることを示すのにふさわしい題名だと思ったからだ。
 連載時の4年間にも、東京の街は急速に変化し続けていた。本書は東京論であるにもかかわらず、従来の東京論では必ず触れられてきた渋谷、秋葉原などの街に関する言及が極端に少ない。その代わりに、これまでは語られる機会が少なかった湾岸の埋立地などに重きを置いている。
 1964年の東京オリンピック以降の東京は、新宿、渋谷といったターミナルを中心とした西側が発展してきた。本書では、その〝西高東低〟とも呼ばれてきたような東京の発展の傾向から、それを脱して次の段階へと移行しつつある東京の変化を捉えたつもりである。湾岸の埋立地を始め、水辺の東京が次なる発展の現場である。
 東京を舞台とした作品は、無数に存在する。個々にはバラバラの作品群が存在するだけだが、それらを全体として俯瞰すると、街の変遷のイメージが積み重なった地層をなす堆積物に見えてくる。こうした堆積物としての都市の記録の束を発掘することで、東京の変化を探る。それが本書の目的である。



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