ウルフ・ウォーズ  Hank Fischer  2015.5.29.

2015.5.29. ウルフ・ウォーズ  オオカミはこうしてイエローストーンに復活した
Wolf Wars               1995

著者  Hank Fischer モンタナ大で野生生物学、ジャーナリズムを研究、環境学を修める(環境科学の修士号取得)。その後77年から自然保護団体「ディフェンダーズ・オブ・ワイルドライフ」に所属、クロアシイタチやグリズリーなど絶滅危惧種の保護に携わる。78年から同団体のイエローストーンを含む北部ロッキーの地方代表となり、オオカミ復活事業に関わる。86年「オオカミと人間」展の巡回開催での教育への貢献が認められ自然資源協議会のアメリカ賞受賞。87年ディフェンダーズ内に創設した「オオカミ補償基金」は、オオカミ再導入への決定的な流れを作る。02年からは全米野生生物連合の特別チームを率いて、畜産・林業従事者と共同しての野生生物保護の運動を進め、その活動により全米環境賞協議会の特別功労賞、森林局から地域賞を受けるなど数々の賞を受賞

訳者 
朝倉裕 1959年東京生まれ。早大商卒。有機農産物流通の仕事の傍ら、95年から日本オオカミ協会に参加。シカ等の被害地調査や内モンゴル地域のオオカミ調査などに加わる。現在、オオカミと森・人間社会との関係を研究中
南部成美 宮城県出身。東北大文卒。社会学科で心理学を専攻、仕事の傍ら、自然保護に関心を持ち続け、2000年に上京、東京農工大大学院農学研究科修了、農学修士。日本オオカミ協会会員

発行日           2015.4.10. 印刷               4.25. 発行
発行所           白水社

序文             L. デイヴィッド・ミッチ(オオカミ研究の第一人者)
1968年 私が『オオカミ――絶滅危惧種の生態と行動』を発刊した頃、アメリカ全土でハイイロオオカミが絶滅危惧種に指定
昔の生息範囲は、北半球の北緯20度以上の大陸全体に及んでいたが、市民の憎悪と政府の根絶政策により急速に姿を消す
自然保護のムーブメントに乗って、20世紀の野生動物保護の流れができる
ハンクの独創的アイディア、即ち民間の基金によって家畜生産者のオオカミ被害に補償金を支払うことにしたことで、市民はこの基金に寄付することによって、オオカミ復活に積極的に参加することが出来た
基金の創設と同時に、自分の土地でオオカミが子供を産んだ人には5000ドルを提供したことも、オオカミの復活に貢献

プロローグ
1872年国立公園に指定されたイエローストーンには重大な欠陥があった ⇒ 20世紀を通じて最も重要な捕食者ハイイロオオカミが欠けていた
捕食者は獲物動物に対して、進化論的な影響を強く及ぼしている ⇒ 自然の歴史の大部分は、種が捕食者を避けるために適応してきた物語
19893月 前年の山火事で越冬するための餌を焼かれたエルクやバイソンが、冬の嵐で大量に死亡、同時にオオツノヒツジには結膜炎が蔓延、崖に生息する動物にとっては致命傷となり多くが死亡、いずれも捕食者がいればこれだけの被害にはならなかっただろうと推測された
イエローストーンにオオカミを復活させることが、生態系全体の関係を再構築することになると考えた ⇒ 以後15年以上に亘ってオオカミの復活に注力、公園内の生態系全てが見せる相関関係の様相、複雑な相互作用に心を奪われた。まだ理解していないことも含め、共に、相互に補いながら機能して、イエローストーンの本質を形作っている。オオカミが導く「生命の環の道」をたどり、その本質――野生――へと近づく

1.    オオカミを誘拐せよ
19951月 アルバータ州で8頭のオオカミを捕獲、イエローストーン国立公園とアイダホ州中央部へ送られる

2.    消えゆく西部
1930年 合衆国からオオカミの遠吠えが消える
1870年代のアメリカ人の大半は生物学を知らない。自然を構成する仕組みの中に、構成するもの同士の相互関係があるという発想さえなかった
1871年 ダーウィンの『人類の起源』が出版され、全ての生命は固有の価値を持つという思想を膨らませる方向に人々を向かわせた
ヨーロッパ人の入植前、ハイイロオオカミは、アメリカアカオオカミの生息地である南東部を除いた北米大陸の全体に生息し、陸生哺乳類で最大の分布域を誇っていた。オオカミはヨーロッパのほぼ全域とアジアの大半の地域に生息し、世界で最も分布域の広い動物の1つだった
イエローストーンには、約35千頭のオオカミが生息していたと推定される ⇒ 1987年のロッキー山地オオカミ復活計画の目標値は僅か100
1850年以降、毛皮猟師がビーバーから対象を多様化させ、オオカミも高価で取引されるようになり、毒薬を使って大量に捕獲した
1870年代後半、バイソンなどの大型狩猟対象動物が絶滅寸前になったことと、イエローストーン公園を囲む地域に牧畜業が発達して畜産業のにわか景気が出来したことから、バイソンの絶滅で餌を奪われたオオカミが家畜を襲い始めた
188090年代 牧場主たちがオオカミによる深刻な損失を蒙り、オオカミの撃退に注力、モンタナ州政府も報奨金を出してオオカミ撲滅を支援。連邦生物調査局も公園局もオオカミの根絶やしに協力。1930年以降公園内でのオオカミの繁殖は報告されていない

3.    たいまつを継ぐもの
モンタナ大学野生動物生物学教室 ⇒ バイオポリティックスという生物を巡る政治を教えるコースがある
アリゾナ・カイバブ高原(グランドキャニオンの北端)のシカの物語 ⇒ 1906年狩猟対象動物の保護区に指定。シカやエルクが減ることへの国民の件がピークに達し、狩猟愛好家の要請によって連邦当局はシカの狩猟を中止する一方、グリズリー(ハイイログマ)、ピューマやコヨーテなどの捕食者を駆除、家畜も大幅に減らした結果、シカの頭数が大幅に増えたが、増殖し続けた結果、植生を食べ尽くしてしまう。シカを保護するという市民の心情は変わらず、当局はシカを間引く決断が出来なかったため、1920年代半ば頃までにカイバブ高原のシカを飢餓が襲い、続く10年間で急激に減少。その後半世紀もの間、生物の教科書に載り続けた
現在では、狩猟対象動物を完全に保護しても、野生生物は必ずしも健全な頭数にはならないという事例として引用される ⇒ 捕食者を捕り過ぎることは危険とされ、捕食者と被食者の関係は単純な因果関係よりももっと複雑なシステムだとされた
イエローストーンのエルク問題も、1960年代にレンジャーが公園内のエルクを間引いて餌となる植物とのバランスを取ろうと大量に撃ち始めたため国を挙げての論争となる
1968年 イエローストーン公園は「自然調節」と呼ばれる新たな方針を採用、公園内から人間の影響を排除する構想に転換、エルクの直接的な駆除を中止し、頭数の調節を捕食者を含む自然のプロセスに委ねることになったが、既にオオカミが絶滅状態だった
1935年 国立公園内での全ての捕食者駆除を禁じたが、イエローストーンにとっては遅すぎた
1944年頃から、自然には必要な関係が出来あがっているので、自然を構成するすべての歯車と車輪を維持しようとすることが自然保護の第1歩だとの主張が出始める

4.    害獣からロックスターへ
1967年 イエローストーンにオオカミを復活させようとする最初の呼びかけ ⇒ 後に野生動物保護派がたどる道筋を指し示す
徐々にオオカミへの風潮が変化 ⇒ ロックバンドのロス・ロボス(スペイン語で「オオカミたち」の意)1984年のヒットアルバムのタイトルは『オオカミはどうやって生き残る?』だった
1972年 ニクソンが一般教書演説で、公有地での捕食者駆除のための毒の使用禁止を宣言 ⇒ オオカミのみならずたくさんの捕食動物が再び西部に生息できるようになるのに役立つ
1973年 絶滅危惧種法成立 ⇒ それまで自然保護側が野生動物を守ることは経済を邪魔したり開発を阻止したりしないと証明しなければならなかったが、今度は鉱山開発や畜産等の産業側が絶滅危惧種を脅かさないと証明しなければならないように逆転した
1967年 イエローストーン公園内のオオカミ目撃情報が急に増え始める ⇒ レンジャーが公園内で最後のオオカミを殺したと言われる1926年以降、単独行動の目撃情報は散発的にあったが、集団で行動するのは初めて

5.    伝説ふたたび
1980年代後半 モンタナ州中央北部に50年ぶりにオオカミが戻る ⇒ 家畜の被害から、犬との交雑種と見做して駆除
カナダのオオカミが徐々に国境を越えて南下、アイダホでも目撃 ⇒ オオカミの移動距離は800㎞とも言われる
オオカミは人間を襲わないとか、人間の食べ物には誘引されないとか、繁殖率が高いので個体群全体に対する個々のオオカミの重要性は低く、家畜を襲うような個体は駆除が許されるとか、十分な獲物動物がいる場合には家畜に向かわないとか説明しても、オオカミを忌避する牧場主には通じない
絶滅危惧種法修正の動きに対し、「実験個体群」と言う条項を考案、絶滅危惧種の再導入プログラムを作るうえで政府当局にかなりの柔軟性を持たせる工夫をした

6.    教えて、オオカミ博士
オオカミの習性として、これまでずっと獲ってきた獲物を獲る方を好むことから、家畜には向かわないことをオオカミ博士から教えられて、復活が正しいとの直観を得る

7.    波をつかむ
1980年レーガン政権で反環境主義のジェームズ・ワットが公園局を監督する内務長官に就任、公園の現場ではオオカミの復活を考えていたにもかかわらず、実現が遠のく
オオカミの復活への市民の支持を得るための地道な努力を続ける
1984年レーガン再選の際、新たに公園局長になったのが、レーガンが知事だったときのカリフォルニア州公園課長のビル・ベン・モットで、オオカミ復活の意義を即座に理解し、大規模な市民教育キャンペーンを打つ

8.    善人、悪人、不可解な人
自然保護団体も徐々に増え始め、復活への追い風が吹いてくるが、連邦政府は復活計画を認めようとしなかった

9.    最悪の夏
1987年 オオカミが家畜を襲った事件を契機に、牧場主への被害の保証というアイディアが浮かび、ディフェンダーズが補償プログラムを開発
オオカミ復活への反対の急先鋒は、ワイオミング州議員団のトップだったチェイニー(後の国防長官)
連邦政府が、捕食動物の復活反対から、適切な管理へと方針を転換

10. オオカミは面白い
連邦魚類野生生物局の新局長が積極的にオオカミ復活事業のリーダーシップをとる ⇒ 畜産農家の集まりではオオカミと家畜の軋轢は稀であることを、自然保護団体に対しては家畜を襲うオオカミは殺すか移動させることが必要と説く
獣害対策本部を、専門的、科学的に改編 ⇒ オオカミの捕獲技術の習得・向上、捕獲したオオカミに発信器をつけて行動を追跡
牧場主たちに補償する恒久的な基金の創設も、家畜被害による牧場主たちの怒りの鎮静化に効いた ⇒ 家畜の損失を市場価格で補填

11. 謎の宮殿(パズル・パレス)
1970年施行の連邦環境政策法によれば、市民や環境に重大な影響があることを実施する場合には連邦当局が環境影響評価書を準備しなければならない ⇒ イエローストーンの場合も大型捕食者の個体群を復活させるために必要な手続きで、政府の意思決定に市民を参加させる長いプロセスを伴う
陳情に行く仲間内の用語では、合衆国議会のことを謎の宮殿と呼ぶ ⇒ 議会内で評価書の準備開始に反対するワイオミング州の議員に対抗するため外堀を埋める工作を行い、アイダホ州上院議員の働きかけにより、1991年議会に「オオカミ管理委員会」を発足させた

12. 反オオカミ派が迫る
オオカミが来る前にオオカミ管理のルールを作る方が利口だという論理が反対派を説得して、徐々にイエローストーンへのオオカミ再導入の機運が高まっていくが、狩猟愛好家を中心に強硬な反対派も依然として多かった

13. 決戦の時
91年末 評価書の準備作業開始
9293年 イエローストーン公園内でも「オオカミに投票して!」キャンペーン開始
92年 連邦当局主催の公聴会が全米各地で開催され、賛成・反対両派が激突 ⇒ 賛成派が圧倒し、世論の流れをオオカミ復活賛成へと変えた
絶滅したオオカミが自然復活したのであれば、絶滅危惧種法の保護を受けられる ⇒ 繁殖により個体群が形成されたか否かが鍵となるが、オオカミにとっては絶滅危惧種法による保護も、実験個体としての保護も同じこと
95年初 ワイオミング州シャイアン市の地方裁判所が、再導入阻止を求めた仮差し止め請求を却下、再導入への障碍が取り除かれる

14. 野生への復帰
95.1. イエローストーン公園とアイダホ州フランクチャーチリバー・オブ・ノーリターン原生自然地域でオオカミ放獣
イエローストーンでは、オオカミの家族計8頭がそれぞれ60m四方ほどの囲いに放され、新しい環境に慣れるために少なくとも8週間をそこで過ごしてから野生に解き放たれた
アイダホでは「ハードリリース」と言って、折を明けると互いに血縁関係のない繁殖年齢に達した若いオオカミたちが自由へと走り出していくやりかた
70年近く前に公園からオオカミを絶滅させたまさにその機関――国立公園局と連邦魚類野生生物局の前身の組織――が、今最も強力な再導入支持派であり、政府当局がオオカミを根絶するのにかかった時間は偶然にも、同じ政府の役所がオオカミを復活させるのにかかった時間と同じでおよそ20
953月 公園局は囲いからオオカミを放つ ⇒ 公園がもう一度<完全な自然>に戻る道へと踏み出した瞬間

エピローグ
オオカミ放獣への反対は続く ⇒ 94年の選挙で、絶滅危惧種法を作り、守ってきた民主党優勢の時代が終わり、反対派の共和党が多数を占める
当初計画では、各地区に年15頭を少なくとも5年継続して放すか、または野生個体群が定着するまでは放すことになっていたが、その行方は?
歴史家はイエローストーンのオオカミ復活を、自然保護の重要な一里塚と見做すかもしれないが、絶滅危惧種の復活のモデルとしては、あまりに長い時間がかかり、不必要な争いの種になり、費用が掛かった。合衆国には危険に晒されて助けを必要とする野生の動植物が何百とあり、新たな戦術を採用しない限り、わが国の絶滅危惧種保護の努力は失敗する
北部の原生自然の景観に固有な生態学的構成要素のうち、オオカミという存在が、人間の英知と善良なる意思の大いなる試金石 ⇒ オオカミを公園に戻したことで国の善良なる意思を示したが、これから繁殖するかどうか、私たちの英知が試されている


訳者あとがき
2015.1. イエローストーンで、オオカミ帰還20周年を祝う
日本では1905年を最後にオオカミの生息情報は途絶えた
日本での自然回復の取り組みは、コウノトリやトキのように、「地域社会であるべき姿」を取り戻すために分かり易くて人々が共有しやすいシンボルとして選ばれたものであって、その種の絶滅から生じた「生き物の繋がりの重大な欠損」を補修するためではない
日本各地では、共進化してきた捕食者オオカミを失ったニホンジカが爆発的な増加を続ける深刻な事態が進行
日米の取り組みの違いは、人が自然とどう向き合うかを規定する法律や、人々の意識、教育、人材や財政の重みづけといった人の社会の側の事柄であり、社会はそこに暮らす人の知恵と創意によって変えていくことができる。本書こそその実例




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