バランスシートで読みとく世界経済史  Jane Gleeson-White  2015.6.19.

2015.6.19. バランスシートで読みとく世界経済史  
~ ヴェニスの商人はいかにして資本主義を発明したのか?
Double Entry How the merchants of Venice shaped the modern world and how their invention could make or break the planet                  2011

著者 Jane Gleeson-White フリーランスの編集者、ジャーナリスト。シドニー大学で経済学と文学の学位を取得。ニュー・サウス・ウェールズ大学の博士課程在学中。本書は、”Nib” Waverley Library Award(2012)を始めオーストラリアの数々の文学賞を受賞

訳者 川添節子 翻訳家。慶應大法卒

発行日           2014.10.20. 第1刷発行
発行所           日経BP

15-05 帳簿の世界史』参照

株式会社が配当額を決めるためには、資本と利益を区別しなければならない。では、どうやって計算すればいいのか? 驚いたことに、この問題の答えは、ヴェネツィア式の複式簿記の中にあった。複式簿記は、資本と利益を区別して計算するという、現代の株式会社に欠かせない機能を備えていた。複式簿記が世界中で採用されることになった理由の1つがここにある。複式簿記は資本主義の基本的な仕組みを提供すべく「待機していた」のである

序章 ロバート・ケネディと富の測定
1968年 暗殺される直前のロバート・ケネディは、GNPによってアメリカを評価することの非を説く ⇒ たばこの広告の方が子供の健康より価値があることになる
世界は、国や企業が公表する数字に支配されているにもかかわらず、それらは恣意的で実体のないものになっている。にもかかわらず、私たちはこのような怪しい目印を頼りにしているのはなぜか
こうした疑問に答え、されに考察を深めることを目的とする

第1章        会計――コミュニケーションの始まり
「何かを物語る」という会計記録の性質は、会計を意味する「Account」という言葉にも込められている ⇒ Accountには、「金銭、製品、サービスの授受や、その他の受領や支払いの状況を、残高の計算と共に記載したもの」という意味だけでなく、「記述、報告、詳細」と言った意味もある
文字は、アカウンタントによって発明されたという説が有力
紀元前7000年ごろ、焼成粘土で作られた様々な形をしたトークンによって単純な会計記録が情報の伝達を目的として作成され、最初の記号システムとなった
経済活動を記録し、保管するという行為は、硬貨を使用するようになった古代ギリシャや古代ローマになると新たな段階を迎える ⇒ 国の経済行為が全て記録され公開されると、市民は国の支出を監視、世界初の民主主義にとって必要不可欠な行為と見做される
1202年 フィボナッチが『算盤の書』を著わし、インド・アラビア数字と算数の入門書としてヨーロッパに大きな影響を与える
複式簿記による最古の取引記録は1300年前後のもの

第2章        商人と数学
1494年 ルカ・パチョーリが『計算及び記録に関する詳説』(『算術、幾何、比及び比例全書』に含まれる)を出版、現代会計学の基礎を確立

第3章        ルカ・パチョーリ、有名人になる
15世紀ヴェネツィア国家の興隆 ⇒ 数学、簿記が発達

第4章        パチョーリの簿記論
ヴェネツィアの複式簿記は、商業の歴史を大きく変えたイノベーション
まず財産目録を作成。次に仕訳帳に記入するが、必ず借方から記入。その後日記帳に取引内容を記載

第5章        複式簿記の普及
印刷機の活用が、知識の表現と普及革命を起こす

第6章        産業革命と会計士の誕生
産業革命と株式会社の誕生こそ、複式簿記が世界標準として定着するのに役立つ
株式会社という新しい事業主体の登場が、産業の裾野を一気に拡大するとともに、多様な業務形態に対応すべく会計手法の進化を促した。この時代の会計士たちが、単なる取引の記録方法からビジネスを管理する方法へと簿記を変化させた
工場労働者の給与を計算したり、大規模な投資を管理する手段として、複式簿記が活用できることを最初に示したのは、女王陛下の陶工として名をはせたイギリスのウェッジウッド ⇒ 急増する高級陶磁器への需要を賄うために生産規模の拡大を図るため、1772年に複式簿記を導入し、あらゆる勘定科目と仕事の流れを精査、製造過程の効率化と大量生産の意義を見つけ出す
次いで複式簿記を活用したのが鉄道事業 ⇒ 無秩序に拡大した事業資金を個人からの資金調達で賄っていたが、1840年代の業績の悪化とともに、配当支払いのために帳簿を誤魔化すことが横行、イギリス議会は資本の自由を規制することとし、財務情報の開示を義務付けるとともに、事業のあらゆる段階で会計士によるチェックが必要とされた

第7章        複式簿記と資本主義――卵が先か、鶏が先か
1902年 ドイツの経済学者ゾンバルトが『近世資本主義』の中で、資本主義の出現と複式簿記には深い関係があり、両者は型と中身のようなものと説明した

第8章        ケインズ――複式簿記と国民の富
大恐慌対策として、ルーズヴェルトはニューディール政策を打ち出し、アメリカの資本主義市場経済は初めて政府による大規模な介入を経験
ケインズは、市場資本主義の画期的な理論を構築する。「有効需要の原則」と呼ばれるもので、1936年『雇用、利子および貨幣の一般理論』として出版
いずれの考えも中心にあるのは、資本主義市場経済は足枷を外すと転ぶものであり、立て直す為には何らかの形で政府が介入する必要がある、という理解

第9章        会計専門職の台頭とスキャンダル
01年 エンロン破綻 ⇒ 複雑な財務操作の影に不正が蔓延、会計士も不正を見抜けず、CEOによるインサイダー取引まであって、エネルギー業界の革命児は一気に転落
企業のあり方が複雑になるにつれて、会計スキャンダルに法律で対応するのは難しいことが判り、国別に会計原則が確立される
02年 アメリカではサーベンス・オクスリー法成立 ⇒ 財務報告やコーポレート・ガバナンスに関する規制強化

第10章     会計は地球を救えるか
GDPの数値はアメリカ経済にとって神聖なものだが、本来の目的は国の経済状態を測る手段でも、政策担当者や投資家のツールでも、世界の金融市場を統制するためのものでもない。GDPを作ったクズネッツも認めているように、家庭内生産や非資本主義活動、経済発展のコストが含まれていない
地球上の限りある資源の価値を評価する――あるいは評価しない――方法である複式簿記は、この地球上の生命を存続させるかもしれないし、終わらせるかもしれない。環境の利用はコストがかからないとして、国や企業の決算書に含めず、地球を壊し続ける道もあれば、自然を会計に含めることで、豊かな自然を取り戻す道もある

終章
現代の企業には、社会のコストと環境のコストを負担し、会計という言語で表現することが求められている
豊かさが富なしでは語れなくなり、企業や政府、金融機関の欠陥がグローバルな規模で明らかになった今、私たちは会計の規則に恣意性があるということをはっきりと認識する必要がある。地球の限りある資源と、私たちの消費文明を共存させたければ、海、大気、森林、川、荒野に貨幣価値をつけ、地球の価値を市場が認識できる形で明示しなければならない
今世紀には、地球を会計で表現する方法を見つけ出さなければならない。地球との取引を会計によって把握できるようにしなければ、未来の人類からこの地球を奪うことになるだろう





201531
「バランスシートで読みとく世界経済史 ジェーン・グリーン・ホワイト」(日経BP社)

 邦題では「バランスシートで読みとく」となっているが、正直言って、これでは本書の内容を正確に表していない。原題が「DOUBLE ENTRY」、副題が「How the merchants of Venice shaped the modern world and how their invention could make or break the planet」であるが、原題が本書の内容を端的に表現している。もっとも、邦題で「複式簿記」としたら、本屋で本書を見る人は「簿記の教科書?」と思って手に取ることはないであろうから、「バランスシートで読みとく世界経済史」とせざるを得なかったのだと思う。

 複式簿記が持つ力という観点から、複式簿記の生成から現代に至るまでの歴史を描いている本。「複式簿記」を世界経済史の中心に据えてその功罪を無数の引用を交えて論じた書籍である。通常であれば単なる商取引の記帳方法としてしか把握されないであろう複式簿記を、中世以後の西欧の経済を動かす核として捉えながら記述しているところにこの本の特徴があると言っていいだろう。


 著者によれば複式簿記がインドまたはアラブからヨーロッパに伝わり、使用されることになった萌芽は13世紀に見られるという。そしてそれはインド・アラビア数字の伝来とほぼ時を同じくしている。インド・アラビア数字は「効率的で便利であるにもかかわらず」「イタリアで受け入れられるようになるまでに300年という年月がかかっている」。これは、ギルドや教会という当時の既存権力が使用を禁止したためとのこと。しかし1494年になるとイタリアのルカ・パチョーリが「ヴェネツィア式の簿記のしくみを体系的に解説した本を出版した。」数十年前に発明された印刷技術の普及も後押しして、この本(実際は複式簿記も含む数学全集)はヨーロッパでベストセラーとなっていったという。

 この後、複式簿記は「数世紀にわたってまどろんでいた」が産業革命と株式会社の発展により19世紀の終わりに近づくころパチョーリの複式簿記は、世界標準として定着した。


 時代は、さらに進んで「資本主義」が勃興し始めた頃。(実際は、この本では、パチョーリの時代から資本主義までの「複式簿記」の歴史にも言及されている。)著者によれば「資本主義という概念もまた複式簿記から来ているようだ。」また、「複式簿記の影響力の大きさに最初に気づいたのは、あまり知られていないが、19世紀のイギリスの簿記に特別な関心を寄せていたマルクスだった。」

 さらに、「ドイツにもう1人、複式簿記が歴史上重要な役割を果たしたと主張する人物がいる。政治経済学者と社会学者の肩書を持つマックス・ウェーバーである。」
 「『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかで、ウェーバーは資本主義と他の経済システムの違いの一つとして複式簿記の採用の有無をあげ、次のように述べている。『今日の資本主義の大前提には、人びとの日々の暮らしを満たそうとする大企業の基準として、合理的な資本会計がある。』」
 「ウェーバーの『資本主義的企業』の定義は、複式簿記の概念から発生している。すなわち『合理的な資本主義的企業とは、資本会計を採用している企業である。』ゾンバルトと同じようにウェーバーも、複式簿記が重要なのは、複式簿記を使えば理論的に収益と費用を測定でき、その結果、事業活動の中核をなす利益を計算できるようになるからだとしている。その一方で、複式簿記の合理性が世界を地を通わないものにしていると言い、複式簿記は、おそらく地球上の石炭がすべて燃えつくされるまで、世界を支配し続けると予想している。」

 利益計算を行う簿記と企業活動や行政活動に関する著者の問題意識は、この、ウェーバーの見解における最後の文章に表れていると言っていいだろう。

 他方、「経済学者のヨーゼフ・シュンペーターも、資本主義の発展の理由を複式簿記に求めている。」という。「『資本主義的な活動は、貨幣単位を利益と費用の合理的な計算のためのツールに変えたということだ。そして、そのなかにそびえたっているのが複式簿記である。』利益と費用を計算する機能は資本主義的企業の原動力となり、その後、あらゆる文化に広まった。『こうして最初は経済分野で定義された論理が、姿勢が、方法が、次に人間の道具、哲学、医療、世界観、人生観から、美や正義、野心の概念にいたるまで、あらゆるものを支配ーーー合理化ーーーするという目標に向けて歩みだすのである。』シュンペーターは言う。資本主義は『批判精神を生み出す。そこには善や真実、美を崇拝する気持ちはない。生き残るのは利便性だけである。そして、それを測定できるのは批判精神を備えた費用便益計算だけである。』


 複式簿記は企業活動の成果としての利益を測定、記録するには便利なツールであることは間違いない。しかし、複式簿記がリーマン・ショックのような、経済を大混乱に陥れるような力を持つ陰の主役である、とも受け取られかねない記述に関しては少し飛躍しすぎではないの?と首を傾げる人も居そうだ。さらにGNPGDPも複式簿記の延長線上にあるものという話になると、少し行き過ぎ、と思う人も多いのではないだろうか?

(実際のところは、著者も複式簿記を中心に、数々のエンロン事件を代表とする会計不祥事やリーマンショックの記述をしつつ、複式簿記をそこまで悪者扱いしていないフシも見られるが。ちなみに著者の本書における最後のメッセージは複式簿記の活用を推し進めて、環境破壊等のコスト計算をきちんと行うべきだ、というものである。)

 複式簿記(または企業会計)はあくまで企業の経済的成果を測定・記録するための道具に過ぎない。利益を獲得することは企業活動の結果または前提であって、目的ではない。道具はあくまで道具だ。道具は意志を持ち得ない。企業会計が利益を測定し、記録されるからと言って、企業や企業人が道具に意思を拘束され、視野狭窄のように何よりも貪欲に利益だけを追求し、美や正義、徳といった人間の価値観を侵食し始めたとしたら、それはただ単にそのような人びとが企業目的を履き違えているだけのことなのだと思う。

 むろん、人間は使っている道具に逆に使われるという側面もあるかも知れない。顕微鏡で対象を覗き見る科学者も対象から覗き見られることがあるかも知れない。そして覗き見られていることをその科学者は気付かない

 複式簿記を操るブックキーパーと同じように、科学者も自然における事象・現象をひたすら測定し記録し定量化する。企業では経営者がブックキーパーが提供する費用・収益のデータを見ながら、市場や顧客に対してどのようにアクションを起こすか考える。科学者も、記録されたデータを見ながら自然における現象が発生する理屈を考え、実験室でその現象を再現したり、ときには自然にない事象を発生させたりする。
 だからと言って、全ての科学者が漫画や映画に登場するようなマッド・サイエンティストではないことは皆が知っていることである。当たり前ではあるが、「測定する」という行為自体は、「善悪」ということと関連しようがない。

 ただし「測定する」ことによって見たくないものを見てしまったということはあり得る。しかし、それは人間の原罪のようなものだろう。物事を「測定する」という人間が手に入れた技術は「科学」と同様に簡単に手放すことはできないし、見えなかった時代に戻ることはできない。
作成者ドゴン、日時: 22:56、カテゴリ会計経営経済経理書籍日記














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