暗いブティック通り Patrick Modiano 2015.1.6.
2015.1.6. 暗いブティック通り
Rue des Boutiques Obscures 1978
著者 Patrick Modiano (Wikipedia参照)
訳者 平岡篤頼(とくよし) 1929年生まれ。52年早大文卒。仏文学専攻。早大名誉教授
発行日 2005.5.20. 印刷 6.10. 発行
発行所 白水社
1947年 ユットが私立探偵社を開設。ギー(私)は8年前事務所に入るが、この年ユットは事務所を閉鎖してニースに移住
ギーは、10年前に記憶喪失になる
自分の過去につながるわずかな情報を頼りに自分の素性を探そうと試みた結果、判明したのは以下の内容
写真の女性はいとこで、その二度目の結婚相手が私の中学時代の親友
私は2流誌のファッションモデルと結婚
戦時中、占領下のパリからいとこ夫婦、私たち夫婦の4人と、祖父の馬に乗っていた元騎手の計5人で、南仏の山村にある友達の山小屋に避難
パリから避難してきた人たちと夜な夜な騒ぐ親友たちを尻目に、私たち2人はそこでも安心できなくなって地元のペテン師の誘いに乗って国境を越えてスイスに亡命しようとするが、金だけとられた上に私たち離れ離れになりそこで私の過去も途絶える
妻は事故死として扱われた
自分探しの発端となったのは、紹介されたバーテンの友人が思い出したロシア人亡命貴族の葬儀記事を頼りに死者の友人代表と記載されていた人を探り当て、その男から見せられた2枚の写真。幼い頃の自分と思われる子どもと女の子とおじいさんが写っている。女の子が元女優だったことが分かり、彼女の別れた夫に辿り着き、彼から彼女の遍歴を聞き出したものの、彼女はもう死んでいなかったが、写真に写っているのは祖父と孫娘ということが判明
その夫の記憶から彼女の実家の女性がわかり、30年前の紳士録で祖父母の実在を確認するが、両親は幼い頃に死亡
遍歴をたどっていくうちに写真に写っているもう1人の女性の身元もわかってきて、彼女が結婚した相手の名前つまり私とその名前もわかるが、彼女もすでに43年に不法越境の途中で行方不明になっていたことが判明
偶然出会った祖父の馬の元騎手が私のことを呼び止め、ファッションモデルと結婚していたことリスクを犯してスイス国境を越えようとしたことなどを教えてくれる
タヒチに移住している私の中学時代の親友の父親と思われる人に会って、今度こそ自分の本当の過去が確認できると期待して出かけていくが直前に珊瑚礁で遭難しており自分探しの旅は終わる
結局判明した事実がどこまで真実なのか自分の本当の名前すら最終的に確認できないままに終わった
訳者あとがき
原題直訳は『暗い店街』
ローマのシックな通りヴィア・デル・コルソをヴェネツィア広場に向かって、広場の突き当りのヴィットリア・エマヌエーレ2世記念碑の手前を右に曲がった通りの名前
イタリア共産党本部があるので有名
正式名は、ボッテーゲ・オスクーレ通り
本書で、1978年度のゴンクール賞受賞
優れた現代小説は推理小説的構造をとり、それはたいてい最後まで謎が解けない推理小説であるという説を立証している作品
著者は1945年生まれ。父がユダヤ人、母は一時映画女優をしていたオランダ人
戦争経験がないにもかかわらず、どの作品でも戦時中、とりわけドイツ軍占領下のパリや避暑地を舞台にし、理由不明の不安や恐怖の雰囲気を色濃く滲み出させているのは、作者の生い立ちや、父親の戦時下の数奇な体験が感受性の根幹に消し難い痕跡を刻み付けたからだろう
世界認識と人間理解の根本的前提としての《私》の反省という主題は、モンテーニュ、デカルト以来の西欧種
本書の話者=主人公を記憶喪失症という設定にしたのもこの系譜の興味ある1変種
記憶喪失症患者とは、結局は仮象に過ぎない現実への足掛かりをも失った裸の人間であり、本書に提示されているのは、失われた《私》を求めて旅に出る1人の男の内面
著者は、ソレルス、ル・クレジオ以後の新しい世代を代表する作家の1人と目されている
最初1979年に講談社から刊行。改めて刊行された背景は、韓流ブームのきっかけとなった『冬のソナタ』のシナリオを担当した2人の若い女性作家が共通して本書に影響を受けたと言っており、ストーリーの源泉の1つと言っても過言ではないほど似ているところから、相似点に興味を持って本書を再び世に問うことにした
暗いブティック通り パトリック・モディアノ
2014/10/2017:58
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結局のところわれわれはみんな≪海水浴場の男≫なのであり、≪砂は――と彼の使った言葉をそのまま引用するが――何秒かの間しかわれわれの足跡を留めない≫
小1の娘が、最近しばしばこんなことを言う。
「『今』って言った瞬間に、もう『今』じゃないんだよね」
そしてその言葉に続けて、「今ここにいる『私』とは何か」「何秒か先の『私』は、もう今の私ではないんじゃないか」といった疑問を次々と口に出す。
確かに「今」と言った瞬間、もう「今」ではなくなる。そう考えると、「私」という存在とは、ごく薄いフィルムが何層にも重なったものに思えてくる。
アニメーションのセル画のごとく、連続しているようで、実は1枚1枚の静止画がパラパラパラパラッ・・・とめくられているだけなのかもしれない。そんな気がしてくるのだ。
では、そう仮定するとして、そのセル画が一部分ごっそり抜き取られたとしたら、どうだろう。うっかり誰かが、バラバラにしたり紛失したりしたら、「私」はどうなるのか。
2014年ノーベル文学賞受賞者パトリック・モディアノの小説「暗いブティック通り」は、そんな「私」に迫る物語。
過去の記憶を失った男が、自分の正体を探る旅に出る、詩情豊かな一冊だ。
探偵事務所に勤めるギ―・ロランは、過去を失った男。このたび雇用主が引退するのに伴い、本格的な過去探しに乗り出す。
ギーは、カフェ等で聞き込みを行い、わずかでも手がかりがあればそれをとことん追いつづけ、次第に自分の過去を見つけ出していくのだが・・・。
この小説は、単純にミステリーとして娯楽性を楽しむこともできるし、「私とは何か」という哲学的な読み方もできる。
しかし、この小説の魅力はずばり「主人公を自分に置き換えて楽しめる」ことである。
そんなのどの小説でも同じだ、と思われるかもしれないが、この小説の場合、ちょっと違う。「主人公の気持ち、わかるわ~」という程度ではなく、「私もギーと同じかもしれない・・・いや、私もギーだ!」と、すっぽり主人公に同化できるのだ。
例えば、こんな経験はないだろうか。
幼少時代に知り合いだった人に、大人になってから再会し、声をかけたところ「覚えていない」と言われたこと。
逆に「●●さんだよね?」と笑顔で話しかけられたものの、全く思い出すことができず困ったこと。
また、ごく身近な人の過去のなかに、自分がいない時代があることに不思議な感触をもつこともある。
学生時代の両親、お互い知り合う前の夫や妻、自分が生まれる前の家族写真・・・「私」の存在・歴史のなかに確かにいる人たちが、相手の歴史のなかには全く存在していなかったり、その逆もあったりする。
そしてそんな事実があっても、皆、支障なく日常生活を送っている。
至極当り前のことなのだが、こう考えると、程度の差こそあれ誰もがギー・ロランと言えるのではないだろうか。
よってこの物語は、ミステリアスかつ幻想的でありながら、このうえなく現実的。読者の身も心もまるごと引きこんでしまう魔力を持つ、傑作なのだ。
フランスでは、その人気から「モディアノ中毒」という言葉もあるらしい(2014/10/9日本経済新聞より)。
この小説を読み、なるほど、それがよくわかった。
Wikipedia
人物像[編集]
ある人物や自己のアイデンティティなど、何かを探し求めるという作品が多い。ミステリー的要素を含んだ物語と叙情的な文の運びから、フランスでは「モディアノ中毒」という言葉があるほど人気が高い[要出典]。2014年ノーベル文学賞受賞。フランスで最も権威のある文学賞であるゴンクール賞の受賞作家としては初のノーベル文学賞受賞者となった。
略歴[編集]
主な受賞歴[編集]
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アカデミー・フランセーズ賞(1972年)
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ゴンクール賞(1978年)
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ノーベル文学賞(2014年)
作品一覧[編集]
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エトワール広場(La Place de l'Étoile)(1968年)
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夜のロンド(La Ronde de nuit)(1969年)
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パリ環状通り(Les Boulevards de ceinture)(1972年)
邦訳:野村圭介訳『パリ環状通り』(講談社、1975年)
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イヴォンヌの香り(Villa triste)(1975年)
邦訳:柴田都志子訳『イヴォンヌの香り』(集英社、1994年)
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エマニュエル・ベルル作『インタビュー』(Emmanuel Berl,
interrogatoire)(1976年)(その序文)
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家族手帳(Livret de famille)(1977年)
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暗いブティック通り(Rue des Boutiques Obscures)(1978年)
邦訳:平岡篤頼訳『暗いブティック通り』(講談社、1979年、白水社、2005年)
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ある青春(Une jeunesse)(1981年)
邦訳:野村圭介訳『ある青春』(白水社、1983年)
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思い出の小道(Memory Lane)(1981年)
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とても気のいい仲間たち(De si braves garçons)(1982年)
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金髪の人形(Poupée blonde)(1983年)(戯曲)
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失われた地区(Quartier perdu)(1984年)
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八月の日曜日(Dimanches d'août)(1986年)
邦訳:堀江敏幸訳『八月の日曜日』(水声社、2003年)
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シューラの冒険(Une aventure de Choura)(1986年)(絵本)
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シューラの婚約(Une fiancée pour choura)(1987年)
邦訳:末松氷海子訳『シューラの婚約』(セーラー出版、1990年)(絵本)
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いやなことは後まわし(Remise de Peine)(1988年)
邦訳:根岸純訳『いやなことは後まわし』(パロル舎、1997)
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少年時代の更衣室(Vestiaire de l'enfance)(1989年)
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新婚旅行(Voyage de noces)(1990年)
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カトリーヌとパパ(Catherine Certitude)(1990年)(児童書)
邦訳:宇田川悟訳『カトリーヌとパパ』(講談社、1992年)
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廃墟に咲く花(Fleurs de ruine)(1991年)
邦訳:根岸純訳『廃虚に咲く花』(パロル舎、1999年)
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サーカスが通る(Un cirque passe)(1992年)
邦訳:石川美子訳『サーカスが通る』(集英社、1995年)
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最悪の春(Chien de printemps)(1993年)
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1941年。パリの尋ね人(Dora Bruder)(1997年)
邦訳:白井成雄訳『1941年。パリの尋ね人』(作品社、1998年)
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(Des inconnues)(1999年)
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さびしい宝石(La Petite Bijou)(2001年)
邦訳:白井成雄訳『さびしい宝石』(作品社、2004年)
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(Accident nocturne)(2003年)
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(Un pedigree)(2005年)(自伝的小説)
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失われた時のカフェで(Dans le café de la jeunesse
perdue)(2007年)
邦訳:窪田般弥訳『やさしいパリ』(リブロポート、1991)
モディアノと冬のソナタ[編集]
韓国ドラマ『冬のソナタ』のシナリオを担当したキム・ウニとユン・ウンギョンが、共著の『もうひとつの冬のソナタ』で共通して影響を受けたのはモディアノの『暗いブティック通り』であると述べている。また実際に、『暗いブティック通り』と『冬のソナタ』にはストーリーや登場人物についていくつかの相似点がある[3]。
脚注[編集]
2. ^ アカデミーのペーテル・エングルンド(en)事務局長は「彼の作品は比較的短く、シンプルな言葉遣い、1日2冊読むことも可能だが、構成が洗練されていて優雅」と讃えた(朝日新聞2014年10月10日)
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