PK もっとも簡単なはずのゴールはなぜ決まらないのか?  Ben Lyttleton  2016.5.20.

2016.5.20. PK もっとも簡単なはずのゴールはなぜ決まらないのか?
Twelve Yards The Art and Psychology of the Perfect Penalty

著者 Ben Lyttleton ロンドン在住のフットボール・ライター。スポーツイラストレイテッド誌やタイム誌に寄稿するジャーナリスト。ブルームズバーグTVでサッカーについての解説者。サッカーのコンサルティングを業務とするサッカーノミクス社の創業者の1人で取締役を務める

訳者 実川元子 翻訳家/ライター。上智大仏語科卒。兵庫県出身。メキシコ五輪の釜本選手のハットトリックでサッカーの魅力に取りつかれ、現在もJリーグを中心にスタジアム観戦に通う。

発行日           2015.12.25.初版
発行所          カンゼン

PKはサッカーにおいて恐らく最も簡単に奪えるゴールである、ゴールラインからわずか12ヤード(11m)のペナルティスポットから、静止したボールを蹴るだけだ。ところが、考案されてから120年以上が経つPKの歴史には、数々のドラマが生まれ、ミスによって流された涙は川になるほどだ。簡単なはずのPKがなぜとんでもなく難しくなってしまうのか? PKに成功する秘訣とはいったい何だろう?
その答えを求めて本書の著者は世界中を駆け巡った。ペトル・チェフがチャンピオンズリーグ決勝のPK戦で、6回続けてキックの方向を読んでダイブできたのはなぜなのか? 遠藤保仁のコロコロPKはなぜ成功するのか? プレッシャーのかかるビッグマッチで主審がPKを与えるのはどういうときか?
本書を一読すれば、サッカー関係者が長年頭を悩ませてきた問題、「どうすればPKに強くなれるか?」の回答がきっと見つかるだろう

プロローグ
失敗の理由を調べ、将来PKで失敗しないための画期的な方法を発見した
PKはサッカーを究極に純粋にした形であり、他の要素をすべて削ぎ落とした試合のエッセンスが詰まっている
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第1章        イングランド病 The England Disease
96年のウェンブリーでの欧州選手権準々決勝でスペインをPK4-2で下して以降、次の準決勝のドイツ戦のPK戦でサドンデスで負けた後、5回の主要大会でのPK戦で悉く負け続けている。5回のうち4回まで異なるGKだったが結果は同じだし、言い訳も同じ
過去のPK戦における成功/失敗率  PK成功率の最も高いのはドイツで、51
チーム
PK戦勝敗
成功数/失敗数
PK成功率
勝率
セーブ失敗率
セーブ率
ドイツ
51
26/2
93
83
69
31
ブラジル
64
36/11
76
60
68
32
スペイン
43
25/8
76
57
80
20
フランス
33
25/6
81
50
81
19
イタリア
35
30/12
71
38
79
21
イングランド
16
23/12
66
14
83
17
イングランドの天敵はポルトガルのGKリカルドで、04年のPK戦ではベッカムを止めたほか素手でPKを阻止した後、自ら勝利を決めるPKを蹴ったことで一躍有名になったが、06年のワールドカップの準々決勝では3本もセーブ、これはワールドカップのPK戦史上最多。マン・オブ・ザ・マッチに選ばれなかったため、主審が自分のサインを入れた試合球をリカルドに贈ったという
リカルドのイングランド選手宛のアドバイス
   ポジティブなことだけを考える  PKはチャンスであって問題ではない
   メディアをシャットアウトする  メディアの雑音から離れる
   過去は忘れる  メンタルを強くする

因縁の敵アルゼンチン  政治同様スポーツでも複雑な歴史的関係がある
始まりは66年のワールドカップで、退場を宣告されたアルゼンチンの選手がウェンブリーから10分も退場しなかったり、イングランドの選手がユニフォーム交換を拒否、拒否された選手は「ワールドカップ優勝は俺たちにとって二の次」と言ったり、イングランドの監督はアルゼンチン代表チームを「けだもの」呼ばわり
次いで77年にはアルゼンチン選手による暴力沙汰
86年のワールドカップでは、マラドーナの「神の手ゴール」
イタリアのブッフォンは直感で動くGK  06年ワールドカップではPK戦でフランスを破って優勝。EURO12の準々決勝ではイングランドをPK戦でアシュリー・コールを止めて勝利したが、その決め手は2番目のキッカーだったピルロのパネンカ
パネンカ  チェコ代表のMF76年欧州選手権決勝でドイツとのPK戦で放ったGKの頭上を越す正面のチップ・ショット。ドイツ代表の主要大会のPK戦での唯一の敗北
GKは最後の瞬間までダイブするのを待てと言われるが、たとえGKが正しい方向に飛んだとしてもキックがよければ止められない
イングランド代表による自己分析  自信が大きな要素、前向きな予想をすること、恐怖心の排除、特にチームメイトのプレッシャーが大きい

第2章        オスロ解決法? The Oslo Solution?
ノルウェーのヨルデット博士の論文『世界的な大会で感じるストレス、反応と感情:サッカー主要大会でのPK戦に臨んだ経験から』は、EURO04準々決勝のオランダ対スウェーデンのPK戦を蹴った14名中10名にインタビューし手圧また詳細なデータをまとめた学術論文  ヨルデットはスポーツ心理学の新星として注目され、現在はノルウェー・センター・オブ・フットボール・エクセレンスで心理学部長
イングランドが負け続ける理由について、『これが効果的だ』という答えはない、大きな影響を与えるのは、結局のところプレッシャーをどう回避するか、またストレスにどう対処するか、サッカーではなく心理学の問題と答える
心理学的な要素の1つが、過去の成績の重み
ペナルティスポットにボールをセットした後、GKに背を向ける比率(視線回避率)は、イングランドが57%で群を抜き、オランダ17%、スペインに至っては5%と好対照
主審が笛を吹いてから蹴るまでの時間は、イングランドが0.28秒でトップ、ドイツは0.64秒、フランスは0.94
PKの成功率の平均は78%くらい。ワールドカップになると71%まで下がるのはプレッシャー
GKがボール方向にダイブした頻度  対オランダが63%、対イングランドが58%、対スペインが35%、平均は47
データに基づいた戦略に集中すれば、すぐに自分自身と状況をコントロールできていると感じられ、自分の思うままのパーフォーマンスが発揮できるようになる
一呼吸おくことは、リラックスして集中力を高める効果があり、選手を瞑想状態にするのは難しくても、ストレスによるネガティブな影響を受けないようにはできる
失敗した時の戦略を持つ  センターサークルの中に暖かく迎え入れる
PKを練習することとPKを準備することは違う  練習では、本番と同じ状況を作ってやらなければ意味がないし、準備とは失敗した時にどうすればよいのかを考える

第3章        PKDNA The DNA of Penalties
PK戦でチェコに次ぐ成績をあげているのがドイツ  すぐれたGKが多く、PK戦でも必ず止めてくれると分かれば、不安なくPK戦に臨める
ドイツのファンは守備の重要性を理解している。ゴールを見るより無失点で収める試合を見たがるので、GKは尊敬されるポジション
PK成功の90%は心理的要素、10%が身体的要素
ドイツ人選手はクラブチームの試合ではPK成功率が76%なのに、代表でのPK戦では93%の成功率を誇る  イングランド人選手は逆で、クラブの試合では平均を上回る82%なのに、代表チームになると66%に激下がりする

第4章        PKをめぐるドラマ All the World’s a Stage
ブラジル・パルメイラスのマルコスは、99年のコパ・リベルタドーレス準々決勝の対コリンチャンスとのPK戦でヴァンペッタのPKを止めて勝利し、「聖マルコ」と名付けられ、その後ブラジル代表に招集され、02年のワールドカップでも正GKとして優勝。PK戦で3セーブを挙げる試合が続き、532試合出場で、ブラジルのサッカークラブの中でPKを止めた回数の最高記録を樹立。45本のPKのうち33本をセーブ。事実が伝説となった
ザンビアほど強烈なPKのドラマがある国はほかにない  12年のアフリカネイションズカップ決勝の対コートジボアール戦はPK戦となり、ザンビア代表が歌う民族音楽のアンセムが初優勝をもたらした。93年の飛行機事故でワールドカップ初出場を目前にしてチームの大半が死亡、ようやくチームを再建しての快挙であり、決勝の舞台は奇しくも事故現場から数キロのピッチだった

第5章        ビッグデータが勝率を上げる Big Data Big Decisions
09-10シーズンのセリアAでとられた122本のPKを分析した結果、74%が成功、蹴る前にGKを見なかったキッカーが69%、助走の角度は30度が最多で74本、成功率も最高で80
ボディランゲージについての発見では、タイスコアでキッカーがPKを成功させ、片手か両手を肩の高さ以上に上げて喜びを表現したとき、喜びを表現しなかった選手がいるチームとの比較では勝率は82%も高くなる  チームの雰囲気を盛り上げるとともに、相手チームのミスを誘うという両面で喜びの表現は重要
ホームチームにとって1ゴールが持つ価値は勝ち点0.7で、アウェイチームにとっては勝ち点0.85となる。1クラブが1シーズンを通して経験するPKは平均12回、うち3回以上をセーブし、2回以上PKを成功させられ、それは勝ち点3.87の価値を持つが、その勝ち点の有無は03-04シーズンから10年間のプレミアリーグで降格するか、それとも7位以内に入れるかの違いに匹敵する
ほとんどのGKはほとんどのキッカーと同様に、キッカーが自然に蹴れる方向(右利きはゴールの左側に蹴る)に飛ぶ傾向がある。平均すると6040
10年のワールドカップの決勝直前にオランダにもたらされたデータによれば、対戦相手スペイン代表のGKカシージャスと、PKキッカーを主につとめるダビド・ピジャとフェルナンド・トーレスの実績は以下の通り  カシージャスが受けたPK59本の内自然なキックの方向にダイブしたのが32本でPK成功率65%、自然でない方向にダイブしたのが27本でPK成功率85%、その内右利きの選手は46本で自分の右にダイブしたのが24本でPK成功率66.6%、自分の左側にダイブしたのが22本でPK成功率82%、左利きの選手は13本で自分の右にダイブしたのが5本でPK成功率100%、自分の左にダイブしたのが8本でPK成功率62.5
ビジャは蹴る方向をランダムに散らす名手だが、41本のPKを蹴った内GKの右側が26本で成功率85%、中央が2本で成功率50%、左側が13本で成功率85
トーレス(右利き)は、35本のPKを蹴った内GKの右側が14本で成功率71%、中央が4本で成功率75%、左側が17本で成功率70%  自然でない方向に蹴ることが多い
貴重なデータだったが、試合は延長戦でイニエスタが決勝ゴールを決めたため答えは出なかった
主要大会でのPK戦で悉く正しい方向にダイブしたGKがペトル・チェフ  12UEFAチャンピオンズリーグ決勝のPK戦で6回中6回ともボールの来る方にダイブ(本戦の1回を含め3本セーブ)、チェルシーがバイエルン・ミュンヘンを破って初優勝する立役者だが、周辺視野の重要性を強調、あらゆる方向に目を配って危険を察知することこそGKの必須の能力
ボールの来る方向にダイブすれば、GKがセーブできるチャンスは30%高まる。チェフがボールの来る方向に飛ぶ確率は75%にまで高まっている
212回のPK戦の2106本のPKを分析して、先攻のチームが勝つ確率が61%であることを発見、コイントスが勝率を五分五分から六分四分にするとした  前記チェルシーの初優勝は、後攻でも成し遂げたこと、敵地で成し遂げたこととともに印象的
PK戦の公平性を高めるために、1回ごとに先攻と後攻を入れ替えることを検討中  テニスのタイブレークのサービスがそれに近い
PKの時にGKがダイブするのは、セーブできなかった時に、いわゆる「行動志向」の観点から責められなくて済むためとされる(07年に経済学者が主張)  286本のPKを分析した結果では、キッカーの蹴る方向は左右中央ともほぼ同じで1/3ずつにもかかわらず、GKが中央に留まっている確率は僅かに6
ボールをセットしてからホイッスルが吹かれるまでの時間が短いほど、キッカーのPK成功率が高まる  セット後すぐにホイッスルが吹かれていれば90%の成功率だが、4.5秒待たされると61%まで下がる
キーパーの動きと関係なく蹴る「独立型」メソッドのほうが一般的だが、キーパーの動きに合わせて蹴る「GK依存型」メソッドの方が遥かに効果的。ゆっくりアプローチし、GKが先に動くのを待って重心を動かしたのと反対側に蹴る。冷静にGKが動くまで待つメンタルの強さが必要。それでもGKが動かなかったら、どちらかの隅に蹴ればGKは間に合わない。遠藤保仁のコロコロPKは有名
サッカーの能力や過去の実績はPK成功率に何の関係もなく、競技不安の要素が大きく影響している。「不思議なほど合理化された回避の心理」が影響する一方、自己認識の要素は結果に何も関係がない
試合中のPK成功率は、欧州各国1部リーグの平均が78.9%。大会別ではワールドカップが80.3%、チャンピオンズリーグが79.2%、欧州選手権が74.6
PK戦に限ると、ワールドカップが71.3%、チャンピオンズリーグが69.8%に対し欧州選手権が82.4%と高い
ホームチームのPK獲得率は60%以上あり、特に観客が27,500人を超えるとPK獲得率は65%台に上昇。ホームチームのPK成功率は42,500人を超えると82.3%にもなるのに対し、アウェイチームでは75.4%に留まる
試合中最後に得点を挙げたチーム(同点に追いついたチーム)は、PK戦での成功率も78.4%で勝率61.1%に対し、最後の失点したチームは同じく72.8%と38.9
首相の腕章をつけた場合のPK成功率への影響  試合中のPKを蹴る主将は13%だが、PK戦でキッカーとなる主将は8%しかいない。その成功率はPKで得点する確率は他選手の平均(78.5)を僅かに上回る80.5%だが、PK戦では他選手(73)より低い71.4
延長を含めて120分プレーした選手よりも途中交代で出場した選手(PKスペシャリスト)の方がPK戦での成功率が高い  サンプルが15しかないが86.7%と高く、それも直前ではなく延長のできるだけ早い時間に投入することにより最大の効果を得られる。プレー時間が91分以上の選手の成功率は78
最高のキッカーは5番手で蹴るべきとされる  重要度が高いPKは、1本目、4本目、5本目。先攻チームにとっては後攻チームより4本目のキックが重要

第6章        有名選手ほど失敗する? Status Anxiety?
12年のチャンピオンズリーグ準決勝第2戦で、バイエルン・ミュンヘン対レアル・マドリードはPK戦となり、クリスティアーノ・ロナウドとセルヒオ・ラモスが外してマドリードが敗退。翌日のバルセロナ対チェルシーは、後半メッシがPKを外し敗退。お互いライバルとして競い合ったロナウドとメッシがともに外した
ワールドカップ、チャンピオンズリーグ、欧州選手権の試合におけるPK37回で298人の選手が366本のPKを蹴っている  全体のPK成功率は74
l  バロンドールやベストイレブンなどの受賞者41人が67本蹴って成功率が59(内、枠を外した選手が13)
l  賞とは無縁の選手の成功率が74(5)
l  将来を嘱望された有望選手の成功率が89(7)
チームレベルでも、受賞経験者が20-50%いるチームの成功率は67%だが、まったくいないチームでは86%、1-20%しかいないチームでは71
最高の舞台でPKを外した世界最高の選手はロベルト・バッジョ(23)。フィオレンティーナで5年間活躍後90年ユベントスに移籍。91年のシーズン中13本のPKをすべて成功させた後、初めて古巣に戻ってフィオレンティーナと対戦した時、カネのためならなんでもするゲス野郎と野次られたのを必死にこらえ、あらかじめチームメイトにはPKは蹴らないと伝えていたが、実際にPKをもらって宣言通り蹴るのを拒否、前シーズンにPKキッカーを務めていたアゴスティーニが蹴って阻止され敗戦。10分後に交代した時、女性ファンがフィオレンティーナのタオルマフラーをバッジョの足元に投げ、バッジョはそれを拾い上げて古巣のファンたちに拍手を送る。ユベントスの選手であることを思い出していたら絶対に拾いはしなかったはずだとして、フィオレンティーナの会長もバッジョに拍手し、それを機に野次と指笛が喝采に変わった。バッジョにとっては古巣との関係を締めくくるための意思表示だったが、メディアからもチームメイトからもPK拒否は共感を持って受け止められなかった。バッジョが精神的に脆く、性格が弱くて傷つきやすいと揶揄されたが、2年後の93年にはFIFA年間最優秀選手賞とバロンドールを受賞、94年のアメリカワールドカップの頃にはイタリアサッカー界のスターになっていた
イタリアはいきなりアイルランドに負けたが、予選は4チームが111分の同率。イタリアは3位となったが、当時の規定では各グループ3位のうち上位4チームが決勝トーナメントに進めたので、イタリアも決勝トーナメントに進出。ラウンド16、準々決勝、準決勝といずれもバッジョのゴールで勝ち進み、パサデナ・ローズボウルでのブラジルとの決勝となったが、バッジョは準決勝で負傷交代したのが後を引いて思うような動きができず。スコアレスのうえ、ワールドカップ史上初のPK戦となる。FIFA会長のプラッター(当時事務総長)は、PKで勝敗を決めるのは「これが最初で最後だ」と約束、重要な試合を締め括るのにPK戦はスポーツ的なやり方ではないと主張。サッカーは団体競技だが、PKは個人のスキルを競い合うものだと指摘
イタリアチームは、お互いの目に恐怖を認め合った
1番手はイタリアが枠外に外し、ブラジルはセーブされ、次の4人はいずれも成功、イタリアの4人目マッサーロはイタリアで3季連続リーグ優勝を果たしたACミランのストライカーで得点王でもあったが、助走から蹴るまでの10秒間に頭の中が真っ白となり弱いボールしか蹴れずに阻止され、ブラジルは成功。5人目がバッジョ。PKのスペシャリストであり、「GK依存型」で122回蹴って108ゴールを挙げ、成功率88%はイタリア最高記録。GKがダイブすることを予想、正面に50㎝かもう少し上くらいの高さに蹴ろうと決めていたが、結果はバーの3m上方を飛んで行った。その後何年も悪夢から抜け出せない
PK失敗により罪をあがなって聖人になった」と言われる
バッジョはその世代で世界最高のサッカー選手の1人だったが、UEFAが主催するカップ戦やコッパ・イタリアでの優勝はなく、3回のワールドカップで得点しているが、イタリアはすべてPK戦で敗退。現役の終盤にイタリアサッカーの改革案を書いたが、それが問題になってイタリアサッカー連盟の「技術委員長」を1年で辞任している
重要な試合で、その1本でチームは敗退するかもしれない、という時のPK成功率は62%まで下がり、反対にその1本を決めれば勝利する、という時の成功率は92%に跳ね上がる  ポジティブなことについて考えることは、ネガティブ思考とは反対に、PKを蹴るときの結果を出す基本的な力になることが証明されている
ディエゴ・マラドーナもまた勝敗を決する重要なPKを失敗してきた  96-97年シーズン、ボカ・ジュニアースで出場、ドリームチームだったがリーグ戦を制することができなかった。敗因の一端は5回続けてPKを失敗したマラドーナにある。1試合目のPKは枠外(試合はボカの勝利)2試合目はPKを外した直後に自身で見事なゴールを決めて勝ったので、すぐにPK失敗は忘れられた。3試合目はGKに阻止されたが試合には勝って、まだタイトルを狙える位置にいた。4試合目はボカリードの場面でのPKで、ポストにはじかれる。はじかれたボールをチームメイトがゴールして試合には圧勝。5試合目は優勝が懸かった試合で、PK失敗が祟って敗退、シーズン6位に沈む
彼自身が「PKの呪い」と呼んだものに祟られた。彼によれば、「PKは五分五分。狙ったところに蹴ることができるか、それとも失敗するかだ」
スペインのラウール・ゴンザレスも23歳までにあまたの個人賞を受賞。99-00年シーズンの頂点ではUEFAの年間最優秀選手に。EURO2000でスペインは優勝候補の最右翼だったが、予選から苦戦の連続、ブルージュで行われた準決勝ではワールドカップ覇者のフランスと対戦、終了間際まで2-1とフランスがリードしていたが、間際にスペインがPKを得るも、PKスペシャリストのメンディエタがすでに交代、2番手のイエロもベンチに。疲れて交代させられると思っていたラウールにお鉢が回ってきたが枠を外し、万事休した
ラウールの失敗はスペインのサッカー史上もっとも有名な過ちと比較された  78年ワールドカップの対ブラジル戦で試合中のPKを失敗したカルデノサ他何人かの重要な場面でのミスと比較され、歴史を引きずっていると断じた。ブルージュはスペイン語で「魔女」を意味しているので、それが祟ったのだという
ラウールは次のPKも失敗したが、レアル・マドリードはリーグ優勝に向けて順調に勝ち点を積み上げ、彼は24ゴールをあげて得点王になる
スペインの失敗をラウールほど象徴している選手はいないといわれ、02年ワールドカップは負傷、準々決勝ではミスをして韓国に負け、EURO04ではグループステージ敗退の戦犯と見做され、彼のステータスがチームを後退させていた
06年ラウールがスペイン代表から10年ぶりに外されたとき、メディアから激しい抗議があったが、監督は「いつまでも引っ張り続けるのは馬鹿げている」と嘆く。EURO08で優勝したことで、監督の決断が正しかったことが証明された
PK失敗に監督がどこまで責任を負うべきか?  選手は1回失敗しても辞めることはないが、監督は1回の失敗でクビになる可能性が大いにある。PK戦をどう進めるかは監督の責任。疲れ切っている選手に蹴る意志があるかどうか聞くのは最悪。監督の仕事は、選手が最大限力を発揮できるよう準備させること

第7章        GKPKキッカーにふさわしいか The Goalkeeper Turns Poacher
GKPKキッカーになることについては、まずチームメイトが反対する。簡単にゴールできるPKのチャンスをみすみす他の選手に渡したがる者はいない。また、GKが試合中のPKを失敗したら自陣のゴール前ががら空きのまま放置されるということもあって、監督もPKを蹴るGKなんてイカれていると思ってしまう
パラグアイ人のチラベルトは、88年スペインのレアル・サラゴサに移籍してPKを成功させたが、相手チームはすぐにリスタートして、祝福に沸く相手チームの無人のゴールに蹴り入れて同点とした  チラベルトはサラゴサで2度とPKを蹴らなかったが、その後に続くキーパーたちへの道を拓いた
その後アルゼンチンのベレスに移籍、レギュラーのPKキッカーを務め、優勝を決める試合でPKを成功させ、25年ぶりのリーグ優勝に貢献。ベレスのPKキッカーとして50ゴールを挙げ、99年にはPKによるハットトリックを達成、その後フリーキックも蹴るようになって、ハーフウェイライン手前の自陣からGKの頭越しのキックで得点もしている
PKの発明者  ミルフォード出身のロバート・マックラムはリネンの商売で財を成したが、その息子ウィリアムがミルフォードFCGKで、暴力的なディフェンスをなくすために、当時ペナルティエリア内でのファウルには間接フリーキックしか与えられなかったのを、1選手が犯した反則はチーム全体で償うべきとして1890年アイルランド・サッカー協会にPKを提案。最初はGKだけが主役になるドラマだとして相手にされなかったが、翌年のFAカップで手でボールをゴールラインから掃き出した事態が起こって、PKの提案が見直され導入された。最初のルールでは、相手を倒す、つかむ、または故意のハンドのどれかのみが対象で、ゴールラインから12ヤード離れていればどこから蹴ってもよかった。12ヤードは、ペナルティエリア(ゴールラインから18ヤード)とゴールエリア(6ヤード)の中間ということで決められた。また、PKの判定を拒否してもよかった。コリンチャンスがPKの規則はフェアプレーの精神に反すると感じ、導入を拒否したのは有名な話
2001年地域史研究家が、ミルフォードの地元民に取材してマックラムがPKを発明したことを証明し、その記録をFIFAに送って、FIFAがその事実を認めた

第8章        審判とPKの微妙な関係 The Search for Justice
世間で考えられている以上に、審判と選手には共通点が多いが、選手やクラブから公の場で支持されることがまずない
審判もサッカーファミリーの一員のはずだが、現実には鬼っ子扱い
ノルウェー人のエブレベは、国際審判員として09年のUEFAチャンピオンズリーグの準決勝、チェルシー対バルセロナの第2戦の判定で世界的な有名人になった  第1戦が00の引き分けで、ホームのチェルシーは1点先行したが同点ではアウェイゴールのルールにより敗退してしまうため攻撃の手を緩めなかったものの、前半25分に始まって5回もPKと思える機会を得ながら判定はいずれもPKとはならず、逆に92分にバルセロナが同点ゴールを挙げてしまう。5回のうち4回までは五分五分で100PKの確信がなければPKを与えることはできなかっただろうが、残る1回のハンドだけは誰が見てもPKに値した。その時までに観客席はエブレベに対する敵意に満ちた喚声で騒然としており、選手も不快感をむき出しにしていた。エブレベは、「観客に呑まれたりしない」ということを示そうとして、断固たる態度をとることが必要だと考えた、その結果が彼に人の記憶に残るミスを犯させた
1試合で47のシーンを40人の審判に見せて判定させた学術研究がある  20人は観客席の騒音の入ったものを、残りは騒音なしのビデオを見せた結果、騒音入りを見た審判の方がファウルは少なかった
サポーターの望んでいる方向に判定が影響されることはない、むしろその反対
エブレベの判定に暴言を吐いたドログバは4試合、もう1人は3試合の出場停止処分に
審判の目を欺こうとする行為は今に始まったことではないが、騙される側の不条理
エブレベは、選手がPKをアピールすればするほど、主審はPKを取らなくなると言う
学術研究によれば、1PKを与えたチームには、たとえ1回目よりはるかにPKに値するファウルであっても、審判が2回目のPKを与えることは少ない  ブンデスリーガの12,902試合を分析した結果、441試合で1試合2回以上のPKが与えられてい。予想よりはるかに多い回数。結論は、「個々を検証すれば明らかにPKに値すると見做されたファウルが他にあったとしても、それぞれのチームに与えられたPK1回ずつであった」、という試合が相当するある、というもの
観客の騒音が大きい中で笛を吹く審判は、ホーム側チームにファイルを取ることが少ない
ファウルの場面を検証する時、全員審判員の資格を持った人が見ても全員一致で同じ結論を出した例は1つとしてなかった
最悪の例は06年ワールドカップのプレーオフ、ウズベキスタンとバーレーンの試合で主審を務めた吉田寿光  試合の勝者が次のプレーオフでトリニダード・トバゴと対戦することになっていた。ウズベキスタンが1-0でリードし、さらにPKを獲得し成功させたが、吉田はウズベキスタンの選手がペナルティエリア内に入っていたとしてゴールを認めず、やり直しを命じる代わりに、バーレーンにフリーキックを与え、第4審判に聞くと「新しいルールだ」と言われた。試合はウズベキスタンが1-0で勝ったが、FIFAに懲罰として3-0にするよう申し入れたところ、FIFAの結論は再試合との指示で、ワールドカップ予選で初の再試合となった。バーレーンが勝ったあと、トリニダードとのプレーオフではコロンビアの主審が試合終了間際に入れたバーレーンのゴールを、GKを押したとして無効とし、退場者を出す抗議となったが受け入れられなかった。吉田は国際審判資格の無期限停止処分。あるブロガーは同試合の日本人審判4人を「審判界のファンタスティック4」と名付けた。そのうちの1人家本政明は、08年のゼロックス・スーパーカップで3人の退場者を出す荒れた試合の終了間際に寛大にもらったサンフレッチェのPKをセーブされたが、家本は蹴り直しを命じ2-2の引き分けとなってPK戦へ。サンフレッチェの2人が1度目に失敗した後やり直しを命じられて、2度目に蹴って決め勝利した。アントラーズのファンがピッチになだれ込む騒ぎとなったが判定は変わらず、チームはJリーグに正式に意見書を送ったが回答はなく、ただ家本は6か月間の資格停止処分となった。家本は事前に「試合は2-2の引き分けの後、PK戦でサンフレッチェが勝利する」という噂を聞き自らのサイトに書いていた
サッカーは複雑なテクニックが必要とされるために、ピッチはどちらに転ぶかわからない不安定さとチャンスが入り混じった特別な場所となる。そんな場所で、見過ごされていたかもしれない反則に直ちに罰則を与えねばならない審判には、恐ろしく強力な役割が課せられている。個人の力と団体競技の素晴らしさを称える一方で、判定によっては努力の価値をあざ笑うかのように、運と誤魔化しが重要だと強調され兼ねない。失敗と不運は、第3者から不正があったからとか運が悪かったんだと説明されて、ようやく心情的に受け入れられる
イングランドのサッカーファンは、陰謀説とスケープゴート探しに必死のメディアに後押しされて、最近の国際大会で優勝できなかった理由を、たとえPK戦での敗退でもなんとかして審判のせいにしようとするが、少なくともイングランド代表の敗退には疑惑の影はない
怪しいと言えば、02年ワールドカップのラウンド16、韓国対イタリアのエクアドルの審判モレノの判定  韓国に疑惑のPKを与え(ブフォンがセーブ)、イタリアの決勝点となるはずのゴールを認めず、延長戦ではトティの転倒をシミュレーションとして退場処分にし、韓国が2-1で勝った。モレノはエクアドル・キトの地元チームがバルセロナと対戦した試合で13分のロスタイムを取りキトの勝利につなげ、連盟から20試合資格停止処分を受けていた。自らの判定を公正だと主張したモレノは、テレビ番組でブラジル人の元国際審判員のインタビューを受けたが、2人の話し合いはブラジル人がモレノにバケツの水を浴びせることで終わった
モレノは02年のワールドカップの後地元キトの市議会議員選に出馬、その最中にまたもキトとバルセロナの試合でキトに2PKを与え、バルセロナの2選手を退場処分とし、バルセロナのゴールを認めなかったが、キト市民の票を稼ぐためにやったのではないと主張。その後10年にJFK空港で6kg超のヘロインを身に着けていたとして逮捕、懲役30か月の有罪となった
PKでの職権乱用は、八百長疑惑でも多くみられる
ギリシャでは審判の疑わしい「判定ミス」は、ある審判の名前をとって「パプツィス」と呼ばれる。96年に9シーズンタイトルから見放されていたオリンピアコスの試合で、明らかにペナルティエリアの外でのファウルにPKを与え、その結果が優勝へとつながる。以後オリンピアコスが圧倒的な競合となる時代が到来、17シーズンで15回優勝。1つの判定ミスがその後のギリシャ・サッカーを変えたとまで言われた。わざわざ毎土曜日に試合をやる必要なないとまで揶揄されたが、パプツィスはお咎めなしに98年のシーズン終了まで審判を続けた。彼が突然ギリシャ・サッカー界に復帰したのは13年夏。審判の資格に豪華牛、ギリシャの2部リーグからやり直している
ワールドカップ決勝でのPKの判定によって、世間の注目を浴びた初の決勝の主審がウルグアイ生まれのメキシコ人エドガルド・コデサル  祖父がアルゼンチン生まれで、自身もアルゼンチンに強い愛着を持っていた。90年のワールドカップで審判員に選出され、予選で1回、準々決勝で2回のPKを与え、FIFAオブザーバーの高い評価(10点満点で8.5)を得て決勝の主審に選ばれる。決勝は4年前と同じアルゼンチン対西ドイツで、コデサルが有能な審判であることを見せつけた試合となった。主力4人を怪我や累積警告で欠くアルゼンチンが一発退場者を出し、試合は荒れてピッチは無法地帯と化す。さらに85分に悪夢が訪れ、西ドイツのプレーを反則を取らずに流した後、アルゼンチンのファウルにPKが与えられ、その直後にはアルゼンチンが更なる退場者を出して負ける。コデサルが審判としてピッチに立つことは2度となかったが、9年後に地元紙に自身の正当性を語ったすぐ後にメキシコ審判協会前会長がコデサルをワールドカップの審判に指名した経緯を公表。メキシコサッカー連盟の審判委員長でFIFA審判委員会の重鎮がコデサルの義父で、当時FIFAの会長アヴェランジェが、大会の利益配分をめぐって論争を仕掛けてきたマラドーナを嫌っていたため、アルゼンチンが勝つべきではないという考えに同意することを条件にコデサルを指名。義父の指名は、同じくワールドカップで線審を務めたことのあるコデサルの父と交わした約束でもあった
PKを巡る倫理的な問題  PKの審判自体は簡単だが、それさえもコントロールするのは大変だと歴史が教える。ワールドカップ史上最初のPK30年のアルゼンチン対メキシコ戦でのアルゼンチンに与えられたPK。アルゼンチンは3-0で勝っていたこともあり、真正面に蹴って故意に外し、試合も6-3で勝った。そもそもPKの判定に疑問があり、ペナルティスポットも16ヤードと遠く、主審もボリビア代表監督で審判の資格を持っていなかった
最近では、ブラジルでPKが倫理的問題となり、審判たちが論争に巻き込まれた  ネイマールは、助走をボールの直前で止めて蹴るふりをしてGKを騙す「パラディーニャ」が大好きだが、61年最初にその技を披露したペレより蹴り足を後ろに引いたままでの静止時間が長いのが特徴。最初にペレが披露した時には、非紳士的プレーと判断されゴールが取り消され相手チームにフリーキックが与えられた。38年のワールドカップ準決勝ではイタリアのキッカーがショーツがずり落ち始めたため止まり、意図せざるパラディーニャとなったが、ゴールは認められた。ペレのパラディーニャは、64年と72年の2回試合で違反とされた。69年のブラジル・チャンピオンシップの優勝を決める試合で、ペレがパラディーニャによって1000得点目を挙げ、優勝に花を添えた。102月ネイマールのパラディーニャに対し、FIFAPKの規則に変更を加え、助走中のフェイントは認めるが助走完了後のフェイントは認められないとした。ネイマールはその後8回獲得したPK4回失敗している。ネイマールのパラディーニャに激怒した相手チームのGKは、直後の試合でパラディーニャを失敗している
根幹にある問題は、いつものことながら判定は首尾一貫させるべきものなのか、それとも状況によって変えていくべきか、というところにある
PK戦の発案者  3人が手を挙げているが答えは出ていない
   スペイン人バジェステル  クラブチームのGM62年クラブの主催する大会で引き分け再試合をなくすための対策として発案。1チーム5人が続けて蹴った後相手チームが蹴る方式。最初のPK戦が3-3で引き分け、再度同じメンバーでやって決着
   ドイツ人カール・ヴァルド  36年に審判ライセンスを取得、69年引退。70年のバイエルンサッカー連盟の年次総会でPK戦を提案、すぐにドイツサッカー連盟もPK戦採用を決定。現在の方式に近い。ヴァルドがPK戦の発案者だとFIFAが認めている唯一の証拠といえるものは、01年から毎年届くFIFA会長プラッターからのクリスマスカードだけ
   イスラエル人ヨセフ・ダガン  イスラエルサッカー協会の事務局長であり、47年の在籍に亘ってイスラエルサッカーの育ての親。65年にカップ戦での再試合を避ける方法として提案。68年のオリンピックで初出場のイスラエルが引き分け後のコイントスで敗退したのを「もっとスポーツ的で公正な方法がある」として翌年のFIFAニュースに掲載。70年の国際サッカー評議会が「ペナルティマークからのキック」と名付けてPK戦を採用を承認。ダガンには、00UEFA会議で欧州サッカーへの貢献を称えて賞状が贈られたが、それはPK戦の発案というよりイスラエルでの業績を称えての賞だった
問題は、3人の発案者よりも前にPK戦が行われた例があること  42年にサンパウロ州サッカー連盟が導入。1人が3本蹴る方式だったが、究極の懲罰であるPKを試合の決着をつける方式に採用すべきではないとの反対が出て、次シーズンからコーナーキックの数で勝敗を決めるルールが復活

第9章        他競技に学ぶPK成功法 The Art of Kicking
他の競技を経験させることで、自分が専門とする競技のパフォーマンスを向上させるという考え方は、近代サッカーの閉鎖的な世界においても、今や尊重されるものとなっている
04年サー・ウッドワードは代表監督の就任の6年後、世界ランク6位ながらワールドカップで試合終了間際にFBウィルキンソンのドロップゴールで劇的な優勝を飾ったラグビー界からサッカー界へと華麗なる転身を図った  05年育成アカデミーの将来のスター候補選手を集めてPKの能力を測定。無人のゴールの両端3フィート幅のところに蹴らせたが、結果はあまり芳しいものではなかったが、その原因は選手たちの蹴り方、助走、軸足を置く位置から姿勢に至るまで、ただの1回も同じではなかったこと。特にPKキッカーは、静止したボールを蹴るためには同じルーティーンが必要。ウィルキンソンがキックの時に集中していたのは、ターゲットと足の位置。キックまでの時間をかけることで有名だが、それは両ポストの間に目標を見つける時間だった
ウッドワードの哲学は、Thinking Correctly Under Pressureであり、あらゆる状況を想定して賢くトレーニングできるという考え方
大きな大会が近づくほど、普段のやり方を絶対に変えてはいけない
PKについても、1年を通じて練習し続けることが重要。何時間もかけて練習しているからこそできるキックがある
PKキッカーにとっての「勝利の動き」とは?
   軸足を置く場所。正しい場所に置けば、それが勝利の動きとなる
   足を当てるボールの場所
   目印を見つけること。どこに目がけて蹴るか、明白な目印を決める
   自分が絶対確実に蹴れるというルーティーンを作り上げる
PK専門のコーチを雇って、選手全員が練習すべき
極度にプレッシャーがかかったとき、第一に問われるのがアスリートの決断力  緊張の中で決断を下す瞬間にアスリートが求めているのは理性的な答え













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