第1次世界大戦の遠近法  朝日新聞連載  2013.12.31.

(第1次世界大戦の遠近法)プロローグ 100年前、遠い悪夢じゃない
朝日 201312310500
(第1次世界大戦の遠近法)序章:100年前、遠くない
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 今年10月、ドイツ北部の都市ハノーバー。第1次世界大戦をテーマにした国際シンポジウムの会場に、思想史研究者・山室信一(京大教授)の姿があった。
 〈ようやく世界史が始まった〉
 壇上で山室は、そんな感慨に打たれていた。
 インドから、豪州から、アルゼンチンから、中国から、日本から、アフリカ・セネガルから、カナダから……。様々な国の研究者が集まり、それぞれ「私たちから見る第1次大戦」を報告した。インド出身の研究者は、自国から大戦に動員された人々の遺品を紹介した。
 「『欧州の戦争』として語られてきた大戦史に、欧州以外からのまなざしが注がれ始めた」と山室は語る。この10年ほどの間に歴史研究の分野で起きた世界的潮流だという。「第1次大戦の歴史を今、世界中の人々が共有遺産としてとらえ直し始めています」
 1914年7月、オーストリアからセルビアへの宣戦布告で、大戦は始まった。開戦から、来年で100年になる。オーストリア・独などの「同盟国」と英・仏・露などの「連合国」。二つの陣営で31カ国が戦った。戦死者は約1千万人とも言われる。人類が初めて経験する世界規模の戦争だった。
■始まりは「局地的衝突」だった
 国際政治学者の藤原帰一(東大教授)は近年、東アジアに一つの危険を見いだしている。〈第1次大戦の悪夢が繰り返されなければよいが〉との懸念があるという。
 「あの大戦は、当事者も起こるとは思っていなかった」と藤原。小規模な国際危機がエスカレートし世界戦争になった。「スパイラル・モデル」と呼ばれるという。
 「英国の参戦はドイツには想定外だったし、4年も続く大戦争になるとは誰も考えていなかった」
 それがなぜ、今の東アジアとつながるのか。
 「武力衝突はありえるが全面戦争にはなるまい。日中の対立を巡り、そんな観測が強いからです」
 日本も中国も米国も戦争は望まない。他方、尖閣諸島の付近で局地戦が起きる可能性はあるという想定は広く共有されている……。
 「全面戦争にエスカレートする可能性もあるとの前提を織り込むべきです。前線に兵士を運ぶ前にミサイルで攻撃ができる現代は、当時より戦争が早く拡大します」
 欧州は、第2次大戦を経て欧州連合(EU)にたどり着いた。「アジア諸国は、新たな戦争なしに、戦争拡大を抑止する機構を作れるだろうか」と藤原は問う。
 第1次大戦には日本も参戦した。日英同盟を大義名分に連合国側へ加わったのだ。大戦は、列強諸国の目が欧州に釘付けとなり、アジアに空白が生じる機会となった。日本はそれを好機と見て中国大陸などへ派兵。ドイツが握っていた権益を武力で奪取した。
 それでも今の日本人にとって第1次大戦は「遠い戦争」としてある。独仏では計約400万人もの戦死者が出たが、日本は千人未満。それは当時の国民にとってさえ「自らが交戦状態にあるとの意識が薄い戦争」(山室)だった。
 大英帝国の研究で知られる木畑洋一(成城大学教授)は第1次大戦を、「帝国意識」が揺らぎ始めたきっかけと位置づける。
 19世紀末以降、世界は帝国主義の時代だった。それを支えた人々の意識を木畑は帝国意識と呼ぶ。白色・有色人種の間に優劣があるとする発想を背景に「支配する側もされる側も支配を当然とみなしていた」。その意識のことだ。
 だが大戦で植民地の人々が「本国の戦争」に動員されたとき、戦場で目にしたのは、文明国であるはずの帝国の「野蛮さ」だった。「その経験が、支配への疑問が生まれる一つの契機になった」
 同じころ、アジアで「帝国」になろうとしていたのが日本だ。15年1月、中国側に「21カ条要求」を突きつける。日本が中国の内政にまで口をはさめるようにしようとする内容だった。この政策を批判した少数派の日本人の一人に石橋湛山がいた。中国侵略は「帝国百年の禍根をのこす」とした(東洋経済新報15年5月5日号)。
 100年後を憂える声は中国にもあった。「中国革命の父」とされる孫文が大戦終結翌年、こう語っている(本紙19年6月21日付)。
 中国人は日本が「帝国主義」的だから恨んでいるのだ、この激しい「排日感情」は「百年を経るも忘れざる」ものだろう、と。=敬称略
     ◇
 私たちには遠く思える第1次大戦。だが現代の出発点として大戦を捉え直すとき、それは意外と身近に立ち現れてくる。100年を機に、「遠近法」で考えたい。
     ◇
■第1次世界大戦とその後の世界
1914年
6月、セルビア系の青年がオーストリア皇太子を暗殺。7月、オーストリアがセルビアに宣戦布告し、第1次世界大戦が勃発。8月、ドイツがロシアとフランスに、英国がドイツに、日本がドイツに宣戦布告。11月、日本軍が中国・青島のドイツ軍を降伏させ、同地を占領
1915年
1月、日本が中国側に「21カ条の要求」を突きつける。5月、日本が中国へ同要求に関する最後通告、中国は受諾。
1917年
11月、ロシア革命。4月、米国がドイツに宣戦布告
1918年
8月、日本、シベリア出兵(~22年)。11月、第1次世界大戦が終結(休戦条約締結)
1919年
1月、パリ講和会議。6月、ベルサイユ条約調印
1920年
国際連盟が発足
1937年 日中戦争始まる
1939年 ドイツがポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が勃発
1941年 日本が米英に宣戦布告
1945年 日本が降伏し第2次世界大戦が終わる。国際連合が発足
1973年 ベトナム戦争の和平協定
1989年 ベルリンの壁が崩壊
1993年 欧州連合(EU)が発足
2001年 米国で同時多発テロ米政府が「対テロ戦争」へ
2003年 イラク戦争
2012年 尖閣「国有化」で日中間に緊張

(第1次世界大戦の遠近法:1)そこに線あり!愛国の線
2014110500
 「日中尖閣開戦危機」「暴走中国、尖閣“強奪”シナリオ」
 中国が東シナ海上空に防空識別圏を設けた昨秋以降、扇情的な見出しがメディアに躍る。どこかはしゃいで、うれしそうな。この叫び、何かに似ている。
 「There is the line!(そこに線があるんだ!)」
 ヨーロッパ地図を前に絶叫するドイツ人の老人。教師にあおられ、教え子たちは愛国心に昂(たか)ぶり、フランスとの国境近くの塹壕へ、志願して赴く。1930年の映画「西部戦線異状なし」にある、印象的な場面。
 第1次大戦の西部戦線では、スイス国境からフランス領内を通ってイギリス海峡まで抜ける、数百キロに及ぶ塹壕が掘られた。「死の迷宮」とも呼ばれた塹壕に閉じこもり、若者たちはこの長大な線上で、死を待った。
 それから約100年。死の線上近くの町で2006年、1冊の本が完成披露され、世界の教育関係者を驚かせた。独仏の研究者が共同で執筆した高校教科書「歴史」。静岡県立大学教授の剣持久木は、共同教科書の成立過程から使用状況までを実地調査してきた。
 「03年にあった仏独青少年議会という、いわば子供議会の最終日に、高校生が提案したのが始まり。シラク大統領とシュレーダー首相がその場で賛同し、政治主導で動き出した」
 議会の提言はほかにもたくさんあったが、実現したのは教科書のほかひとつだけ。「市民社会のイニシアチブと政治のリーダーシップが交差したのがこの発議」と話す。
 歴史「事実」は、国を超えて共有できる。しかし、歴史「認識」は共有できないし、するべきでもない――。そうした考えは学界にも根強かった。「国境を越えて歴史認識を共有するとは、国民国家を超越することでもある」(剣持)
     *
 EU統合で、ヨーロッパでは「国境線」という概念が薄くなる。一方、東アジアでは、日々、断層線を濃くしている。竹島と尖閣諸島で、日中韓が、むしろ政治主導で不信を深め、“塹壕”も深くする国境線
 皮肉なことに、歴史上、東アジアの国境は欧州よりずっと融通無碍(ゆうづうむげ)なはずだった。作家の黒川創は、昨秋、大幅に加筆増補した『国境 完全版』を出した。日本の旧植民地を背景として書かれた日本語文学に焦点をあてた浩瀚(こうかん)な論考。執筆過程で、長く忘れられていた夏目漱石の随想文「韓満所感」(1909年)を発掘する。「近代国家に成り上がった日本の政治指導者が、朝鮮・中国には尊大、西欧には卑屈な態度を使い分けることに、漱石は江戸っ子らしい道義的反発を覚えていた」
 黒川自身、ヒッチハイクなどを繰り返しながら、北海道や沖縄の離島にも旅して「国境線」に近づこうとする少年だった。「東アジアに国境という概念が作られたのは、せいぜい19世紀後半。中国・朝鮮・ロシア・日本は、樺太(サハリン)や沿海州などでは住民が混在して生きていて、そこを共同管理の雑居地として認めあうことから、徐々に国境を画定してきた。その知恵に学び直す必要がある」
 科学史家の山田慶兒(81)は、15世紀、明の鄭和による大航海の古文献を調べてきた。昨秋『海路としての〈尖閣諸島〉』を出版。研究ではっきりしたのは、尖閣を固有の領土と言い張る中国、日本の主張は、長い歴史では無理があるということだ。
 「無人島は、船乗りにとって、自分の位置を知るための唯一の道標だった。逆に言えば、航海員以外に、島を必要としていた人はいない。少なくとも明治維新まで、国境という明らかな観念は、東アジアの海域にはなかった」(山田)
 ヨーロッパは陸続き。古代ローマ以来、線引き合戦を繰り返した。東アジアは国境に苦労したこともないから、解決の知恵も浅い。
 「尖閣問題の核心が、漁業や海底資源なのだとすれば、協定を結べばいいだけの話。線にこだわっていいことは何ひとつない。事実、太平洋戦争の前、日本の国防線は朝鮮半島で、それが満州へ、しまいには東南アジアにまで伸びた。あげく、国を滅ぼす敗戦。でも、その国防線を維持するための膨大な軍事費がなくなって、戦後日本は発展したんじゃないですか」
     *
 『「リベラル保守」宣言』で、自ら真の保守思想家をもって任じた北海道大学准教授・中島岳志は「国境線問題で、米国を後ろ盾に中国を牽制しようという“保守派”は、現実を認識できていない」とみている。「歴史上、米国のアジア政策は中国が中心だった。中華人民共和国の成立というハプニングがあったので、防共という〈線〉が日本に南下してきただけ。共産党中国も米国と話ができる存在となった今、米中接近は当然。特定秘密保護法などで米国にプレゼント攻勢をかけて、日本はまるで振られかけてる男みたい」
 国防上も、資源のためでも、〈線〉にこだわると、むしろ失うものが大きい。剣持らが訳した、仏独の研究者による共同通史『第一次世界大戦』は、欧州の兄弟国が殺し合いを続けた理由について「経済的原因や物質的な利害によって引き起こされたのではない」と、特筆して強調した。
 冒頭の映画「西部戦線異状なし」。戦争の現実にうんざりし果てた若い兵士が、塹壕線上で語り合う。「戦争はなぜ始まる?」「誰かが誰かを侮辱したからさ」=敬称略(近藤康太郎)
 ■第1次世界大戦と国境線
1814年 イギリス南アフリカ・ケープ地方を植民地化
  30年 フランスアルジェリア侵略
  79年 明治政府琉球王国を解体
  84年 日本の民間人が尖閣諸島探検
  94年 日清戦争開戦
  95年 日清戦争終結。下関条約で台湾と付属島嶼(とうしょ)を清から日本へ割譲。イタリアのエチオピア侵略。アフリカなどを欧州列強が分割。第1次大戦は、世界地図の端から端まで引かれた〈線〉をめぐる戦争でもあった
1912年 中華民国成立を宣言
  14年 第1次世界大戦が勃発。開戦直後に塹壕線が出現
  18年 スペイン風邪流行の最盛期。コレラやチフスなど塹壕では戦闘以外の被害も甚大
  19年 パリ講和会議
  29年 ドイツの作家レマルク『西部戦線異状なし』を出版
  30年 米で『西部戦線異状なし』映画化
  39年 第2次世界大戦勃発
  43年 ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、中華民国の蒋介石主席が、「満州、台湾及び澎湖島など日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還する」カイロ宣言
  45年 第2次大戦終結。国際連合発足
  49年 中華人民共和国成立
  71年 中華人民共和国国連加盟。台湾(中華民国)から代表権移る
  93年 欧州連合(EU)発足
2003年 仏独青少年議会で仏独共通歴史教科書を提案
  06年 仏独共通歴史教科書完成
  08年 東シナ海ガス田共同開発で日中合意
  12年 石原慎太郎東京都知事尖閣諸島購入を計画。のちに国が購入して国有化
  13年 中国が東シナ海上に防空識別圏設定

(第1次世界大戦の遠近法:2)ロボット戦争、その果てに
2014130500
 2014年はロボット戦争を巡って人類が本格的な議論を始めた年として記録されそうだ。
 完全自律型ロボットが戦争に投入されれば、人間の兵士の代わりに、標的を自分で探し、攻撃完了までを担う「殺人ロボット」となる。その定義や是非について話し合う国際的な専門家会合が、5月に予定されている。昨年11月、スイス・ジュネーブの国連欧州本部での特定通常兵器使用禁止制限条約の締約国会議で決まった。戦闘員と非戦闘員の区別など「戦争のルール」に従う完全なロボットの実用化は「20~30年先」(ロボットに詳しい専門家)という。
 今までの戦争と何が違うのか。
 例えば、ロボットがプログラムのバグが原因で誤って民間人を殺したとする。「誰の戦争犯罪として裁くのか」と問うのは人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の日本代表の土井香苗だ。ロボットが属する部隊の責任者か、プログラマーか、製造企業か。「戦争犯罪を裁く従来の国際法の枠組みの意味が失われてしまう」
 軍事用ロボットは既に、現代の戦争に欠かせない。地雷除去や偵察機。そして衛星通信でパイロットが乗らない飛行機をコントロールし、上空から標的を見つけてミサイルを撃ち込む無人機もその一つだ。対テロ戦争で米国が本格的に導入して以来、世界数十カ国以上が開発を進めているとされる。
 兵士が人ではなくなる時代――。新時代の到来を予感させるが、実は第1次世界大戦こそが、そんな戦争の始まりだったとみるのが倫理学者の加藤尚武だ。
 〈馬車を引いてあわてふためいて逃げていく民間人、そしてその後ろには退却する歩兵たち。とびきりの標的だ〉(ジョン・エリス『機関銃の社会史』)
 大戦で機関銃士だった兵士の回想だ。加藤は「さながらゲームの画面。ボタンを押して敵を倒すような感覚であることが読み取れる」と指摘する。「個人の死は死者数に変わってしまった」と評されるほど未曽有の死者を生んだ大きな原因が、機関銃の導入とされる。「戦争の『脱人格化』が始まり、敵を人とみなさなくなる。機関銃から空爆、核兵器の使用。20世紀は一貫してそういう方向で進んできた」。ロボット戦争時代は「新しいというより、ずっとその準備をしてきたと言える」。
   *
 とはいえ、「戦争とは何でもあり」という考えにあらがってきたのも20世紀だ。戦闘員と非戦闘員、戦闘地域と非戦闘地域……。戦争のルールとして、こうした「区別」を導入し、残虐な戦争を避ける努力を積み重ねてきた。
 だが、ロボット化は「この区別を無化しつつある」。国際人権法学者の阿部浩己は指摘する。米国は無人機による攻撃を繰り返す。昨年公表された国連の報告書は、04年以降パキスタンで少なくとも死者2200人、うち民間人も400人以上としている。
 「『戦場』なき戦争の時代に突入した」と阿部。無人機に攻撃されればそこが戦場になり、あらゆる所が潜在的な戦場になる。「もはや世界大の内戦状態と呼べるかもしれない。非日常だった戦争が日常化してしまった」
 しかも、こうした攻撃の実態はなかなか明らかにされない。反戦運動の多くは自国兵士の犠牲をきっかけに盛り上がるが、死ぬのは国外の「標的」だ。加藤は言う。「ロボット兵器は『道具』なので議会の承認がなくても自由に使え、権限がある者の権力を拡大する。それは人知れず起きる」
 国家のあり方にも影響する。SF作家ダニエル・スアレースは昨年、英国での講演で「民主主義国家の土台が崩れ、群雄割拠の時代になる」と未来像を説いた。兵士が必要ないなら、戦争は世論の反発もなく簡単に始められる。それどころか、国家でなくても、資金さえあれば個人も戦争主体になれる。暴力の独占という国家の意味が本質的に変わってしまうと。
 世界秩序を揺るがした第1次大戦の後、ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンはこう書いた。「何ひとつ変貌しなかったものとてない風景」(「経験と貧困」)
 すべてが変わった――しかし彼が見ていたのは、戦前と外見上は何も変わらない光景だった。この後、街が廃虚と化す2度目の大戦を予見していたようにも読める。
 ほとんど気付かぬまま進む世界大の内戦時代。この果てにもカタストロフィーが待ち受けているのだろうか。=敬称略(高久潤)
 ■ロボットと人工知能の歴史
1920年  作家カレル・チャペックが造語「ロボット」を使った戯曲を発表
  50年  作家アイザック・アシモフが「私はロボット」で、ロボットは人間に対する安全性、命令の服従などを守るべきだとする「ロボット工学3原則」を提示
  56年  「人工知能」という研究分野が米ダートマスであった科学者の会議で提唱
  63年  手塚治虫のアニメ「鉄腕アトム」第1話放送
  68年  スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」で人工知能を搭載したHAL9000が登場
  87年  科学者マービン・ミンスキーが『心の社会』を発表。心とはそれ自体心を持たない「エージェント」による協調と主張
90年代半ば 大量のデータから傾向や規則を見つけ出すデータマイニング技術が発展
  96年  国内初の地雷除去ロボットの研究スタート
2001年  軍事用無人機の使用が本格化
  03年  鉄腕アトムが誕生(作品中の設定)
  13年  将棋で現役のプロ棋士が初めてコンピューターソフトに敗れる

(第1次世界大戦の遠近法:3)新メディア、夢と欲望のはざまで
2014170500
 「若(も)しラヂオの放送と聴取とが十分に普及し便利なものに発達すれば、差当(さしあた)り新聞紙の印刷の如(ごと)きは大部分をやめることが出来る様になるであらう」
 1925(大正14)年、後に京都帝大総長となる理学博士、新城新蔵は朝日新聞に「ラヂオ文明」と題する一文を寄せた。第1次世界大戦で活躍した野戦
砲兵への射程指示目的などで進歩を遂げた無線技術は、戦後に帰郷した通信兵らによるアマチュア無線の流行をへて、米国における世界初のラジオ放送局誕生へとつながる。
 新城の寄稿は日本で定時放送が始まった5カ月後の掲載。新聞の「不合理」が列挙されている。言葉を活字にして印刷して読ませるまだるこしさ、時事報道の遅さ、紙資源の供給難への懸念……。
 「当時のニューメディアへの期待は、いまの電子書籍などの議論と驚くほど似ています。紙に頼らない視聴覚メディアが出るたび、大衆に力を与える装置としての夢が語られる」と話すのは防衛大公共政策学科講師の赤上裕幸だ。昨年出した著書『ポスト活字の考古学』で、戦間期の歴史に埋もれた「活映」という運動について記した。28年、大阪毎日新聞が映画教育推進を目指して始めた活動だ。
 映画もまた、第1次大戦期を機に期待のメディアとなる。ロシア革命を主導したレーニンが大衆教化の最大芸術と位置づけた結果、映像の基礎文法と言える「モンタージュ理論」を生み出すのだ。
 「活映」責任者の水野新幸の口癖はこうだったという。「シネマが活字より先に生まれていたならば、活字ばかりを追う観念的な人間ではなく、目に直接訴える直感教育ができる。貧困児に教科書を買わせることもいらず、多くの人間を文化的に導くことができる」
 紙メディアと異なり、映像や音声を同時に広く伝えるメディアに、知識人は「教育」の夢を見、権力者は「啓蒙」の夢を見る。
    *
 冷戦という「戦時下」に端を発するネットメディア、とりわけ最新のニューメディアであるツイッターフェイスブックといったソーシャルメディアも期待感に満ちている。たとえば、2010年以降の「アラブの春」をもたらしたような、民主化の手段として。
 ウェブにくわしい社会学者、鈴木謙介は話す。「民主制の社会では多数派を形成しなければ政策にはつながらない。ネットにより、同じような関心を持っている人と出会えたり、考えたこともない問題に関心が向いたり、多数派ではなくても一定のボリュームがあることが可視化されることで無視できない存在感を出せる」
    *
 では受け手の大衆も、同じ夢を見たのだろうか。
 30年代の日本映画を研究した明治大講師の宜野座菜央見(ぎのざなおみ)は著書『モダン・ライフと戦争』に、中国と衝突し全体主義へと向かっていた日本の銀幕は「驚くほど平和に見えた」と記す。革命思想も大陸へのロマンもなく、都会のモダンライフを映した作品が目立っていた。「映画会社は大衆の見たい作品を送り出す。後の悲惨な結末を知らない観客の欲望のまま、手を伸ばせば届きそうな都会生活を映し続けていたように見える」
 同じころ、講談社の雑誌「キング」は「日本一面白い」「日本一為(ため)になる」をキャッチフレーズに百万部を達成した。第2次大戦後最大のメディアであるテレビで80年代、視聴率競争トップを走り続けたのは「楽しくなければテレビじゃない」のフジテレビだった。
 京都大准教授(メディア論)の佐藤卓己は「メディアが、大衆の『見たいものだけ見たい』欲望を実現するように進むのは事実と思います。ただ、メディアの属性以上に、人の心性として『不快な』情報を避ける傾向がある。賢明な選択をするためには、そうした情報に目を向けることが必要なのですが」という。
 冒頭の新城博士は、こうも書いている。「蓄音機とラヂオ受話器とを両のポケツトに携帯し得る様になつたとすれば、(略)文字によらざる実質的文明は更に長足の進歩を見るに至るであらう」
 私たちはすでに片手に収まるスマートフォンを手にしている。そのなかでは、好みの商品を薦めてくれたり、友人かどうかを選んだりできる「フィルタリング」技術が花盛りだ。夢のメディアは、誰の夢をかなえるのか。=敬称略
 (野波健祐)
 ■日本における主なニューメディア史
1879年 朝日新聞創刊
  87年 円盤式レコード発明(米国)
1925年 ラジオ定時放送開始
      講談社の雑誌「キング」創刊
  27年 円本(1冊1円の全集)ブーム
      岩波文庫創刊 31年
      完全トーキー映画「マダムと女房」
  45年 玉音放送
  47年 米コロムビアがLPレコード発売
  51年 完全カラー映画「カルメン故郷に帰る」
  53年 テレビ本放送開始
  76年 日本ビクターがビデオデッキ(VHS)発売
  82年 CDプレーヤー発売
  89年 NHK、BS本放送開始
  92年 インターネットの商用サービス開始
  96年 DVDプレーヤー発売
2001年 米アップルiPod発売
  05年 ユーチューブがサービス開始
  07年 米アップルiPhone発売
  08年 ツイッターが日本語版サービス開始

(第1次世界大戦の遠近法:4)禁書、せめぎ合う忘却と自戒
2014180500
 第1次世界大戦、終盤の欧州戦線。1人のドイツ軍伝令兵が毒ガス兵器による攻撃に遭った。両目を「灼熱」の痛みに襲われ、兵士は後方の病院に送られた。
 後にドイツ総統として第2次世界大戦を戦う、アドルフ・ヒトラーである。29歳だった。
 著書『わが闘争』によれば、彼は入院中に「祖国」の敗戦を知った。
 ドイツが負けたのは国内の「ユダヤ人」たちが裏切ったせいだ、ドイツを彼ら「あさましい犯罪者」に渡してはならない――院内でヒトラーはそう考えた。第1次大戦の記述はこう結ばれている。
 「わたしは、政治家になろうと決意した」
 大戦終結の7年後に出た『わが闘争』に、ヒトラーは自身の思想をまとめた。極右勢力には聖典とあおがれ、ドイツでは今も禁書扱いだ。歴史を知る手がかりであるはずの書物をなぜ封印するのか。
 「あの本はやはり特別です」と、ドイツ現代史を専攻する石田勇治(東京大学教授)は話す。
 人種間には優劣があるとしたうえで、ユダヤ人は劣った人種、自分たちは優れた人種だとする差別的論理をヒトラーは立てた。そのような自己中心的な論理がなぜ浸透したのか。「大戦でドイツ帝国が崩壊し、ドイツ国民は支配者の地位を失った。『わが闘争』は彼らに優越意識を回復する機会を与え、大戦後の混乱に一つの秩序をもたらそうとした」と石田は語る。
 『わが闘争』の著作権は第2次大戦後、独バイエルン州政府へ移った。同州は「民族憎悪をあおる」との理由で国内での出版を認めてこなかった。「州政府は来年の著作権切れを機に、批判的な分析をつけて『わが闘争』を出版しようと準備してきた。だが昨年末、土壇場で禁書扱いの継続を決めた。極右に塩を送り、『過去の克服に取り組む』姿勢に近隣国から疑問を持たれるマイナスは、本で国民が民主主義の弱点を学べるプラスを上回るとの判断でした」
 89年前の書にドイツは今も、現在の問題として向き合っている。
     *
 米国で第1次大戦を題材とした小説にドルトン・トランボ著『ジョニーは戦場へ行った』(1939年)がある。邦訳時、「発禁にされた書だ」と宣伝された。
 米兵として欧州に渡った主人公は、砲弾で目鼻口を失い、両腕と両脚も切り落とされた状態で命を維持されていた。ようやくわずかな意思表示を果たすが、医師たちは無視した。主人公はこう気付く。為政者たちは僕を忘れたいと願っているのだ、もし僕を国民が見てしまったらもう誰も次の戦争に行かなくなるからだ――。
 トランボの記述によれば、小説『ジョニー……』には第2次大戦中に様々な勢力から出版禁止の圧力がかかって絶版になり、朝鮮戦争(50年~)の際にも絶版になった。だが71年には画化され、世界的にヒットする。背景にはベトナム反戦の機運があった。
     *
 戦闘終結から95年がたち、もう戦場経験を語れる元兵士はいない。第1次大戦は今、「証言者なき大戦」としてある。それは第2次大戦の近未来像でもある。戦争はそのとき、肉声ではなく記録や資料、小説、映画などを通じてしか触れられないものに変わる。
 広島平和記念資料館の館長である志賀賢治は今、原爆の歴史を後世に伝える営みが新たな挑戦にさらされていると感じていた。被爆体験を伝える語り部がいなくなる時代が眼前に迫ってきたのだ。
 資料館には、被爆者の遺品などの「資料」は大量にある。「ただ実際には、語り部に会って話を聞くことが、資料から受けたイメージを修正したり豊富にしたりする機会になってきた。資料からそのまま受け取るしかない状況は、我々には経験のないものです」
 戦争と社会の問題に詳しい生井英考(立教大教授)は、当事者の証言には功罪両面があると語る。
 「兵士は身体経験を通した記憶を証言できる。半面それは微視的で、『なぜ戦争が起きたか』という巨視的な歴史の再構成には向かいにくい。記憶と歴史は時に水と油だ。いつもよくかき混ぜ続けないとドレッシングにならない」
 原爆について日本社会は、体験者に「証言の継承」を押しつけるだけで、なぜ原爆が投下されたのかという「歴史の問題」を彼らと一緒に考えてこなかったのではないか。生井は今そう問う。=敬称略
 (塩倉裕)
 ■大戦の記憶とイメージを伝える作品など
1914年 第1次世界大戦が勃発
  18年 大戦が終結
  25年 ヒトラー著『わが闘争』が刊行開始
  29年 ヘミングウェー著『武器よさらば』発表/レマルク著『西部戦線異状なし』発表
  39年 トランボ著『ジョニーは戦場へ行った』発表/第2次世界大戦が勃発
  45年 広島・長崎に原爆/第2次大戦終結
  55年 広島平和記念資料館が開館
  63年 映画「青島要塞爆撃命令」公開(東宝)
  71年 映画「ジョニーは戦場へ行った」公開(原作者のトランボ自身が監督)
2010年 広島平和記念資料館、18年度までの展示見直しに向け「実物」重視の計画
  13年 学校図書館での漫画『だしのゲン』への閲覧制限が問題化/ドイツで『わが闘争』を15年の著作権切れ後も禁書扱いとする方針

(第1次世界大戦の遠近法:5)大衆操作、為政者はもくろむ

20141140500
 特定秘密保護法が先月、成立した。「強行採決」との報道も多い中、日本テレビは「採決」などの表現にとどめた。同局関係者は言う。「物足りない視聴者もいるだろう。だが、選挙で多数を得た政党が議会の手続きで決めたことでもある。中立性には相当に気を使わざるを得ない」
 判断の元には放送法がある。不偏不党をうたい、番組に「政治的に公平であること」を求める。
 自民党は昨夏、報道内容が「公平公正を欠く」としてTBSの取材を拒否し謝罪を求めた。NHKで松本正之会長が退任するのは、政権周辺からの「偏向」報道批判が引き金になったとの見方が強い。
 しかし「中立原則」は本来、政治からの自立を守る砦だったはずだ。背景には、メディアが国家の宣伝に利用された歴史がある。
 権力がメディアを介して世論を操作しようとする時代。始まりは第1次大戦だった。
 「あなたは百%アメリカ人?」「祖国が君を必要としている」――大戦中、欧米には官製ポスターが踊った。米政府が広報委員会を設置。英国も情報省を作り、宣伝に努めた。総力戦を戦うには、大衆の同意が不可欠だったのだ。
 米政府の宣伝に加わり、後に広報産業を先導したエドワード・バーネイズは記している。「世界大戦の宣伝の驚くべき成功により、知的エリートたちは、大衆は制御できると気がついた」。ベルギーの歴史家アンヌ・モレリは「特定の領地が欲しいといった真の目的を公言すれば多くの国民が拒否すると踏んで、戦争を聖なる十字軍に美化したいのだ」と述べた。
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 この構図は、今も変わらない。米同時多発テロ後、米大統領は「正義」のためにアフガンを空爆。2003年にはイラク戦争が「イラクの自由作戦」と称して勃発。日本も米国を支持した。
 米言語学者ノーム・チョムスキーは「誰も反対しようとしないスローガン」に警鐘を鳴らす。「それは何も意味していないからだ。そうしたスローガンの決定的な価値は、本当に重要なことから人びとの注意をそらすことにある」
 歴代首相の言葉を研究しているユタ大教授(社会言語学)の東照二は、この文脈で安倍首相の1年前の所信表明演説に注目する。
 「自らへの誇りと自信を、取り戻そうではありませんか!」。東は「かつての『美しい国』と同様、抽象的で情緒的な言葉。具体的な情報なしに感性に訴え、聞く人にいや応なく認知を迫る。高い支持率の要因の一つ」とみる。
 第2次大戦中の大政翼賛体制は市民に多大な犠牲を強いた。戦後、日本のメディアは不偏不党を誓って再出発したが、政治の干渉や報道の自己抑制は続く。
 「不偏不党は聞こえはいいが、実際にはこれほど権力に有利なものはない」と早稲田大名誉教授(インテリジェンス研究)の山本武利は指摘する。「プロパガンダ色を薄めて権力の意向を紹介するのが『中立報道』。結局は利用されかねない」。米国は1987年、放送の公平原則を撤廃した(偏向報道が可能)。幅広い情報源に接することが視聴者の利益になるとの考えからだ。
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 ただ、現状のままでも、メディアによって「中立報道」の中身が異なることには価値がある、と東京大大学院教授(社会倫理)の川本隆史は考える。「不偏不党のとらえ方は時と人によって常に異なる。多様だからこそ、より誤りの少ない道を目指して論じ合うための材料とすることができる」
 社会の不正をただす作法として、米政治哲学者マイケル・ウォルツァーは「帝国から植民地に来た裁判官」のような態度で社会を批判する危険性を説く。批判そのものが圧力となるやり方では共感を呼べないからだ。代わって示すのは「地域と暮らしに根ざした批判者」となって不平を言葉に出し、誰かと論じ合うやり方だ。
 秘密保護法案に反対する人は無力感を覚えたかもしれない。だが、論じ合えば抵抗を続けられると川本は言う。「採決後でも法の運用を是正し、廃案に追い込むこともできる。政治は一発勝負ではなく、共生のための『暫定協定』の積み重ねが本領なのですから」
 英紙フィナンシャル・タイムズは7日、独仏関係が悪化し英国が1世紀前の大戦に引き込まれたように、米国が日中の紛争に巻き込まれる危険があると論じた。メディアと市民の抵抗力が問われる年になりそうだ。=敬称略
 (田玉恵美)=おわり
 ■政治とメディアの関係史
1917年 第1次大戦で米英に戦時宣伝組織
  22年 米ウォルター・リップマン「世論」 メディアによりステレオタイプが作られていると指摘
  45年 国連ユネスコ憲章 「戦争は人の心の中で生まれるものである」
  46年 日本新聞協会が倫理綱領 「報道は正確かつ公正でなければならず」
  50年 放送法施行 不偏不党、政治的な公平を定める
  72年 外務省機密漏洩(ろうえい)事件 毎日新聞記者が逮捕・起訴される
  87年 米国で放送の公平原則(フェアネス・ドクトリン)が廃止に
  93年 テレビ朝日・椿事件 報道局長が「非自民政権が生まれるよう報道せよと指示した」と発言したとの報道。国会で証人喚問
2001年 NHKが従軍慰安婦を扱った番組の内容を政治家に事前説明
  13年 NHK会長が1期での退任を表明 「偏向報道」を政権が問題視していた





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