卒業式の歴史学  有本真紀  2013.4.21.


2013.4.21.  卒業式の歴史学 

著者 有本真紀 1958年鳥取県生まれ。藝大音楽学部卒。同大学院音楽研究科音楽教育専攻修士課程修了。専門は音楽家教育、歴史社会学。現在立教大文学部教授

発行日           2013.3.10. 第1刷発行
発行所           講談社(選書メチエ)
「メチエMetier」 ⇒ 経験によって身につく技術、道具を駆使して行う仕事、生活と直接に結び付いた専門的な技能

「最高の卒業式」を目指し、教師と生徒が努力を重ね、みんなで共に歌い、感動し、涙する「感情の共同体」が達成される――――。
この、日本独特と言える「儀式と感情との接合」は、いついかにして生まれたか。
涙の卒業式、この私たちにとって当たり前の光景の背景には、明治初期以来の学校制度構築の歴史が横たわっている。
日本の近代と教育を巡る、新たな視角!

序章
3.11の後多くの学校が卒業式を中止したが、歴史上戦中と学園紛争に次ぐ3度目の重大な事態
学校は、原則として泣くことを禁じられた空間だが、「涙の共同化」が例外的に認められる
その代表が卒業式 ⇒ 日本に特有の学校文化
感情とその表出形態の1つである、涙の持つ社会性・文化性への着目を出発点とする
感情を文化として捉える考え方は1980年前後から盛んになり、「感情社会学」という分野を形作る ⇒ 開拓者はホックシールド。感情を贈与と交換の概念で読み解く
日本に近代的学校制度が成立した頃は、修卒業式で及第か落第が公表されたので、この式で涙を流すのは落第者であり、「困ったこと」「やめさせるべきこと」だった
感情が文化性、社会性を有しているものであるならば、それは歴史性を帯びたものでもあるはずで、文化性を色濃く反映する場面と結びついた「制度化された涙」は、歴史の積み重ねの中でこそ流すことが可能になったと考えられる
本書は、卒業式が涙と結びつき、「感情の共同体」を創り出すことになる道筋を、史実によって跡付けることを目的とする
 

第1章        卒業式の始まり
中等・高等教育機関において始められた卒業式がどのようなものであったかを考察
権力はその本質を儀式に負う
卒業式の最初は、1876.6.の陸軍戸山学校。観兵式、軍楽隊、正服という近代軍隊の道具立てが揃った中で、成績に応じて褒美がつかわされる ⇒ 海軍では「賞与式」。1880年からは天覧が恒例に
軍学校以外で最初に行われた卒業式は、東京医学校と東京開成学校が合併してできた東京大学で1877年に挙行。翌年から御真影が登場。79年からは「学位授与式」で7
体操伝習所の初代主幹を務めたのは、1878年にアメリカでの小学師範学科取調から帰国して間もない伊澤修二で、翌年東京師範学校校長となるが、同年音楽取調掛が設置されるとその御用掛も兼務し、81年には音楽取調掛(藝大音楽学部の前身)掛長となった ⇒ 後台湾総督府学務部長となり、植民地教育にも唱歌導入を指導
音楽取調掛は79年設置、「唱歌」を全国に普及させる基盤となり、卒業式への唱歌導入についても中心的役割を果たす
1890年前後には卒業式が定着し、コミュニティのメンバーにも対外的にも盛大さを誇示する重要な学校行事となっていた

第2章        試験と証書授与――儀式に繋がる回路
より涙との結びつきの強い小学校の卒業式を主に扱う
その頃、小学校では、始業式のほかには行事が見られず、卒業式もほとんど行われていなかったし、紀元節天長節の祝典儀式が学校で挙行するとの文部省内示も88年のこと
進級制度と厳格な試験があり、その結果が卒業証書授与というクライマックスとなる

第3章        小学校卒業式の誕生
試験から独立した卒業式がどのように始められたかを、小学校に大きな影響を与えた師範学校と附属小学校の状況を参照しながらトレース
1872年教員養成のための師範学校が昌平黌跡地に開設、翌年には附属小学校設置
79年師範学校初の卒業式、
80年には附属小学校卒業生にも証書が渡され、唱歌も歌われた
附属以外では、1880年の泰明学校の「小学卒業式」の記録がある ⇒ 一般的な普及は明治10年代末になってから
公立小学校で式手順まで明確に決められたのは86年の開智学校 ⇒ 全校生徒が一堂に会して各年期修了証書を授与。音楽が多く取り入れられていることに注目
85年標準学修期間が半年から1年に変更され、1年進級制となり、学年単位の履修となって、年齢と学年の厳密な対応関係を準備。同時に「卒業」と「修業」の区別が登場

第4章        標準化される式典――式次第の確立
90年代終盤に式次第が標準化され、卒業式の性格自体を大きく変える
92年から4月始業に統一、学年暦が確立して、卒業式は3月末に固定 ⇒ 一定の時期に反復されることで象徴的な意味を持つ。入学式も同様
学級編成こそ、卒業式に影響を与えた最も重要な背景 ⇒ 公立の尋常小学校で70人、高等小学校は60人、私立の尋常小学校では100人、高等小学校では80人が学級の単位
明治20年代前半には、卒業式が宣告と褒賞の場から祝祭へ、村全体の祝祭へと発展
卒業式で歌われる唱歌に《君が代》(国歌と同じものではない)が歌われ始め、さらに「国家の祝祭」として、国旗を掲げ、御真影を飾り、教育勅語奉読が加わる
儀式には全国統一の唱歌が歌えるようにと、95年にはそれぞれの祝日に歌う唱歌が公示
『教育報知』によって、各種学校儀式における式次第が掲載され、マニュアルとなった
卒業式歌の誕生 ⇒ 卒業式の唱歌の基準として、感情喚起の役割を担うことが求められた。卒業式歌の範型となった歌の例として、1番と4番は全校生徒一同で歌い、2番は卒業生のうち進学する者に、3番は世務に就く卒業生に歌わせ、23番の歌詞の冒頭に「我等」とあって、別れに際してそれぞれが帰属する集団の境遇に応じた決意や感情を唱和し、各集団の成員がお互いの心の一致と不変を誓う歌となっている
式次第や当日の振る舞い方が標準化するとともに、入念な事前準備を通じて思い出が共有

第5章        涙との結合――儀式と感情教育
儀式による感情教育が浸透する時期を捉え、卒業式と涙が結合するのに何が力を貸したか
1900年第3次小学校令 ⇒ 四年制の義務教育制度確立。試験による卒業認定の廃止
儀式の目的や教育的意義が「協同一致の精神」の涵養に求められ、さらに、集団の感情と強く結びついていく ⇒ 学年制の定着で集団の安定性が高まる中、一層自覚的に感情の陶冶を目指して儀式を実践すべしとの主張が強まり、感情教育の指針が示される
生徒総代の送別の辞と卒業生総代の答辞 ⇒ 「我等の記憶」を想起することで個人の記憶を集団の記憶にするとともに、全校生徒が記憶の共同体であることが確認される
1907年尋常小学校6年間が義務教育に ⇒ 儀式の教育目標が、感情に留まらず「人格」や「品性」にまで深化し、「感情の共同体」を担うべき人格形成が目指された

第6章        卒業式歌――「私たちの感情」へ捧げる歌
卒業式の歌が生まれた経緯とその果たした役割
卒業式の歌は明治期から飽くことなく発表されていた
卒業式では、唱歌の練習成果が披露された ⇒ 伊澤等の普及努力にもかかわらず、当面の必要性なしとして理解が得られず、有用性を理解させるのに苦労。健康上の効用と徳育上の効用を力説、卒業式での実演は唱歌教育の命運をかけ、活路を見出すための広報戦略というべき性格を持っていた。曲目は『小学唱歌集』から選曲された
《蛍の光》がよく歌われているが、『小学唱歌集』では初編に《蛍》として掲載されたもので、スコットランド民謡の原詩には別れの意味はなかったが、伊澤の解説によって学業を成し遂げて卒業の時に歌うべき歌とされたことから、卒業式歌の源流になったものだとすれば伊澤の業績は大きい
明治20年代に入ると異なった様相 ⇒ 従来の多様性が薄れ、選曲傾向が一定の方向性を見せる。タイトルに「卒業式」を冠した唱歌が多く作られ歌われた、特に国家主義的徳目を歌うことが教科存立のために不可欠だった唱歌科にとって広報戦略の場として卒業式が重視された
明治期終盤以降の卒業式歌では、総じて国恩や報国が明示されなくなり、代わって「思い出」「師の恩」が前面に出る。《蛍の光》2番の「かたみにおもふ」は「お互いの心に浮かぶ」の意
唱歌教育が音楽的側面より歌詞を重視 ⇒ 卒業式歌も同様

終章
戦争に直結する変化を除けば、卒業式の基本構造は戦後も形を変えることなく継承された
一方、他の学校儀式は敗戦によって大きく様変わり
義務教育段階の卒業式に多大な影響を与えたトピックス
(1)  新藤兼人の『芽をふく子ども』(教育界で評判となった群馬の小学校の教育の記録映画)のクライマックスとなる卒業式は壮大な音楽劇で、卒業生が泣き崩れる場面があるが、それは以下の変遷を経て出来上がったドラマ
1953年当時は、《仰げば尊し》を歌い、卒業証書を学級代表に授与するのが一般的
1955年 呼びかけ形式の卒業式 ⇒ 音楽会と演劇の会を一緒にした形式で、全員がそれぞれ台詞を与えられ、物語の協働制作が進められる。6年の担任が卒業証書を「いただきましょう」と呼びかける
196263年 ⇒ 卒業生・在校生に合わせた新作の合唱組詩と曲によって式を展開
(2)  「呼びかけ形式」が全国に広がる ⇒ 台本と演出が不可欠。練習によって「みんなで作り上げる卒業式」が可能になり、一人一人が主役として注目される場面が設定
(3)  フィクションの中の卒業式 ⇒ メディアを介して受容されるフィクションが人々の観念に大きな影響を与えるが、涙や感動と卒業式との結びつきがフィクションによっても強められてきた。『二十四の瞳』のテーマ音楽である《仰げば尊し》も原作に卒業式の場面は存在せず、映画で作られたフィクション
(4)  心情の歴史と卒業式 ⇒ 卒業式歌に「悲し」の語が登場し、儀式による感情教育への思考が明確になるのは日露戦争の頃、時代が下がるに従って涙への親和性が強まり、戦後にはフィクションの力も加わって涙との結びつきが強化されたが、これは流行歌と同様な傾向で、卒業式の歌を覆う心情は、社会の或いは時代の心情の推移と関連しながら醸成されてきたのであろう
涙と卒業式の結合を決定づけた2
(1)  形式の整備と標準化により、卒業式が1つの安定した物語展開に根差した劇場作品となったこと ⇒ 泣くまでには物語に沿って感情移入する手続きと時間が必要であり、特に共同化された涙は、行為の一つ一つが儀式の中に系統的に配列され、配列の意味が共通に了解されていなければ達成できない
(2)  参加者の立場に基づいた区分と名付け ⇒ 儀式は参集する者にどのような立場で参加するのかを問う性質を有する。卒業式で表出されるべき感情も、それぞれの立場に結びついている
儀式の本質が集団の感情を喚起し行き渡らせることであるならば、卒業式は最も成功した儀式といっていい ⇒ 卒業式の辿った経緯こそ、近代日本における学校的な心性の誕生と浸透を読み解くための有効な補助線である



卒業式の歴史学 有本真紀著 近代日本特有の文化を分析 
日本経済新聞朝刊2013年4月14日付
 東京大学が「秋入学」導入を打ち出したとき、私は当然、東大は「夏卒業」への移行を小・中・高校にも呼びかけるものだと考えていた。7月卒業ならば、夏休み中に入試が出来る。《蛍の光》が歌われ始めた当時、軍学校以外の学生は7月に卒業していた。当然、その歌詞に春のイメージはない。
(講談社・1600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
(講談社・1600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
 だが今日、東京大学でさえ「春卒業」は動かせないようだ。「卒業式は桜の季節」という国民感情の強度を私も過小評価していた。本書は日本独特の共感システムを成立過程から丹念に分析している。
 日本最初の卒業式は、1876(明治9)年に陸軍戸山学校で催された。その3年後、同志社などキリスト教学校も卒業式を実施している。近代軍隊もキリスト教も舶来品だが、日本の卒業式は初等教育で独自な発展を遂げた。
 だが、明治20年代までの小学校は同学年でも年齢にばらつきがあり、卒業式は試験行事に組み込まれていた。落第者も多く、喜びを分かち合う儀式は難しかった。
 1892(明治25)年、全国の小学校は4月始業で統一され、このとき3月の卒業式も全国化した。ここに卒業式は桜のイメージと結合した。さらに日露戦争前後、教科書国定制度、同年齢生徒による学級制などが成立している。
 こうして国民化された卒業式は答辞などの朗読や合唱で共通の集団的記憶を立ち上げる儀式となった。念入りな予行演習が繰り返され、観客の前で演じられる卒業式は、確かに近代日本に特有な学校文化である。演出者である教師は成功の証しとして、「涙の共同化」を追求した。そのため卒業式は学校生活の区切や祝いの行事ではなく、「みんなの心を一つにする」教育の成果発表会となった。そこで斉唱される歌は、同じ場所に集まった「私たちの感情」へ捧げるミサ曲だった、と著者はいう。
 学校儀式における卒業式の比重は、むしろ戦後に高まったようだ。特に、さらなる自主性・主体性の動員を求めた民主的な教師たちは、全員参加の「呼びかけ」式スタイルを普及させた。ここに完成した涙の国民化システムにおいては、使用される音楽がJポップ卒業ソングでもかまわないわけである。
(京都大学准教授 佐藤卓己)


卒業式の歴史学 []有本真紀
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]朝日20130421   [ジャンル]歴史 
日本に特有の「涙」はいつから 
3月の風物詩といえば卒業式。ふと思い浮かべる曲は何だろう。〈仰げば尊し〉〈贈る言葉〉〈旅立ちの日に〉……。ハレの日にもかかわらず、そこにはうら悲しさが漂う。級友や恩師との別れに涙した人も多いだろう。
 しかし、著者によると、そうした雰囲気の卒業式は「ほとんど日本に特有の学校文化」というから驚きだ。
 しかも「卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう」という斉藤由貴のヒット曲の歌詞とは裏腹に、近代的な学校制度が誕生した明治初期には、卒業式は「涙」や「別れ」とは無縁だったという。
 一体いつから、なぜ、どのように卒業式はセンチメンタルな空間へと変容したのだろうか。目から鱗が落ちる史実を丹念に積み重ねながら、そのからくりを鮮やかに解き明かしたのが本書だ。
 キーワードは「感情の共同体」。音楽(唱歌斉唱)の援用によって台本(式次第)にある「劇場作品」はより情操的深みを増し「記憶」として共有され易くなる。
 しかし、そもそも何のための「共同体」なのか。それは日本社会における「学校」の位相を改めて問い直すことでもある。
 しばしば懐古主義的な精神論や目前の成果主義に陥りがちな教育改革論議。まずは所与の「現実」を歴史的文脈のなかで脱構築する作業が欠かせない。本書の真の醍醐味はまさにその点にある。
 卒業式といえば、スティーブ・ジョブズが人生哲学を論じた演説は世界中の大学生の間で話題になった。
 日本の卒業式でも「涙」や「別れ」よりも「言葉」が重んじられる日が来るのだろうか。30年後、卒業式はどうなっているのだろうか。
 それは、とりもなおさず学校、そして日本社会の未来を想像し、デザインすることに他ならない。
 本書をそのための貴重な契機としたい。
     ◇
 講談社選書メチエ・1680円/ありもと・まき 58年生まれ。立教大教授(音楽科教育、歴史社会学)。

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