統合の終焉 EUの実像と論  遠藤乾  2013.9.5.

2013.9.5. 統合の終焉 EUの実像と論理

著者 遠藤乾 1966年生まれ。北大法卒。カトリック・ルーヴァン大学修士号(ヨーロッパ研究)、オックスフォード大学博士号(政治学)。欧州委員会(ジェンキンス委員長)の研究諮問機関「未来工房」専門調査員等を歴任。現在北大大学院法学研究科、公共政策大学院教授。専攻は国際政治、ヨーロッパ政治

発行日           2013.4.23. 第1刷発行
発行所           岩波書店

連邦国家を目指す「統合」の物語は終わった。けれども、もはやEU抜きの統治は考えられなくなっている。「ポスト統合」を生きるヨーロッパをどう捉えたらよいのか。EUの形成過程やその内的なダイナミズムの分析、統合の思想的検討などを通じて、ヨーロッパ統合の持つ豊かな含意を引き出していく。気鋭の国際政治学者がEUの実像と論理に迫る意欲作

まえがき
大文字、即ち大きな物語として戦後進行した「統合Integration」は終わったが、どっこいEU(欧州連合)は生きている、そしてそのことの含意には、実際上であれ理論上であれ、相当な奥行きがある、というのが本書のメッセージ
いつの日かヨーロッパが合衆国になることでナショナリズムを克服し、域内に恒久平和をもたらす、という目的論的シナリオは最早保ちえない ⇒ 05年にフランスとオランダが憲法条約を国民投票で葬り去り、その2年後EU首脳が「憲法概念は放棄」と明示的に合意した時に「統合」の物語も終わった。09年以降のユーロ危機でも加盟国間の深い分断がさらけ出された
地理的に西側に、機能的に経済へと「仕切られた」中で初めて「統合」アジェンダが成立していた ⇒ 冷戦の終了でソ連が消え、ドイツが統一、アメリカが退いていく時、「統合」の前提が蒸発。仕切りが外れたために遠心力が高まる
その一方で、EUへの集権化という小文字の「統合」は着々と浸透 ⇒ 財政条約により加盟国の予算編成を縛り、各国の財政主権に踏み込んでEUの権限を増強、独自の予算編成、ヨーロッパ全体の銀行監督権限を欧州中央銀行に付与等を通じて具体化が進む。これが本書の第2のテーマ
3のテーマが、EUという宙ぶらりんな存在が何ものなのか、どんな可能性を持ち限界を抱えているのかを明らかにすること
デモクラシーは国家以外の主体や場で作動しうるものだろうか

第1章        ヨーロッパ統合の政治学――EUの実像と世界秩序のゆくえ
国家でも単なる国際組織でもない宙ぶらりんの状態のままそれなりに安定している
G2幻想 ⇒ 米中が世界政治経済秩序を仕切るという考え方への反発
今や、5億の人口を持ち、世界最大の経済体となったEUを無視するわけにはいかない
19世紀ヨーロッパに国民国家が確立していく過程で、領域を跨ぐさまざまな機能をどのように担うのかという問題が意識され、国際河川や輸送、郵便などの通信の管理、港における衛生の規制という形で現れた。これらは後の国際連盟や国際連合における機能分野別の専門機関の設立に繋がる一方、ヨーロッパ内で越境する国際エリート間協力(の貴族的伝統)を再生産するものだった。そうした歴史的経験の延長線上で、越境的な相互依存のマネジメントを担ってきた先端例がEU ⇒ とはいえ、越境的な統合と加盟国間の主権との緊張関係や、統合体の民主的制御の問題は未解決のまま先鋭な争点であり続けている。これは「民主主義の赤字」として、EUのみならず国際連合やASEAN等のケースにも共通の問題
地域の作り方 ⇒ 一国では保全しきれない影響力を獲得し、世界的に投射する1つの有力なメカニズムとならなくてはいけない。フィンランドのパルプ輸出がアメリカからダンピングだと抗議されたのが、同国がEUに加盟する契機となったのはその1例であり、単なる地域統合では不十分
1648年のウェストファリア条約によって近代主権国家システムが確立されたと言われるが、主権国家の成立は遙か後のことであり水平的な国家間関係が成立したとは言えない
1964年 E・ハース(アメリカに亡命した国際政治学者)が、『国民国家を超えて』でヨーロッパ統合を提唱
1980年代後半 ヨーロッパ統合が再活性化する中、主権=統合論争が復活

第I部           EUの歴史的形成――統合リーダーシップのドラマツルギー
歴史的なアプローチ ⇒ どんなヨーロッパがいかにして形成されたのか
第2章        ジャン・モネ(18881979)――「ヨーロッパの父」は何を創ったのか
モネ ⇒ 「ヨーロッパの父」と称される
1次大戦中、仏首相に掛け合って英仏間の戦時共同物資調達の実現を主導(主導的役割を果たした人たちがそのまま国際連盟で枢要なポストに就く)、戦後は国際連盟事務次長となる。一旦家業のコニャック商を継ぎアメリカを中心に金融投資家として財を成し、国際金融業務に乗り出す。第2次大戦でも英仏協力を説き英仏調整委員会の議長に就任、フランスの軍事的敗北の中「英仏連合」案を推進するもペタン将軍による対独講和で挫折。チャーチルの委任を受けて北米における英国購入委員会に参加しローズベルトに「民主主義の兵器廠」を提唱、航空機・戦車等の大量生産目標で知られる「勝利計画」を策定。ケインズは彼の活躍を「戦争の終結を1年早めた男」と称讃
ローズベルトの意を対してフランスの対独抵抗勢力を糾合し、ド・ゴール体制を支援、戦後は復興と生産力増強に向けた計画庁の設立を提案しその長官に就任、モネ・プラン策定。TVAをモデルとするなど、国家の市場への積極的介入を推し進めるニューディール主義の落とし子でもあった ⇒ 50.5.9.(現在のEU記念日)のシューマン・プランとなって、欧州石炭鉄鋼共同体ECSC設立に繋がる。鉄鋼の生産回復のためにはドイツの石炭を取り込むしかなかったため、石炭鉄鋼をヨーロッパで国際共同管理下に置くことにしたものだが、その根底にはマーシャル・プランが求めた援助の大陸規模による効率的な利用、つまりヨーロッパ統合を実現するよう設計されていたことがある。ヨーロッパをひとまとめにして支援することにより、鉄のカーテンの東側と対抗するという国際冷戦の論理に応えるもの
イギリスは、超国家的な統合には反対したが、アメリカの前に屈した
50.6. 朝鮮戦争勃発 ⇒ モネが仏首相プレヴァンに働きかけて欧州防衛共同体構想を提唱(プレヴァン・プラン)するが、議会も批准を延期し挫折
55.10. ヨーロッパ合衆国のための行動委員会立ち上げ ⇒ その成果が57年のローマ条約による欧州原子力共同体EURATOMの設立であり、原子力分野での統合を実現
57年 ローマ条約によって欧州経済共同体EEC設立 ⇒ 仏独伊+ベネルックス3国による共同市場構想で、水平統合を目指すが、5869年のド・ゴール政権はフランス主導による政治統合を目指し、モネは雌伏の時を過ごすが、同時にモネが基盤としていたアメリカのヘゲモニーと大西洋共同体主義の終焉でもあった
最晩年はヨーロッパ首脳の定期会談の制度化に向け働き掛け、74年以降の欧州理事会の制度化に繋がる
モネの死後、冷戦の終結で米欧を結び付けていた圧倒的な共通利益感覚は消え、米欧利害は分岐。新生EUは、地理的に東に拡大、安全保障の分野に乗り出し、経済に限定されない政治体へと変貌を遂げ、NATOと競合し始め、モネの命脈も尽きる
モネの生誕100年に、ミッテラン大統領は彼をパンテオンに祀る

第3章        ジャック・ドロール――中興の祖はどう動いたのか
「ミスター・ヨーロッパ」 仏蔵相から、8595年欧州共同体EC委員長President
元々モネの下で働き、その手腕に憧憬
58年発効のローマ条約で発足したEECの執行機関がEEC委員会 ⇒ 67年にEECEURATOMECSCが統合され、執行機関もEC委員会となり、93年のマーストリヒト条約発効後はEU委員会
欧州委員長のアキレス腱は、正統性の問題 ⇒ 加盟国政府間の合意により選出
ジェンキンス(英、在任7781)時代から、加盟国指導者で構成される欧州理事会に出席、統合アジェンダの操作を試みる中、次第にリーダーシップを発揮していく ⇒ 欧州通貨制度EMSの創設の道筋をつける
ドロール就任当時、既に市場統合を始めヨーロッパ統合に追い風が吹いていた ⇒ ミッテラン大統領とは愛憎相半ばする関係にあり、順番でもドイツかデンマークだったが、コール西独首相とサッチャー英首相の支持を得て委員長に
就任直後、議長国に働きかけてローマ条約改正のための政府間会議開催を決定、その下準備を委員会が請け負い、その過程で強力なリーダーシップを発揮
85年 単一欧州議定書採択 ⇒ 政治協力と経済時候の2つを合体した政府間合意
88年 ドロール・パッケージ合意 ⇒ 構造基金の倍増と、各国GNPに比例した新拠出金によるEC予算規模の引き上げ
91年 ローマ条約改正のための政府間会議本格化 ⇒ 経済通貨問題と政治統合については別個に開催。通貨統合は、フランスの動きに押されてドロールが動いたもので、ドロールの指導力でまとまるが、政治統合では主導的役割を果たせないままマーストリヒト条約締結に至る ⇒ 92年最初の批准がデンマーク国民投票によって否決
フランスも国民投票実施を表明するが、条約批判が噴出、それを契機に欧州各国通貨が投機の対象となり、ERMの変動幅が大幅拡大、EMS構想も大きな後退を余儀なくされた

第4章        マーガレット・サッチャー(在任7990)――劇場化するヨーロッパ
ドロールと好対照
市場統合を推進し単一欧州議定書を締結することでヨーロッパ統合の再活性化に寄与する一方、対決的な手法によりいわゆる「欧州懐疑派」という統合反対勢力をイギリスにおいて大きく伸長させ、後世のイギリスとヨーロッパに、いわば「鬼子」と産み落とした
首相就任以前はEC加盟に積極的、キャラハン労働党政権が79年のEMS設立の際にERM参加を見送った時は議会で批判もした
首相就任と同時に、EC予算の80%が共通農業政策に割かれていることに異議を唱え、イギリスへの還付金を制度的に保証させた
市場統合には賛成したが、条約改正には反対。ECの諸機関、特にEC委員会の規制手法に真っ向から異議。ECはお互いに独立した主権国家が協力し合う方向を志向すべきであり、規制を緩和し、世界貿易を活性化し、自由な市場の創出に努めるべきとする
ドイツに対する本能的な敵意と、体に染みついた冷戦思考は、冷戦の終結やベルリンの壁崩壊になっても彼女から離れず、次第に孤立を深める
ドロールが、ドイツ統一への無条件の支持を明白にし、ドイツ人のナチズムとの訣別とヨーロッパ統合への貢献を讃えながら、政治統合と経済統合によってECを強化し、その中で強大な統一ドイツを抑え込もうとしたのに対し、英仏の指導者は連携して統一を遅らせようとしたが、フランスは戦後の平和、繁栄、そして権力の基盤であるドイツとの結びつきを無視するわけにはいかず、独仏共同イニシアティブを再開、サッチャーを置き去りにしてマーストリヒト条約への道を走る
サッチャーが反対する中、欧州理事会は、ドロールを議長とし、各国中銀総裁からなる新委員会を設置して、市場統合から通貨統合へとギアチェンジし、3段階に渡る経済通貨同盟EMU構築へと動く ⇒ 3段階とは、①全通貨のEMS参加、②各国通貨間の為替変動幅の縮小、③単一通貨政策への移行
サッチャーは、周囲の説得により90年になって漸くERMへの参加は認めたものの、通貨統合の条約改正には断固として反対、党内の支持が得られずに辞任に追い込まれる
いつの時代にも、どんな指導者にとっても、イギリスとヨーロッパの関係は一筋縄ではいかないが、サッチャーは特に例外的 ⇒ 彼女ほどヨーロッパに対して攻撃的な外交手法を執ったり批判的発言をしたりした人物はいない
サッチャーが蒔いた反統合主義、欧州懐疑主義の種は、90年代に開花し、21世紀に入ってもイギリスはヨーロッパの調和的な関係を妨害し続ける

第II部         ポスト統合を生きるEU――冷戦、拡大、憲法
世界秩序の中に「埋め込まれた」EUを明らかにする ⇒ EUの可能性と限界を世界秩序との関連で検証
第5章        鏡としてのヨーロッパ統合――「地域」の作り方と安全保障、経済統合、人権規範
EUモデルの内実 ⇒ 
   ヨーロッパに不戦共同体をもたらした平和モデル ⇒ 加盟国の繁栄と権力の集中と相俟って実現したもので、平和だけが要因ではない
   超国家性 ⇒ 加盟国政府の指示を受けずにヨーロッパ全体の利益を司る行政府として機能しているように見えるが、EU法の優位性共々絶対的に確立したものではない
   統合と勢力均衡の関係 ⇒ 統合しながら勢力均衡を図ってきた
戦後の「統合」ヨーロッパとは、一口で言えば、EU-NATO-CE体制であり、その特徴は、
    冷戦下、アメリカがNATOを通じて、ドイツを分割したまま西欧の安全を保障した
    アメリカがアジェンダの大枠を設定し、ドイツの脅威は当面存在せず、対ソでは結束できた
    人権保護を主任務とし、社会権や地方自治のあり方に於いてヨーロッパの独自性を担保しようとしてきた欧州審議会CEによって体制が支えられてきた

第6章        拡大ヨーロッパの政治的ダイナミズム――「EU-NATO-CE体制」の終焉
EUCE共に東方諸国へと拡大、ヨーロッパ国際政治は、量的のみならず質的に冷戦期とは隔絶した体制へと移行 ⇒ 東欧諸国の観点からは、モスクワの支配から脱却する「ヨーロッパ回帰」であり、一定の道徳的な正当性が見いだせるが西側諸国にとってはその利益は少なくとも当然視されるものではなかった
NATO拡大に伴う安全保障上も経済的にもコストを上回るメリットはないし、ヨーロッパ・アイデンティティも加盟の基準となったわけではない。にも拘らず拡大に同意してきたのは、自由民主主義的な体制や慣行を本腰を入れて支援することにより、紛争の原因を根本から除去してゆこうとする意思が背後にあるという一面もある
変質した背景の1つは、9.11を機にアメリカ(43代ブッシュ政権)が戦後一貫していたヨーロッパ統合への支持を明示的に放棄し、最大の推進役が失なわれたこと
さらに、EU+CENATOとの間に成立していた調和的分業体制が、冷戦の終焉とアメリカの位置の変化により崩壊しつつあった
EU憲法で拘束力を強めようとしたが、条約の批准過程で挫折。代わって「ヨーロッパ・ア・ラ・カルト」「柔軟性の原則」「高次の協力」という様式の行動パターンが登場、政策争点や問題領域ごとに参加国の組み合わせが異なるグループがさらに高いレベルの連携をする。好例が単一通貨や人の移動に関するシェンゲン条約
崩壊の道を進む一方、メンバーを拡大する過程で「規制帝国」化し、その影響力を域外へ投射しつつある ⇒ 加盟認可をちらつかせながら、ブリュッセル標準の受け入れを促し、その規制を世界標準に転化する動きすら見せる

第7章        統合の終焉――フランス、オランダによる欧州憲法条約否決は何を意味するのか
05.5.05.6. フランス、オランダでの国民投票による否決と、EU首脳による批准の順延決定により、欧州憲法条約は事実上葬り去られた
フランス    投票率   69.37    賛成   45.33    反対   54.67
オランダ               63.3             38.46            61.54
投票率の高さ、大差の結果、原加盟国による否決の3点で驚異的結果と言える
フランスは、92年の条約締結には5149の僅差で賛成
現政権への反発や、経済状況、排外主義(トルコを対象とした反イスラム主義)の高まり等、EU以外の原因も考えられる
長期的な危機として考えられること
    ドロール・コンセンサスの揺らぎ ⇒ 相互依存やグローバル化の中で、国民社会を維持・強化するためにこそ統合するという考え方への疑問
    デモクラシーの問題 ⇒ 政府間組織にはデモクラシーが存在しないのではないかという疑問
    東方拡大とともに、ヨーロッパの目的、境界、限界といった定義づけが不明確になってきた
「統合」という言葉を社会科学の世界に持ち込んだのは、イギリスの哲学者H.スペンサーで、19世紀後半のヨーロッパ諸国民がより大規模な有機体的社会へと進化する中で、①同盟・国際関係、②会議外交・国際法、③通商・世界経済、④交通・通信の4つのレベルに渡って平和的に相互浸透する様をはっきりと認識しており、それを「統合」という言葉で表現
2次大戦中、アメリカが戦後構想の中で、「ドイツのヨーロッパへの統合」という文脈で使われ始め、戦後「ヨーロッパ統合」と言う形で開花
07年締結のリスボン条約締結により、欧州憲法は公式に放棄され、「憲法」「独立」「建国」をイメージする大文字の「統合」と、その先に行き着くはずの連邦国家は終焉

第III部       危機の下のEU/ユーロ――正統性、機能主義、デモクラシー
EUの政治学的考察 ⇒ 政治体としてのEUが持つ内的な特質
第8章        ポスト・ナショナリズムにおける正統化の諸問題――国家を超えたデモクラシーは可能か
「民主主義」が「正統性」の源泉だとされるが、「民主主義」の意味内容は未確定、かつ、EUの統治構造自体が分かりにくい ⇒ 「領域」「権力」「市民」のいずれのカテゴリーにおいても大きく変容
EUは支配権力か ⇒ EU法体系に準ずるものとして「アキ・コミュノテール(共同体的蓄積)」と呼ばれる8万頁に上る条約、法令、政策、慣行の束が存在、加盟に当たってはその無条件受け入れを要求される。不服従への制裁は加盟拒否
通貨・競争政策の分野では強力な権力を排他的に行使できる反面、EUの持つ権限の9割方は「共有権限」といわれるように、加盟国政府と共同してなされ実効を確保する仕組み
87年以降、欧州理事会での特定多数による立法が可能となって、それが加盟国政府を拘束するというナショナルな民主制の根幹を揺るがし、その多数決による政策領域が大幅に拡大されていく中、EUの命令権力の発展が民主的な制御「不在」の感覚を強める ⇒ 欧州議会における多数決に依拠した民主的制御メカニズムはEUでは作動しにくい

第9章        ユーロ危機の本質――EUの正統性問題からグローバルな「政治」危機へ
80年代後半のEC域内市場における資本移動の自由化が、88年の通貨統合の動きの端緒となり、91年末の通貨統合合意、99年仮想通貨として導入、02年法定通貨へと繋がる
ユーロの政治的基盤 ⇒ 統一ドイツの強大化への懸念が存続、それへの制度的チェックが政治的に必要だと考えられ、通貨政策の決定権の共有がその一助となると信じられている程度に応じて、ユーロは政治的な根拠を持ってきた
ユーロ制度の構造的欠陥 ⇒ 参加国の間にマクロ経済指標上の収斂が存在することを前提としていたが、経常収支などにはもともと不均衡が存在し、単一の通貨政策しか選択の余地のないユーロの存在それ自体が不均衡を助長する構図となった
ユーロ運営上の失敗 ⇒ 当初参加の11か国の間にも公的累積債務等基準未達が見られたが黙認、12番目の参加国ギリシャは虚偽の財政・統計データにより認可されたにもかかわらず対処策がとられず、さらに9年末ギリシャに端を発したユーロ危機では対応が遅すぎた。結果として経常収支のギャップが恒常化
ユーロを「不可逆」として支えようとする動きもある ⇒ 12年の新財政条約
民主的、機能的、社会的の3側面にまたがる正統性の問題がネック

第IV部        国際政治思想としてのEU――世界秩序における主権、自由、学知
正統性の危機に見舞われながらもポスト統合を生きるEUが提起する問題を、思想、概念、学知の観点から再検討する
第10章     ようこそ「多元にして可分な政治体へ」――EUにおける主権と補完性
十数か国の通貨を統一し、年約15兆円の予算を執行し、加盟国法に優位し庶民を直接拘束する法体系を持つとき、EUは、経験的事実として、主権国家システムに馴染まない存在だが、いかなる理念・思想の下で構成され、支持され、正統化されうるのかを検証
マーストリヒト条約の前文に謳われた「補完性の原理subsidiarity」こそが、統合と反統合を結びつけた

第11章     国際政治における自由――EUシティズンシップ(欧州市民権)の問いかけ
92年のマーストリヒト条約で導入されたEUシティズンシップの意味も着実に変化
シティズンシップのヨーロッパ化 ⇒ 移住の自由、国籍による差別の撤廃、非EU市民の包摂等を通じ、多層的な政治システムの下で文化的に異質な要素が交じり合うのを承認し、差異の存在を前提とした上で連帯への期待を醸成

第12章     日本におけるEU研究の可能性――方法論的ナショナリズムを超えて
EUは、思想、歴史、(比較)政治のシリアスな研究対象
ナショナルな政治空間を自明のものとしてきた「自由」「主権」「民主制」「市民権」「憲法体制」という概念自体再検討が求められる


統合の終焉―EUの実像と論理 []遠藤乾
柔軟で奥深い多面的な政治体
 昨秋、欧州連合(EU)加盟国の対外文化機関の連合体であるEUNICの本部(ブリュッセル)を訪れる機会があった。ときはユーロ危機の真っただ中。EUへの悲観論が支配的だった頃だ。
 ところがスタッフは意にも介していないようで、いたって楽観的。すっかり拍子抜けしてしまうと同時に、EUという存在の捉えにくさを改めて実感した。今も英国がEU脱退を検討する一方、来月にはクロアチアが新たに加盟する。
 EUを動かしている運動律=論理とは一体何なのか。
 EUの形成過程からその実像、思想的含意までを精査しながら、著者は「欧州合衆国」のような大文字の「統合」はもはや望むべくもないものの、EU以前の世界に戻れないほど小文字の「統合」が進んでいると説く。
 曰(いわ)く「国家でも単なる国際組織でもない宙ぶらりんの状態のままそれなりに安定」しているのがEUであると。曖昧さは柔軟さやしたたかさの裏返しでもある。
 この指摘は重要だ。社会学者ダニエル・ベルが「国民国家は大きな問題を扱うには小さすぎ、小さな問題を扱うには大きすぎる」と評したのは四半世紀前だが、依然、私たちは国家単位で「主権」「市民権」「憲法体制」などをイメージし、リアル・ポリティクスを論じる癖があるからだ。
 とりわけ米国と中国という2大大国の行方に目を奪われがちな昨今、EUという政治体の奥深さと影響力はもっと想起されてよい。政治や経済の統合を推し進めるアフリカ連合(AU)がモデルとするのもEUである。
 本書は欧州委員会での勤務経験を持つ著者が過去10年ほどの間に発表した論考を中心に編まれているが、密度の高い12のパーツ()が有機的に結びついた曼荼羅のように仕上がっている。まさにEUという多面体を映し出しているかのようだ。
    
 岩波書店・3990円/えんどう・けん 66年生まれ。北大教授(国際政治、ヨーロッパ政治)。編著『ヨーロッパ統合史』

統合の終焉 遠藤乾著 多元的な視点から欧州連合を語る 

日本経済新聞朝刊2013年6月16
 ギリシャやイタリアなど欧州連合(EU)加盟国の債務危機がホットなテーマとなって以来、ユーロ圏やEU内の南北格差などに関する新聞記事が格段に増えたように思われる。本書は、タイトルの印象とは違って、「欧州統合の破綻」を論じているのではない。「統合は死んだ。しかしながら、EUはしぶとく生きている」というのが結論なのだから。その意味を汲みとるには、本書の全体を注意深く読まなければならない。
 共通通貨ユーロは、もともと、冷戦後の欧州において、統一ドイツの強大化を防ぐために導入されたが、EUの東への地理的拡大によって域内の結束を固めるのが困難となってきた。実際、2005年、フランスとオランダが欧州憲法条約を否決したことによって、著者のいう大文字の「統合」は終わった。だが、著者は、そのこととEUの消滅とは同じではないという。確かに、EUへの集権化と加盟国への分権化との綱引きはいまだに続いているが、EUが加盟国の権力、繁栄、平和に資する限り、そう簡単に崩壊するものではない。しかも、EUの共通予算の規模は韓国の政府予算に匹敵しているという。
 だが、国家でも単なる国際組織でもないEUをつかむ社会科学上の適切な術語はあるのだろうか。著者は、マーストリヒト条約前文やEC条約第3b(現第5)に登場する「補完性」(サブシディアリティ)原理に着目している。その術語は統合を推進するためにも制御するためにも利用されてきたがゆえに、若干の曖昧さが付きまとう。だが、著者は、それがあくまで「多元多層的な秩序」の理念として存続していることに重きを置いているようである。この点は、「方法論的ナショナリズム」(ナショナルな政治空間を自明なものとし、「自由」「主権」「民主制」などを論じてきた多数派のアプローチ)を批判する立場にもつながっている。
 EUを語るには、単に経済的な視点ではなく、その歴史や制度などにも通じた著者のような多元的な視点が必要だろう。著者のバランスのとれた叙述からは学ぶところが多いはずである。
(京都大学教授 根井雅弘)



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