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志賀直哉、映画に行く  貴田庄  2015.4.23.

2015.4.23.志賀直哉、映画に行く エジソンから小津安二郎まで見た男
著者 貴田庄 1947年弘前市生まれ。著述業(専門は、映画、書物史、美術・文学)。早大大学院修士課程修了。芸術学専攻。77~81年パリ留学。装飾美術書物中央校装丁科修了
発行日           2015.2.25. 第1刷発行 発行所朝日新聞出版
知られざる映画ファン、志賀直哉はどんな映画を見ていたのか。贔屓の俳優や好きな作品は? また、『赤西蠣太』や畢生の大作『暗夜行路』といった、自らの作品の映画化をどう見ていたのか。 日記に残された地名や映画館を手掛かりに、当時の日本各地の新聞広告を辿る。すると、志賀が生涯を通して頻繁に映画館に通い続け、様々なジャンルの作品を見ていたことがわかる。しかし、志賀は映画に関する文章を殆ど発表しなかった。彼は映画という文章化できない芸術をただ純粋に〈パスタイム〉として愛した。 活動写真が娯楽の王様だった明治の終りから映画産業の黄金期を経て、衰退してゆく昭和30年代半ばまでおよそ70年、映画を見尽くした文学者による、かつてない「観客の映画史」
まえがき 志賀直哉は知名度の高いわりに、そして若い時から小説を書き始め、88歳という年齢まで生きたわりに、寡作な小説家。しかしその一方で、小説以外の多くの言葉を残した 彼の残した大部の日記が、無類の映画好きを示している 東京では浅草ロック、有楽町界隈、渋谷駅周辺などの映画館で、関西では京都新京極や大阪道頓堀などの映画館で、さらには奈良や熱海の映画館でも数多くの作品を見ている 映画が、長い間文学より下にあると見做されていたことは確か。特に邦画の場合、太平洋戦争が終わる頃までは、フィルムの質が悪く、撮影するキャメラやスタジオの設備などが劣っていたこともあってそう見做されていた。志賀自身もそう考えていたが、戦後になると状況が変化。「映画だって立派なものは芸術だと思うし、なまじっかなものよりいいものがある」と言っている 本書では、志賀の日記を基として、映画をこよなく楽しんだ志賀直哉像を多角的に描いてみたい 本書で目指すのは、志賀直哉という作家が体験した、極めて個人的で、偏頗(へんぽ)な観客の映画史
第1部活動写真の時代 l志賀直哉の日記 1904.1.1.(21歳)~1960.2.21.(77歳) 永井荷風の『断腸亭日乗』に比べて知られていないのは、断片的で…