三面記事の歴史  ロミ  2013.11.9.

2013.11.9.  三面記事の歴史
Histoire des cinq siècle de Faits Divers

著者 ロミ 博物学者

訳者 土屋和之 1976年生まれ。上智大大学院文学研究科博士課程満期退学。現在、パリ第四大学博士課程在学中

発行日           2013.9.20. 初版第1刷発行
発行所           国書刊行会


モーリス・ギャルソン(アカデミー・フランセーズ会員)による序文
Faits Divers(三面記事的出来事)という語の意味 ⇒ Faits(フェ)とは、注意を惹くに値する物事、行動、偉業、行為、仕草である。Divers(ディヴェール)とは、事実の表面、側面、外観の多様性をいう。2語が結びついて特殊な意味を帯びたが、それが今日の意味で使用されたのは日刊紙の発行以後のこと
一般に三面記事とは、現在のもの、束の間のもの、二次的なもの
場所と距離にも関わりがある
出来事の価値は相対的 ⇒ 三面記事が紙面に占めるスペースを決定するのは、出来事そのものの価値如何によるのではなく、最大多数の読者が持ちうる関心による
新聞は書物を殺し、新聞は三面記事によって蝕まれ、社会のダニになる

第1章        三面記事と文明
殺人というのは、太古の文明以来、文明の本質的要素
古今東西を通じて三面記事の恰好の材料

第2章        三面記事の発展
中世に流行した三面記事的出来事は天空の事象だけ
暴力行為は地上に溢れ、略奪行為も頻発していたので、人を驚かせも楽しませもしなかった。というわけで11世紀になると誠実な人々が平穏に生きようと、自警団を設ける
11世紀末に起こった一部大衆を不愉快にした比類のないスキャンダル ⇒ 放埓な君主のご乱行
12世紀には捕り物劇とも言うべき三面記事的出来事がいくらか評判になる
当時の瓦版には、「商業的」な2種類の出来事がある ⇒ 1つは武勲、戦記、王の入市式で、もう1つが天空の事象(彗星の出現、食等)
16世紀の年代記には、畸形と悪魔が溢れる
17世紀前半、ルイ13世の治世下のパリは、夜毎殺人と略奪の舞台
若きルイ14世の宮廷時代には、情痴事件が町人社会にも拡大
18世紀に脚光を浴びた主要な三面記事的出来事は、善行や英雄的行為を示す言動 ⇒ 流行の文学の影響や、版画家、年代記作者の顧客の上品さによって説明される
1783年、ベンジャミン・フランクリンが気球の自由飛行の模様を描いた手紙 ⇒ センセーショナルな三面記事的出来事のルポルタージュそのもの
19世紀後半のフランスでは、事はみなシャンソネット(小唄)で終わる

第3章        新聞と三面記事
190507年、20語ほどに制限された見出しがそのまま記事になるように書くことを工夫
50年後、そのスタイルが日刊紙の見出しに再び現れ、事件を24行で要約した見出しを掲載することが流行り、他紙も追随

第4章        三面記事商店街
いつの世でも、意外な出来事や不快な出来事はたいてい人々を激しく惹きつけるもので、話を読む楽しみ、絵を眺める楽しみにお金を払わせるのを商売人が思いついても何ら不思議はない ⇒ 19世紀前半のロマン派時代に「かわら版」産業が隆盛を誇ったが、それより300年前にはすでに三面記事を商うことは盛んになっていた。16世紀の半ばに印刷術が進歩し、同時代の出来事を知りたいという欲望が広まったことで、かわら版の売り上げは伸長。1631年最初の定期刊行の新聞が発行され、以降彼とその模倣者たちは「号外」と銘打ったセンセーショナルな三面記事を扱った特大号を大部数発行
当世名士たちの行状と自然災害とが新聞業者と行商用のビラ業者の収入源となる
同時に、版画商人も評判の出来事を描いた版画に興味を持つようになり、18世紀にはこの種の芸術作品が大ブームに
かわら版 ⇒ 1840年頃、バルザックが巷のそこここで呼び売りされているかわら版を、「犯人の死刑判決、その最期の時の報告、勝利の報、猟奇的犯罪の報告などが印刷された1枚のビラを印刷所の用語でかわら版という」と定義している
真実の事もあるが、常に誇張されていて、多くの場合嘘のニュース
最も神経を使うのは見出しの文章
殺人とともに、自然災害も定期的に取り上げられた ⇒ 中でも好んで取り上げられたのは洪水。田舎ならどこでも頻繁に起こった大災害だったので、顧客の同情を買いやすかったうえ、売上金は被災者に寄附すると訴えたが、買う方も嘘と承知の上だった
1911年、モナリザがルーヴルから盗まれた時は「国難」として、ルーヴルは哀悼の意を表して1週間閉館、2週間の間この盗難を利用して1380ページが費やされた
血腥い表紙を専門とする新聞の誕生 ⇒ 1862年創刊の『三面記事』紙、63年の『挿絵新聞』など数紙で犯罪ニュースを独占
1928年、フランスで三面記事的出来事を扱った週刊誌『探偵』創刊 ⇒ リアルでショッキングな写真や報道内容から、道徳的、社会的、心理的問題が持ち上がる

第5章        政治利用された三面記事
15世紀、宗教的狂信に偏向させられた多数の犯罪事件が発生 ⇒ ユダヤ教徒は邪悪な者と見做され、反ユダヤ主義が現実化
反教権主義も反ユダヤ主義と同様に、司法官、政治家、ジャーナリスト、それを待ち望んでいた群衆を過激にした ⇒ 修道会が目の敵にされた

第6章        三面記事から作られた芸術や文学
三面記事的出来事に着想を得た作品は後世に残らない ⇒ 同時代の出来事が呼び起こす熱狂は冷めやすい
三面記事を扱った唯一の偉大な画家は、テオドール・ジェリコー ⇒ 1817年の検事惨殺事件の詳細を証人の言及をもとに正確に復元。16年のメデューズ号遭難事件では筏に残された149人の壮絶な生存競争を描く。33歳で没、友人のドラクロワが大方の習作を購入
作家にとって、三面記事的出来事はアイディアの泉だが、あまりに時代色が強すぎる作品となって一時的な成功しか望めないことがほとんど
例外は、『ロビンソン・クルーソー』⇒ 実話の主だったアレクサンダー・セルカークの名は忘れ去られたが、ダニエル・デフォーは小説のモデルとして利用
『モンテ・クリスト伯』⇒ 180714年に不当に投獄されたフランソワ・ピコーの復讐譚から剽窃
カミュの小説『異邦人』も、新聞の切り抜きを利用して制作
ゲーテは、密かに、だが熱烈に愛した娘のもとを去った直後に、娘の許嫁だった友人から、人妻に恋した同僚がピストル自殺した模様を聞き、『ウェルテル』(1772)を夢遊病と紙一重の状態で1か月で仕上げる
スタンダールの『赤と黒』(1830)も、聖体奉挙の時に恋する年上の人妻を殺害して自殺を図り死刑に処せられた青年の事件を忠実になぞったもの
フローベールの『ボヴァリー夫人』(1857)は、作者自身は強く否定するが、9年前に愛人に捨てられ、平凡な田舎暮らしに耐えられなくなった軍医の後妻の服毒自殺から着想を得たものであることはほぼ間違いない




三面記事の歴史 ロミ著 「雑多な出来事」への好奇心 
日本経済新聞朝刊20131013
 〈三面記事〉というのは日本でつくられたことばで、重要なニュースの一面に対して、日々の事件、風俗、ゴシップ、スキャンダルなどの社会面の記事のことだ。フランス語ではフェ・ディヴェール(雑多な出来事)というらしい。ちなみに英語ではホーム・ニュースとかシティ・ニュースという。ヒューマン・インタレスト・ストーリーといういい方もある。人間の好奇心をそそる話といったところだろうか。
(土屋和之訳、国書刊行会・3800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(土屋和之訳、国書刊行会・3800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
 この本の著者のロミは、シュルレアリスム系の「ビザール」という雑誌を出し、人間の奇行、かくされた面などの事象をコレクションする好事家(ものずき)で、『突飛(とっぴ)なるものの歴史』などを書いている。ここでは世界の〈三面記事〉を蒐集(しゅうしゅう)して、そのスクラップ・ブックをつくるという、まさにもの好きな本をつくり上げた。
 原題が「フェ・ディヴェールの五世紀の歴史」であるように、十五世紀ぐらいからの事件や奇譚(きたん)が集められていて、だいたい歴史的に並べられているが、どこから読んでも面白い。通読するというよりは、あちこちさまよって、雑多な話を楽しむようになっている本である。
 そして、あらためて、人間とはなんと馬鹿馬鹿(ばかばか)しく、滑稽で哀(かな)しいものかを感じさせる。人はあっけなく人を殺し、自分の人生を棒に振ってしまう。しかもそんなとりとめなく、くだらない出来事が、これまたとめどなく人々の好奇心をそそるのだ。
 十九世紀には残酷で悲惨な事件のニュースがはやり、音楽入りのドキュメンタリー劇になり、メロドラマといわれた。
 私たちはなんと、三面記事、メロドラマが好きなことだろう。それは週刊誌、テレビのワイド・ショーへと受け継がれた。そしてインターネットというつぶやきのメディアこそまさに新しい〈三面記事〉フリークの時代を到来させたのではないだろうか。
 一九六二年に書かれた三面記事のスクラップブックが、今、新しく紹介されるのも、ネットの時代に通じていたからかもしれない。
(著述家 海野弘)



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