アメリカの真の支配者 コーク一族  Daniel Schulman  2016.5.1.

2016.5.1. アメリカの真の支配者 コーク一族 
Sons of Wichita ~ How the Koch Brothers Became America’s Most Powerful and Private Dynasty

著者 Daniel Schulman 左派系メディア『マザー・ジョーンズ』誌のシニア・エディター。政治及び安全保障問題を主に扱い、同誌の調査報道部門の創立メンバー。同誌のほか、『ボストン・グローブ』紙、『ヴィレッジ・ヴォイス』誌などにも寄稿

訳者 古村治彦(ふるむら・はるひこ)
1974
年、鹿児島市生まれ。愛知大学国際問題研究所客員研究員、副島国家戦略研究所(SNSI)研究員。早稲田大学社会科学部卒業、大学院社会科学研究科修士課程修了(修士)。南カリフォルニア大学大学院政治学研究科中退(政治学修士)。著書に『アメリカ政治の秘密』『ハーヴァード大学の秘密』(ともにPHP研究所)、訳書にパラグ・カンナ『ネクスト・ルネサンス 21世紀世界の動かし方』(講談社)、ロバート・ケーガン『アメリカが作り上げた"素晴らしき"今の世界』、オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(ともにビジネス社)などがある

発行日           2015.12.8. 第1刷発行
発行所           講談社

序章 ティーパーティー運動の源流
デイヴィッドとビルは双子の兄弟。兄のデイヴィッドのほうが運動能力が高く、末っ子のビルは癇癪持ち
父フレッド(190067)MIT卒、大学時代ボクシングの選手として鳴らした実業家で、共産主義のどす黒い力、そしてアメリカの巨大石油企業連合体の大きな力と戦う人生を送った
長男のフレデリック(1933)は、演劇と文学を愛し、寄宿学校に入ったため家族と離れて育ち、家業には無関心。厳しいだけで自分しか信用しない父に絶望して私生活にこもり、芸術家を支援するパトロンになり、美術品収集家となる。コートダジュールやニューヨークのアッパー・イーストの歴史的建造物の保存に熱心に取り組む
次男チャールズ(1935)は、父が自分自身と同じ特質を見出し後継者とみていたが、8年間ボストンで暮らし、MITの化学と原子力工学を学び、コンサルタント会社で働いた後、ウィチタに戻ってコーク家の事業について学ぶ
デイヴィッドとビル(1940)MIT卒家族の事業に入るが、デイヴィッドがチャールズの忠実な片腕になったのに対し、ビルは幼少時代に受けた扱いに対する怒りを大人になってから爆発させ、兄弟たちを激しく非難
ビルは高級ワインの収集家、92年のアメリカズカップを勝ったヨットマンだが、その際嬉しさを「性的絶頂の1万倍」と表現し物議を醸す。プレイボーイで醜聞と訴訟にまみれた生活を送る
チャールズとデイヴィッドは、父親がアメリカ中西部で始めたビジネス帝国を大きく成長させる。父が亡くなった時の年間売上250百万ドル、従業員650人は、現在売上1,150億ドル、従業員10万人以上で、カーギルに次ぐアメリカ第2の規模の非上場企業
主要事業は、昔ながらの石油、化学、肉牛、林業
チャールズとデイヴィッドの資産は400億ドルと推定され、世界で6番目の大富豪
2人は目立たないように経営することを望んだため、コーク社の製品を使わずに1日過ごすことは不可能にもかかわらず、アメリカ人はそのことを知らない
「政府は悪だ」という考えを保守的な父親から叩き込まれたために、チャールズはリバータリアニズムに魅かれるようになる。リバータリアニズムは、個人と企業の自由の最大化と、そうした自由を守るだけの機能を持つ最小国家(政府)を主張する哲学。人間の行動を導く市場の力の存在とその効果を確信するようになり、政府の規制や補助金は間違った秩序を社会に押し付けることになると考え、リバータリアン運動の主張を取り入れた彼独自の経営哲学を作り上げた。その要点は、会社の「最下層」を重視する点にあり、最下層に働く人にも経営者的発想と行動を要求した。巨額の利益を出す一方、強引な利益追求第1主義のため、死者を出すような大事故や水質汚染を引き起こし、政府に目をつけられている
リバータリアニズムに基づく考えを政治の世界にも持ち込もうと、巨額の投資と同時に戦略的なビジョンも提供
オバマの大統領当選後に生まれた「ティーパーティー運動」は、長年にわたりコーク兄弟が学界で育ててきた種が芽吹いたもの。兄弟の支援の結果、同運動が共和党内で大きな勢力となり、連邦議会を麻痺させるところまで暴走。党内での深刻な内部闘争も惹起
兄弟は2012年の大統領と連邦議会の選挙戦を「興亡を懸けた総力戦」と呼んだが、共和党の政治家たちとティーパーティー運動の活動家たちを操る強欲な人形遣いと批判された
その余波で、フレデリックとビルはマスコミによって「もう1組のコーク兄弟」として炙り出された
選挙戦を通じて、アメリカ国民はコーク家と兄弟たちについてほとんど何も知らないということに気づく。他の名家と同様、過去の汚い出来事を洗い流し、神話を作り、美しい「真実」を提示しようとしていると感じる
コーク四兄弟は現在のアメリカにおいて、最も影響力を持ち、強力で、人々の耳目を集め、嫌われている人たちなのである。何が彼らを形作ったか、何が彼らを動かしたのか、兄弟同士が攻撃し合っている動機は何か、こうしたことを理解するためには、戦いが始まった時代以前まで遡って、コーク家の歴史を渉猟する必要がある

第1章        ウィチタの息子たち
1932年 ウィチタに新興石油産業で成功を収めた富裕層が形成されたが、石油精製を行う会社ウィンクラー=コーク・エンジニアリングの共同経営者のフレッドがメアリー・ロビンソンと出会う。メアリーはカンザスシティの高名な外科医の娘で、祖父はカンザス大学の創設メンバー、ウェルズリー大卒、専攻はフランス文学、デザイナーとして働く
ウィンクラー=コークは、ソ連の旧式石油精製施設の修理を手伝い、ソ連との魅力的な業務契約のおかげで大富豪になることができた
フレッドは、オランダからの移民の次男。父親はテキサスの辺境で新聞を発行
1910年代、フォードによるガソリンエンジン車の開発で自動車が普及、石油ブームが起きる中、ヒューストンのライス大からMITで学んだフレッドは高い工学技術を習得、友人の父親が経営する石油精製施設の技術主任として経験を積んだ後、ウィチタでウィンクらーとの共同事業を始める
フレッドは、4人の息子を労働倫理と厳格な躾で支配
長兄が悉く父に反発、母親の興味関心の方に引き寄せられていく。自分だけ別世界にこもり、父の理解が得られないだけでなく3人の兄弟も長兄を兄弟と思わなくなっていく
父は長男を見限り、チャールズを跡継ぎと決めて特に厳しく鍛えるが、チャールズは不良少年として成長、ミリタリー・アカデミーに入れられるが飲酒で退学処分となる。後に大成功を収める実業家になったのは奇跡
チャールズが後継者として目されるようになるとビルはチャールズに対して嫉妬
ビルは4兄弟の中では最も頭がよかったが癇癪持ちで、チャールズがデイヴィッドと自然に味方同士になることにも疎外感を感じていた
フレッドは、自分の野望のために家庭を犠牲にしたようなもので、兄弟たちにも協力し合うより教えるよりも喧嘩を仕掛けた

第2章        スターリンの石油マン
フレッドは、アメリカの主要石油会社が出資した合弁会社ユニバーサル・オイル・プロダクツ社から特許侵害で提訴されたこともあって、海外に目を向け、スターリンの支配するソヴィエトとの取引に成功
1920年代 石油精製技術が従来の直留蒸留から熱分解に代わり、精製効率が飛躍的に高まった際、独自の分解技術を開発したウィンクラー=コーク社は精製業界の既存勢力の攻撃を受け、20年に及ぶ法廷闘争に巻き込まれる。この訴訟合戦は、コーク社とコーク家のアイデンティティの中核となる
1934年 ユニバーサルが特許権侵害訴訟で地裁の勝訴判決を得て、控訴審、上告審でも勝訴したが、41年上告審の判事に贈賄事件が発覚し、同判事の関係した判決がすべて無効となる  フレッドは逆にユニバーサルとその出資者を相手に復讐し、1.5百万ドル獲得に成功する。23年間の法廷闘争は息子たちに父親の鉄の意志と一歩も引かない闘争心を見せつけたが、それは後に共産主義の拡大に対する聖なる戦いにおいても同じ姿勢と原則をフレッドが維持していることを息子たちに認識させた
20年代末、建国間もないソ連はスターリンの立てた急速な工業化計画のために、科学者や技術者をアメリカに派遣、石油分解技術を学ばせる一方、西洋諸国の技術と専門知識の 招聘に注力。多くのアメリカ企業がソ連との共同事業を行ったが、コーク社もその1
30年、15か所の石油精製施設に石油分解装置を導入するための設計と建設、コンサルティングを請け負い、総額5百万ドルを手にするが、ソ連滞在中に見聞した共産主義の究極的に邪悪な性質に恐怖心を覚え、共産主義と戦わねばならないと決心するに至る

第3章        ジョン・バーチ協会誕生
58年 ジョン・バーチ協会設立  反共主義に凝り固まったウェルチ(18991985)がインディアナポリスで提唱。フレッドも招かれてすぐに賛同するとともに、積極的に活動を始め、ウィチタが協会活動の牙城となる
最初の攻撃の標的とされたのが人種差別撤廃に道を開いた判決を主導したアール・ウォーレン連邦最高裁判所長官(在任5369)
協会は急速に支持者を集め、共和党内組織に浸透、過激な言動を繰り返し、国政に参加している政治家たちを国家反逆行為を行っていると告発、極右覚醒主義の前衛を果たしたため、政治的に左派のみならず右派にまで恐怖を抱かせ、やがては分裂していく
4兄弟の中で、チャールズが父親の強硬な政治観を最も深く受け継いだ

第4章        MITでのメーデー
61年 ピッグズ湾事件の2週間後、MITの学生のグループが、反共産主義の立場から「キューバ革命反対」を叫んで行進、多くの学生を巻き込んで暴徒化したが、デイヴィッドとビルも主導的役割を担う
61年 チャールズが家業に入る
60年代半ば、フレッドは心臓疾患で入退院を繰り返し、67年死去

第5章        後継者問題
遺産相続では、フレデリックだけが除外されたが、フレッドの会社の14.2%の株主
残る3兄弟は20.7%の株式を保有  4つの牧場、原油買い付けと石油精製、石油試掘事業、エンジニアリングの4つが事業の核で、チャールズはコーク・インダストリーズという1つの会社にまとめ、年間売上は250百万ドル(現在の価値に換算すると170億ドル)となり、非上場企業ではアメリカ最大規模
69年のグレート・ノーザン・オイルを株式交換により支配、カナダ産の原油の安定供給に貢献したのを皮切りに、液化天然ガス事業にも進出し、アメリカのプロパンガスの1/5を支配、さらにパイプラインの構築とトラック輸送力の整備に注力、農業関連にも進出
石油ショックの時期には大型タンカーを発注して倒産の危機にも瀕したが、拡大政策が成功して、15年で時価総額15億ドル(30)に成長
70年にはデイヴィッド、ビルも相次いでコーク社に入り、それぞれに実績を上げる

第6章        リバータリアン・コーク大帝国の勃興
56年 ルフェーヴル(191186)がフリーダム・スクールを、コロラド州ランパート・マウンテン牧場に開校、自由を何よりも信奉するリバータリアニズムの聖地となる
60年代初頭、ジョン・バーチ協会の幹部を味方につけることに成功
チャールズは、ルフェーヴルにとって理想的な生徒
市場による「自生的秩序spontaneous order」に介入しようとする政府の試みに反対するオーストリア学派の主張に共鳴
ヴェトナム戦争を巡り、アメリカ国旗を振り回す保守派のバーチ協会に対し、チャールズはルフェーヴルの平和主義的な教えに傾倒して反戦の広告を掲載、バーチ協会から脱退するが、チャールズは保守的なイデオロギー的立場を深め全く新しいそして急進的な立場をとるようになり、数十年後コーク社は、コーク兄弟とルフェーヴルとの間の緊密な関係を否定
チャールズは、貪欲にコーク社の成長に注力すると同じくらい、リバータリアニズムの普及、大衆参加型の運動に発展させようと奔走
72年の大統領選でヴァージニア州選出の代理人としてニクソンに投票すべきところをリバータリアン党の候補者たちに投票して英雄になったマクブライドが76年の大統領選に立候補した際、チャールズは全面的に応援したが、僅か173千票しか獲得できず惨敗
79年の選挙戦では副大統領候補に推され、代わりにデイヴィッドが正式に立候補したため、おおっぴらに自己資金を選挙戦に注ぎ込むことが可能になり、リバータリアン党初の全国党大会を開催、金で地位を勝ったと揶揄されながら、副大統領候補戦で勝利
選挙結果は、デイヴィッドから総額2百万ドルの資金援助のお陰で全米50州とワシントンDCのすべてで票を獲得、総数でも1百万弱、得票率1%となり、現在までの最高得票を記録  終盤にイデオロギー的妥協が重なって原理主義者の反発をかったこともあり、45%と期待された水準には程遠かった

第7章        兄弟間の泥沼の戦争
ビルとチャールズの関係悪化が、遺産相続絡みから復活し、チャールズの経営方針への批判が時に度を越したため、両者は敵対関係に  会社が政府との間で起こす紛争の数が急増したことやリバータリアニズム運動への過度の肩入れもチャールズの経営への懸念材料となっていた
ビルがフレデリックを説得してプロキシ―ファイトを仕掛け、危うく過半数を占められそうになったが、最後で親族以外の株主が寝返ってチャールス側が勝利。ビルは解雇されるとともに持株の買取のため、投資銀行の査定が入る
827月『フォーチュン』誌が「超巨大企業を巡る家族の争い」と題する記事を掲載、醜聞が世間の耳目を集めるとともに、兄弟間で訴訟合戦に発展するが、最終的に11億ドルでチャールズに敵対している株主たちの株式を買い取ることで和解が成立、ビルは470百万ドル、フレデリックは330百万ドルを受け取る  兄弟間の諍いの始まり

第8章        万能メアリー
フレッドの死後メアリーはウィチタで一人暮らし、兄弟間の訴訟に胸を痛める
息子たちに公平に接し、中立を保とうとしたが、本心では明らかにチャールズの肩を持とうとしていいたため、ビルがチャールズを攻撃するたびに諫めた
ビルとフレデリックは、それでも懲りずにとうとうメアリーも加えて訴訟を起こし、メアリーは脳梗塞で倒れる
息子より若い男を恋人同然に招き入れたが、82歳で認知症まで併発。90年死去。遺言で、死亡時に家族を相手に提訴している者は相続から外すとなっていたが、家族間の法廷闘争は新たな展開を迎える

第9章        デイヴィッド・コーク
91年ロス空港に着陸する際、小型機と衝突で飛行機が炎上する中、九死に一生を得たがかなり肺を損傷。50歳で独身を謳歌、UNプラザのアパートのペントハウスに住み20歳下の元ミス・アメリカと付き合っていた。マーラ・メイプルズを狙ったこともある。不動産王トランプがマーラと結婚するために最初の妻と離婚した
96年 23歳下のジュリア・フレシャーと結婚。ジュリアはファッション業界に入ってナンシー・レーガン大統領夫人のドレス作りにも手を染めて社交界入りし、デイヴィッドと事故直後に偶然再会、4年半の交際の後プロポーズ。デイヴィッドは、プレイボーイから58歳で良い父親に変身、周囲を驚かせる
ジャッキー・ケネディ・オナシス(192994)他界直後の95年に、デイヴィッドは彼女の5番街1040番地の15室あるアパートを9.5百万ドルで購入、3年かけて全面改装
ジュリアは、ニューヨークの社交界になかなか馴染めずフロリダに逃げ出すこともあったが徐々に浸透。デイヴィッドは前立腺癌でまたも死の淵に直面

第10章     ビル・コークの兵法
ビルはコーク社の株式を売却した後、代替エネルギーの会社を興して成功させ、90年には92年のアメリカズカップに挑戦するためのチームを組成すると発表、ヨット界の常識を破ってMITの科学者にヨット、アメリカ・スリー号の建造を依頼する一方、通常はオーナーが17人目の名誉クルーとなるところだが、自らもクルーの一員となって乗り組み、ディフェンディング・チャンピオンのデニス・コナーを破ってアメリカ代表となり、防衛戦でもイタリアの挑戦を僅差で退ける。ビルは自身の650百万ドルの資産のうち68.5百万ドルを費やす
カンザス州でビルの人気が高まったことと、チャールズの息子が車で死亡事故を起こしたこともあって、コーク社の本拠をヒューストンに移転することを決定
コーク家の家族間の争いには、スパイ活動や不正行為といった裏の手段が双方で使われ、兄弟たちは多くの民間調査員を雇っていた
98年 15年に亘る法廷闘争に決着  ビルとフレデリックは、チャールズのビジネス上の不正と家族に対するビジネス上の扱いを不当に差別しているという純粋にビジネス上の争いとしたのに対し、チャールズ側は、株式買い取りの終わった時点で家族間の争いが終わったはずなのに、会社の成長は望まないのに生み出す利益からの収奪は望むという強欲な家族のメンバーこそが問題だとして争っていた。陪審員団は、株式が適正な価格で買い取られたことを認め、チャールズ側が勝訴したが、兄弟間の戦いは終わらなかった

第11章     「血」を巡る争いの連鎖
96年 コーク社が誇る全米最大総延長4万マイルのパイプラインネットワークが、ダラスで大規模なガス漏れを起こし爆発が1人の娘の命を奪う  離婚した母親は和解に応じたが、一緒に住んでいた父親はコークを提訴。3年後の結審では陪審員団が原告請求の3倍近い296百万ドルの支払いを命じた。これは当時事故死した人に対する賠償金としては史上最高額
1年後にはビルが98年に結審した裁判を蒸し返すと同時に、コーク社を新たな自由で告発、今回は石油測定法をごまかして虚偽請求をしていたことが認定されコーク社側が敗訴、上告も棄却されて25百万ドルの罰金、うち7.4百万ドルはビルに支払われた
さらに司法省の歴史においてもっとも大規模な環境破壊裁判の女性主任検察官がコーク社に狙いを定めてその動向を注視、内部告発もあって、パイプラインからの漏洩事故の回数とその規模、さらには事故処理に際して環境に与える影響に会社が配慮しない姿勢などを理由として95年には水質浄化法違反で起訴。コーク社の人命や安全性を無視した利益追求一辺倒の企業文化が炙り出され、35百万ドル史上最高額の罰金という代償を払わされることになる
訴訟まみれから、コーク社はより現代的な、そしてあまり政治的でない路線に転換。すべての法律と規制の遵守を掲げ、中核事業をより規制の少ないエネルギーと天然資源取引事業に移行。パイプラインは1/10に圧縮
00年 ビルがDVで妻から告発、逮捕され離婚に発展
01年 ビルからの提案で、兄弟間の和解が成立。最大の争点はフレッドの残した美術品コレクションの分配だったが、金銭的な価値は問題にならなかった
05年 ビルの再婚に際してデイヴィッドが介添人になるほど双子の兄弟の関係は「大親友」となったが、ビルとチャールズの関係回復にはさらに5年かかる

第12章     コーク一族の闇
04年 デュポンから繊維メーカーのインヴィスタを42億ドルで買収
05年 ジョージア・パシフィック買収。総額123億ドルと負債78億ドル引き受け
従来から、収集、輸送、加工、取引といったことが得意分野であり、ジョージア・パシフィックとは多くの点で補完し合える関係にあり、木材、石膏、石油といった天然資源を加工して様々な商品を製造。アスベスト関連の多くの訴訟を抱え、数十億ドルの負債に苦しんでいた企業だからこそ、チャールズが狙いを付けたともいえる
コーク社は60年代から、リバータリアニズムに基づく企業倫理を堅持、自ら現実世界にある実験室としてリバータリアニズム運動の普及に貢献、自由市場のユートピアを実現しようと努力
経営構造を水平にし、意思決定機構を分権化  個々の社員の「決定権」を保障
一般社員が新しいアイディアを生み出すことを奨励され、社員の事業家としての本能を刺激するインセンティヴを導入
実力主義に基づく経営  副作用として、弱肉強食や他人を陥れようとする文化が生まれ、社員の士気は下がり気味となって、中間管理職はリストラの恐怖に怯え、差別的待遇を受けた社員からの訴えが頻発
会社内に市場を確立しようとして、文具の使用料まで社員に請求し始めたため機能不全に
社員の評価を、すべて会社利益への貢献度、価値の創造を数値化してやろうとしたため摩擦が起きる

第13章     表舞台に姿を現す
09年の経済ショックでアメリカの市場は自由を喪失
政府は巨額の公的資金を経済に注入
ニューディール以降、アメリカの保守派は拡大された政府の役割を元に戻そうとして戦い続けてきたが、民主党の政策はコーク兄弟が危機感を覚えるものであり、オバマの就任式からすでにオバマの打倒を目指すと決めていた
09年 オバマが住宅ローンの支払いに苦しんでいる人々のために750億ドルの救済計画を立てたことを批判してティーパーティー運動が始まり、全米各地でのデモに発展
熱心な支持者となった兄弟が、巨額の資金援助もあってティーパーティー運動の中心に
運動の背景にチャールズとデイヴィッドの存在が明らかになるにつれ、2人に対する風当たりは強く、特にグリーンピースが環境保護面から、「気候変動に異議を唱える複数のグループ」への多額資金援助を糾弾してきたり、ホワイトハウスも政権批判の背景にコーク兄弟の存在があるとして圧力をかけてきたり、マスコミもコーク兄弟を取り上げだす
2人は自由市場を守る勢力を構築するためには、怒れる大金持ちたちの結集が必要だとして、中間選挙に向けて大口寄付者ネットワークを構築
10年の中間選挙では共和党が85人の初当選を果たし、下院で過半数を回復

第14章     全面戦争
チャールズとデイヴィッドはそれまで以上に人々の注目を集めていた。彼らの写真が左翼系団体の宣伝活動に使われたり、コークという名前は企業の悪事が話題となると必ず出てくるようになる。グリーンピースからは飛行船を飛ばされ、そこには”Koch Brothers Dirty Money”と書かれていた
フレッドからも、自分たちが力を持ち、影響を与えられる存在になると、必ず攻撃を受けるようになるだろうと言われていたが、当時と現代では政治の世界においても無視できないほど大きな存在になっていることが大きな違い
12年の大統領選の真の目的は、共和党自体を作り変えること、そして政治権力の中枢に入り込んで発言権を強化することにあった。イデオロギー上の敵であるリベラル派とではなく、彼らが政治の世界に足を踏み入れたころに同盟関係にあったグループと激しく戦うことになった
大統領候補に担いだのは、犯罪者に対する厳しい態度で知られていた元連邦検事で2年前にニュージャージー州知事になったばかりのクリス・クリスティで、コーク兄弟と彼らのアドバイザーたちは約4億ドルの資金を集めて選挙戦に臨む
コーク兄弟が組織した大口寄付者ネットワークのメンバーは、伝統的な共和党の党組織に対して幻滅を感じ、コーク兄弟に信頼を寄せるようになった。アメリカ政治も、選挙資金関連法の縛りが緩められた結果、党の力が分散化され、スーパーPAC(政治活動特別委員会。アメリカの選挙で活動する政治資金団体)が誕生し、非営利団体も「後ろ暗いお金」を扱うようになったことで、これまでになく個人や企業が政治システムに影響力を持つようになっている
政界において、保守系の黒幕と言われるまでに影響力を拡大。時に、政治的主張において共和党内での対立も辞さない立場をとる
共和党の予備選が厳しい戦いの様相を見せる中で、オバマ大統領はコーク兄弟と戦っているかのように選挙戦を戦い、「秘密主義の大富豪」CMを流してコーク兄弟のやり方を批判
ビルは、偽の高級ワインを売りつけた詐欺師を追い詰める一方、世界最大の石油コークスの生産・販売会社になった自らの会社の中で商品を横流ししていた社員を訴えたが、逆に脱税やその他の法令違反を内部告発される羽目に
12年の共和党の予備選はロムニーが勝利したが、もともと穏健なアメリカ北東部の共和党員だったものが、ティーパーティー運動が生み出した雰囲気のお陰で、「極端に保守的な」政策をぶち上げねばならなかった
デイヴィッドは、08年にはロムニーを支援していたが、11年に八クリスティに支持を変えたもののクリスが不出馬を発表したため、ロムニー側から支援申し出があって引き受ける。ビルも古くからのロムニーの友人で資金面を含め全面的に支援
デイヴィッドほど貢献した人はいなかったが、党大会の期間中に、党の公約に反して「同性愛婚を支持」したり「財政赤字削減のための増税を支持」したりする発言をして顰蹙を買う
結果は惨敗。民主党は連邦下院では議席数を伸ばすとともに上院では過半数を楽々と確保
敗戦の反省に立って、13年には再び候補者選定計画を発表、全面戦争の再開を宣言

第15章     コーク一族の見果てぬ野望
13年 メトロポリタン美術館の正面広場にデイヴィッド・H・コーク・プラザの工事が正式に着工。デイヴィッドが熱心に取り組んできた慈善事業活動の成果だが、直接的には新しい噴水の建設と5番街沿いの改修工事に65百万ドルを寄附したもの
秘密主義を通していたフレデリックは、コーク社の株式を売却して得た莫大な資金を遣って歴史的な建造物や芸術品を買いまくる
コーク社の後継者は、チャールズの息子が肥料部門で働き役員になっている
チャールズとデイヴィッドは会社の株式をそれぞれ40%保有、いずれ3代目の時代になれば内部で新たな議論が起きるだろう
08年 デイヴィッドはニューヨークのリンカーン・センターに1億ドルを寄附、ニューヨーク州立劇場の全面改修を行い、現在はデイヴィッド・コーク劇場と名前を変え、アメリカン・バレエ・シアターの本拠地となり、デイヴィッドは公演にも多額の寄付を行っている


HONZ 書評 

2015.12.22. 村上

1982年広島県府中市生まれ。京都大学大学院工学研究科を修了後、大手印刷会社、コンサルティングファームを経て、現在は外資系素材メーカーに勤務。学生時代から科学読み物には目がないが、HONZ参加以来読書ジャンルは際限なく拡大中。米国HONZ、もしくはシアトルHONZの設立が今後の目標。

世界最強国家アメリカで、最も影響力を持つのはどの一族だろう。20数年間で2人の大統領を輩出し、さらに3人目の大統領候補を送り出そうとしているブッシュ家だろうか。世界最大の石油企業スタンダード・オイルに始まり、金融や軍事関連企業を次々と傘下におさめ、政界にも強いコネクションを持つロックフェラー家だろうか。
夫婦で大統領となる可能性の出てきたクリントン家や世界一の大富豪として慈善活動を強力に推進しているビル・ゲイツなど、大きな力を持つアメリカ人の名前は数多く思い浮かぶ。ところが、左派系メディア『マザー・ジョーンズ』誌シニア・エディターである本書の著者は、Wikipediaの日本語版にも個別記事がなく、日本ではその名を知る人の少ないコーク四兄弟こそが、「現在のアメリカにおいて、最も影響力を持ち、強力で、人々の耳目を集め、嫌われている人たち」であるという。
コーク一族が所有・経営する非上場企業のコーク・インダストリーズは、売上115000億円、従業員数10万人以上という規格外の規模を誇る。また、この企業グループが取り扱う製品はガソリン、ステーキ肉、窓ガラスから肥料にまで及ぶため、アメリカで生活していれば毎日何れかのコーク社製品を使用していることになる。
コーク一族の影響力は産業界にとどまらない。政治や思想においても、彼らはアメリカの姿を一族の望む方向に大きく軌道修正してきた。共和党内で突然大きな力を持つグループとして登場したティーパーティーもその源流をたどればコーク一族に辿り着く。この一族は、2016年の大統領選挙期間には1,000億円以上もの資金を注ぎ込もうとしている。さらに彼らは、政府の果たす役割の極限までの削減を訴えるリバータリアニズム思想と自由市場の一層の推進をアメリカに売り込むことにも成功した。ある大学教授は、コーク四兄弟の次男であるチャールズがいなければ、「自由市場と政策を研究する期間はどこも存続できなかったし、繁栄することもできなかっただろう」と語っている。
あらゆる面で絶大な権力を行使し続けたコーク一族やコーク社の存在は、近年まではアメリカ人にも広く知られることがほとんど無かったという。コーク一族はどのようにして、これほどまでに巨大な帝国を国民の注目を浴びることなく築き上げることに成功したのか。コーク一族はなぜ、不毛としか思えない家族間の裁判を戦い続けているのか。そしてなにより、コーク一族は何を信じ、世界をどのように変えようとしているのか。著者は長年に及ぶ取材によって、いささか過剰とも思える詳細さを500頁を超えるボリュームに詰め込み、コーク一族が何者であるかを描き出している。
コーク四兄弟の本当の凄さ、恐ろしさは彼らの持つ資産や人脈ではない。彼らがこれほどまでの影響力を得ることができたのは、あり余るほどのカネとコネを有効に活用する周到な戦略を練り上げる頭脳と、目的のためならどんな手段もハードワークも厭わない執念を持っていたからだ。他にも、休むことなく遊び、働き続ける人間としてのバイタリティ、自分たちこそが世界を良い方向に変えることができるのだという確信など、この四兄弟を知れば知るほど、彼らを敵に回してはいけないと思うはずだ。
例えばチャールズは、リバータリアニズム思想を普及させるためには、価値ある原材料を、消費者の求める製品へ加工し、マーケティングすることが必要だと考えた。ここでの原材料とは強度あるアイデアであり、その調達には大学での研究が必要となる。そのためチャールズはリバータリアニズム研究への寄付を数十年行い続けており、2007年から2011年の間だけで3100万ドル以上を全米の大学に寄付している。アイデアも高尚なままでは理解されないので、抽象的アイデアは現実に適応可能な形式へ変換されなければならない。この変換の役割を担うのがシンクタンクであり、ノーベル賞受賞者をはじめとする著名な研究者の関わるケイトー研究所などの運営にもチャールズは深く関わり続けている。最後のマーケティング段階で必要となるのは市民運動家によるグラスルーツ運動だ。コーク兄弟が起ちあげたAFPという団体は拡大を続け、ティーパーティー活動へと発展していった。
とてつもない才能を持ち合わせているのはチャールズだけではない。四男ビルは家族間の泥沼裁判の末にコーク社の経営から追放されたと思ったら、新たに立ち上げたオックスボウ社を設立7年足らずの1990年には売上10億ドルの規模にまで成長させてしまう。そして、ひょんなきっかけから1年半後に開催が迫った世界最高峰のヨットレース、アメリカスカップへの参加を決意する。海のないカンザス出身のド素人が資金をだすだけでなく自らもチームの一員として参加するというのだから、ビルの勝利を予想する者などただ一人もいなかった。しかし、ヨット製造業者でなくMITの科学者にヨット製造を依頼するなど、ヨット界の常識に従うこともなく、ビルは1992年のアメリカスカップに勝利してしまったのだ。とにかく、何に驚けばよいかわからないほどに規格外。
チャールズ、ビル以外の長男フレデリック、三男デイヴィッドも他の2人に負けず劣らずの個性と才能を持っている。本書を読む限り、彼らはビジネスの拡大にはさほど苦労していないように思える。コーク一族がその闘いに手を焼いているのは政府であり、社会主義思想であり、そして多くの場合が身内である。こんな四兄弟がどのようにして生まれ、育てられたのかを知るために、本書の物語は、彼らの父親でありコーク社の創業者フレッド・コークの人生からスタートする。四兄弟の大富豪の子弟らしからぬ振る舞いと執着心はフレッドの厳格過ぎる教育が、四兄弟が追い求めるリバータリアニズムはフレッドが目の当たりにしたヨシフ・スターリンが支配するソ連での惨状が大きく影響を与えている。アメリカで何が起こっているのか、アメリカは今後どこへ向かうのか、この一族を知ることで多くのことが見えてくる。


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コーク兄弟強制削除
出典: 全自動百科事典『オートペディア(Autopedia)』
コーク兄弟は海外の歴史的自動車、船舶。コーク兄弟については アメリカ合衆国 化学産業との関連が有名であり、 政治記事の分野で高い評価を得ている。 また、 新人議員 状況証拠に関わるものとしても知られている。
現在インターネット上ではコーク兄弟についての発言は 8420回に及んでいる。 この回数は、毎日言及されたとして 23 年分の発言量であり、毎時間言及されたとして 0 年分の発言量に相当する。
歴史的経緯
略歴
コーク兄弟は海外のひみつ道具、スイーツとして注目を浴び、世間によく知られる存在となった。
第一次ブーム
アメリカ合衆国の分野で注目を浴び、人々の関心を集める。
第二次ブーム
学者らの研究により化学産業との関連性が明らかになる。
現在
現在コーク兄弟は政治記事の分野でも重要視され、これからの研究が期待されている。
コーク兄弟とアメリカ合衆国の関係
記録によると、コーク兄弟は アメリカ 党員集会に関係するものとして世間に登場した。 また、 アメリカ合衆国の分野で最初の注目を集めたことで、 それらに関する話題でも人々の注目を集めた。
この時期の代表的な人々の感想は「2009年頃から、米国の政界を」であり、 これはコーク兄弟に対する当時の見方について、今でも多くの示唆を与えてくれる。
以下、コーク兄弟とアメリカ合衆国について語られた当時の発言をいくつか挙げておく。
このティーパーティー運動は、アメリカ国民の中から自然発生的に誕生したものだと思われていたが、資金提供者としてコーク兄弟の存在が浮上し、全米メディアが彼らに注目した。
彼らはリバタリアン市場至上失鐔錞者だが、コークインダストリーという巨大コングロマリットを支配し、膨大な資金を背景にティーパーティ運動の影の。
その結果、クルーズとルビオが有力候補として躍り出たわけだが、この2人ならば、どちらであってもコーク兄弟としては支援を表明。
現在インターネット上ではコーク兄弟とアメリカ合衆国について 議論されているWebページの数は 2370件である。 この数から、現在はコーク兄弟とアメリカ合衆国についての関心は落ち着きを見せていると考えられる。
コーク兄弟と化学産業の関係
近年コーク兄弟に対する研究は活発になっており、これまで分かっていなかったいくつかの事実が判明している。 それらの中でも特に注目に値するのは、 汚染除去 との関係である。 化学産業の分野での コーク兄弟の重要性は周知の通りだが、この範囲に収まらない重要性が現在指摘されている。
この時期、コーク兄弟に関しては多くの言説がなされた。その中でも代表的なものは 「コーク兄弟は、汚染除去」である。
以下、その他のコーク兄弟と化学産業に関してなされた発言をいくつか掲載しておく。
*  この成果がいまとりわけ意義深いのは、保守系の大富豪であるコーク兄弟を初め、米保健社会福祉省に長年、圧力をかけてきた化学産業が、今回は敗れたからである。
*  コーク兄弟の経営するコークインダストリーズは石油化学繊維製紙産業を含むコングリマリットで、個人経営の企業では穀物メジャーのカーギル社に。
*  現在のコーク兄弟の産業は、精製、化学、バイオ燃料だけでなく、林業、消費者向け製品、肥料、ポリマーおよび公害防止設備にも深く関わっている。
現在インターネット上ではコーク兄弟と化学産業について 議論されているWebページの数は 96件である。 この数から、現在はコーク兄弟と化学産業についての関心は薄れつつあると言えるだろう。
コーク兄弟と政治記事の関係
現在、コーク兄弟は 政治記事との関係で語られることが多い。 その根拠となることは、コーク兄弟と 政治記事が、 政治思想で結びついていることにある。 特に、「参院選は圧勝のハズでは」という意見は注目に値する。 この発言は、コーク兄弟の本質をよく語っている。
以下、コーク兄弟と政治記事に関してなされた発言の中から代表的なものを挙げておく。
また、59日付のザハフィントンポストの記事では、ロサンゼルスタイムスの社内表彰式で、社員の半数は。
コーク兄弟は共和党の大口献金者であり、彼らから政治資金の寄付を受ければ、その意向を。
同会議の招待者のチャールズ75歳とデビッド70歳のコーク兄弟は、アメリカの保守。
現在インターネット上ではコーク兄弟と政治記事について 議論されているWebページの数は 4550件である。 この数から、現在はコーク兄弟と政治記事についての関心は落ち着きを見せていると考えられる。


Koch Industries, Inc.
アメリカエネルギー関連の総合企業。アメリカ合衆国カンザス州ウィチタに本社がある。1940設立

非上場企業で世界1位の社長チャールズ・コーク
2014/07/15

起業した会社の9割以上が、創業の嵐に飲み込まれてつぶれていくといわれています。この嵐を乗り越えるには、創業者の並外れた情熱が必要です。
生き延びるために必死になって働いて積んだ成功体験は、創業者に染みついていきます。創業の嵐を乗り越え、成長期、安定期に入ることができた創業者に大なり小なりカリスマ性が備わっていることが多いのはそのためです。
それに対して、子供が後をついた場合、創業の嵐を乗り越えたことも、食べる心配をしたこともない二代目は、相対的に強烈な個性はなく、ひ弱だといいます。
チャールズ・コークスは創業者である父フレッドの後を継いだ二代目経営者です。コークス・インダストリーズのホームページを見ると、社史に登場するのはフレッドのみです。
しかし、年商1,150億ドルと言われる巨大企業に成長させたのは、弟のデイビッドを片腕に40年以上、会社を支配し続けたチャールズなのです。
父フランクによる創業
イングランドでキャリアをスタート
チャールズの父フレッドが石油業界にはいったのは1924年のことです。イングランドでメドウェー石油会社の社員として経験をまずつみました。
このフレッドのボスでありメンターであったのがテキサス生まれの起業家チャールズ・ガナールです。チャールズ・コークスの名前はフレッドが尊敬を寄せていたガナールにちなんで名付けられたものです。
パートナーシップとして創業
1926年、米国に帰国したフレッドを自分の事業キース・ウィンクラー社に誘ったのが正チュー工科大学時代のクラスメートでした。従業員でなく、パートナーであれば参加すると、フレッドは300ドルで会社の株の3分の1を獲得しました。
しかし、立ち上げた会社はなかなかうまくいきませんでした。貸しオフィスの中の粗末なベッドで眠る日々が続きました。
1928年、石油の熱分解プロセスをフレッドが開発し、独立系の製油所に販売して利益をあげたのが成功の始まりでした。
パートナーシップを終了して自分の会社を立ち上げる
1945年、フレッドはパートナーシップを終了して自分の会社「コーク・エンジニアリング・カンパニー」を設立しました。装置事業で拡大を続け、事業を成長させ、従業員3,800人をかかえるようになりました。
しかし、会社は大きくしても株式上場をすることはありませんでした。私企業のまま、コーク・エンジニアリング・カンパニーは成長を続けていきます。事業内容もエンジニアリングから石油精製に移行するようになりました。
共産主義嫌い
フレッドについて述べておかなければならない点が一つあります。
1928年にビジネスの機会を求めてソ連に行ったフレッドは共産主義に大の共産主義嫌いとなったのでした。
1960年に出版された「ビジネスマンが共産主義を見る」では、ソ連を「飢えと惨めさと恐怖の国」と書いています。
そして右翼団体ジョン・バーチ協会の創設メンバーとなります。共産主義者を徹底的に弾圧したというので、ムッソリーニを賞賛したこともあります。
これほど極端ではないかもしれませんが、政治観の根本は息子たちにも受け継がれていくことになります。
チャールズの社長就任まで
教育
フレッドには4人の息子がいます。次男のチャールズが生まれたのは1935年でした。父と同じくマサチューセッツ工科大学に進みます。
まずは一般エンジニアリングで大学を出た後、大学院に進み、機械工学と化学工業の2つの分野で理学修士をとりました。
父の会社に入社
当初はアーサーD.リトル社でキャリアをスタートします。しかし、1961年より父の事業を手伝うようになりました。
社長就任
1966年、父の死の前年度に、社長に就任しました。このときの会社はまだ石油精製会社としては中規模でした。
しかし、確かな経営の手腕をもつ二代目社長の下、会社は大企業へと発展します。会社規模は就任当初の2000倍にふくれあがりました。株式を上場しない私企業のままです。
「コーク・インダストリーズ」と名を改めた会社は、私企業としては世界12を争う規模です。2013年の売り上げ1,150億ドル、米国での雇用者数50,000人、他の29カ国で20,000人を雇用しています。
株式公開した会社になっていれば、世界の巨大企業のランキングを行うフォーチュン500社で17位につけることになります。
成功の科学
市場ベースの経営
チャールズの経営術は2007年に出版された著書「成功の科学;市場ベースの経営による世界最大の私企業の構築方法」に書かれています。
成功の秘訣は「市場ベースの経営(MBM)」とよばれる手法を使って結果を追い求めたことにあるとチャールズは言います。
MBMは科学的な経営方法で、理論と実践を統合したものです。成長と変化という継続的な課題を取り扱う枠組となっています。
MBMは人間の行動に対する科学に基づいたものです。5つの側面があります。
  • ビジョン- 会社が長期的に最大の価値を生み出すのは何で、その方法は何なのかを見定める
  • 美徳と才能援助により、正しい価値、技能、能力を持つ人を雇い、雇用し続け、育てていくことができる
  • 知識のプロセス関連性のある知識を産み、獲得し、共有し適用し、利益を測定して追跡
  • 決定権正しい人物が正しい方法で決定を下す正しい権限を持つようにし、報告義務を持たせる
  • インセンティブ組織に作り出す価値に応じて報酬を与える
経営者、経済学者から賞賛
科学者として経営にも科学を生かそうとしたチャールズの姿勢は高く評価されました。
「起業家には必読の本」(シャープ・カーマックス社会長)
「コーク・インダストリーズを大成功に導いた市場ベースの経営、謙遜と誠実さという人格を育てるビジョンだ」(バーノン・スミス(2002年度ノーベル経済学賞受賞者)
「コークほど成功の基盤となる原則をうまく実践できたものはいない」(ロブ・ウォルトン・ウォルマート会長)
一般の読者からも、「(経営学の巨人である)ドラッカー以来、最高の経営に関する本」などの賞賛が寄せられています。Amazonでは132のレビューが寄せられ、5つ星中4.5の評価を獲得しています。
政治とのかかわり
ティーパーティーの黒幕
しかし、現在では、チャールズを含むコーク兄弟の名前が賑わすのは経営・経済記事ではなく、政治記事かもしれません。
2009年頃から、米国の政界を「ティーパーティー」運動が揺り動かしています。超保守派による運動です。保守派の草の根運動とも呼ばれています。
その主張は、金持ちからたくさん税金を取る政策に反対、金持ちから税金をたくさんとって保険など福祉政策で貧しい人に還元しようとするのは反対、というものです。
その資本元となっているのが、チャールズと弟のデイビッドのコーク兄弟なのです。
共産主義を敵視した父の政治観を受け継いだコーク兄弟は、連邦政府が富を集める流れを自由への脅威として見なしています。保守派に長年、献金をしてきました。とはいえ、それほど表だった行動はとっていませんでした。
兄弟が政治へのかかわりを変えたのは、ブッシュ政権のイラク戦争など財政的に無理な政策が推進されたことがきっかけでした。
寄贈だけでは限界がある、エリートを結集させ、新たな草の根レベルの運動を起こして市民を巻き込み、保守派政治をたてなおすしかないと兄弟は考えるようになります。
そこで、「コーク・ミーティング」という場を設け、保守派の石油、銀行、製造、不動産業界の企業家や政治家を招き、議会キャンペーンから裁判官の選挙まで様々な政策を話し合い、資金調達を行いました。
当初は15名程度の出席者しかいなかったこのミーティングは、参加者と調達額を増やし、今では年二回の定期開催となり、調達額も増加しています。
同時に、草の根レベルの立て直しを始めます。小さな政府、低い税金、少ない規則を目標に、一般市民の間での会員拡大を目指しました。
ティーパーティーといわれるグループは今では共和党候補の票を握る存在となっています。
ティーパーティーの黒幕となったコーク兄弟が、大きな政府、富裕層から高い税金をとって保険など貧困層向けの政策を行おうとするオバマ政権と対立するのは必然的なことでした。
オバマケアと呼ばれる医療保険改革への抵抗は有名です。2014610日にも、オバマ政権に理解を示したとしてティーパーティーからの指示を受けられなかった共和党No.2のカンター下院院内総務がティーパ-ティー支持者の候補に敗れています。
オバマ政権はティーパーティーに属する団体には高い税金をかけるようにはからっているというスキャンダルもでています。コーク兄弟とオバマ政権との駆け引きはまだまだ続きそうです。

現代ビジネス.
「アメリカの真の支配者」コーク一族がトランプの暴走を静観する理由
20160324日(木) 古村治彦 賢者の知恵

「トランプを止めるには、もう手遅れだ」
トランプ旋風を受けて、共和党内部に動揺が走っている。「トランプが本当に共和党の大統領選挙候補者になってしまう」という危機感が、エスタブリッシュメントと呼ばれる連邦上院議員や大口献金者たちの目をようやく覚まさせた。彼らの中から「トランプ不支持」を表明する人たちが多く出ている。
2012年の大統領選挙で共和党の候補者であったミット・ロムニーは33日に記者会見を開き、トランプを「インチキな詐欺師」と批判した。また、2012年の大統領選挙でロムニーの副大統領候補となったポール・ライアン連邦下院議長もトランプを批判。ジャパン・ハンドラーとして有名なリチャード・アーミテージ元国務副長官も「トランプの言動や行動を軽蔑している。トランプが共和党の大統領候補に指名されたら自分はヒラリー・クリントンに投票する」とこきおろした。
また、共和党系の外交政策専門家たちも、201632日付で公開書簡を発表し、トランプ批判を行った。公開書簡に名前を連ねた人々の中には、ロバート・ゼーリック、ロバート・ケーガンといった、ジョージ・W・ブッシュ前共和党政権の外交・安保政策を牛耳ったネオコン(ネオコンサヴァティヴ)たちも含まれている。アメリカのマスコミではこの書簡を「共和党内タカ派によるトランプへの宣戦布告書」と呼んだ。
しかし、アメリカの大物政治評論家で保守派のチャールズ・クラウトハマーの見方は悲観的だ。スーパーチューズデーが終わった時点で、「トランプを止めるために今から動いても、もう手遅れだ」と発言している。
クラウトハマーは、数々の過激な発言やスキャンダルがありながらも、トランプに対する支持は増加していると指摘し、共和党のエスタブリッシュメントは、トランプを阻止することはできないだろうと述べた。
そのような状況の中で、アメリカを代表する大富豪であるコーク一族の動向に注目が集まっている。

なぜコーク一族は動かないのか
拙訳『アメリカの真の支配者 コーク一族』(ダニエル・シュルマン著)が注目を集めたこともあってか、このところ、日本のメディアでもコーク兄弟の動向が報道される機会が多くなった。
大統領選の趨勢を決めるとまで言われるほどの影響力をもつコーク兄弟だが、これまで、大統領選挙についてはずっと静観してきた(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47846)。トランプやクルーズの発言を新聞紙上で批判したことはあったが、具体的に誰を支持するかを表明していない。
そして、共和党の大口献金者であるコーク兄弟は、共和党エスタブリッシュメントとはまったく異なる動きをしている。201633日付のロイター通信は<大富豪コーク兄弟、予備選からのトランプ氏追い落としに動かず>と報じた。記事によると、コーク兄弟がスポンサーとなっている政治組織「フリーダム・パートナーズ」の代表が、コーク兄弟が大統領選挙に関与する計画はない、と述べたということだ。
前回の論稿でもご紹介したように、トランプはコーク兄弟を批判しており、一方でチャールズ・コークはトランプの言動を批判している。また、コーク兄弟がまとめ役をしている大口献金者ネットワークの人々は、今年2月の段階でトランプ阻止のために動き出している。それなのに、コーク兄弟が自分自身の資金をトランプ阻止のために使わないと表明したことは、「消極的ではあるがトランプを支持する」と表明したようなものだ。
また、コーク兄弟の兄でコーク・インダストリーズの総帥チャールズ・コークは、今年218日付『ワシントン・ポスト』紙の論説ページに寄稿し、民主党候補のバーニー・サンダースと自分は、大企業への補助金に反対では一致しているとし、「この点ではサンダースは正しい」と書いた。
サンダースはアメリカの輸出入銀行の資金の75%が大企業保護に使われていると批判しているが、前述の政治組織「フリーダム・パートナーズ」が制作したテレビコマーシャルの中では「バーニー・サンダースは輸出入銀行について正しいことを言っている」とのキャプションが流れ、サンダース発言を支持する旨が示されたのだ。
アメリカのメディアは、これを「イデオロギー的に正反対であるはずの両者が一致するという奇妙な光景」と報じている。
アメリカ屈指の大企業であるコーク・インダストリーズを経営しているコーク兄弟が大企業に対する補助金に反対しているのは、彼らが信奉しているリバータリアニズムという思想が関係している。
詳しくは拙著をお読みいただきたいが、リバータリアニズムとは、個人の自由と市場を尊重するというもので、補助金がなければ倒産してしまうような企業を助けることや、補助金によって公正な競争がゆがめられることに反対、という立場になる。
コーク兄弟は、他の大富豪たちとは違ってトランプ阻止に動かず、そして敵方であるサンダースを褒めるという、一見すると奇妙な動きをしている。一体なぜか。
共和党に「荒療治」を施す?
その理由をさらに深く理解するためには、アメリカの外交政策をめぐる大きな思想的対立の歴史を理解する必要がある。
アメリカ外交の大きな流れに、アイソレーショニズム(国内問題優先主義)とインターヴェンショニズム(海外積極介入主義)がある。アイソレーショニズムは、海外の諸問題に関わり過ぎず、国内の諸問題解決に力を注ぐべきだとし、アメリカ軍の海外派兵には消極的な考えだ。
一方の海外積極介入主義は、海外の諸問題解決に積極的に介入し、アメリカが世界に誇る民主政治体制と基本的人権の尊重を世界に拡散し、世界平和を達成するべきで、そのためならばアメリカ軍の海外派兵も行うべきだという考えだ。
今回の大統領選挙候補者たちがこの2つの流れのどちらに属するのか分類してみると、「アイソレーショニズム(国内問題優先)」にはドナルド・トランプ、バーニー・サンダース、一方の「インターヴェンショニズム(海外積極介入)」には、テッド・クルーズ、マルコ・ルビオ、ヒラリー・クリントンがそれぞれ属するということになる。
この分類から見てみると、リバータリアニズムを信奉するコーク兄弟と考えが合うのは、意外にもトランプとサンダースということになるのだ。コーク兄弟は小さな政府を理想とし、アメリカ軍が国防以上の「世界の警察官」として活動することや外国の非民主的な政権の打倒のために使われることに関して、「税金の無駄遣いだ」として反対している。
彼らは反共主義者であるが、ヴェトナム戦争に反対している。コーク兄弟からすれば、インターヴェンショニズムではなく、アイソレーショニズムのほうが好ましいということになる。
もっと深読みをするならば、コーク兄弟は、トランプ旋風を使って、共和党に「荒療治」を施そうとしているのではないか、と私は考えている。
コーク兄弟とトランプの「共通の敵」
具体的には、共和党内のネオコン勢力に打撃を与えようとしているのではないかと考える。ネオコン勢力と民主党の人道的介入主義勢力との親和性は高い。所属している党が違うだけで、主張していることはほぼ同じだ。
ネオコン勢力の起源をたどると、民主党の外交政策がタカ派的になったことに不満を持った人々が、大挙して共和党に移ってきたことから始まっている。
このネオコンに対して、「元々民主党ではなかった人間たちが大挙して共和党に入ってきて、ジョージ・W・ブッシュ前政権時代に外交政策と国家安全保障政策を牛耳り、必要のないイラク戦争を引き起こしてアメリカを泥沼に引きずり込んだ」という怒りがコーク兄弟にはある。
前述したように、トランプに対しては共和党の外交専門家たちが公開書簡の形で批判をしているが、書簡に署名した中には多くのネオコンに分類される人物たちが入っている。トランプはイラク戦争についても失敗だったとはっきり述べており、イラク戦争を推進したネオコンにしてみれば、まさに敵である。
そして、コーク兄弟もネオコンを敵視するということになると、ネオコンはトランプとコーク兄弟にとって共通の敵となる。結果として、いまだに共和党の外交政策分野で大きな影響力を持つネオコンを叩くために、コーク兄弟は、トランプを阻止する動きには出ず、トランプを使って共和党に荒療治を加えることができる、というわけだ。
このように考えると、現時点までのコーク兄弟の行動を説明することができる。彼らもまた「怒れる共和党支持者たち」と同じく、現在の共和党に対して不満と怒りを持っている。今回のトランプ旋風を利用して共和党を変革しようとしていると考えることが可能だ。
アメリカ政治における思想対立を大きな軸にしながら、これから共和党の予備選挙は後半戦を迎え、ますます激しさを増し、眼を離せない状況になっていくだろう。



リバタリアニズム(: libertarianism)は、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する、自由主義上の政治思想[1][2]。リバタリアニズムは、他者の身体や正当に所有された物質的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由であると主張する。[3]日本語においてもそのまま「リバタリアニズム」と表現される場合が多いが、元来の思想から語彙の変遷した「リベラリズム」と区別する意味において、単に「自由主義」と訳されることはなく、完全自由主義、自由至上主義、自由意志主義など多数の訳語が存在する。また、リバタリアニズムを主張する者をリバタリアンと呼ぶ。
なお、哲学神学形而上学においては決定論に対して、自由意志と決定論が両立しないことを認めつつ(非両立説 incompatibilism)、非決定論から自由意志の存在を唱える立場を指す。この意味では、日本語では自由意志論等の形に訳されることのほうが多い。
概要[編集]
リバタリアンは、「権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する」という信念を持っており[1]、個人の完全な自治を標榜し、究極的には国家や政府の廃止を理想とする[4] また、自律の倫理を重んじ、献身や軍務の強制は肉体・精神の搾取であり隷従と同義であると唱え、徴兵制福祉国家には強く反対する。なお、暴力詐欺、侵害などが起こったとき、それを起こした者への強制力の行使には反対しない。自然権的リバタリアンと帰結主義的リバタリアン[5]などに分類される場合がある。
アメリカ合衆国では、選挙年齢に達した者のうちの10%から20%が、リバタリアン的観点を持っているとされている。[6]
リバタリアニズムの基本理念[編集]
リバタリアニズムでは、私的財産権もしくは私有財産制は、個人の自由を確保する上で必要不可欠な制度原理と考える。私的財産権には、自分の身体は自分が所有する権利を持つとする自己所有権原理を置く。(ジョン・ロック)私的財産権が政府や他者により侵害されれば個人の自由に対する制限もしくは破壊に結びつくとし、政府による徴税行為をも基本的に否定する。法的には、自由とは本質的に消極的な概念であるとした上で、自由を確保する法思想(法の支配/rule of law)を追求する。経済的には、市場で起きる諸問題は、政府の規制や介入が引き起こしているという考えから、市場への一切の政府介入を否定する自由放任主義(レッセフェール/laissez-faire)を唱える。
リバタリアニズムにおける自由[編集]
マレー・ロスバードによると、自由とは個人の身体と正当な物質的財産の所有権が侵害されていない事という意味である。またロスバードは犯罪とは暴力の使用により、別の個人の身体や物質的財産の所有権を侵害する事と定義した。[7]
またロスバードは、古典的自由主義者が使用してきた消極的な自由の概念は所有権の観点から定義されていないので曖昧で矛盾に満ちており、知的な混乱と、国家や政府が公共の福祉や公の秩序を理由に個人の権利を恣意的に制限する事を許す事に繋がったとして批判している。[8]
所有権、財産権の根拠[編集]
マレー・ロスバードは万人の為の平等な自己所有権を否定した場合の二つの論理的な選択肢を検討し、万人の為の100%の自己所有権だけが唯一正当化可能な普遍的倫理であると結論した。また物質的な財産についても同様に、最初の占有者がその物質的な資源の所有権を獲得する事を否定した場合の二つの論理的な選択肢を検討し、最初の占有者がその物質的な資源の所有権を獲得する事だけが唯一客観的に正当化可能であると結論した。[9]
ハンス・ヘルマン・ホッペは、人々の間に恣意的で主観的な分類的差別を作る規範は客観的、間主観的に正当化される事は出来ず、それ故に全ての人に等しい権利を認める規範だけが正当化されると述べ、次に、立論には彼の身体の使用を必要とするので、彼の身体を彼の意思のみで使用する事を許す自己所有権原理と両立しない全ての規範を主張する人は、もし人が本当に彼の身体を彼の意思のみで使用する権利を持たないならば、彼はそれを主張する事さえ許されない筈であり、このような主張を行う人はそれを主張するや否や彼自身の主張に反する行動を取っており、実践的な矛盾に陥っていると指摘し、それ故に全ての人の平等な自己所有権を認めるリバタリアニズムだけが先験的に正当化されるとした。また彼は同様の推論から最初の占有者がその物質的な資源の所有権を獲得するとする財産原理も矛盾無しに異議を唱える事は出来ないと主張する。(en:Argumentation_ethics)
リベラリズムとの違い[編集]
リベラリズムは自由の前提となるものを重視して社会的公正を掲げるため、リバタリアニズムと相反する。例えばリベラリズムは、貧困者や弱者がその境遇ゆえの必要な知識の欠如、あるいは当人の責めに帰さない能力の欠損などによって、結果として自由な選択肢を喪失する事を防ぐために、政府による富の再分配や法的規制など一般社会への介入を肯定し、それにより実質的な平等を確保しようとする。
しかし、リバタリアンは「徴税」によって富を再分配する行為は公権力による強制的な財産の没収であると主張する。曰く、ビル・ゲイツマイケル・ジョーダンから税金を重く取り、彼らが努力によって正当に得た報酬を人々へ(勝手に)分配することは、たとえその使い道が道義的に正しいものであったとしても、それは権利の侵害以外の何物でもなく、そうした行為は彼らの意思によって行われなければならない。すなわち、貧困者への救済は国家の強制ではなく自発的な仕組みによって行われるべきだと主張する。
その他の思想との違い[編集]
リバタリアンの主張では、リバタリアニズムとは経済的自由と社会的自由(個人的自由、政治的自由)を共に尊重する思想であり、リバタリアン自身による右のノーラン・チャートによれば、社会主義などの左翼思想は個人的自由は高いが経済的自由は低く、保守主義などの右翼思想は経済的自由は高いが個人的自由は低く、ポピュリズム(ここでは権威主義全体主義などを指す)では個人的自由も経済的自由も低い、という位置づけとなる。
リバタリアンの多くは経済的自由と政治的自由の両方を重視するため、社会主義などによる国営化計画経済も、ファシズム軍国主義などによる統制経済開発独裁も、いずれも経済的自由が低い「集産主義」であるとして批判し、同時にまた、共産主義などの一党独裁も、ファシズム軍国主義などの言論統制も、いずれも政治的自由が低い「全体主義」であるとして批判する場合が多い。逆に左翼からリバタリアニズムへの批判には弱肉強食の強欲資本主義である、右翼からリバタリアニズムへは伝統的価値や社会の安定を軽視しているなどと批判される。
また、社会的自由をも尊重する立場であるため、家族性道徳などに対する保守的な価値観を重視する新保守主義とも異なる。
アナキズム(無政府主義)は多数の思想潮流を含むが、基本的には国家や政府を廃止する事で自由や平等を最大化する思想のため、リバタリアニズムと密接に結び付いている。社会主義の側面が強い社会的無政府主義とは対立する場合が多いが、個人主義的で自由放任的な側面が強い個人主義的無政府主義とは共通点が多く、特に自由市場無政府主義はリバタリアニズムの主張と呼ばれる事も多い。
リバタリアニズムの類型[編集]
自然権的リバタリアンと帰結主義的リバタリアン[編集]
自然権的リバタリアン(Right Libertarian)と帰結主義的リバタリアン(Consequentialist libertarian)との違いは大まかに言えば自由を正当化する根拠の違いである。
自然権的リバタリアンはロック的伝統にのっとり、自由を、不可侵な然権としての自己自身への所有権として理解する。他方で、帰結主義的リバタリアンは、最大多数の最大幸福は、相互の不可侵な自由が確立されている状態で最大化されるのであり、政府などによる意図的な規制・干渉は、自然な相互調整メカニズムを混乱させ、事態を悪化させると考える。
現代のリバタリアニズム[編集]
アナルコ・キャピタリズム (無政府資本主義)



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