軽井沢秘境探険  軽井沢ヴィネット探険隊  2016.7.25.

2016.7.25. 軽井沢秘境探険

著者 軽井沢ヴィネット探険隊

発行日           1999.4.27. 第1刷発行
発行所           軽井沢ヴィネット

はじめに
本書は、8598年にわたり軽井沢の高原誌『軽井沢ヴィネット』に連載した38回シリーズの中から選定し、加筆したもの
縄文時代から先住民がいたという遺跡が残っているし、中山道の宿場として栄えた歴史もある。知られざる軽井沢を紹介しようとして始められた企画
次第に過酷な探険へとエスカレートしたきっかけとなったのが『草軽電鉄の跡を訪ねて』
「探検」のほうが一般的だが、「冒険」に近かったことから、あえて「探険」とした

ü  雪の座禅窟
追分の1000m林道から石尊山への登山道を入った、濁川の上流、血の滝(赤滝)の上にある
石尊山から湧き出す透明な水に鉄分が含まれ、流れ落ちる際に空気と触れ、酸化して赤褐色となる

ü  軽井沢秘境ドライブコース 茂沢から杉瓜へ
信濃追分から森泉に向かい軽井沢大橋へ。湯川の谷間を結ぶ大橋の高さは雄大
茂沢には70体以上の石仏がある。縄文時代の狩猟民族がこの地に定住、その名残が茂沢南石堂として残っている。石仏の代表的なものが茂沢五輪塔
茂沢の丘の上には67体の石仏が立つ。ほとんどが50cmにも満たない小さなもの
茂沢から下ったところがかつら淵。川の中心に大きな岩があり、流れが二股の小さな滝となる
追分の遊女が逃げ切れずに飛び込んだという伝説が残る
近くの山道を登ったところに杉瓜観音があるが、本尊の金の観音像は盗まれたまま
お堂の横の崖から流れ落ちる水は、眼病薬の神水として大切なものだった

ü  神々の住む山 愛宕山
外国人宣教師たちが名付けたアタゴレーンを登ってゆくと愛宕神社参道へ
鎮火の守護神である愛宕神社への崇敬が最も盛んだったのは江戸時代。昭和15年の大火で見直され、祭りも再開。碓氷峠から移転された古峰神社、山の守り神を祀った浅間神社もあって、草むらに埋もれて分かり難いが、3つの神様が祀られている
境内の後ろにはオルガンロックとも屏風岩とも呼ばれる奇怪な岩が立ち並ぶ
右手を進むと、水の守護神である金毘羅神社がある。明治43年矢ヶ崎川の氾濫による災害から愛宕山に別荘が移され、大正時代になって建立したもの
金毘羅神社の裏手にもオルガンロックがあり、その上からの眺めは素晴らしい
さらに登ると、山の峰続きの私有地に三笠成田山があり、そこからテレビ塔の脇を抜け下山すると、途中に三笠神社の石の小さな祠がある

ü  軽井沢から神秘な妙義湖へ
和美峠からダートロードを横川へ下る途中に妙義湖
軽井沢から妙義山一帯に、江戸幕府崩壊寸前に隠した金が埋められている
横川から国道18号に出て松井田に入り、妙義紅葉ラインへ。妙義の古社「中之岳神社」から、日本3大奇勝「妙義山石門」を巡るドライブも楽しい

ü  躍る渓流 露切峡
湯川の下流、軽井沢大橋、湯川ダムの更に下流にかかる露切橋から30分ほど歩いて川を下ったところにある渓流
慶長17年冬、大雪の積もった浅間山が大噴火し、火砕流が湯川を堰き止め大きな湖になったが、その後何年もかかって流れが岩を削り、現在の露切峡となった
流れの上にある洞窟には、1660年頃に作られた安原用水という農業用水路が流れる

ü  幻の地底湖
臼田から新海三社神社へ。ここの三重塔と東本社は国の重要文化財
雨川ダムを過ぎて田口峠に向かと広川原洞窟群があり、一つ一つがユニークな姿、顔をしている
その先に「景勝洞地下湖」の看板。洞窟を降りて行くと濁った水の小さな池がいくつもある
秩父古生層のチャート(酸素珪素から成る硬い岩石)石灰砂岩や千枚岩煉瓦緑凝灰岩等で構成され、その厚い岩層がいくつかの断層によって割れ目を生じ、地下水などによって浸食されて空洞状になり、その部分に湧水したものが地底湖の正体
他に竜王穴、極楽穴、地獄穴など11個あり、穴巡りができる

ü  カッパ伝説 釜の淵
鳥井原の南、湯川にかかる釜ヶ淵橋の手前に釜ヶ淵園地というカラス明神を祀った祠があるところがカッパ伝説発生の地。天然記念物の甌穴(河床や海岸の露出している硬い岩盤の表面に生じる円形の穴)があり、それによって無数の渦を作りながら水が流れている
大原別荘地を過ぎ、軽井沢町文化財指定第1号の茂沢南石堂遺跡を見ながら進むと、巨大な岩が3個重なり合ってお互い少しの接点だけでバランスを保っているように見える岩があったが、現在はゴルフ場の建設とともに破壊された

ü  仙境 閼伽流(あかる)
香坂ダムの閼伽流山にある寺の住職はフランス人
岩村田の相生町の信号から東に入ると、湯川の岸辺に段々に並んでいる赤い鳥居のある「鼻顔(はなづら)稲荷神社」がある
江戸時代永禄年間、京都伏見稲荷から勧請して建立。境内にはアカマツの根元をケヤキの根が取り巻く縁結び相生の樹があり、祭り行事の時は賑わう
その先に天台宗閼伽流山明泉寺。平安初期、辺り一帯は湖で、慈国大師が東国巡業の途次立ち寄り、比叡山から見た琵琶湖の景観に似ているところから寺を創建したという
閼伽流山内には観音堂があり、一帯は千手観音菩薩の聖域。89体の石仏が睨む。観音堂の天井には見事な花鳥の絵が描かれる
観音堂の裏からさらに登った仙人獄という見晴台からの眺めは最高だが、登りはきつい

ü  草軽電鉄の跡を訪ねて
昭和37年廃線となった草軽電鉄の廃線跡を訪ねる
ジェフリーと呼ばれるL字型の電気機関車をつけ、約55.5km3時間半かけて走る
50年で営業不振のため廃止
三笠から離山に登ると眼下に旧軽井沢ゴルフクラブが見え、沿線随一の展望地だった
白糸ハイランドウェイを横切り、軽井沢会館の前を通り過ぎる辺りが小瀬(こせ)温泉駅
そこから長日向駅の間にかかる柳川橋鉄橋の跡地を探険。橋は高い位置にあり、そこを通る電車の姿は代表的景観で、今も石の橋脚の残骸が残る

ü  浅間大滝
浅間高原最大の滝
北軽井沢交差点を右折、照月湖に向かう道から右に分かれた先にある
洗心堂と名付けられた石仏が並ぶトンネルを抜けた先に落差12mの大滝がある

ü  女街道をゆく
碓氷峠や入山峠の関所を迂回する裏街道。なだらかで集落が続く危険の少ない道だったことから、女街道と名付けられた。別名下仁田街道
借宿東の旧道との交差点辺りに入口の標識がある。ところどころに石仏や石碑が立つのは、軽井沢町文化財に指定された発地地蔵尊。各所に散在していたところから一帯は地蔵原と呼ばれた。現在はまとめて収集し保存している。街道沿いの地蔵は、雪が降った時の道標として建てられた
ゴルフ場開発で道は途中で途絶え、先は和美峠から下仁田へと下る。国道254に出た所に「西牧(藤井)関所跡」の標識が立つ

ü  離山の隠れ里
標高1255m。浅間山の噴火によってできた山
昔旅人を襲った山賊の棲家を探すと、見張り台のある洞窟がいくつか見つかる

ü  続・草軽電鉄の跡を訪ねて
柳川橋の先の給水橋の石の橋脚の残骸を見つけ、さらに進んで長野・群馬県境の国境平の駅跡から、次の廃屋化した二度上駅に辿り着くが、その先は道も崩れ谷になっている

ü  もうひとつの千ヶ滝
北軽井沢の奥、熊川と地蔵川が合流した先にもう1つの千ヶ滝がある
狩宿から滝原を抜けた先に、いくつもの滝が集まった滝の宝庫がある

ü  湯川の源流を探る
白糸の滝を登って、東裏辺りに5㎡ほどの湿地があり、土の中から水が湧きだしているのが源泉と思われる

ü  かつら淵から隠れ穴
借宿から杉瓜道を南に下って湯川に達したところが観音橋。その袂近くに猿助城址があり、その東の崖端の下、湯川の水をたたえて淵となっているところがかつら淵
近くにアライ滝もあって間違いやすい

ü  碓井の双瀑 雄滝・雌滝
碓氷峠の旧道、見晴台を過ぎた辺りからダートの道を霧積に向かって下る途中にある

ü  離山第三の隠れ里
離山は、その形状からテーブルマウンテンと呼ばれるが、見る角度を変えると観音様の横顔にも見える
かつては山中のあちこちに別荘があったが、殆どが朽ち果てており、今では一部地域を除いて別荘はない

ü  二手橋から坂本宿まで旧中山道を行く
碓氷峠の見晴台から旧中山道を坂本宿まで下る
霧積温泉との分かれ道から、車両通行止となっている旧中山道を暫く下ると、信玄と謙信が合戦を交えた陣馬ヶ原古戦場跡に出る
さらに進むと、座頭ころがし(釜場)と呼ばれる、あまりに急勾配に盲人は大概転んだという急坂がある
一帯は、「安政遠足(とおあし)」と言って、安政より始まった日本初のマラソンのコース。藩士の心身鍛錬の目的で行われたもので、1975年再開され、若武者や股旅姿など、仮装して参加することから別名「侍マラソン」と呼ばれる
途中刎石(はねいし)山の頂上には碓井坂関所跡があり、下界を見下ろせる場所がある
弘法大師の伝説が伝わる「弘法の井戸」もある

ü  幻の秘湯 土屋の湯・土屋の滝
北軽井沢の熊川にある滝と温泉。滝原から入って千ヶ滝より手前、小倉橋を降りた上流に洞窟があり、そこからお湯が湧き出ているが、良質だが水温が21℃しかないため温泉の認定は受けられず。江戸時代には湯治に来る人もいたという
さらに上流に高さ10mほどの滝

ü  歴史探訪 古戦場と畳岩
碓氷峠は、3つの大きな戦いがあった古戦場跡
中山道を下って、霧積と坂本への分かれ道の手前左手に、大きくて平らな岩があり、畳6畳ほどだったので畳岩"と呼ばれた
二手橋周辺は、1352年、関東に勢力を持っていた足利尊氏と、信濃・越後に勢力のあった新田義宗の戦笛吹峠の合戦跡。峠の一族・滋野屋一家は新田軍に加勢して敗北
陣馬ヶ原は、1546年、戦国時代の信玄と上杉憲政の"陣馬ヶ原の戦い
さらに下がったところが、秀吉家臣と北条氏政家臣の内堀切の戦い

ü  石尊山(せきそんさん) 遊女の滝
追分宿にいた飯盛女と呼ばれる接客婦が川に滝を作って遊んだという伝えがある
駒飼いの土手は、「長倉の牧」の馬留めの名残
千年も前から浅間山南麓には「長倉の牧」があり、牛馬の生産が盛んだったという
血の滝、座禅窟を過ぎ、源流を訪ねると、血の池の道の反対側のおはぐろ池に行き着く。この辺りには13枚の池があったと言われ、鉄分を含まない澄んだ源泉が湧き出している
石尊山の手前石尊平は、浅間山頂から3kmで、本来火口より4km以内は立ち入り禁止だが、石尊山登山道は例外。1667mの山頂からみる浅間山は絶景

ü  妙義山麓 七つの滝
旧国道の碓氷峠が終わりに差し掛かるころに「麻苧(あさお)の滝入口」の標識
下流に向かって父滝と呼ばれる麻苧の滝から、母滝、自行滝、子滝、孫滝、上流に向かって曽滝、祖滝と7つの滝が家族構成になっている。それぞれに七福神が祀られ、孫滝の横には銭洗弁天がある。昔は山岳信仰の修験場
麻の簾を垂らしたような飛瀑から名付けられた麻苧の滝、それより上は尾根伝いに丁須の頭に行く登山道になっていて、「これより上級者向け」とある

ü  阿唱念(あしょうねん)の滝
下仁田の市野萱川の物語橋を渡って下流に歩いた先に落差20mほどの滝。裏には不動明王像が安置されている

ü  秘境 上野村
ぶどう峠越えで上野村に入ると不二洞という深さ40mの洞窟があり、さらに深さ50mの生犬穴(あいぬあな)鍾乳洞
不二洞は関東一の鍾乳洞
生犬穴は、1938年、国指定の天然記念物。未公開

ü  布引鉄道跡を行く
大正15年から昭和9年まで走っていた布引電気鉄道の跡
小諸の商人が商圏拡大と観光開発を狙、布引経由北御牧の島川原までの7.42kmの鉄道を敷設したが、いつもガラガラだったところから別名小鳥(しじゅうから)電車
布引観音は、清水寺に似た造り、「牛に牽かれて善光寺詣り」の伝説で知られる
布引の岩壁に沿って、千曲川畔に石の橋脚の残骸が見える 

ü  赤い河の谷間(アメリカ民謡)”を行く
小海線の佐久海の口から南牧村に向かう道に沿って流れる湯川が赤い。八ヶ岳の硫黄岳から流れ出る川で硫黄分を含む

ü  軽井沢で一番の秘境
軽井沢の歴史的建造物を守る活動をしているのがボランティア団体の「軽井沢ナショナルトラスト」の資料を基に、旧軽の古い別荘を訪ね歩く
ガイド付きの別荘建築見学会もある
万平ホテルシーモアハウス石畳の道川端康成別荘、ライシャワー別荘せせらぎの森ハンセン・リンゼイ記念山荘水道の道ウィン別荘ワトソン別荘愛宕山



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