冥府の建築家 ジルベール・クラヴェル伝 田中 純 2013.3.25.
2013.3.25. 冥府の建築家 ジルベール・クラヴェル伝
Gilbert Clavel—Architekt des Chthonischen
著者 田中 純 1960年仙台市生まれ。91年東大大学院総合文化研究科(地域文化研究専攻)修士課程修了、01年東大より博士号(学術)、専攻は思想史・表象文化論。東大大学院総合文化研究科教授。著書に『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』(青土社、01年24回サントリー学芸賞)、『都市の詩学――場所の記憶と徴候』(東京大学出版会、07年58回芸術選奨文部科学大臣新人賞)、『政治の美学――権力と表象』(東京大学出版会、08年63回毎日出版文化賞)、『イメージの自然史』(羽鳥書店)など。
10年第32回フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞
発行日 2012.12.7. 印刷 12.18. 発行
発行所 みすず書房
「私がいつかもはやこの世にいなくなった時、私の霊は自分が一生涯の間に崇拝し、探し求めて、そのために自分のすべての信仰を捧げてきたもののうちに入り込んでゆく。朝は私と共に夕暮れとなり、暗闇は新しいいちいちの再生となるだろう。私は下げ潮となって深海を探索し、満ち潮の再来のために一つの波になろう」(1922年の草稿『変容』より)
ジルベール・クラヴェル(1883~1927)。幼少期の結核が元で宿痾を抱えたジルベールは、イタリア未来派の演劇活動、『自殺協会』と題された幻想小説、そして南イタリアはポジターノの岩礁を撃破して穿孔して建てた洞窟住居と、セイレーンの歌声が響く神話の古層を求めて、44年の短い生涯を駆け抜けた (セイレーンはギリシア神話に出てくる、美しい歌声で船乗りを誘惑しては座礁させたことで知られる。オデュッセウスは乗組員の耳を蜜蝋で塞ぎ、もし歌声が聞こえても船を厄災に向けて進めていけないよう、己の体をマストに縛り付けたという)
「エジプト旅行によって古典古代よりもさらに古い古代に触れ、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)や未来派の経験を経て芸術の前衛を知ったクラヴェルは、塔を拠点に岩窟住居を作り続けることにより、ポジターノの岸壁に暴力的に介入しながら、風雨に晒される。自然の四大との緊密な交感の場こそを切り拓こうとした。頽廃の美を食い破って〈岩石妄想〉が噴出したのである。そこには通底する〈もの狂い〉があった。クラヴェルの建築は、クラヴェルの魂であり霊であるような”もの”を包み込んでいる
バーゼル、マッジャ、ローマ、ポジターノなど、スイスとイタリアの各地に分散した遺稿や資料を可能な限りすべて調査して、この知られざる特異な作家/建築家の生涯と妄執を辿り直した、世界でも初めての評伝
序
本書は1つの妄執Obsessionに捧げられた書物。妄執は憑依する。人から人へと伝染する。妄執はどこから、どのようにして訪れたのか
1992年デュッセルドルフの美術館で「幻視のスイス」展を見た時、カタログに「ジルベール・クラヴェル 手紙で辿るその人生の軌跡」という資料が掲載され、あるヴィジョンとオブセッションに捧げられた生が典型的に描き出されているとして紹介されていた
バーゼル生まれのクラヴェルは、苦しみの影を宿した人物で、一生の間この小柄でせむし、結核の男性は、最悪の疾患に悩まされ、僅か44歳で死去
幼少期に罹患した結核のため、脊柱が湾曲。病弱、バーゼルの大学で数学期間、美術史、哲学を聴講。南方で療養、08年以降は南イタリア、ポジターノに長期滞在。スイス旅行中に胸膜炎で急死
『自殺協会』と題された幻想小説の著書があるので作家というべきだが、それより「フォルニッロの塔」を中心としたポジターノの建築群こそ、彼の名を広く世に知らしめた
この塔をクラヴェルは、16世紀のイスラム教徒(海賊)の襲来を見張るためにこの町の岬に建てられた、朽ち果てた石造りの監視塔を改築して作り上げた。一帯はクラヴェル城と呼ばれ、今ではイタリア貴族の夏の別荘となっている
監視塔の廃墟を09年に買い取り、改築の上22年には住めるようになる。周辺の岸壁を取得し、爆破して通路や居室を刳り貫き、4層108mに及ぶ洞窟住居が築かれる
ポジターノ近辺には、セイレーンの歌声に引き寄せられた芸術家や思想家たちの軌跡が複数残されている。20世紀の危機的な時代における特殊な集団的オブセッションが育まれた場となっていた
クラヴェルは、世紀転換期のデカダンスから破壊的なアヴァンギャルド芸術運動までを一気に潜り抜けた世代の一員だった。同時に、生と死をめぐる私的・詩的な神話とオブセッションを育んでいた ⇒ 困難な工事と過酷な自然のもとで、クラヴェルの妄執は〈岩石妄想〉と化して巌を穿つ。繰り返される体調の悪化とそれに由来する自らの肉体への疎隔感――岩石の皮膚を削って住居と化し、刳り貫いて通路とする行為の奥底で蠢く衝動は、クラヴェルの宿痾を抱えた肉体と魂の葛藤に発している。何故、ほかならぬクラヴェルが、ポジターノという土地を選び、この衝動の結実である異様で巨大な建築複合体を建造するに至ったのか――この問いを巡って辿られてゆく妄執的な観念の系譜の根は深く、セイレーンたちの歌声の遠い記憶、神話の古層にまで達することになるだろう
第1章
死の舞踏(1902~07)
絹染色の職人だった祖父の代にリヨンからバーゼルに移住、母方はバーゼルで代々続く商家。祖父の事業はやがてCIBAへと発展
父から事業を継ぐよう迫られたが、病弱と肉体的ハンディキャップから、作家を志望
療養を兼ねてイタリア旅行を計画、07年フィレンツェに到着
第2章
放蕩者たちの島(1907~11)
08年 カプリ島に移る
09年 フォルニッロの塔購入、11年ごろから改修開始
第3章
オリエントへ(1911~14)
パンテオンに関心を持ち、エジプト美術への興味に繋がり、13年にエジプトへ旅行し遺跡を実地に見聞、時代やジャンルを超えた普遍的な法則性を探し出す
第4章
エキセントリック(1914~17)
14年 アナカプリ(カプリ島の西側)にヴィラを借りて住み、大戦からは超越
短編小説『自殺協会』のアイディアが登場 ⇒ 18年イタリア語訳出版
第5章
未来派(1917~18)
17年 バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を見て設立者・主宰者であるディアギレフの手腕に興奮、デペロの舞台装置と衣装にも感激、造形芸術の動向にも注目
ナポリを訪れたピカソとも交流
第6章
メタフィジカ(1918~20)
17年ごろからピカソ研究を始め、ピカソやキュビスムを激しく批判
第7章
塔と洞窟(1920~23)
塔の改築は、かなりの難工事。22年には塔に移り住んで陣頭指揮
第8章
友と敵(1923~26)
友人たちがクラヴェルの城に滞在し、評判が広まる
第9章
睾丸と卵(1925~27)
27年胸膜炎にて死去。その時点での建築の進行状況は複数の洞窟が自然ないし人為的に繋がっている
洞窟は1989年にも大崩落を起こし、現在では巨大な瓦礫が空間を埋め尽くすばかり
冥府の建築家 田中純著 岬に「城」築いた男の異様な執念
日本経済新聞朝刊2013年2月10日付
これまでほとんど知られていない人物についての「世界初の評伝」である。
(みすず書房・5000円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
ジルベール・クラヴェル。1883年スイスのバーゼルに代々続く裕福な実業家の息子として生まれたが、幼少期に罹患した結核のために脊椎が湾曲し、みずから「欠陥ある骸(むくろ)」と呼ぶ肉体をかかえていた。イタリア未来派周辺の演劇活動に参加して「造形的演劇」を提唱し、またイタリア語訳で幻想小説『自殺協会』を出版した。
その彼が、南イタリアのティレニア海に面したポジターノの岬に、イスラム教徒の襲来を見張るために16世紀に建てられた石造の監視塔の廃虚を購入する。沖合に「セイレーンの島々」と呼ばれるガッリ諸島を臨む場所である。1927年に44歳で亡くなるまでの十数年間というもの、絶えざる肉体の不如意と闘いながら、彼はこの塔を改築し、さらに周辺の岸壁を爆破し、地下を穿(うが)ち、ついには4層の100メートルを超える長さの居室と通路の複合体をつくりあげていく。
この「クラヴェル城」完成へ向けて、掘削・爆破・穿孔を繰り返す一人の男の異様な執念を追うところが、本書の醍醐味である。著者は、岩壁に穿たれた坑道の軌跡のなかにクラヴェルみずからの「骸」の肉体を投射するかのようだという。しかも彼は、そうした作業のうちに巨大洞窟を発見し、それを手術によって摘出された自分の睾丸の形態をしたホールに改造しようとする。著者は、この睾丸がまた同時に卵でもあるという両義性を帯びたものとして、神話的古層にまで説き及ぶ。大地あるいは冥府の建築家と呼ばれる所以が明らかにされるだろう。
「本書はひとつの妄執(オブセッション)に捧げられた書物である」、と著者は冒頭に書いている。日記や手紙などのおびただしい1次資料を渉猟して、一人の特異なヨーロッパ人の生とその死に至るまでの「妄執」の軌跡をそっくりそのまま浮き彫りにした本書は、ヨーロッパの精神史に新たな一ページを付け加えるといっても過言ではない、この著者ならではの驚くべき労作である。
(国学院大学教授 谷川渥)
今週の本棚:持田叙子・評 『冥府の建築家−ジルベール・クラヴェル伝』=田中純・著
毎日新聞 2013年02月24日 東京朝刊
◇「骸」をひきずり「不死」の建築をのこした男の生涯
これは、生れつき重い宿痾をかかえて肉体の苦痛になやみ、それゆえに全霊をこめて美に焦れ、原始の匂う海と岩、洞窟を愛し−−とうとうイタリアのアマルフィ海岸に古代と近未来をワープする超時空的な芸術住居を作って夭折した、ある未完の建築家そして思想家に関する評伝である。
常に死とのせめぎ合いにあった彼の命の体現ともいえる「洞窟住居群」は、ヴェスヴィオ火山の領するソレント半島の古い漁師町ポジターノの断崖に残り、今も奇怪な姿を濃密な潮風にさらしつづけている。
彼の名はジルベール・クラヴェル。初の評伝と銘うつ本書の前半はまず、スイスとイタリア各地に残る彼の日記や書簡を探して彼の言葉に寄り添い、この知られざる芸術家の内なる世界を深く掘りおこす。著者の緻密な調査と誠実な筆致ゆえに、療養と独学の中でジルベールがはぐくむ特異な生命観や身体意識は、決して有閑階級の畸人の特殊なものと思われず、むしろ清冽な抒情性と哀しみをおびて私たちの身心の生死の核にも突きささる。
スイス、バーゼルの資産家の生れ。入院と手術の連続で「人生全体が瓦礫」と絶望する中、死を新たな生への復活とする古代芸術に憧れた。病む肉体に孕む愛情も豊かで、弟を熱愛し、男女問わず恋した。忘れえぬ人アーシアへの恋情を綴る日記のくだりは圧巻。「きみはいつぼくの孤独のなかへ来てくれるの?」「ああ、風と波をとどめようとする、われら所有欲に駆られた人間たち」などのことばは、虹色に響くこだまのよう。
著者はいとも繊細に、彼の脳裏をただよう詩想や芸術観の面影を捉える。もっぱら人生軸の事実を追う通常の評伝とはかなり異質だ。夢の交錯する心象世界に深く分け入る。
とともに著者の筆は平面にも広くのびる。二〇世紀初頭のデカダンスからアヴァンギャルド芸術運動の中に彼を置き、周囲にピカソやキリコ、リルケ、神話学者バッハオーフェン、舞踊芸術家ディアギレフらを配す。
ジルベールを支える古代へのあこがれは、ある意味で当時の前衛。二〇世紀初頭は、神話学や民俗学が台頭した古代研究の時代。彼もエジプトに旅し、周囲の砂岩、自然と同化する遺跡に<建築>の本質をみた。不死を志向する古代の円環的思想を現代芸術にいかすべく、小説や舞台装置も手がけた。しかしやはり、岬にそびえる岩石建築こそが彼の最高傑作……。
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