商家の家訓  吉田豊  2014.4.26.

2014.4.26. 商家の家訓

翻訳者 吉田豊

発行日           1973.9.10. 発行               1976.12.20. 第2
発行所           徳間書店

概説
公家や武家の家訓が、遠く鎌倉から平安の頃にまで遡って、立派なものが残されているのにひきかえ、商家の家訓で内容体裁の整ったものが出てきたのは、遙か後の時代、せいぜい近世初頭のこと、慶長年間の『鳥居宗室遺書』辺りが最も古い部類
商人という社会階層自体が、そう昔のことではなかったため
明治に入ってからも、豪家・旧家の家憲制定は盛んに行われたが、長続きしたものはない
本書では、明治以後は除き、封建制度の下で成立して長い歴史的検証を経てきた家訓に限って紹介する
1部は、それぞれの商家で独自に作られ、遵守されてきたもの
2部は、例えば『独慎俗話』や『主従心得草』のように特定の商家で作られたものも含めて、商家一般の教訓書として広く利用されたもの
これ等を通してあらためて痛感する事は、封建制度の下に生まれ、成長してきた我が国の商人が、いかに多くの不平等、制約を忍ばねばならなかったかという事実
歴史的な残りかすは、現代にまで尾を引いて、商人、商業という存在に対する偏見となって生き続けている。商人、商業、流通事業と言ったものに対する世間一般の不信と風当たりはあまりにもきつ過ぎはしないか。こうした風潮の根底には、士農工商の序列によって、商人を社会の最下位に置き続けてきた伝統の名残を見ずにはいられない
本当に商業らしい商業、商人らしい商人が生まれて、社会的な発言力を持つようになるのは、戦国の末期から江戸の初め、つまり近世初頭以降のこと
室町幕府の衰退による中央権力の弱体化が、中世的な守護地頭支配に代わる戦国大名の台頭をもたらす一方、地域経済に根を張った豪商の誕生を可能とした。彼らの多くは、酒造、高利貸などで富を蓄え、次いで御朱印船に乗り出して巨利を得、戦国大名の抗争を利用しながら強大な経済的・政治的発言力を持つに至る。堺の天王寺屋道叱、京都の茶屋四郎次郎、角倉了以、長崎の末次平蔵、博多の神屋宗湛、鳥井宗室等第一級の豪商となると、諸大名もその鼻息を伺うほどの実力と気骨を備えていた。秀吉が島津攻略のため九州入りした時、これを迎えた博多の鳥井宗室が面と向かって「武士は嫌い」と言い切ったという逸話は、400年に亘って博多っ子の溜飲を下げさせている
しかし、このエネルギーも幕藩体制の完成によって見る影もなく封じ込まれてしまう
支配者は、商業の自由な発展を喜ばず、商人の活動に様々な制約を加え続けた
幕藩体制の基礎は、領内で生産される米に依存した、自給自足の現物経済であり、商品と貨幣の流通をその手に握っている商人の力が強くなり過ぎることは、封建経済の土台そのものを危うくするという危惧が生じた
武家的価値観からすれば、商人とはそもそも卑しむべき存在であり、警戒と侮蔑とが相俟って、商人の社会的身分が最下位におかれた
商人の側にも、悪徳商法など誹謗を招くような傾向があったことは否定できない
井原西鶴の作品にも、江戸初期の商人が海外貿易において、中国の商人に比べてこすからいのが日本人と批判的に書いている
近世日本の商人が、あまりにも長期に亘った身分的差別と抑圧のために、西欧的な自由な市民への成長を押し止められたことは否定できない
かかる困難な条件下にあっても、商人は着々と経済的実力を蓄え、遂には幕府もその協力なしには支配が続けられなくなるほどの存在にのし上がり、3(江戸、大阪、京都)を始めとする都市の繁栄も、独特な町人文化の成立も考えることは出来ない
江戸初期創業の三井、住友を筆頭とする豪家・老舗の多くが幕末までその暖簾を守り続け、維新の変革の嵐を乗り切って、さらに大きな飛躍を遂げたのもその底力を実証。彼等のしぶとい足跡には、現代に生きる我々にとっても学ぶべき多くのものが残されている筈
商人自らが書き記し、その実践に務めてきた家訓・店則の類には、町人作家の作品に比べより赤裸々な商人の姿が示されている
とりわけ感銘を受けたのは、最下位に位置付けられた商人たちが、単に金銭の力によってその社会的地位の向上を図るだけでなく、自らの存在価値を追求し、武家の倫理とは明らかに異なった"商人道を築き、実践してきたこと。強いられた屈従の陰で粘り強く養われていった独立自尊の心は、わが国における近代思想の先駆として位置づけられるべきもの
家訓・店則に現れた近世商人の価値観、哲学、営業と生活の知恵などで特記すべきは、
   自力で生きる気概 ⇒ 商売の利潤によって生きること、それを守ることを説く
   正道で築く信用 ⇒ 平凡極まる商売の大道を行くことによって安定・繁栄を求める
   大衆の支持があってこそ ⇒ 大衆奉仕の姿勢。商人の拠って立つべき基盤は消費者大衆以外にないという哲学が生まれた
   始末する心 ⇒ 予算と決算を正確にしてそれ以外の無用な出費はしないのが始末
   主従のきずな ⇒ 武士を手本としながら、遙かに合理的な内容。使用人の昇進制度
   武家支配への順応と抵抗 ⇒ 泰平の御高恩を尊重しつつ、大名貸しの貸し倒れに対し大阪の両替商グループが結束して貸付拒否を行うなどの抵抗もあった
   祖先崇拝の功罪 ⇒ 先祖の恩への感謝の念と先祖によって創業された家業を守る神聖な義務の強調
明治維新では、下級士族出身の新興財閥グループの利害が、富国強兵を目指す政府権力とあまりにも一致しすぎていたため、独立自尊の商人道を確立する方向には進みえず、却って軍国化の推進者の役割を果たし、国民にとって大きな不幸を招く
戦後経済の復興期には、あたかも江戸初期の特権商人を思わせる権力との結託や大衆不在の不実商いが企業目的遂行の名の下に繰り返されて、企業に対する大衆の不信と反発を募らせた
かつて屈辱的な社会的地位に置かれながら、創意と勤勉と大衆への奉仕を通じて巨大な発言力を勝ち取った先輩たちの言葉を改めて掘り起こしたのは、これを企業人自らの手による、新しい企業倫理の構築に役立ててもらいたかったから


第1部         
Ø  鳥井宗室遺書(鳥井宗室)
鳥井宗室(15391615)は、神屋宗湛と並ぶ近世初頭博多の豪商の大立者
対馬の宗氏と結んで朝鮮貿易の実権を握って巨富を収める。堺の天王寺屋道叱(どうしつ)とも交わり、信長・秀吉とも結びつく端緒となる
遺書は、死の5年前養子に与えたもの。聖徳太子の憲法に準えて17条にまとめられた遺訓は、実利に徹した価値観が貫かれ、後世の商家家訓の原型
一族相和し誠実に、信心は50過ぎてから、賭事・遊芸に耽るな、40までは質素第一、外づきあいより家を治めよ、無担保の貸金を禁ず、かせぐは一生のつとめ

Ø  舟中規約(角倉素庵・藤原惺窩)
角倉素庵(15721623)は、河川工事の功労者・角倉了以の長子で、大貿易商人。朱印船貿易でベトナムを往来
恩師・惺窩の助力を得て作成したのが舟中規約 ⇒ 貿易の本義は有無相通じる平等互恵にあり、異邦の人もみな同胞(出先の習俗に従え)、苦労を共にする、欲望に勝つ

Ø  三井高利遺訓(三井高利(宗寿))
三井八郎兵衛高利(162294)は、三井の初代、松阪の金融業、江戸に越後屋呉服店開業、大衆志向の廉価、正価・現金販売で大衆の支持を得る
一族の和親一致、利益配分の原則(一定の積立金を引いた後分配)、一族の長を選出、倹約の徳、人材登用に最大の注意、主人は全業務を知ること

Ø  宗竺居士家訓(三井高平(宗竺))
三井八郎右衛門高平(16531738)は高利の長男、2代目、三井家発展は高平の人格と力量によるところが大きい。越後屋呉服店の創業時店主
兄弟4人が結束して「大元方」制度設置、運営の基本を定めたのが『宗竺遺書』であり、三井家永世の家法として遵守される ⇒ 各家の人々に厳しい自律自制の義務を課す
同族の不和は破滅を招く、多くを貪るのは紛糾のもと、勤倹は家を富ます、重要事項は同族の協議で、利益分配の仕組み、新鮮な人事を断行

Ø  市田家家訓(市田清兵衛)
市田家は、近江商人で先祖は武士、初代市田庄兵衛が八幡に小間物屋を開いたのが始まり、2代目が関東との間の行商で成功、3代目清兵衛(16361714)が換金作物の栽培によって発展した関東の新興市場と、関西の先進地帯との商品流通を組織したことで財を成す
御法度相守り(お上の禁制を守り無礼無きこと)、商売の古格(仕来りの順守)、和順謙譲(同僚は互いに遜って睦み合う)、上下の規律、能力を生かせ、不当利得を禁ず

Ø  住友長崎店家法書(泉屋吉左衛門 住友友昌)
住友家は、江戸開府間もない頃の京都で薬種と書籍を商っていた住友政友に始まる。元柴田勝家に仕えて越前丸岡の城主だった住友若狭守政俊の孫にあたる
政友が銅の精錬技術を完成させた姉婿である蘇我(泉屋)理右衛門の長男理兵衛友以を養子にしたことから、泉屋住友家は銅の採鉱・精錬・販売を主業に繁栄、元禄年間に4代目が伊予別子銅山開発に成功して不動の地位を占める
住友家の経営倫理は、家祖の政友の思想に発している。政友は涅槃宗の信者で篤実な人物、商売に当たっても不当な利益を貪ることを厳に戒め、たとえ値段が安くとも紛らわしいものを仕入れることは一切なかったという。この政友の誠実さと技術革新に精魂を傾けた業祖理右衛門の進取の気象(気性)との統一が住友の繁栄の精神的な支え
以下3つの店則は、いずれも住友家の事業が安定期に入った享保以後のものだが、創業の精神を忘れぬ前向きの姿勢が随所に見受けられて興味深い
1721年制定の『長崎店家法書』は銅を中心とする諸物産の貿易窓口である長崎支店の店則で、大阪の本店から遠く、かつ外国商人との接触などから華美放縦の気風に冒されやすい環境にあったためか、とりわけ質実、節倹に努めるよう強調。合議制の尊重も特徴の1つ。集団的な調査と討議の必要性を説く。腐敗・汚職の防止、客をダシにした遊興の禁止
まず火の用心、勝負事を禁ず、禁制品に注意、公務から私用への直行は不可、業者に無心はもってのほか、一汁一菜禁酒、よそより粗服を着よ、便乗の遊興はならぬ、価格決定は合議で

Ø  住友総手代勤方心得(泉屋理兵衛 住友友俊)
住友友昌が『長崎店家法書』を制定した30年後の1750年、弟で泉屋理兵衛家の家祖・友俊が定めたのが『総手代勤方心得』 ⇒ 主家に仕える者の代表という立場から全店の手代のあるべき姿を、他の別家の人々と協議してまとめたもの
住友の伝統的な家風である篤実・節倹の美徳をさらに強調しながらも、店員の能力開発、人材育成を極めて重視し、能力と貢献度に折る抜擢を行って年功序列の弊害を打破しようとする意欲に満ちているのと同時に、自らの意見を遠慮なく述べることをくどいほど念をおし、各人の自発性を引き出し衆智を生かすとともに人材の鑑別にも役立てている
実直一筋に務めた下積みの人々に対する配慮を忘れないことも見事で、永年真面目に勤めた者には相当の取り計らいをし、老衰に及んだ場合は援助をせよと特記している点に、家祖以来の道義の感覚がうかがわれる
手代・丁稚は筆算のみならず主人への奉公の本質がわかっていなければならない

Ø  鴻池家家訓(山中善右衛門宗利 三世鴻池善右衛門)
関西豪商を代表する鴻池家の始祖も戦国の動乱の中で没落した武家で、主家・尼子家の再興を誓った山中鹿之助の遺児・幸元(15701650)
摂津国鴻池村(現伊丹市内)の酒造業で成功、江戸に送り出して巨利を得る
大阪に進出して興したのが今橋鴻池家で、1656年両替商も開業、1670年頃には幕府の公金を扱い帯刀を許される「十人両替」となる
この家訓は、鴻池の諸制度を整備した3代・宗利の筆になるもの
親類筋からの借財は拒絶、家督相続は惣領に8,9割、当主は合議で決定
不適格者の相続を許さず、親類よりの無心に応じるな、万事につき合議を重んぜよ、本業以外の商売を禁ず、縁組は出来れば一族の中で、気付いたことはすぐ上申

Ø  白木屋寛文家法(大村彦太郎可全・中川治兵衛)
初代大村彦太郎可全(163589)によって1662(寛文2) 創業。元近江商人、27歳で出府、日本橋に小間物店開業、20年で呉服店としての体裁を成す
大衆奉仕を店是とし、幕末維新の変革を乗り切り、白木屋呉服店として再出発、1903年には我が国初の洋風建築百貨店を落成披露
この家訓は、創業8年目の可全が支配人・中川治兵衛に命じて作らせたもので、全従業員の署名の入った誓約書の形をとる
法令遵守、店内規律の確立、不正を見逃すな、素行をつつしめ

Ø  白木屋享保定法(大村彦太郎勝全)
病弱な3代目と幼少の4代目が成長するまでの20年間、集団指導体制を確立した歴代支配人の努力の現れが『享保定法』、172310歳の勝全を支えた支配人たちが書いたもの
吉宗の「享保の改革」に合わせて、幕府の禁令遵守が最優先と同時に、商家の奉公人としての職業モラルが具体的に説かれている
御公儀第一、少額の客を大切に、新規の工夫はご法度、退職者の当地居住や同業就業を禁ず、紹介・斡旋は一切禁止、世間づきあいは無用、出先から無断で私用に行くな

Ø  伊藤呉服店家訓録(伊藤屋次郎左衛門)
信長に仕えた武将・伊藤蘭丸祐広が後に徳川に属し、大坂冬の陣で戦死、その子・祐道が商人となって名古屋に呉服店・伊藤屋を開く。1872年上野広小路の老舗松坂屋を買収して首都進出を敢行、後に全店が松坂屋となる
この家訓は176811代目が書き起こして、店員のあり方を定めたもの
おふれの徹底につとめよ、お客の身分買物の多少の隔なく、保証に立つことは一切厳禁、商人は出過ぎぬがよし、神仏への信仰は人間のしるし(信仰の自由を謳うとともに、信仰による内面からの支えを経営者として強く願っていた)

Ø  若狭屋掟書(若狭屋太郎兵衛)
大阪の薬種屋兼墨屋。初代・太郎兵衛が1773年、子々孫々に伝えるべく記したもの
掛け商売をつつしむ、惣領でも欠格者は隠居、家長の名は誠実な人物に

Ø  山中家慎(二世 山中兵右衛門)
近江日野の初代山中屋兵右衛門は江戸時代近江商人の典型
行商から身を起こし、御殿場に酒造店開業、日野有数の巨商となる
この家訓は、2代目が1802年に制定、大衆の信用を第一とするよき商魂が漲る
常に慎みを第一に、仏事は丁寧に、不誠実を戒む、商売替を禁ず

Ø  水口屋店方掟書(名古屋 小川家)
水口屋は名古屋の呉服商。山城国から出て名古屋で呉服・小間物を商い、1730年代には藩の用金を課せられるほどの豪商になる
この『掟書』は家訓というより店員の執務規定だが、組織制度の整っていること、規律の厳正なことは出色。1810年改定。観念的な説教よりも日常の具体的な訓練の積み重ねを重んじていた
後年、新田開発と江戸出店の失敗により不振に陥り、1844年閉店
御法度の厳守、朝はまず神仏礼拝、来客接遇の心得、同郷の人との接触を慎め

Ø  絵具屋手代昼夜心得事(柴田家)
絵具屋惣兵衛は300年の歴史を持つ大阪の代表的老舗、初代・小西与三兵衛は堺の刀屋で、秀頼の時御用刀商となり発展、3代目が薬種商に転業、4代目が柴田に改姓、9代目の1734年以降絵具屋惣兵衛を名乗って現代にいたる
この家訓は1828年制定、中堅従業員の服務規程、厳正な中にも温情的な条項が特色
主従の因縁を大切に、月1度は小遣いつきの休日、夜なべの後で慰労の酒、夏は昼寝を許す、情報上申の義務、不正を相互にチェック

Ø  岡谷家家訓(岡谷総助(真純))
300年の歴史を持つ名古屋の金物店。初代・総七は篠山藩士、裸一貫から金物店を創業、8代目・総助が中興の祖。晩年子孫に守らせるために書き遺したのがこの家憲
父母の恩を思え、家の和・村の和、教育の眼目、本分に生きよ

Ø  伊藤屋家憲(二世 伊藤長次郎)
播州印南郡出身、江戸後期から戦前にかけての関西有数の豪農・豪商。初代以降信仰が厚く「念仏屋」と呼ばれる。2代目が定めたのがこの家憲
生きて難儀死んで難儀をせぬために、幸せは勤めと辛抱の報い、妻は不器量がよろし、汚く稼いできれいに食え、慈愛は深く躾は厳しく

Ø  諸戸清六遺言(諸戸清六)
幕末から明治初年に巨富を積んだ地方豪商の遺言。元伊勢長島の武家、幕末に塩問屋開業して失敗した父の跡を継いで米穀商として身を立て、廃藩置県による年貢米の金納制で米価が暴落する中、買い占めを行なって巨利を掴む。1代で財をつんだ清六が家憲の制定を目指して全国の富豪を歴訪、その教えを仰いで作ったメモ書き
時は金なり、多く人に会して多く知恵を得よ

第2部         
Ø  長者丸といへる妙薬の方組(ほうぐみ)(井原西鶴『日本永代蔵』より)
『日本永代蔵』は、井原西鶴(164293)の代表作、1688年刊行。35人の新興大町人の栄枯盛衰列伝。経済・風俗ルポ
この「長者丸」は、日本橋材木町の材木問屋・鎌倉屋甚兵衛をモデルにした人生訓
貧乏な男が長者のところに「貧病の苦しみを治す法は」と尋ねたところ表題のように教えられ、それを守って産を成したという筋書き
これぞ長者となる妙薬 ⇒ 正直5両、堪忍4両、思案3両、分別2両、容赦1両。朝起5両、家職20両、夜詰8両、始末10両、達者7
後に続く禁止事項こそ、当時の商人たちが陥りがちだった落とし穴の種々相 ⇒ 美食、淫乱、絹の不断着、内儀を乗物全盛、座敷普請

Ø  町人考見録(三井高房(16841748))
17164代目を継いだ高房の著、46家の町人盛衰、業種別の考察
前車のくつがえるに学ぶ ⇒ 大名貸し、乱売、放漫経営、見切り時を逸する、分際忘れた驕り、利の薄いを忘れる
商人は賢者になりては家衰ふ ⇒ やみくもに天下のため、人のためでは家を保てない
仁義を離れては人道に非ず、然るとて算用なしに慈悲過ぎたるも又愚なり

Ø  家内用心集(寂照軒 頓宮咲月)
江戸中期にもてはやされた通俗教訓書(1730年版)。著者の本名不詳だが、身分の高い人
人それぞれのに安んじ、他をうらやむことなく最善を尽くせ
正常な流通という天地自然の理に叶った商法を守っていれば、自分も栄え、社会のためにもなると教える
家持用心之事 ⇒ 勤めと慎みは天地の理
商人用心之事 ⇒ 掛け売りは危険極まりなし

Ø  町家式目 分限玉の礎(浪華大隠 壮健翁)
1773年刊行の商家教訓書。著者不詳。主人、女房、奉公人、息子、娘、女奉公人、丁児(でっち)、それぞれのいしづへを述べた7篇からなる
時勢が進むに従って使用人の自発性を高めることが大きな課題となる一方、江戸初期の豪商たちの持っていた創意工夫や進取の気象は影を潜め、守り一方の気風となっていった

Ø  主従心得草(伴 蒿蹊)
江戸の国学者伴蒿蹊(17331806)61歳で実家の惣領と別家一統の希望に沿って書き与えたもの。伴は近江八幡の代表的な家に生まれ、初め家業を継ぐが後学業に転じる。穏健な思想で、京の貴顕や各方面の知識人と親交を結ぶ
専ら一家一族、本家別家の一致和親と、質素堅実な生活態度のすすめに終始
主人心得「吾は即ち先祖の手代なりと思うべし」
支配人心得「主人のためとして非道を働くこと、主人も非道と知りながら黙認することを戒める」

Ø  独慎俗話(白木屋番頭 某)
古くから白木屋に伝えられた教訓書。作者不詳。筆頭番頭が従業員一統の教育のために書きおろしたもの。総体37篇の7,8割がたが、かなり一般的な倫理講話
幹部店員として犯しがちな誤りをこと細かに列挙し、もし自分にそのような行為を見聞したならば、遠慮なく注意してほしいと懇願している



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