ミシェル・ルグラン自伝  Michel Legrand  2016.1.28.

2016.1.28. ミシェル・ルグラン自伝
RIEN N’EST GRAVE DANS LES AIGUS            2013
Michel Legrand Entre hier et demain (Between Yesterday and Tomorrow)

著者 Michel Legrand 1932年パリ生まれ。幼少時からピアノに親しみ、11歳でパリのコンセルヴァトワールに入学、和声法とピアノを専攻。作曲法をナディア・ブーランジェに師事。54年フィリップスと契約し、作・編曲活動が本格化。以来今日に至るまで、ヌーヴェル・ヴァーグ期を含むフランス映画やハリウッド作品の音楽を多数手がけている。63年には盟友ジャック・ドゥミとともに斬新なミュージカル映画『シェルブールの雨傘』で世界を席巻。また、マイルス・デイヴィスらを起用したアルバム『ルグラン・ジャズ』(58)や自身のヴォーカル・アルバム『ミシェル・ルグラン』(81)も高い評価を得た。音楽を手掛けた主な映画に『ローラ』『ロシュフォールの恋人たち』『おもいでの夏』『女と男のいる舗道』『華麗なる賭け』『愛と哀しみのボレロ』『ネバーセイ・ネバーアゲイン』などがある

共著 Stephane Lerouge 1970年生まれ。映画音楽を専門とするジャーナリスト。92年以降、映画に関する記事や本を執筆し、パリ第一大学で教鞭を執るほか、司会業、コンサートの企画、「エクテル・シネマ」シリーズをはじめとするCDコレクションの企画・プロデュースなどを手掛けている。ミシェル・ルグランを筆頭に、ポール・ミラスキ、ジョルジュ・ドルリュー、モーリス・ジャール、フランシス・レイ、エンニオ・モリコーネなどの作曲家とともに質の高い仕事を続け、現在に至る

訳者 高橋明子 1939年東京都生まれ。慶應大文学部英文学科卒。62年から30年にわたり、レコード業界で音楽出版業務、洋楽ディレクター、制作プロデューサーなどを歴任。70年代にはデヴィッド・ボウイ、ルー・リードなどのプロモーションに力を注いだ。退職後は、音楽、舞踏関係の翻訳を行う傍ら、ロマネスク美術に魅せられ、早大で芸術学修士号を取得

監修 濱田高志(たかゆき) 1968年生まれ。音楽ライター兼アンソロジスト。これまで国内外で企画・監修したCD400タイトルを数える。そのほか音楽書や画集の企画・編集、テレビ・ラジオ番組の監修・構成など様々な分野で活躍。ミシェル・ルグランからの信頼も厚く、世界初の公認本『ミシェル・ルグラン 風のささやき』(音楽之友社)を執筆したほか、95年以降日本で発売された彼のCDの大半で企画・監修を務めている

発行日           2015.7.25. 初版第1刷発行
発行所           アルテスパブリッシング

15-12 ナディア・ブーランジェ』にて言及

本書のアイディアは、彼の作品全集を編纂する際に、何度となく一緒に行ったインタビューの中から生まれた。これまでミシェルは大掛かりに自らを語ることには逆らってきたが、最終的にある一つの原則を守ることを条件に承諾した。それは、直線的で細大漏らさぬ年譜のような語りは避けるということ。私はこの本を、過去と現在をつなぐ糸の上での、彼の自由で感傷的な記憶の散策にしようと考えた(共著者・ルルージュ)
ルグランが今ほど未来に向けて夢を見たことはない

幼少期に色があるとすれば、それは"灰色だった。感情で言い表すなら、孤独
母方の父はアルメニア人で、1894年のオスマン帝国でも最初の虐殺を逃れて、トルコから徒歩でフランスに避難
4歳の時父が出奔、そのせいか母は男まさりとなって、母性愛的な表現をする人ではなかった
救いとなったのが音楽、3,4歳の頃、ラジオが好きで、そこで聴いた曲を父の使い古しのプレイエルの古いアップライト・ピアノで弾いてみようとした
8歳でナチスに追われ、西部に疎開
5歳からピアノ教師につき始め、43年には11歳でコンセルヴァトワールに入学を許可され、初年度からソルフェージュ・クラスでのプルミエ・プリ(1等賞)をとる
作曲法、和声法も学び、4年目でナディア・ブーランジェのクラスに入る。2年後には個人授業が始まり、彼女の言葉と思考からまさに基本中の基本を学び、発見したが、あまりに厳格な押さえつけるような指導に耐えきれず、5120歳の時ナディアの下を離れる
ジャズに魅かれる自分をナディアは厳しく叱責していたが、数年後モンテカルロ歌劇場の公演のためにモダンバレエの作曲と演奏を依頼され、ニューオリンズ風のジャズダンスを織り込んだ時、当時モナコ公国の教会合唱隊指揮者を務めていたナディアは公演を聴いて、「今夜の音楽に満足している。あなたの素質について私は思い違いをしていたのかもしれない。多分これがあなたのとるべき道なのでしょう」とメッセージをよこした
ナディアは、単に天才的な教育者であっただけでなく、私の音楽の母親だった



Wikipedia
ミシェル・ルグランMichel Legrand1932224 - )は、フランス作曲家ピアニスト映画監督俳優パリ出身。歌手のバンジャマン・ルグランは次男。
来歴[編集]
父は指揮者作曲家のレイモン・ルグラン、姉は歌手のクリスチャンヌ・ルグランという音楽一家で育つ。母親はアルメニア人である。
パリ国立高等音楽院ナディア・ブーランジェのピアノ伴奏クラスにおいて学ぶ。ジャック・ドゥミ監督と共に手掛けた『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』をはじめアカデミー歌曲賞を受賞した『華麗なる賭け』(主題歌『風のささやき』)、『おもいでの夏』、『愛と哀しみのボレロ』(フランシス・レイとの共作)、『栄光のル・マン』『ネバーセイ・ネバーアゲイン』など数々の映画音楽を創作した。その数はテレビも含めると200以上に上る。
ジャズ・ピアニストとしても活動し、自己名義のアルバム『Legrand Jazz』(1958)ではマイルス・デイヴィスと共演。他にもジョン・コルトレーンジャック・ジョーンズジョニー・マティスリナ・ホーンサラ・ヴォーンら大物ミュージシャンとの共演作品も数多い。
親日家で、1972以降たびたび来日公演を行っている。日本映画『ベルサイユのばら』の音楽や、森山良子とのコラボレーションでも話題となった。
近年では2005に自身の曲『Di-Gue-Ding-Dingディ・グ・ディン・ディン)』[1]サントリービール類のシリーズCM(モルツ・ダイエット生・マグナムドライ)に起用されると共に、さらに20099月から今日まで放送中の資生堂UNOCMで同曲が再度起用されている。

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