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哲学散歩  木田元  2015.2.26.

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2015.2.26.  哲学散歩 著者 木田元  Wikipedia 参照 発行日            2014.10.25.  第 1 刷発行 発行所            文藝春秋 初出 『文學界』 2010.5. ~ 2013.11.( 隔月 ) 間奏 悠久の旅 I ~ III   『大航海』 No.68 ~ 70   2008.9 ~ 2009.3. 第 1 回 エジプトを旅するプラトン ( 前 428 ~ 347/8) プラトンのイデア論の出どころはどこか ? 「イデア」とは、自然の生成消滅を免れた、永遠に変わることのない事物の真の姿・形であり、それを拠点にして考えていくのがイデア論 ギリシヤ風の思想だと言われているが、古代ギリシヤ人はむしろ「万物は流れる」、つまり全てのものはおのずから生成し消滅する生きた自然 ( じねん = 本性 ) だと考えていた ソクラテス以前の思想家たちは、万物の本性・真の在り方を思索の主題にしていた そこに、全く異質なものの考え方、いわば超自然的な原理を設定し、それを拠点にしてすべてを考えていく超自然的な思考様式を持ち込んだのがプラトン ⇒ ソクラテスの刑死後、 10 年に亘って大旅行をした際に立ち寄ったプトレマイオス朝のエジプト ( ユダヤ ) の影響ではないか 後世、プラトニズムとキリスト教は見事に結合。キリスト教はプラトニズムによって理論的支柱を与えられ、プラトニズムはキリスト教の信仰に乗っかって普及、以後両者は互いに支え合いながら西洋文化形成の設計図として機能し、現代の巨大な技術文明を生み出すことにもなる 第 2 回 エンペドクレスのサンダル 「哲学」の元の「フィロソフィア」というギリシア語は、紀元前 5 世紀後半にソクラテスが「愛する」という動詞と「知識」という名詞を結び付けて作った抽象名詞であり、「知を愛する」という意味の言葉。弟子のプラトンやアリストテレスに受け継がれ、 3 代がかりでギリシア語のうちに定着したもの にも拘らず、通常の哲学史は、ソクラテスより 150 年ほど遡る紀元前 7 世紀末に生まれたとする ⇒ ギリシア本土出身ではなく、イオニア ( トルコ西海岸 ) や南イタリア、シシリー島出身で、著作が完全な形では残っていな

熱風の日本史  日本経済新聞社  2013.9.1.

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13-09-01  熱風の日本史  日本経済新聞 日曜版連載  2013.9.1. ~ 2014.6.1.  全 40 回 1 つにまとまれることは、長所であり欠点でもある。近現代の「熱風現象」の中に、日本人の自画像が見える 明治から始まった日本の近代は、史上初めて「国民」が誕生した時代 国民意識は、日本人の力を 1 つに結集し、国力を増進する原動力となった しかし、その力は時に熱風のような圧力ともなり、立ち止まって冷静に考えることを難しくした 熱風現象には、激しい「熱狂」や深層海流のような「空気」など様々な形があった これ等を単に歴史として観察するだけではなく、教訓として見直すことは大きな ” 国益 ” と言えるのではないだろうか 第1回      旧物破壊の嵐 ( 明治 ) 明治維新期は、行き過ぎた前時代の否定が行われた ⇒ 廃仏毀釈、廃城令による旧物 ( 文化財 ) 破壊 1868 年 神仏判然、分離令 ⇒ 日本古来の神仏習合から仏教を排斥。破壊が始まったのは近江の日吉山王権現社、次いで奈良興福寺を「大春日神宮」とする計画があり、最も激しかったのは薩摩藩で、 1616 あった寺院が全廃 大阪住吉の住吉社の総本山・住吉大社でも、神宮寺が取り壊され、仏像・文書類等の文化財が散逸、境内の建物としては護摩堂 ( 「招魂社」と名を変え重要文化財 ) だけが唯一現存 1873 年 廃城令 ⇒ 幕府直轄の 5 城 ( 江戸、大坂、駿府、二条、甲府 ) と 161 の大名の居城、各藩の属城など合わせて約 180 の城の処分が、陸軍と大蔵省に一任され、反政府勢力の拠点となる恐れから積極的に破壊が進められた。破壊対象は 144 となり、天守閣が創建時のまま残ったのは 12 のみ ( 松本、彦根、姫路、犬山、松江、高知、伊予松山、丸岡、備中松山、弘前、丸亀、宇和島 ) 姫路は、 100 円で払い下げられたが、解体費用が莫大で放置された 彦根は、陸軍の駐屯地となっていたが、たまたま北陸巡幸中の天皇に随行していた大隈重信が解体寸前の天守閣消失を惜しんで天皇に保存を奏上したところ、滋賀県令に保存が命じられた ⇒ 廃城令で破壊された城跡には軍や政府の役所が置かれることが多く、現在でも県庁や市役所が旧城内にある都市が多いが、彦