ピュリッツァー賞受賞写真全記録  Hal Buell  2013.3.26.


2013.3.26. ピュリッツァー賞受賞写真全記録
Moments: The Pulitzer Prize-winning Photographs            2002

著者 Hal Buell 元AP通信写真部門責任者。シカゴで育つ。ノースウェスタン大でジャーナリズム専攻。星条旗新聞社のカメラマンを経て56AP通信社入社

訳者 河野純治

発行日           2011.12.19. 第11
発行所           日経ナショナル ジオグラフィック
ナショナル ジオグラフィック協会は、米国ワシントンDCに本部を置く世界有数の非営利の科学・教育団体。1888年に「地理知識の普及と振興」を目指して設立されて以来、9000件以上の研究調査・探検プロジェクトを支援し、「地球」の姿を世界の人々に紹介。

時代の象徴となり世界に配信された写真から、何気ない日常を切り取った写真まで、アメリカと世界を、フォト・ジャーナリズムはどう伝えて来たか。
写真部門が創設された1942年から2011年までの受賞作を網羅

ピュリッツァー賞とは
アメリカの新聞王ジョセフ・ピュリッツァーの遺言により、ジャーナリストの質の向上を目的として1917年に設立された。委員会はコロンビア大学に置かれ、受賞対象は報道のみならず、文学、音楽と幅広い。報道写真部門は1942年に設けられた。報道部門はアメリカの新聞に掲載された記事・写真を対象とするが、報道される内容は全世界に関わるため、時代を反映した記事が受賞作に選ばれることも多い。これまでに写真部門で受賞した日本人は3名いる

序文 David Halberstam (19342007) アメリカのジャーナリスト。ニューヨークタイムズ紙の記者としてベトナム戦争を取材し、64年ピュリッツァー賞。政治、企業、メディア、戦争などの分野でニュージャーナリズムの旗手として活躍
写真の分野でピュリッツァー賞を受賞するにはどれほどの才能と努力と知力と勇気が必要なのだろうか。偶然の産物などはほとんどなく、猛烈な勤勉さと、並外れた周到さと、たぐいまれな犠牲的行為の結果である
多くの写真の背後には、並々ならぬ才能を持つ撮影者と、並々ならぬ仕事への献身がある
撮影者たちの払った犠牲に感銘を受ける
困難で危険な場所、ピュリッツァー賞受賞写真が生まれる場所では、カメラマンは常に主要な標的になる
本書が思い出させてくれるのは、現代のイメージが持つ独特の力、そして、これらのイメージと私たちの感情とが大きく強い力で結びついていること

はじめに
ある写真をピュリッツァー賞作品たらしめるものは一体何だろう ⇒ いずれも時の流れの中の普遍的な瞬間を記録したもので、普通なら目にすることさえできない場所へ連れて行ってくれる
1935年 AP通信が初めて使用したワイヤフォト(有線電送写真)の技術により、新聞がリアルタイムで写真を掲載
42年 ピュリッツァー賞の写真部門創設
68年 特集写真部門創設 ⇒ ジャーナリズムにおける写真の役割の変化を反映
テレビの登場により、写真や映像は情報伝達上ますます重要に

第1期        大判カメラと初期のピュリッツァー賞受賞作品        194261
1912年 プレス・カメラの4x5スピード・グラフィックで撮影 ⇒ 目の高さでカメラを構える方式となり、シャッター・チャンスをより確実に捉えることができるようになった。29年にはフラッシュバルブが開発され屋内撮影にも使えるようになる
動きを予想する能力を身に付け、撮影枚数を節約するとともに、絶好のシャッター・チャンスを捉えた
アメリカの写真家は、朝鮮戦争以降、より小さなフィルムを使い始めるとともに、60年代中頃までには二眼レフから35ミリカメラへと移行
41.4.3. 最初の受賞作品は、デトロイトのフォード自動車最大のリバー・ルージュ工場の労働争議でスト破りの男に襲いかかる労働者の写真
46.12.7. アトランタのワインコフ・ホテルの火災で飛び降りる女性の写真 ⇒ アマチュで初の受賞
48.6.13. ベーブ・ルースが死の2か月前、ヤンキースタジアムにバットを杖にして立ち、ファンに別れを告げる後姿の写真
60.10.12. 日米安保条約を巡る主要政党の党首討論会の壇上で、浅沼稲次郎(社会党書記長)が山口二矢に刺殺された ⇒ 撮影した毎日新聞の長尾靖はアメリカ人以外で最初の受賞者

第2期        カメラの小型化、ベトナム戦争と公民権運動          196269
35ミリカメラの登場により多くの技術的な制約が取り除かれ、写真家は写真の「見え方」を変化させることが可能に ⇒ 広角や望遠のレンズも役立つ
モータードライブの開発で連写が可能になり、高感度フィルムの開発で鮮明な印画が可能
ベトナム戦争は7回、公民権運動は5回受賞
ベトナム戦争が報道現場の慣行に与えた影響は特筆に値 ⇒ 軍の部隊と共に移動、生活し、検閲もなかった
特集写真部門の創設により、社会問題を注意深く見つめる継続的な写真報道が評価の対象とされるようになった
63.11.24. ケネディ殺害の2日後、移送されるオズワルドが拘置所から出てきたところで銃撃される写真、テレビが全世界に生中継されたものと同じ場面
65年 APカメラマンのホースト・ファースが、ベトナム戦争の写真で受賞した第1
66.6.6. ミシシッピ大学に入学した初の黒人ジェームズ・メレディスが、黒人の投票を呼び掛けてメンフィスからジャクソンまでの350キロを歩き始めた2日目に国道51号線で狙撃され国道に倒れ込む瞬間の写真
68年の特集写真部門の第1回受賞作品は、UPI通信東京支局の酒井淑夫。同僚の沢田がベトナム戦争の写真で65年に受賞したのを見てベトナムへの転任を希望、大雨の中で休息する米兵を撮った写真が、戦闘の写真の好対照として受賞。戦争終結まで取材
69年のニュース速報部門の受賞写真は、サイゴンのチャイナタウンで海兵隊に拘束された解放軍の潜入者らしき男を、南ベトナムの警察庁長官がいきなり拳銃を抜いてこめかみに一発見舞うところを撮影したもの。尋問するとばかり思ってカメラを構えていたカメラマンに、長官は「奴は我々やあんたの仲間を大勢殺した」と言って立ち去った。この写真はセンセーションを巻き起こし、政治的な主張に利用され、繰り返し印刷された。「世界中には聞こえないが世界中で見ることのできる銃撃」と評された
69年の特集部門では、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の葬儀で、未来まで生き続ける力の真髄を捉えた未亡人と娘の写真で、アフリカ系アメリカ人として初の受賞

第3期        新たな賞、特集写真部門の創設                          197080
特集写真部門では、ニュースらしいニュースの枠にはまらないような作品が選ばれた
写真報道を通じて社会の実態を記録することに重点を置く写真家に注目、印象的な写真群を通して、ニュース同様に重要な事柄を世に伝えた。複数の写真で構成される「ピクチャー・ストーリー」は11枚の写真が伝えるよりも多くのものを読者に伝えることが出来た
この新しいタイプの報道写真の趣旨に沿った最初の受賞は70年、毎年南から順に北へ移動していく野菜農園で働くアフリカ系アメリカ人の季節労働者の生活を撮ったもの
数回にわたって様々な写真を発表することにより、現在進行中の問題を採りあげて記録するという、写真ジャーナリズムの手法の代表作

第4期        カラー写真、デジタル化、女性写真家、アフリカ     19812002
90年代後半のデジタル・カメラと衛星携帯電話の登場がこの時代の決定的な特徴
81.3.30. ワシントンでのレーガン大統領暗殺未遂事件。狙撃犯がカメラマンのすぐ右手にいてシャッターを切ると同時にリボルバーが6発発報され、大統領がシークレットサービスによって車に押し込まれ、周囲に弾丸を受けて倒れた人々がいる一部始終をカメラが捉えた
89.10.17. ワールド・シリーズ第3戦の開幕戦が行われたサンフランシスコのキャンドルスティック球場を地震が襲う。球場は無事だったが、インターステート8802層の高速道路が陥没、下を走っていた車が巻き込まれて40人が死亡
91.12.25. ゴルバチョフがテレビ出演し、大統領を辞任した瞬間を隠しカメラで撮った
95年の特集部門は、ルワンダの死の村を撮ったAP通信のスタッフによる一連の写真で、同時に国際報道部門でも受賞
95.4.19. オクラホマ・シティーの連邦ビル爆破事件に巻き込まれて死亡した子どもを抱く消防士の写真は、近くの銀行に勤める熱心なアマチュアカメラマンが撮ったもの
96年特集部門は、「ケニアの通過儀礼」で、古くから伝統的社会の風習として残る女性割礼を撮った一連の写真。ナイロビの新聞社にインターンシップで行った女性が撮影に成功、彼女は賞金の一部を女性性器切除廃止運動に寄附
01.9.11. 世界貿易センターへのテロ攻撃を撮ったニューヨーク・タイムズの一連の写真は翌年の速報、特集両部門を受賞 ⇒ 1つの新聞が同じ年に2つの写真部門で受賞したのは初めて

第5期        デジタル革命                                                200311
徹底した写真取材が行われ、その見せ方に一層工夫が凝らされた
ニュース専門のテレビ局の台頭に伴い、写真の存在意義を高めるため、より物事の本質を捉えた写真を撮ることでテレビに対抗しようとした
電送する際の画質低下が、デジタル化によって解消、さらに高速回線の開発により世界のどこでもリアルタイムで繋がることが可能となった
他方、倫理的な問題が大きな懸念材料として残った ⇒ 倫理をめぐる闘いは今後も続く
04,05年の速報部門はイラク戦争 ⇒ アメリカの先遣部隊と行動を共にした戦場写真家の作品と、AP通信スタッフによる
05.8.23. ニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナの爪痕の記録
06年の特集部門は、「最後の敬礼」 イラクで殉職した海兵隊員の遺族を扱った写真で、同時に書かれた記事もピュリッツァー賞を受賞、1つの特集でダブル受賞は稀
06.2.1. パレスティナとイスラエルの対立を取材していた時に、イスラエルの入植者がイスラエルの治安部隊によって排除されようとしているところに遭遇、15歳の少女が一人で支えていた障壁に多勢の治安部隊が突っ込むところを撮る
07.9.27.ミヤンマーの民衆の反政府デモを取材中に、デモ鎮圧に出動した軍隊に巻き込まれて長井が仰向けに倒れながらなおカメラを掲げている写真。あとから既に死亡していたことが確認された。ロイター初のピュリッツァー賞








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