ニュルンベルク裁判の通訳  Francesca Gaiba  2013.12.25.

2013.12.25.  ニュルンベルク裁判の通訳
The Originof Simultaneous Interpretation The Nuremberg Trial    1998

著者 Francesca Gaiba イタリア・ボローニャ大学で英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語の会議通訳を専攻し、96年卒。ニュルンベルク裁判の通訳に関する研究で97年、A.スキアーヴィ財団賞受賞。米国・シラキュース大で国際関係論の修士号、文化人類学の博士号を取得。現在は米国・イリノイ大シカゴ校の人種・公共政策研究所長として主にジェンダー・セクシュアリティ研究などに取り組む

訳者 武田珂代子 熊本生まれ。専門は通訳学、翻訳学。米国・モントレー国際大学(MIIS)翻訳通訳大学院日本語科主任を経て、2011年より立教大異文化コミュニケーション学部・研究科教授。MIISで翻訳・通訳修士号、スペインのロビラ・イ・ビルジリ大学で翻訳通訳・異文化間研究博士号取得

発行日           2013.10.15. 印刷             10.25. 発行
発行所           みすず書房

原書は、著者がイタリアボローニャ大学(会議通訳専攻)で執筆した卒論を下書きにしたもの、98年オタワ大学出版局から刊行

「もちろん弁護人は必要だ。だがもっと重要なのは良い通訳者をつけることだ」(ヘルマン・ゲーリング)
ゲーリングは、言語の問題と、裁判が4か国語で行われることに対し法廷が抱く懸念を巧みに利用した。同時通訳の可能性を十分に認識したうえで、通訳が彼自身に与える影響を賞賛も批判もしたのだ・・・・・。
本書はニュルンベルク裁判における通訳をテーマとした唯一の研究書で、通訳の仕組み、通訳者の履歴、歴史における意義が精確に分析されている。専門書として執筆されたものだが、現代史、通訳問題に関心のある読者にも難なく読めるように書かれている。
この裁判は、同時通訳が初めて本格的に使われた、通訳史上の決定的な出来事であった。これは、世界中の通訳研究者、通訳に関心のある人の必読基本書なのである。同時に、現代史の重要な一書であり、ニュルンベルク裁判を研究する人々に対し、これまでとは異なる視角からの議論を提供する。
全体に渡って読みやすく書かれており、戦後史、ヨーロッパ研究、モミュニケーション論の読者にも応える、臨場感あふれる法廷シーンに強く引き込まれる

序文 1997.2. E. ピーター・ウィベラル(裁判発足当時、ワシントンのペンタゴンでドステール大佐に採用された通訳者、大佐の下で裁判への同時通訳導入に奔走)
ニュルンベルク裁判の公式記録には多言語運営を可能にするために考案された同時通訳システムについての言及がない
本書は、同裁判の同時通訳システムに関する事実を明らかにするもの ⇒ 驚くべきストーリーが多言語を操る若き史学生の想像力と好奇心に満ちた本書で語られる
これまで理解し難かった、なぜ同時通訳が看過されてきたのかということを解きほぐす

用語解説
l  国際軍事裁判International Military Tribunal ⇒ 194546年ニュルンベルクと、4649年に12件の「継続裁判」があり、最初の戦争犯罪裁判をニュルンベルク裁判と呼ぶ
l  翻訳Translation ⇒ あるテクストの意味を他の言語でテクストの形で訳す。テクストを十分理解するために何度も読んで内容を理解し、そのテクストの意図を最もよく表現する言葉を選んで訳出する
l  通訳Interpretation ⇒ 音声言語を扱い、互いに異なる言語を話す人たちのコミュニケーションをその場で仲介する。緻密で正確な訳出が求められる一方、通訳行為は即興的に行われ、最良の表現を選ぶための時間をかけることはできない。発言のトーン、表現、言葉の選択を保つ必要もある。
l  装置を用いる同時通訳 ⇒ 正確には「同時」ではなく、通訳者が目標言語への訳出を始めるために、最低限の情報を理解するための、通常78秒の時間的ずれが必要。管轄当局に金銭的負担をかけるという理由で今日の法廷ではほとんど用いられない
l  装置を用いない同時通訳 ⇒ ウィスパリングと呼ぶ。仕組みは同時通訳と同じだが、マイクもヘッドフォンも使用せず、耳元でささやく。今日の法廷では被告人席で被告人のために利用されることが多い
l  逐次通訳 ⇒ 話者が発言を一旦終えた後で、その内容を通訳者が目標言語に訳出。通訳者は特別なテクニックを用いてノートテイキングを行うため、通訳がより正確になるという点で有効な通訳方式。多言語では特に審理に時間がかかる

はじめに
本書は、同時通訳という職業の起源を求めて始まり、ニュルンベルク裁判における同時通訳の仕組みを説明することで、同時通訳誕生に関する包括的な概要を提示する
ニュルンベルク裁判が同時通訳発祥の場 ⇒ 実際に通訳に従事した人々への取材を通じて事実を解明
継続裁判は独英のみが用いられた

第1章        開廷前
通訳の誕生は1920年頃、フランス語以外の言語が外交の場における公式用語と認められて以降のことで、最初に使われた手法は逐次通訳とウィスパリング
通訳の必要性は、国際連盟の発足と国際労働機関ILOにおける会議の開催を受け逼迫、外交以外の多様な問題、とくに特定専門分野の議題が扱われ、通訳を担う言語の専門家がますます必要となった
1941年、ジュネーブ大学において最初の通訳者養成プログラム誕生 ⇒ 国際連盟で働くプロ通訳者の養成が目的
ウィスパリングでは、訳語を聞ける人が限定されたし、逐次通訳では時間がかかり過ぎるのがネック ⇒ それらの改良版として同時通訳が考案される
ボストンの実業家ファイリーンと、エンジニアのフィンレーがIBMのトーマス・ワトソンに連絡し3人で発明の特許を取得、IBMが装置を製造 ⇒ いくつかのチャンネルを繋ぎマイクで結んだだけのものが特許というのは不思議
国際連盟での通訳は、翻訳の同時読み上げ方式
ニュルンベルク裁判で言語面の特別な対応が必要とされた背景:
   国際軍事裁判所の憲章により、被告人は公正な裁判を受ける権利を有するとされ、全てのやりとりをドイツ語に翻訳する必要があった
   同憲章により迅速な裁判が定められ、逐次通訳の時間短縮が要請された
   裁判に関与する連合国にはすべて、自国の言語を使用する権利が与えられなければならなかった
ニュルンベルク裁判で最初に同時通訳を考え付いたのは、米国の首席検察官のジャクソン判事と、ニュルンベルク裁判の翻訳局長を務めることになったレオン・ドステール大佐という両説がある
人間の能力に対する懸念と正確性に対する疑問等から導入に懐疑的だったが、ドステールの登場が契機となって、短期結審のためには導入せざるを得ないとの結論
機器はIBMが提供、各国で有能な同時通訳者が採用され
裁判中の通訳者・翻訳者の総数は、ソ連関係者を除いて約300
採用基準 ⇒ 基本要件は逐次通訳と同じで、2つの言語に対し抜きんでた知識を有し、広範な文化的・教育的背景を持つことと、ストレスの多い状況下でも慌てず平静を保てる能力。優れた学歴を持つ言語専門家の多くはこの任務に向かない

第2章        通訳システムの説明
裁判の開始とともに同時通訳は、法廷を見守る人々を引きつけ驚嘆させ、人々の想像力を最も掻き立てるものとなる
目標言語別に4つの言語デスクがあり、原発言から目標言語に通訳する3人の同時通訳者が配置され、常時計12名の通訳者が稼働、その構成をしたチームが3つある
通訳者が法廷全体を見渡せるよう、被告人席奥の一段高いところに配置され、話者とその身ぶり、唇の動き、表情を目にすることが出来、通訳者にとって発言を理解するうえでの助けになった
通訳ブースは、言語チームごとにガラスで仕切られ、水族館と呼ばれたが、仕切りには天井がなかったために、マイクに向かって小さな声で話した
通訳の正確性を期すためにモニターとなる監督者が置かれてチェック
ニュルンベルク裁判における通訳業務:
l  審理の同時通訳
l  判事のために行われた通訳 ⇒ 判事席での通訳(2)と、協議室での通訳(英仏露のみの同時通訳)があり、お互いの会話など通訳システムを使った通訳以外の通訳を担当
l  裁判の公用語以外の言語の通訳 ⇒ 4つの言語を話さない「少数」言語の証人の場合は、召喚した国の言語での双方向の通訳となり、マイクに向かって話すのは通訳であり、原発言も公式には記録されなかった
l  翻訳を組み合わせた通訳 ⇒ 事前に翻訳された文書の読み上げやサイトトランスレーション(文書からの口頭翻訳)も活用
ニュルンベルク裁判における通訳システムの欠陥:
l  逆翻訳・二重翻訳によって意味が変わる ⇒ 翻訳された文書をベースにした判事の質問が原発言に翻訳し直された際、原発言の内容と差異が生じる
l  翻訳が必要とされる膨大な量の文書の翻訳作業に、当初翻訳局が対応できなかった

第3章        通訳の信頼性と裁判への影響
通訳の正確性を期すため、発言を記録に残すシステムが導入された ⇒ 全発言が録音され、速記された通訳者による訳出内容がチェックされた
ディスク・レコーダーには原発言チャネルの音声が録音され、訳出はアップライトリール式レコーダーでテープに録音されたがテープの方は劣化が進みもはや聞くことは出来ず、映像に残されたものを除き失われてしまった
当初こそ速記録作成に時間がかかったが、間もなく当日の終りまでには入手可能となり、校閲部による内容のチェックも行われ、事後的に当事者の確認を重ねて適宜修正されてもいるので、こんにち法廷内通訳の正確性をチェックすることは非常に難しい
速記録が裁判の進行にどれほど重要だったかは、判事の職務の進め方による ⇒ 判事が法廷で耳にしたことを基に判断するとすれば同時通訳がすべてとなるが、判断を下す前に速記録で再確認するのであれば、正確性を期した速記録は重要。この点に関する規定もなく、判事によっても異なるところから、どれだけ記録が公正な裁判に貢献したかは不明
同時通訳が公正な審理の実現に及ぼした影響 ⇒ 同時通訳に対して人々が持つ意見は、同時通訳に関する知識の有無、量によって異なる。反対尋問に適した通訳方法と考えられたが、同時通訳特有の僅かな時間の遅れが迅速な言葉のやりとりの必要な場面では障碍となる。判事は同時通訳に頼っており、スピード感ある反対尋問も、慌ただしい訳出により原語での効果が弱まることはしばしば見られ、裁判長からも弁護人に対し通訳者の訳出の時間を確保するため文章の終りと質問の終りに間を置くべきとの注意があった
英語をかなり理解するゲーリングは、英語での尋問に対しては答えを考える時間的な余裕が出来、有利に働いた
ドイツ語には同時通訳に適さない言語的特徴があるという問題も、通訳が審理に微妙に影響した例 ⇒ ドイツ語話者の多くが当初は非協力的で、時に曖昧且つ多義に取れる言い回しを意図的に使ったことも通訳を悩ませた。動詞が文末に来るため、肯定か否定か長文の最後に来るまで分からない
通訳者が公正な通訳を行おうとするうえで注意しなければならないドイツ語の特徴として、ドイツ語話者が文章をJa(ヤー)で始める癖。間を取るwell….の意味でのJaであって、通常通りyesと訳すと有罪を認めかねない
ナチ独特の用語の曖昧さも問題 ⇒ 「最終的解決=ユダヤ人殲滅」、「登録する=身体的に捕まえる」。どの言葉を選ぶかは通訳者の責任
通訳者の性格と声も審理に影響 ⇒ 声の抑揚やその他の言語外特徴によって証言にニュアンスが加わったり消されたりする可能性があった。「収容所には売春宿があった」という証言の通訳で「売春宿」を省略したり、収容所の看守が侮蔑的な言葉を使ってした証言を一般的な表現に換えてしまったりした通訳者が降板させられた例もある
通訳を巧みに利用した被告人の筆頭がゲーリング ⇒ 反対尋問の際時間を稼いで答弁を考え検察団を苛立たせたり、逆翻訳によって原本とドイツ語が違うのを指摘したり、同時通訳の誤りを指摘したり、死刑宣告前に連合国に一矢報いてやろうとする最後の報復として、全世界が注目する中で連合国を嘲笑し、彼等がお膳立てした法廷で繰り広げられる見世物に対する軽蔑の意を表そうとしたが、最終的には通訳システムがゲーリングに「死刑宣告」という形で復讐を果たす
通訳に対する評価 ⇒ 見事に機能したというのが最も広く共有された評価で、時間の大きな節約になったのは最大の功績。通訳者のお蔭で審理を理解し法廷に自らの発言を理解してもらえたと言って通訳者に感謝の手紙を書いた被告がいたり、米国検察団長のジャクソン判事も裁判の成功と円滑な運営は通訳システムとそれを機能させるために集められた質の高い通訳者によるところが大きいと評価

第4章        法廷外での生活 ⇒ 通訳者のニュルンベルク体験
米国が言語関連業務にかかる費用のほとんどを負担 ⇒ 通訳者の採用も突出。アメリカ以外は給与も低く、1人でも能力不足がいるとシステム全体が機能不全となるため、アメリカがそれをカバー。宿泊場所や食料もアメリカが確保。裁判以外の時間にはいろいろな娯楽もあったが、ソ連代表団だけは鉄条網の奥にある接収住宅に隔離されていた

第5章        通訳者のプロフィール
ほとんどが一時的に通訳を職業としただけで、結審後は以前の職に戻った
l  ドステール ⇒ 翻訳局長と初代首席通訳者。1904年フランス生まれ。21年渡米。ジョージタウン大でフランス語教授。44年アイゼンハワー大将の仏語通訳
l  ジークフリート・ラムラー ⇒ ニュルンベルク裁判と継続裁判で通訳を担当、4849年は通訳局長。1924年ウィーン生まれ。44年米空軍の語学連絡将校。裁判の通訳採用に応募、公判前訊問手続きから独英通訳者として参加
l  アルフレッド・ギルバート・ステア・ジュニア ⇒ 翻訳局副局長、ドステールの後任の局長。1913年米国生まれ。ゲーテ研究の言語学者。4147年海軍(大佐)。軍務の後は研究職と教職に戻る
l  アーネスト・ピーター・ウィベラル ⇒ 裁判に最も長く関わったモニター兼通訳者。継続裁判の首席通訳者。1911年ウィーン生まれのユダヤ人。38年米国に亡命。44年陸軍。裁判開廷直前にニュルンベルク入りして通訳者兼モニターとして参加。48年通訳局長。48年陸軍復帰、18年間在籍

結び
ニュルンベルクでの体験を通訳者は今日どうとらえているかは、人によって異なる
米軍の占領統治は、「通訳者と愛人の政府」と呼ばれるほど、街全体の荒んだ雰囲気から、出来るだけ早くニュルンベルクを離れようと考える関係者は多く、裁判が行われた年の言語要因の離職率は100%を超えた。離職を促したのは嫌悪感
ニュルンベルクが置かれた状況は厳しくはあったが、ニュルンベルク裁判における通訳者の功績が素晴らしいものだったことに疑いはない

エピローグ ニュルンベルク裁判後の通訳
同時通訳が主要な国際会議へと普及するきっかけとなる
ドステールは、国連への同時通訳システムの導入を指揮し、裁判結審後の有能な同時通訳者の多くを吸収、さらにジョージタウン大学に通訳・翻訳科を備える言語・言語学部を創設


解説            武田珂代子
ニュルンベルク、東京、そしてハーグ――国際戦犯法廷における通訳システムの発展
ハーグにある旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所ICTY ⇒ ルワンダ、東チモールへと続く
1.   ニュルンベルク裁判における通訳の特徴と歴史的意義を概括
ニュルンベルク裁判における通訳の最大の特徴は同時通訳であると同時に、各通訳者が一方向のみの訳出に専念。通訳の正確性を期すためにモニターを配置するとともに速記録や録音によって訳出内容を修正する仕組みを導入。大半が未経験の通訳者で実践を通じて初めて同時通訳者としての資質が明らかとなる
歴史的意義としては以下の3
   同時通訳を多言語間で一斉に行うことが可能だということを世に知らしめた世界初の現場
   同時通訳者としてのスキルが明確となり、養成に拍車がかかった
   会議通訳という職業でその後見られた「民主化」や「女性化」の先駆的出来事

2.   東京裁判における通訳の特徴と歴史的意義を概括
3層構造 ⇒ 日本人が通訳(適任の米人がいなかった)、日系米人(帰米)がモニターとして通訳をチェック、白人米軍士官が言語裁定者として通訳・翻訳上の争点を裁定
装置はあったが、日英間の同時通訳は困難と考えられ、逐次通訳で、双方向もいた
誤訳が審理中に訂正されるシステムが存在
裁判終了後も通訳を生業としたものは実質的にいなかった ⇒ その後の日本における会議通訳の確立に関与することはなかった
歴史的意義としては以下の3
   日本における会議通訳の先駆的出来事
   通訳作業の状況や訳出の内容が一般の耳目に届いた
   同時通訳装置が初めて使用された ⇒ イヤホンを通して通訳を聞くという仕組みの認知度が高まる

3.   ICTYにおける通訳の概要と通訳者が直面する課題
1991年以後のユーゴ内での民族浄化や戦争犯罪を裁くために93年の国連安保理決議に基づいて設置された時限的法廷、96年初公判以後現在も継続
ICTYの公用語の英仏語と、被告人の言語(ボスニア語、セルビア語、クロアチア語)を加えた3言語間の同時通訳提供
英語発言・通訳の速記録がリアルタイムでモニターに提供され、その場で通訳者が誤訳や記録の誤りを訂正できる
ネット公開のため、自らの通訳が世界中の不特定多数の目に晒されるという緊張感
通訳者の大半が旧ユーゴ出身者のため、ブースはミラーガラスで防御されるとともに、証言内容からくる精神的ストレスもあるようでカウンセラーが常駐
司法制度の違いから、司法用語を各言語に訳出すること自体が困難なことが多い

4.   「ニュルンベルク・東京」とICTYの通訳システムのつながりの可能性と、各国法廷における通訳実戦との繋がり
ニュルンベルクと東京では同じ装置が使われたというだけで、通訳システムの側面では、全く異なるシステムがそれぞれに考案され、通訳に関する情報の共有は殆どない
ニュルンベルクとICTYの間では、国連が設置し国連と同じように同時通訳を用いる点で共通点があるが、システムの詳細となると共通点はなく、同時通訳の50年の蓄積が現在の仕組みを構築していると考えるべき
東京裁判における通訳の詳細が日本以外に知られることはなかったが、母国の指導者を裁く審理で働くことについてICTYの通訳者が抱える心理的複雑さや葛藤は東京裁判に通じるものかもしれず、通訳者の位置やアイデンティティの問題に関し東京裁判とICTYの両方を参照することが望まれる



ニュルンベルク裁判の通訳 フランチェスカ・ガイバ著 国際軍事裁判支えた同時通訳 
日本経済新聞朝刊201312月1日付フォームの始まり
フォームの終わり
 
通訳や翻訳は戦争と平和に欠かせない。ポツダム宣言を「黙殺する」とした日本語が「ignore(無視する)」と英訳されたことの是非は未だに問われているし、敗戦後の東京裁判では通訳者が大きな役割を果たした。しかし、そのような事実はこれまで殆ど顧みられず、近年になってようやく研究が始まった。
(武田珂代子訳、みすず書房・4200円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(武田珂代子訳、みすず書房・4200円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 本書は、その端緒ともいえる書である。第2次世界大戦後、ナチの主要戦犯を裁くため194511月から46年8月まで開かれたニュルンベルク裁判における同時通訳について、初めて明らかにした。
 この裁判は「600万語裁判」と呼ばれ40巻以上におよぶ記録があるが、公式記録にはこの裁判を可能にした同時通訳についての言及が全くない。実際には、この国際軍事裁判は、4カ国語が行き交う裁判であり、通訳なしには成立しえなかった。
 さらに、同時通訳を導入したのが画期的であった。それまでの会議では逐次通訳が主であり、国際労働機関(ILO)などで少しずつ試されてきた同時通訳が初めて、全世界が注視する国際裁判で使われたのである。
 著者のガイバは、同時通訳導入に至った経緯から同時通訳者の選考、実際の裁判における様子などを、一次資料を発掘し、存命の関係者に問い合わせるなど丹念に調査し、歴史に残る裁判を言語面で支えた通訳者たちの姿を鮮明に浮かび上がらせている。
 選考にあたっては数百人を試験し合格者は数%にすぎなかったこと、外国語に堪能なだけでは通訳はできないこと、通訳者には集中力や頭脳の回転の早さに加え、ストレスに堪える強さが必須なことも語られている。
 ニュルンベルク裁判で奮闘した同時通訳者たちの多くは後に国連の同時通訳者として活躍し、通訳者養成や通訳研究に関わった。また、同時通訳の存在が知られることで「なぜ同時に訳せるのか」という研究に繋がったことから、この裁判は通訳研究が花開く契機になったともいえる。
(立教大学特任教授 鳥飼玖美子)



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