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日本外交 現場からの証言   孫崎享  2013.2.26.

2013.2.26.  日本外交 現場からの証言 握手と微笑とイエスでいいか 著者  孫崎享  1943 年旧満州生まれ。東大法中退。外交官試験合格。 66 年外務省入省。 68 年モスクワ大留学、英国陸軍学校へ派遣、ソ連 (5 年 ) 、 85 年ハーバード大国際問題研究所研究員。 86 年イラク公使 (3 年 ) 、 89 年カナダ公使、 91 ~ 93 年総合研究開発機構 NIRA 出向、イラン (3 年 ) 、現在駐ウズベキスタン大使。本書で第 2 回山本七平賞受賞 発行日            1993.6.15.  印刷                6.25.  発行 発行所            中央公論社 ( 中公新書 ) 『 13-02  戦後史の正体  1945-2012 』で、前著書に言及 冷戦構造の終結に伴い、対米協調を骨格としてきた日本外交が戦後最大の転換期を迎えた今、「外交とは何か」が改めて問われている。著者によれば、外交とは、「異なる価値観と利益の調整」。本書は、英米独中等の外交政策の背後にあるものを探って、日本外交の足跡と比較しつつ外交の本質を見極めようとする。情報収集と分析、政策決定、交渉と、外交の主要分野の豊富な実務経験柄、今後の日本外交の在り方を模索する試みである はじめに いま日本の外交は、戦後最大の転換期に来ている ⇒ 「何をなすべきか」と「どういう過程で外交政策を決定していくか」の 2 つの面で変化を迫る要因が続出 「一般国民が対外関係を如何に考えているか」に依存するところが多くなる 対応を求められる国際政治上の課題は、ある意味でジャーナリズムによってセットされる。これで国民の意識が形成され、各国政府はこれに対応を迫られる 「国民が国際問題をどう理解していくか」が日本外交を形成していくなら、外務省員がその経験を世に伝えていく義務がある 経験を一つの目安としながら、体系的な外交を論じる いま、国際関係は「これまで馴染んできた価値観と違うものと遭遇すること」を意味する その違いをできるだけ具体例を引用して外交論を述べる 第1章         外交の第 1 歩は価値観の違いの認識 外交の定義 ⇒ 互いに異なる利益・価値観を持つ国々の中に

ピアフのためにシャンソンを  Astrid Freyeisen  2013.2.24.

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2013.2.24.   ピアフのためにシャンソンを 作曲家グランツベルクの生涯 Chanson fuer Edith: Das Leben des Norbert Glanzberg           2004 著者  Astrid Freyeisen   1969 年ヴュルツブルク生まれ。同市の大学で歴史と中国研究を学び、中国の杭州大学に留学。 98 年『上海と第三帝国の政策』で博士号。 97 年からバイエルン放送局女性レポーター。 97 年ヴュルツブルクで「フランスへ亡命したドイツ人」展で、同市出身の音楽家グランツベルクのことを知り、同氏をパリに尋ね、インタビューを繰り返して本書を書く。大半が主人公の回想に基づく伝記。完成を待たずに本人は死去 訳者 藤川芳朗  1944 年愛知県生まれ。都立大大学院人文科学研究科独語独文学専攻修士課程修了。現在、横浜市立大名誉教授 発行日            2012.12.10.  初版発行 発行所            中央公論新社 1.    ママ、この音楽、どうして笑っているの ?  この音楽は泣いているよ、どうして ? ――ヴュルツブルクの子ども時代 ノルベルト・グランツベルク (1910 ~ 2001) は、ガリツィア出身のユダヤ人家庭でウクライナで誕生 ( 当時オーストリア = ハンガリー帝国領 ) 。父親はペンキ職人。西欧の優雅な社会に憧れて家族で西に移動、落ち着いたところがヴュルツブルク。父親はワインのセールスマンに グランツベルクは、幼少から音楽の才能を発揮、最初の楽器は東欧から来たユダヤ人の金持ちオイストラフ夫人 ( 後にオイストラフの演奏を聴きに行った時にデイヴィッドの叔母と名乗られて驚愕 ) から贈られたハーモニカ。 27 年実業高校から音楽学校に進路を変え、校長に才能を見出され、ヴュルツブルク市立劇場に売り込みに出かけ、コレペティートル兼指揮者見習いとして契約。 28-29 年のシーズンには猛威を振るったインフルエンザのお蔭で早々に指揮台に立つが、不況で歌劇場が閉鎖されたため、アーヘンの仕事を紹介してもらい、舞踏の伴奏をする 2.    ハンス・アルバースはとっても親切にしてくれたよ――ベルリン〈アドミラルパラスト〉で若い指揮者として