オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史  William Oliver Stone & Peter Kuznick  2014.1.6.

2014.1.6.  オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史
The Untold History of the United States            2012

著者
William Oliver Stone アメリカの映画監督、脚本家、映画プロデューサー。本書と同名のテレビシリーズでは監督・ナレーションなどを務める
Peter Kuznickカズニック アメリカン大学歴史学部准教授、同大学核問題研究所長。本書と同名のテレビシリーズでは脚本を担当

訳者 
大田直子 翻訳業。東大文学部社会心理学科卒
鍛原多恵子 翻訳業。米国フロリダ州ニューカレッジ卒(哲学、人類学専攻)
梶山あゆみ 翻訳業。都立大人文学部英文科卒
高橋璃子 翻訳業。京大卒
吉田三知世 英日・日英の翻訳業。京大理学部物理系卒
熊谷玲美 1975年生まれ。翻訳家。東大大学院理学系研究科地球惑星科学専攻修士課程修了
小坂恵理 翻訳家。慶應大文学部英文学科卒
関根光宏 翻訳家
田沢恭子 翻訳家。1970年生まれ。お茶の水大大学院人文科学研究科英文学専攻修士課程修了
桃井緑美子(るみこ) 翻訳家

発行日           2013.4.10. 初版印刷                   4.15. 初版発行
発行所           早川書房

本書は、もとになったドキュメンタリー・シリーズと同様、ほとんどのアメリカ人が教わってきたアメリカ合衆国の基本的な歴史に疑問を投げかけるもの。一般大衆貸し葭んできた歴史物語は、アメリカ的成田精神や博愛深夜、自由と正義への献身というフィルターを通して入念にふるいにかけられた情報であり、本質は実際の空気さながらに汚染されていて人に害毒を与える。従来の歴史物語を信じている限り、アメリカ人は他の多くの国がアメリカをどう見ているかが理解できないばかりか、より良い世界に変えるための実効ある行動もとれない。にもかかわらず、そのことにほとんど気づいていない
本書は、ドキュメンタリー・シリーズから着想を得、その内容を踏まえているが、様々な点でドキュメンタリーとは異なった独立した作品。お互いに補完し合うもの。より正しく、より人間的で民主的で、より公平な世界を求めて戦ううえで、本書の情報が役に立つことを願う


1.   二つの世界大戦と原爆投下
「理想主義を掲げたウィルソン大統領は、革命嫌いの人種差別主義者だった」
「第1次大戦後にドイツに課された莫大な賠償金は、モルガン家の利益を増やすため」
「アメリカの大企業はこぞってナチスに資金援助していた」
「日本への原爆投下は、ソ連を牽制するためで、軍事的な意義や正当性などない」

歴史上、ファシストや全体主義者を打倒したアメリカには、「自由世界の擁護者」というイメージがある。しかし、それは真の姿だろうか? 2度のアカデミー賞に輝く、過激な政治的発言でも知られるオリバー・ストーンによれば、それは嘘だ。実はアメリカはかつてのローマ帝国や大英帝国と同じ、人民を抑圧・搾取した実績に事欠かない、ドス黒い側面を持つ「帝国」なのだ。その真実の歴史は、この帝国の翳りの見えてきた今こそ暴かれねばならない。最新資料の裏付けをもって明かす様々な事実によって、全米を論争の渦に巻き込んだ歴史大作

2.   ケネディと世界存亡の危機
「歩み寄りを見せたソ連に過度に怯え挑発を繰り返し、冷戦を招いたのはアメリカ」
「『アメリカにどれだけの利益をもたらすのか』という観点のみで他国を評価し、軍事介入を繰り返した」
「キューバ危機に際して大量の核兵器を使用する臨戦態勢に入り、全面核戦争への突入も辞さなかった」
「ノーベル平和賞を受けたキッシンジャーは、東南アジアやラテンアメリカ諸国への『残忍な』軍事攻撃を指示した張本人」

2次大戦後、世界が全面核戦争に瀕したキューバ危機は、冷戦で対立するソ連との対話路線を模索したケネディ大統領にも防げなかった東西緊張の頂点で、現代史有数のハイライトである。しかし、そのきっかけとなった冷戦は、通説とは異なりアメリカが主導していたものだったし、実はアメリカは一再ならず、核戦争の瀬戸際に世界を追いやっていた。更にこの頃、ラテンアメリカ、朝鮮半島、東南アジア、中東の国々を軍事介入という形でいいように操り、アメリカは帝国の版図を表面的には穏便に広げていた――ベトナム戦争で泥沼にはまり、世界にその素顔の一端を明かすまでは。「もしケネディが暗殺されていなかったら」を否応なく考えさせられる、歴史的超大作第2

3.   帝国の緩やかな黄昏
「ゴルバチョフが捨て身で提示した核全廃の選択肢を、ソ連の脅威を盾に拒否したのはアメリカ」
「ソ連への牽制のため、イラン、イラクなどのイスラム国家を利用、対立する国双方に武器や資金を提供し、戦争の火種を撒き散らした」
「イスラム原理主義者に直接・間接的に資金提供を続け、911テロの原因を作った」
「未曽有の被害をもたらした911テロをも利用し、2つのイスラム国家に戦争を仕掛けた」

ソ連との間に生まれた緊張緩和(デタント)の機運は、米国政権内のタカ派の圧力ですぐに消え去った。ソ連崩壊後、単独の覇権を謳歌するアメリカは、世界の警察官を任じるに至った。史上最低と呼ばれた大統領の下、非人道的な国家を援助し、大量破壊兵器を有してもいない国家に戦争を仕掛けその文明を破壊したアメリカでは、国内経済の瓦解がとどめようもなく進行していた。そしてその覇権にも翳りが見え始める――911テロはその象徴だったが、ネオコンの圧力の下、軍事費は国家予算を圧迫して増大し続ける。未曽有の所得格差に怒りの声を上げ始めたアメリカ国民は、改革の兆しを初の黒人大統領、オバマに認めたが、その希望は直ぐに失望に変わった…・
頽廃が忍び寄る「帝国」の病理を容赦なく描き出す、歴史超大作完結編

1.   二つの世界大戦と原爆投下
序章 帝国のルーツ――「戦争はあこぎな商売」
アメリカ帝国はゆっくりと終焉の幕が下りつつある
雑誌王ヘンリー・ルースが20世紀を「アメリカの世紀」と宣言したのは1941年 ⇒ 「阻むものなきアメリカの覇権」という国家像を謳う
97年には新保守主義の新しい世代が「新しいアメリカの世紀」の実現を唱え、後には禍の元凶とも言うべきジョージ・W・ブッシュ政権の下でシンクタンクとして活動 ⇒21世紀初頭には多くの支持を集めたが、それもアメリカの新しい戦争が悲惨な結果を招いたことが広く認識されるまでの話
アメリカは史上例のない強大な力を振るって他を圧倒し、世界の覇権国家となった。その道のりは、誇るべき成果と忌まわしき幻滅の歴史でもある
本書で扱うのは、この幻滅の歴史であり、アメリカ史の暗部についてである ⇒ アメリカが犯した過ちに目を向け、アメリカが自らの使命に背いたと思える事例にスポットを当て、その誤りを正し、この国を正しい道に押し戻したい
歴史に縛られたくないアメリカ人 ⇒ 自己愛の表れ。アメリカの支配的地位が続く間は博愛の国アメリカという心地よい寓話を信じて自らを慰めるほうが楽
「アメリカは例外」という神話 ⇒ 都合の良い神話が、欠けた知識を埋めてきた
帝国の旗を高く掲げよ――ネオコンの新傾向 ⇒ 「例外主義」により帝国主義的侵略を正当化し、支配の新様式として世界各地に軍事基地を建設
労働争議と血塗られた1880年代、農民も不満を爆発 ⇒ 富裕層と庶民の二極分化
1893年の金融恐慌を契機に孤立主義が終わる
1899年 フィリピン「征服」 ⇒ 米西戦争こそ帝国主義的侵略の始まり
1901年 キューバ、パナマへの干渉 ⇒ ラテンアメリカ諸国への武力介入拡大
1922年 「ブラウン・ブラザーズ共和国」 ⇒ ニカラグアにブラウン・ブラザーズ商会が巨額の融資をつぎ込んで築き上げた。アメリカの軍事介入を支援
軍事介入の闘士だったバトラー少将の著書『戦争はあこぎな商売』⇒ アジア、中南米、ヨーロッパを股にかけて活躍した将軍が自ら戦争中のあこぎな実態を書き遺した

第1章        1次世界大戦――ウィルソン vs レーニン
ウィルソンは革命嫌いの人種差別主義者 ⇒ 政治的ルーツを南部に持ち、政治的伝統はイギリスから受け継ぐ。メキシコ革命を嫌い、アメリカの通商の発展と正義による外国市場の征服を唱えて1914年には軍事介入に踏み込んだが悉く失敗
1次大戦 ⇒ 参戦派と反対派に割れ、ウィルソンは、「彼は私たちを戦争に巻き込みませんでした」というスローガンで1916年の大統領選で再選を果たすが、戦後世界に向け「勝利なき平和」構想を呼びかける
1917年 ドイツの無制限潜水艦作戦を機に、ウィルソンも「世界は民主主義にとって安全なところでなければならない」として参戦に踏み切る ⇒ 広報委員会を設置、「ドイツとボリシェヴィキ共謀」とのニュースを捏造、世論操作、学問の自由の否定、戦争に反対する議員の追放、労働運動家や反戦活動家を弾圧
米軍が初めて本格的に戦闘に参加したのは終戦の半年前の19185月 ⇒ マルヌで仏軍を救出
科学と技術が前例のないレベルで戦争目的に集結され、戦争の姿が変貌 ⇒ 化学兵器の出現で、毒物使用のタブーが破られ、理性的自制が崩壊。メリーランド州アバディーンに世界最大の毒ガス工場建設。ドイツの降伏を早めたのだと思えば慰めにもなる
空爆という新戦術の始まり ⇒ 開戦当初にドイツのツェッペリン飛行船がベルギーに爆弾を投下したのが皮切り。一般人も戦争に巻き込まれる
ガス兵器が最大の成果を上げたのは東部戦線のロシア軍に対して使われた時で、国民の不満を革命へと向かわせる契機となった
ウィルソンは、ロシア革命を阻止しようとする連合国の要請を拒否したが、結局はロシア北部と東部に派兵、反対派の不信感を深くし、国際連盟実現への障碍となった
戦後のヴェルサイユ講和条約は、ウィルソンの14か条を骨抜きにし、次の戦争の種となる
大戦中を通じて左翼を弱体化させてきた政府は191920年に全米の急進的なグループや労働団体を強制捜査、5000名以上が逮捕・拘留され、一部は国外追放 ⇒ 仕切ったのは諜報部門の長になったエドガー・フーバー
講和条約の財政に関する条項はどれもモルガン家の関与の痕跡が見られ、ラモントがモルガンの利益が十分保護されるよう画策
1次大戦はヨーロッパの優位が終わり、アメリカと日本が支配勢力になる節目 ⇒ 20年代にはアメリカの経済と金融が世界中で急速に膨張、アメリカが世界経済に君臨する時代が始まる
戦争は、権力を及ぼし、武力を行使するうえで、石油供給の支配が最も重要であることを証明
国際連盟は30年代のファシストの武力による侵略を前に無力で、第2次大戦へと進むが、アメリカはファシストを倒すうえで重要な支援を行ったものの広島と長崎に原爆を投下したことで、追い詰められた世界が切に求めているようなリーダーシップを提供できる段階にはまだ達していないことを露呈

第2章        ニューディール――「私は彼らの憎しみを喜んで受け入れる」
1933年 ルーズベルト大統領は史上最悪の不況に直面 ⇒ 他人の資金による投機を終わらせ「あこぎな両替商」との決別を謳い銀行制度にメスを入れる
ニューディールは様々な手法の寄せ集めで、イデオロギーより実用を重視、国際的なことは二の次で、アメリカ経済の活性化とアメリカ人の雇用回復に重点を置き、前任者たちが想像も出来ないほどの政府に大きな役割を担わせた
国際的な要請だった金本位制への復帰より、自国のインフレによる経済回復を狙う
経済復興の兆しとともに、労働運動が激化
1937年 改革の反動から経済危機に陥り、ニューディールは終焉
軍需産業を始め、戦争を通じて利益を貪る大企業の実態が暴かれ批判の対象となる ⇒ フォードのみならずナチスに手を貸した企業はいくつもあったし、アメリカではやった「優生学と民族衛生学」(強制断種の施術)がナチスの発想にヒントを与えている

第3章        2次世界大戦――誰がドイツを打ち破ったのか?
2次大戦の端緒は1931年の滿洲事変 ⇒ 枢軸国の侵略の始まり
1939年の独ソ不可侵条約は世界中に衝撃を与える ⇒ ヒトラーとムッソリーニの侵攻に脅威を感じたスターリンが西欧諸国に連帯を呼びかけたが、誰も呼応しなかったため、ヒトラーの先手を打ってドイツと提携
1940年大統領選 ⇒ 慣習を破って3選に立候補した民主党のルーズベルトが選んだ副大統領候補は農務長官のヘンリー・ウォーレス。アイオワの代々続く共和党員の家系で、4年前に民主党に鞍替えしたばかり。8年の農務長官時代に農業の生産を削減して価格維持をするなどラディカルな政策で農業生産を安定させたり、人種差別撲滅を進めた
41年 ルーズベルトは、選挙前の演説で戦争への不参加を約束しておきながら、レンドリース法を成立させ、イギリスへの大規模な軍事支援を可能にし、巨額の予算を張り付け
同年6月ドイツのソ連侵攻に対し、ルーズベルトはソ連に対するレンドリース法適用を発表するが、実際には反対派の妨害により計画の半分も実現しなかったため、米ソの信頼関係が大きく損なわれた
アメリカの参戦を望んでいたルーズベルトは、巧みに戦争への流れを作っていく
アメリカの参戦によって、限られた資源をめぐるジレンマは一層大きくなった。自国の防衛のために物資を確保すれば、ソ連への支援は一層難しくなる
ブレトンウッズ体制――世界のパワーバランスの変わり目 ⇒ ソ連を除く連合国側が、アメリカ中心の体制構築に合意
452月 ルーズベルト死去。82日前にウォーレスの後任として副大統領に就任したばかりのトルーマンが昇格。誰一人としてアメリカが原爆の開発を進めていることをトルーマンに伝えていなかった
トルーマンは、国際的なキャリアもなければ知識も乏しく、政治的にも主流に乗っていなかったために行政府をどう運営していっていいのかもわからず、人を見る目もないままに閣僚人事をしたために、大きなかじ取りに失敗 ⇒ 最初の失敗が対ソ強硬策でソ連の戦後体制への反発を買う
その後一時的に米ソ間に宥和が見られたが、原爆実験成功を聞いたトルーマンは、ソ連の協力が無くてもアメリカがうまくやっていけると確信、彼のそうした心境の変化は、スターリンに対する態度にもしっかりと表れていた

第4章        原子爆弾――凡人の悲劇
アメリカが不本意ながらも原爆を投下したのは、これ以上若者の死者を出さないためと、アメリカ国民は一貫して教えられてきたが、事実はもっと複雑であり、はるかに人の心に重くのしかかる
1938年 2人のドイツ人物理学者がウランの原子核分裂を発見し、原子爆弾の開発が理論的に可能であることを示した ⇒ ヒトラーが原子力兵器を手にした場合の結果を恐れ、ヨーロッパから亡命してきた科学者たちはアメリカも抑止力として原爆を開発すべきと説くが、アメリカ政府は関心を示さなかったため、当時世界に名声を轟かせていたアインシュタインに働きかけてルーズベルト大統領に原爆開発計画推進を要請する書簡を書かせた。後にアインシュタインは、生涯における過ちとして後悔
ヒトラーが、初期の段階で計画を断念し、直ちに実現可能な兵器の開発に切り替えたのに対し、ルーズベルトは大いに関心を示し、オッペンハイマーの助力を得て実現へ
44年の大統領選で4期目の候補に指名されたルーズベルトの真の闘いは副大統領候補を巡るもの。ウォーレスは、米ソ提携による世界規模の「人民改革」を唱え、中南米を廻って植民地人の解放を説いて圧倒的人気を博したため党内保守派の反感を買い、代わりに保守派から推されたのが毒にも薬にもならない敵の少ないと見做されたトルーマンで、彼のキャリアの大半と同様、大統領就任も腐敗した党幹部の裏取引によって実現した
大統領辞任時点でのトルーマンの支持率はいたって低く、ジョージ・W・ブッシュ並みだったとはいえ、現在では偉大な大統領として広く認められ、民主・共和両党からその威光をたたえられることが多い。元国務長官のコンドリーザ・ライスは、ジョージ・W・ブッシュに「ソ連について私が知っていることは全て彼女から学んだ」と言わしめた人物だが、『タイム』誌で20世紀で最も偉大な人物としてトルーマンを挙げている。歴史学者の中でも同じ誤謬を犯す人がおり、なかでもデイヴィッド・マカルーはトルーマンを聖人扱いする伝記によってピュリッツァー賞を受賞している
弱虫で意気地なしの苛められっ子として育ったトルーマンは孤独で劣等感に苛まれた少年時代を過ごす。成績は優秀だったが家庭の事情で大学進学は叶わず、父親の農場で働き、3度の起業に失敗、第1次大戦中フランスで勇猛果敢な働きをした時が初の成功体験
頑迷で反ユダヤ主義のトルーマンは、クー・クルックス・クランに寄附。悪名高き派閥から上院議員に推され(他の人は皆立候補を断っていた)、派閥の傀儡として議員となり、さらに2期目の選挙ではルーズベルトの指名を得られず、刑務所入りしていた派閥の長に代わって別の同じ様に腐敗した派閥の支援で当選、2つの腐敗した都市派閥に借りを作る
ルーズヴェルトは4期目に挑んだが、疲れ果て、病を抱え、再選に派閥のボスに依存せざるを得ず、党大会を仕切った党幹部が圧倒的な支持を得ていたウォーレスの副大統領選出を阻止、裏取引によって3度目の投票で、8人の候補者中最下位だったトルーマンを選出
ドイツが42年に原爆開発を中止していたことを連合軍が知ったのは44年末。ドイツの原爆に対する抑止力という開発本来の目的は消えたが、大半の科学者は研究に魅せられ、戦争終結を早められると信じて研究に励む
ウォーレスが副大統領候補指名から外され、ルーズベルトが死去したことが歴史を変える
トルーマンは、就任直後に原爆の存在を知らされる
対日戦では無条件降伏が日本の降伏決断の障碍になっていて、降伏条件を変えれば戦争はすぐにでも終結するという兆候が山のようにあったにもかかわらず、妥協することは大統領の政治生命を危うくするとの忠告もあって、
国内の政治問題を避けるために既に敗北を喫した国に原爆を2個落とす行為は、いかなる事情があろうとも道徳的には非難されるべきだろうが、トルーマンが天皇制存続のために尽力しなければならないと考える理由はない
87日には、ヤルタ会談の合意に基づきソ連が対日戦に参戦が予定されており、連合国が日本を進行する予定の111日の3か月も。日本も4月に日ソ中立条約の更新をソ連が拒否したところから、ソ連の参戦を最も恐れていた
原爆投下の決断をした背景には、アメリカ人の心情の問題があった ⇒ 「我が国の歴史上、日本人ほど忌み嫌われた敵はいない」と言われ、ドイツですらナチスと「善良なドイツ人」が区別されていたのに日本人には区別がなかった。今回の戦争ほど我が国の兵士が敵を憎み、殺したいと考えた戦争はいまだかつてなかった
アジア人に対するトルーマンの狭量な考えの根は若い日にあった ⇒ 「ニガーや中国人でないなら皆同じ人間。神様は塵から白人を、泥からニガーを作り、残りかすから中国人が出来た。中国人と日本人を毛嫌いしている。これは人種差別だ」と書き遺している
戦時中に日本人がなした恥知らずな行為は責められてしかるべきだが、アメリカ人も同様に見下げはてた行為に及んだことを知る必要がある
アメリカ在住の日系人の処遇においても人種差別が醜く表れた ⇒ 危険人物をすべて逮捕済みだったFBIのフーバーは日系人の大量強制退去に反対、日系人が破壊活動に及んでいるという証拠も皆無だったにもかかわらず、ルーズベルトは422月大統領令に署名、西部3州の日本人と日系人の立ち退きと施設収容に法的根拠を与えた
長年の空爆の影響で、アメリカ人の道徳基準が劇的に悪化 ⇒ 39年戦端が開かれた際ルーズベルトは武器を持たない民間人に対する空爆など「非人道的な野蛮行為」に走らないよう軍人たちをたしなめており、ヨーロッパ戦の終末期までアメリカ軍の空爆も対象が限られていたが、次第に良心の呵責は薄れ、452月のドレスデン爆撃にアメリカも参加したことは最も嘆かわしい事例
対日戦で大都市に焼夷弾を投下する命令に抵抗した将軍の代わりに送り込まれたのがルメイ大将で、冷酷で厳格な性格から部下に「アイアン・アス(鉄の尻)」と呼ばれた
民間人の大量虐殺に異を唱える者はほとんどいなかったが、身内でも日本への空爆を「人類史上最も残忍で野蛮な非戦闘員殺戮」と呼んだ人もいた
原爆の使用目的は、対日戦の終結よりも、戦後の対ソ連牽制の意味あいが濃くなる
トルーマンは、7月のポツダム会談に臨む前に原爆実験を命じ、会談中に実験成功の連絡を受け、チャーチルとともに狂喜、トルーマン自身メソポタミアの「火による滅亡」の予言に言及しながら、他の選択肢を取ることはなかった
スターリンに対しても、実験成功を伝えたが、ソ連側はいち早く開発の進捗状況を把握し、自らの研究のペースを上げるように命じ、対日参戦を急いだ
トルーマンが原爆投下の直接命令を発したことは一度もない。天候が許す限り早い時期に投下するよう命じただけで、それは日本のポツダム宣言拒否の前だった ⇒ 原爆実験成功によってトルーマンは態度を豹変させ、スターリンにポツダム宣言への署名をさせなかったため、スターリンもトルーマンがヤルタで約束した譲歩を反故にする魂胆であることを確信
ポツダムからの帰途艦上で原爆投下の報告を受けたトルーマンは快哉を叫ぶ
ソ連の指導者は、既に瀕死の状態にある国家を叩きのめすのに原爆を使う必要なないと承知していたことから、真の標的がソ連であると結論付け、スターリンはソ連独自の原爆開発に向けて緊急計画に着手
日本の指導者にとって、原爆は降伏の動機にはなり得ても決定的なものではなく、ソ連の侵攻こそが降伏決断の最大の理由
アメリカ国民の85%は原爆使用を是認しているが、国民が知らされていなかったのは、軍の最高指導者の多くが原爆使用を軍事的に不必要であり、道徳的に非難されるべき行為ととらえていたという事実
ローマ教皇庁は速やかに原爆投下を糾弾。国内でも「アメリカはその道徳的威信を失った」との非難が巻き起こる
アメリカの専門家の多くが戦後の日本社会の安定に天皇の存続が不可欠と考え、アメリカは天皇制の存続を認めた。トルーマンの政治生命がこの決断によって危うくなることはなかった
第二次大戦の恐怖と流血によって多くの人々が他人の苦しみに無関心になった ⇒ 人間性の喪失により、虐殺というものに麻痺
アメリカとイギリスがその後ソ連との対立を深めていったことを考えるとチャーチルとトルーマンには原爆以外にも申し開きせねばならないことがあるはず。ソ連との覇権争いを避けようと誰よりも尽力したウォーレスが、44年シカゴで副大統領候補指名を獲得していたならば、という歴史のイフの答えは永遠に薮の中


2.   ケネディと世界存亡の危機
第5章        冷戦――始めたのは誰か?
初期の冷戦を動かしたのは、アメリカが世界で果たすべき役割について根本的に異なる2つの見方の衝突
   20世紀を「アメリカの世紀」と捉えるヘンリー・ルースの覇権主義的な展望
   「市井の人々の世紀」と捉えるヘンリー・ウォレスのユートピア的展望
アメリカ国民は、灰燼に帰した広島・長崎に自分たちの未来を見てとり、国全体が奇妙な憂いに包まれた ⇒ 将来が不透明で自分たちの生存も不確実だと気が付く
ソ連は最大の損害を被り、アメリカがひとり活況を示す
45.9. アメリカのバーンズ国務長官がソ連に東欧の開放を迫り、原爆をちらつかせる ⇒ 引退間近のスティムソン陸軍長官らが反対、ウォーレス商務長官は支持したが、フォレスタル海軍長官は賛成、アメリカの対ソ政策の強硬化に重要な役割を果たす(フォレスタルは初代国防長官に就任するが、自身の反共主義から生じる偏執症に苦しみ、ベセスダ海軍病院から飛び降りて自殺)
国際的な道徳律を犯す国家は、いずれトラブルに陥る ⇒ 英国は植民地の人々に対してその過ちを犯したが、アメリカは原爆について同じ過ちを犯す危機にあった
核兵器開発競争の無意味を
原子力の国際管理の推進と、原子力研究の軍部による管理阻止を求めて科学者たちが立ち上がる
反ファシズムの抵抗運動で共産党員が指導的役割を担ってきたため、ヨーロッパ―諸国民がしばしばソ連軍を解放者として歓迎したし、現にヨーロッパ中で共産党員が急増
超大国間で最初の重大な対立が起きた舞台は中東 ⇒ スターリンが、イギリスの支配力が弱まりつつあるイランとトルコでソ連の影響力を拡大しようと行動を起こし、まずはトルコに対しトルコ海峡での共同軍事基地の建設を要求
イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーは中東の重要性を、「20世紀の世界における人口と力の2大集積地を結ぶ最短ルート」と表現 ⇒ インド・東アジア・太平洋と、ヨーロッパ・アメリカ・大西洋
イランは、41年にイギリスとソ連が石油利権を巡って不誠実なシャーに業を煮やして占領、シャーを追い出して若い息子を後継者としていた
46.3. チャーチルの「鉄のカーテン」演説 ⇒ 世論を二分するとともに、米ソ関係は急速に悪化。ソ連軍がイランからの撤退に同意していたにもかかわらずタイミングが遅れたとして、トルーマンは核をちらつかせて戦争の脅しをかける
アメリカは国連に、核兵器の国際管理の提案をしたが、ソ連が確実に拒否するような査察条項などを盛り込んだために宙に浮いたのみならず、アメリカ自身は46.7.ビキニ環礁で原爆実験強行、ますます「威嚇による外交」へと走る
事態の逼迫に対し、ウォーレスが「原爆に頼る者は原爆で滅びる」としたが、強硬派によって解任され、一気に冷戦に向かって突き進む
トルーマン・ドクトリン ⇒ ギリシャとトルコでの支援の際、「武装した少数派や外部からの圧力による征服に抵抗している自由な諸国民を支援すべき」と断言
ソ連は、アメリカが「善意を装った帝国主義の膨張」と痛烈に非難
激化するギリシャの内戦を巡ってスターリンとユーゴのチトー元帥が対立、スターリンはチャーチルとの約束を守ってギリシャの共産主義勢力を応援しなかったが、チトーはスターリンの要求を拒否、史上初めてモスクワから独立した共産主義国家が生まれる
アメリカは、イギリスの支援要請もあってギリシャに介入したが、ソ連による世界制覇計画の一端と見做したこの時の振る舞いが、その後厄介な問題を残す
マーシャル・プランとモロトフ・プランの並存
パレスチナ問題の顕在化 ⇒ イギリスは1915年オスマン帝国に対するアラブ人の反乱を扇動するためアラブ陣に独立国家の建設を約束する一方で、17年にはアラブ人が住むパレスチナにユダヤ人の郷土を建設するための支援を約束。19年のベルサイユ講和会議でイギリスにパレスチナの委任統治権が認められ、アメリカの移民制限に伴い移住を求めるユダヤ人が行き先をアメリカからパレスチナに変更、ユダヤ系移民が人口の30%超を占めるようになると、アラブとユダヤの対立が激化
イギリスは、戦後も20万の兵力を維持してこの地域の支配を続け、イラン・イラクの石油権益を守るためにアラブの反感を買わないようユダヤ人の移住を制限 ⇒ ユダヤ人テロ組織の攻撃を受ける
トルーマンは、石油の確保というより、何が正しいかという観点で対処したいという
1947年、イギリスは委任統治を終了し、国連に解決を委ねると発表
ソ連は、アラブとユダヤによる2民族1国家を望むと主張、ユダヤ人は強く支持したが、アラブ人は強硬に反対
48.5. イスラエルが国家として独立を宣言、アラブとの全面戦争に突入、現在に至るまで難民問題は解決されていない
ドイツを巡る米ソ対立 ⇒ 米英は、ドイツの政治家の抵抗にもかかわらず、独立した西ドイツ政府の樹立に向け動き出し、まずは48.6.ベルリンの西側占領地区3つで通貨の切り替えを断行、スターリンはベルリンを封鎖
現実にはソ連や東側からの食糧や石炭の供給により完全な経済封鎖ではないことが確認されているが、当時西側諸国は、ソ連のやり方を邪悪な決定だとし、ソ連は残虐だというイメージが世界中の人々の心に焼き付けられた
49.4. NATOを創設、アメリカが史上初めて西欧との平時の軍事同盟に参加、目標を達したことによりドイツの将来について協議することに同意
ベルリン危機の解決に成功する一方で、2つの大きな挫折を経験 ⇒ 中国共産党の政権掌握とソ連の核実験の成功

第6章        アイゼンハワー――高まる軍事的緊張
1953.3.スターリン死去 ⇒ 後継者となったマレンコフは葬儀の演説で、「長期的共存と平和的な競争」に基づく平和の実現を呼びかけ
就任したばかりのアイゼンハワー大統領とジョン・フォスター・ダレス国務長官はその申し出を無視したばかりか、軍拡競争に走る ⇒ 50年にはトルーマンが水素爆弾の開発決定を発表、物理学者のシラードは、「1発のコバルト爆弾で500トンの重水素が核融合を起こせば地球上のすべての人が死に至るのに十分」と全米向けのテレビで話す
国際政治における緊張の高まりは、アメリカ国内での赤狩りという新たな嵐の引き金となる。そのきっかけを作ったのはトルーマンが47年に制定した国家安全保障法で、スパイ行為や国家反逆罪で告発される事件が大々的に報道されるようになり、人々のヒステリーが煽られ、核技術に関する機密事項をソ連に渡していたスパイ網の存在が明らかになり、ローゼンバーグ事件となって最高潮に。悪乗りしたのがウィスコンシン州のマッカーシー上院議員で、205人の国務省職員の共産党員リストを示して注目を集める ⇒ 実際の弾圧を行ったのはFBIのエドガー・フーバー長官。スキャンダルを集めたファイルをちらつかせながら、国民に反共産主義のヒステリーを煽りたてた
50年朝鮮戦争勃発 ⇒ トルーマンはソ連によるイラン侵攻を恐れ、中国での共産主義の勝利が朝鮮半島の状況を悪化させ、ベトナムでも共産党主導の軍隊がフランスによる支配に反旗、フィリピンでも反政府運動が激化
マッカーサーは、周恩来がアメリカが北への進撃を続けるなら参戦するという度重なる警告を無視してトルーマンに中国の参戦はないと請け合ったが、中国の国連軍向けの攻撃開始でマッカーサーも反撃したものの壊滅的な敗北を喫する ⇒ アメリカの歴史上最大の軍事的失敗。原爆の使用を検討していたが、ソ連によるヨーロッパ中枢部への原爆報復投下を恐れて、結局はナパーム弾で絨毯爆撃。51年にスターリンの仲介で休戦交渉が始まってもなお爆撃は続き、南北朝鮮の主だった都市は完全に焼き尽くされた
51年、トルーマンが休戦を強く求めたのを知ったマッカーサーが独自に対中国最後通告を発表、激怒したトルーマンがマッカーサーを解任。マッカーサーは、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と別れの言葉を述べて退役 ⇒ 人気のない大統領が人気ある将軍をクビにするという滅多にない事態となったが、大統領支持率は22%と低迷
アメリカ国内での戦争支持率も39%に低下、結局勝利は得られず
朝鮮戦争を契機に、アメリカ社会は再び大幅な軍国主義化の道を辿る
アイゼンハワーは、第二次大戦中はソ連のジューコフ元帥と親しくなり、戦後も米ソの友好関係が続くと確信、スターリンもアイクには敬意を払っていた ⇒ アイク在任中に何度も冷戦と軍拡競争の流れを押し戻す機会があったが、想像力の乏しさからチャンスを掴み損ね、最終的には就任時よりも世界を遙かに危険な場所にしてしまった
ダレスとその一族は以前からアメリカ帝国の設計に力を貸す ⇒ 母方の祖父であるジョン・W・フォスターとおじのロバート・ランシングはいずれも国務長官。弟のアレンは後のCIA長官。ナチス政権初期にヒトラーにあからさまな好意を示していたというのは新聞などで報道された話、裏付けは難しいが、毎年のようにベルリンを訪問していたのは事実
軍事費の急増が国を破産に導くのを危惧したアイクは、核兵器に頼ることで軍事費を抑制することを決意、「ニュールック」という名の国防政策で核兵器使用の検討を決める

第7章        JFK――「人類史上、最も危険な瞬間」
56.2. フルシチョフがスターリンの「疑心と不安と恐怖」の専横支配を批判、同時に国民の生活水準を改善するために軍事費の大幅削減に踏み切る
57.8. ソ連の大陸間弾道ミサイル発射テスト成功、2か月後には人工衛星スプートニク打ち上げに成功と同時に、フルシチョフはアメリカの指導者に対し平和的な宇宙競争と冷戦の終結を呼びかける ⇒ アイクは無視したのみならずアメリカの絶対的な軍事的優位性と軍拡競争における先進性を維持する点を強調、さらに試験用の人工衛星の打ち上げを試みるが失敗、「カプートニク(役立たず衛星)」と揶揄された
中長距離弾道ミサイルの開発でソ連に遅れを取ったとする「ミサイル・ギャップ/ラグ」問題に便乗した政治家がケネディ
59.1.カストロとゲバラが親米政権を打倒、アメリカの威信と利益は壊滅的な痛手を蒙る
55年 ラッセル=アインシュタイン宣言 ⇒ バートランド・ラッセルが主導して世界的に著名な11人の科学者が署名、全人類が等しく危機に晒されているとして、アイクの核兵器依存、開発推進を強力に非難。57.11.新たな核実験を受けて全米健全核政策全国委員会の呼びかけで大規模な全国的反核組織バグウォッシュ会議が発足。核戦争から避難した人々の最後を描いたネビル・シュートの名作『渚にて』が核実験禁止を求める世界的な声を高める
冷戦リベラル派のケネディが接戦でニクソンを破る ⇒ ケネディは、故ルーズベルト大統領の夫人ら民主党リベラル派の支持は得られなかったが、ニクソンもアイク時代の副大統領として支えた実績を訴えるもアイクはそれを全く評価していなかった
60.10. アイクは退任演説の中で自分自身が招いた事実上の終末兵器を遺憾に思っていたのか、「軍産複合体」(巨大な軍隊と大規模な軍需産業の結合)の台頭を警告
ケネディが大統領の地位に就こうとしたのは、大量報復政策を始めとするアイクとダレスの政策が、アメリカを核戦争に向かわせていると考えたからで、就任演説では「科学によって解き放たれた凶悪な破壊力が全人類を飲み込んでしまう前に」友好関係を築くようソ連に呼びかける ⇒ 政権には「ベスト&ブライテスト」と呼ばれた人材を登用、その代表的人物はハーバード大学人文科学学部長から国家安全保障担当補佐官となったマクジョージ・バンディで、イェール大の3つの入学試験ですべて満点を取った最初の人物
弱点は外交で、キューバでアイクの計画を実行に移し失敗、世界の非難を浴びる
61.6. 米ソ首脳によるウィーン会談 ⇒ フルシチョフは西ドイツの核配備を極端に恐れ、アメリカのグローバル帝国主義を非難、冷戦で最大級の危機がもたらされる
ケネディは、防衛費を急増させ、官民挙げて核シェルターを全国規模で導入
ワルシャワ条約の調印国は直ちに反応し、ベルリンに壁を築き東西の交流を遮断、フルシチョフは核実験を再開
ケネディは就任後「ミサイル・ギャップ」がないどころか、かなり優位にあることを確認
62.10. キューバ・ミサイル危機 ⇒ ソ連がキューバに中距離弾道ミサイルを配備していることが判明、アメリカによるソ連国内への攻撃とキューバ侵攻の阻止を狙ったフルシチョフの賭け。ケネディは、強硬派の主張を抑えつつデフコン(防衛準備態勢)3から史上初の2へと引き上げ、ソ連国内の目標地点を攻撃する準備態勢に入る
米海軍部隊が、キューバに向かう船舶を護衛するソ連潜水艦の近くで機雷投下を開始、ソ連潜水艦はすんでのところで核魚雷を発射するところだった
ケネディは、最後の最後に、フルシチョフ宛にキューバを侵攻しないと約束
アイクは、「共産主義者にされるくらいなら、原子爆弾で殺された方がまし」
ケネディは、「子供たちが死んでしまうくらいなら、その子達が共産主義者になる方がまし」
核兵器搭載可能な爆撃機をキューバから撤去することで漸く核戦争を回避したが、起こり得た事態は想定を遙かに上回っていた
ケネディは、軍上層部から「我々は負けた」となじられ、フルシチョフは政府高官からは「恐怖のあまりお漏らしした」と言われ、中国からも臆病者のレッテルを貼られ、翌年には権力中枢から追い落とされる
フルシチョフは、核実験の全面的禁止の条約締結、2つのドイツの正式承認等の提案があるも、ケネディはタカ派の圧力を受けて気のない反応 ⇒ 平和的共存を希求するフルシチョフに応えて、63.6.ケネディも冷戦の終結と米ソ関係の新たなスタートを呼びかけ、上院も部分的核実験禁止条約を批准、さらにヨーロッパに駐留する米軍の縮小を検討、現職の米国大統領として初のソ連訪問しようとした矢先に凶弾に倒れる
63.10. ベトナムへの関与削減を指示、強硬派の圧力の中、65年末を撤退期限とする公約をする

第8章        LBJ――道を見失った帝国
LBJはケネディとはおよそかけ離れたタイプの人間 ⇒ 上院多数党院内総務として勢いに乗ると、語り草にもなった「ジョンソン・トリートメント」で味方を作り、独りよがりで高飛車、何事にも確信が持てず、野卑な人間で虚栄心が強く、外交政策については裏まで考えることをせずひたすら反共、就任早々に「ベトナムを失う積りはない」と明言
マクナマラ国防長官の戦略に乗る形で北ベトナムに段階的に圧力をかけ始めるが、泥沼化して世界の非難を浴びた北爆に、マクナマラはじめ政府首脳にも内心疑問の声が上がり、67.6.のペンタゴン・ペーパーズで北爆の限界に言及したため、マクナマラは突然解任され世銀総裁へと転出
ベトナム以外の地でもしゃにむに反共を推し進め、ゆっくりと進んでいた戦後の繁栄は、いきなり暗礁に乗り上げて停止した

第9章        ニクソンとキッシンジャー――「狂人」と「サイコパス」
2人は、大胆な行動で世界を平和に近づけたが、同時に残酷で執念深い政策を実行に移し、それがせっかくの功績を相殺するどころか上回ってしまった
お互い蔭で軽蔑し合い、2人で一緒に挙げた成果を独り占めにしようと常に争っていた
キッシンジャーはニクソンを、「物凄い変人・狂人、神経質でわざとらしい、知らない人間と会うのを嫌がった」と評し、あんな一匹狼が政治家となるとは不思議、人間嫌いは半端ではなかったと語り、ニクソンはキッシンジャーに言及するとき、「ユダヤ野郎、冷血無類のサイコパス」と表現
アメリカが世界の救世主だと宣言したウィルソンを尊敬していたが、アメリカによる権力行使には大前提として節度が備わっているべきだった
ニクソンは心が狭く無節操で、猜疑心と野心がやたらに強い点をクローズアップされて評価を下げたが、負けず劣らず欠点だらけのキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞
68年の大統領選挙選 ⇒ 世界中の先進国が学生や若い労働者の反乱に揺れ、アメリカでも反戦勢力が民主党エスタブリッシュメントとの対決姿勢を強め、ロバート・ケネディ大統領候補への支持を表明するが直後に暗殺され、デモを暴力で抑圧する警察に味方した国民を「サイレントマジョリティ」と評して反戦運動を乗り切ったニクソンが勝利
ニクソンとキッシンジャーは、国内政策には興味を示さず、国務長官に外交オンチのウィリアム・ロジャースを任命し国務省の口を封じ、専らホワイトハウス主導の外交を試みて、得点を稼ごうとした
70.4.南ベトナム軍と共にカンボジアに侵攻 ⇒ 国務省外交局の職員200人が抗議の嘆願書に署名するとニクソンは「全員クビ」を命じる
ラオスでも密かに空爆を継続
チリでも、長年にわたって定着していた民主主義の下に誕生した左派政権を転覆させ、軍事国家に追いやる
72.2. 中国訪問、国交正常化交渉開始
72.5. 訪ソし、ブレジネフとの間で戦略兵器制限条約SALT調印
72.10. 中断していたパリ和平会談が突然再会されたが、直後に「クリスマス爆撃」というベトナム戦史上最大の爆撃が行われ、国際社会の激しい非難の中に和平合意成立、73.2.米軍撤兵完了。サイゴン陥落はさらにその2年後
73年 ウォーターゲート事件勃発。10月に副大統領のアグニューがメリーランド時代の賄賂により辞任、ニクソンも下院司法委員会から、司法妨害、権力乱用、委員会への情報提供拒否の3件により弾劾決議案起草、74.8.大統領辞任へ
一方のキッシンジャーは無傷のまま難局を切り抜け、73.10.北ベトナムのレ・ドク・トと共にノーベル平和賞候補になり、政治家に対する誰よりも強烈な風刺でアメリカ中を喜ばせてきた作家は、キッシンジャーがノーベル平和賞に選ばれるようでは、どんな風刺で政治を槍玉にあげても色褪せて見えると言って政治を風刺する歌をやめると宣言。キッシンジャーと違ってレ・ドク・トには平和がまだ実現していない現状を考慮するだけの常識があった。彼はノーベル賞を辞退
歴史家キャロリン・アイゼンバーグは、「国民からもプレスからも、政治官僚からも海外のエリートからも、一切請われずに3つの国への軍事行動を起こし、しかも泥沼化させた大統領は、アメリカ史上でもニクソンしかいない」と、的確に指摘

3.   帝国の緩やかな黄昏
第10章     デタントの崩壊――真昼の暗黒
カーターの称号:「アメリカ史上最強の元大統領」というのもあながち間違いではない
大統領辞任後のカーターは82年に「カーターセンター」を設立し、世界の民主主義推進、発展途上国の医療環境改善等に活躍、ハイチのアリスティドの復権に力を貸し、ベネズエラではチャベスの信任投票の不正の主張を退け、ブッシュ=チェイニー政権を「史上最低」と公言し、核兵器廃絶を訴えて大統領経験者としては唯一広島を訪問、その勇気ある行動と全世界に貢献したリーダーシップがノーベル平和賞にも結び付いたが、現職時代は無能と言われても仕方なかった ⇒ 「暗黒面」へと通じる扉を開け、後任のレーガンの野蛮とも言える強硬な政策を正当化することに繋がる。その結果鎮静化しかけた冷戦が再燃し、グアテマラやアフガニスタン、世界貿易センターなどで多勢の罪のない人々が犠牲となる
ニクソンに代わるフォード政権は、過去の過ちから何も学ぶことなく、キッシンジャーを国務長官に留め、ベトナム戦争前にアメリカ人が持っていた誇りを取り戻すよう促しただけだった
引き続き周辺諸国との反共同盟の結成を模索、インドネシアのスハルトを訪問して東ティモール侵攻を支援
フォードは比較的穏健派だったが、強硬な反デタント派は右翼ネットワークを形成、75.10.「ハロウィーンの虐殺」では、当時まだ穏健派だった大統領首席補佐官のラムズフェルドが中心となってキッシンジャーを国家安全保障担当補佐官から降ろすなど政権から強硬派を排除したが、ラムズフェルドが国防長官になって右傾化するとともにフォードも「デタントはアメリカの国益にならない」と言い出し、党内右翼勢力に屈しレーガン登場の下地となる
76年の大統領選では、ジョージア州知事だったカーターが政府への失われた信頼の回復を約束して僅差でフォードを破る ⇒ ニューサウスのアグリビジネスマンで外交政策に関しては殆ど知識を持たず、72年にデイヴィッド・ロックフェラーによって設立された三極委員会(日米欧3極のリーダーの結束による資本主義発展を支援する組織、提唱したのはコロンビア大教授のブレジンスキー)に参加、やみくもにソ連を敵視するのではなく、国際システムの中に引き込んで経済的相互依存を進めるべきと主張。ロックフェラーとブレジンスキーに担がれて大統領になったカーターは三極委員会のメンバーを26人も政権幹部に登用
世界のアメリカに対する道徳的評価の回復を目的とし、今後は明らかな直接的脅威がない限り、他国の内政問題には軍事的に干渉しないと言明、併せて核兵器廃絶に向けた第1歩を踏み出す ⇒ 元々は南部の人間らしく戦争支持の立場をとっていたのは事実で、ニクソンの北爆も支持するなど、外交政策に関しては決してリベラルではないが、当初は「デタント重視」の姿勢を見せ軍縮も前進させることに成功したものの、やがて反共主義者で国家安全保障担当補佐官となったブレジンスキーに操られて路線を変更
ブレジンスキーが「ロシア人に一矢報いることが出来たポーランド人はこの300年間で私が初めてだ」と誇った通り脅迫的とも言うべき反共主義的な考え方が大統領の頭にも浸透、大統領自身が唱えた進歩的人権外交は葬られる
カーター・ドクトリン ⇒ 80.1.ブレジネフのアフガン侵攻を非難し、中東石油輸送の通路となるホルムズ海峡の安全確保のため軍事力行使も辞さずとの警告を発する
ソ連の軍事介入が、アフガニスタン内外でのイスラム原理主義の反乱を拡大させ、イスラム神学校で教育を受けたサウジ、エジプト、パキスタンのイスラム狂信者たちが加わり、それをアメリカが支援した ⇒ 予てよりアメリカは、アラブの世俗的ナショナリズムに対抗する武器としてイスラム原理主義者たちを利用
ソ連のペルシャ湾への動きを食い止められなかったカーター政権は「限定核戦争」へと準備を開始、暗黒面への扉を開くことに
イラン革命の成功に対し、アメリカは隣国イラクのサダム・フセインに接近 ⇒ 80.9.イラクのイラン侵攻を黙認、一方でイランにも接近、早期停戦の機会を潰し、8年もの間戦闘状態を引き延ばし、膨大な犠牲と浪費が放置された

第11章     レーガン時代――民主主義の暗殺
87年 レーガンがベルリンの壁の前でゴルバチョフに平和のために壁を壊すことを呼びかけ、2年後には壁が除去され、東欧のソビエト帝国も崩壊し、91年冷戦終結 ⇒ レーガンだけの功績ではなく、レーガンにも暗黒面があった ⇒ 公には家族の価値の大切さを訴えたが、自身は子供たちと疎遠であり、アメリカ史上唯一離婚歴を持つ大統領
裕福だがあまり教育程度は高くないカリフォルニアの保守層の人間そのもの
引き継ぎの時も、ブリーフィングの時も、ほとんど関心を示さず、歴代大統領の中でも恐らく最も知的好奇心に乏しい人物で、周囲の多くの人が彼の無知に驚いている
82年末、ラテンアメリカ諸国訪問から帰国した時の記者会見では、「ラテンアメリカがあんなにたくさんの国に分かれているなんて」と言ったり、ブラジルでは同国の国民を「ボリビア国民」と呼んでホストを侮辱したり、中南米の国々を11つ区別することすら彼には難しかった
現実と空想を区別する能力が著しく欠如 ⇒ イスラエル首相に会ったとき大戦中の自らの体験談を話す。カメラマンとしてナチスの強制収容所から捕虜が解放される様子を撮影し、大きな衝撃を受けたと言い、首相は感銘を受けたが、レーガンは大戦中も終戦直後も一度もアメリカを離れていないことが判明、全てはほら話だった。レーガンのほら話の収集はアメリカの国民的娯楽となり、レーガンが著名人の言葉を捏造することもしばしば
アメリカの軍事行動の無軌道化 ⇒ 中南米での残虐行為を黙認するどころか、ジェノサイドを行う政権を支持すらしている
国内では、冷酷で、非人道的で、不公正な政策を次々に実行し、労働者階級や貧困層を踏みつけにする ⇒ 内政関連の支出を30%も削減して軍事費に回す
イラン・イラク戦争では、当初イランに肩入れしながら、途中からイラク支持に変節、イランはシャー時代の秘密の核開発計画をホメイニは「反イスラム的」といって非難していたが再開
ソ連を「悪の帝国」といって批判、挑発的な行動をエスカレートし、核戦争への恐怖を煽る
一方で、戦略兵器削減条約STARTの交渉も始める
85年チェルネンコ死去の後を継いだ若いゴルバチョフがソ連に新たなエネルギーとビジョンをもたらす ⇒ 国家の再活性化という目標達成のため、軍拡競争を終わらせようと、まずはアフガンから撤退、レーガンに対し「お互いの選んだ道を尊重し、平和的な競争をしよう」と提案。85.11.ジュネーヴでの米ソ首脳会談を経て、さらにゴルバチョフは一方的に核実験停止を宣言したうえで、20世紀中に世界中から核兵器を一掃するための具体的な計画を提案
86.4. チェルノブイリ原発事故でゴルバチョフは核廃絶への意志を強固にする
86.10.レイキャビクでの米ソ首脳会談において、ゴルバチョフの大胆な軍縮を提案、レーガンは非現実的な戦略防衛構想の放棄に躊躇、合意寸前まで行きながら決裂
ニカラグアの反政府組織支援の非合法活動や、議会の禁止を無視したイランでの武器売却資金の流用等のスキャンダルが相次ぐ中、ゴルバチョフはワシントンを訪問し、中距離弾道ミサイルの全廃を他の長期的課題と切り離して米ソ間の条約調印に漕ぎ着ける
88.2. ソ連がアフガンからの撤退を発表。同時にアフガンのイスラム過激派の勢力を抑えていく意思があるかアメリカに打診するもアメリカは関心を示さず ⇒ 元々アメリカが過激派を支援しておきながら、どう終わらせればよいかわからなかったし、目的を達した以上どうでもいいことだった
レーガンの真の遺産は何か。アメリカの歴史上もっとも知識に乏しく、自分の手では何もしなかった人。右派の復活を助け、アメリカの外交をより武力に頼ったものとし、沈静仕掛けていた冷戦を再燃。軍事費の増大に拍車をかけ、世界最大の債務国に転落させる一方、中東や中南米の地域紛争に介入し冷戦の構図に組み込もうとし、人権を蹂躙する独裁者を支援、攻撃用核兵器を世界から一掃する機会に恵まれながら子供じみた思い付きに固執したためにみすみす逃した。冷戦終結の功績の多くはゴルバチョフのもの

第12章     冷戦の終結――機会の逸失
88.12. ゴルバチョフが冷戦終結を宣言するとともに、国連を通じて他の軍事大国にも歩調を合わせるよう要請 ⇒ ニューヨーク・タイムズ紙は、ウィルソンの「14か条の平和原則」発表や、41年のルーズベルトとチャーチルの「大西洋憲章」調印以来の偉業と賞賛、「国際政治の構造を根本から作り変えるもの」と書く
一方のブッシュは、「究極のエスタブリッシュメント候補」「デイヴィッド・ロックフェラーの推薦する男」と言われながらも、ひ弱で臆病者という印象が抜けず、ブッシュを苦しめた
ブッシュのアドバイザーたちが、ゴルバチョフの発言に懐疑的で、何年にも亘る右派からの容赦ない攻撃に晒されて諜報能力が低下していたCIAもソ連に起きている変化を全く察知できず、CIA長官ゲーツも後に89年初の時点では歴史の大波が襲いかかるのを全く予想していなかったと回顧している ⇒ もっとも懐疑的だったのはゲーツとチェイニー
ソ連は第三世界への介入をやめ東欧の民主化の波に繋がるが、アメリカはそれを西側資本主義の勝利と捉え中南米(パナマ)や中東(サウジへの米軍駐留)での介入姿勢を強めた
90年、イラクはクウェートから借りた対イラン戦争の費用の返済を迫られ、クウェートが割当量を超えた石油の増産で原油価格が下落して財政的に追い詰められたところへ、1961年までイラクの一部だったクウェートとの間の国境線に関するイラクの主張をクウェートが拒否、反ユダヤ主義の姿勢を取るクウェートに不快を感じてイラク寄りだったアメリカは国境紛争に関しては無関心なことを確認して、イラクはクウェートに侵攻 ⇒ アメリカは、イラク軍がいまにもサウジに侵攻するような写真を捏造してサウジに米軍の駐留を認めさせ、念願の同地域での拠点を手に入れる。捏造は直ぐに露見
アメリカを非難する声の一方で、イラクへの強い対応を求める圧力も増す ⇒ 先頭に立ったのはイスラエルで、「クウェートにイラクの傀儡政権が出来たのはブッシュのひ弱さの証明」と言われてブッシュは、フセインをヒトラーに準え国連も動員してイラクの侵攻を排除
91.8.共産党守旧派のクーデターによりゴルバチョフ失脚、同年末にはソ連邦崩壊
アメリカは一国覇権主義に走る
湾岸戦争終結直後にはブッシュの支持率が91%にも達し、民主党のトップたちはその数字に圧倒されたが、その間隙をぬって登場したのが保守とリベラルの中間的な思想の持ち主だったクリントンで、92年選挙に勝利する
94年の中間選挙で民主党は破れ、40年ぶりに上下両院が共和党が過半数 ⇒ 両党とも右傾化
ソ連崩壊後のロシアも右傾化 ⇒ エリツィンは経済の民営化に当たりアメリカの経済学者に支援を要請したが、民営化で民間による独占が起き資本主義への転換段階で貧富の格差が急拡大、ハイパーインフレによって経済が完全に崩壊し、エリツィンへの不支持は反米主義へと繋がる
世銀のチーフエコノミストだったローレンス・サマーズは91年の「サマーズ・メモ」で、「有毒の廃棄物を最低賃金国に投棄することは完璧に理に適う」と書き、「とても正気とは思えない。経済学者の傲慢・無知・無慈悲の証明」と非難される
95年、ノルウェーの打ち上げた気象観測ロケットを、ロシアがアメリカの弾道ミサイルと誤認した事件 ⇒ アメリカに対する報復核攻撃開始の寸前までいく
世論調査の結果を見るとロシア人は民主主義よりも秩序を好むことがわかる ⇒ クリントンはエリツィンを「民主主義の建設者」と言って褒めそやしたが、選挙によって選ばれた議会を不法に解体し、武力で攻撃までしたことをロシア国民は忘れず、独立を宣言したチェチェン共和国に対し94年戦争を仕掛けたこと、国の経済の破綻したことも許さず。ゴルバチョフは彼を「嘘つき」と呼び皇帝以上の特権を得ていると批判。99年末支持率が1桁に落ち込んだことを受けて辞任
ソ連の支援を受けた政権が崩壊したアフガニスタンでは、イスラム教の様々な派閥間抗争が勃発、「タリブ」と呼ばれるパキスタンのイスラム神学校で教育を受けた狂信者が「タリバン」を組織、大半はCIA出資のキャンプで軍事訓練を受けている。その中から「アルカイダ(基地)」という過激派組織が出来、元々親ソ政権と戦うべくCIAの秘密活動に従事していたオサマ・ビンラディンがリーダーとなって西側諸国へのジハードを呼びかけ
98年、クリントンがタカ派に屈して「イラク解放法」に署名、国務長官マデレーン・オルブライトは、「イラクはならず者国家であり、最大の脅威」と発言し、後のイラク攻撃の下地作りをする
2000年の大統領選は、アメリカの歴史上最もスキャンダラスなもの ⇒ ブッシュは予備選で「思いやりのある保守主義」という右寄りの政策を掲げ、対立候補のややリベラルなマケインを攻撃したが、「黒い肌の私生児がいる、妻は薬物中毒」などと中傷。本選は副大統領のゴア、社会運動家のラルフ・ネーダー、保守派のパット・ブキャナンなども参戦、予想は両者互角だったが、一般投票の得票数ではゴアが544千票の差をつけ、フロリダで勝てば選挙人の数でもブッシュを上回るところ、フロリダ州知事はブッシュの弟、選挙管轄の州務長官はブッシュ陣営のフロリダにおける選挙運動副委員長のキャサリン・ハリスで、事前に選挙管理人に命じて「重大な前科」に基づき選挙不適格者を排除する等共和党有利に選挙操作を行い、さらにゴアが求めた再集計に対しても元国務長官のジェームズ・ベーカーに助けを求めたり実力で集計作業を妨害したりするなどあらゆる手段を講じて阻止に動き、最後は連邦最高裁に持ち込まれ54でブッシュの勝利が確定、ただし、9人のうち7人が共和党の大統領から指名され、うち5人はブッシュの父親が大統領か副大統領だった政権からの指名。少数派の判事は、「勝者が誰か確信を持って言えないが、敗者が判事であることは明白。法の支配の公平な擁護者であるはずの判事への国民の信頼は失われた」と異議を唱えた
ブッシュ新政権は、右派とネオコンばかり。国防長官にはチェイニーのメンターである「最も冷酷非情な人間」とキッシンジャーに言わしめたラムズフェルドが就任
政権発足直後から、NSCは政権幹部にアルカイダの脅威について警告を発する ⇒ 複数の諜報機関からビンラディンの切迫した動きが伝えられるが、政権幹部はいずれも聞く耳を持たず、事件後はほとんど誰もが予測しなかった行動にでる。テロを口実に2つのイスラム教国(アフガニスタンとイラク)相手に戦争を始め、ビンラディンを遙かに超える損害をアメリカに与えたばかりか、合衆国憲法や戦争捕虜の扱いについて定めたジュネーヴ条約も蔑にし始める

第13章     ブッシュ=チェイニー体制の瓦解――「イラクでは地獄の門が開いている」
08年ブッシュ一味が惜しまれることもなく政府から追い出された時、歴史学者たちはブッシュを、アメリカ史上断トツの最下位とは言わないまでも最低に近い大統領の1人と評価
人気と支持率は、近年では記録破りの低さで、アメリカをボロボロにして去った
慎重居士のオバマは前任者の犯罪を追求しないほうを選ぶが、拷問を容認したブッシュを国際法上の弾劾に値すると拘る人々もいる
ほとんどのアメリカ人にとって911は恐ろしい悲劇だったが、ブッシュとチェイニーにとってはすばらしい好機で、ネオコンの盟友たちが温めていた計画を実行するチャンス
01.10. 米国愛国法成立 ⇒ プライバシーと人権に対するあからさまな侵害をする政府の監視と調査の権限を拡大するもので、上院は審議も討議も聴聞もなく採決、ただ一人人権擁護の観点から反対者がいた
01.1.国防副長官となったウォルフォウィッツはユダヤ系、ネオコンの論客の1人で、予てよりイラクに対する脅迫観念に憑りつかれ、特に911以降はイラクの関わりを懸命に探すが見つからないため自らでっちあげ、イラク侵攻へと歩を進める
戦争が近づくと、冷戦又はベトナム戦争で国に尽くした主戦論者が非常に少ないことに気付いた一部の人々は、彼等に臆病なタカ派というレッテルを貼る。彼等のほとんどは手を回して戦場に行かないで済むようにしていた ⇒ ベトナムを大義と呼んだチェイニーは、イェールを中退してコミュニティカレッジに入学し、学生として4度、結婚して1度、徴兵猶予を申し込認められていたし、ジョンソン政権が子どものない既婚者を徴兵すると発表した9か月後に初めての子どもをもうけたのは偶然ではなかったという人もいた。ブッシュも父親のコネで州兵となったが、州軍にはアフリカ系アメリカ人は1%しかおらず、海外派兵もなかった。政権のその他の主要メンバーの多くが何らかの理由をこじつけて徴兵猶予を得ていた ⇒ コリン・パウエルも後に、「権力者や地位が高い者の息子が、うまく立ち回って予備役と州軍の枠を手に入れていたが、このあからさまな階級差別はベトナムで起きた多くの悲劇の中でも、アメリカ人は全て平等で祖国に同様の義務を負っているという理念を何よりも汚している」と書いている
02.3. 対イラク空爆開始 ⇒ 衝撃と畏怖作戦。国際世論の反対や、「アメリカの文化遺産と価値観からはみ出しかねない」との批判にもかかわらず、ブッシュとチェイニーの下でアメリカの文化遺産と価値観は根本的に変わってしまっていた。解放されたイラク人の歓喜すらアメリカによって作られたもので、イラク人がフィルドス広場のフセイン像を倒している場面も、実際には米軍の心理作戦班によるヤラセで、イラク人たちはサクラだったし、像を倒したのも米軍
イラクの秩序を回復するのは大変で、暫く無政府状態が続き、急激に状況が悪化、「イラクでは地獄の門が開いている」とまで言われた ⇒ 基本的な任務を遂行できるだけの兵士を派遣しなかったため、米政府は民間警備員を大量に雇い、宗教戦争まで巻き込んで、内戦の一歩手前の状態にまで発展
ブッシュは、クリントン同様ロシアを蔑にした ⇒ 911の後、プーチンは外国の指導者の中でとりわけ早くブッシュに電話して哀悼の意を伝え、アメリカの対テロ戦争を支援するプランを発表したばかりか、米軍の中東駐留を容認し、協力まで申し入れた。ブッシュは父親がゴルバチョフにした約束を破り、NATOをロシア国境近くまで拡張、ロシアを包囲することでプーチンの厚誼に報いる。NATOをバルト3国のような旧ソ連共和国にまで拡大するなど言語道断だった
ブッシュの惨憺たる対テロ戦争がアメリカの民主主義に与えた痛手を正確に評価したのはブレジンスキー。冷戦時代にソ連の恐怖を掻き立てるに当たって同様の役割を果たしたブレジンスキーにはどれほどの痛手だったかが理解できた ⇒ 対テロ戦争は意図的に「恐怖の文化」を作り上げることによってアメリカの民主主義、アメリカ人の心、そして世界におけるアメリカの評価に凄まじい悪影響を及ぼす。そのダメージは911より遙かに大きい。現政権が社会不安を利用してイランとの戦争を正当化していることを懸念。恐怖を喧伝することでアメリカ社会がより不安定に、より被害妄想的になり、アラブ系アメリカ人がいじめと虐待の対象になりやすくしている。テロは戦術であってイデオロギーではないし、戦術を相手に戦争をするなど全くのナンセンス
国内政策では、就任直後に富裕層の税金削減法案に署名し、あからさまな富裕層優遇により、史上最大の所得格差拡大を生み出す。連邦支出急増で赤字に転落。05年もっとも豊かな3百万人は、人口の半分以上に当たる下位の166百万人と同じ學の収入を得ていたし、億万長者の数も85年の13人から08年の450人に膨れ上がる。経営幹部の給料が急騰する一方で労働者給与の平均上昇率は3%に留まり、最低賃金は97年以降10年間据え置き
世界の格差はさらにひどく、豊かな1%が世界の富の40%を所有
アメリカの景気は07年後半から悪化、所得と資産は急減し、貧困と認定される人々が激増、ブッシュ時代は雇用の拡大と所得の伸びが戦後最低、典型的なアメリカの家族にとって2000年代は災厄だったと言える
09年末には40百万人以上のアメリカ人が貧困生活者となる ⇒ 全収入のほぼ1/4が上位1%に行き、最も豊かな0.1%が最も貧しい120百万人と同じだけ稼いでいる金権国家
08.11. ブッシュの支持率は911後の90%から急落して僅か22%、チェイニーに至っては13%
アメリカの軍産複合体と国家安全保障会議の既得権益者たちがどんなに強い権力を握っているか、このあとすぐつらい体験を通じて思い知ることになる

第14章     オバマ――傷ついた帝国の運営
オバマが受け継いだ国は確かに悲惨な状態にあったが、いくつかの意味で事態をさらに悪化させている ⇒ 選挙期間中はブッシュの対極にあるかのような印象を与えたが、就任後に実行したことはブッシュ時代の政策の推進だった
一般選挙で公的助成金の提供を辞退した大統領候補の第1号となったが、豊富な財源を持つウォール街の資金提供者や国防関連企業に頼った
オバマの下で最大の勝利を収めたのはウォール街 ⇒ クレジット・デフォルト・スワップなどの投機的な新手法で経済を台無しにした後、銀行家たちは救済措置を求め、オバマの経済顧問たちはクリントン政権で財務長官を務めたルービンの路線継承者が大半だったが喜んでこれに応じ、7000億ドルの金融救済プログラムを実施
銀行家の報酬を制限したヨーロッパとは対照的に、政府による救済措置で助かった企業の経営陣に対する報酬すら制限しなかったため、胸の悪くなるような金額が支払われた
オバマは、銀行の根本的再編が必要であるとして手を付けようとしたが財務長官のガイトナーが強硬に反対、自分の考えを押し付ける
政権発足後の景気回復は弱く、その利得は最富裕層にそっくり持って行かれた ⇒ 所得増加分の93%が全世帯の上位1%に行ったし、従業員の健康保険料が13.7%上がったのに対し、雇用主の負担は0.9%下がった。上位1%が富の40%を所有。貧困線維筋痛症化で暮らす人口が46百万人
12年の選挙でオバマは、反ウォール街の抗議者たちと、ウォール街の大物たちの両方にいい顔をしようとしたが、結局は勤労大衆よりもウォール街のインサイダーを優遇したばかりか、彼等の気分を害したことを謝罪さえした。他の献金企業に対しても借りを返したし、最高裁も法人による選挙運動への資金投入に対する制限撤廃を支持した
目玉の医療制度改革でも、早々に健康保険業界や製薬業界と戦うのを避けると決めたため、医療業界のロビイストのやりたい放題を認めることとなる
民主党員も呆れるようなオバマの譲歩・後退に、10年の議会選挙では共和党が圧勝、さらに、それでもウォール街と企業の幹部は懐柔されず、オバマの気前の良さを尻目に12年の大統領選挙ではロムニーの支持に回る
ブッシュの作った過度で非合法と見做された「安全保障国家」を引き継ぎ、当初は透明性を誓約しておきながら秘密主義に輪をかける ⇒ ブッシュの不法侵害から憲法を守るという選挙公約とは大違い、ブッシュや拷問に加担したその取り巻きの訴追を妨げ、「国家機密特権」を繰り返し発動
ウィキリークスが外交電文25万通を公表、アメリカ政府の虚言が如何に根深いかが暴かれると同時に、アメリカの同盟国による不正行為と弾圧も暴露され、エジプト、リビア、イエメン、チュニジアの暴動に繋がり、「アラブの春」の引き金となる ⇒ インターネットへのアクセス制限や報道の自由を制限sンひているとして中国他の弾圧的社会を公然と非難した人々が「アサンジを挙げろ」と声高に叫ぶ
急速に拡大する安全保障複合体を抑制することも全くないし、愛国者法の下での監視権限を2015年まで延長、FBIは調査権限を大幅に強化、最高裁も調査と監視の権限を拡張、憲法修正第4条が保証するプライバシーと不当な捜索や逮捕に対する保護は甚だしく損なわれた
外交政策はなおお粗末 ⇒ アメリカ帝国主義を改めるどころか、前よりうまく運営する中道主義的アプローチを取り、就任早々にイラクからの撤退、グアンタナモの閉鎖等を発表したが、政権内部を含む周囲から反対され実行されなかった
政敵や誹謗中傷者を閣僚に迎え入れたリンカーンの知恵に倣って、タカ派のクリントンやゲーツ国防長官の留任を認めたが、アメリカ帝国の強烈な批判者も加えてバランスを取ることを怠った
09.12. ノーベル平和賞受賞は、2つの戦争を行っている大統領が受賞すること自体不合理そのものだったが、受賞演説でオバマはアメリカの軍国主義を擁護
リビアではカダフィ転覆のための爆撃を議会承認を必要とする60日を超えて実施、無人機による爆撃は「戦闘行為」に該当しないと言ってタカ派の下院議長を驚かせた
アフガニスタンも泥沼化、カルザイ政権の腐敗とあからさまな贈収賄が横行
パキスタンとの関係も、対ソ戦では協力し、核開発には目をつぶったが、ソ連の撤退後はアメリカの関心は薄れる一方、核開発への経済制裁等で関係悪化
急速に右傾化したイスラエル政府を依然として受容し続けることでも抜き差しならぬ立場に陥る ⇒ 国際世論はパレスチナ独立国家を公式に承認する方向だったため、孤立したイスラエルはイランの核開発に先制攻撃をかけようとする
ラテンアメリカでもアメリカの力と影響が徐々に失われている ⇒ 1世紀に亘る独裁者支援が中南米各国内に反米主義を広げ、各国を席巻した左傾化の風潮をほとんど止められなかった。キューバを排除し、麻薬取引を抑制しようとするアメリカの試みは猛反発をくらう
軍事力増強、エネルギーや原料を求める強腰な姿勢、力に劣る周辺国への恫喝といった中国の態度は、アメリカに絶好の口実を与え、アメリカの指導者たちは、紛争の友好的な解決を支援する代わりに、地域の緊張を利用して中国の脅威を誇張・捏造、新たな冷戦かの如く祭り上げ、中国の経済的、軍事的、政治的「封じ込め」に取り掛かり、他のアジア諸国にも協力を迫る
財政赤字の増大。中でも国防費は冷戦下の26%を上回る40%にも達する
ウォール街占拠運動は国内改革にとっても明るい兆しで、アメリカを変える役割はアメリカ国民にこそ期待できる ⇒ こうした運動を組織することは常に拡大し忍び寄る安全保障国家の魔手からアメリカの民主主義を救う唯一の希望であり、「国民が守り続けられる限り共和制が存続」する(憲法制定会議を終えたベンジャミン・フランクリンの言葉)


2014.1.14. 日本経済新聞 「米国を読む 2014
2014年の米国を読むキーワードは「経高政低」 ⇒ 2013年ダウ平均が初めて16千ドル台に乗せる一方、オバマの支持率は39.8%と政権発足後の最低水準に落ち込む(2期目スタート時は50)
支持率低下が始まったのは、13.3.議会の財政協議が決裂し予算の強制削減が始まって以来
安全保障局の個人情報収集問題、シリアの化学兵器問題への対応で二転三転、予算交渉決裂で政府機関の一部閉鎖、看板政策の医療保険制度改革法の施行が準備不足で大混乱
深刻なのは、政権だけでなく議会も含むワシントンの政治プロセスへの不信の広がりで、議会の支持率は9%、不支持率は84
経済は緩やかな回復基調で今年の実質経済成長率は2.6(前年比+1)と予測、企業業績が先行して回復、株高や住宅市場の改善で消費も持ち直し
力強さはないが民需中心の回復を続ける米経済の先行きにある最大のリスクは政治
機能不全の政府・議会に代わって、景気対策の主役になってきた金融政策も、バーナンキFRB議長が1月末に退任、初の女性イエレン議長が誕生するが、量的緩和の縮小の手綱さばきが注目される
政権の求心力低下が外交・安全保障にもたらす悪影響も懸念材料

アジア外交立て直しを急ぐ ⇒ 13年は中国を念頭に外交の軸を中東からアジアに移す「リバランス政策」を掲げながら、イランの核問題などに手を取られて果たせず、今年に持越し。日米韓のラインの再構築とともに、対中国政策は「抑止(軍事)」と「協調(経済)」の2つが柱。中でも注力するのは環太平洋経済連携協定TPPで、米主導でこの一大経済圏を築くことが出来れば対中経済交渉上圧力になる
中間選挙 ⇒ 10年以来の上下院のねじれ現象の解消が課題だが、現政権への批判から上院でも共和党が過半数を取りやすい環境にある
16年の大統領選に向け、民主党はクリントンが動き始めたが、共和党はニュージャージー州知事のクリス・クリスティが急浮上



オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史(13)
 オリバー・ストーン、ピーター・カズニック著 「正史」にひそむ矛盾を浮き彫りに 
日本経済新聞朝刊2013年8月11フォームの始まり

フォームの終わり
 本書は「プラトーン」「JFK」などの作品で知られる社会派の映画監督オリバー・ストーンと歴史学者のピーター・カズニックが編む「帝国」としての米国史である。第1次大戦期からオバマ政権までを射程に、米国の軍事介入や外交をめぐる政治過程の欺瞞に切り込む。土台となっているのは著者の2人が制作し、米国で話題を集めたテレビシリーズで、日本でもNHKBS番組で放送されている。
(大田直子ほか訳、早川書房・1~2巻各2000円、3巻2200円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
(大田直子ほか訳、早川書房・1~2巻各2000円、3巻2200円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 本書は「正史」の中に潜む矛盾を浮き彫りにする。米国の大企業によるナチスへの資金援助、東南アジアやラテンアメリカ諸国への軍事攻撃の裏事情など、米国に都合の悪い過去をこれでもかとあぶり出す。無人機攻撃を看過するオバマ政権の外交にも厳しい批判を加える。
 日本の読者にとって興味深いのは、広島と長崎への原爆投下が必要なかったとの記述だろう。米国では原爆投下は戦争の早期終結のためとして正当化されている。しかし、米国は日本が降伏寸前であったことを知りながら、ソ連を牽制するために投下を決断した、というのが本書の説だ。「原子爆弾の保有・示威行為」によって欧州での「ソ連の影響力」を抑えようとしたバーンズ国務長官の思惑が詳述される。
 ただ、留意しておきたいのは本書の力点が一般の米国人が学校で学ばない、「語られなかった歴史」というオルタナティブな視点にあることだ。著者らは「米国人は歴史を知らない」と指摘する。本書の内容に歴史学上の「新発見」があるわけではなく、修正主義派の歴史解釈の再強調が狙いだ。原爆投下を冷戦の前哨戦として捉える「原爆外交」論も、1960年代に歴史学者ガー・アルペロビッツが明らかにして以来、米学界では長年激しい論争が交わされてきた経緯がある。しかし、専門家の議論に限定されていた歴史解釈を一般向けに平易に提示した意義は大きい。
 本書はストーン監督の数々の映画作品ともテーマが重なる。監督とその「知恵袋」の歴史学者という異色コンビによる本書は、ストーン映画のファンにとっても、映画の魅力の再発見に繋がるかもしれない。
(北海道大学准教授 渡辺将人)

Wikipedia
ウィリアム・オリヴァー・ストーンWilliam Oliver Stone, 1946915 - )は、アメリカ合衆国映画監督映画プロデューサー脚本家
ベトナム帰還兵である自身の実体験を生かし、ベトナム戦争とそれが人間に与えた影響を描いた。それに付随して、多くの作品の傾向として、アメリカ政府やアメリカ政治の腐敗・欺瞞・矛盾を痛烈に批判している。

経歴[編集]

ニューヨーク州ニューヨーク市出身。父ルイスはユダヤ系の株式仲買人で、母はフランス系のカトリック教徒であった。折衷案として米国聖公会で育つ(しかし、のちに仏教徒となった)。イェール大学1年間学ぶが、中退してベトナム共和国に赴き、英語を教えるなどして半年程過ごす。帰国後復学するが、再び中退している。
1967からアメリカ合衆国陸軍に従軍し、ベトナム戦争を経験。空挺部隊に所属し、LRRPと呼ばれる偵察隊に加わっていた。この任務は特殊部隊的な側面を持ち、死傷率がもっとも高かった部隊のひとつである。
除隊後にニューヨーク大学マーティン・スコセッシに師事し映画制作を学んだが、しばらくはシナリオが売れないなどスランプの時期が続いた。1974ホラー映画邪悪の女王英語版』(日本未公開、原題:Seizure、あるいはQueen of Evil)で長編監督デビュー。脚本を担当した1978の『ミッドナイト・エクスプレス』で、アカデミー脚色賞を受賞。
プラトーン』、『74日に生まれて』の2作品でアカデミー監督賞2度受賞する。その他代表作には『JFK』、『ウォール街』、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』、『ニクソン』、『天と地』など。
特に『プラトーン』は、自身のベトナム戦争での体験がベースになっていると言われ、戦争という異常な状況下で人間はいかに醜く残酷になるか、そしていかに戦争が非人道的なものであるかを痛烈に訴えている。これらの作品についてはアメリカ国内では賛否が大きく、特にオリバー・ストーンと同じ世代ではその傾向が顕著である。
最近では、次の時代を担う世代への教育的見地から、ドキュメンタリーを通じて、アメリカ現代史を問い直す作業に取り組み、その成果が2012の映像作品『en:The Untold History of The United States』に結実した。これを日本放送協会放映権を取得して、NHK-BS1BS世界のドキュメンタリーにより『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』というタイトルで、50分番組を10回に分けて、3週にわたり放送された。
このドキュメンタリー番組への反響が大きかったため、2013825日に『オリバー・ストーンと語る原爆×戦争×アメリカ』という、ストーン監督に加え、脚本を担当した歴史学者ピーター・カズニックNHKスタジオに招き、2氏へのインタビューをメインに据えた2時間番組が放送された。
来日した際には、オリバー・ストーンは広島市長崎市沖縄県を訪れ、原爆資料館や米軍基地反対の沖縄住民の元を訪れた。

人物[編集]

JFK』『ニクソン』『ッシュ』と現職・元大統領をテーマにした映画を3本製作している。
自身の監督作品、『JFK』、『天と地』、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』に出演したトミー・リー・ジョーンズと生年月日が一緒である(1946915日生まれ)。
映画監督を志す前は、19歳の時に小説を書いたりもした。
私生活では3度の結婚歴があり、2度目の妻エリザベス(93年に離婚)は『トーク・レディオ』、『ドアーズ』、『JFK』および『天と地』で"Naijo no Ko(内助の功)"とクレジットされた。1984に生まれた息子は俳優となって父の作品に出演している。
現夫人は韓国人のチョン・ソンジョン。
1999大麻所持で逮捕、2005にも再び薬物所持と飲酒運転で逮捕されている。
2008年アメリカ合衆国大統領選挙では民主党候補のバラク・オバマ候補を支持していた。2012年アメリカ合衆国大統領選挙の時は共和党から出馬していたリバタリアンロン・ポール候補を支持していたが、ミット・ロムニーが共和党指名を勝ち取った為、オバマ支持に回った。

主な作品[編集]

監督[編集]

·         邪悪の女王 Seizure (1974) 兼脚本
·         キラーハンド The Hand (1981) 兼脚本
·         サルバドル/遥かなる日々 Salvador (1986) 兼製作、脚本
·         プラトーン Platoon (1986) 兼脚本
·         ウォール街 Wall Street (1987) 兼脚本
·         トーク・レディオ Talk Radio (1988) 兼脚本
·         74日に生まれて Born on the Fourth of July (1989) 兼製作、脚本
·         JFK JFK (1991) 兼脚本
·         ドアーズ The Doors (1991) 兼脚本
·         天と地 Heaven & Earth (1993) 兼製作、脚本
·         ナチュラル・ボーン・キラーズ Natural Born Killers (1994) 兼脚本
·         ニクソン Nixon (1995) 兼製作、脚本
·         Uターン U Turn (1997)
·         エニイ・ギブン・サンデー Any Given Sunday (1999) 兼製作総指揮、脚本
·         コマンダンテ Comandante (2003) 兼製作、インタビューアとして出演
·         アレキサンダー Alexander (2004) 兼製作、脚本
·         ワールド・トレード・センターWorld Trade Center (2006) 兼製作
·         ッシュ W. (2008) 兼製作
·         国境の南 South of Border. (2009) 102
·         ウォール・ストリート Wall Street: Money Never Sleeps (2010)
·         野蛮なやつら/SAVAGES Savages (2012) 兼脚本

製作・製作総指揮[編集]

·         ブルースチール Blue Steel (1990)
·         運命の逆転 Reversal of Fortune (1990)
·         アイアン・メイズ/ピッツバーグの幻想 Iron Maze (1991)
·         サウス・セントラル South Central (1992)
·         ゼブラヘッド Zebrahead (1992) 日本未公開
·         ジョイ・ラック・クラブ The Joy Luck Club (1993)
·         ワイルド・パームス1章~第3 Wild Palms (1993) テレビドラマ
·         ニュー・エイジ The New Age (1994)
·         KILLER/第一級殺人 Killer: A Journal of Murder (1995)
·         誘導尋問 Indictment: The McMartin Trial (1995) テレビ映画
·         連鎖犯罪/逃げられない女 Freeway (1996)
·         ラリー・フリント The People vs. Larry Flynt (1996)
·         コールド・ハート Cold Around The Heart (1997)
·         セイヴィア Savior (1998)
·         レーガン/大統領暗殺未遂事件 The Day Reagan Was Shot (2001) テレビ映画
·         オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 The Untold History of the United States (2012 Showtime) ドキュメンタリー番組


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