ニュートンと贋金づくり  Thomas Levebson  2013.3.12.


2013.3.12.  ニュートンと贋金づくり 天才科学者が迫った世紀の大犯罪
Newton and the Counterfeiter-The Unknown Detective Career of the World’s Greatest Scientist                 2009

著者 Thomas Levebson マサチューセッツ工科大教授(サイエンス・ライティング)、サイエンス・ライター、ドキュメンタリー映画製作者

訳者 寺西のぶ子 翻訳家。成蹊大経卒

発行日           2012.12.10. 第1版第1刷発行
発行所           白揚社

近代科学の礎を築き、史上最高の自然科学者と認められ、宇宙に秩序をもたらしたアイザック・ニュートンが、犯罪と刑罰、怪しげなロンドンのジン酒場に安アパート、贋金やまやかしといった問題と、どんなかかわりを持っていたというのか?
ニュートンの最初で唯一の誰もが知り得る職業は35年続く。ケンブリッジのトリニティ・カレッジから決して離れないように思われていた(初めは学生として、次にフェロー(カレッジの教官)として、そして最終的にはルーカス教授職に就いて、長年大学に残っていた)が、1696年王立造幣局監事の職を引き受け、ロンドンへ向かう。法律上も伝統上も、国王の通貨を守る義務が生じ、ごまかしたり偽造したりするものがいれば阻止しなければならず、警察官のように職務を遂行
人や物事の管理についての訓練も受けたわけでもないのに、造幣局監事の職務に手腕を発揮。在職中の4年間に数十人の贋金作りを逮捕。中でも最大のものは3万ポンド(現在価値で4百万ポンド)の偽造を行ったチャロナーを2年の熾烈な戦いの後逮捕、その過程でかつてはあまり知られていなかった聖人としてのニュートンよりずっと人間味ある、分かりやすい人格を露わにしてもいる――彼は、科学革命という知の変革を単に推し進めるだけでなく、当時の科学者たちと共に変革を日夜肌で感じ、考えを廻らせ、身をもって実行した人間であったことが明らかになった
Wikipedia抜粋
精神的に疲れていたうえに、あてが外れた形になった。やがてニュートンは精神状態に変調をきたすようになった。不眠食欲減退に苦しみ、被害妄想にも悩まされた。ジョン・ロックへの書簡の中には、(教え子の)チャールズ・モンタギューは私を欺くようになったといった内容を書いたりしたものが残っている。2年ほど自宅に引きもるような状態になったとも言われる。これを錯乱と表現する人もいるが、うつ病程度ではなかったかという指摘、最愛の母が死去するに至ったことの影響もあったとの指摘もある(母は16976月に死去した)。錬金術においてしばしば重金属を味見するという行為があったために一時的な精神不調に陥った可能性も示唆されている。この壮年期におけるスランプにおいても頭脳は明晰で、ヨーロッパ中に難解な数学問題を新聞に出題していたヨハン・ベルヌーイの「鉛直線上に2つの点があるとする。一つの物体が上の点から下の点まで引力のみで落下する時に要する時間をもっと短くするには、どのような道筋に沿って降下すれば良いか?」という最速降下点と呼ばれる問題を1696年に出題、翌年1月夕方ニュートンの下に掲載誌が到着、出題に目を通したニュートンは今日変分法と呼ばれる新しい数学の分野を一夜で組み立て、翌朝の出勤前までに解答し終え匿名でベルヌーイに投稿した。
そんな苦しい時代ではあったが、やがて教え子のモンタギューが世渡りのうまさを発揮して財務大臣になり、16964月にはニュートンに王立造幣局監事のポストを紹介してくれ、1699年には王立造幣局長官に昇格することになった。モンタギューとしては働きづめであった師に少しばかり研究から離れて時間的、体力的に余裕のある地位と職に就かせたつもりだったが、就任早々通貨偽造人の逮捕を皮切りに片っ端から汚職を洗い出し、処罰する方針を打ち出した。元大学教授にしては鮮やかな手並みで、部下の捜査員に変装用の服を与えるなどし、偽金製造シンジケートの親分シャローナーを捕らえて裁判にかけ、大逆罪を適用して死刑にした。 在職中は偽金造りが激減した。一方、銀貨の金貨に対する相対的価値の設定において市場の銀の金に対する相対価値を見誤り、普通の銀よりも低く設定したため銀貨が溶かされ金貨と交換されるという現象を引き起こしており、これは図らずもイギリスが事実上の金本位制に移行する原因となった。ニュートンは造幣局勤務時代には給料と特別手当で2000ポンドを超える年収を得て、かなり裕福になった。そして、個人で1720年までに南海会社株に1万ポンドの投資も行った。つまりイギリス史上もっとも悪名高い投機ブーム(South Sea Bubble 南海泡沫事件)にニュートンも乗ろうとし、ブームの期間中株を持ち続けた末に結局ニュートンは大損をしたとされる(南海会社というのはイギリスの会社で、スペイン領中南米との貿易で独占権を得て、奴隷貿易で暴利をむさぼっていた会社であり、南海泡沫事件とは同社が大宣伝をして株が暴騰したが、事業の不振が明るみに出ると株は暴落して1720年に倒産し、多数の投資家が破産するに至った事件である)。研究としては、造幣局に勤めてからは錬金術に没頭した。

1661年 ニュートンがトリニティ・カレッジに入学。田舎の農家出身、19
64年にスカラー(特待生)となったが、65年ペストの流行でロンドンでは1日の死者が1000人にも達する。その間勉学に集中、最初が数学(微積分)、次いで重力の研究へ
66年ロンドンの大火、セントポール大聖堂焼失により、翌年にはペストも終焉し、研究室に戻る。世界最高の数学者になっていたが、何も発表しないので、誰もそのことを知らず、彼の立場はその後20年間本質的に変わらなかった
69年恩師からルーカス教授職を譲られ、僅かな授業の時間以外はすべて自分の研究に没頭
84年たまたま彗星の発見直後に訪ねてきたハレーの疑問に応えて、惑星が太陽に引っ張られる力は太陽までの距離の二乗に反比例し、その軌道は楕円になるとしたが、自然のすべてを表す包括的な力学の定義としてまとめたのは2年後(『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア))、ハレーの尽力で出版はさらにその翌年の87年。たちまちのうちに完売し、いきなり有名人になった
国王ジェームズ2世からウィリアム3世への名誉革命で名を挙げたジョン・ロックとの交友関係から、ロンドンでの職を探す
後に贋金作りの大物となるチャロナーが田舎からバーミンガムに出て、街の釘製造業者の見習いとなったのが1670年代、炉と道具と金属を扱う基本技能を習得 ⇒ バーミンガムでは様々な額面の硬貨が偽造され、相当量流通していた
チャロナーも大都会に憧れ、ロンドンに出て裏社会に入り悪事を重ねるが窃盗の実行犯として追われた時にイカサマの世界に誘い込まれる ⇒ 30年に渡って手打ちによる硬貨と機械製造の硬貨が並存していた時代で、手打ちの硬貨はちょっと削れば中身の銀を切り取って硬貨に再生することが出来た。硬貨の変造は絞首刑か女性の場合は火刑だったが、効果はほとんどなかった
チャロナーは、貨幣鋳造を始めた時から完璧な完成度を目指し、必要不可欠な道具である図柄を正確に真似る技術者を雇い、最初の数か月で1000ポンド(ロンドンの熟練労働者の年間賃金の20)稼ぎ、社会の上層の暮らしを手に入れる
2年で仲間の1人が逮捕され、暫く地下に潜る
1693年、ジェームズ2世の復活に加担するジャコバイトの反乱に手を焼いていたウィリアム3世が、情報提供者に賞金を出すことを知ったチャロナーは、ジェームズ2世の名前の宣伝ビラを印刷屋に騙して刷らせ、それを政府に持ち込んで賞金1000ポンドをせしめる
93年 造幣局が利益供与と賄賂の温床だったこともあり、贋金の鋳造所を再開、ロンドンの違法錬金術師たちを支配し、本物の金貨や銀貨と見まがう硬貨を限りなく生み出す
現代から見れば、錬金術は根拠のない迷信だが、いつの時代も熱心に錬金術を探求する者はいて、ニュートンも68年以来20年以上にわたって情熱を傾けていた ⇒ 神が創造した世界における知識を得るためであり、同時に、「一番最初に存在したもの」が、それより先に存在した「神以外の」ものから生まれたと証明するのは理に適わないと結論付け、万物を支配する主としての神の存在を目に見える形で実証しようとした。神がどのようにして鬼金属の混合物から金を生み出したのかが分かれば、それが神の精を示す現実的な物理的証明となると考えた ⇒ 自分では手に入れたと思っていたが、彼だけしか知らなかった
93年を境に、実験からも遠ざかると同時に、精神の変調に悩まされ、鬱症状を呈し始める
錬金術の研究の行きづまりとともに、生来簡単に人と打ち解けず、結婚もせずに孤立していったこととが関連したようだが、真相は不明。年末になってようやく回復
1660年代初頭以来、英仏両国の金銀の交換レートの差を利用して、イングランドの銀が大量に流出、同時に手打ちの鋳造硬貨を回収せずに機械製造の良貨を供給したため、悪貨が良貨を駆逐する結果となり、大量の銀貨が融解され輸出された
戦争の仕方が変化、物量が物を言う時代になって戦費の調達がネックとなり、政府や国家が野望を叶えるための費用を賄う仕組みも考え直さなければならなくなった ⇒ ウィリアム3世即位の条件にも反映。国王といえど世襲ではなくその権力は議会によって与えられたもので、慎重に制限が加えられ、財政に関する権限は議会が留保したため、新政府の大切な仕事は、政府の運営資金を国民から如何に搾り取るかということになり、各地に厳しい徴税のための税務官を任命。ケンブリッジの税務官に任命されたのがニュートン
95年フランスとの続く闘いの戦費調達のため、政府は国債を発行したり銀行から借り入れをしたりして負債が急膨張、一方でイギリスの貨幣価値が悪貨のために急落
95年年々悪化の一途を辿るイングランドの通貨に関し有識者に助言を求める
ニュートンにとってはいとも単純な問題 ⇒ 硬貨を統一して削り取りにくくすることと相場の差をなくすべく、通貨の切り下げを行う
財務大臣だった友人のモンターギュの推薦で造幣局監事となり、トリニティ・カレッジからは数百冊の蔵書と共に永久に去る
少し顔を出すだけで余り手間を取らせない仕事と言われ、造幣局の設備についてのみ責任を負っていた
チャロナーの方も、贋金作りの黄金期を表裏両面で利用しようと企図
94年イングランド銀行が兌換券発行開始、新たな偽造紙幣の機会到来
96年に監事に着任したニュートンは、持ち前の緻密さで造幣局内のすべての作業につき、過去に遡って調べ上げ、次々に改革を打ち出し、実質長官の仕事をしていった ⇒ 2年余りをかけて改鋳を完了させ、99年には通貨を正常な状態に戻すまでに至る
監事のもう1つの仕事が通貨関連の犯罪の取り締まりで、治安判事の役目を負っていた
こちらのほうでもニュートンは、きめ細かく情報を集めて精査し、理論を組み立てていくという科学者ならではの手法を駆使して多大な成果を上げていく
最初に扱ったのが、硬貨鋳造の金型盗難事件 ⇒ 造幣局内部の腐敗もあって、内部の官吏やチャロナーも含め何十人もの容疑者を逮捕・拘束したが、チャロナーは証拠不十分で釈放
逆にチャロナーから内部不正や、捜査のための違法な支出等につき訴えられ、被告席に立たされる
チャロナーとの戦いの次の局面で露わになったニュートンの残忍性は、ただの「国益」以外にも彼を駆り立てる理由があったのではないかと思わせる ⇒ ニュートンの個人的な信仰心を刺激してしまった。通貨偽造は宗教的な問題と常にかかわりがある。金属の平金を合法的通貨に変えることが魔法とされる所以は、硬貨の表に刻印された国王の頭部の肖像にある。国王は、神の恩寵によって国を統治している。その国王の肖像を写し取ることは大逆罪であり、国王という神聖な人間に対する侮辱だった。硬貨偽造が死刑に値する重罪であるのは、偽造された通貨が国家に危険をもたらすから。ニュートンはこの頃は既に錬金術の実践からは遠ざかっていたが、チャロナーの贋金づくりは事実上金を無限大に増やすという錬金術師の夢の不敵なパロディに他ならず、国王だけでなくニュートンまでもある特別な領域においてバカにしていたこともあって、ニュートンは、義務、個人的な怒り、独自の秘かな信仰心などが混ざり合った頑なな決意で獲物を執拗に追いかけた
ニュートンのその時々の生き様は全体の中の一部でしかなく、どの役割を果たすときも、どの仕事を成し遂げる時も、どの問題に取り組む時も、そこにいたのは、その1人のニュートンであり、1つの人生における一貫したテーマは、神との交流への渇望だった
ウィリアム3世は、依然として続く戦争の費用調達のため、大蔵省の管轄下で宝くじ(モルトくじ)を発売、それを贋金が作れずに金に困窮仕掛けていたチャロナーが新たな資金源として手を出したところから、その調査もニュートンが一緒に引き継いで捜査を一元化
1698年チャロナーを拘束、厳しい監視下に置く
チャロナーは、製造と使用を峻別していたので金型や鋳型が直接発見されない限り直接の証拠がないが、儲けを出すためには使用する役割を始め多勢の仲間を必要とするがゆえに、仲間を一人一人丹念にあげて締め上げると同時に自白と引き換えに処刑を免除する等のやり方で状況証拠を積み重ねていった結果、ついにチャロナーも追い詰められ、観念したのか、真犯人は他にいて自分は単なる仲介者だという自白の手紙を書き始め、さらには精神錯乱に陥り、それをまた巧みに利用したりする
99年の裁判では、チャロナーは弁護士もなく、無罪推定という考え方もない中、自らの無罪を証明しなければならない。次々とかつての仲間が証言台に立ち自らの罪を隠してチャロナーの行為を暴き、陪審による簡単な評決によって大逆罪が認められ絞首刑が決まる
チャロナーは、証人は皆偽証者で処罰が不当だと叫び続けたが、国王や大臣による死刑判決の審査でもチャロナーは名が知られ過ぎていたために減刑の対象とならず判決の18日後に大逆犯の処刑の恒例に従った残虐なやり方で処理 ⇒ 首を吊るされ、まだ息のあるうちに生きたままはらわたを取り出されて目の前で焼かれ、その上で身体を四つ裂きにされ市中に晒される

エピローグ
ニュートンはチャロナーの処刑に立ち会っていない
チャロナーの処刑により、ロンドンの犯罪がニュートンの心を占める割合が減ったようだ
硬貨の大改鋳を成し遂げたという栄誉を得て、のんびりしていたのではないか
99年末、造幣局長官の急死により、ニュートンが、歴史上初めて監事から長官に昇格
長官には、硬貨の発行重量1ポンドごとに一定の報酬が手に入るが、明らかに貨幣制度を救った功績に対する処遇で、27年間の在職中の平均年収は1650ポンド(ケンブリッジの教授職は100ポンド)にものぼり相当な財を築く
1703年には、自然哲学の問題にも再び目を向けるようになり、王立協会の会長に就任。光と色に関する研究結果を発表(『光学』)、遙か昔に到達していた自分なりに真実だと信ずるすべての結論を公表した ⇒ 自然現象には統一性があり、離れたところにある物体間で作用する力の概念について、「物質が重力、磁気、電気の引力で相互に作用し合う事はよく知られ、このような事例は自然の進路と過程を示す」、なぜなら、「自然は、極めて自らに忠実で自らに従うものだからだ」と、有名な格言を残している
晩年のニュートンは、社会的に重要な役割を果たしている ⇒ 硬貨大改鋳がもたらした最終的な結果が明らかになってからは特に造幣局長官としての仕事に多大な時間と労力を注ぐ。通貨切り下げをしないまま改鋳したため、イギリスの銀貨の大陸への流出は止まらず、1715年には99年製造の正規の銀貨がすべて消えてしまい、その結果はからずも英国の通貨の基準が銀本位から金本位へと移行するきっかけが生まれる
ニュートンは、金属だけが正貨となる考えには限界があると警戒して、政府の利子つき借金である紙幣によって貨幣供給の欠点を補えるとしたり、インフレ政策を主張したり、紙幣の信用度を高めて新たな投資へと資金を向かわせるべきと考えた ⇒ 1711年イングランドがスペイン継承戦争によって得た南米のスペイン植民地との奴隷貿易の権利で一儲けを企んだ南海会社の株が、1720年にちょっとした噂の流布から急騰、わずか9か月のうちに10倍になって又元の木阿弥に戻る。ニュートンは、初期の投資家だったが、バブルの最中に買い進んで2万ポンドの損失を蒙る(監事の基本給の40年分に相当)
晩年はほぼ満ち足りていて、ずっと温和になり、古くからの友人を大切にし、親戚の者たちに対して家長らしい振る舞いも見せるようになった
80歳を過ぎると、公人としての活動は少なく、すべてが彼の裁量下にあった造幣局についても、姪の夫で後継者となるジョン・コンデュイットに管理業務を任せた。22年肉体的に衰え始め、25年にはケンジントンに引越し、27年膀胱結石で死去


ニュートンと贋金づくり トマス・レヴェンソン著 天才科学者と犯罪者の対決 
日本経済新聞朝刊201316日付
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 この本は最近流行りの歴史フィクションではない。何と言えばいいのだろうか。ともかく真実の歴史絡みの本ではあるけれども、読んでいるうちに仰天してしまう。
(寺西のぶ子訳、白揚社・2500円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(寺西のぶ子訳、白揚社・2500円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 これが書評のための大げさな書き方だと思われる方は、まず最初にこの本の「エピローグ」から読み始めていただきたい。そこには1699年のクリスマスの日に、イギリスの造幣局の監事から長官に昇格する人物の話が出てくる。57歳のときにその地位に昇格し、それから27年間その地位にとどまった彼の平均年収はおよそ1650ポンド――ケンブリッジ大学の教授の俸給が年100ポンドの時代の話である。
 そこに南海泡沫事件が起きる。「17201月、噂の流布からバブルが始まった……株価は1カ月で128ポンドから175ポンドに上昇し、同社がさらに国債を引き受けると発表されると330ポンドに跳ね上がった……しかしその後、株価はあっけなく暴落した」
 歴史上も有名なこの株価暴落事件には当時の国王をはじめとして、問題の造幣局長官も巻き込まれてしまった。その損失は2万ポンド。なんとなく今の時代、世界のどこかで起きかねないことの戯画めいていて、思わず苦笑いしたくなるところでもある。しかも、この長官の名前をわれわれの誰もが知っているのだ。ニュートンである。そう、庭の木からリンゴが落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したことになっている天才科学者である。
 この本はそのニュートンの、一風変わった、正確に資料をふまえた評伝である。当然ながら、彼の錬金術研究のことがくわしく説明されているし、ロンドンの様子やケンブリッジ大学での生活の話もでてくる。
 そして、造幣局監事として彼が裁判の場でも対決することになった贋金作りの犯人ウィリアム・チャロナーの話。ひょっとすると、この本はこの忘れられた人物の評伝と言うべきかもしれない。錬金術を研究した科学者と贋金作り、犯罪者たちの社会史、そして処刑の歴史――すごい本である。
(青山学院大学教授 富山太佳夫)

ニュートンと贋金づくり []トマス・レヴェンソン

[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]朝日 2013年02月17   [ジャンル]歴史 
「怖い官僚」になった大科学者
 あの大科学者ニュートンは「金」に縁がある。長年ひそかに研究したのは錬金術だったし、当時の錬金術は「贋金づくり」と同義語に考えられた危ない探究だった。また晩年、彼は大バブル事件として有名な「南海泡沫事件」に乗っかり、長年蓄えた財産を投資してみごとに失敗した。
 だが、王立造幣局の官僚となったニュートンが、英国経済を銀本位制から金本位制に変える方向付けを行ったことはほとんど知られていない。
 30歳以前に科学上の大発見を連発したニュートンも、さすがに後半生は静かな思索生活に飽きあきしたらしく、名誉職であり実入りもいい王立造幣局監事という「閑職」を受けるのだが、あいにく当時の英国経済は崩壊の瀬戸際にあり、贋金づくりが横行していた。ハンマーで手打ちされた粗雑な古い硬貨は、縁や表面を削り取れば銀がいくらでも掠め取れるし、機械で打ちだす新たな硬貨も、肝心の金型がロンドン塔内の造幣局から盗み出されていく。
 さらに、金属としての銀も値段が海外よりも安かったので、銀貨が溶かされ国外へ流出しつづける。国内には銀貨が尽き商売もできないのだ。ニュートンは就職早々、英国経済の救世主として陣頭指揮をとらざるをえなくなる。
 厳格で完全主義者、しかも信仰あつい英国紳士ニュートンは、ここではじめて天職を得たといえる。いきなり造幣局の全システムを改革し、硬貨の改鋳にとどまらず事実上の紙幣発行を軌道に乗せ、ついに金本位制への転換も視野に入れていく。この改革は役人の生産性など綱紀粛正にも及ぶが、それを阻む最大の敵がいた。怪しげな性具の販売人からのしあがって官僚をも牛耳る贋金づくりのボスとなった悪党である。
 ニュートンはこの黒幕を死刑台に送るべく恐ろしいほど執拗な捜査を開始する。
 こんな怖い官僚、見たことない!
    
 寺西のぶ子訳、白揚社・2625円/Thomas Levensonマサチューセッツ工科大教授、サイエンスライター。

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