ジョナサン・アイブ  Leander Kahney  2015.7.11.

2015.7.11. ジョナサン・アイブ 偉大な製品を生み出すアップルの天才デザイナー
Jony Ive The Genius Behind Apple’s Greatest Products                  2013

著者 Leander Kahney 12年以上アップルを取材し続けるジャーナリスト。
Wired.comのニュース編集者を経て、現在CultofMac.comの編集者兼発行人。サンフランシスコ在住

訳者 関美和 翻訳家。慶應大文卒。電通、スミス・バーニー勤務の後、ハーバード・ビジネス・スクールでMBA取得。モルガン・スタンレーを経て、クレイ・フィンレイ投資顧問東京支店長を務める

発行日           2015.1.13. 第1版第1刷発行                 2.2. 第1版第3刷発行
発行所           日経BP

スティーブ・ジョブズが97年にアップルにCEOとして復帰後、彼は社内で数百のスケッチやプロトタイプに囲まれた若いイギリス人のデザイナーと出会った。後にジョブズは、そのデザイナーがアップルを復活させられる人物だと悟る。その人物こそアイブ
ジョナサン・アイブはジョブズとともに、iMaciPodiPadiPhoneなど時代のアイコンとなるテクノロジー製品を次々と作り上げた。さらには、ロイヤリティの高いファンを育て、アップルを世界的なブランドにした。ジョナサン・アイブという賢く控えめながら、デザインに取りつかれた人物、その大胆さと影響力で僕等の生き方を間違いなく変えた人物を紹介しよう

日本語版序文            林信行(フリーランスのITジャーナリスト)
21世紀最初の事件は9.11だが、その一か月後に発表された初代iPodの発表は世界の風景を変える事件だった
当初メディアの反応は冷ややかだったが、ふたを開けると世界の消費者は大歓迎
あまりの歓迎ぶりに、MacだけでなくWindowsでも使えるiPodを開発、アップルの大躍進に繋がる
iPodの成功以降、「デザイン」を製品戦略の主軸に据えることは世界の常識となる
デザイン重視の傾向は、ソフト時代に入ってより強まる ⇒ 同じハードを、ソフトの言語設定を切り替えるだけで、世界100か国近くで発売できるというグローバルビジネスを21世紀の新しいスタンダードにした

1.   生い立ち
アイブの生まれたチングフォードは、サーロイン・ステーキの発祥地として知られる
チャーチルの出生地でもある
銀細工職人の息子、父親譲りの才能に恵まれ、高校時代から開花
幼少から識字障碍と指摘されたこともあって、コンピューターには寄りつかず、バンドやスケッチ、デザインに進む
16歳でロンドンの大手デザイン事務所の注目を集める
芸術系の生徒には珍しく、物理と化学も取っていた

2.   イギリスのデザイン教育
85年 工業デザインIDの名門大学ニューカッスル・ポリテクニックに入学
王立芸術協会のコンテストで研修旅行の奨学金を勝ち取る ⇒ 本来的なコンセプトの電話で、大学時代の代表作となる。スポンサーはソニー
翌年のコンテストでも、友人と組んで優勝 ⇒ 作品はフラットスクリーンのATM
大学生活の終わりにアップルに出会い、初めて工業デザインに人間らしさを感じて感動

3.   ロンドンでの生活
大学卒業後、アメリカ西海岸のデザイン事務所めぐりをしたことが、将来のアップルへの転職のきっかけとなる
卒業後まずはロンドンでイギリス屈指のデザイン事務所RWGで働き始めるが、間もなく新興の個人の独立系事務所に参加
当初からミニマリズムを志向 ⇒ 80年代のけばけばしい「デザイナーの時代」、デザイン過剰の極みへのアンチテーゼ
アイデアル・スタンダード社からバスルーム製品の新ラインのデザインを受注し、心血を注ぐが、あまりにもコストがかかり過ぎた上に既存の製品ラインに合わないとして却下され、挫折を味わう
1991年 アップルが極秘プロジェクトのパートナーを捜してヨーロッパ中のデザイン事務所を廻り、ジョニーの事務所と共同作業を行う過程で、アップルはジョニーをスカウト

4.   アップル入社
92年 アップル入社 ⇒ それまでドイツ人の大御所デザイナー、ハルトムット・エスリンガー率いるフロッグデザインに大半を依頼していたが、あまりにも高くつき過ぎていたが、それ以上にアップルにとっての問題は、莫大な利益を生み出しながら、全社的に統一された製品ラインが存在しなかったことで、まずシリコンバレーのスター的存在だったブルーナーをスカウトし、彼の下で社内のデザイングループを立ち上げ、外部の優秀なデザイナーをスカウトしようとしていた
ジョニーが最初に関わった94年発売の次世代ニュートン(PDA)のデザインは、業界の権威ある賞を総なめ、San Francisco近代美術館の永久コレクション入りを果たす
次の仕事が20周年記念のマッキントッシュ ⇒ エンジニア主導ではなくデザイナー主導の最初の大きなプロジェクト
家庭用マックは、アップルでジョニーが大きな賭けに出た最初のデザイン。家の中で合うものを狙う
20周年記念マックの失敗と、会社業績の低迷を機に、96年ブルーナー以下ベテランのデザイナーが退職、後を埋める形でジョニーがグループを率いることになる

5.   帰ってきたジョブズ
97年 業績不振のアップルにジョブズが戻ってくる ⇒ 辞職するつもりでいたジョニーは、ジョブズの「プロダクトが最悪だ! アップルをルーツに戻す」との一言に、偉大な製品を作ることこそ自らの使命だと目を開く
まずは40あった製品を4種類に削減、ノートブックとデスクトップ、それぞれプロ用と家庭用
社員も13千から6.6千にカット
一番物議をかもしたのはPDAのカット ⇒ 7世代続いていたが、金食い虫、しかもスカリー時代の唯一の本物のイノベーションと言える製品だった
工業デザインをアップル再建の核に据える ⇒ ジョブズは、デザイン教育は受けていないが、直観的なデザインセンスを持っていた
ジョブズは、当初エスリンガーを戻すことを考えていたが、社内のデザイングループを視察してジョニーに惚れ込み、そのまま任せることにした
長年の間にアップルには多くのレガシー技術が蓄積され、変化の激しいテクノロジー業界でありながらそうした技術が多く残され、できるだけ多くのレガシー技術をマシンに組み込もうとした ⇒ ジョブズはiMacを初めての「レガシーフリー」コンピューターにすると決め時代遅れのシリアルポートを捨て、イーサネットと赤外線とUSBだけを残し、フロッピーディスク・ドライブまで捨てたため大騒ぎとなる。シンプルを極めたいジョブズの哲学からくる決断で、その後の製品はすべてこの哲学に基づいて開発されることになる
今でこそUSBは周辺機器接続の標準になったが、90年代にはとりわけ勇気のいる決断だった。インテルが発明したUSB1.1の規格はまだ完成せず(完成はiMac発売の1か月後、989)。業界ではだれもUSBに注目していなかったが、ジョブズはそれがマックプラットフォームの複雑な周辺機器の接続問題を解決することに賭けていた
5種のマルチカラーのiMacは、コンピューターにファッションを持ち込んだ最初の製品
半透明にして機械の中身を見せたこと、筐体にプラスチックを使ったことと合わせて、ジョニーの名前は一夜にして世界一大胆で独創的なデザイナーとして有名になり、アップルの業績も株価も急回復

6.   ヒット連発
iMac発売から数か月のうちにApple New Products Processという、製品開発の新たな手法が完成 ⇒ すべての製品の各段階で全員がすべきことが事細かに描かれ発売後の修理や問題処理までそれぞれの部署への指示が網羅されている。下敷きとなったのは「コンカレント・エンジニアリング」と呼ばれる先端的な管理システムで、複数の部署が同時並行的に1つのプロジェクトに取り組む手法
iMacは、家庭用デスクトップで、残された3つの分野が同じコンセプトの元に開発が進み、家庭用ポータブルではiBookが、プロ用デスクトップではパワー・マックが、プロ用ポータブルではノートブックが誕生
パワーマック・キューブは、究極のコンピューターへの挑戦 ⇒ デスクトップ・コンピューターの能力を遥かに小さなラップトップサイズの筐体に詰め込む試み。市場の評判は芳しくなく、間もなく凍結を宣言するが、社内的には製造技術や小型化のブレークスルーを生み出していた

7.   鉄のカーテンの向う側
デザインスタジオを本社内に移し、セキュリティを強化。製品の開発過程で、ソフトウェアのエンジニアとハードのエンジニアはお互い相手の動きを知らされない
あらゆるデザイン賞を総なめにして業界の中では賞賛の的でありながら、世間的にはほぼ無名の存在

8.   iPod
01年 iTunes発表 ⇒ 他社が開発した音楽管理プログラムMP3を買収で手に入れ、それに合うプレイヤーとした開発したのがiPod
iPodは、その後の製品に劇的な影響を与えた多くのデザイン機能を初めて取り入れだ電子機器。タッチインターフェース、密閉ケース、小型デザイン、驚きの使いやすさ、すべてその後多くの製品の標準となる。
iPodは、ジョブズとジョニーがタッグを組んで以来初めての携帯製品であり、この開発を通じてジョニーのチームはポータブル製品のデザインと製造を完成させ、シームレスの
筐体と密閉バッテリーを業界標準として確立

9.   製造・素材・そのほかのこと
03年 ロンドンのデザイン博物館が、その年のデザイナー・オブ・ザ・イヤーにジョニーを指名、同時にロイヤル・デザイナーズ・フォー・インダストリーRDIに選ばれ、04年には英国王立芸術振興会RSAによりベンジャミン・フランクリン・メダル授与、05年には英国デザイン&アート・ディレクションD&ADからその後の連続受賞の皮切りとなる賞を贈られ、06年には父親よりも高い大英帝国勲章第3等勲士CBEを授かる

10.    iPhone
マック向けの新たな入力技術を模索している中で、キーボードとマウスをなくすアイディアが浮上、マルチタッチの技術を開発 ⇒ 学術研究の世界では1960年代にタッチセンサーが、82年には複数のタッチを同時に認識するシステムが開発され、84年にはマルチタッチスクリーンとして実用化されていた
05年モトローラと組んで開発した携帯電話が、アップル独自の製品開発につながり、iPhoneとして実現するが、その基本となったのがポケットサイズに収まるタッチスクリーン
多くの批評家はiPodをただの幸運、まぐれ当たりと評していた。生き馬の目を抜く携帯電話の市場にアップルが参入した時、iPhoneは大コケするだろうと言われた。マイクロソフトのスティーブ・バルマーが、絶対に市場シェアをとれないだろうといったことは有名。だが、iPhoneは出だしからヒット商品となる

11.    iPad
いつかタブレットをやりたいと考えていたジョブズは、古い友人のアラン・ケイがiPhoneを見て、「スクリーンを8インチ対15インチ以上にすれば世界をとれる」といったことにすぐに反応、2010年には発売にこぎつけ、iPhoneをさらに倍速上回る売上を記録

12.    ユニボディ
08年 当時最も軽くて耐久性に優れていたラップトップ、MacBook Proの頑丈さの秘密は複雑な内部構造、強化プレートのねじ止めと溶接にあったが、ジョニーは複数のメタルシートを重ねる従来の加算的工法とは反対に、厚い金属の塊から筺体を作り出す新たなプロセスを考え、極薄ラップトップMacBookAirを開発、複数のパーツがたった1つに置き換えられるところから「ユニボディ」と呼んだ ⇒ 他のアップル製品にも応用
05年 グリーンピースとのひと悶着により、環境にやさしい企業とするべく、有毒物質を削減しリサイクルの仕組みを導入。最新のMacBook100%リサイクル可能
ジョニーとアップルに向けたもう1つの批判に、多くの製品を密封している点がある ⇒ 使い捨てを前提にしているとの批判だが、ユーザー自身が修理できないだけで、アップルには専門のサービスがある

13.    サー・ジョニー
12年 2等勲士授与、ナイト爵を授与され「サー」を名乗れることになる
服飾デザイナーのポール・スミスとも仲が良い
ジョブズ亡き後、ジョニーが工業デザイン部門の上級副社長の地位を維持しつつ、「全社的なヒューマンインターフェースの方向性とリーダーシップを提供する」という。それは主要製品すべてのハードウェアとソフトウェア両方のインターフェースの責任者となる、すなわちジョブズが担った役割を担うという意味
ジョニーは、コンピューターと携帯電話を必需品にしただけでなく、いいデザインに注目するような文化的転換を促した ⇒ 消費者がそれまでになくデザインに敏感になった
アップルを新鮮に、イノベーティブに保つことが、今のジョニーの挑戦



この一冊ジョナサン・アイブ リーアンダー・ケイニー著 アップルの開発 プロセス綿密に取材
2015/2/22付 日本経済新聞 朝刊
 「息をのむほどシンプル」。これがアップル製品のデザインの特徴だ。そうした優れたデザインワークはいかにして可能だったのか。本書はこの疑問に十二分に答えてくれる。
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 本書の主人公、アップルのトップデザイナー、ジョナサン・アイブは1967年に英国に生まれた。ジョナサンはデザイン学校の教師であった父親の影響を受けて育つ。父は「デザインストーリー」が重要だと息子に教えるが、この教えが後年アップルでの開発作業に役立つ。ジョナサンはティーンのころからデザインの才覚を表す。大学で工業デザインのテクニックだけでなく、ものづくりに必要な材料の扱い方なども学んだ。
 また、ジョナサンの受けたデザイン教育はドイツのバウハウスの哲学を受け継いだものであった。現在のアップル製品がミニマリズムの伝統を引き継いでいるように見えるのはこの影響もあるだろう。
 ジョナサンが米国でアップルに入社したのは、シリコンバレーで働いていたブルーナーの誘いによるものだった。ブルーナーを驚かせたのは、ジョナサンが製品の形だけでなく、実用性や使い勝手はもちろん、中に収められた部品を全て計算し、その上に、製造工程までを想定してデザインしていたことだ。
 ジョナサンはリーダーとしての素質にも恵まれている。彼の入社でアップルのデザインチームは大きな飛躍を遂げる。アップルのデザインチームの特徴をまとめてみよう。(1)デザイナー全員でアイデアを出すためのブレーンストーミングが頻繁に開かれる(2)デザインのプロセスのすべてが写真や文字で残される(3)「製品ストーリー」が最初に考えられ、日常でどう使われるかが具体的にイメージされる(4)エンジニアではなくデザイナー主導型の開発(5)社内のデザイナーと社外のスタッフが関わるパラレルデザイン開発(6)最新のCAD・CAM(コンピューターによる設計・製造)で模型工房が統合され、金型メーカーとデザインを共有できる。
 そしてジョナサンとスティーブ・ジョブズとは、お互いに異なった性格でありながら、ジョブスの直感的デザインセンスに支えられて二人三脚で開発を進める。本書で描かれるアップルの新製品開発のプロセスは著者の綿密な取材によるものだ。アップルの内部模様がこれまでになく詳しく報告されていることに驚かされる。本書を読まずにアップルの戦略を語ることは今後できなくなるだろう。
原題=JONY IVE
(関美和訳、日経BP社・1800円)
著者は12年以上アップルを取材し続けているジャーナリスト。著書に『スティーブ・ジョブズの流儀』などがある。
《評》中央大学教授 田中 洋


Wikipedia
ジョナサン・ポール・アイブ英語: Sir Jonathan Paul Ive, KBE[1]1967227 - )は、イギリス人デザイナー。 アップルインダストリアルデザイングループ担当上級副社長。 iMacMacBookiPodiPhoneiPadなど現在の主要アップル製品のデザイン担当者として国際的に知られている。給料は1,000,000ポンド[2]

生い立ち[編集]

ロンドンのチングフォードに生まれ、 教師でもあった父親に育てられた。チングフォード財団学校に通った後、スタッフォードにあるウォルトン高校へと進学した。その後ニューカッスル・ポリテクニック(現在のノーザンブリア大学)へと進み、インダストリアルデザインを学んだ[3]

経歴[編集]

ロンドンにあるデザインエージェンシーTangerineで短期間働いた後[4]1992年アップルでのキャリアを積むためにアメリカ合衆国へ移住した[5]。当時はロバート・ブルーナーがインダストリアルデザイン部門を率いていたが、20周年記念Macintoshのデザインで頭角を現した。
スティーブ・ジョブズがアップルへと復帰した1997年に、現在の役職に就任。以来、アップルのIDGを率い、同社の主要製品のデザインを統括してきた。現在のアップルで活躍している主要メンバーの中では、エディー・キューとともに数少ないジョブズ以前からのアップル在籍者である(他の主要役職者はNeXT出身者を含めジョブズが採用に関与した人物が大半を占める)。

デザインの変遷[編集]

アイブ率いるアップルのIDGの製品デザインには、4つのフェーズが認められる。

トランスルーセント(半透明)[編集]

この最初のフェーズは、1997年のeMateの登場とともに初登場し、1998年にApple初の液晶外付けモニタであるApple Studio Display (15-inch flat panel)が登場し、その年後半のボンダイブルーのオリジナルiMac(下図参照)のリリースへと続いた。このモチーフは後の1999年にリリースされた初代iBookの各モデルや、Power Macintosh G3 (Blue & White)および同時リリースされた17, 21インチCRTApple Studio Displayでも用いられた。 デザインは、透明な表面にキャンディーあるいはミルキーホワイトのようなカラーリングを加え、ソフトでふっくらとした輪郭を備えるとともに、 縦方向のピンストライプが、製品の透明な表面から柔らかく透けて見えるようになっていた。 バックパネルに印刷されたポートのパネル表示や企業認定マークは、波打つような3Dパターンを持つレンチキュラー加工が施されていた。 AC電源コードもまた透明で、内側の編んだワイヤーが見えるようになっていた。
このスタイルにあるような透明効果およびカラーリングは、ガムドロップキャンディから着想を得たもので、アイブは製菓工場に通ってガムドロップの視覚効果の再現方法を学んだという。アイブと彼のチームは、このデザインモチーフにそった製品を製造するために、斬新な製造テクニックを編み出した [6]
PowerBook G3のみが、この透明スタイルの影響を受けず(LombardおよびPismoモデルの透明なブロンズ色キーボードを除く)、2001年にチタニウムPowerBook G4に置き換わるまで、不透明な黒色のケーシングのままだった。

カラー[編集]

初代iMacモデルのカラーは、オーストラリアボンダイビーチの海の色にちなんで「ボンダイブルー」と呼ばれている。
アイブのチームがデザインした初代iMac
「ボンダイブルー」iMacは、19991月に、「ブルーベリー」「グレープ(紫)」「タンジェリン(オレンジ)」「ライム(グリーン)」そして「ストロベリー(ピンクレッド)」という五種類のキャンディカラーに取って代わられる。このうち「タンジェリン」および「ブルーベリー」の二色は、初代iBookにも採用された。ブルーベリーはまた、Power Macintosh G3およびそのディスプレイに用いられてもいた。こうしたキャンディーカラーは、消費者向け製品のあいだで爆発的に流行し、時計付きラジオからハンバーガー用グリルにいたるまで、あらゆる場所で半透明プラスチックの明るい色調の筐体が採用された。
1999年後半、iMacのフルーツカラーに、より抑制された「グラファイト」と呼ばれるカラースキームが加わった。このカラースキームでは、色彩要素にスモーキーグレーが採用され、白色の部分が一部透明化された。 グラファイトは、iMac Special Editionモデルの色、さらには初代Power Mac G4のカラーとなった。次に登場したのは、2000年の「ルビー(ダークレッド)」「セージ(フォレストグリーン)」「スノー(ミルキーホワイト)」だった。iBookのカラーもまたアップデートされた。ブルーベリーはインディゴになり、タンジェリンはキーライム(目が飛び出すような蛍光グリーン)、そしてグラファイトがハイエンドモデルに加わった。
2001年には、「フラワーパワー」と「ブルーダルメシアン」の二種類の新しいカラースキームが導入された。「フラワーパワー」は花柄のついたホワイトで、「ブルーダルメシアン」はオリジナルの「ボンダイブルー」に似たブルーだったものの、白色の斑点が加えられていた。「スノー」カラースキームはまた、第二世代のiBookにも採用されていた。

ミニマリズム[編集]

2001年、アップルは複数の色彩を用いた半透明デザインから、二つのデザイン潮流へと移行した。Powerbook G4とともに登場したプロフェッショナル版モチーフは、産業用メタル -- 初期にはチタン、後にアルミニウム -- を採用していた。iBook G3とともにデビューした消費者向けミニマル・デザインは、表面は透明であったが、内側を白く塗り半透明ではなくなっていた。iBook G4では、ついに素材ごと白色へ変更された。 両ラインとも、柔らかで丸みを帯びた形状から、簡素化され直線的なミニマリズム的な形状へと変化した。こうしたデザインは、ドイツのインダストリアルデザイナーであるディーター・ラムス [7]から大きな影響を受けているように見受けられる。その明確な例として挙げられるのがiPhoneの計算機アプリケーションで、ラムスが1978年にデザインしたBraun Control ET44計算機からの直接的影響が見てとれる[8]
iPodも消費者向けラインの見た目を引き継いでおり、表面透明で内側が白色の前面を特徴としている。 アップルは、iMac G5のリリースを「iPodのクリエーターから」のものとして、両製品の写真を並べることでそのデザインの類似点を目立つようにしてプロモーションさえしていた[9]が、元々はMacのデザインチームがiPodも含めた全てのApple製品のデザインをしており、Airport ExtremeApple TViPhone等も製品ラインに共通したシンプルで丸みを帯びた四角スタイルを採用している。

アルミニウムと黒の組合せ[編集]

より最近のデザインは、白色プラスチックから、ガラスとアルミニウムへと移行している。この新しいデザインフェーズは、極限までのミニマリズムへと突き進むアップルの姿勢を示している。アルミニウム「高精細ユニボディ」製品は、先行製品よりも洗練され、よりソフトでありながらより鋭角的なエッジを備え、「そこに存在する必要のない」あらゆるものを取り去り、非常にさっぱりした表面になっている。第一世代のiPhoneはこのスタイルとともにデビューし、ガラス画面の枠の黒が目立つようになっていた。このデザインはiMacラインにも採用され、ガラスに覆われたスクリーンとその周辺の黒い縁取りを除いて、その表面のほとんどがアルミニウムに覆われている。 iPodラインでもiPod classicがこのモチーフを引き継ぎ、アルミニウムの表面と黒い額縁を特徴としている。 MacBook Airでは、MacBook Proラインのアルミニウムスタイルと、同機種のキーボードと光沢ディスプレイによる新しいスタイルとがブレンドされている。アップルは20081014日、このスタイルに沿って再デザインされたMacBookおよびMacBook Proを発表した。それに先立って発表されたMacBook Airと同じく、新しいMacBookおよびMacBook Proシャシーは、一塊のアルミニウムから削り出されている。この「ユニボディ」構造は、シャシーのサイズと部品の数を減らすとともに、その剛性を高めることを狙いとしている。

栄誉[編集]

第五世代iPod。アップルが手がけ、もっとも評価の高いインダストリアルデザインのひとつ。
評論家は、アイブの作品をインダストリアルデザイン界において最高ランクに属するとみなしており、彼のチームが手がけた製品は、アメリカインダストリアルデザイナー協会Industrial Design Excellence Awardなどを受賞している。
アイブは、デザインミュージアム2002年のデザイナー・オブ・ザ・イヤーの初代受賞者となった。その翌年の2003年に再び受賞し、 2004年には同賞の審査員となった。
英国紙『サンデー・タイムズ』は20051127に、アイブをイギリスでもっとも影響力のある海外居住者のひとりとして選出している。「アイブは、リストにおいてもっとも裕福でも、もっとも年長者でもないかもしれない。しかし、彼はまちがいなくもっとも影響力をもった人物のひとりだ... iPodや、アップルのもっとも印象的な製品の数多くをデザインした人物として、音楽およびエレクトロニクス業界を揺るがした」として、 同リスト25人中23人目にリストされた。
また、アイブは2006年のイギリス新年叙勲者にリストされ、デザイン業界への貢献を讃えて大英帝国勲章を授与された。20056月には女王エリザベス2が、iPodの利用者であることを明かしている[10]
最近のMacworld での投票で、アイブが1992年にアップルへと参加したことが、アップルの歴史において第六番目に重要なことだったとしてリストされた。さらに、Macworldの姉妹紙MacUserのライターであるダン・モーガンは、スティーブ・ジョブズがアップルのCEOの座から降りた場合、アイブは「アップルをおそらくもっとも有名たらしめているもの -デザイン- を体現している」として、後継者の有力候補となるだろう、と書いている [11]
2007718、アイブは、iPhoneで彼が成し遂げた成果に対して、2007年度のクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館ナショナル・デザイン・アワード生産デザイン部門賞を受賞した[12]
2008111 、『デイリー・テレグラフ』はアイブをアメリカ合衆国に住む最も影響力のある英国人として評している[13]
20087月、アイブは、iPhoneのデザインに対してMDA Personal Achievement賞を受賞した[14]
2000年には母校のノーザンブリア大学から名誉学位を贈られている。20095月には、ロードアイランド・デザイン学校の名誉博士号を贈られた[15]

私生活[編集]

1987歴史家のヘザー・ペグと結婚し、双子の父親である[16]。家族と共に、サンフランシスコツインピークス地区に住んでいる。


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