投稿

4月, 2013の投稿を表示しています

塩野七生 著作集

塩野七生 著作 ルネサンスの女たち 1973.11.10.  初版              1994.3.20.   27 版 中央公論社 ( 中公文庫 ) 欲望が奔流し、権謀術数が渦巻く中で、至高の芸術を花開かせたルネサンス・イタリアに、日本の歴史は求むべくもない熾烈な生を生き抜いた 4 人の女性たち ( イザベッラ・デステ、ルクレツィア・ボルジア、カテリーナ・スフォルツァ、カテリーナ・コルネール ) の情熱を描く。文学と歴史の両領域間に独自の手法で、 ” 女の歴史と真実 ” に迫る力作 神の代理人 1975.11.10.  初版              1994.6.25.   17 版 中央公論社 ( 中公新書 ) 枢機卿のポストを提供してまで修道僧サヴォナローラを懐柔しようとした法王アレッサンドロ 6 世、遊びと祭りが大好きで巨額の借金を残して死んだ法王レオーネ 10 世ら、高邁な理想を掲げ、あらゆる術数を弄し、豪遊に耽ってイタリア・ルネサンスに君臨した 4 人の「神の代理人」の生態を華麗な絵巻物のように活写して、宗教と政治の間に展開される生臭い権力葛藤のドラマを描き出す。精巧な構成と新鮮な語り口で史伝の面白さを尽くす名篇 チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷 1982.9.25.  発行                1994.7.5.   21 刷 新潮社 ( 新潮文庫 ) ルネサンス期、初めてイタリア統一の野望を抱いた 1 人若者 ―― 父である法王アレッサンドロ 6 世の教会勢力を背景に、弟妹を利用し、妻方の親族フランス王ルイ 12 世の全面的援助を受け、自分の王国を創立しようとする。熟練した戦略家達もかなわなかった彼の " 優雅なる冷酷 " とは。〈毒を盛る男〉として歴史に名を残したマキアヴェリズムの体現者、チェーザレ・ボルジアの生涯 サロメの乳母の話 1986.1.10.  初版                1994.9.30.   9 版 中央公論社 ( 中公文庫 ) 初出  1983.3.  中央公論社刊 オデュッセウス、サロメ、ダンテ、聖フランチェスコ、ユダ、カリグラ帝、アレクサンドロス大王、ブルータス、キリスト、皇帝ネロ

クラシックでわかる世界史  西原稔  2013.4.25.

2013.4.25.  クラシックでわかる世界史 時代を生きた作曲家 歴史を変えた名曲 著者  西原稔  1952 年山形生まれ。藝大大学院博士課程満期退学。現在桐朋学園大音楽部教授。桐朋学園理事。 18,19 世紀を主対象とする音楽社会史、音楽思想史を専攻 発行日            2007.10.25.  初版第 1 刷発行          12.10.  初版第 2 刷発行 発行所            アルテスパブリッシング 満さんの推薦図書 はじめに 音楽や作品の様式は、世の中の美の規範を反映しているが、その美の規範そのものはそれぞれの社会や時代の要求や状況などと無関係ではない。そこに政治や経済的な要求が強く加わる時、その社会や時代の要求はもっと劇的に芸術活動に影響を及ぼすことになる 社会の富がどこに集中し、そしてその富がどのような目的と方針のもとに再分配され、支出されるかという問題と、音楽の活動は無関係ではありえない ⇒ ベートーヴェンのウィーン時代、何故ボヘミアやハンガリーの貴族がベートーヴェンのパトロンとなり、ハプスブルクの皇帝はパトロンとはなりえなかったのか。なぜ 1820 年を過ぎるとベートーヴェンは、その作品を委ねる出版者をオーストリアからドイツに移したのか 本書の対象は、 1550 年ルターの宗教改革から、 1920 年第 1 次大戦終結により 19 世紀近代が終焉を迎えた時期まで 第1章         宗教改革と宗教戦争の時代 (1550 ~ 1650) ――バロック時代前期の音楽と社会 宗教改革や宗教戦争、三十年戦争が音楽作品にどのように影響したか グローバリゼーションとも言うべきカトリック支配に反発したナショナリズムと自治を標榜した宗教改革運動の展開に伴い、宗教行事のための新たな音楽が必要とされた ⇒ イギリスではアンセム、ルター派ではコラールという新しい讃美歌が編纂 ザクセン選帝侯の支援を受けたルター派では、ヨーハン・ヴァルタ―がコラールや礼拝音楽の整備が進む 19 世紀のオペラ作曲家マイヤベーアの《預言者》と 20 世紀の作曲家ヒンデミットの《画家マティス》はこの時代の宗教改革を試み、弾圧・排斥された人々を描いたもの イタリア・ルネサンスを

明治神宮―「伝統」を創った大プロジェクト  今泉宜子  2013.4.23.

イメージ
2013.4.23.   明治神宮 ― 「伝統」を創った大プロジェクト 著者 今泉宜子 ( よしこ )   1970 年岩手県生まれ。明治神宮国際神道文化研究所主任研究員。東大教養学部比較日本文化論学科卒。雑誌記者を経て國學院大で神道学を専攻、 2000 年より明治神宮に所属。 02 年ロンドン大 SOAS 博士課程修了。博士 ( 学術 ) 。 09 年より 1 年間フランス国立社会科学高等研究院客員研究員 発行日            2013.2.20.  発行 発行所            新潮社 ( 新潮選書 ) それは伝統の上に近代知も取り入れた、全く新たな神社の誕生だった 70 万㎡にも及ぶ鎮守の森、「代々木の杜」とも称される明治神宮は鎮座から九十数年を数える。しかしその歴史は、全国で 8 万社を超える神社の伝統から見ればむしろ新しい。「近代日本を主張する明治天皇の神社」とはいかにあるべきか――西洋的近代知と伝統のせめぎ合いの中、独自の答えを見出そうという悩み迷いぬいた果ての、造営者たちの挑戦 まえがき 戦災で焼失した本殿を、創建当初の木造とするか、消失の恐れのないコンクリート造りにするかで議論、 55 年に社殿は木造檜造りと決まる 近代日本を象徴する明治天皇を祭る神社とは如何にあるべきか、その理想の姿を追求し実現することこそ、明治神宮造営に携わる人々の至上命題であり、その命題に挑んだぞ永事業の主要な担い手たちに焦点を当てて、近代と伝統のせめぎあいによる明治神宮誕生の力学を解き明かすことを主眼とする 造営に従事した主要人物のほとんどが洋行経験者、その代表的な人物として 12 名を取り上げる 誕生の力学こそ興味深い 第1章         運動体としての明治神宮 造営を実現に導いた運動の担い手に焦点を当て、その運動体がどのように展開していったかを追う ☆    民間有志の神社請願――渋沢栄一 (1840 ~ 1931) 12 名中最も早く異国の地を踏んだのは 1867 年パリ万博に慶喜の弟・昭武に随行した渋沢。帰国後近代日本の経済・実業界を牽引した彼は、明治天皇崩御直後から明治神宮造営事業をリード。娘婿の東京市長・阪谷芳郎等が中心となり、東京の有志による民間団体として設立され