忘却のしかた、記憶のしかた―日本、アメリカ、戦争  John W. Dower  2014.2.16.

2014.2.16.  忘却のしかた、記憶のしかた日本、アメリカ、戦争
Ways of Forgetting, Ways of Remembering: Japan in the Modern World 2012

著者 John W. Dower 1938年生まれ。アマースト大卒、ハーバード大博士号取得。近代日本史、日米関係史、マサチューセッツ工科大名誉教授

訳者 外岡秀俊 1953年生まれ。東大法卒後朝日新聞社で学芸部、社会部、ニューヨーク、ロンドン特派員、編集委員など歴任。現在ジャーナリスト活動を続けながら、北大公共政策大学院研究員

発行日           2013.8.2. 第1刷発行
発行所           岩波書店

冷戦の終焉、戦後50年という節目に於いて、またイラクやアフガニスタンでの新しい戦争が進行する中で、日本とアメリカは、アジア太平洋戦争の記憶をどう呼び起こし、何を忘却してきたのか―――。
ポスターや着物に描かれた戦争宣伝や修辞、ヒロシマ・ナガサキの語られかた、戦後体制の中で変容する「平和と民主主義」、E.H.ノーマンの再評価など・・・・。過去をひもとき、いまと対置することで「政治化」された歴史に多様性を取り戻す、ダワーの研究のエッセンスが凝縮された、最新の論集
1993年以降に発表したエッセイ・評論に、著者自身による書下ろしの解題をつける

11編の論文のうち、第1章は抄録の再録 ⇒ 194070年代初めにかけて近代日本に関して英語で書かれた様々な論考の歴史に注意を呼びかける実践的な出発点になろう
残る10章は、1993年に『戦争と平和における日本』として刊行された評論集の後に書かれた論文で、大半が1945年以降の日本を取り扱っている
近代世界における日本を時事的に扱うにあたって、「忘却」と「記憶」がいかに複雑であるのかということを、直接また間接的に伝えるようにしたい
この本で新しいのは、各論文に着けた解題 ⇒ 自分が書いた文章を「歴史」として振り返り、文章が書かれた当時の環境を考えてみた

第1章        E.H.ノーマン、日本、歴史のもちいかた
解題: 1956年に駐エジプトのカナダ大使に任命されたノーマンは、米上院公聴会で「信頼できない人物、多分は共産主義者スパイ」と非難され、57年カイロで自殺。ナセルがスエズ運河を国有化した後、56年に英・仏・イスラエル軍がエジプトに侵攻して起きた危機に彼は深く関わっていた。彼の師であり支持者でもあったカナダの外交官ピアソン(のちの首相)は危機を鎮静化した国連緊急軍派遣に当たって主導的な役割を果たして57年ノーベル賞受賞
宣教師一家で日本に生まれ日本語にも堪能だったノーマンは、トリニティ・カレッジで古典歴史の学士号、ハーバード大学院で日本史の博士号を取得、4049年外交官でありながら封建末期~近代初期の日本についていくつもの鋭利な長論文を書いた。4552年日本の占領当局へのカナダ政府代表として東京へ急派。彼の日本に関する先駆的な研究は、日本の民主化に挑む多くの改革派アメリカ人の政策立案者や行政官にとって一種のバイブルになった。ノーマンの著作の特長は、「無名のものへの愛着」
共産中国の成立に対するヒステリックな反応の犠牲者になったのがノーマンで、若き日の左翼思想と左翼仲間との付き合いまで遡って非難され、英語圏に於けるアジア研究を捻じ曲げた

1940年『日本における近代国家の成立』を出版
31年以降の日本の侵略が、果たしてそれ以前の政策からの逸脱を示しているのか、あるいはそれ以前の政策だけでなく、まさに日本という国家の性格が招いた結末でもあったのかという問題について、ノーマンは後者に与している ⇒ 日本人戦犯の有責性を評価するにあたって、1928年の張作霖爆殺事件をその分岐点だと立証した東京裁判を、ノーマンは「根はもっと深い」と暗に批判

第2章        2つの文化における人種、言語、戦争――アジアにおける第二次世界大戦
解題: 人種差別的な考えは、アジアにおける戦争の全ての側に国民の団結をもたらし、殺戮を容易にさせた。英米人と日本人という敵対者が、それぞれのやり方で、戦意を高揚し、戦争遂行を煽るために、人種的なアイデンティティを汲み上げたが、ひとたび日本が敗北したことがわかると、殆ど霧消した

ほとんどのアメリカ人にとって、第二次大戦はいつも、何か特定のものを意識し、ほかは忘れ去るものだった。自由、民主主義、正義といった御旗のもとに、特定の人種の陸海軍と戦うことの偽善性は、ついぞ率直に認められたことはなく、いまはほとんど忘れられている
戦争の最中にアメリカ人が最も残虐と見做していた敵はドイツ人ではなく日本人であり、ほとんど例外なくアメリカ人は日本人が比類ないほど邪悪であるという考えに憑りつかれていた。「アメリカ人の全歴史に於いて日本人ほど嫌われた敵はいなかった」と言われたが、最も敬愛されたアメリカ人戦争特派員のアーニー・パイルですら、同じ感情を示し、欧州戦線の後太平洋戦線に派遣された後、数百万の読者に向かってこう書いた。「欧州で我々は敵が不倶戴天の存在だと感じたが、それでもまだ人間だった。ここにきて間もなくわかったのは、日本兵が何か人間以下で、ゴキブリやネズミのようにおぞましいものとして友軍から見下されていることだった」。穏健な雑誌も、「なぜアメリカ人はナチスよりジャップを嫌うのか」という表題の記事を載せたし、米政府はやがて最高裁のお墨付きも得て、ドイツ系、イタリア系ではなく、日系アメリカ人を強制収容することによって、日本人を人種上の敵に指名することを公認した
アメリカが人種を考えるにあたって、ドイツ人とそのユダヤ人虐殺よりもむしろ、日本人に重きを置いたのは、アメリカでは反ユダヤ主義が強く、ホロコーストは知りつつ無視したか、無関心の事柄に属していたのに対し、日本の侵略行為は白人優越主義の最も深い奥底まで刺激し、世界の終末論に近い反応を引き起こした。欧州の戦争は、如何にひどいものである身内の戦争で、西洋文明の本質を脅かすことはなかったが、太平洋戦争は世界支配を巡って東洋人が西洋人に仕掛けた戦争と決めつけたし、ドイツという敵はナチスという「悪いドイツ人」で括られたのに対し、日本という敵は「東洋人としての日本人」にまで嵩上げされていた。真珠湾に続く緒戦の東南アジアでの宗主国列強に対する日本の驚くべき勝利は、最悪の「黄禍」の悪夢を正夢にしたかに思われた
日本人もまた人種差別主義者であり、白人の敵に対しても、「大東亜共栄圏」に組み込まれたアジア人に対しても、それぞれ違った意味でだが、差別的だった
アジアにおける戦争は、非常に鮮やかな事例研究を提供する。その研究を通して、人種、言語、暴力がもつれ合った糸球を、比較研究の視座から詳しく検討すべきであり、日米関係が一変してなお人種的な緊張に引き裂かれているいまでも役に立つことだろう
アジアにおける戦争は、振り返っていまだに衝撃を受けるほど非人間的な軽蔑語を広めたが、戦争がそうした掲揚を大量塗んだのではなく、こうした蔑視の言葉は深くヨーロッパ人、アメリカ人の意識に埋め込まれた人種差別の古典的な言葉の綾で、戦争はたんに弾みをつけてそれを解き放ったに過ぎない
日本人を害虫に擬したのも、元はナチスがユダヤ人に使った典型的な比喩であり、その非人間化のおぞましい結果は、アジアにおける戦争でもそのイメージが流布していたことを覆い隠したし、硫黄島では海兵隊が火炎放射器で洞窟にいる日本人を焼き殺すことを「ネズミの巣を一掃する」と表現された
ある人々を「劣等」だとか「未開」だと言って斥ける比喩は、男性支配や、エリートによる統治の理論的根拠に欠かせない。白人男性のエリートによって表現された「東洋」の神秘性と「女性」のそれとには、直観的とか情緒不安定等々、興味深い一致が見られる
日本の戦争遂行能力について、過大評価をし続けたのは、黄禍という、白人男性の人種差別の中でも最大の妖怪と重なり合ったため、とりわけ有無を言わさぬ力があった
日本人への憎悪は、単に日本人が行った残虐行為の報道から生まれただけでなく、反オリエンタリズムという、より深い源泉に由来
19世紀の終り近く、西洋で黄禍論が初めて唱えられてから、白人は三重の懸念に苛立ってきた ⇒ アジアの大群が西洋の人口を上回り、西側の支配を可能にさせた科学や技術を持つかもしれず、さらには西洋の合理主義者にとっては底知れない神秘的な力を持っているという確信であり、45年日本の降伏で懸念は一旦粉砕されるが、30年後日本が経済大国として躍り出て、他のアジア諸国がその「奇蹟」を真似るようになると、全てがまた再浮上することになる
人種差別が日本人の自己認識や他者認識を形作る ⇒ 日本人は数世紀に亘ってインド、中国から、そして最近では西洋から多くのものを取り入れて豊かになったという借りがあることを認めるが、19世紀を通して西洋の恩着せがましい態度にひりひりするような痛みを覚えてきた。欧米人から工業化を褒めそやされる時ですら自分たちが欧米から未だに未熟であると見られていることに痛いほど気づいていた
白人の人種差別が他者の誹謗に法外なエネルギーを注いだのに対して、日本人の人種差別の考えは、自分自身を高めることに集中 ⇒ より弱小な人々や国に対して西洋人の人種差別と同じほど傲岸で侮蔑的に接する態度を染みわたらせ、中国人・朝鮮人は1890年代から悟り始めたし、東南アジアの人々も開戦の直後に学んだ。日本人は自身の「指導民族」としての運命を強調。島国的狭量さが、日本人以外のすべての「よそ者」を非人格化し、自己への執着が日本人以外に対する極端に冷淡な蛮行という戦時の記録の一因になった
この人種的な考えの中心概念は、「純潔」のという深く歴史に根ざした観念 ⇒ 「純潔」と「不純」を明確に線引きし、「純潔」を近代の人種イデオロギーに転化するとともに、国家規模に拡大、「一億一心」や「大和魂」の同質性を意味するものと定義づけた。概念の曖昧さゆえに、日本国内の団結を促す手段として効果を強める。うわべではアメリカ人の神話である「Innocence純真」だが、「純真」が神話の副次テーマであるのに対し、「純潔」や「正直」は強力なイデオロギーの真髄として培養され、日本人に特有の人種的、道徳的な資質を伝えるために、密教の真言(マントラ)のように、様々な情緒を呼び起こす言葉や詩歌が導入された
西洋人が、「非白人や非西洋人は劣等」という理論を支えるためについには疑似科学やいかがわしい社会科学に頼ったのに対し、日本人はその優越性の起源を神話の歴史に求め、神聖な皇統と臣民の人種的・文化的な同質性という優越性の起源を見出した
日野葦平は「バターン死の行進」の米兵捕虜を見て、「不純な成り立ちによって国を形成し、民族の矜持を喪失した国家の下水道から流れ落ちてくる汚水を見ているような感じを受け、このようなときほど日本の兵隊が美しく、かつ、日本人たることを誇らかに感ずることはない」と言って捕虜を侮辱したが、これはアーニー・パイルが初めて「人間以下Sub-human」の日本人捕虜を見たときの嫌悪感と、ほぼ完璧な一対をなす
日本社会は、画一的であるという神話とは反対に、互いに疑り深い集団が同じ場に住む蜂の巣のようなもので、海外から来た青い目の野蛮人は、緊張と脅威を孕む「部内者/部外者」関係に呼応して、数世紀も前に日本に現れたパターンに吸収された ⇒ 「鬼」という常に存在する脅威の認識から、自分たち日本人は永遠の犠牲者であるという「被害者意識」が、対外脅威の認識と分かちがたいほどもつれるようになった
鬼畜米英というように敵を非人間化することによって殺戮をたやすくさせた(鬼退治)
日本人の思考に欠かせない「純潔」という考えは、人種と文化としての日本人に固有のものであり、「白人優越主義」に厳密に対応すると見做される「アジア人優越主義」にはならない
日本人がアジア人を観察する際の基本は、「家族」であり「その所(適所)を得る」という考えで、孔子が家庭内の関係について説いた教えに根差す言葉 ⇒ 調和と互恵関係に触れながら他方では輪郭のはっきりした階層秩序と、権威や責任の配列を示唆。家族の概念は、不平等なるものを不平等として扱うことこそ平等だという「公平な不平等」を実証しており、アジアにおける家長の地位を永遠に保つべく運命づけられていることをはっきりさせた
戦時中に浸透した人種憎悪の辛辣さを思うと、降伏後に日米人がこれほどまで迅速に、親身な関係に向かって動いたのは驚くべきこと ⇒ 反共主義が敵対者を国家レベルで団結させ、人種差別は無くならなかったが、アメリカ側にとって日本人は魅力的なペットであり「好奇心をそそる類人猿」に姿を変えた
日本への勝利が、白人や西洋固有の優越性への自惚れを強め、日本人を一層「The Little Men, Lesser Men」と見るようになる
戦時に強調された「適所」「純潔」「鬼」などのイメージは戦後の状況にも応用され、普遍的で「民主的」な価値が「純潔」の試金石となり、民主化の守護神となったのは「アメリカの鬼たち」だった ⇒ 人種差別の強迫観念は多かれ少なかれ消し去られたが、つい最近まで戦後の日米関係を特徴付けてきた「制度化された不平等」の構造に潜む人種的緊張を取り除くことはなく、権力と影響力に於いて日本が目だってアメリカより劣ったままでいる限り「従属的独立」として日本で知られる社会構造と心理は維持された
両者の関係に衝撃を与えたのは、1970年代アメリカが相対的に没落する一方、日本が経済大国になった時で、「通商戦争」や「日本円ブロック」など戦争にまつわる表現が流行、アメリカのレトリックの中で人間以下の類人猿が「エコノミック・アニマル」として復活、日本人のほうでも、アメリカによる悪魔のような「日本たたき」を非難し、日本の成功は「雑種化された」アメリカが決して真似ることも望みえない「大和民族」の同質性や純潔のお蔭だとした
時の移ろいにつれ、人種や文化、権力、地位にまつわる伸縮自在の慣用語も変わっていくが、完全に消滅することは決してない

第3章        日本の美しい近代戦
解題: 日本人はどのようにして第二次大戦を社会的に聖戦として受け入れるようになっていったか。学界も芸術家も総力を挙げた国内向けの電撃キャンペーンはどこの国よりも洗練されたと言えるが、戦争遂行の視覚的な美化の一例は伝統的な着物として身に着けた織物に戦争のテーマが導入されたこと ⇒ こうした織物が2005年アメリカの大学で展示された際、展示の豪華なカタログに寄せ、戦争美化の背景について書いたのがこの一文

第二次大戦をアジアの目から見ると、真珠湾の遙か前に戦争は始まっていた
日本の宣伝家たちは戦争の進行と共に、勢いづく中国人の反日民族主義という災いや、国際共産主義の「赤禍」に加え、西洋の人種差別主義、帝国主義、権力政治という「白禍」を加えるようになり、日本は生存をかけた聖戦に着手
聖戦という高尚なレトリックは、単に防衛的、反応的な意味以上のものを含んでいた ⇒ 日本国民にとっては生死を賭した大義であり、戦争拡大とともに戦死者への尊敬が前面に出て全てが「英霊」として崇拝された
同時代の実用的な目的のために、伝統を再発明することは、今日の歴史家にも大いに愛されている発想だが、当時の日本人を凌ぐ者はない
戦時中の視覚宣伝を支配していたのは、古風なサムライや小粋な桜花よりも、英雄的な戦闘員と、途方もなく近代的な彼らの機器のイメージで、日本の15年戦争における愛国的な着物や、様々な子供服を美しく飾った壮麗な布地の図柄は、優雅に聖戦のイメージで着飾ったものであり、日本以外にこれに相当するものは見当たらない
日本人が戦争を美化したこの愛国的な織物は、深く根を下した審美的な伝統以上のものを表していた
帝国日本が戦争に至った道のりについて、より新しい研究法は、1910年代以降日本で盛んになり始めた「近代主義」や「近代性」の多くの現れをより強調する傾向がある ⇒ 大正デモクラシーというダイナミックで非軍事的な動きが社会に広くいきわたり、近代的な大衆文化が戦争を美しく、高貴で、正当なものとした。戦後廃棄を免れた絵画や織物には堂々と戦争を美化した作品が多く、意図しないやり方で戦場と銃後を象徴的に結びつけている

第4章        「愛されない能力」――日本における戦争と記憶
解題: 戦後の日本の政治家が、戦時中の侵略行為・残虐行為を認めたがらない。政府以外のレベルではアジア太平洋戦争を振り返るにあたって人々の回顧を特徴付けたのは広く染み透った「被害者意識」。
ベトナム戦争の最中に大人になり、アメリカで政府や民間が大虐殺を体裁のいいごまかしで繕うのを目撃した私のような米国人にとって、日本の歴史的なごまかしだけを指して注意を呼びかけるような偏向は、人を惑わせるだけでなく偽善的に思える
万華鏡のように「日本の戦争記憶」について書かれた本章は、「戦争犯罪とその否定」をテーマに2002年刊行の書物に掲載

戦後同じ様な道を歩んで繁栄した日独両枢軸国だが、戦争と記憶に関する限り、両国は異なる道を歩んだように見える。ドイツがナチスの過去と向き合うことを称えられてきたのと対照的に日本人は戦争の汚点を消し去ろうとしているという酷評を浴びてきた
森喜朗首相は、日本を「天皇を中心とする神の国」と呼び、「国体の護持」という戦前の天皇崇拝の隠語を甦らせ、国際社会で最も悪名高い「死んだレトリック」の愛好者とされ日本の「愛されない能力」の最新の化身となった
しかし、いまの日本人に、「15年戦争が侵略戦争だったか」と聞くと、半数以上が肯定するのは、西洋人にとっては驚きであり、記憶と認識のギャップ
東京裁判史観が批判され、勝者のダブル・スタンダードに注意が呼び起こされ、勝者の偽善という意識は歳月と共に強まっていったのに、なぜひとり日本人だけが今も取り立てて咎められなければならないのか ⇒ 愛されない天賦の性質より、単なる反日の人種差別を反映しているのではないか
純粋に功利的な政治上の理由から、アメリカは日本の戦争犯罪の本質と巨大さを隠蔽 ⇒ 日米の合作によるものだったが、隠蔽は「日本人」の不実の1つの例とされた

第5章        被爆者――日本人の記憶の中の広島と長崎
解題: 第二次大戦は、アメリカの大衆の意識に「良い戦争」として刻み込まれ、原爆投下も美化されている。「日本」とか「日本人」あるいは日本文化、日本社会という風に、あたかもすべてが均質で同一であるかのように語るのは愚かなこと。これは、原爆がどう記憶されたのか、という問題にも当てはまる、広島と長崎について、一枚岩のような記憶の仕方はない。それゆえに本章の表題には両者の名前を入れ、1995年の雑誌『外交史』の原爆特別記念号に発表

欧州のホロコーストと原爆による大量虐殺は、それまで「近代性」の名で知られ夢みられてきたものの終りを告げ、恐れと畏怖の可能性を秘めた新世界の到来を意味したが、日本人だけが実際に核による破壊を体験したにもかかわらず、直後の数年間は原爆の被害状況は隠蔽され、「新世界」について公に語ることを許されなかった
核の惨害と無条件降伏の精神的外傷は、長い間続いていきた日本に特有の脆弱性と被害の意識を強め、原爆が戦争の悲劇的愚かしさを象徴するようになるにつれ、先の戦争そのものが根本的に日本人の悲劇と受け止められ、広島と長崎は日本人の受苦の聖像(イコン)となった
原爆の被害は、長期にわたって被害者が無視されたどころか未曽有の被害状況すら隠蔽され、日本政府による犠牲者への援助すら始まったのは52年に占領が終わってから
アメリカがもたらした被爆者の孤立は、日本社会の中での村八分によってさらにひどいものになる
占領下日本で最初に現れた犠牲者の視覚表現は、爆弾投下の報道を聞くや否や親族のいる広島に駆け付けた丸木俊・位里(いり)夫妻による素描と絵画で、50年に『ピカドン』と題した広島の白黒による素描小冊子を刊行。2人が広島を描こうとしたのは、この出来事を日本人が目にする視覚的な証言が永遠に失われると信じたから(それほどアメリカ側の検閲が徹底していたということ)
48年から活字メディアの検閲の解除が始まり、多くの日本人は初めて核の惨状について知り、A級戦犯が死刑になる一方で、同じくらい道徳に反するものがあったように見えた
原爆の被害を調べるにつれ、真珠湾後に一時的に日本に向かった日系アメリカ人も被害者だったことが判明したが、それ以上に多くの韓国・朝鮮人が死んだことが明らかになる。日本人に搾取され、アメリカ人に焼き殺されたという意味で二重の犠牲者だったが、それは日本人が犠牲者であると同時に迫害者でもあったことが暴露されたということであり、治療や埋葬でも差別されていたし、その後建立された慰霊碑も平和公園の外だった(99年公園内に移設)。こうした人種や民族の偏見や、犠牲者であり迫害者でもあるという二重のアイデンティティの緊張は。日本では決して完全には解決されることがないだろう
70年代初め、韓国人の原爆による犠牲が認知された時を同じくして、中国との関係が回復、中国における日本の残虐行為が暴露され始め、日本人にとっては広島と長崎こそが他の全ての戦争行為の上に抜きんでて聳え立つアジアにおける第2次大戦の決定的な残虐行為と見做していたところから、戦争の記憶を再びどう形作るかが激しい議論となる
ほとんどの日本人にとって、他のアジア人に対する戦争は、アメリカ人に対する戦争とは違っており、道徳観においてもっと遺憾なものだった。そして広島と長崎が、この違いについて多くの説明をする

第6章        広島の医師の日記、50年後
解題: 2次大戦~数十年間、アメリカの学界では、「適切な」歴史研究とは、公文書や著名人の回想録などを扱うものと理解され無名のもの」への気遣いはなかった
原爆の体験に関する英語で書かれた描写で影響力があったのは、ジョン・ハーシーが1946年に6人の原爆生存者へのインタビューをもとに書いた記事。占領当局は邦訳出版を禁止
195052年、広島の医師・蜂谷道彦が自ら重傷を負いながら、被爆2日後から9月末までの間に、廃墟になった病院で生き残った職員と患者に焦点を合わせて書いた『ヒロシマ日記』が日本の医学誌に連載。55年各国語に翻訳
本章は、原爆50年を記念して95年に復刊された『ヒロシマ日記』への序文

国家や文化、人種の境界を超えた残忍な戦争の終りに関する記録
広島と長崎は、アメリカ人にとっては多くの人命を救ったという美化の対象だが、日本人にとっては終わりだけではなく始まりでもあった
不可解な病状と、予期せぬ死の出現に戸惑い、やがて放射線病であると特定、その死者がすべて爆心地から1㎞以内にいたことを確かめる
終戦の詔勅を聞いて唖然とし、原爆の衝撃を上回る絶望に圧倒されるが、天皇崇拝の気持ちは強く、原爆を落としたアメリカ人ではなく、天皇を裏切った軍指導者を軽蔑・嫌悪、東条と帝国陸軍を憎んでいる
原爆がやったことは決して元に戻せない。我々のただ一つの望みは、それに正面から向き合いヒロシマから学ぶこと

第7章        真の民主主義は過去をどう祝うべきか
解題: 太平洋戦争終結50周年記念をどう表現するかを巡り、スミソニアン協会の航空宇宙博物館にエノラ・ゲイを展示すると同時に、原爆投下の必要性に疑問を投げかけたり、犠牲者の状況や、その後に続く核軍拡競争を展示したりする案は、ナイーブに過ぎた ⇒ 英雄的な記憶を覆すものとの非難から、米軍人の献身的な軍務がアメリカの将来の世代を「鼓吹」するよう脚色された展示に変えて実現
このことから反省を促す教訓は、アメリカの公共施設では、ベトナムやイラクとう第二次大戦後の議論の多い戦争について、将来関心を振り向けることは期待できないということ。そうした戦争に人々はどんな種類の「鼓吹」を期待できるというのか

スミソニアンが批判勢力に無条件降伏をして間もなく、私も「原爆を考える」というテーマで予定していた講演を幾つかキャンセルされた ⇒ 表面上は民主的な社会でも検閲が幅を利かせる事例研究の1
スミソニアンは、「良き戦争」への「修正主義的」解釈に反対する連邦政府内外の保守勢力による辛辣なキャンペーンには狼狽して、ベトナム戦争についての展示計画も無期限に延期
アメリカ人は、日本人が戦時の汚点を拭い去り「歴史的記憶喪失」に陥る時にはそれを酷評しながら、自らの過去への批判的評価には自己検閲で応じる
アメリカが理想的に支持すべきものは、異議の声に対する寛容と、過去の悪に向き合ってそれを乗り越える能力
「公共の歴史」のあるべき使命について、真剣な顧慮を払うべき
真の英雄的行為と、恐ろしい行為とを区別することは耐え難いほどに困難だが、いつかはこうした恐るべき曖昧さに正面切って向き合わなければならない。それを公的な機関でやらなければ、正直で開かれた社会であるというふりをするのをやめるべき。それこそが、真の民主主義において戦うに値する「公共の歴史」なのだ

第8章        2つのシステムにおける平和と民主主義――対外政策と国内対立
解題: 国内的・国際的な構造や政策、その対立関係を、弁証法的に具体的に描写する試み
日本の歴史家・政治学者・ジャーナリストたちは、国際的な「サンフランシスコ体制」を中央に、一方に「平和と民主主義」、他方に国内の「55年体制」があると、過度に単純化するが、日本の戦後政治史において明らかに漏れ落ちているのは、50年代後半にCIAが岸伸介首相に助成金を与えたり、日本の保守政権が沖縄や核兵器の開発・配備などの議論を呼ぶ重要問題についてアメリカの政策を支持する保証を与えていたりしたように、日本政治における保守のヘゲモニー統合をけしかけるアメリカの役割である
この論文では、21世紀の初め中国が新興勢力として台頭したことへの予測が全くなかったが、超大国日本の不穏と緊張についてはうまく焦点が合されている

日本は、戦後外交的にはうわべは低姿勢だったが、国際政治と国内政治の緊密な関係が中心的な課題であり続けた ⇒ 非軍事化(平和)と民主主義化という2つの理念が分かちがたいものと理解された
戦後権力の実際の構造に関しては2つのシステムである「サンフランシスコ体制」と「55年体制」が機能し続け、「非軍事と民主化」から「経済再建と再軍備」や、アメリカの「対共産主義封じ込め戦略」への統合に軸足を移す

第9章        惨めさをわらう――敗戦国日本の草の根の諷刺
解題: 「粉みじんの地でやり直す」とでも題すべき、戦後の初期の歳月に、厄災と敗北に対する日本人の反応と、並外れて多様で溌剌として、創造力に富む(一方で冷笑的で、腐敗して、分裂を孕み、退嬰的でもある)反応を描いた
特に「いろはかるた」をもとにした区切り漫画を取り上げたが、かるたは封建時代の後半以来ずっと、社会的な論評の手段として使われてきた。降伏のわずか数か月後、ひょうきんで辛辣、くだけた口調で駄洒落や内輪の仄めかしを満載した機知に富んだかるたは、民衆表現や気分発散の無数にあった様式の1つであり、勝者の理解の範囲を超えていた
2005年出版

「この頃日本にはやるもの」で始まる一連の風刺をとりわけひょうきんなものにしているのは、同じ名の著名な14世紀のパロディだった「建武の中興」の際都の陥った情けない状態を笑いものにしているから
「犬も歩けば鍋になる」「花も恥じらうヤミムスメ」「骨折り損の負け戦」

第10章     戦争直後の日本からの教訓
解題: 「歴史のもちいかた」という問題、さらに敷衍すれば、日本の近代史の効用と誤用に立ち返る
本章は、アメリカの「対テロ戦争」とイラクへの侵略に合せて、9111年後に書かれた
イラクと戦後初期の日本について比較すると、日本の専制主義と軍国主義を排除するに当たって寄与した重要な固有の要因全てがイラクには欠けていることは明白
我々は、アメリカの文民、軍人の官僚機構全てにおいて、下のレベルではイラクへの侵略に反対する議論がなされていたことを知っているが、こうした警告がホワイトハウスの上層部に何の効果ももたらさなかったということは、帝国風の大統領の下で、「民主主義」が真に機能するかどうかについて、反省を促す論評を突き付けるものだろう
侵略に結び付いた主流メディアが、本格的に、持続するやり方でこの問題を取り上げ、追求しなかったことも、同様に不安をかき立てる

911の衝撃に対し、アメリカ中のジャーナリストや専門家は殆ど一体となって、直ちに60年前の真珠湾を呼び覚ました
アメリカによる日本占領の成功が、イラクにおけるアメリカの建設的役割のモデルになるのではないかと思われたが、占領下の日本の国作りの成功に貢献した要因のほとんどは、アメリカによって軍事的に打倒された後のイラクにおいては存在しなかった
アメリカ主導の日本占領は、世界の国々の目には、著しい法的正統性と道徳性を具えていたし、日本に蹂躙されたアジアの国々も含め地域的かつ全世界的な支持があった
占領は、日本人の目にも正統性があると映った ⇒ 保守から共産主義まで多様な階層が存在したが、誰一人として占領軍に対しテロを仕掛ける者はいなかった
すべての結末を真剣に想像することなく戦争に突進することは、リアリズムではなく、恐るべき傲慢である

第11章     日本のもうひとつの占領
解題: アメリカによるイラク侵略には、1931年の日本による滿洲侵略とその1年後に起きた傀儡国家・満洲国の創設のモデルを見る ⇒ どちらも軍国主義的で、侵略と占領を特徴付けているものが、レトリックは立派なのに、実際の行いはお粗末であり、国づくりに莫大な公私の資源を投入
1930年代の日本と21世紀初頭のアメリカに様々に共通するものが現れ始めたことを指摘する本章は、イラク侵略の3か月後に発表
誰一人この議論を是とはしなかったが、本格的な歴史比較は、時と場所という境界を超えて横断するのである

戦後のイラクのモデルとして、第二次大戦後の「日本占領」で行われた民主化に準えるという楽観的なシナリオを持つに至ったが、真面目に精査すれば検討に値しない
アメリカ自体も、半世紀前の当時の理想からいかに遠ざかってしまったのか、思い起こすべき。リベラリズムや国際主義、人権への本格的な関与、国家が重要な役割を果たす経済民主化のビジョンなどの理想は、今やブッシュ政権に於いて嘲笑の対象である



忘却のしかた、記憶のしかた日本、アメリカ、戦争 []ジョン・W・ダワー
[評者]柄谷行人(哲学者)  [掲載]朝日 20130929
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日本学者として日、米、世界見直す

 本書は、著者の主要な仕事のエッセンスを、自身による解題を付して、年代順に配列したものである。「ダワー入門」と呼んでもよい本だ。内容的にいえば、マッカーシズムの時期に自殺に追い込まれたカナダの日本学者E・H・ノーマンについての論考から始まり、イラク戦争に際して米国当局が、かつて成功した日本占領の体験をモデルにしようとしたことに対する痛烈な批判にいたる。
 著者の『敗北を抱きしめて』は、占領下の日本社会について包括的に書かれた最良の書である。この本は米国でピュリツァー賞を受けたが、イラク戦争で日本占領経験を引き合いに出した当局がこれを読んだはずがない。著者の考えでは、イラクは日本と似ていない。むしろ、国連に反して単独で中東に攻め入った米国こそ、満州事変から十五年戦争の泥沼に入っていった日本に似ている。一方、この本は日本でよく読まれたと聞いているが、近年の状況を見ると、広範に読まれたとはとうてい思えない。政治家や官僚がこれを読んでいないことは、確実である。
 日本人は戦時の侵略と残虐行為をみとめることができずにいる、という見方が米国でも広がっている。しかし、著者は、米国で原爆投下に関する展示が中止されたとき、それに抗議し、アメリカ人が日本人の「歴史的忘却」を非難する資格はない、という。米国が原爆投下に関して、それを残虐行為としてみとめたことは一度もない。さらに、日本で戦争責任の問題があいまいにされるようになった原因は、そもそも、政治的な理由から、天皇の責任を不問に付した米国の占領政策にある。最も責任のある者が責任を免除されたのだから、責任という語は空疎となるほかない。
 著者は、日本人が戦争に対して強い被害者意識をもつが、加害者としての意識をもたないという心理を分析している。しかし、これも戦後一貫してそうであったかのように考えるなら、自他ともに誤解を与えるだろう。著者の指摘によれば、1994年の調査で、質問された日本人の80%が、政府は「日本が侵略、植民地化した国々の人に、十分な償いをしていない」という意見に同意した。以来、支配層は、このような世論を変えるように操作してきたのである。特に、2012年以後にその策動が強まった。
 本書では、日本を見ることが直ちに米国を、そして世界を見直すことになる。このような日本学者は数少ない。その中の一人、ノーマンについての論考を冒頭においた本書は、著者自身が歴史家としてそのような姿勢を貫徹してきたことを、見事に示している。
    
 外岡秀俊訳、岩波書店・3150円/John W.Dower 38年生まれ。マサチューセッツ工科大学名誉教授。日本近代史・日米関係史。『吉田茂とその時代』『容赦なき戦争——太平洋戦争における人種差別』『昭和——戦争と平和の日本』など。


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