かなづかいの歴史  今野真二  2014.4.19.

2014.4.19. かなづかいの歴史日本語を書くということ

著者 今野真二 1958年鎌倉市生まれ。早大大学院博士課程後期退学。高知大助教授を経て、現在清泉女子大文学部教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』で01年第30回金田一京助博士記念賞受賞

発行日           2014.2.25. 発行
発行所           中央公論新社(中公新書)

中学・高校の古文の授業で私たちは、「歴史的かなづかい」に出会い、例えば現在「カワ」と発音する語がかつては「かは」と書かれたことを知る。なぜ発音と表記は違うのか。表記はいかに揺れて来たのか。仮名が生まれた10世紀の『土佐日記』に始まり、藤原定家の『定家かなづかい』、中世の実用的な文書、契沖のかなづかい。そして明治期の小学校教科書や野口英世の母の手紙まで。「かなづかい」でたどる日本語の歴史

はじめに
「日本語を書くということの歴史」の中に「かなづかいの歴史」を位置付ける初の試み
「日本語を書く」場合、漢字と仮名のいずれか、あるいは両者を使うかの選択肢があり、「仮名のみで書く」を選択した場合に問題となるのが「かなづかい」であり、両者を使うとした場合に問題となるのは「送り仮名」
「仮名遣い」とは、表音系文字である仮名を、ある語を書き表すためにどのように使うかということであり、「仮名の使い方」である。狭義では、日本語の音韻と、それを表す仮名との間に11の対応が保たれなくなった時期に於いて設定される概念であり、余った仮名をどう使うかということ
l  「上代特殊仮名遣」  上代における「万葉仮名」の使い方
l  「古典仮名遣い」  日本語の音韻と、それを表す仮名との間に11の対応が保たれていた時期に行われていた仮名遣い
l  「藤原定家の仮名遣い」  定家が書いた文献での仮名遣い
l  「井原西鶴の仮名遣い」  井原西鶴が書いた文献での仮名遣い
l  「定家仮名遣い」  規範としての仮名遣いを定めたもの=人為的仮名遣い
l  「現代仮名遣い」  規範としての仮名遣いを定めたもの=人為的仮名遣い
元々は、音韻と仮名との間に11の対応が保たれたのであって、これを「表音的表記」とみることができる。常に「表音的表記」を目指せば余った仮名をどのように使うかという「仮名遣い」の問題にはならない
日本語史と日本語学史の違い
l  日本語史  日本語の歴史
l  日本語学史  日本語研究の歴史。日本語を観察した結果が記述される文献の歴史
「かなづかい」に関わる言説では、両者が渾然一体となっていることがほとんどだが、日本語学史としての研究では、観察した結果が必ずしも適切に記述されているとは限らず、それぞれの記述が適切かどうかの検証が必要

第1章     仮名の成立とかなづかい  「かなづかい」とはそもそも何であるかの説明
第1節     平仮名・片仮名以前の「仮名」
万葉仮名  和語(純粋の日本語)の語義とは無関係に当て嵌めた漢字の呼称であり、漢字の「表音的使用」である
第2節     仮名の成立
漢字の形を変えたものが平仮名で、漢字の一部分を取ったものが片仮名
「時間をかけずに書く」という漢字の使い方・書き方から平仮名が生まれた
片仮名は、漢文を訓読する場合の訓点(返り点、送り仮名)を書くために生まれた
第3節     仮名で日本語を書く
仮名で書かれた文献の最初のものは、935年頃の『土左(古い表記)日記』
「ハ行転呼音現象」  「ハ」と書いて「ワ」と発音する。1000年頃に起こった日本語の音韻に関わる大きな変化。語頭以外の位置ではハ行音がワ行音に変わる現象で、発音するにあたって唇の合わせ方が緩くなった結果に過ぎない
「古典かなづかい」では、日本語で使う音=音韻とそれにあたる仮名が11の対応を形成しているので、「かなづかい」ということそのものが無かった
仮名の範囲  「いろは」では47文字、「五十音図」では45文字。「現代仮名遣い」は後者のみに対応
第4節     音韻変化で仮名が余る
1000年頃、ア行の「オ」とワ行の「ヲ」が1つになる
1100年頃には、ア行の「イ」とワ行の「ヰ」が1つになる
同じ頃、ア行の「エ」とワ行の「ヱ」が1つになる
「発音するように仮名を使う」のではなく、「かつて書いていたように仮名を使う」ことを選択した結果、11の対応が崩れた  「非表音的表記」への移行
表記することによって連続性を保つ
和語のみで考えた場合、36つの仮名「お・を」「い・ゐ」「え・ゑ」のどちらかを使うかによって、語が異なる場合はほとんどない  語が識別しにくくなるから「かつて書いていたように仮名を使う」ということではない

第2章     平仮名で日本語を書く  平仮名で語を書くということについて述べる
第1節     12世紀に書写された古典文学作品のかなづかい
仮名の文献で残っているものは12世紀以降  代表は36歌仙の1人で平安時代の歌人である中務(なかつかさ)の家集・『中務集』で、一部例外を除き古典的かなづかいで書かれている
第2節     藤原定家の「かなづかい」と「定家かなづかい」
鎌倉時代に定家が「定家かなづかい」を考案し、その後の主流となったが、江戸時代に契沖(16401701)が批判し、確かな証拠を持って「歴史的かなづかい」を唱え次第に広まり、明治期には「歴史的かなづかい」が標準的なかなづかいになった
定家の『下官集(げかんのしゅう)』と呼びならわされたテキスト  古典文学作品、なかでも歌集、三代集(『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』)の書写に特化された「マニュアル的学書」で、後に「定家仮名遣」と呼ばれ、2つの原則がある
1つは、同音の「オ」と「ヲ」については、高いアクセントの「オ」で始まる言葉は[]で書き、低いアクセントの「オ」で始まる言葉は「お」で書く
もう1つは、「え」「へ」「ゑ」、「い」「ゐ」「ひ」については、アクセントによらず、平安時代の仮名文書の用字例によって定める
「定家仮名遣」は、カノン=正典とされる
第3節     さまざまな実用文書の「かなづかい」
1416世紀の実用文書にて検証  漢語が仮名書きされている
1316世紀にかけての実用文書の特徴
   「古典かなづかい」に一致しない書き方が少なからずみられ、表音的表記が露出しやすい
   漢語が仮名書きされることが多い
   促音、撥音、長音といった特殊な音韻の書き方には「揺れ」が見られる
   古典文学作品と実用的な文書では違いがある

第3章     片仮名で日本語を書く  片仮名が「かなづかい」と無縁のものであるかどうかの検証
平仮名と片仮名は、単なる字体の違いか、あるいは機能としても別の面を有しているのか
1275年の、地頭の横暴を訴えた百姓文書
『名語記』  16世紀に成立した、日本語の語原について述べた辞書
1つの文を構成する語の多くを漢語が占めていれば「かなづかい」には関わりが無く、漢語より和語を多く使う「仮名文」においては「かなづかい」が問題になる語が多いために「かなづかい」が意識されやすい
平仮名と片仮名が交差するにつれ、「かなづかい」の意識の違いは次第になくなっていった

第4章     中世から近世にかけてのかなづかい  「歴史的かなづかい」とは何かについて述べる
第1節     かなづかい書
12世紀半ばごろに成立した、かなづかいの原理を説いた国語辞書
第2節     「かなづかい」の空白期
漢字をある程度交える「漢字仮名交じり」の書き方に到達した時点で、「かなづかい」ということの意義そのものが原理的に希薄になった時期があったのではないか
第3節     漢語を仮名で書く――「字音かなづかい」をどう考えるか
本居宣長『字音仮名遣』(1776)  「漢語をどう仮名書きしてきたか」という事実、実態との関係は薄い
第4節     契沖『和字正濫鈔(わじしょうらんしょう)(1739)再評価
「濫(みだ)れを正す」とあるが、「かなづかい」の根拠を示すのが目的で、「仮名遣いを定め」たものではない
第5節     江戸期のかなづかい
江戸期の表記体(1つの文をどのように書くかという書き方のこと)  濁点や句読点を使うことがあり、漢字に振り仮名を施すことがある。漢字と仮名を併用するが、両者の比率は文献によってさまざまな在り方を示す。かなづかいは「古典かなづかい」に合致する形としない形があり、両者の比率はまちまち

第5章     明治期のかなづかい  明治期のかなづかいについて検証
第1節     『小学読本』類のかなづかい
1872年学制、小学教則制定。文部省や師範学校によって編纂されたテキストが『小学教授書』『小学入門』『小学読本』  平仮名、片仮名とも五十音表が全欄埋められているが、ヤ行の「イ」と「エ」、ワ行の「ウ」は使用実績なし。そもそも仮名の標準字体が言語共同体の共通の認識として定まっておらず、かなづかいへの関心が低かった

第2節     明治期のかなづかいの諸相
新聞では、古典かなづかいで書くという意識が希薄  漢字が主体の「漢字仮名交じり」で書かれているので、語の同定に「かなづかい」はほとんど関与しない
官製文書でも、主体は漢字であり、まずは漢語、漢字を使いこなすことが要求され、「かなづかい」(片仮名)の習得は二の次
野口シカの英世に宛てた手紙(1912)  仮名による日本語表記自体に習熟していないため、「を」と「お」が混同
第3節     明治期に刊行されたかなづかい書
1886年、物集高見(もずめたかみ、18471928)著『かなづかい教科書』  「い」と「ゐ」の区別について、圧倒的に少ない「ゐ」で始まる語を覚え、それ以外は「い」で始まると見做せばよい

第6章     「現代仮名遣い」再評価  現在「かなづかい」のルールとして機能している86年内閣告示の「現代仮名遣い」について考察
1986年、「現代仮名遣い」内閣告示 ⇒ 良い悪いの評価ではなく、「かなづかいの歴史」の流れのなかで、どのような「かなづかい」であると見えるかについて記述する
和語のかなづかいと漢語のかなづかい、即ち「字音かなづかい」を区別せずにルールを立てている ⇒ 和語と漢語から日本語の語彙体系が成り立っているという意識が稀薄であり、現代語の発音に従ってかなづかいを決めている
表音的表記と、表記の慣習を尊重した表記という2つの原理を併用 ⇒ 表記の慣習の尊重とは、主に助詞の「ヲ」「ハ」「ヘ」に仮名の「を」「は」「へ」をあてることを指す
促音の「つ」や拗音の「や・ゆ・よ」は「なるべく小書きにする」とあって強制ではない
「じ・ぢ・ず・づ」の使い方 ⇒ 「ぢ・づ」の発音がなくなった後でも対応する「ち・つ」は残っているので、表音的表記の例外として「ぢ・づ」を書く。その例示として、①「同音の連呼によって生じた「ぢ・づ」」(つづく)と、②「二語の連合によって生じた「ぢ・づ」」(はなぢ)を挙げる。ただし、二語に分解しにくい場合は例外を認めどちらのかなづかいも認める
(いなずま)

おわりに
「かなづかいについて誰かが考えたことの歴史」とは区別
定説によれば、「定家かなづかい」から「契沖かなづかい」へと移行したとなっているが、「定家かなづかい」が使われた文字社会は相当に狭いものであり、契沖も「かなづかい」の根拠を示すことに目的があったと考えられ、実際に使う「かなづかい」を提唱したのではない
結局は仮名と音韻とに対応があった時期の書き方である「古典的かなづかい」が、時に一致しない形を多く含み、時にそうしたものを殆ど見せずに、ある程度の広がりをもって継続していたとみるのが自然であり、常に例外を持ちながら仮名による語の同定がおこなわれていた
冷静に事象を観察したことを、冷静な落ち着きのある、一貫した論理で構築された言語で、自分以外の人にわかるように説明することが大事


かなづかいの歴史 今野真二著 「特殊な」表記の起源、平易に解説 
日本経済新聞朝刊2014年4月13
「日本語は特殊だ」
(中公新書・860円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
(中公新書・860円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 このような言説は、巷間(こうかん)まことしやかに語られる。
 実際、音声に関して言えば、日本語の五母音は世界でもっとも標準的な体系であり、語順についても、述語が最後に来る日本語型言語が世界的には多い。
 日本語が特殊だという考えは、多くの場合、日本人自身が「信じたいこと」なのである。
 しかし、表記に関して日本語は、たしかに特殊である。本書は、その表記がなぜこのように特異に発展してきたかを、仮名遣いの観点から、平易に解説しようと努める一冊である。
 日本人なら誰でも、「かは」と書いて「カワ」と発音するなどの歴史的仮名遣いを中学校で一度は習っている。英語の不規則な綴(つづ)りよりも先に知っているべき、母語の基礎知識である。
 この、歴史的に有名な「ハ行転呼音現象」についても、本書では、なぜそうなったかも含め、平明に解説している。しかも、当時の人の目線から自説を述べており、歴史小説のようなおもしろみすら感じさせる。
 著者が得意とする近現代仮名遣いへの言及も、ぬかりない。
 私事で恐縮だが、評者の祖母(明治四二年生)は「しづ」という名であった。初めて見た戸籍謄本には、「志津」らしき字が書かれており、その「津」らしき字に濁点が付されていたことを、衝撃とともに覚えている。
 この「志」に由来する「異体仮名」と呼ばれる文字が、漢字ではなく仮名であることを、同じ著者の前書『百年前の日本語』(岩波新書)で詳しく知れたことにより、「津」に濁点が付されることにも評者なりの合点はいったが、本書第五章では、その時代が、特に教育との関連から活写される。
 文字教育は、その時代の意図を反映する。文字が、知識階級の専有物から大衆の情報ツールとなっても、音声や文法と異なり、文化的学習を経て身につけられる「ものを書くという行為」には、人為が絡みやすいからだ。さまざまな思いが交錯した時代の文字教育の描写は、読む者に興奮すら与える。
 おしむらくは、章によって、専門的な内容を難しく語ってしまい、理解に骨折る箇所が多くなっていることである。鎌倉時代の記述は、基礎知識のない専門外の者には、やや難しい。
 また、言語と表記を語るならば、広く世界の多くの言語の書記法と比較するのも、日本語をよりよく知る一方略となろう。
 ただ、それらを措(お)いても、日本語の「特殊な」表記がいかに紡がれてきたか概観する良書であることは間違いない。
(岐阜大学教授 山田 敏弘)



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歴史的仮名遣(れきしてきかなづかい)とは、仮名遣の一種。現代仮名遣いと対比して旧仮名遣(きゅうかなづかい)とも呼ばれるが、別称として「復古仮名遣い」とも、また「古典仮名遣い」とも呼ばれる。
198671日に告示、訓令された「現代仮名遣い(内閣告示第一号)」の巻頭部おいては、歴史的仮名遣いと記されている[1]
歴史的仮名遣で書かれた戦前の御茶ノ水駅駅名標
お茶 開拗音 「ゃ」 は大書きし、 「みづ」 となる。(表記法則を参照)

概要[編集]

歴史的仮名遣とは一般には、江戸時代中期の契沖による契沖仮名遣を修正・発展させ、明治から第二次世界大戦終結直後までの公文書や学校教育において用いられたものであり、平安時代初期までの発音を反映した表記であると仮想されたものを基点としている。第二次大戦ののち、国語国字改革の流れによって「現代かなづかい」が告示されるまで、公教育の場で正式な仮名遣として教えられていた。現在の公教育では古典文学作品における教育でのみ使用される。
なお本項では一般的な仮名による正書法の意味では「仮名遣」とし、根拠の異なる2系統の仮名遣を「歴史的仮名遣」と「現代仮名遣い」として、表記を統一する。ただし固有名詞である「現代かなづかい」などの名称についてはこの限りではない。
歴史的仮名遣は時代によって表記の揺れがある。その理由は研究の進み具合ということであるが、資料に基づく研究は契沖に始まることにより、まだいくらかの誤りが含まれている可能性は充分にある。その例の一つが「机(ツクエ)」である。戦前長らく「ツクヱ」とされ、「突き据ゑる」などの意味であるとされてきたが、平安初期の文献を詳しく調べたところ、戦後の今ではヤ行のエ「突き枝(え)」が正しいとされ、「机(ツクエ)」と綴られる。ほかにも紫陽花のように諸説あるものは多く、紫陽花は古形「あつさゐ(あづさゐ)」から「あぢさゐ」であるとされる。現在では訓点語学上代語研究の発達により、大半は正しい表記(より古い時代に使用=語源に近いと考察される)が判明している。これらの特に疑わしい使用例は疑問仮名遣と呼ばれる。
また誤用による仮名遣のうち、特に広く一般に使用されるものを許容仮名遣と呼ぶ。「或いは(イは間投助詞であるが、ヰやヒと綴られた)」、「用ゐる(持ち率るの意だが、混同によりハ行・ヤ行に活用した)」、「つくえ(先述のツクヱ)」などでの誤用である。
なお「泥鰌(どぢやう)」を「どぜう」としたり、「知らねえ」を「知らねへ」としたりするのは歴史的仮名遣ではなく、江戸時代の俗用表記法であり、特にその根拠はない。

字音仮名遣の扱い[編集]

漢字音の古い発音、中国大陸での音韻を表記するためにつくられた仮名遣いを字音仮名遣と呼ぶ。歴史的仮名遣における字音仮名遣の体系的な成立はきわめて遅く、江戸期に入って本居宣長がこれを集大成するまで正しい表記の定められないものが多かった。現代仮名遣いの施行まで行われた明治以降の歴史的仮名遣では、字音仮名遣を踏襲したが、本居宣長の研究によっている。従って広義の歴史的仮名遣にはこれも含むが、和語における歴史的仮名遣とは体系を別にするものであるから同列に論ずることはできない。また、字音仮名遣は時代(表記された年代や、どの時代における支那音韻を基準とするかなど)によってその乱れが激しく、定見を得ないものも多い。
以上のような成りたちから、歴史的仮名遣論者にも、「表語(表意)」を重視する立場から見て字音仮名遣を含めない人(時枝誠記福田恒存丸谷才一)と、含める人(三島由紀夫)とがいる。前者の主張は漢字自体が表語文字だからということであるが、その場合漢字制限を指してこれに反発した(後述)。字音仮名遣の体系的な論については、字音仮名遣を参照。

歴史[編集]

契沖以前[編集]

江戸時代の契沖が仮名遣についての研究を世にあらわす以前、仮名遣にはおよそ以下のような推移があった。
国語表記の始まった上代の借字(万葉仮名)では、上代特殊仮名遣が行われたが、平安時代初期に仮名が発達して借字が衰退し、同時に上代特殊仮名遣も衰退した。平安中期になるとあめつちの詞にみられるような、ア行のエとヤ行のエの区別が上代特殊仮名遣の衰退と共に薄れた。
こうした表記上の変化については、時代とともに日本語の音韻が以下のように変化したことによると推測されている。
·         平安初期に上代特殊仮名遣が消失、甲類乙類が同化。
·         平安初期から中期にかけての上代特殊仮名遣の衰退に合わせて、ヤ行のエと「エ」の区別が消失。
·         ハ行転呼が平安初期(すでに奈良時代から始まっていたとする論あり)から長い時間をかけて滲透、鎌倉時代には「ハヒフヘホ」が「ワヰウヱヲ」と同化。
·         平安中期以降、ア行「オ」の音がワ行「ヲ」に変化し合流する。
·         平安中期あたりから「ヰ」・「ヱ」と「イ」・「エ」の混同が見られ、鎌倉時代にはほぼ合一する。
だいたいこれが主な表記同化の流れである。表記が同化した理由は、多く「音韻が変化したため」と推測されているが、上代特殊仮名遣に関しては特に異論が絶えない。ともかく何らかの理由、一般には音韻変化により表記が変則的なものとなり、合理性や正則性を重んずる上で不都合が生じたと推測されている。『仮名文字遣』の序文には「文字の聲かよひたる誤あるによりて其字の見わきかたき事在之(文字の音が重なって誤りがあるから、だからその文字の区別を示す)」とあり、つまり変則を誤りとして、正しい表記を指南する必要が生じた。これが仮名遣が考えられるようになった起こりである。ただし当時の仮名は、日常で使用する限りにおいては、その使用を妨げるほどの表記の混乱、すなわち変則はなかったことも指摘されており、この変則を交えながら慣習的に使われていた仮名遣は「平安かなづかい」とも呼ばれている。
鎌倉時代になると、藤原定家が仮名を表記する上での規範を必要として仮名遣を定め、その著作『下官集』の中でその語例を示した。のちに行阿がそれを補充整理して著したのが『仮名文字遣』である。このなかで示された仮名遣を行阿仮名遣とも呼ぶが、これが一般には「定家仮名遣」と称されるものである。その後明治時代に至るまで、この定家仮名遣が教養層のあいだで広く使われていた。『仮名文字遣』は以後もその語例が後人によって増補される修正がなされた(定家仮名遣の項参照)。
しかし、定家の調べた文献は充分古いものではなく、すでに音韻の変化により変則した表記を含んだものであった。また、「を」と「お」の仮名については、当時の語のアクセントに基づいて表記が使い分けられたので、上代のものとは異なる仮名遣を記す用例が出る結果となった。

国学における研究[編集]

仮名遣が音韻の変化する以前の古い文献に基づいて研究されるのは、契沖の「契沖仮名遣」に始まる。
江戸時代初期の元禄時代、僧契沖が『和字正濫抄』を著し、契沖仮名遣を定めた。これは『万葉集』や『日本書紀』などの古い文献に基づき定めた点で、国文学の研究上画期的なことであった(国文学の原流となる)。契沖は「居(ゐ)る」と「入(い)る」などのように、「語義の書き分け」のためにあると結論し、時枝誠記はこれを「語義の標識」と呼んだ。江戸時代中期には楫取魚彦や本居宣長が契沖仮名遣を修正し、ここに歴史的仮名遣は表記の上でほぼ完成の域に達した。同時にこの頃に本居宣長は字音仮名遣を定めた。字音仮名遣の賛否は、現在の歴史的仮名遣論者でも分かれる。江戸後期には本居宣長の弟子石塚龍麿が『古諺清濁考』と『假名遣奧山路』を著し、上代特殊仮名遣の存在が明らかとなった。奧村榮實は『古言衣延辨』で、石塚龍麿による上代特殊仮名遣を過去の発音の相違によると推定した。なお上代特殊仮名遣についての研究は大正6年(1917)、橋本進吉が『帝國文學』で発表している。

明治以降[編集]

明治時代になって公教育では、上で述べた契沖以来の国学の流れを汲む仮名遣を採用した。これが歴史的仮名遣と呼ばれるものである。歴史的仮名遣とは契沖仮名遣と字音仮名遣であった。
明治維新前後以来、国語の簡易化が表音主義者によって何度も主張された。それらは漢字を廃止してアルファベットローマ字)や仮名のみを使用するもので、中には日本語の代わりにフランス語の採用を主張するものもあった。表記と発音とのずれが大き過ぎる歴史的仮名遣の学習は非効率的である、表音的仮名遣を採用することで国語教育にかける時間を短縮し、他の学科の教育を充実させるべきであると表音主義者は主張した。これに対して森鴎外(彼は陸軍省の意向も代弁した)や芥川龍之介といった文学者、山田孝雄ら国語学者の反対があった。民間からの抵抗も大きく、戦前は表音的仮名遣の採用は見送られた。
昭和21年(1946)、連合国軍最高司令官総司令部GHQ)の民主化政策の一環として来日したアメリカ教育使節団の勧告により政府は表記の簡易化を決定、「歴史的仮名遣」は古典を除いて公教育から姿を消し、「現代かなづかい」が公示され、ほぼ同時期にローマ字教育が始まった。以来、この新しい仮名遣である「現代かなづかい」(新仮名遣、新かな)に対して歴史的仮名遣は旧仮名遣(旧かな)と呼ばれる様になった。さらに昭和61年(1986)、「現代かなづかい」は「現代仮名遣い」に修正される。
なお、漢字制限も同時になされ、当用漢字(現・常用漢字)の範囲内での表記が推奨され、「まぜ書き」や「表外字の置換え」と呼ばれる新たな表記法が誕生した。当用漢字以後は人名用漢字が司法省(法務省)により定められ、漢字制限はJISも含めて混沌としたものとなっている。歴史的仮名遣論者では多く漢字制限にも反発することが多い。福田恆存などは、全ては国字ローマ字化のためである、漢字制限に際しては改革案がCIEの担当官ハルビンによって「伝統的な文字の改変は熟慮を要する」と一蹴されたにもかかわらず断行した、と糾弾している。
歴史的仮名遣論者からも字音仮名遣に対しては批判があがることがあり、字音仮名遣と歴史的仮名遣に対する立場は一様ではない。

表記の法則[編集]

歴史的仮名遣を読み取り、また綴るうえで実際に気をつけねばならないのは、以下の四行にまたがるもの、それと濁音の一部で、あとは考慮する必要がない。字音仮名遣については別項で扱う。
·         じぢ/ずづ(四つ仮名)
·         いうえお
·         はひふへほ
·         よ(注:ヤ行に関しては、読む上での区別は不用)
·         わゐうゑを
ヤ行については、「ヤ行下二(上二)段活用」の「越える」「絶える」などを、歴史的仮名遣に慣れてくると、「食ふ」「問ふ」などにつられて、「越へる」としがちであるため、ワ行下二段活用などと合わせて記憶する必要がある。また語中・語尾において「ア行」で綴ることが少ないのが特徴である。これはア行が発音しにくいからとされている。
動詞の活用形の判断に使用する終止形の活用語尾も含めて、以下簡単にまとめると、
·        ア列:は行・わ行
·        イ列:あ行(や行)・は行・わ行
·        ウ列:あ行(わ行)・は行
·        エ列:あ行(や行)・は行・わ行
·        オ列:あ行・は行・わ行
これらを区別して表記せねばならない。括弧は先述の「ヤ行下二(上二)段活用」や「ワ行下二段活用」などを判断するためである。表記の上での差異は括弧付きではない部分の13箇所、それと濁音の4箇所である。

歴史的仮名遣の習得法[編集]

以下の構成は大筋で「私の國語敎室」の「第三章 歴史的かなづかひ習得法」による。また現代語の語彙が中心ではあるもの、必要により上代語(ヲツなど)を含むことがある。本則と準則に分けてあるが、本則は歴史的仮名遣の表記全般に見られる一番の原則、準則はその表記全般の例外である。準則については、辞書等で調べる必要がある。ここにあるものがすべてではない。
1.   [wa]音:わ・
2.   [u]音:う・
3.   [o]音:お・・を
4.   [e]音:え・
5.   [i]音:い・
6.   [ʒi]音:じ・ぢ
7.   [zu]音:ず・づ
それぞれの語について、以上の七音を仮名十七字でどのように綴るかが「歴史的仮名遣」の内容である。ハ行の文字「はひふへほ」は「ハヒフヘホ/ワイウエオ」と読む音が与えられ、「一字二音」であるから注意が必要である。「ゐ」「ゑ」は現代仮名遣いでは扱わない文字である。

音便表記の可否[編集]

·        子となり給ふべき人なめり(『竹取物語』・かぐや姫の生ひ立ち)
·        人目をはかりて、捨てとし、逃げとするを(『徒然草』・百七十五段)
古典文学作品を読んでいると、これらのように音便が表記されていない例がまま見られる。この『竹取物語』の「なめり」は「なるめり」が「なんめり」となった撥音便の例であるが、これは撥ね仮名「ん」を表記しない例である。例えば『徒然草』の例のように、助動詞「む」の場合「ん」と表記されることがしばしばあったが、音便を表す撥ね仮名である「ん」は表記として認められない歴史があったとみられる。
「ん」や「む」については、歴史的仮名遣では「仮名遣を発音に近づける」という手段を取る。助動詞「う」は「む」に端を発するものである(オ列長音表記・志向形のくだりを参照)が、「笑はう」の表記を「笑はん」や「笑はむ」とはせず、普通は「笑はう」と表記する。「笑はむ」とする場合は中古語による文語文(擬古文)であり、助動詞「む」の推量としての用法であり、現代語の助動詞「う」の意思の役割はないと見るべきである。一方「笑はん」などは現代語に残るやや古い表現であり、「いざ行か」「豈(あに)〜せや」などと同等で、「笑はう」の語源に近い撥音便をそのまま「発音で表記する」ものである。

音韻と音便[編集]

文語で音便が許容されない理由は「訛りとして嫌われた」のではないかと福田恆存は指摘する。一方で、一般的な口語文における歴史的仮名遣で音便を表記として認める理由は、音便は局地的であるから語として認められず、音で構わないとすることである。福田恆存は更に音韻をあげて、これが妥当であると主張する。
(二 音便表記の理由)《前略》「川ぞひ」の「ひ」を「い」にすることを嫌ふほどの語の一貫性、明確性を重んじるなら、「川にそつて」も「川にそひて」と書けと言はれると、同じ常識が首をかしげる。〔fi〕あるいは〔hi〕が、子音の〔f〕〔h〕を失つて〔i〕となるのと、さらにその〔i〕が後の子音に牽制されて無發音の〔t〕になるのと、どちらが自然か。音聲學的にはどちらも自然でせう。自然だから起つた變化でせう。しかし、母音と子音とを書き分けられぬ音節文字において、「ひ」を〔i〕と讀ませるのに較べて、「ひ」を〔t〕と讀ませるほうが無理であることは明らかではないか。ここまで變化した以上、一貫性、明確性の理由だけですませてはゐられない。第二義的とはいへ、表音文字の厄介になつてゐるからには、その表音性も利用せねばならぬ。さう考へるのが常識といふものでせう。
 私の國語敎室・第二章 歷史的かなづかひの原理(福田恆存/新潮社・文藝春秋)・抜粋

長音と音便[編集]

山田孝雄は、定家仮名遣は古典に従うだけを良しとしたと指摘した。このことが「む」の撥音便などを認めようとはしなかったことにつながる。一方で、形容詞「おめでた」が「おめでた」と活用、それがウ音便「おめでた」になり、発音の上では「おめでとー」の長音になったが、歴史的仮名遣ではなぜ長音を表さず音便については表すのか、次のような指摘をした。
(第十一 形容詞の連用形を長音とせることについて)《前略》こゝに於いてか問題生ず。この音便といふものは本來發音上の一時の現象にすぎざるものなり。しかもこれらはたとひ一時の現象たりといへ、「く」の變形なる以上明かに語幹と語尾との關係を有するものなり。今調査會案の如くにせば、その語幹に變化を來すのみならず、語幹の長呼によりて一の活用形をなすことゝならざるべからず。かくてこれと同時に國語の法格の上に重大なる變動を呈するに至らむ。この故に調査會がこれを主張する以上、同時に形容詞の法則の上に如何なる改革を加ふべきかの合理的説明を下さゞるべからず。假名遣を改むと称して語法をやぶりてそのままにあるべきにあらざればなり。
 假名遣の歷史・附録一 文都省の假名遣改定案を論ず(山田孝雄)・抜粋
「今調査會案」とは大正10年(1921)の臨時国語調査会での仮名遣案であり、経緯は現代仮名遣いに詳しい。山田は音便表記は「明かに語幹と語尾との關係を有する」、「川にそて/そて」の「ひ」と「つ」が関係を持つように、「おめでた」「おめでた」も語幹が一致することで「く」と「う」の関係を有すると主張した。

音便表記の理由[編集]

これらの主張をまとめると、音便が音と妥協する(表音)ことが許される理由は、音を表さなければその音は一時の現象であるために類推できないという現実への対応の必要性と、音便の表音表記のうちに語の関係(表語)を保持できるという観念が「語を綴る」という理念と合致するから、問題はないとするところにある。

現代仮名遣いとの比較と議論[編集]

現代仮名遣いは本則が表音であること、これが歴史的仮名遣との一番の差であるが、現代仮名遣いの有する妥協点、準則である正書法の部分の多くは「歴史的仮名遣」に基づくものである。したがって、準則の部分では差が少ない。「現代かなづかい」の理念である本則や準則については、文部省の廣田榮太郞によれば次の通りである(現代仮名遣いの項参照)。
現代かなづかいは、より所を現代の発音に求め、だいたい現代の標準的発音(厳密に云えば音韻)をかなで書き表わす場合の準則である。その根本方針ないし原則は、表音主義である。同じ発音はいつも同じかなで書き表わし、また一つのかなはいつも同じ読み方をする、ことばをかえていえば、一音一字、一字一音を原則としている。
妥協点の多くが歴史的仮名遣であることは、同様に廣田が次のように述べることから明らかである。
現代かなづかいは、一音一字、一字一音の表音主義を原則とはするが、かなを発音符号として物理的な音声をそのまま写すものではなく、どこまでも正書法として、ことばをかなで書き表わすためのきまりである。したがって、表音主義の立場から見て、そこにはいくつかの例外を認めざるを得ない。それはこれまでの書記習慣と妥協して、旧かなづかいの一部が残存している点である。
これが現代仮名遣いは歴史的仮名遣を含む故に正書法であると呼ばれるゆえんである。
いっぽう国語学者の橋本進吉は、次のように述べている。
(一)假名遣といふ語は、本來は假名のつかひ方といふ意味をもつてゐるのであるが、現今普通には、そんな廣い意味でなく、「い」と「ゐ」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」、「お」と「を」と「ほ」、「わ」と「は」のやうな同音の假名の用法に關してのみ用ゐられてゐる。さうして世間では、これらの假名による國語の音の書き方が即ち假名遣であるやうに考へてゐるが、實はさうではない。これらの假名は何れも同じ音を表はすのであるから、その音自身をどんなに考へて見ても、どの假名で書くべきかをきめる事が出來る筈はない。それでは假名遣はどうしてきまるかといふに、實に語によつてきまるのである。「愛」も「藍」も「相」も、 その音はどれもアイであつて、そのイの音は全く同じであるが、「愛」は「あい」と書き「藍」は「あゐ」と書き「相」は「あひ」と書く。同じイの音を或は「い」を用ゐ或は「ゐ」を用ゐ或は「ひ」を用ゐて書くのは、「愛」の意味のアイであるか、「藍」の意味のアイであるか、「相」の意味のアイであるかによるのである。單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味があるのであるから、假名遣は、單なる音を假名で書く場合のきまりでなく、語を假名で書く場合のきまりである。
 表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)
「語に従う」とは、「音」が「語」を構成し認められるにつれ、「表音文字」であった仮名文字観念において「表語文字」、あるいは「表意文字へと変わる(すなわち、「單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味がある」)ことを述べる。また定家仮名遣が辞書的であると述べているが、「辭書はいふまでもなく語を集めたもので、音をあつめたものではない」ことから、歴史的仮名遣は誕生当初から語を綴ることを目的としたと橋本は述べる。
一方で仮名の表音性は重視すべきことかといえばそうではないと論じる。現代仮名遣いが表音を本則とするのに際して、歴史的仮名遣は表語(表意)を本則とする。「歴史的仮名遣」の本質は、「國語の音をいかなる假名によつて表はすかといふ事が問題となつたのでなく、もとから別々の假名として傳はつて來た多くの假名の中に同音のものが出來た爲、それを如何に區別して用ゐるか〔同上(5)より抜粋〕」が問題になったのであり、「文語(文字言語)」や「口語(音声言語)」に基づく仮名遣は「仮名遣」としては別の物なので注意すべきだと警告した。
留意しておきたいのは、音を明確に示したい場合に表音的仮名遣を使用する余地が歴史的仮名遣にはある点である。歴史的仮名遣では、擬音方言(方言の読みを示したいまたは語源がよくわからない場合、狭義の音便を含む)は飽くまで「音」であるから「音の書き方のきまり」である表音的な仮名遣を用い、それが「語」になって初めて「語を書くきまり」である歴史的仮名遣を遣うとよい、と橋本は述べている(昭和十五年の「國語の表音符號と假名遣」も参照)。

表音か否か[編集]

歴史的仮名遣が誕生の時点で表音を目指したものであるか、それとも表意を目指したものについて、橋本は次のように述べている。
(五)《前略》假名遣に於ては、その發生の當初から、假名を單に音を寫すものとせずして、語を寫すものとして取扱つてゐるのである。さうして假名遣のかやうな性質は現今に至るまでかはらない事は最初に述べた所によつて明かである。然るに今の表音的假名遣は、專ら國語の音を寫すのを原則とするもので、假名を出來るだけ發音に一致させ、同じ音はいつでも同じ假名で表はし、異る音は異る假名で表はすのを根本方針とする。即ち假名を定めるものは語ではなく音にあるのである。これは、假名の見方取扱方に於て假名遣とは根本的に違つたものである。かやうに全く性質の異るものを、同じ假名遣の名を以て呼ぶのは誠に不當であるといはなければならない。これは發生の當初から現今に至るまで一貫して變ずる事なき假名遣の本質に對する正當な認識を缺く所から起つたものと斷ぜざるを得ない。《後略》
 表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)
以上は「表音的假名遣」が「仮名遣」ではないとするその結論の一部である。なお「現代語の語音に基づく」べしとする「現代かなづかい」では、多く「歴史的仮名遣」が「古代語の音に基づいている」とされ、橋本進吉の主張とは異なる。金田一京助は次のように論じる。
《前略》いわゆる歴史的かなづかいは、古代語の語音に基づいている。すなわち、旧かなづかいは、古代語を書いていたものであるが、現代かなづかいは、現代語を書くことにするということである。《後略》
 新かなづかい法の学的根拠(金田一京助)抜粋
ここは歴史的仮名遣論者と現代仮名遣い(もしくは表音主義)論者との決定的な違いであるが、福田恆存はこのことを「仮名の音節文字という一面しかみていない」と糾弾する。歴史的仮名遣からみれば仮名の表音性は便利であるけれども、「仮名遣」は「語」を綴らねばならないので、音ではなく語に基づかねばならない。歴史的仮名遣は語に基づくことを理想とするけれども、時には擬音語や音便のような一定の表記がない表記のために音に基づく必要があり、この時に仮名が音節文字である現実を利用すればよいと福田は主張した。
同様のことを、国語審議会主査委員であり、主査委員二十名のうち唯一「現代かなづかい」制定に反対した時枝は次のように述べる。
云はば、表音主義は表記の不斷の創作とならざるを得ないのである。これは、古典假名遣の困難をば救はうとして、更に表記の不安定といふ別個の問題をひき起こすことになるのである《中略》
傳統は、單に無意味な文字の固定を、ただ傳統なるが故に守らうとするやうなものではない。本來表音的文字として使用せられた假名は、時代と共に、表音文字以上の價値を持つものとして認識せられて來る。それは觀念の象徴として、例へば、助詞の「を」「は」「へ」の如きはその最も著しいものであつて、ここに於いて文字發達史の通念である表意文字より表音文字への歷史的過程とは全く相反する現象が認められるのである。
 國語審議會答申の<現代かなづかい>について(時枝誠記/國語と國文學・二四ノ一・二/至文堂・昭和二十二年)
時枝は、国語審議会の委員から違和感が多いからと妥協することになった「現代かなづかい」共通の表記「を」「は」「へ」の例をあげて、「観念では語のうちに表音より表意が優位」であると、現象のうちに「歴史的仮名遣は、表音(古代の音韻)ではなく、表意に基づく」ものであると述べた。

現代かなづかいへの批判[編集]

第二次大戦後に行われた国語改革に対しては、批評家・劇作家の福田恆存が『私の國語教室』を書き、現代仮名遣いに論理的な矛盾があると主張し批判を行った。現代仮名遣いは表音的であるとするが、一部歴史的仮名遣を継承し、完全に発音通りであるわけではない。助詞の「は」「へ」「を」を発音通りに「わ」「え」「お」と書かないのは歴史的仮名遣を部分的にそのまま踏襲したものであるし、「え」「お」を伸ばした音の表記は歴史的仮名遣の規則に準じて定められたものである。
また福田は「現代かなづかい」の制定過程や国語審議会の体制に問題があると指摘した。その後、国語審議会から「表意主義者」4名が脱退する騒動が勃発し、表音主義者中心の体制が改められることとなった。1986に内閣から告示された「現代仮名遣い」では「歴史的仮名遣いは、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして尊重されるべき」(「序文」)であると書かれるようになった。

歴史的仮名遣の現在[編集]

「現代かなづかい」は戦後速やかに定着し、1970年代以降は公的な文書、一般出版物、新聞、私的な小説や詩もほとんどが「現代かなづかい」で書かれるようになっている。しかし、現在の「現代仮名遣い」の見直しを含む国語改革と歴史的仮名遣の復権を主張する人は今も残る。現存の作家では阿川弘之丸谷才一大岡信高森明勅等、学者では小堀桂一郎中村粲長谷川三千子等がそれであり、井上ひさし[2]山崎正和にも歴史的仮名遣によって発表された著作がある。
コンピュータで文章を書く習慣が定着している今日、従来のほとんどのインプットメソッドが現代仮名遣いを前提としていたことから、歴史的仮名遣で長文を書くことの困難は避けられなかった。しかし近年になって歴史的仮名遣いで入力できるインプットメソッド(『契冲』、『ATOK』文語モード)や、圧倒的なシェアを持つMS-IMEで使用できるフリーの変換辞書(『快適仮名遣ひ』)が供給されるなどしたため、現在のネット上の一部では根強く歴史的仮名遣が継承され続けている状況が認められる。
なお、現代仮名遣いは原則として口語文についてのみ使用され、古典文化には干渉しないとしたことにより、文語文法によって作品を書く俳句短歌の世界においては歴史的仮名遣も一般的である。また固有名詞においては、現代でも以下のように歴史的仮名遣が使用されている場合がある。
·        ハタ株式会社
·        私屋カ
·        智頭町(ちちょう)(字音仮名遣の例)


契沖(けいちゅう、1640寛永17年) - 170134元禄14125))は、江戸時代中期の真言宗であり、古典学者(国学者)。

経歴[編集]

摂津国川辺郡尼崎(現在の兵庫県尼崎市北城内)で生まれた。釈契沖とも。俗姓は下川氏、字は空心。祖父下川元宜は加藤清正の家臣であったが、父元全(もとたけ)は尼崎藩士から牢人(浪人)となったため、8人の子は長男を除いて出家したり養子として家を離れざるを得なかった。
契沖は、幼くして摂津国東成郡大今里村(現在の大阪市東成区大今里)の妙法寺丯定(かいじょう)に学んだ後、高野阿闍梨の位を得る。ついで摂津国西成郡西高津村(現在の大阪市天王寺区生玉町)の曼陀羅院の住持となり、その間下河辺長流と交流し学問的な示唆を受けるが、俗務を嫌い畿内を遍歴して高野山に戻る。室生寺では命を捨てようとしたこともある。その後、和泉国和泉郡久井村(現在の和泉市久井町)の辻森吉行や同郡万町村(現在の和泉市万町)の伏屋重賢のもとで、仏典漢籍や日本の古典を数多く読み、悉曇研究も行った。1678延宝6年)妙法寺住持分となった後、晩年は摂津国東成郡東高津村(現在の大阪市天王寺区空清町)の円珠庵で過ごした。
万葉集』の正しい解釈を求める内に、当時主流となっていた定家仮名遣の矛盾に気づき、歴史的に正しい仮名遣いの例を『万葉集』、『日本書紀』、『古事記』、『源氏物語』などの古典から拾い、分類した『和字正濫抄』を著した。これに準拠した表記法は「契沖仮名遣」と呼ばれ、後世の歴史的仮名遣の成立に大きな影響を与えた。

著書[編集]

徳川光圀から委嘱を受けた『万葉代匠記』(『万葉集』注釈書。1690)をはじめ、『厚顔抄』、『古今余材抄』、『勢語臆断』、『源註拾遺』、『百人一首改観抄』、『和字正濫抄』など数多く、その学績は実証的学問法を確立して国学の発展に寄与し古典研究史上、時代を画するものであった。

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