戦後政治の証言者たち  原彬久  2016.2.3.

2016.2.3.  戦後政治の証言者たち――オーラル・ヒストリーを往く

著者 原彬久 1939年釧路市生まれ。早大第一政経学部政治学科卒。現在、東京国際大名誉教授、法学博士(一橋大)7778年プリンストン大客員研究員。専攻は国際政治学、日本政治外交史

発行日           2015.8.26. 第1刷発行
発行所           岩波書店

政治学にオーラル・ヒストリーの手法を初めて導入した著者が、所蔵のインタビュー資料を駆使して描く日本政治の相貌。岸信介・藤山愛一郎らやその政敵たちの証言を通して、「安保改定」等に彩られた戦後政治史の知られざる断面を明かす

はじめに
この数十年、戦後日本の政治外交史を研究。戦後日本の外交案件を巡って国内政治と国際政治(対外行動)がどのように絡み合いながら政治過程を造形していったのか、これを歴史的に再構築するのが主たる関心事だった
その作業の中で重要なのは、まずは文書資料の収集だが、それと並行して当事者にオーラル・ヒストリーを行うこと
安保改定に関するオーラル・ヒストリーを始めたのは1980年。岸内閣外相だった藤山愛一郎へのインタビューが契機。以後、行動主体へのインタビューは数十名を超える
大部分が死蔵されてきたが、今これを改めて聞き返すと、戦後日本とは何なのか、そして、政治ないし政治家とはいかなるものなのかを理解するうえで、重要かつ興味深い情報を含んでいる
本書は、オーラル・ヒストリーから得られた豊饒な情報を、これまでとは少し異なった観点から再構成して、戦後日本の新しい断面を切りとってみようとしたもの

第1章        オーラル・ヒストリーの旅
オーラル・ヒストリーという手法の発見
日本の政治学を含む社会科学全体を支配してきた流れは文献中心主義
実証研究のテーマとして「戦後日本」を選び、文書資料にオーラル・ヒストリーの手法を加えて、その骨格をなす日米安保体制を巡る日米関係と日本の国内政治がいかなるダイナミズムを見せたのかを明らかにする
インタビューの最初に藤山を選んだのは、岸政権時、外務省条約局長として安保改定に携わった高橋通敏氏のアドバイス
オーラル・ヒストリーの効用:
   話し手の「心の真実」も含め「新事実」を発掘できる
   歴史を立体的に再構築する手法としての有用性  政治過程に参画するアクターたちの行動の裏側を明らかにすることで歴史の豊饒性を立体的に明らかにする
   「歴史の鼓動」を伝える力を持つ  「歴史の臨場感」が生まれる
「記憶違い」や「自己正当化」などは、適宜修正する必要がある

第2章        岸信介とその証言
岸信介へのインタビューは1980年、以降1年半にわたり20数回実施
55年の「保守合同」をはじめとする岸の多彩な政治パフォーマンスが、アメリカの期待に応えるものであり、そのことが「安保改定」をアメリカに了解させる原動力となった
「冷戦の申し子」ともいうべき岸が、冷戦文脈の中で、「憲法改正」「強い日本」「独立の完成」を目指して事績を重ねたことは、アメリカの冷戦政策に合致するもの
吉田との思想的な溝  吉田は天皇制を崇拝し、その「親英米」感は戦前戦後を通じ一貫、戦前は日米開戦に反対し、戦後は日米安保の「不平等性」にもむしろ甘くなったのに対し、岸は「日米開戦」を支持し対米戦争を指導、東京裁判を痛烈に批判する中で「反米」感情が根付く。また、岸にとって、「保守合同」は、マッカーサーの対日占領政策の請負人だった吉田へのアンチテーゼを意味。ただ、吉田に総理を辞めてもらうよう運動を起こしたのは、吉田への個人的な反感ではなく、日本の政治を粛清し、政治の新しい流れを作るためだという。岸の従兄弟が吉田の娘婿という血族関係にありながらそれを超えての闘い
安保条約改定は、日米を対等の関係にしようという岸の並々ならぬ意欲の表れ

第3章        保守政治家たちとその証言
l  中村長芳  1924年山口県生まれ。岸の娘婿の安倍晋太郎と中学同級。岸が戦犯裁判で無罪釈放された後、パージから解放された直後に立ち上げた日本再建連盟で働く。53年のバカヤロー解散後の選挙で初当選した岸の秘書に抜擢、以来30年にわたって秘書。戦後70年史の中で最大規模の政治闘争といわれる「安保闘争」の中で、院外大衆闘争の中心組織・総評の岩井章議長と密談し、反対運動が最終的に「革命」を志向するものではないことを確認したことが、政権側の強硬策の裏付けとなる

l  岸後継秘話  自らの総辞職と引き換えに新安保条約の自然承認を達成した岸は、後継に池田勇人を指名したが、それは池田の政治家としての能力・資質を買ったからではなく、「安保改定」で党内協力を最も必要としていたとき、池田が曲がりなりにもこれに呼応してくれたから

l  矢次一夫  1900?生まれ。国策研究会(右翼)代表常任理事。岸の陰の「友軍」であり「黒幕」と言われた。「安保改定」の前年、岸を戦前の人間として嫌う池田に岸内閣への入閣を説得したのが矢次。これを機に池田が豹変して、日和見から岸支持に回る
l  幻の「吉田暫定政権」「西尾政権」  岸内閣総辞職でも止まらない院外闘争の勢いへの妥協策として考えられたのが「吉田茂暫定政権」だったが、側近の福永健司が拒否、代わりに労働者にも自民党内にも信頼のある民社党委員長の西尾を担ごうとしたが、変節は政治家としての死を意味すると言って断られる

l  藤山愛一郎  大日本製糖社長藤山雷太の長男。岸の執念で57年民間から起用されて外相に。岸は総裁選で石橋に負ける前から「藤山外相」に執着、後継総理の座まで持ち出して説得。岸と藤山は東条内閣打倒に向けて連帯、44年打倒実現、戦後も戦犯から解放された岸を藤山が主として経済的に支えた関係。外相となった藤山は3年の在任期間中、エネルギーの大半を安保改定に注ぐ。予想外に紛糾した条約交渉と野党や世論の反発に、「絹のハンカチが雑巾になった」とまでいわれるほど政治の世界で翻弄された。安保改定と並行して行われた治安力整備のための警職法改正が混乱に火を注ぐ。
警職法で切った岸の手形に乗ってポスト岸に手を挙げた大野伴睦に対抗して岸が藤山に立候補を勧めるが、党人派が石井光次郎でまとまったために、岸は池田で自派勢力の一本化に追いやられたため藤山を降ろそうとするが拒否された結果、総裁選では藤山が3位に落ち、決選投票で池田総理が誕生。以後藤山は「政治家」に転び、2度総裁選に挑戦。すべて私財で賄われ結果、コンツェルンの資産は払底

l  福田赳夫  47年大蔵省主計局長となるが、昭電疑獄事件での収賄容疑で休職、次官になれずに退官して52年無所属で初当選。岸の政界再編に合流、岸の寵愛を得て主要ポストに就くことが、戦前から岸を支えてきた川島正次郎、椎名悦三郎、赤城宗徳といった長老の妬みを買い、岸派内の人間関係を複雑にした。59年警職法騒動を機に党内派閥抗争が激化する中行われた岸最後の内閣改造で、岸は幹事長の福田に人事案作成を命じる。挙党一致内閣を作るため大野を入閣させようとしたが、次期総裁を目論む大野は幹事長ポストを要求し入閣を拒否、代わって半年前に閣僚の辞表をたたきつけたばかりだったが次期総理の匂いを嗅ぎつけた池田が周囲の猛反対を押し切って入閣を受け容れる
この内閣で福田は農相として入閣するが、実際は安保担当大臣として専ら官邸に務め、官房長官代わりに使われた。その余波で当時の官房長官だった椎名悦三郎は、商工省時代から岸を支えてきた側近中の側近にもかかわらず、心中穏やかではなかった
幹事長だった川島も、601月安保新条約調印後、勝算を確信して解散・総選挙に打って出るとの岸の決意に抵抗して阻止、憲政の常道を踏んで民意を問うていればあれだけの騒動にはならなかったかもしれず、歴史の分岐点になったかもしれない
党人派の川島にしてみれば、長年の盟友だった岸が官僚出身の福田を重用するのを見て微妙な心理的違和感を抱き、大野や河野といった党人派と気脈を通じて、岸の政治的決断に対して、時には側近にあるまじき抵抗をしていく
安保騒動の余波で中止された「アイク訪日」の件でも、中止か延期か、どちらが言い出すかで、水面下の交渉が続き、最後は「樺事件」で岸が中止を決断  福田はインタビューで否定も肯定もしなかったが、宮中から訪日再検討の圧力があったようだ

l  赤城宗徳  42年に商工委員会の委員になって以来の岸の盟友。岸内閣の官房長官、防衛庁長官歴任。古参側近として岸政権の屋台骨を支える
強行採決の後の騒動を警察力だけでは抑えきれないと考えた岸は、戦後政治のタブーだった自衛隊の治安出動を検討、周囲からは赤城防衛庁長官に「出動」への圧力がかかるが、周囲を促したのはデモ隊の強権的排除を強く主張していた吉田茂。総理の「命令」があれば出動せざるを得ないが、現場の反対もあって赤城は辞表と引き換えに抵抗しようとまで悩んだものの、結局「打診」「要請」まではあったが「命令」は出ず、岸は「アイク訪日中止」を決断

l  三木武夫  87年に在職50年の表彰を受けた「議会の子」。思想的にも感情的にも「肌合い」が合わず、終始「反岸」「反主流」を貫く。開戦時の閣僚であり、戦前戦中の軍国体制を推進した岸の「権力主義的体質」に警戒心を抱く。自らは小党・小会派を率いて熟達した政治術を駆使、小会派なるが故の利点を最大限活かして自らの政治目的を実現していくやり方をもじって「バルカン政治家」といわれる。現実を貫く力の原理を熟知する政治家であり、誰よりも現実主義者でありリベラリスト

l  下田武三  岸内閣誕生直前まで5年間外務省条約局長として、不平等他の安保条約の「欠陥」処理に追われる。駐米公使としてワシントンに赴任後も、新任の藤山外相の補佐として国会審議に駆り出される。外交と政治の宿命的連動の現実を受け容れて、それに適応する行動を見せた

l  東郷文彦  茂徳の娘婿。アメリカ局安全保障課長として安保改定日米交渉の第一線に立って岸内閣を助ける。10年後は「沖縄返還」を実現。下田と対照的に、外交とは国内政治から離れて自らの論理を追求しなければならない代物と心得、国会対策とは無縁

第4章        社会主義者たちとその証言
l  岡田春夫  安保改定時岸政権を苦しめた代表格の1人。美唄出身。後の衆院副議長。安保改定破棄こそ、日本民族の解放であり、完全独立の証と主張。飛鳥田と同じ平和同志会で、党内最左翼
l  飛鳥田一雄  59年浅沼稲次郎書記長を団長とする社会党訪中団が、北京で米帝国主義を「日中共同の敵」と発言、これがアメリカに衝撃を与え、自民党政権を大きく揺さぶり、折からの「反安保改定」を急進化させただけでなく、その後の社会党左傾化の起点にもなった、戦後史の中で最も重い歴史的事件となる
l  田崎末松  「日中共同の敵」の伏線となったのが前年の「長崎国旗事件」。長崎市のデパートで開催中の中国展の会場で中国国旗が引きずりおろされた事件で、警察が国交のない国の旗だとして犯人を簡単に釈放したため、中国側が激しく抗議、それまで中国側が抱いていた岸政権への敵対意識が極点に達した。これを機に社会党が密かに中国に接近、その舞台裏で活躍した。元陸軍中野学校卒。大陸で対共産党工作に従事。56年訪中の際感動のスピーチをして一気に日中の絆を深める。華北戦線で首級を狙った当の将軍と同席し、「これぞ平和ならでは」といって中国側の心をつかみ、以後日中間の農業交流等に絡み、特に周恩来の絶大な信用を得る。58年の事件の際も訪中直後だったが、在留邦人がすべて引き揚げる中、彼の一行だけは残って農業支援を続けるとともに密かに局面打開の道を探り、党内派閥抗争はおろか与野党の垣根を超えて訪中を敢行、中国側の正式な態度としての「政治3原則(①中国敵視をやめる、②「2つの中国」を作り陰謀を停止する、③中日関係の正常化を妨げない)」を引き出す。中国側の最後通告に対し、日本の国内では田崎の身勝手な行動への非難が起こるが、中国側はその後の社会党の動きを評価、社会党が表に立った日中関係打開が進められる。浅沼訪中団が実現し、「共同の敵」のメッセージが中国側の態度を一変させたが、同時に周恩来からは今後は政府間の協議に移行する旨を言い渡される
l  山花貞夫  93年宮沢内閣不信任に伴う総選挙で新生党や新党さきがけの新党ブームの前に議席を半減させた社会党の指導者。座して死を待つより、日本新党(細川)とさきがけ(武村)の主張する小選挙区比例代表並立制に乗ることを決断
l  久保亘  93年当時の副委員長で、党外交渉に関わる。右派で非自民連立政権に向けて動く。自民にも小選挙区制に乗る動きがあったが、93年中という成立期限に反論が強く最終的に離反。社会党は「過去の戦争への反省と平和への決意を内外に向かって明らかにする」ことを条件に非自民連立政権への参加を表明、新生党の小沢がこれをのんで決着、細川政権の誕生となる。数の上では第1党だが、党内的には選挙で負けた党首は皆辞めているところから、山花が首班といえる状況ではなかった
l  村山富市  細川政権がリーダーたちの政治的未熟さから権力そのものの分配・行使を巡る確執をコントロールできず、内輪揉めから短命に終わった後、小沢・市川(公明)に対抗すべく武村が社会党の委員長になった村山に急接近。「国民福祉税」構想を社さ連携によって「白紙撤回」させるというドタバタ劇で自社さ連立の前に、社さ連携が出来上がっていた。あと1年自民党が野党のままだったら今の自民党はなかったが、細川政権の崩壊で、自民が密かに村山率いる社会党左派に急接近
l  野坂浩賢  村山側近で国対委員長。久保が非自民の建前を貫いたのに対し、自民の亀井が鳥取での警察と県会議員の関係で親しかったことを使って接近、武村が村山首班を前提に仲を取り持った。表の交渉は、小沢が自民から海部を引き抜いて首班に推したために完全に立ち消えとなり、水面下だった自社さ連携が表面化。首班指名の国会では、自民が村山で決定したのに対し、社会党は、つんぼ桟敷に置かれていた久保が、党首への投票で党内をまとめる。直後の首班指名投票では、自民、社会とも離反者が出て過半数を取れず。自社連携が明らかとなって、社会党右派が猛反発するが、野坂の説得により村山首班で決着。ただ、自社連携が個人レベルの交渉だったため、事前の政権協議がなく、俄か作りの「合意事項」は細川政権時の内容と変わらず、具体性に乏しいものだった。
政権発足の3週間後の衆院本会議で村山は「政策大転換」として以下の4点を表明するが、党内合意はなく、95年宣言によって追認  95,6年の参衆院選挙で壊滅的敗北を喫し、社会党は事実上その党史を閉じる
   日米安保体制はアジア太平洋地域の平和・繁栄を促進するために「不可欠」
   自衛隊は「憲法が認める」もの
   「日の丸」と「君が代」の承認
   「非武装中立」は冷戦構造崩壊とともに「その政策的役割を終えた」





戦後政治の証言者たち 原彬久著 元首相らとのやり取り振り返る
2015.11.15. 日本経済新聞

 オーラルヒストリーを活用して戦後政治外交史を解明してきた著者が、この手法との出会いからはじめて、聞き取りの現場を紹介しつつ、戦後政治史を振り返ったのが本書である。
http://www.nikkei.com/content/pic/20151115/96959999889DEBE6E2E3EAEBE4E2E3E6E3E3E0E2E3E79F8BE5E2E2E2-DSKKZO9401897014112015MY7000-PN1-1.jpg
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 政治の現場感覚を知るには、実際に政治をやっている人の話を聞くのが欠かせない。そこで、インタビューをもとに事実を発掘し、政治の現場を再構成する手法であるオーラルヒストリーの出番となる。
 もっとも、会えば話が聞けるわけでもない。いきなり「政治は夜つくられるんだ。学者は政治が白昼つくられると思っているらしいが、勘違いも甚だしい」と怒り出す政界フィクサーの凄(すご)みに押されて、つい録音機のスイッチを押すのを忘れてしまうこともある。
 またインタビューだけでは、研究としてのオーラルヒストリーにはならない。話し手は、自分をよく見せたいし、思い込みもあるから、正確な話をするとは限らない。研究者の方でも自分が聞いた特定の証言を重視してしまうことが起こってくる。
 そこで、聞き取りの結果を、「白昼」に展開する出来事や残された記録と照合しながら、秘密のうちにつくられ外に現れなかった「夜つくられた」出来事を推測していく必要がある。
 たとえば著者が大著をものにした1960年の日米安保条約改定をめぐる政治過程においては、同じ出来事を多方面から迫って実像が分かるということがあり、岸信介(元首相)をはじめとする自民党政治家のみならず、官僚や秘書、野党の政治家から、反対運動の指導者にまでインタビューを重ねた結果として、政治過程が復元されていく。
 こうしたとき、国際政治の理論研究から出発した著者は、実直に理屈っぽい探究を続けていく。個別のやりとりで自分のことを「一書生」と表現する著者の誠実な姿勢が、優れたオーラルヒストリーを可能としている事情もよく分かる。あの岸信介をして二十数回のインタビューに応じさせたのは、この誠実さであろう。
 岸後継を決める自民党総裁選をめぐって、池田勇人(元首相)の戦略や藤山愛一郎(元外相)の自己認識などが浮き彫りにする人間心理の機微にも引き込まれる。そのほか、社会党・浅沼訪中団の「日中共同の敵」声明の背後にある革新陣営と社会主義国の関係や、共産党の隠れた影響力など、具体的に裏付けられていく部分もおもしろい。
 政治史として重要な本である以前に、とにかく読んで楽しい一冊である。
(岩波書店・3100円)
 はら・よしひさ 39年北海道生まれ。東京国際大名誉教授。早大卒。法学博士。著書に『日米関係の構図』『吉田茂』『岸信介証言録』など。
《評》政策研究大学院大学教授 飯尾 潤


戦後政治の証言者たち [著]原彬久 
日本外交への直言 [著]河野洋平
[評者]保阪正康(ノンフィクション作)  [掲載]朝日 20151108   [ジャンル]政治 国際 
人間味浮かぶ、当事者の語り

 政治学者・原彬久は政治指導者からのオーラル・ヒストリー(口述史)を歴史・政治研究に持ちこんだ先駆者である。当事者の語る「新しい事実」によって既知の風景とは異なる重層的な史実が明らかになると説く。
 本書は主に「六〇年安保」時の政治家、外務官僚などの生の証言を紹介しているが、確かに当事者たちの心理や言動の背景にどのような思惑が秘められていたかは興味深い。オーラル・ヒストリーには「歴史を主体的に再構築」「『歴史の鼓動』を伝える」役割もあるというが、首肯できる。岸信介元首相への二十数回のインタビューで、つまるところ戦前の対米開戦という信念、冷戦下での「反共」を経て、日米対等は憲法改正以外にないとの路線にいきつく政治家だということがわかる。
 その岸も短命で倒れた石橋内閣に入閣していたことが幸いしていたとの分析や、首相候補の田中角栄には「器」がないと反対していたことなどは著者の手法で確認できたのであろう。政治家の間の人間的好悪の感情(岸と三木武夫の対立など)は意外なほど政治を動かすバネになっていることにも気づかされる。「六〇年安保」時には岸の秘書中村長芳と総評事務局長・岩井章の裏工作などに妙に人間味が浮かんできたりする。
 河野書は自らの政治生活を振り返った書で、リベラルな党人が昭和から平成という時代にどういう政治的行動を進めてきたかを綴(つづ)っている。原の著作とは直接の関わりがないにせよ、日本社会にある国家主義的(タカ派的)傾向を注視していなければならないことを教える。村山談話の評価は戦後70年を迎えてなお重みを増したとの評価は納得できる。
 積極的平和主義とは非核三原則、武器禁輸原則、憲法九条の遵守(じゅんしゅ)ではないかとの指摘は、原の著作で描かれる岸の国家主義政策とみごとに対比される。
    ◇
 岩波書店・3348円/はら・よしひさ 東京国際大名誉教授▽岩波書店・2052円/こうの・ようへい 元外相。


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