理想のために戦うイングランド、現実のために戦うイタリア、そしてイタリア人と共に戦う日本人  Gianluca Viali  2014.3.17.

2014.3.17. 理想のために戦うイングランド、現実のために戦うイタリア、そしてイタリア人と共に戦う日本人
The Italian Job                 2006

著者
Gianluca Viali 1960年イタリア生まれのサッカー選手。90年代にユベントスなどのクラブチーム、またイタリア代表チームでストライカーとして活躍。UAFAチャンピオンズリーグ等のタイトルも獲得。その後イングランドのチェルシーに移籍し、同クラブなどの監督を歴任。現在はサッカー解説者として活動中
Gabriele Marcotti イングランド在住のイタリア人ジャーナリスト。アメリカ、ポーランド、ドイツ、日本などに在住。豊富な経験に裏付けられた独自の視点の面白さと、取材力の高さには定評があり、ヨーロッパではトップジャーナリストの1人として位置づけられている。本書はスポーツ書籍分野でイギリスで最も権威ある賞、「ウィリアム・ヒル・スポーツ・ブック・オブ・ジ・イヤー」にもノミネートされ、2006年度の最終選考にまで残った

訳者 田邊雅之 ジャーナリスト。元『スポーツ・グラフィック・ナンバー』(文藝春秋)欧州サッカー担当デスク。現在はフリーランスとして『ナンバー』等の媒体で執筆中

発行日           2013.6.4. 第1刷発行
発行所           学研教育出版

序文
本書は、私がイタリアとイングランドの間を行ったり来たりしながら様々な人と会い、フットボールや人生、火星や金星に関する話題に至るまであらゆることを語りながら過ごした、30か月の記録
まず選手について触れる。どこから来たのか、なぜイタリアとイングランドの選手は違うのか、選手たちにどう教えればよいのか、いかにして彼等をより良い選手に育てることができるのか
次に、全ての要素を束ねる監督とコーチ。どのようにして自分たちの監督を選んでいるのか、監督を首にする決断はいかに下されるのか、監督たちはなぜ特定の戦術を用いるのか
最後に、フットボールを特別な存在たらしめている「その他」の要因を検証する。金と代理人、審判、観客、メディア、クラブ、運営組織などはフットボールに色彩を与え、我々とフットボールとの関わり方に影響を及ぼしている

第1部        フットボール選手 The Footballer
国が違えばフットボールも違うが、ステレオタイプではなく、遙かに複雑で急速に変化を続けている
過去40数年に西ヨーロッパで起きた最大の変化は、膨大な数の中産階級の誕生
かつては、ストリート・フットボールが盛んだったが、豊かさが才能あるフットボール選手を育む敵となる
イングランドのフットボール選手は大多数が労働者階級の出身だった。自分の息子がフットボーラーだということは、親が何らかの形で失敗したということの証
イングランドでは、伝統的にラグビーとクリケットは特権階級のスポーツで、フットボールは労働者階級のものとされた ⇒ 「ラグビーは紳士がやる野蛮なスポーツで、フットボールは野蛮人のする紳士的なスポーツ」と言われる
特権階級がフットボールを毛嫌いした側面の1つとして、フットボールのプロフェッショナリズムがある ⇒ 19世紀後半にはプロが確立していたが、ラグビーは90年代になるまでアマチュアリズムに対する拘りを宗教的な情熱のように維持してきたし、ラグビーにプロフェッショナリズムを導入することは神殿に貸金業者を入れることと同等であるかのごとく嫌悪してきた
フットボールの選手たちは長らく低賃金でクラブに縛られていたが、62年に最高賃金が撤廃され、契約解除後は裁判所の定めた金額で移籍が可能になって、漸くフットボールが職業として成り立つようになる ⇒ 自由契約制度が実現するのは30年後
テレビの普及によって子供たちがヒーローのプレーを間近に見られるようになったこともフットボールの普及に役立つ
イタリアの場合、ユースの指導は、可能な限り優秀なフットボール選手を育成することが主眼であるのに対し、イングランドの場合は、スポーツを通じてチームワークやスポーツマンシップといった価値を理解させること、そしてフットボールを楽しむことが重要視される
イタリアの子どもたちは、プロと同じやり方で練習する。イタリアの少年にとってフットボールとは、仕事として真剣に取り組むべきものであり、楽しむとしてもプロフェッショナルな作法で楽しむ
イングランドでは、学校のチームで組織的なフットボールに出会うパターンが多く、フットボールは学校の延長――娯楽としての側面を持っている
イングランドの選手は、コーディネーション能力(体全体を連動させて動かす能力)で劣りする一方、持久力に優れる
他方、外国人選手は、柔軟性と俊敏性に優れ、瞬時にペースを上げる能力では上回る
これは子供時代にやるトレーニングの影響ではないか ⇒ イングランドでは伝統的に常にボールを使ってトレーニングするし、8855で実戦形式の練習を行う一方、イタリアではより目的が絞り込まれた練習をする。止まったり走り出したりする練習、加えて個々の選手の基礎技術を上げることを目的とした練習がなされる
フットボールの選手の力量を測る4つの指標
   テクニカルな能力 ⇒ すべての基本的なスキル
   運動能力 ⇒ 強さ、スタミナ、速さ、コーディネーション、跳躍力、敏捷性
   試合の理解力 ⇒ 戦術的知識と判断力、頭の良さの組み合わせ
   肝玉 ⇒ 勇気。自分の能力に対する自信であり、自分の能力を信頼する力、ハードワークへの意欲、挫折から立ち直る能力
最初に子供たちに教えるべきは、フットボールを楽しむこととテクニックを磨くこと
イタリア人にとってフットボールは仕事。イングランド人にとってのフットボールはゲーム(スポーツ)
イングランドや日本では、選手が監督の言うことを信じて指示通りに動くが、フランスやイタリアでは選手たちはある程度の範囲までしか監督を信頼しない。監督は、自分が選手にやらせることは彼等の役に立つのだということを証明しなければならない
権威というものに対する敬意の感覚が国によって異なる ⇒ イタリアでは、特定の人物と、その人物が果たす役割を分けて考えない傾向があり、警察を嫌う人は警官を1個人として嫌い、憎悪の対象は警察が象徴するもの以外にまで向けられる。一方、イングランドでは役人が批判される際も一定の節度があって、人格批判やプライベートにまで批判の矛先が向けられることは稀
イングランドでは「監督のために仕事をする」という表現をよく耳にするが、他の国ではありえない ⇒ 選手交代の時の選手の反応が違う
合理性ではラテン文化の方が優れている ⇒ 物事を分析したり、じっくり考えていくことに対してよりオープンな姿勢を保つ。フランスにはデカルトがいたし、イタリアにはマキャベリがいた
0-3で負けている試合の後半の残り時間が少なくなった時、イングランドの選手は何等かの奇跡が起きるのを期待するが、イタリアの選手はダメージを最小限に抑えることに集中 ⇒ ゴールを入れて2-3になった時、急いでピッチ中央に戻るのは、相手に得点の機会を与えることにもなる
イタリアでは、2-0のリードを守りきれないことの方が、0-6で敗れるよりも罪は大きい ⇒ 守りに入ってゲームを殺したという、メンタル面での過ちを犯したことを意味するためで、メンタル面はフィジカルや技術面よりも確実にコントロールできる要素だけに過ちは許し難いと受け止められる。ワールドカップやユーロでイタリア代表が2点差のリードをひっくり返されたことや引き分けたことは、05年のイスタンブールまではなかった
イタリア人アスリートにとってあらゆる犯罪の中で最も罪が重いのは、試合を優勢に進めながら取りこぼすこと。とはいえ、ある種の初歩的人道主義で、全てのものは平等で、傷つけ合うよりも助け合う方が良いとする信条もある。これは、恵まれない人たちへ向けられた強い連帯感に直結しており、第二次大戦以後のイタリアでは思想的な特徴となってきた。194590年のあいだ、イタリアにおける政治と社会情勢をあらかた形作ってきた二大勢力は、ローマ・カトリックと共産党だったが、どちらの集団も互いに助け合い、「公共の利益」に向けて働きかけることを説いている
シーズンの終盤、どちらのチームも勝ち点を必要としている場合や、逆にどちらも必要としない場合は、真っ向から正攻法で戦う。だが一方のチームに戦う動機が見当たらず、他方のチームが崖っぷちに立たされている場合には勝ち星を譲る傾向は非常に一般的。シーズン終盤になるとブックメーカーがこういう試合の賭けを引き受けなくなるほど。実際、自分たちに必要のない勝ち点を対戦相手に与えないのは、不作法で粗野な行為だと見做される
イングランドではこういう思想は全く存在せず、順位に関わらず最終節まで全力で戦う

第2部        監督
「イタリアには代表監督が6千万人いる」と言われ、誰でもジェラール・ウーリエやアルベルト・ザッケローニよりも良い監督になれると本気で信じている
イタリアでは、フットボールの指導者は1つの職業として見做されている ⇒ 58年にコヴェルチャーノ・コーチングスクールが設立されて以来、ライセンスを取ることが義務付けられている
監督になるためにトップクラスの選手であることは必ずしも必要ないが、フットボールの世界にいることは必要 ⇒ イギリスで育成された監督のうち1/3近くが選手として際立った経験を積んだことのない人物
セリエAの平均的な監督端株リーグで7シーズンを過ごすのに対し、イングランドの監督がプレミアシップ以外のリーグで過ごすのはセイエAの半分以下の34
イングランドでは、有名選手や若手を起用するケースが目立ち、経験不足の監督に仕事を与えることが、イングランドのフットボールにダメージを与えてきたのは明らか。指導者育成コース自体の歴史が新しい
チャールズ・ヒューズは、6070年代を通じ、イングランドのフットボール界で最も影響のあった人物。FAのテクニカル・ディレクター。ロングパスによるダイレクト・プレーの主唱者で、ブラジルやオランダで好まれるボールボゼッション重視のスタイルに対抗
POMO:Position of Maximum Opportunity ⇒ ピッチの中で最も得点が生まれるチャンスが多いポジション
『孫子』がフットボールの戦術にも応用できる
   あらゆる戦争は騙し合いが基盤。混乱を装って敵を潰すべし ⇒ 囮となって走ること
   勝負に勝つには、事前にたくさんのケースを想定して計算し、勝ちそうかどうかを予測
   作戦とは水のようなもので、地形に合わせて流れる道が決まる。敵に対応することで勝利を得る
   敗北を想定した立場に自らを置き、それから敵を負かす機会をうかがう ⇒ 守備優先
イングランドでは、全てのチームは4-4-2でプレーするため、ある種の偏狭さのツケを払わされている可能性 ⇒ 戦術的な練習をしないため、選手が戦術について考えず、4-4-2以外のフォーメーションを使った場合のポジション取りや、ポジションの修正の仕方に気を配るという習慣がない。1つのポジションしかこなせないようなプレーの幅の狭い選手が多くなりがち
監督はすぐに弾丸を食らう(クビになる) ⇒ 0004年の間、上位2部リーグの監督のうち4年間変わらなかったのは、イングランドでは30%の11チーム、イタリアでは10%の3チームのみ
同じ4年間、イタリアで最も成功したクラブ、ローマ、ラツィオ、インテル、ユベントス、ミランは、合計して15人の異なる監督を起用。イングランドのビッグ5、アーセナル、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッド、リバプール、ニューカッスルはたった6人の監督しか起用していない
同様に、イタリアでは平均4.7名の監督を起用(1シーズンあたり1人以上の監督を雇った)したのに対し、イングランドでは2.8
イタリアでは、1つのクラブを指揮した場合は、次のシーズンになるまで別のチームの監督にはなれない
イタリアでは結果がすべてで、勝てなければすぐに更迭されるが、それは「監督としての仕事」が失敗に終わったということで、「監督として失格」ということにはならず、特定のクラブで結果の出なかった監督を他のチームが何度も迎え入れる ⇒ ザッケローニもミランから首を切られた直後、ラツィオとインテルでの職を得ている
イングランドでは、監督在任中はあらゆる失敗を大目に見てもらえるが、いったん解雇されると監督として「偽物」と見做され、再就職が困難 ⇒ サー・アレックス・ファーガソンが7837歳の時にセント・ミレンから解雇された時は例外。アバディーンが彼を傷者扱いしていたら今日のイングランドのフットボールの歴史はかなり違う展開をしただろう
良い監督の資質とは ⇒ ①披露するフットボールの質、②個人レベルで選手の成長を促せるかどうか、③クラブに与える長期的なインパクト(プレーの哲学やクラブの基盤、イメージといったレベルの問題)
ミランに来た外国選手は3か月程度でメディア向けのインタビューをイタリア語でこなせるようになる ⇒ 語学の習得を最優先事項にしている
イングランドでは、ごく最近トップレベルのリーグで能力を証明した監督以外は、懐疑的な眼で見られる ⇒ 96年にベンゲルが日本からアーセナルに来たときは、ある新聞が「アーセン誰?」と裏面ぶち抜きで新聞に載ったほど。チャンピオンズリーグのディフェンディングチャンピオンであるモウリーニョが05年チェルシーに移った時も最初は根強い疑いの眼差しで見られた ⇒ 私が33歳でチェルシーの選手兼監督になった時は18か月の選手としての在籍と実績で幾分正当化された側面もあった

第3部        その他の人々
メディアや街行く人々からの受け止められ方も、選手の成り立ちに顕著な影響を及ぼす
スポーツマンからセレブリティへの変化に伴って報酬に変化、特にイングランドで起きている変化は驚異的 ⇒ 昔は一律週給20ポンド、90年に6,000ポンドの契約があって世間をあっと言わせた
選手が自分のフットボール界での位置を知る(「スコアをつける」)目安が報酬
肖像権 ⇒ ベッカムは代表格
審判も重要な要素 ⇒ いつの日か「完璧な」フットボールを作り出せる日が来ることは期待できても、審判のミスが無くなることは考えられない
フットボールはエンターテインメント産業であって、スポーツではない
審判の仕事の中で重要なのは、判断を下す作業 ⇒ 何を見て、何を見なかったかではなく、実際に見たものに対してどう判断を下すのか。試合全体を見ながら大局的な見地で判断するため、試合ごとに「一貫性」が無いように見える場合もある
イタリアのファンは、40ヤードからシュートを打った場合、得点にならない限り批判するが、イングランドでは完全なミスキックでも賞賛される。ファンが選手を称える方法もイングランドのフットボールを他の国と違ったものにしている。ファンは選手を自分たちの仲間だと思っているので、同族意識と尊敬の念が常に存在しており、不平を言う時も上の人間に対して文句を言う

結論
1848年、ヘンリー・デ・ウィントンとチャールズ・スリングというケンブリッジ大学の2人の学生がイングランドの様々なカレッジの代表者と会合をもって、フットボールの競技規則を制定して以来、フットボールは進化し続けている
ルールは時代とともに変化したが、フットボールを特別なものたらしめている要素は見失われてはいない。それはシンプルさ
フットボールの真髄を、イタリアとイングランドを比べて考えてみたが、まだまだいろいろな疑問があって確たる答えは見つからない

あとがき
本書が06年に出版された直後に2つの両極端な事件に見舞われた
1つは、「カルチョ・スキャンダル」 ⇒ 斡旋収賄事件
もう1つは、06年ドイツ・ワールドカップにおけるイタリアの優勝
優勝は、イタリアフットボールのあらゆる強味や上手く機能している部分、我々が誇れる要素がすべて組み合わさった結果。ドイツとの準決勝、0-0の延長戦でミッドフィールダーを下げデル・ピエロとイアクインタの2人のストライカーを投入、トッティとジラルディーニョと併せて4人のストライカーをピッチに立たせたリッピの采配こそ豊富な経験と分析の産物。試合はかなり速いテンポで行われていたため両チームとも明らかに疲労が蓄積、ラインが間延びしてピッチのあらゆるところにスペースが出来始めていた
イタリアのフットボールは、結果への異様なまでの拘りのために、スタイルや美学を犠牲にした

第4部        変わったイタリア、変わらぬイングランド、そして変わりゆく日本
ペーパーバック版の出版から6年経過、その間ヨーロッパの主要なリーグで、フットボールのスタイルが収束する傾向が続いている
イタリア・フットボール界はカルチョ・スキャンダルの激震で、ユベントスがセリエBに降格、ミラン、フィオレンティーナ、ラツィオも何らかのペナルティを課せられたが、同年のワールドカップで優勝、ミランがチャンピオンズリーグを制しイタリア・フットボールの健全な部分が逞しく生き残り続けたことを示した
2010年は悲惨な結果に終わったが、若手は着実に育ってきている
他方、イングランドはいつもと同じような限界を何度となく露呈し続けている
現在のイタリアは、「良いフットボールをすること」、より正確には「ゲームを作ること」が優先事項であり、自分たちのやり方を貫き、試合を仕切ろうとするチームが求められる
カテナチオ(5060年代イタリアで流行した固い守備を重視する戦法)とカウンターアタックから、ポゼションとパスによって試合を仕切るスタイルに変化
イタリアのフットボールに於けるもう1つの変化は、セットプレー重視の傾向
ヨーロッパデハ、グアルディオラのバルセロナが最大の話題 ⇒ メッシをサイドからセンターフォワードに移して得点能力を上げたことと創造性とテクニックに優れた集団を、ボールを持っていない時には走り屋と働き蜂の集団になるように説き伏せたこと(10秒ルール」→ボールを失った場合猛烈な勢いで10秒間プレスをかける)によってボール支配率は70%に達した。選手の走る量と質も他のチームを圧倒
ザッケローニが日本の代表監督としてどんな仕事ができるか興味 ⇒ トップレベルのプロ選手としてプレーした経験がないにもかかわらずイタリアのビッグ・クラブの監督をいくつも経験した手腕には期待
一流の監督になるために真に必要なのは、選手の心を読み取る感受性と能力
ザッケローニは、創立100周年のミランを指揮、ラツィオを逆転して優勝
コレクティブなフットボールの信奉者であり、まずはシステムありきで選手は二の次という考え方で、自分たちで試合のイニシアチブを握れるようなタイプのチーム作りを目指す



ワールドカップブラジル大会が開催される今年、サッカーという競技の楽しさ、奥深さを伝える優れた書籍を選ぶべく、新たに創設された「サッカー本大賞」。今回は、2013年に刊行されたサッカー本の中で8作品が優秀賞として表彰され、その中から「サッカー本大賞」「翻訳サッカー本大賞」「読者賞」という3つの特別賞が発表された。
2013年に出版された本の中で最も多くの手に取られたであろう「読者賞」。フットボールチャンネルでの投票数で最も多かった書籍に決定するこの賞に輝いたのは、美しい写真が織りなすフォトエッセイ集『ボールピープル』(近藤篤 著、文藝春秋)。
 続く「翻訳サッカー本大賞」には、『理想のために戦うイングランド、現実のために戦うイタリア、そしてイタリア人と共に戦う日本人』(ジャンルカ・ヴィアリ、ガブリエル・マルコッティ 著/田邊雅之 監修、学研教育出版)が選出された。
 最後には、「サッカー本大賞」が発表され、「読者賞」に続き、『ボールピープル』が第1回目のサッカー本大賞に輝いた。「サッカー本大賞」と「読者賞」の2冠を授賞した著者の近藤篤氏には、賞金とトロフィーが授与された。


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