スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪 ボストン・グローブ紙編 2016.5.31.
2016.5.31. スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪
Betrayal ~ The Crisis
in The Catholic Church Undated Edition
編 ボストン・グローブ紙 (スポットライト)チーム
The Investigative Staff of The Boston Globe
訳者 有澤真庭 千葉県出身。アニメーター、編集者等を経て、現在は翻訳家・ところにより日本語教師。訳書に『アナと雪の女王』
発行日 2016.4.14. 初版第1刷発行
発行所 竹書房
神父が犯した児童虐待――衝撃の実話
本書に寄せて
『スポットライト 世紀のスクープ』監督・脚本トム・マッカーシーと脚本ジョシュ・シンガーによる声明文 2015.9.10.
この10年は新聞媒体、とりわけ地方紙にとって、茨の道だった。デジタル化による変革は目覚ましく、昔気質の調査報道はもはや不要、と唱えるものまで現れた
だが、それは反対だ
本書は、『ボストン・グローブ』紙の(スポットライト)チームが調べ上げた情報――何十年も隠されてきた痛ましい事実と、司祭や弁護士、被害者たちの、さらに痛々しい物語で埋め尽くされている。それらがより合わさって、より大きな腐敗と隠蔽の物語が紡がれていく。事の発端は、ニューイングランド地方きっての権力組織であるボストン大司教区の中核で起きたスキャンダルだった。この調査報道が引き金となり、アメリカ全土、そして世界中の多くの都市で同様の調査が始まり、聖職者による性的虐待とその継続を許した組織ぐるみの隠蔽という、より大きな問題が明らかにされた。これは、いまだに懸案の問題だ
本書にまとめられたルポルタージュは、まさしく世界を震撼させた。その深い意義に付け加えるべきことは何もない
4人の記者と2人の編集局員によるチームが事件をスクープするに至った経緯を知れば、本書に写し取られた調査結果を、世界の人々がより深く噛みしめられるだろう。そして、なぜ今でも、伝統的な調査報道がこんなにも必要とされるのか、納得のいかれる一助となるかもしれない
これが、我々が映画『スポットライト 世紀のスクープ』を撮った理由だ
記者たちは調査に1年余りを費やしたほか、財源も必要。『グローブ』紙はゲーガン神父の訴訟に関する封印文書――最終的に、教会ぐるみの隠蔽を疑問の余地なく証明することになる文書――の開示を求めるのに必要な法務費用を払った。さらに、記者は組織の後ろ盾を必要とする。02年の『グローブ』紙がやってのけたように、権力を握った組織をねじ伏せるだけの強さを持つ、組織の支えが
本書の刊行とともに、我々の映画によって、昔ながらの調査報道が見直され、世界中のロビンソン、レゼンデス、ファイファーとキャロル、バロンとブラッドリーたちが自分の仕事を続けられるように、組織にはっぱをかける呼び水となってくれることを願う。マーティ・バロンが言うように、我々はほとんどの時間を暗闇の中でさまよい歩いている。光を投げかけ、道を示す彼ら――〈スポットライト〉チームがいてくれて、よかった
序文
2001年6月、ローマ・カトリック教会ボストン大司教バーナード・F・ロウ枢機卿は、型通りの裁判所提出書類を使って、ジョン・J・ゲーガン神父を「派遣端境期」とすることを承認
17年前、7人の少年を虐待した疑いがあるとの報告を受けていたにもかかわらず、ロウはゲーガンを裕福な郊外の教区司教代理という割のいい仕事を与えた
『グローブ』紙は依然、ゲーガン市況の事件を取り上げていたが、97年の記事は出色。ある女性が教会当局に、司祭が息子に性的いたずらをしている、との相談をした後、その司祭が病気休暇を取ったが、翌年職務復帰し、95年にふたたび病気休暇をとるまで、2か所の教区で子供たちにいたずらをしていたことを暴く
『グローブ』紙の独自調査に基づく特集記事欄「スポットライト」調査スタッフにとっては、ロウ枢機卿の01年の裁判所宛の書類がターニングポイント。少年にいたずらをした疑いのある1人の司祭のニュースが、司祭をかばった1人の司教のニュースに様変わりする
02年初頭の連載記事が、何十名もの司祭による虐待の事実とそれを司教が知っていたことを暴き、カトリック教会の権威を問う、極めて重大な挑戦の引き金となる
この報道は、同年『裏切り』の題で本にまとめられた――庇護の下にある多くの子供を虐待した司祭、人生を引き裂かれた被害者、虐待を防がなかった司教、そして、怒りの声を上げた一般信徒たちの物語だ
15年版の本書では、『グローブ』紙による調査過程を追った映画の公開に合わせ、新たな情報を追加してある
記事の1本目は、「1990年代の中葉以降、30年間にわたり、ボストンの6か所の教区から130名以上の人々が、ゲーガン元司祭に体を触られたりレイプされたとする恐ろしい子供時代の体験を訴え出た。被害者は小・中学生の子供で、1人はわずか4つだった」と書き出されている
この記事を皮切りに、翌年にかけ600件の性的虐待事件の関連記事を掲載
80年代半ば辺りから、この問題は全国的かつ散発的に報道されてきたが、『グローブ』紙の報道は教会自身の書類をもとに、虐待問題を隠蔽し続け、子供たちを守ることより司祭たちの福利を優先させてきたことを示していた
『グローブ』紙の最初の記事は急所を突き、カトリック教徒は激怒、ロウ枢機卿は謝罪、ゼロ・トレランス(どんな小さな違法行為でも処罰する)政策を宣言、被害者救済の新たな努力を約束したが、世間の怒りは収まらず、ロウの辞職を要求、教会への献金を辞退し始める。性的虐待の事実の警察への報告を聖職者に義務付ける州法を成立させ、検察は司祭への逮捕状を発行し始める
スクープの始まりは、4人の記者が、教会が性的虐待をどれほど把握していたのか見極めようと動き出したこと
ボストン大司教区は近年、複数の司祭への虐待の申し立てを、公的記録に残らないよう隠密裏に和解で処理。ごくまれに裁判に持ち込まれても、公式記録が消え失せていることに記者が気付く。それは、和解に達し次第訴訟取り下げに判事が了承、そもそも訴訟が起こされた形跡すら消されていた
さらには、ゲーガンを訴えた民事裁判の内、未決の訴訟についてはすべての公式記録に秘密保持の封印が施されていた
01年『グローブ』紙のマーティン・バロン編集局長は、就任早々判事の秘密保持命令に対し、公共の利益が訴訟関係者のプライバシーに勝るとして異議を申し立て、州裁判所はそれを認め、控訴審でも覆らず、文書は02年公開へ
ロウ枢機卿は控訴と同時に、封印された訴訟文書から得た情報に基づく記事掲載に対し法的制裁を加えると脅迫
その頃までには、〈スポットライト〉チームは、秘密裏に和解金が払われた事実をつかむとともに、和解金を受け取った時期に、教区から不可解にも異動させられた現役司祭の人数を示すデータベースを構築。虐待の数は、それまで知られていたよりも遥かに多かった
02年性的虐待容疑を裁く刑事裁判開始。それまでにチームは、部下の司教がロウの前任者に送ったゲーガンの虐待の事実を告げる文書等、大司教区が代々に亘って承知していたことを証する文書を封印文書の中から見つけていた ⇒ 『グローブ』紙は、裁判に先立ってゲーガン問題を特集欄のシリーズとして掲載
全米各地の地方メディアもそれぞれの司教区を突き上げ、記録をまとめ始める
本書は、聖職者による性的虐待スキャンダルについて『グローブ』紙が発表した大量の調査報告書で構成されている
聖職者の性的虐待のニュースは、まだ追跡中。02年のスクープから13年が過ぎても、すべての事実が明るみに出て、すべての変化が落ち着きを見るまで、まだ数年はかかるだろう。本書は、危機の大もとと原因、虐待司祭の犯した犯罪、被害者たちが受けた衝撃とその影響、ゲーガンやロウらの中心的人物の役割、そして信者たちの敬意の減少とその結果としてカトリック教会が今後変貌する可能性を検証
信頼と、庇護すべき子供たちの両方を踏みにじった夥しい人数の司祭の物語であり、虐待行為の数々の証拠にもかかわらず、司祭たちを雇い、昇進させ、ねぎらった司教や枢機卿の物語。強大な権力を持つ高慢な教会が、身内の聖職者によるミスリード、ミステイク、ミスジャッジのせいで窮地に陥る物語であり、何年も人知れず苦しんだ末に、教会に真っ向から立ち向かう声を見出した被害者たちの物語。そして、信心深い大勢の教会信徒たちが、危機から学び、変革をもたらそうとする物語
信じるにはあまりに事実がひどすぎた。信頼や教会の教義への裏切りの深さには、言葉を失う。教会にとって一番ダメージだったのは、ロウ以下大司教区のリーダーたちが大規模な隠蔽に手を染めていた、動かしがたい証拠
全米、そしてカトリック世界のあちこちで、虐待に関与したとされる司祭が解職
最初の4か月で176名が解職となり、ポーランドやアイルランドでも司教が辞任
ローマ教皇パウロ2世も、事件に触れざるを得なくなったが、曖昧なラテン語を使い犯罪を罪と呼んだだけで、被害者については全く触れずに申し訳程度の言及に留まったため、人生を台無しにされた者たちには何の慰めにもならず、自らの立場に踏みとどまったよそよそしい傲慢な侵し難いヒエラルヒーの証と映り、被害者たちの傷口に塩をすり込むに終わった
大司教区のカトリック教徒のうち65%が枢機卿は辞任すべきと答え、多数の教徒が大司教区から寄附を引き上げ始めたばかりか、野心的な350百万ドルの資金集めキャンペーンは事実上中止に追い込まれた
3か月後、ようやくバチカンは目を覚まされ、アメリカの枢機卿全員を召集して緊急会議を開催、教皇は激しい口調で性的虐待を「犯罪」と明言、被害者にも思いを致したが、バチカンの大半は聖職者による性的虐待をいまだにアメリカだけの特異な現象と見ていた
1985年ルイジアナで最初の大事件が発覚して以来、教会がこの問題を真剣に受け止めていないとの疑問が折に触れて表面化していたが、ダメージ・コントロールに長けた教会は、あまねく寄せられる信者の忠誠心を利用して、スキャンダルは反カトリック体質の一部報道媒体が、位階制度を貶めたいカトリック教徒の反体制派と示し合わせ、ことを大きくした稀有な例として退けてきた
ゲーガンは救い難い小児性愛者だったが、ほかにも多数の虐待司祭がいたうえに、教会は他州に異動させる際には、虐待容疑を承知の上で推薦状を書き、高潔さを請け負っていた
ルイジアナの事件以降、スキャンダルは加害者だった一介の司祭に留まらず、彼らを庇った司教や枢機卿たちをも追い詰め、全世界へも飛び火して、ポーランドでは大司教までが辞任
震源地のボストンは、人口380万のうち200万がカトリックであり、合衆国で唯一人口の過半がカトリック教徒を占める大司教区の要で、スキャンダルの衝撃をどこよりも深く受け止めた。教会に払ってきた敬慕の念が、これほど劇的に崩れた都市はない
かつてボストンを牛耳っていたプロテスタントの上流階級の末裔によって創刊された『グローブ』紙は、以前にも反カトリックへの偏見を非難されたことがあるが、今回は判事によってゲーガン関係の文書が公開され、教会による隠蔽の事実と規模の大きさが明らかになると、カトリック教徒の大半が態度を一変させ、非難の矛先を報道媒体から教会へと向け、枢機卿の回答を要求。ロウも、カトリック教会の使命を損なう非常に深刻な問題と認めた
マサチューセッツ州の検事総長は全員カトリックだが、ボストン大司教句の司祭ら90名以上が、過去40年間で数百名の被害者から訴えられたことを示す教会記録の提出を要求し、最終的に入手。ほとんどが出訴期間切れだったが、世論の法廷において大司教区は地に堕ちた
つけは目下高くついている。教会への献金が減り、大勢が信仰に見切りをつけ、さらに大勢が教会の位階制度を見限った。被害者の人的損害は測り知れない
この唾棄すべき話にヒーローがいたとすれば、それはほかならぬ被害者たち。何年も人知れず孤独に苦しんだのち、罪を糾弾する声を見出し、勇気を奮い起こし、スポットライトの下に立ち、こう言った:「これが私の身に起きたことであり、それは悪だった」
第1章
ゲーガン神父の笑顔の裏側
ゲーガンは、小柄で引き締まった体躯、優しげな笑みを浮かべ、教区民からは「ジャック神父」と呼ばれて信頼を集めていた
信心深いカトリックの母親、とりわけ女手一つで大家族の世話に追われている者にとって、ゲーガンは天の恵みのようだった。親が全幅の信頼を寄せるローマンカラー(司祭の平服の立襟のこと)の司祭を家に迎えることは名誉とされていたが、戸別訪問では子供たちの相手になって寝かしつけてくれるまでやったが、それこそ捕食者にとっては絶好の機会だった
96年にはロウがゲーガンに諫める手紙を書いたが、それは虐待癖に気づいて大分経ってからだった
54年 ゲーガンは叙階(聖職者に任命されること)の時点で疑念を持たれていた。父親を早く亡くし、神学校も一時退学するも復学して、62年叙階
後にセラピストに対し、自らを”11歳で芽生えた性的感情に怯える異性愛者”と分析
マスターベーションを罪と見做し、思春期と青年期における女性への興味に関わらず童貞のまま聖職者の道に入り、女性との楽しみを意識して抑圧し、性的欲望のはけ口を少年に求めたという。とりわけ貧困家庭の子供たちが標的に
教会当局は、ゲーガンの小児性愛癖を承知しており、教区から教区へと転々とさせ、スキャンダルが公になるのを避けた。虐待司祭の真実は、一部同僚にとっては共通認識だったが、自宅訪問を歓迎した教区民からはひた隠しにされた
82年 ゲーガンの周囲で再び疑惑が起こり、被害者の親戚が彼の解任を要求すると、教会はゲーガンに、司祭に人気の特典である3か月間のローマの再学習プログラムを贈り、しかも司祭仲間が費用を奨学金として援助
周囲は、ゲーガンの仕事ぶりを評価せず、監視なしで子供たちに接触しないかを心配
94年 ゲーガンが暴行容疑で告発され、精神科の施設に入院させられたが、教会は休職にしただけ ⇒ 本人もセラピストに対し、60年代初め思春期前の少年たちに不適切な性的行為をしたことを認める
95年初め、民事裁判の嵐の中、ゲーガンは姉と折半で相続した100万ドル前後の不動産の持分を姉に譲渡 ⇒ 1年後に民事訴訟が起こされたときにはゲーガンに資産は残っていなかった
96年 民事訴訟が提起され、何十年もの虐待歴の後、初めて問題行動が公になる
ロウの堪忍袋も切れて、大司教区は彼を「回復不能の障碍者」と認定、聖職者医療ファンドから引退補助金の給付を認めるが、問題はそれで終わらず、始まりに過ぎなかった
第2章
隠蔽の循環構造
ロウがゲーガンに注意を向けたのはいつか不明だが、確かなのは、84年52歳でボストンの大司教に着任後間もなく、ゲーガンが児童虐待常習犯だと知らせる手紙を被害者の叔母から受け取ったこと ⇒ 敬虔なカトリック教徒からの手紙には、ゲーガンの性的略取と彼の犯罪を隠蔽した教会の秘密主義への自責の念がにじんでいたが、ロウの返信は事務的で問題をはぐらかしていた
ロウは、ハーバード大卒のカリスマで、教会指導者たちを魅了し、全米一の主要カトリック都市の信徒を導く人材として最適任者と目されていたし、将来も嘱望されたが、新米時代カトリック新聞の編集者を務め、市民権の擁護者だったが、他の面ではひどく保守的でもあった
ロウは、ゲーガンに対し、別の教区に異動させただけだったが、大司教区トップの司教たちは慌ただしい異動が虐待事件に関連があるとの認識を共有していた
89年当時、メリーランド州聖ルカ医療センターでは、性的障碍の司祭用治療プログラムを開発していた
85年カトリック教会司教全国会議で公表された聖職者の性的虐待に関する極秘レポートは、小児性愛の再犯率は露出症の次に高く、外来の精神医療の実効性は皆無であり、生涯にわたる病質で、時が癒してくれるという望みはない、としており、ロウはその有力な支援者だった
84年 ルイジアナで、他の司祭による性的虐待が表面化、教会は9人の被害者に対し420万ドルを支払うが、さらに4人の被害者の提訴により検察も起訴、懲役20年の判決を受ける ⇒ 10年の服役後、すぐに同容疑で再逮捕
教会との和解に応じなかった被害者が教会を提訴、120万ドルの賠償金が命じられたが、教会が控訴し、100万ドルで和解
85年のレポートは、全国会議で却下され、ロウも支持を突然撤回。90年代初めまでレポートの警告に耳を傾けた司教は、いたとしても数名のみ。レポートを書いた教会法の弁護士でワシントンのバチカン大使館に駐在していたドイル神父はローマ教皇使節の地位を失う。一方で政治的な炯眼の持ち主だったロウは直後に枢機卿に昇進
レポートで警告された、外交特権によるファイルの洗浄(教会に不利な事実の削除)というアイディアだけが取り上げられ、危険となり得る文書を教皇使節に送って保護を求めるという隠蔽工作が推奨された
90年 ミネソタ州では、陪審が補償的損害賠償及び懲罰的損害賠償として360万ドルを被害者に与えるが、これは聖職者の性的虐待裁判において、陪審が懲罰的損害賠償をカトリック教会に科した最初の評決 ⇒ 判事はのしに懲罰的損害賠償のほとんどを剥奪したが、それでも被害者の手元には100万ドル近くが残され、判例として記録
ルイジアナとミネソタの事件が国中に広まり、被害者が動き出し、国中の司教区が和解金を支払う ⇒ もっとも甚大な被害に会ったのはニューメキシコ州サンタフェの大司教区で、大司教自ら複数の女性とセックスしたと認め退位したが、さらにより多くのスキャンダルの渦中に埋もれた。さらに多くの訴訟が提起され、大司教区は破産の危機に瀕した
訴訟件数が膨れ上がるとともに、被害者の矛先は、容疑者に対する教会の不作為に向けられるが、大司教区を訴えた被害者のほぼ全員が、裁判開始以前に和解金を受け取り、引き換えに秘密保持契約にサインしたため、公的な犯罪記録は残らず、虐待の細部が漏洩することはなかった
94年 警察がゲーガンの捜査に着手、98年和解後さらなる提訴の最中、ロウは遂にゲーガンの位階を剥奪、司祭職の権利を取り上げた
02年 ゲーガンの被害者86人が84件の訴訟を提起、最高3000万ドルで和解することとなったが、新たな訴訟が雪崩を打って起こると、教会は和解を反故
第3章
国中にはびこる虐待者Predatorたち
ボストンのスクープが引き起こした聖職者による性的虐待の訴えの波の中でもひときわ衝撃的な現象は、告発に地理的な制約がないこと。国中にゲ-ガンがいて、新たな被害者が体験を語り始めた
第4章
罪悪感に苛まれる被害者たち
被害者は、大勢のほかの被害者たちと同様、虐待されたのは自分だけだと思い、何年も秘かに苦しんだ。信心深い自分の親に打ち明ける勇気がなかった。沈黙の中で苦しむあまり、兄弟、伴侶にさえ相談できずにいた
長らく専門家も、被害者の大半は決して訴え出ないと、タカをくくってきたが、80年代半ばから司祭絡みのスキャンダルがすこしづつ明るみに出ると、ひと塊づつ、影から救い出されてきた
数が増えるにつれ、彼らの経験にまとわりついていた恥辱の念は減っていった
教区司祭館で働いていた高校生の女性が、司祭に繰り返しいたずらをされ、何年もパニック障碍で苦しみ、それ以来トラウマとなってよい人間関係を築けなくなり、他人を信用しなくなった。大司教区に訴え出たが、心理療法の治療費を支払うことに同意しただけ
多くの被害者が、虐待から何年経ってもいまだにトラウマから回復できずにいるという。酒、ドラッグ、鬱病に追いやられ、またはその3つが合わさり、危険な状態に陥る
思春期前の被害者は、全能の司祭にされるがままになっても、それを被害と認識しない。仲間の司祭も見て見ぬふりをする。被害者がおかしいと思って親に訴え出ても親が信じてくれない。親がおかしいと思って教区に訴え出ても、司教は問題をうやむやにしたり、逆に認めても曖昧な解決で放置したり、加害者の司祭を他の教区に異動させるだけだった
親たちが虐待の事実を知るころには、子供たちは成長し、司祭はどこかに行ってしまっている。事件当時に虐待者に立ち向かおうとする者は少ない。親たちにとって罪悪感は、裏切りに会った虚しさと抱き合わせ。知らぬうちにローマンカラーの虐待者を家庭に迎え入れ、子供に接触を許した。カトリック教徒の条件反射的な思い込みで、彼ら以上に模範的な人物はいない、特に男の子には理想的なお手本だと考えてしまう。多くのカトリックの家庭で、子供たちは司祭を理想化して育てられ、親たちは司祭は「神の遣いだ」と教えた
時には司祭が家族同様に一緒に過ごし、家族の悩みを共有し、子供たちの良き相談相手となっていた
枢機卿が被害者に会うと約束したが、いまだに約束は守られていない
第5章
全世界に波及するボストン・スキャンダル
10年以上にわたりローマ・カトリック教会は、ゲーガンのような連続虐待者を箱の中の腐ったリンゴで、どこの組織にも紛れ込んでいると主張してきた
『グローブ』紙がゲーガンのおぞましい過去を把握していたこと、大司教区の指導者たちがそれをせっせと隠蔽してきた事実と手口について暴露した後ですら、教会当局はゲーガンの所業を特殊な例外だと主張したが、『グローブ』紙が少なくとも70名の司祭に対する性的虐待の申し立てに対して内密に和解していたことをスクープしたため、大司教区は虐待で告発された90名以上の司祭の名を検察に提出せざるを得なくなる
全米の司教区が聖職者による性的違法行為に対する方針を再検討し始めると、新たな亀裂が生じる。信者と、彼らが教会の指導者として仰いできた者たちとの間に、溝ができ始めた。合衆国すべての州で同様の事件が起きていたのみならず、世界中に広がり始める
過去20年間で、聖職者の餌食になった人々への訴訟和解金は、推定で13億ドルにのぼる
02年1月の『グローブ』紙の記事がターニングポイント。記事はスキャンダルの奥深さを暴き出し、教会の主張する腐ったリンゴ説を真っ向から覆した。同時にそれは、全米を席巻しているニュースの波を加速させ、古より築き上げた教会の基盤に激しく揺さぶりをかけている
00年ニューヨーク大司教区の指導者として着任したイーガン枢機卿は、240万信徒の霊的指導者として、中絶及び避妊反対の教会の教えに極めて忠実な、保守派司教の評判を得ていたが、どの虐待疑惑を当局に回すべきかの決定権は教会にあるべきとの信念を持ち、被害者への同情をほとんど示さなかった。その態度が地方検事の反感を買い、次第に追い詰められていく
スキャンダルは暴力化し、司祭の自殺や、被害者による司祭の射殺事件へと発展
第6章
失墜――教会に背を向ける人々
政治家、警官、検事らが抱く(彼らの大半が所属する)カトリック教会への服従心は、世間のそれを反映していたが、ゲーガン事件を発端に噴出した子供たちへの性的虐待の数々と、被害者の沈黙を金で買おうとする教会の行為は、法執行機関と政界の、最も敬虔なカトリック教徒たちの信仰心を揺るがせた。1世紀以上をかけて培われた恭順の文化が、数週間で崩れていく
世俗の権威たちが示した教会に対する態度の変化は全米規模でみられたが、中でもボストンが最も顕著で、教会指導者の責任まで問うていた
政教分離を保障する米国憲法修正第1条が常に、世俗の権威が教会の問題に首を突っ込むのを防ぐとともに、土地の慣習が教会に手を出すことを、さらにタブーにした
虐待司祭を立件した時でもあくまで例外と見做し、社会の断面を反映したに過ぎないとしていたし、教会には「疑わしきは罰せず」の原則が当てはめられ、さらには枢機卿が「嫌疑には容赦なく対応する」といえば信じない理由はなかった
立件に当たって相手にしなければならなかったのは、非協力的な被害者だけではなかった。教区民の多くが加害者の見方をして、罪状認否に立ち会い陪審員に圧力をかけ、証人を脅かして申し立てを撤回させたりして裁判の進行を妨害。さらには起訴した検事を罰当たり者と責める
聖職者の裁判沙汰が増えるにつれ、風向きが変わり始め、虐待隠蔽工作の共犯者たちの造反が始まる
最初に有罪とされた判例は84年、子供と接する仕事に就くことを禁じる条件付きで、執行猶予が与えられたが、ロウは判決を無視して、他の司教区に異動させる
91年になっても、警察の司祭に対する家宅捜査令状を判事が「とんでもない」と拒否したうえ、ゲーガンより遥かに悪辣な虐待を続けたにもかかわらず、たった10年の執行猶予を与えただけ
カトリック教徒の割合が多い判事たちも、虐待の全容を世間から隠し続けた隠蔽工作の共犯といえる ⇒ 一部の裁判記録を没収(抹消)さえしていただけに、02年ゲーガン裁判での教会文書の封印解除を認めたスウィーニー女性判事の決断は貴重
教会の本当の罪は、被害者のことを全く気にかけていないこと。虐待で人生がひっくり返ってしまった年少者たちへのほんの些細な気遣い一つない、自らの道義的責任を果たし損なった教会の指導者に慄然とする。現在大司教区は捜査に協力的となったが、それは世間の反応を感じ取ったからであって、子供たちに悪いと思ったからではなく、捕まったことを悔やんでいただけ。枢機卿以下の面々が一度でも本当に、自分たちの相手が子供だということが分かっていたとは思えない。彼らは成人が名乗り出るのを見ているのであって、忌むべき行為がなされた子供とは見ていない
ロウと大司教区が虐待司祭を甘やかす一方、被害者を厄介者扱いする徹底ぶりには心底ぞっとする。離婚したカトリック教徒を賤民扱いにし、教会での再婚を許さなかったり、洗礼をした修道女を追放したり、虐待者に比べれば取るに足らないことをした人々に教会がどれほど冷酷かつ不寛容だったかを知るほどむかつく
検察は『グローブ』紙に声明を出し、どんな司祭でも教会の一員でも、証拠があれば通報すべきであり、起訴が可能かどうかは検察が判断するとした。それでも抵抗する大司教区に対し、最終的には大陪審への喚問を武器に、ようやく被害者の名前の提出と、彼らとの秘密保持契約の無効の許可を出させる
情報の広がりが立法府をも動かし、性的虐待の経歴を知りながら配置転換の指示を与えることを犯罪とする州法案が提出される
第7章
法律(ロウ)を超越した枢機卿
31年メキシコで生まれ、アメリカのバイブルベルト(聖書の基本原理を厳格に守る立場の人々であるファンダメンタリストの多い南部の一帯を指す)の場末から身を起こしてとんとん拍子に出世したロウは、アメリカで最も権威のあるカトリック高位聖職者にまで上り詰め、バチカンでもそう目されていた。だが、自分のお膝元で爆発したスキャンダルの処理を誤り、すべてが水泡に帰した。枢機卿に関するもっぱらの噂は、辞任要求にどれだけ持ちこたえるかだった。テレビのMCのジョークで、彼の教区の大司教について、「ロウ(法律のロウと懸けて)を超越した枢機卿」と呼んだ
ニューイングランドは、清教徒以来もともとプロテスタントの都だったが、19世紀中葉アイルランドのジャガイモ飢饉のとき、英国政府が植民地の救済措置を拒否したため、100万を超えるアイルランド人が移民船でやってきて、一夜にしてボストンの宗教人口を変えた。20世紀初めにはアメリカのカリックのヒエラルヒーは3/4がアイルランド人
アイルランド系のロウは、前任がポルトガル人で人種差別問題の対応を誤ったことからカトリック教徒の敵意を抱かれていたこともあって、ハーバード卒の経歴も手伝って、最初は好意的に受け入れられたが、自らを「猊下」と呼ばせたり、中絶問題の対応などを巡って徐々に反対派を増やす。性的虐待問題を矮小化して教会内部で処理しようとするロウの態度が、カトリックの熱心な支持者であり支援者グループの反感を買い、公然と辞任を求めだした。さらには、アメリカの大司教たちが辞任すべきだと言い出す
スウィーニー判事は、ロウに速やかな証言録取を命じ、ロウは宣誓尋問された最初の枢機卿となった
第8章
セックスと嘘と教会
なぜ司祭たちは未成年者に惹かれるのか、いまだに答えの出ない複雑な問題
カトリックで特に顕著。プロテスタントにはいないし、プロテスタント組織はカトリック組織のように寛容ではない
被害者の大半が思春期後の男子で、思春期前の子供に興味を覚えるペドフェリア(小児性愛)と一線を画すため、”エフェボフィリア”という新語を使う研究者もいる
司祭職は、ホモソーシャル・カルチャー。仲間の行為に寛容なのは、男の子はいくつになっても悪さが好き、という空気がある
尊敬と権威を与えられた司祭が、無防備な子供たちに接触する機会を持ち、権力をもって個人的に近づくのが可能ならば、害をなすのは簡単であり、大損害へ至る方程式
厳正な適性検査なしに神学校に入学を許可された数は膨大で、彼らを大規模クラスで指導していけば落ちこぼれも出る。そのうえ、親密さと性の問題に対峙する必要性が認識されていなかったし、全力で避けてこられた
司祭と一般男性との明確な違いは禁欲主義だが、禁欲主義と、カトリック教会のセックスの話題を避けて通る傾向が、一部司祭が子供たちに性欲のはけ口を求める悪しき聖職者文化に貢献しているという批判も多い
何年も、恐らく何世紀も、教会は将来の司祭たちに、性教育をしてこなかった。神学生たちは生涯独身の生を送る意味を自分で見つけなければならず、多くが苦労した
92年 公式非公式な2つの出来事から、カトリック教会は未来の司祭の指導法を劇的に改める。1つは、神学校の教育を全面的に見直し、もっとオープンに禁欲と性衝動について議論せよとの教皇のお達しであり、もう1つは、マサチューセッツ州のある教区で起きた連続小児性愛者のニュースが連日マスコミによって詳しく報道されたこと
神学校は入学条件を絞り始め、神学生をより徹底して観察するようになった
周知すべきは、独身主義は絶対必要条件ということ
第9章
変革の苦しみ
小児性愛司祭のニュースに始まる危機が、カトリックで何十年も燻ってきたパンドラの箱を開けた。ホモ、女性の役割、権威の本質、既婚者や女性に司祭職を与えるべきか等々
教皇は、アメリカの枢機卿を集めて、浄化がすぐにも必要だと説く
教会の道徳的権威が本格的に崩れ始めたのは、1968年、教皇パウロ6世が回勅「フマーネ・ヴィテ(人間の生命)」で、人工的な産児制限に再度反対した時。カトリック教徒の大半が、産児制限、離婚、婚前交渉、同性愛について、教会の教義に賛同しないと認め、多くが中絶問題についても同意しないと言った
62~65年 世界中の司教の集まりである第2バチカン公会議が開催され、教会の改革の時代が始まる ⇒ ラテン語ではなく自国語での礼拝を許し、祈りの際、司祭が礼拝堂の奥の祭壇ではなく、礼拝者に向かい合うのを許す決定に最も象徴されている
その後数十年、司祭や修道女の数が急降下するにつれ、平信徒が教会で重要な役割を担い始め、しばしば教区教会を監視し、管理し、カトリック学校や社会奉仕プログラムを運営し、神学の教職員に名を連ねた
ボストンでも、多数の平信徒のリーダーたちが面と向かい、ロウに教会の全面的構造改革を望むと言った
1980年に核戦争防止国際医師会議を共同設立し、85年にノーベル平和賞を受賞したミューラー博士は、02年突如として自分の信仰に恥辱の感覚を抱き、教会から逃げ出そうとしたが、残って代わりに内部からの闘いを決意。教区の福音学校の地下室から火事の如く広がりゆく運動を指揮、ウェブサイトの電子掲示板では怒りが飛び交い、世界の10億のカトリック教徒が声を持てる構造を作り出そうとする
司祭たちもまた目覚めつつあった ⇒ ロウの人気が急降下する一方、司教よりも信徒に寄り添った思い遣りのお返しに教区司祭たちの人気はうなぎのぼりだった
教皇自身、教会の変革において、信徒の指示の重要性を公にしてきたが、カトリック教会の変化を阻む障碍は無限にあった ⇒ 進歩派と中道派が一大変化を求めて叫ぶと、伝統主義派は正統への回帰を求めて立ち上がる
2015年版へのあとがき
02年初め、教皇から少なくとも一時的な執行猶予をもらったロウは、数か月間防空壕に籠った後、徐々に公の場に舞い戻ろうとする。ゲーガン訴訟では当初予想よりずっと少ない比較的手頃な10百万ドルで和解がまとまり、被害者に対する謝罪ツアーを敢行し、公式に責任を認める発言をしたが、虚しく響くばかり。その間にも訴えられた司祭の人事ファイルが公開され、身の毛のよだつ話も飛び出す。年末までにはロウの辞任要求が大司教区の中で叫ばれだし、彼の部下の司祭58人からも予想もしなかったもう潮時だとする書面を突き付けられた
ロウは、ワシントンのバチカン大使に辞任を申し出、教皇に謁見して辞任の意向を伝える、教皇は味気ない声明で辞任要請を受諾、ボストン大司教として務めた18年間のキャリアが公式に終わりを告げる
だが、被害者はそれで満足せず、ドミノを倒そうと動く
ゲーガンが、刑務所内で、白人至上主義の死刑囚によって殺される
翌年、教皇はロウにバチカン内にある教会の名誉職に任命、被害者たちは激怒
ボストンでは、教会の未来について、広い、多岐にわたる会話が続く
全米6700万のカトリック教徒のうち、4人に1人しか毎週ミサに参加しない
15年、アメリカ人司祭38275人は、67年のピーク時の64%。新たに司祭に叙階された545人は、50年前の60%に激減
危機はアメリカのポップカルチャーにも深く浸透、カトリシズムへの見方と扱い方を変えた。カトリック司祭のジョークが深夜番組の定番になり、虐待司祭と虐待された侍者のコスチュームがハロウィーンの呼び物になった。人気ドラマでも危機が原因でカトリックの信仰を捨てるエピソードが取り上げられ、バチカンからの抗議にもかかわらず、アイルランドの修道院で収容された少女たちを虐待する修道女を描いたスコットランド映画『マグダレンの祈り』がヴェネツィア映画祭で金獅子賞を受賞
教皇パウロ2世は、虐待の大半が彼の在位(78~05年)中に起きたにもかっ変わらず、依然として虐待司祭の扱いに寛容で、バチカンでの虐待事件を裁く責任者にドイツのラッツィンガー枢機卿を選ぶが、彼も大司教時代ロウと同じやり方で処理したためスキャンダルに見舞われていた。パウロの死後はラッツィンガーが教皇ベネディクト16世となる
11年 バチカンは司祭による性的虐待の訴えは、法律で定められている地域では警察に通報するようにと、教会当局に指示を与えるガイドラインを発表。アメリカでは自らの問題点に腰を据えて取り組み始めたが、その他の地域、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの大司教たちは虐待問題に馴染みが薄いと主張して抵抗
12年 フィラデルフィアで、聖職者が子供を危険に晒した容疑で初めて裁判にかけられ、3~6年の懲役刑が課せられ、同年、他の有罪判決では、司祭の罪を隠して犯罪に関与したとして、有罪判決を受ける最初の司教が出て、司教は辞任。以後全米各地で17人の司教が相次いで辞任
13年 教皇フランシスが着任。バチカン法を改正して、この問題にあたる委員会を指名
14年 国連が、性的虐待への対処が遅れているとしてバチカンを非難
危機の規模を正確に測るのは難しい。全米カトリック司教協議会によれば、50~13年にかけ、合衆国のみで17259名の被害者が6427名の司祭から虐待されたと申し出たが、不完全な数字に過ぎない
被害者はそれぞれのやり方で人生を前に進めようと頑張っているが、神の名の下に受けた裏切りによる影響から逃れることはできず、法廷でも裏切りは裁けないが、その衝撃は計り知れず、忘れることもない
スポットライト 世紀のスクープ―カトリック教会の大罪 [編]ボストン・グローブ紙《スポットライト》チーム
■しがらみを越え保身の構図暴く
米国の地方新聞「ボストン・グローブ」は2002年1月、地元ボストンで過去10年間にカトリック教会の司祭計70人が児童に性的虐待を行い、教会組織がそれを隠蔽(いんぺい)してきた事実をスクープした。本書は、取材チームの記事をもとにしたノンフィクションだ。
日本で公開中の同名映画は、担当記者が被害者の証言や裏付け資料を集め、スクープにこぎつける姿を描いたドキュメンタリーに近い内容だった。本書では、記者の取材過程は最小限にとどめ、司祭らの性的虐待の実態と、教会上層部が問題解決から目をそらし、いかに隠し続けたかの記述に重点が置かれている。
主な被害者は、教会に出入りする少年たちだ。名前を覚えきれないほど多数の司祭が登場し、相手からの信用を悪用し、虐待を繰り返したことが詳しく述べられる。この多数の例示により、問題の不気味な奥深さが強く伝わってくる。
また、教会の上層部は虐待を把握しても厳しい処分を下さず、被害者との示談で不祥事を表沙汰にしなかった。日本の企業社会にも通じる保身の構図の解明は我々にも教訓を与える。
ボストンは都市部に住む市民のうち二百万人以上がカトリック教徒。人口の半分以上にあたるという。そこで尊敬される存在の司祭の性的虐待と教会の隠蔽を暴くことは、地元紙にとって身内の恥をさらけ出すに等しい。宗教的なしがらみは、日本人には理解しえない重みがあるだろう。しかし、被害者が抱える痛みを知った記者たちはそのしがらみを乗り越え、報道に踏み切った。同業者としてその覚悟にうたれた。この特報から学ぶことは多い。
倫理意識が高いはずの司祭らがなぜ性的虐待を繰り返したのか。報道後は世界各地で問題が明らかになった。本書でも、司祭の独身主義などの原因考察が行われるが、霧が晴れた感はない。司祭の内面の闇を明かすべく、今でも取材を続けている記者がいるだろう。
◇
「スポットライト」はボストン・グローブ紙の調査報道班が担う特集記事欄。2003年にピューリッツアー賞公益部門を受賞
米国の地方新聞「ボストン・グローブ」は2002年1月、地元ボストンで過去10年間にカトリック教会の司祭計70人が児童に性的虐待を行い、教会組織がそれを隠蔽(いんぺい)してきた事実をスクープした。本書は、取材チームの記事をもとにしたノンフィクションだ。
日本で公開中の同名映画は、担当記者が被害者の証言や裏付け資料を集め、スクープにこぎつける姿を描いたドキュメンタリーに近い内容だった。本書では、記者の取材過程は最小限にとどめ、司祭らの性的虐待の実態と、教会上層部が問題解決から目をそらし、いかに隠し続けたかの記述に重点が置かれている。
主な被害者は、教会に出入りする少年たちだ。名前を覚えきれないほど多数の司祭が登場し、相手からの信用を悪用し、虐待を繰り返したことが詳しく述べられる。この多数の例示により、問題の不気味な奥深さが強く伝わってくる。
また、教会の上層部は虐待を把握しても厳しい処分を下さず、被害者との示談で不祥事を表沙汰にしなかった。日本の企業社会にも通じる保身の構図の解明は我々にも教訓を与える。
ボストンは都市部に住む市民のうち二百万人以上がカトリック教徒。人口の半分以上にあたるという。そこで尊敬される存在の司祭の性的虐待と教会の隠蔽を暴くことは、地元紙にとって身内の恥をさらけ出すに等しい。宗教的なしがらみは、日本人には理解しえない重みがあるだろう。しかし、被害者が抱える痛みを知った記者たちはそのしがらみを乗り越え、報道に踏み切った。同業者としてその覚悟にうたれた。この特報から学ぶことは多い。
倫理意識が高いはずの司祭らがなぜ性的虐待を繰り返したのか。報道後は世界各地で問題が明らかになった。本書でも、司祭の独身主義などの原因考察が行われるが、霧が晴れた感はない。司祭の内面の闇を明かすべく、今でも取材を続けている記者がいるだろう。
◇
「スポットライト」はボストン・グローブ紙の調査報道班が担う特集記事欄。2003年にピューリッツアー賞公益部門を受賞
解説
新聞記者たちがカトリック教会のスキャンダルを暴いた実話を、「扉をたたく人」のトム・マッカーシー監督が映画化し、2016年第88回アカデミー賞で作品賞と脚本賞を受賞した実録ドラマ。2002年、アメリカの新聞「ボストン・グローブ」が、「SPOTLIGHT」と名の付いた新聞一面に、神父による性的虐待と、カトリック教会がその事実を看過していたというスキャンダルを白日の下に晒す記事を掲載した。社会で大きな権力を握る人物たちを失脚へと追い込むことになる、記者生命をかけた戦いに挑む人々の姿を、緊迫感たっぷりに描き出した。第87回アカデミー賞受賞作「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」で復活を遂げたマイケル・キートンほか、マーク・ラファロ、レイチェル・マクアダムスら豪華キャストが共演。
スタッフ
キャスト
ウォルター・“ロビー”・ロビンソン
サーシャ・ファイファー
マーティ・バロン
ベン・ブラッドリー・Jr.
マット・キャロル
第88回アカデミー賞で作品賞&脚本賞に輝いた『スポットライト 世紀のスクープ』に出演するレイチェル・マクアダムスが初来日を果たし4月14日に、東京・有楽町の日本外国特派員協会で記者会見を行った。
Wikipedia
『スポットライト 世紀のスクープ』(原題:Spotlight)は、2015年のアメリカの伝記・犯罪・ドラマ映画。ジョシュ・シンガーとトム・マッカーシーが脚本を執筆し、マッカーシーが監督を務めた。映画は2003年にピューリッツァー賞を公益報道部門で受賞した『ボストン・グローブ』紙の報道に基づき、米国の新聞社の調査報道班として最も長い歴史を持つ[3]同紙「スポットライト」チームによる、ボストンとその周辺地域で蔓延していた[4]カトリック司祭による性的虐待事件に関する報道の顛末を描く。マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、ジョン・スラッテリー、スタンリー・トゥッチ、ブライアン・ダーシー・ジェームズ英語版、リーヴ・シュレイバー、ビリー・クラダップらが出演している。
本作は2015年、ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション外部門で披露されたほか、テルライド映画祭やトロント国際映画祭の特別招待部門でも上映された。北米ではオープン・ロード・フィルムズの配給で2015年11月6日に公開された。日本ではロングライドの配給で2016年4月15日に公開される予定。本作は数多くの組合賞や批評家賞を受賞したほか、様々な媒体によって2015年最良の映画の一つに挙げられた。第88回アカデミー賞では作品賞、監督賞、助演男優賞 (ラファロ)、助演女優賞 (マクアダムス)、脚本賞、編集賞の6部門にノミネートされ、作品賞と脚本賞を受賞した。
目次
2001年、マサチューセッツ州ボストンの日刊紙『ボストン・グローブ』はマーティ・バロンを新編集長として迎える。バロンは同紙の少数精鋭取材チーム「スポットライト」のウォルター・ロビンソンと会いゲーガン神父の子供への性的虐待事件をチームで調査し記事にするよう持ちかける。チームは進行中の調査を中断し取材に取り掛かるが様々な障害・妨害にあう。調査が佳境に差し掛かる頃、チームは9月11日を迎える。
「スポットライト」班[編集]
- マーク・ラファロ -
マイケル・レゼンデス英語版
- マイケル・キートン -
ウォルター・“ロビー”・ロビンソン英語版
- レイチェル・マクアダムス -
サーシャ・ファイファー英語版
- リーヴ・シュレイバー -
マーティ・バロン英語版
- ジョン・スラッテリー -
ベン・ブラッドリー・ジュニア英語版
- ブライアン・ダーシー・ジェームズ英語版 - マット・キャロル
その他[編集]
- スタンリー・トゥッチ -
ミッチェル・ギャラベディアン (弁護士)
- ジーン・アモローソ -
スティーヴン・カークジャン英語版 (『ボストン・グローブ』総合調査記者)
- ジェイミー・シェリダン -
ジム・サリヴァン (教会側の弁護士)
- ビリー・クラダップ -
エリック・マクリーシュ (弁護士)
- モーリーン・キーラー -
アイリーン・マクナマラ英語版 『ボストン・グローブ』コラムニスト)
- リチャード・ジェンキンス -
リチャード・サイプ英語版 (心理療法士)
(電話音声、クレジットなし)
- ポール・ギルフォイル -
ピーター・コンリー
- レン・キャリオー -
バーナード・ロー枢機卿英語版
- ニール・ハフ英語版 -
聖職者による虐待被害者ネットワーク (SNAP) のフィル・サヴィアーノ
- マイケル・シリル・クレイトン英語版 - ジョー・クロウリー
- ローリー・ハイネマン -
コンスタンス・スウィーニー判事
主要撮影は2014年9月24日にボストンで始まり[7]、続けて10月にはオンタリオ州ハミルトンに移った。撮影が行われた場所にはボストンのフェンウェイ・パーク[8]、『ボストン・グローブ』オフィス[9]、ボストン公共図書館[10]、ハミルトンのマックマスター大学などがある[11]。編集には8か月を要した[12]。
映画は2000万ドルの製作費に対し、2016年3月までに北米で3929万ドル、その他の地域で2407万ドルの合計6335万ドルを売り上げている[2]。限定公開時のオープニング週末では5館から295,009ドルを売り上げ、1館あたり59,002ドルという高い平均成績を上げた[14]。拡大公開初週の週末興行ランキングでは8位に立った[15]。
Rotten Tomatoesは259件の批評に基づき、高評価の割合を96%、評価の平均を8.9/10、批評家の総意を「『スポットライト 世紀のスクープ』はその事実に基づく物語の恐ろしい細部を、主人公たちを持て囃したい誘惑に抗いながら丁寧になぞることで、被写体となった実在の人物と観客の両方に敬意を表するドラマを作り上げている」としている[16]。Metacriticは45件の批評に基づき、93/100という「幅広い支持」の値を示している[17]。
カトリック教会の反応[編集]
バチカン放送のコメンテーターは映画を「誠実」「力強い」と讃え、『グローブ』紙の報道こそが米カトリック教会に「罪を完全に受け入れ、それを公に認め、すべての責任を取る」ことを促したのだと述べた[19]。ルカ・ペレグリーニはバチカン放送の電子版で映画を讃え、「ボストン大司教区のカトリック教会の基盤を崩壊に陥れたのは、テロ攻撃ではなく、とどまるところを知らない真実の力だった。事実、最も純粋な召命の形を示して見せたのは、紛れもなく『ボストン・グローブ』の数名の有能なジャーナリストたちである。その召命とは、事実を探し出し、情報源を調べ上げ、コミュニティと街のために自らを正義のパラディンとすることだった」と記した[19][20]。2016年2月には聖職者による性的虐待に関するバチカンの委員会で映画が上映された[21]。バチカンの日刊紙『オッセルヴァトーレ・ロマーノ』は本作のアカデミー作品賞受賞を受け、「反カトリック的な映画ではない」「同作は、敬虔な人々がこうした恐ろしい現実の発見に対峙したときの衝撃と絶大な痛みを表現することに成功している」とするコラムを掲載した[22]。
批判[編集]
『ボストン・グローブ』による報道に対する批判書を著しているデイヴィッド・F・ピエール・ジュニアは『ニューヨーク・タイムズ』の取材に応じ、「本作の最大の欠陥は、事件が明るみに出た際、教会の職員たちに虐待をする司祭たちは治療を経れば元の役職に戻っても安全だと請け合った心理学者たちを描くことに失敗している点だ」と述べた。オープン・ロード・フィルムズはこれに対し、「ピエール氏は虐待の事実から注意をそらすために神話を持続させようとしている」と反駁した[23]。
ボストンカレッジ高校の理事で広報部長であるジャック・ダンは、ゲイリー・ガローンによって演じられた彼のキャラクターが事件の隠蔽に加担していたかのように描かれているとして本作を批判した。ダンは映画を鑑賞した上で、彼は現実には事件のことを知っていてすぐに対応に動いたと話した[24]。劇中にも登場する記者ウォルター・ロビンソンとサーシャ・ファイファーはこれに対して声明を発表し、ダンは取材当時「自身が広報を務める学校に最も都合よくなる形に話を当てはめた」「(劇中ダンが登場する唯一のシーンである) 2002年初頭に我々が初めて腰を下ろして取材したときには、広報として積極的にボストンカレッジ高校を擁護した」と反論した[25]。
年
|
映画賞
|
部門
|
対象
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結果
|
2015
|
ブライアン賞
|
受賞
|
||
シルバーマウス賞
|
受賞
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|||
脚本賞
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トム・マッカーシー
ジョシュ・シンガー |
受賞
|
||
2016
|
作品賞
|
スポットライト
|
受賞
|
|
監督賞
|
トム・マッカーシー
|
受賞
|
||
全米脚本家組合賞
|
脚本賞
|
トム・マッカーシー
ジョシュ・シンガー |
受賞
|
|
英国アカデミー賞
|
脚本賞
|
トム・マッカーシー
ジョシュ・シンガー |
受賞
|
|
作品賞(ドラマ部門)
|
スポットライト
|
ノミネート
|
||
監督賞
|
トム・マッカーシー
|
ノミネート
|
||
脚本賞
|
トム・マッカーシー
ジョシュ・シンガー |
ノミネート
|
||
作品賞
|
受賞
|
|||
監督賞
|
トム・マッカーシー
|
受賞
|
||
脚本賞
|
トム・マッカーシー
ジョシュ・シンガー |
受賞
|
||
編集賞
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トム・マカードル
|
受賞
|
||
アンサンブル賞(ロバート・アルトマン賞)
|
受賞
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|||
トム・マッカーシー
ジョシュ・シンガー |
受賞
|
|||
スポットライト
|
受賞
|
|||
トム・マカードル
|
ノミネート
|
|||
マーク・ラファロ
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ノミネート
|
|||
レイチェル・マクアダムス
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ノミネート
|
|||
トム・マッカーシー
|
ノミネート
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