背信の科学者たち  William Broad  2015.6.4.

2015.6.4. 背信の科学者たち 論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか
Betrayers of the Truth ~ Fraud and Deceit in the Hall of Science  1982

著者
William Broad ウィスコンシン大学で科学史を学び米科学誌『サイエンス』の記者として活躍。ピューリッツァー賞ジャーナリズム部門を2回受賞。科学ジャーナリストを対象にした賞をあらかた受賞。ニューヨーク・タイムズの花形記者としても有名。最近は国際政治や安全保障問題への関心が高い
Nicholas Wade 『サイエンス』、英科学誌『ネイチャー』の科学記者を経て、『ニューヨーク・タイムズ』の科学記者。ヒトゲノム、クローン技術など、ライフサイエンスに強いジャーナリストとして定評

訳者 牧野賢治 1934年愛知県生まれ。阪大理学部卒、同大学院修士課程修了。スプートニク打ち上げで宇宙時代が開幕、科学記者を目指して59年毎日新聞入社。30年の記者活動を経て、東京理科大で科学社会学、科学ジャーナリズム論を教える。日本科学ジャーナリスト会議理事(前会長)、日本医学ジャーナリスト協会名誉会長

発行日           2006.11.20. 第1刷発行
発行所           講談社(Blue Backs)

誠実で「真理の探究者」と尊敬されている科学者による不正行為が後を絶たない。なぜ、彼等は自らの名誉と職を失いかねないリスクを冒してまでも不正行為に手を染めるのか?
ガリレオ、ニュートンなど大科学者から詐欺師まがいの研究者まで、豊富な事例を通じて、科学の本質に迫る問題作

まえがき
本書は、科学が現実にどのように機能しているかを探究したもので、西洋社会で真理を最終的に裁定する審判員と見做されているこの知識体系を、より深く理解しようという試みであり、私たちは、科学の本質について、科学者も一般の人々も共に大きな誤解をしているという確信のもとに本書を執筆
これまでの伝統的な科学観によれば、科学とは精密な論理のプロセスであり、客観性こそ科学研究に対する基本的な態度である。科学における主張は、綿密な検証と追試(再実験)によって厳格にチェックされる。こうした自己検証的な科学のシステムによって、あらゆる種類の誤りは速やかに容赦なく排除される
最近の科学者たちの研究論文みられる欺瞞の幾つかを報道する過程で疑念を抱き始める
科学界では、いずれの欺瞞も個人の心理的要因によるものと決めつけていたが、あまりにも多くの事例があり、しかも密かに処理されたという噂を聞くにつれ、欺瞞自体科学界ではごく普通の一般的特性なのかもしれないと疑う ⇒ 捏造に手を染めた科学者たちは、理論、追試、ピア・レビュー、客観性などすべてのプロセスを長期に亘って公然と黙殺し続けているのは、人間の所業という以上により深刻で普遍的な問題が潜んでいて、伝統的な科学観自体に欠陥があるはず
本書は、科学における欺瞞の事例から明らかになった、科学そのものについての分析でもある
科学は、伝統的科学観に基づく姿とは似ても似つかないものである
科学知識の中に識別される論理の構造は、それが形成されたプロセスや、それを作り上げた人々の精神構造については何も語っていない ⇒ 科学者は、論理と客観性によって導かれるのではなく、レトリック、宣伝、個人的偏見といった非合理な要因にも左右され、合理的な考えだけに基づくものでもなく、また合理的な考えは科学者だけが持っているものでもない
科学は、社会における合理性の守護者と考えられるべきものでなく、社会の文化的側面を形づくる主要な一部分にすぎない


Wikipediaを修正
背信の科学者たち』(Betrayers of the Truth: Fraud and Deceit in the Halls of Science、真実の背信者たち、科学の殿堂における欺瞞と虚偽)は、1983アメリカ合衆国で出版された科学関連の書籍である。
概要[編集]
サイエンスライターのウィリアム・ブロードとニコラス・ウェイドの著書である。科学論文の捏造データ改竄などの歴史、および科学者コミュニテの構造的問題を、事例を示しながら記している。
日本では1988化学同人から牧野賢治により翻訳出版された。
1988年の日本語翻訳版はその後絶版となり、日本でも有力な大学や研究機関での不祥事が相次いで報道されたのを機に2006講談社ブルーバックスから改めて出版された。1988年版は原書の全訳であったが、2006のブルーバックス版では、原書の第9章に当たる部分が削られている。その代りに原書出版年以降の欺瞞行為の事例や科学界の動きをする章(翻訳者の牧野による執筆)が追加された。[1]
2006年の講談社ブルーバックス版も絶版となり、2014に講談社から新たに出版された。2014年版には、2006年版と同様に翻訳者の牧野による解説の章が設けられているが、2006年以降に発生した欺瞞行為の事例も追加されており、iPS細胞の臨床応用に関する虚偽発表STAP細胞が取り上げられている。[2]
各章の概要[編集]
1章 ひび割れた理想
伝統的な科学観によれば、科学において欺瞞が起こることは極めて稀であり、科学者コミュニティには欺瞞を速やかに排除する自浄能力があるとされる。しかし現実には科学研究上の欺瞞行為はしばしば発生している。そうした理想と現実との食い違いを示す出来事として、1981にアメリカ合衆国下院科学技術委員会(アルバート・ゴア・ジュニア委員長)で開催された、科学における欺瞞に関する聴聞会の様子が描かれる。この聴聞会に呼ばれた科学界の指導者たちは、伝統的な科学観に立ち、欺瞞は極めて稀なことで、仮に欺瞞が発生しても科学者コミュニティの自浄能力によってただちに訂正されるものだと力説する。しかし同じ聴聞会で証言に立ったハーバード大の医学研究者ジョン・ロングは、自分が長年に亘り多数のデータ捏造を行ってきたことを冷静に告白する。両者の証言を聞き比べた議員たちは、科学者コミュニティに自浄能力があるのかどうか疑わしく思い、コミュニティが欺瞞の問題から目を背けているのではないかと感じる。聴聞会の直後には同じハーバード大の若き内科医ジョン・ローランド・ダーシーによる別のデータ捏造が発覚したことも述べられる。2年で100篇以上の論文を提出したが、データ捏造が同僚によって目撃され、大部分がでっち上げだと断定。巨額の研究費がNIHから支給されていたが、捏造が処断されることはなかった
一般的な科学観を形成する思想と価値基準とは
1.   科学における認知構造 ⇒ ある事実から仮説を立て、実験によって検証されることが科学的方法として知られるものの主要部分
2.   科学的主張の検証可能性 ⇒ 研究の方法論の正しさと、研究結果に対して正しい議論に基づく検討がなされたかが重要
3.   ピア・レビュー ⇒ 基礎研究の多くは政府支給の研究費で賄われるが、政府機関に対して助言を行うのが科学者自身で組織する委員会が構成するピア・レビュー・システム
大小の捏造行為から自己欺瞞に至るまでを、一連のスペクトルとして捉えることができる。欺瞞は故意に行われるものであり、自己欺瞞は無意識によるものだが、その間には恐らく動機は本人にさえも判然としない行動上の階層が存在する
長年に亘り科学を学び客観性を身につけた科学者が、データを偽ることをも厭わない研究者になりうることは、科学の実像が伝統的な科学観とは著しく異なったものであることを示す

2章 歴史の中の虚偽
l  歴史上の偉大な科学者たちが自らの理論証明するために行った実験には、現代の基準で欺瞞に相当するものがあることが、プトレマイオスガリレイニュートンドルトンメンデルミリカンの例を通して示される。
l  プトレマイオスの観測データは、古代における最も精度の高い恒星表を作ったと言われるヒッパルコスの観測データのまるごと盗用であり、またプトレマイオスは自らの理論に合うように観測記録を書き換え、選択していたことが判明している。
l  ガリレオは実験を重視する現代経験科学の祖と見なされることもあるが、観念主義的で実験を軽視していた面があり、著書に書かれた実験には、行っていなかったものが存在する。思考実験"を好み、観察を行うよりはむしろ結果を想像し、実験データは必要なときには理論に従属させられ、理論と合わなければ捩じ曲げられさえした
l  ニュートンも自分の主張する理論に説得力を持たせるため、観測数値を改竄していた。意欲的に手練手管に頼ろうとしたことは、微積分を最初に形成したのは誰かというライプニッツとの闘争で、ニュートンは英国王立協会の会長としての地位を利用、自ら報告書をまとめライプニッツを盗用で告発したが、今日の歴史学者たちはライプニッツが独自で成し遂げたことを確信している
l  ドルトンが各元素は固有の原子から構成されていると確信し、窒素の酸化物の研究を通じて、1つの元素の各原子は正確に整数値の別の元素の原子と結合するという「倍数比例」の法則を見出すが、自ら証明した実験は今日では、当時の技術では実行困難であり、彼の理論を支持するデータだけを選択したものとされている
l  メンデルの遺伝の実験も結果が理論に合いすぎて不自然であり、自分の期待に合った結果だけを報告したとされる
l  ダーウィンは、新理論がベールを脱ぐ前に先行的に行われていた同様な研究に言及することによってオリジナリティを尊重するという慣例を無視。イギリス人動物学者ブリスの自然淘汰と進化についての研究を盗用したが、『種の起源』では先達の業績についての言及はない
トリミングは、平均値から大きな方へずれている観測値のところどころを少しずつ削り取り、それらを小さすぎる観測値に付け加えることで、より悪質なのがクッキングで、極めて高い正確さを装った外見や性質を通常の観測値に与える目的でなされる改竄行為
経済的に恵まれた偉大な先達ですら自らの正当性を立証しようと、時にデータを偽り伝えたのであれば、科学が職業となった現代の科学者たちにとって欺瞞への誘惑はもっと大きなものに違いない

3章 立身出世主義者の出現
1970年代後半のエリアス・アルサブティの研究不正事例が紹介される。ヨルダンのハッサン皇太子の支援でアメリカの研究機関に勤務していた若き医師アルサブティは、他人の発表した論文を丸ごと盗用して別の比較的無名な雑誌に投稿するという手口で発表論文件数を稼ぎ、奨学金や研究職の地位を得ていた。現代の科学者コミュニティでは業績として発表文献数が重視される傾向にあり、このため、価値の低い論文が知名度の低い論文誌に掲載される形で多数世に出ているという現状が説明されている。
問題を抱える研究者の好意や動機に対して避難・攻撃を行うことには科学者たちの多くが消極的だったのみならず、門番役であるべき科学雑誌の編集者たちすら極端なまでに消極的態度をとり続ける
論文の氾濫という今日の問題は、ごく最近の出来事 ⇒ 58年ワトソンがハーバードの准教授申請に記載した文献リストは僅か18篇。今日では50100篇が必要となり、質よりも量が問題となってしまった
サウスウェスト・テキサス州立大の学長マックロックリンの場合は、自身の博士論文と妻の修士論文が酷似、しかも盗用と判明したが、当時のジョンソン大統領の友人であり、かつ大学はジョンソンの母校だったことから追及の手が及ばないと見做されていたが、発覚の翌年辞職。ところが以後も学界や政府の組織の中で高い地位に就いている
科学における栄誉は、もっぱらオリジナリティに対してのみ与えられると考えられている。だからこそ科学者たちは先取権のために必死に努力するが、そのあまり、仲間や競争相手の研究に対して正当な謝意を評すことを怠る場合がある
盗用が発覚するまでには長い時間を必要とし、盗用を暴露された人たちでさえ、その経歴に何の影響も受けないことが多い ⇒ 知的財産に対する最大の攻撃である盗用が、科学界からの譴責措置にしか値しないとしたら、それよりも軽い犯罪にはどれほどの寛大な措置が相応しいのだろうか

4章 追試の限界
科学自体が備えている自己規制機構とは
1.   ピア・レビュー
2.   審査制度
3.   追試

1980年代はじめに有名な生化学者エフレイン・ラッカー研究室で実験結果を捏造した大学院生、マーク・スペクターの事件(スペクター事件)が追試の限界というテーマで紹介される ⇒ がんの原因に関する画期的な新理論を彼だけにしかできない巧妙な実験により発見、キナーゼ・カスケード説としてその道の権威とされていたラッカーの名もあって急速に広まったが、再現性を試した追試で、彼が実験材料を捏造していたことが判明、併せて経歴詐称も露呈、さらにはペイチェックの偽造で有罪にまでなっていたことが判明
欺瞞のほとんどが公の追試によってではなく、私的に行われた検証によって明らかにされている

5章 エリートの力
有力な研究者の指導のもとで行われた研究や、研究者がある程度の地位を確保していると、論文の厳しい審査を逃れ、欺瞞や誤った結果は長く訂正されることがない。
l  ジョン・ロング(1章参照) ⇒ 研究費獲得のための強い圧力のもとで実際には測定していないデータを捏造していたことを部下に指摘され、捏造を認めて辞職したが、そのあと全研究経歴についての調査が行われ、ヒト以外から採取した細胞株を材料に使っていたことが判明。ピア・レビューもロングの地位や属していた研究機関の権威、交友関係等から彼の仕事の一部について黙認していたため機能しなかった
l  野口英世 ⇒ ロックフェラー医学研究所(現在のロックフェラー大学)の創設者フレクスナーの下で数多くの病気の原因となる微生物を分離し続け、約200篇の論文を発表した野口は、フレクスナーの弟子として、また、最も権威ある研究所の花形として、欠陥を見つけ出す審査から免れていたが、没後はその多くが誤りだったことが判明している。
l  研究費の審査を2組の審査グループで審査して比較するという実験では、公正ではあっても何がよい研究で、よい研究者であるかの判断に大きな不一致が見られ、科学における客観性も神話であるかもしれないことが紹介される。
普遍主義は、社会一般に著しく欠如している規範だが、近代科学ではエトスを形作る重要な規範の1つとされてきたが、それを守るべきピア・レビューでも審査制度でも必ずしも徹底されていない
科学におけるエリート主義は、それ自体、正当な基盤の上に立つものではあるが、そこに見られる多くの行き過ぎが普遍主義の規範を犯している ⇒ 逆のケース、即ち論文の著者が低い地位にあるという理由で、優れた着想が無視されることが起こり得る

6章 自己欺瞞と盲信
科学史エピソードが紹介される。
l  ロバート・フック ⇒ 1669年 恒星視差(地球の公転に基づく星の位置の違い)を測定し、コペルニクスの太陽中心説を実証したと思ったが、当時の望遠鏡ではほとんど探知が困難なことが証明されている。実験者の予測、つまり見たいと思ったものを見てしまうという現象の犠牲
l  ジョン・フラムスティード ⇒ イギリスの初代グリニッジ王立天文台長で優れた天文観測者だが、北極星に40秒の視差があると報告、フック同様の過ちを犯している
l  計算ができるとされた賢いハンス」 ⇒ 馬が蹄で数を打ち、正解になると調教師が無意識のうちに馬に合図を送っていた
l  チンパンジー手話を教えると、お互いに自発的なサインを作り出して会話をしているように見えるが、人間の子供たちの言語行為よりも、高い知能を備えた訓練された犬の行動により似通ったものに過ぎなかった
l  幻のNを発見したと信じたルネ・ブロンロ ⇒ X線の偏光実験の過程で全く新しい光線を発見したと発表、多くの科学者が再現実験を行ってその存在を確認したが、実際は予測からくる自己欺瞞の結果であって、フランス以外の科学者はすぐに熱が冷めたが、フランス科学界だけは、自国の科学に対する国際的名声の挽回を図る絶好の機会とばかり、真実を確かめようともせずにブロンロを支持、挙げ句の果てに科学アカデミーのルコント賞委員会は、前年ノーベル賞を受賞したピエール・キュリーを差し置いてブロンロを受賞者に選んだ
人間による観察が当てにならないという好例 ⇒ 全ての観察者は、いかによく訓練されていたとしても、期待するものを見てしまうという強い傾向を持っている
自己欺瞞は非常に強い人間の性向であり、そのため、科学者は客観的であるよう訓練されてはいるが、現実には意図的な欺瞞に対しては極めて弱い
l  さらに科学者が欺かれた例として18世紀のドイツの医師で大司教の主治医でもある好事家のベーリンガーの偽化石事件 ⇒ 自然物の収集に没頭していた中で自らの名が刻まれた化石を見せられても盲信が嵩じると疑うことを忘れてしまい、単純な嘘や悪戯が見抜けない悲劇
l  ピルトダウン人事件 ⇒ 1907年ハイデルベルク近郊で太古の人間の顎の骨が発見されたというニュースに、絶頂期にあった大英帝国の誇りが揺らいだが、サセックス州ピルトダウン村の化石蒐集家がハイデルベルクの化石より貴重な発見をしたと発表、欠けた部分を想像力を働かせて粘度で補いつつ頭蓋骨と下顎骨を組み合わせた精巧な模型を作製、大きなセンセーションを巻き起こす。種々の異論は却下され、大英博物館が本物と認定。1920年代の中頃、アフリカにおいて人類のものと思われる化石が発見されるに及び、ピルトダウン人の科学的名声は崩れ去ったが、それでも新たな年代測定技術が開発されて偽物であると断定されるまでにはまだ30年必要だった

7章 論理の神話
科学は20世紀の西洋文明を特徴づける知的体系でありながら、最も理解されていない。このギャップが生じたのは、科学哲学者が、科学を純粋な論理的過程として定義したことによるが、実際は神話に過ぎず、科学者自身でも自分の仕事に非論理的な要素があることを認めている
如何に整然と構築された理論であっても、常に将来いずれかの時点で誤謬を指摘される可能性を持っているが、科学者はいかなる批判を受けようと、少なくともより良い理論が出て来るまでは1つの理論に執着し、より良い理論が現れてもなお古い理論に執着することが科学史のなかでしばしば起きている。例としてあげられるのは、
l  アルフレート・ヴェーゲナー大陸移動説 ⇒ 1922年に発表した説で、南アメリカ大陸の肩がアフリカ大陸の脇にぴったりはまるのは大陸が移動したからというものだが、地質学者や地球物理学者が大陸が移動することを受け入れるまでには実にそれから40年近くを要している
l  電気抵抗に関するゲオルク・オームの考え
l  消毒の方法を発見したジョセフ・リスター
いずれの分野の科学者のコミュニティも、コミュニティの外からの新しい考え方に抵抗を示してきた。

8章 師と弟子
l  パルサーの発見に関するジョスリン・ベル・バーネルアントニー・ヒューイッシュの例が示すように、上司が部下の業績を奪うことがしばしば起こる ⇒ 1967年パルス状電波を非常に速く規則的に発する星が発見され、後に星が進化した結果の中性子星と断定され、その功績で74年にノーベル賞を受賞したのはケンブリッジ大の研究グループの責任者のヒューイッシュだったが、実際の発見者は彼の指導していた大学院生のジョスリン・ベルで、イギリスの科学界では大きなスキャンダルと指摘されたが、ヒューイッシュが自らの指導の成果と自己弁護したため結局はお蔵入り
l  著名な科学者の名前が何百という論文に単著者あるいは筆頭著者として記載され、その陰で下層の研究者や学生が酷使されている。このような構造が実験結果の捏造を生む可能性が指摘され、チャールズ・ロウのもとで働いたロバート・ガリスの事件などが紹介される ⇒ 脳が作り出す化学伝達物質についての実験で、長時間多大の作業を要したが、4年間でまとめた内容に疑問を持った後任者が追試を行った結果再現性が得られず、本人がデータを捏造したことを認める
若い研究者が業績を作り出すことを強いられ、しかもそのことへの軽視があるケースは決して珍しくない
l  スローン・ケタリングがん研究所事件 ⇒ 世界的に名高いマンハッタンの研究所で皮膚や角膜移植に画期的な発見をしたとされた結果が実は研究者によって手を加えられていたことが判明。再現性が困難だったところから詐欺と露見。事態を調査するための第3者委員会が組織されるが、結局は組織防衛が働き、当人が組織全ての罪もかぶって社会から放り出されるのが常

9章 圧力による後退
知識のための知識の拡充を目指す基礎研究は、その多くが政治的、社会的な圧力から可能な限り自由な環境にある大学で行われている
政治的イデオロギーの正当性を証明するため、しばしば科学、特に遺伝学や進化論といった生物学の難解な理論が持ち出される
科学に政治的イデオロギーが押し付けられた結果として生じる欺瞞の例として、スターリンの時代に共産圏で権力を持ったルイセンコの科学界に与えた影響がある ⇒ 育種学者のルイセンコが、新しく獲得された形質は受け継がれないというダーウィン学説に対抗したラマルク学説を支持して、環境条件の変化で生物の遺伝的性質を方向づけ、変化させ得ると説き、1935年突然共産党政府の信任を得て、植物生理学者の軟弱な姿勢も手伝って遺伝学を葬ろうとした。48年が権力の絶頂で、自ら過ちを認めるまでに20年、スターリンの後継者たちが考えを改めるまでにはさらに11年が必要だった
科学組織それ自体は正常でも、与えられた教義をそのまま受け入れ、理性による判断を怠った多くの科学者がいたということが悲劇

10章 役に立たない客観性
科学に取り組む姿勢の本質は客観性にあり、長い間の訓練を経て初めて身につけたこの客観性によって科学者は独断から守られ、あるがままの真の世界を見る目が培われる
科学の名において独善的な信念を押し付けるような偽りの科学によって社会は簡単に崩壊する ⇒ 19世紀前半に人間の頭蓋骨を収集した結果から、その容積を知能の尺度とし人種の序列をつけ、当時の人種的偏見の裏付けとしたが、実際はデータに手を加えていたことが判明
知能指数(IQ)を人のランク付けする尺度としているのは、知能を唯一絶対的なものとして認めるという仮定に立つものであり、頭蓋骨の容積理論と同じ延長線上の考え方
科学的方法が時にレトリックの道具として用いられる ⇒ 心理学などの分野のデータでは、数値化されて、科学を装っているが偏見に満ちた恣意的な結論を導くために科学的な手法に則っていないことがしばしば見られる例が紹介される。

11章 欺瞞と科学の構造
科学者の目的は2つ、1つは森羅万象を理解することであり、もう一つはそのための努力について評価を得ること ⇒ 多くの場合、相伴って機能するが、実験結果が期待通りでなかったり、理論が広い支持を得られなかった場合には、科学者はいろいろな方法でデータの改良や捏造など、様々な誘惑に駆られるであろう
ニュートンもメンデルも、もし歴史が科学者に対して好意的な結果をもたらすならば、それは彼等の理論が正しかったためで、倫理を重んずる者にとっては結果の正しさによって正当化されるものではない
科学者による欺瞞を防止するために、論文の著者として名を連ねるものは論文に責任を負うという原則を守ること、論文の過剰生産を防ぐこと、最も緊急な改革が必要な医学研究の分野では医学研究と医学教育を分離することの必要性が論じられる。

訳者解説
原著の出版以降の科学研究における不正行為(ミスコンダクト) ⇒ 20世紀後半の科学技術の驚異的な発展と科学者人口の増大、研究競争の熾烈化等に伴い198090年代のアメリカにおいて深刻化し社会問題となって、制度的な対策が取られている
ミスコンダクトの定義化、対応公的機関の創設、処理手続きの制度化、処罰規定等
日本では、2000年の旧石器発掘の捏造が契機となって、漸く日本学術会議の中に委員会が設けられ、実態調査に基づいて06年「科学者の行動規範」が採択されたにとどまる
この四半世紀の印象的な事件
1.   ピルトダウン人事件の結末 ⇒ 長い間犯人が特定されなかったが、96年に大英博物館の学芸員が化学薬品で加工したものと断定
2.   ボルチモア(・イマニシ=カリ)事件 ⇒ 75年ノーベル生理学医学賞を受賞したMIT教授ボルチモアが共著者となった論文に実験データ捏造が露見。ボルチモアは事件発生後に就任したロックフェラー大学長を辞任するまでに至るが、10年後に最高裁で無罪が確定。当事者が容疑を否認した場合、問題の解明がいかに難しいかを示す好例となるとともに、アメリカの科学者コミュニティがミスコンダクト問題に制度的な対応を迫られる原因にもなった事件
3.   ベル研究所での論文捏造事件 ⇒ 02年電界効果トランジスターを用いた画期的な物理現象の発見で一躍有名になった若い研究員が16篇もの論文を捏造、一流科学雑誌を欺いた事件。ミスコンダクトが起こりにくい物理学分野で、高名な物理学者の監督下で生じ、多数の論文が短期間に超一流の科学誌に掲載され、いずれもピア・レビューやレフェリーシステムをすり抜けたことで特異な事件であり、巧妙な不正行為の発見が極めて難しいことを示した
4.   ヒトES細胞捏造事件 ⇒ 05年韓国ソウル大学を舞台にしてヒトクローン胚によりES細胞を作成、韓国の「最高科学者第1号」に選ばれ、『サイエンティフィック・アメリカン誌』が同年の「最も優れた研究者」に選定されたが、自ら捏造を認める
日本での事件
1.   広島大学人工心臓実験捏造事件 ⇒ 83年研究費確保のために行ったデータ捏造
2.   旧石器発掘捏造事件 ⇒ 00
3.   理化学研究所事件 ⇒ 04年血液の血小板の形成メカニズムに関する論文でデータを改竄
4.   大阪大学大学院医学系研究科事件 ⇒ 05年血糖値を下げる研究でチームの一員の大学院生が論文を捏造したが、現在でも大学院生が指導教授を訴えており決着していない
5.   東京大学大学院工学研究科事件 ⇒ 05年リボ核酸の権威が再現性のない実験結果に基づく論文を作成
6.   大阪大学大学院生命機能研究科事件 ⇒ 06年複数の共同執筆者からデータへの疑惑が出され、論文取り下げへ



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