熱風の日本史  日本経済新聞社  2013.9.1.

13-09-01 熱風の日本史 
日本経済新聞 日曜版連載 2013.9.1.2014.6.1. 全40

1つにまとまれることは、長所であり欠点でもある。近現代の「熱風現象」の中に、日本人の自画像が見える
明治から始まった日本の近代は、史上初めて「国民」が誕生した時代
国民意識は、日本人の力を1つに結集し、国力を増進する原動力となった
しかし、その力は時に熱風のような圧力ともなり、立ち止まって冷静に考えることを難しくした
熱風現象には、激しい「熱狂」や深層海流のような「空気」など様々な形があった
これ等を単に歴史として観察するだけではなく、教訓として見直すことは大きな国益と言えるのではないだろうか

第1回     旧物破壊の嵐(明治)
明治維新期は、行き過ぎた前時代の否定が行われた ⇒ 廃仏毀釈、廃城令による旧物(文化財)破壊
1868年 神仏判然、分離令 ⇒ 日本古来の神仏習合から仏教を排斥。破壊が始まったのは近江の日吉山王権現社、次いで奈良興福寺を「大春日神宮」とする計画があり、最も激しかったのは薩摩藩で、1616あった寺院が全廃
大阪住吉の住吉社の総本山・住吉大社でも、神宮寺が取り壊され、仏像・文書類等の文化財が散逸、境内の建物としては護摩堂(「招魂社」と名を変え重要文化財)だけが唯一現存
1873年 廃城令 ⇒ 幕府直轄の5(江戸、大坂、駿府、二条、甲府)161の大名の居城、各藩の属城など合わせて約180の城の処分が、陸軍と大蔵省に一任され、反政府勢力の拠点となる恐れから積極的に破壊が進められた。破壊対象は144となり、天守閣が創建時のまま残ったのは12のみ(松本、彦根、姫路、犬山、松江、高知、伊予松山、丸岡、備中松山、弘前、丸亀、宇和島)
姫路は、100円で払い下げられたが、解体費用が莫大で放置された
彦根は、陸軍の駐屯地となっていたが、たまたま北陸巡幸中の天皇に随行していた大隈重信が解体寸前の天守閣消失を惜しんで天皇に保存を奏上したところ、滋賀県令に保存が命じられた ⇒ 廃城令で破壊された城跡には軍や政府の役所が置かれることが多く、現在でも県庁や市役所が旧城内にある都市が多いが、彦根は県の中心になる代わりに城によって歴史と文化という財産を得た

第2回     欧化という熱病(明治)
黒船艦隊に彼我の軍事、文明、科学力の差に衝撃を受けた日本人は、明治期になって西洋への強い憧れを抱くようになる
諸外国との不平等条約改正のため、政府が積極的に欧化政策を推進したことも影響
なかでも熱いブームとなったのが英語 ⇒ 外国人の「内地雑居」に備えて庶民の間にまで外国人相手に商機を広げようと英語熱が高まる
「必要」から「学習」に変わった頃から、日本の英語教育の迷走が始まる ⇒ 使える英語のうちはよかったが、語るべきストーリーを失うとともに日本人の英語力も衰退
洋風への「改良運動」 ⇒ 衣服、家屋、言語、教育、風俗、しまいには人種改造論まで出る。福澤も平等は理想であって、現実には優劣は先天に定まるという優生思想的考えの持ち主だった
行き過ぎた欧化熱は、その反動として国粋主義という新たな「熱病」を生むみ、他のアジア諸国など非西洋への蔑視感情に繋がる

第3回     今日は帝劇、午後はカフェ(大正)
大正期は、初めて大衆社会が形成された時代 ⇒ 「都市中間層」が誕生、大量消費社会の主役となる
1911年 帝劇開場 ⇒ 演劇文化の近代化革命と同時に、都市中間層の憧れだった西洋的な「文化的生活」のシンボルに
同年銀座6丁目(現在は8丁目)にカフェパウリスタが開店 ⇒ ブラジル産の豆で「本物」のコーヒーを提供する正統カフェの嚆矢。プランタンより庶民性が受け、日本のモダニズムを育む役割を果たす

第4回     軍国女性「死の餞別」(昭和)
国家が戦争の熱に浮かされたとき、男女の性差は無意味となり、昭和の戦時、軍国活動に
精励し、結果的に兵士を死地へと追いやった女性たちがいた
夫の出征を前に自決した妻の話が、陸軍によって"死の餞別の美談として仕立て上げられ、これを契機に「銃後の守り」が本務とされた女性が、「何か国のために尽くしたい」と考え社会に出始める ⇒ 国防婦人会などの活動を通じた婦人解放が進む一方、女性が戦争に加担し、煽る活動は、「男を死地に追い立てる」として顰蹙も買った

第5回     愛国の兵器献納運動(昭和)
満州事変の勃発とともに、国民は素朴に郷土の兵士の身を案じ、戦地に慰問袋や激励の手紙を送ったが、その善意を軍が悪用し、戦闘機や戦車などの兵器の献納運動へと発展、やがて強制的な献金徴収へと移っていった
「国防献金運動」 ⇒ 陸軍が学芸技術奨励寄附金として受け取り、国防費に繰り入れ
31年 かぶと89個分として「用途指定寄附」が始まり、以後兵器献納運動が熱狂的に拡散
32年 献納機「愛国1号、2号」の命名式 ⇒ 株式仲買人が個人で10機も献納。海軍向けは「報告号」と名付けられ、零戦も41年「報告号」としてデビュー
新聞社自身も献納しているが、1つの新聞社の呼びかけた献金により終戦までに推計350機が献納されたという
国民総献納に発展、美談が仕立て上げられ、次第に強制へと向かう
兵器献納の記録は、終戦時「戦争協力者」としての追及を恐れて廃棄されたため、献納された機数は不詳、昭和史でも語られることは少なく、戦前戦中における日本国民精神文化史上の大きな欠落となっている

第6回     飽食時代のコメ騒動(平成)
1993年 異常気象による冷害のため、コメ作況指数は74で戦後最悪となり、人々は国産米の買いだめに走った ⇒ 昔から東北地方に何度も飢饉をもたらした冷たい北東風の「山背(やませ)」が、夏に異常低温と長雨による日照不足をもたらし、9月には指数が80になったところで、まず被害の大きい東北地方で消費者のパニックが始まる
コメ不足の時代にできた食糧管理制度により膨大な赤字になった後、コメ余り時代には過剰米に見舞われ、漸く減反と生産調整で余剰米がほとんどなくなった時の凶作だった
政府は、緊急輸入で凌ごうとしたが、輸入米の販売が本格化した年明けに外国産米の不良が相次ぎ、国産米の買いだめが始まり全国に広がる
日本の大量輸入で、国際市場のコメ価格も大暴騰し、日本の「自己中心的」なコメ緊急輸入が、コメの生産、輸入国に経済的な打撃を与えた
当時のコメ消費量は10百万t2.6百万tの不足が予想され、緊急輸入は最終的にそれを超えた
夏にはパニックが急速に終息したが、凶作を見越して卸売業者などが抱え込んでいた流通在庫が約2百万tあったためで、1年でコメ不足は収束したが、輸入米は1百万t売れ残る ⇒ 一番の被害者は、価格高騰で高いコメを買わされた東南アジアの消費者

第7回     憤激!ノルマントン号事件(明治)
1886年 英貨物船が紀州沖で遭難。日本人乗客25人が全員死亡。英国人は11人全員無事
不平等条約のため、英領事館での海難審判となったが、船長は無罪
世論が沸騰したが、条約改正を目指す政府は必死に抑える
その後、領事裁判では有罪となったが、世論は既に静まっていた

第8回     国民道徳の創造(明治)
建国直後の日本は、西洋から軍事・経済的脅威に加え、個人主義とキリスト教という思想的圧迫を受け、対抗して創られたのが、天皇を「家長」、国民を「赤子(せきし)」とする家族国家観と忠孝の国民道徳
1890年 教育勅語 ⇒ 国民の思想・道徳・国家観に介入。支配するバイブルとなり、98年の改正民法とともに国民を支配
10年代後半~20年代 大正デモクラシーによる「思想国難」で中断

第9回     西郷生存伝説(明治)
生存伝説 ⇒ 近代化政策に不満で専制的国家運営に鬱屈した人々の願望が見せた幻視
15年ごとに大接近する火星の年に準え、「西郷星」と呼ばれ、庶民の安価なニュース媒体とされた「錦絵」に、火星の中に軍服姿の西郷像が多く残っている
死後12年、憲法発布の大赦で追贈されたのが生存説に火をつける
91年のロシア皇太子襲撃事件も誘発 ⇒ 西郷がロシアに亡命して、皇太子と一緒に帰国する噂が広まり、その暁には西南役の官賊が逆転して、官軍の勲章剥奪との噂に、勲章を命より大事にしていた津田巡査が被害妄想から皇太子を襲ったという

第10回     中流の夢 郊外ユートピア(大正)
大正期の産業化、大都市への人口集中から、公害と劣悪な住環境を逃れ、より人間的生活を求め、中産階級が郊外に移り住む
25年 大阪市は市域を拡張して、面積・人口とも東京市を抜く ⇒ 東洋のマンチェスター、煙の都と言われ、大気汚染・騒音がひどく、富裕層は阪神間に移動
小林一三 ⇒ 郊外住宅地開発の先駆者。09年池田で27,000坪分譲、初めて住宅ローンも提供。住宅価格はサラリーマンの年収の46
ターミナル・デパートの先駆でもある ⇒ 梅田の阪急百貨店
阪急神戸線開通の際の自虐コピーは、「綺麗で、早うて、ガラアキ」
宝塚は小林が、「無理にこしらえた都会」 ⇒ 箕面有馬電気軌道が、有馬の元湯の使用権で折り合いつかず、有馬への延伸を断念して宝塚を終点とした。11年大浴場、室内プールに温水装置が無く大失敗した挽回策が14年創設の少女歌劇

第11回     日中衝突への導火線(昭和)
15年戦争の導火線 ⇒ 日中双方によるヘイトスピーチ
28年 第2次山東出兵は、広東の国民政府軍による北伐からの邦人保護が目的だったが、済南事件で法人280名が虐殺されたのを契機に戦闘勃発 ⇒ 日貨排斥運動、「五・三国恥の日」
31年 万宝山事件 ⇒ 長春郊外に入植した朝鮮人が中国人と軋轢を起こし、多数の中国人が虐殺されたが、日本が朝鮮人をそそのかしたとして中国人が反発
31年 中村大尉殺害事件 ⇒ 大尉が偵察中にスパイとして拘束され殺害された事件。9.18柳条湖事件の導火線として軍部が流用
長年蓄積された中国軽蔑の民族心理によって増幅され、容易に暴支膺懲の世論に転化

第12回     「産めよ」「産ますな」国のため(昭和)
「産めよ、増やせよ」と同時に、障碍者などには断種や、結婚・出産制限が行われた
20世紀初頭、世界的に流行した社会的ダーウィニズムの影響
33年 ナチスの断種法制定が刺激となって、40年国民優生法成立
家族国家主義と相容れず不徹底に終わる
例外がハンセン病患者 ⇒ 戦後の優生保護法では、中絶・不妊手術の対象になっており、完全撤廃は96年のこと

第13回     イラク人質事件と自己責任論(平成)
政府の退避勧告に従わずイラク武装グループに拘束された3人に対し、世間の非難が集中
自己責任論が主流で、「世間」という暗黙のルールがあることが鮮明に
83年 日頃世話になっている隣人の不注意を訴えた「隣人訴訟」でも、原告が世間からバッシング
「迷惑」と「「謝罪」がキーワード
日本には国家と個人の間、あらゆる集団内に「世間」があって、国家や法律よりも「世間」が個人を裁く ⇒ 「世間」は、日本人の行動を制約する重要な基準であり、自らの行動基準を内に持たず漠然と「世間」に基準を求める特性は、日本人全体になると、「外国はどうしているのか」と外国の事例に頼ろうとする

第14回     「煩悶青年」身投げの衝撃(明治)
03年 藤村操が日光で「不可解」の言葉を残して投身自殺
若者の後追い自殺が続出して、「煩悶青年」と呼ばれた
日刊紙「満朝報」の黒岩涙光が「初めて哲学者を見る」と絶賛
一高で藤村に英語を教え、死の数日前に彼を叱った漱石は、その後の自身の文学に操の自殺が影を落とす
自殺の流行は、近代的自我の芽生えに伴う人生の懐疑に回答を与えることが出来なかった日本の市民社会の未成熟さが影響

第15回     哀しき立身出世主義(明治)
「立身出世主義」の功罪 ⇒ 国家の急速な近代化への推進力となった反面、実利主義の蔓延により文化が痩せ細り、一握りの勝者と多数の敗者を生む
サミュエル・スマイルズ著『西国立志伝』が火付け役
「勉強」という言葉は、江戸時代までは「無理をする」、「値下げする」の意だったが、明治から「学問に励む」意に変わる
システム化 ⇒ コースに乗る、進路、学歴
敗北者救済の装置として考えられた思想が、金次郎主義で、成功や富よりも「道徳的な成功者」が賛美される

第16回     「時の開化」改暦の混乱(明治)
1872.12.3.73.1.1.とする太陽暦採用へ
皇紀 ⇒ 神武天皇即位を紀元前660年とし、73年が皇紀2533年とされた
大蔵卿の大隈重信の主導 ⇒ 前年の1か月分と閏年の新年の1か月分、計2か月分の官吏給与を節減し、逼迫した財政を助けた
不備の1つが、歳時記を改めなかったため、「正月に春の七草なく、桃の節句に桃なし、七夕は梅雨で星見えず」と揶揄
旧暦では、13月が春、46月が夏、79月が秋、1012月が冬

第17回     火中に身を投じた教師たち(大正)
1890年 教育勅語発布により、勅語奉読と御真影拝礼が定着 ⇒ 火災から御真影を守って殉職する教師が出て美談とされる
1921年 現在の坂城町立南条小学校長が殉職、顕彰碑が立つ
御真影が下付されるのは名誉なこと
43年の学校防空指針でも、御真影が第一で、生徒は二の次

第18回     マッカーサーを抱きしめて(昭和)
ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』
史上最も成功したと言われる日本占領期の数々の改革は、マッカーサーなしではありえず、日本人は「解放者」として彼に感激し、「慈父」として崇めた
敗戦という屈辱を支配者ともども抱きしめることで、日本の戦後が始まる
久米正雄著『日本米州論』 ⇒ 独立より米49州のほうが幸福だと説く
国民がマッカーサーに送った手紙が50万通にものぼったが、51年帰任後の上院聴聞会で、「日本人の現代文明基準は12歳」と発言、一気に熱が冷めた

第19回     未来都市へ 民族大移動(昭和)
1970年万博で未来都市誕生
64百万人の入植者
混雑振りから、「残酷博」とも呼ばれた ⇒ 平均滞留6.5時間中、4.5時間が行列の待ち時間

第20回     128日の「青空」(昭和)
日中戦の停滞感が一変、誰もが日本の将来に「青空」を見たが、それが当時の人々のリアリズムだった
真珠湾の戦果が伝わるのは8日夜だが、開戦というだけで、情報が隠されていたため、却って大興奮を生んだ

第21回     希望のボランティア(平成)
95年阪神大震災 ⇒ ボランティア元年
日本人全体の心にともった希望の灯り
平等公平が原則の行政に対し、フットワークの良さが利点
「個の目覚め」「自己発見」の元年、自主性、自発性が育まれてきた結果

第22回     脱亜、尊敬から軽蔑へ(明治)
古来、尊敬と憧れの対象だった中国に対し、19世紀に西欧列強の侵略に蹂躙された姿に失望、軽蔑に転じ、明治以降急速に近代化を成し遂げた優越感が改革の進まない中国への侮蔑を助長
福澤著『脱亜論』では、中国を「悪友」と言い切る
日清戦争で頂点に ⇒ 明治天皇も「不本意」としたが、「文明と野蛮の戦い」とし、「義戦」として正当化

第23回    
「恐露病」と言われるほど、日本が最も恐れた隣国
三国干渉を主導したロシアへの感情は、敵意に転じ、開戦前後には「露探(ロシアの軍事探偵)」のレッテルで非国民狩りが行われた
日本人のロシア・コンプレックスは、18067年のフヴォストフ事件(文化露寇)に遡る ⇒ 外交使節受け入れを断られたレザノフが、部下のフヴォストフに樺太、択捉を襲撃させた
激しい迫害を受けたのが、ロシア正教を受容した日本の正教会

第24回     「帝国」へ、第二の維新(明治)
日露戦勝利で帝国主義国家として歩み出したが、戦費調達のための増税で国民が疲弊、社会主義思想も広まって国家体制崩壊の危機に
内務省主導で、国家の構造改革として「地方改良運動」実施 ⇒ 近代化の総仕上げであり、「第二の維新」と言われた
二宮尊徳の報徳社(43年設立)が広めた報徳主義に着目、「至誠、勤労、分度、推譲」が基本
3大模範村として、静岡の稲取、千葉の源、宮城の生出が選ばれ、1町村1社の神社統一整理を行い、小学校教育を重視

第25回     「新しい女」のたたかい(大正)
1911年 青踏社発足 ⇒ 男性に隷属してきた女性たちの「独立・解放宣言」で、「新しい女」と呼ばれる
大正デモクラシ-の様々な思想的事件の中でも最大級の衝撃で、与謝野晶子は「山の動く日来る」と言ったが、5年で幕

第26回     捨てられた「勝ち組」(昭和)
明治以降、南米に送り出された移民は、「口減らし」が目的
日本の棄民政策が生んだ悲劇が、「勝ち負け構想」
73年勝ち組が来日、繁栄ぶりを見て勝利を再確認したという
日本の移民氏は1868年のハワイに始まる ⇒ 出稼ぎが主で、永住までは考えなかった
移民政策は、社会不安に起因する赤化防止策でもあった
南米向けは08年から ⇒ アメリカの排日気運で行き先が変わったもの
2次大戦でブラジルが連合国側に立ったため、日本人社会は情報が途絶した中、「遠隔地ナショナリズム」が勝ち組を生み、少数派の負け組をテロにより迫害

第27回     国語の民主化指令(昭和)
国語の民主化=漢字全廃、ローマ字採用
占領軍は、日本の初等教育を文字の読み書きに偏りすぎと批判、日本人の「狂信」の根源に漢字があるとして、6,3,3制、男女共学とともに国語の改革を唱える
日本人が、過去の日本に自信を失って、初めから出直しと思った時に、国語改革論議が盛んになる ⇒ 最初は明治維新で、漢字を廃止
46年 当用漢字1850字制定
66年 漢字仮名交じり文を国語の表記とすることを文相が宣言して、ローマ字化・仮名のみ表記論に終止符
言語は、それを用いる集団・種族の世界の見方、認識の仕方の大系

第28回     総労働の挽歌(昭和)
50年代のエネルギー革命で石油にとって代わられた石炭
業界で大争議勃発、総労働は総資本に屈し、高度成長、労使協調の時代に入る
60年三井三池争議 ⇒ 扇動したのが向坂逸郎九大教授
中労委の裁定は、争議の行き過ぎを認め、労組の完全敗北
05年労組解散、最後の組合員は14

第29回     バブルの焼け跡(平成)
86.12.91.2. バブル景気 ⇒ 1,000兆円が膨れて萎む
09.3. ふるさと創生事業 ⇒ 3059市町村に対し1億円支給。大半は事業構想もないまま無駄に費消
87年 リゾート法 ⇒ 地域再生の切り札と期待され、国土の20%が指定を受ける。第1号はシーガイヤ(01年破綻)
87.2. NTT上場が株バブルの初め ⇒ 初値1.6百万円、4月最高値3.18百万、日経平均の最高値は89年末で、9か月後には半値に
87.5. 首都圏住宅用地のピーク ⇒ 都心3区に限れば11年で1/5
次が絵画で、日本の輸入金額は7倍 ⇒ 87.3.最高値をつけたゴッホの「ひまわり」も01年には1/10
ゴルフ会員権 ⇒ 小金井の440百万円を筆頭に、億カンが30コースを数えたが、95年にはゼロ
戦前の米内光政の手紙にも、同じ様な狂態に踊る日本人の危うさを憂いた文章がある

第30回     千里眼と神秘世界の誘惑(明治)
西洋文明の唯物的近代思考に馴染めず、不可知の神秘世界への依存、憧れも強かった
「こっくりさん」 ⇒ 三つ又にした竹の上に飯櫃の蓋を乗せて傾いた動きで物事を予想。アメリカのTable turningがルーツで、8588年に流行
「催眠術」 ⇒ 明治20年代から。精神優位時代の幕開け
「千里眼(透視)」 ⇒ 09年熊本の女性が始めて流行
国家教育システム=学校という国家のイデオロギー装置に疑いを抱かせるものとして、「超科学」は封殺

第31回    
日露戦後、「無産階級」が増加、社会主義浸透と共に、天皇の正当性に疑義を挟む「南北朝正閏(せいじゅん:順逆)問題」が起き、政府と世論を「国体」擁護から史実より国民教育思想を優先
08年 日本社会党集会を機に、党内の直接行動路線に傾斜
10年 大逆事件 ⇒ 死刑となった幸徳秋水が公判で、現天皇は南朝から三種の神器を奪い取った北朝の子孫だと言ったことが波紋
11年 南朝正統の聖断がくだってケリ

第32回    
日本近代化の最大の犠牲者は社会的弱者
大正期にようやく救済の手が ⇒ 救世軍(95年設立)
3大スラム ⇒ 下谷万年町、四谷鮫ヶ橋、芝新網町
救世軍は、「廃娼運動」で知られる ⇒ 58年売春防止法

第33回     オリンピックの東京改造(昭和)
総投資額1兆円(国の歳入比較では、現在の33兆円に相当)のうち、直接費用は1%、残りは都市基盤整備に使われる ⇒ 「首都高速の生みの親」山田正男(元内務官僚)が都の都市計画責任者に就任
上水 ⇒ 淀橋が限界になり、金町を新設。オリンピックの年は異常渇水で、東京砂漠
下水 ⇒ 23区の普及率は57年で20%台、渋谷は60年でも6
道路整備が最優先 ⇒ 環状7号と青山通りで全体の1/2かけた
作家は総じて批判的 ⇒ 獅子文六「貧乏人が帝国ホテルで結婚式を挙げるようなものだ」

第34回    
連合赤軍 ⇒ 1971年結成
72.2.19.10日間、国民がテレビにくぎ付け。突入時の視聴率98.2%は、リアルタイム映像の力を見せつけるもの

第35回     湾岸危機、「想定外」の迷走(平成)
90.8. イラクのクウェート侵攻
91.1. 多国籍軍がイラクを攻撃
資金援助と自衛隊派遣を求められ、法整備が出来ないまま、平和協力隊の名で自衛隊を文民として参加させようともしたが断念。資金援助を3倍の90億ドルとしたが、最終的には135億ドルまで膨らむ
クウェートが米紙に載せた支援30か国への感謝広告に日本の名はない

第36回     関東大震災-人間性の焦土(大正)
騒乱を恐れた治安当局の過剰反応により、自警団・軍が暴走、焦土となった町で人の心も「焦土」と化す
1550銭」の発音が踏絵、ガ行、ザ行が言えない朝鮮人が虐殺の対象に ⇒ 流言の発生源は横浜・本牧。右翼による集団強盗事件を朝鮮人の仕業に転嫁。関東各県にも広がる。背景には朝鮮の独立運動も絡む
千田是也 ⇒ 当時まだ学生で、自警団に朝鮮人と間違えられ、その時の恐怖をもとに芸名をつけた。「千駄ヶ谷のコリアン」の意

第37回     隣組「クモの巣社会」(昭和)
国家総動員体制の末端組織が「隣組」で、40年の内務省訓令で義務付け ⇒ 133万組
相互監視機能も兼ね、プライバシーや自由な意見を圧殺
ルーツは、中国の「五保の制」で、徳川時代にも「5人組」として存在
スパイ防止対策、防空・消火対策、配給制度、戦時公債の強制購入、勤労動員などに活用
47年廃止されるが、52年町内会として復活

第38回     リブー女の解放宣言(昭和)
70.10.21. 国際反戦デーに女性だけで解放を叫んでデモ ⇒ Women’s Liberationウーマンリブ運動の旗揚げ
田中美津 ⇒ 性の解放
中ピ連 ⇒ 中絶禁止法に反対し、ピル解禁を要求する女性解放連合
軽蔑の響きがあった「女」という言葉を普通の言葉にした

第39回     オウムと終末症候群(平成)
95年は特異な年 ⇒ 阪神大震災、地下鉄サリン事件
ハルマゲドン(最終戦争)99年に起きると断言 ⇒ ノストラダムスの終末大予言でも99年を予測しているが、翻訳本は訳者の創作で、日本から救世主出現が結論となっていることろから、新興宗教の教祖たちが、我こそはと飛びついた
日本の教育が、合理的な思考を育てるという点で失敗したことを示すものであり、答えに至るプロセスを問わず容易に答えを求める傾向は、逆に安易な非合理的な説明を信じる思考スタイルを育てる

第40回     () 「新聞は思想戦兵器なり」(昭和)
2次大戦下、日本の新聞は弾圧を受けた被害者というより、国民の敵愾心を煽り、戦争を「聖戦」と美化し続け、「軍部とともに日本を亡国に導いた共犯」との批判がある
「新聞は戦争とともに発展する(⇒売り上げを伸ばす)」と断言した新聞人もいる
満州事変では、社説で軍を叱咤(毎日)32年満洲国不承認の国連決議には各紙こぞって異議申し立ての共同宣言に参加、翌年の国連脱退を促す結果に
ラジオの爆発的普及に対する危機感も背景にあり、速報重視から、情報を吟味せず既成事実を追認していた
政府は、挙国一致の協力を要請、新聞側は快諾 ⇒ 一方で反軍、反戦的な記事の差し止めの通牒も
言論統制のもとに、新聞自身にも危機感欠如 ⇒ 二・二六では沈黙を守るなど抵抗は99%終わる
新聞は思想戦兵器であり、記者は思想戦戦士 ⇒ 記者は登録制となり、新聞は死に体同然。申請12千、当局提出8700、不認可3300
21世紀改定の新聞倫理綱領 ⇒ 公正な言論のために独立を確保し、あらゆる勢力からの干渉を排除するとともに、利用されないよう自戒


熱風の日本史 [著]井上亮
[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]朝日 20150215   [ジャンル]歴史 
「私たち」動かす「空気」を探る
 このごろとみに思うのは、現在の問題を知るには、戦後だけでなく、少なくとも、開国から明治政府の成立期にまでは遡(さかのぼ)らないといけない、ということである。現在の問題のひな型は、すでにその時期には出尽くしている。私たちは、驚くほど変わっていないし歴史から学んでもいない。その事実には、呆然(ぼうぜん)とするばかりである。
 この本は、開国〜明治期から現在までの歴史の本ではあるが、「正史」というよりは、変わらぬ「私たち」のほうに焦点を当てたものである。「私たち」の気分がどう揺れ、何に駆動され、いつ一気に熱風のようになり、終われば冷めてしまうか。どれほどそれを繰り返してきたか。
 集合としての日本人の一面は「神話をつくって勝手に熱狂しやすい人たち」である。神話はいつしか「空気」となって、内と外から私たち自身を縛り、あるいは駆動してきた。皇国神話、不敗神話、成長神話、土地神話、等々。
 現代語の「空気を読め」が実は同調圧力と同じなように、戦争に向かった当事者たちも、のちには言うのだ「空気に抗(あらが)えなかった」と。だったら空気の研究を、資料からまじめに説き起こしていくことには重大な意味がある。
 こういうことを扱うのは、実はむずかしい。とらえどころのないものをとらえる必要があるからだ。そのために本書は、新聞、雑誌、錦絵(ニュースメディアだった)、果ては流言飛語や噂(うわさ)、美談まで、たんねんに拾う。流言飛語や噂は、「歴史」とは従来みなされてこなかった。
 しかし、流言飛語や噂にこそ、人々の本質は宿らないだろうか。それらに人々は煽(あお)られ、あるいは焦(じ)らされ疑心暗鬼となり、大きく動いてきたところが、あるのではないか(株価変動の本質は噂ではないか)。我が胸に手を当ててもこれを否定できない。歴史とは、そういう「私たち」が織りなすドラマなのである。
    
 日本経済新聞出版社・1944円/いのうえ・まこと 61年生まれ。日経新聞・社会部編集委員。『天皇と葬儀』










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