ハーバード 白熱日本史教室  北川智子  2012.12.10.


2012.12.10. ハーバード 白熱日本史教室

著者 北川智子 1980年福岡県生まれ。ハーバード大東アジア学部レクチャラー。カナダのブリティッシュ・コロンビア大で数学と生命科学を専攻、同大学院でアジア研究の修士課程修了。プリンストン大で博士号取得。09年よりハーバード大で教鞭をとる。趣味はピアノとフィギュアスケート

発行日           2012.5.20. 発行               5.30.  2
発行所           新潮社(新潮新書)

少壮の日本人女性研究者が、ハーバード大で日本史を大人気講座に変貌させた。歴史の授業に映画作りや「タイムトラベル」などの斬新な手法を導入。著者の熱に感化され、学生たちはいつしか「レディ・サムライ」の世界にのめり込んでいく―――。「日本史は書換えられなければならない」という強い使命感のもと東部の有名大学に乗り込み、「思い出に残る教授」賞にも選ばれた著者が記す「若き歴史学者のアメリカ」

ハーバード大で教鞭をとり始めてから3年目、最初は16人しか受講生のいなかった日本史のクラスに、今や251人の履修者が押し寄せ、日本史のクラスがかつてない人気を呼んでいる
人気の理由は、歴史へのアプローチがユニークである上に、コンピューターを使って実際に日本史を「体験」させる斬新な教え方にある

九州の高校卒業後、ブリティッシュ・コロンビア大に留学。数学と生命科学を専攻。在学中に日本史の教授のリサーチのアルバイトをしたのがきっかけとなって、歴史の記述に漠然とおかしなものを感じ、その疑問をぶつけたところ、大学院で日本史を勉強しないかと勧められ、その気になって同大学院の日本史専攻へと進む
ネームヴァリューに惹かれてハーバードの夏期留学に生き、「ザ・サムライ」という日本史の講座を受講。サムライ文化礼賛の授業に、女性不在の日本史への疑問が募る
修士論文の完成間近になって、教授からアメリカの大学の博士課程への進学を勧められ、第1志望のハーバードが不合格で、経済的条件の良かったプリンストンを選び、ニューヨークに住んで通う
試験分野が3つ必要とされたため、日本の中世史、日本の宗教に加え、東南アジアの数学史を選択。研究対象国に1年留学する習慣に従って、東大史料編纂所に研究員として在籍
博士論文の目処が立ったところで、ハーバードに新設された「カレッジ・フェロー」という新米のためのポジションに応募。同大の東アジア学部で、夏期講座で聴講した教授が退官した後の講座を「Lady Samurai」と衣替えして教えることになる
学部生用のクラスが10人を超えることは珍しい状況で16名集まり、大学院生用のセミナーには6人が受講。春学期には「KYOTO」という講座を教え20名集まる。1年目の終りには契約更新の上に、学生の評価で決まる学校のティーチング・アワードを獲得
2年目は、秋学期が「KYOTO」で38人、春学期の「Lady Samurai」には104人が登録
クラスで目指したのは、社会に出ても困らないように現実の問題に近い状況を想定すること。個性と感性の重視
歴史がみんなを強くする理由は2
   時に隠された意味を見つけること  意味を見つけられた過去や意味づけられた過去は、現在と直接の関係を持つ
   時の重力を感じること  時はいつも同じペースで積み重なり、同じ重力がかかる

ハーバード大学の日本史講義1 Lady Samurai
サムライで固められた日本史は時代遅れ  歴史の中でも女性の存在に光を当てるのが現代の世界基準
サムライだらけだった日本史に女性を組み入れる作業自体が不可能と考えられてきたため、女性研究があっても「女性らしさの研究」として完結していたし、サムライだらけの土壌に女性の話を植え込んで全体像を書き換えようと挑戦した歴史研究家が未だにいない
日本史が「サムライ・ジャパン」の枠組みを超えられないのは大きな問題
最終目的は、どのようにサムライとLady Samuraiが日本の歴史を作っていったのか、サムライで完結した日本史を超える日本史概論、「大きな物語(grand narrative)」を描き出すことが目的
秀吉の正室・北政所がメイン
まずは、「戦わずに強く生きた女性」にLady Samuraiの称号を与える  武士階級の女性の存在意義を掘り起こし、なぜ彼女たちがLady Samuraiと呼ばれるのに相応しいかを考える
次いで、サムライとLady Samuraiの両サイドから、日本の武士道の再構築を試みる  女性もサムライ文化の一部として捉えることこそが、現代の歴史研究に相応しい歴史の語り方
まずは「武士道」の歴史を辿る  サムライは昔から存在したが、「武士道」は1900年新渡戸稲造が同名の著書を出版して以来のことで、歴史事実ではなく、時代が新渡戸に創造させた新しいコンセプト。そのために日本史の歴史区分は、まずはサムライがいなかった時代といた時代に分けられる
海外では、武士道のアイディアに基づき、サムライが日本の歴史の軸を成し、「サムライ=ジャパン」という歴史の物語が常識となった
アメリカ人がLady Samuraiとしてイメージするのは以下の3
タランティーノ監督作品『キル・ビル』(03年、「権八」が舞台)に登場するユマ・サーマン演じるザ・ブライドとルーシー・リュー演じるオーレン石井、それに『Last Samurai』の小雪が演じるたか 前者はアクロバティックに武術をこなす女性、後者は男性の陰で息をひそめる女性。いずれもLady Samuraiのイメージではない
Lady Samuraiとは、「戦わずに、かつ陰で大いに活躍する女性たち」のことで、古くは平家壇ノ浦の戦いの時代。貴族から離れて新しい社会集団を作ったサムライと同様、Lady Samuraiも上流貴族からサムライになっていく  紫式部も清少納言も、上流階級に属する人名を英訳するときは通常Lady MurasakiのようにLadyをつけるのと同様、Lady Samuraiの語源も貴族文化にある
最初期のLady Samuraiに共通した特徴は、「殺されない性」  那須与一のエピソードでも扇の的を射ただけに終わる。男性のサムライとともに貴族から離れて戦場に出て行った女たちを指す。「殺されない」ために入水という自殺方法で女性ならではのサムライらしい潔さを残して死んでいく
戦国時代のLady Samuraiの特徴は、「女性らしさ」よりも「サムライらしさ」を強く反映  代表格が秀吉の妻・北政所"ねい(愛称がねね)” 大名の妻たちは、それぞれの城を拠点として、戦場の夫と交信しながら城や城下町の番をした。時に支配者である夫に意見を言ったりして影響力を持つ唯一の人材であり、尊敬すべき存在だった。妻が夫と同等なポジションを占めたわけではないが、ペア・ルーラーとして男女一対をなして統治をするのがペア・ルーリングであり、その役割を果たしたのがLady Samurai
ねいは、秀吉存命中から大阪城の南に広大な土地を手に入れ、秀吉の妻というより、秀吉のペアのLady Samuraiとして、経済活動さえも内外に認められる存在となる
本妻でない側室の扱いは正反対の運命を辿る  秀次が切腹を命じられた時、本妻は連座を逃れ「殺されない性」として扱われたが、側室は子供もろとも首をはねられる。ただ、側室もサムライの上流階級に属していた女性なので定義的にはLady Samuraiであり、「サムライらしい」最期を遂げる(=斬首)ことでその命の意味を残して死んでいく
Lady Samuraiで追ったのは、武士の上流階級で生きた女性のその地位の確立の仕方、生き方、そして最期の遂げ方であり、彼女たちが体現したのはサムライの武士道にはなかった新し「強さ」と言えるのではないか
サムライが戦うことをしなくなった江戸時代以降は、だんだん男性の陰に隠れる存在になり、いつの間にかそれが常識となってしまったために、Lady Samuraiに目を向けられることがなかった
Lady Samurai」のクラスは、新しい歴史の見方や捉え方を提案し、男性だけで成り立ってきた日本史に、女性の生き方と命を組み込む、21世紀感覚の日本史のクラス

キュー(Cue/Q)  学期末に学生によって行われる先生の評価
3年目の秋学期の「KYOTO」  136人が登録、解答は119人。Overallの評価4.61(期待値4.29)、他の学生に薦めるかは82%(likelyまで含めると95%)Instructor overallでは4.77(期待値4.46)3年連続でティーチング・アワードを受賞3
学生新聞が選ぶMost stylish Professor10人や、4年生が選んで卒業アルバムに載せるFavorite Professor(全教授陣2100人中40から50)にも選出
写真に添えた卒業生宛のメッセージは、自分の写真2枚を織り込んだグラフィックを使って、No proof needed; your possibilities are ∞.

KYOTO」の講義内容
「場所を主体とした歴史」は、大学の授業としては珍しい試み
Activity Learningの導入 ⇒ 自分たちで実際に試しながら学ぶ体験型教授法。マイケル・サンデル教授の対話方式の授業はその成功例
15421642年に絞った歴史、種子島にポルトガル船が漂着するときから、安定政権が江戸に樹立された後までの京都の街の変化を追う
グループによるプレゼンをさせる ⇒ 4人でなくては出来ないものを求める
プレゼンを通じて、16世紀のヨーロッパ人の体験が、21世紀のハーバードの学生の体験に変わっていく
歴史は、外交問題に発展し得る政治的にセンシティブなテーマを含んでいる ⇒ 外交に対して何かポジティブな貢献に繋がるような歴史のクラスにしたかった
良い面も悪い面も全て包み隠さず日本の歴史を話すことは、より良い国際理解を求めていく姿勢として学生に捉えてもらえると信じる

歴史は時代に合わせて書換えられる ⇒ 「Lady Samurai」という新しい日本史の語り方も、「KYOTO」ということの勉強法も、どちらもサムライの魅力が届かないエリアにあって、かつ日本人以外の人に日本の良い面に新しく気付いてもらえる素敵なトピックであり、勉強の成果はどれも新しい日本史である
コミュニケーション手段の変化に歴史学もついて行けるように進化を遂げていくべき
海外で教える日本史は、少々荒削りでも、よい影響力と強い魅力を発するものでなければならない
「印象派歴史学」として自分の歴史研究を位置付けたい ⇒ 研究者は「鳥(高い視点から物事を描き出す)」と「カエル(1つの話題を深く掘り下げて新しい発見に辿り着く)」の2つのタイプに分かれるが、自分のやり方は「鳥」タイプ
日本のイデオロギーを目に見える形で作ること、日本とは何かという質問に対してしっかりした答えを構築すること ⇒ 終戦後の日本には「大きな物語」がない。一般化された歴史叙述がない。イデオロギーやアイデンティティが不足している


日経WOMAN 編集部 取材・文/行武知子
『ハーバード白熱日本史教室』。若き32歳の歴史学者、北川智子さんの初著書は3日間で増刷になり、歴史書としては異例のベストセラー。アメリカ屈指の名門・ハーバード大学で、受講生がたった2人という時期もあったという不人気講座「日本史」に、就任2年目には100人以上の学生を集め、さらに3年目には250人を超える白熱教室に押し上げた。爽やかな笑顔がまぶしすぎる北川さんの「キャリアの軌跡」と「歴史の授業」について伺った。
巡り合いに身を任せてハーバードの先生に
北川智子さん
1980
年福岡県生まれ。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学を卒業。同大学院でアジア研究の修士課程を修了後、プリンストン大学で博士号を取得。2009年にハーバード大学東アジア学部カレッジ・フェロー。3年目にはレクチャラーとして「日本史教室」を人気講座に押し上げた。専門は日本中世史と中世数学史。20127月からは、英国ニーダム研究所を研究・執筆の拠点とし、講演や講義で世界中をめぐっている。
 29歳の若さで、ハーバード大学の教壇に立った北川さん。そのキャリア設計は、戦略的というより、「巡り合い」を大事にして、自然と積み上げられてきたもの。北川さん自身「その時々でやってみようと思ったことをやっているうちに、自然の流れで今の自分に行き着いた」と屈託なく話す。そもそも歴史学の研究者になったことですら、自らの強い意志を貫いた結果ではなく、自然の流れなのだと言う。
 福岡県の進学校を卒業後、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に進学。数学とライフサイエンス、比較政治学を学んだ。カナダの大学に留学したのは、「高校時代にホームステイしたとき、景色の素晴らしさに感激して、ここで学びたいと思ったから」。高校時代から理数系で、歴史を好きだと思ったこともなかったのに、大学院では歴史学専攻と、本人ですら予想外の方向転換をしたのは、アルバイトで日本史の教授のリサーチアシスタントをしていたのがきっかけだった。
「リサーチアシスタントの仕事のほとんどは、過去の人が書いた日記などの史料と、学者の論文の研究テーマを黙々と読むことでした。両方を読み比べるうちに、だんだん歴史研究の中に何かが抜けているような漠然としたオカシさを感じ始めました。その思いを教授に伝えたところ、大学院でぜひ研究してみないかと誘われたんです」。当時、将来のキャリア設計がまだくっきりしていなかった北川さんは教授の誘いに乗ることにした。
 そして、大学院に進学する前の夏休み、たまたまアイビーリーグに憧れて参加したハーバード大学のサマーセミナーによって、大きな転機がもたらされた。
 サマーセミナーで参加した歴史の授業は、「ザ・サムライ」。縄文時代から現代に至る日本史の短期集中講義だったのだが、その中心は、圧倒的な数のサムライ紹介。「女性が一人も登場せず、男性のサムライだけが日本の歴史を作ったかのような語られ方に異議を唱えたくなりました」と言う。
 そこで、北川さんは、大学院で、まず「レディ・サムライ」の発掘に取り組んだ。日本の歴史には、巴御前のように男勝りに戦ったと伝えられる女性も登場するが、北川さんは、「サムライ階級」のなかにいて、武将たちとともに統治に関わった女性の存在を歴史に位置づけようと試みた。「秀吉の妻ねい(ねね)の書簡などを丁寧に読むと、夫を支えた糟糠の妻というだけではなく、秀吉とともに統治者として認識されていたという事実が分かります」と北川さん。それは、これまでの男性のサムライの存在だけで記された歴史観の中に、女性のサムライの存在を位置づけ、歴史のストーリーを書き直す作業だった。
 奨学金を受けながらブリティッシュ・コロンビア大学大学院、東京大学史料編纂所、プリンストン大学大学院でレディ・サムライの博士論文をまとめた矢先、今度は驚く展開が待っていた。
 ハーバード大学でポスドク(博士研究員)であるカレッジ・フェローに採用されたのだ。「実は、大学院博士過程に進むとき、志望したなかでハーバード大学だけ合格しませんでした。その上、このポストの採用面接の日は大雪で、ずぶぬれ姿で15分も遅刻。まさか採用されるなんて。夢にも思っていませんでした」と笑う。
 巡り合いを最大限に楽しみ、その時々に真剣に取り組んだことで、自分が思ってもみなかった方向にキャリアは広がっていった。「カナダの大学を選んだ時点で、いわゆるみんなが進む道からは外れていました。だから、人がどうかとか、この年齢でどうかというような焦りはありません。ただ、現状を打ち破りたい、新しいチャレンジをしたいという好奇心が私らしさなんです」と北川さん。やりたいことが見つからないと焦る女性も多いが、こんな伸びやかなキャリア設計もありなのだと思わせてくれる。
 短期間で驚異的な学生たちの評価を得た北川さんだが、この夏、ハーバードの教師生活にピリオドを打ち、9月からは新しいチャレンジのために渡英。ケンブリッジ大学内の研究所で、東アジアの数学史を掘り起こす研究生活をスタートさせている。
 北川さんのハーバードでの実績は実に輝かしい。学生たちが選ぶ、自信を持ってお勧めするという評価「ティーチング・アワード」を3年連続で受賞。時に授業に着物姿で現れる北川さんだけに「ベスト・ドレッサー賞」も受賞し、卒業アルバムで「思い出に残る先生」として推薦される「フェイバリット・プロフェッサー」にも選ばれた。その人気の秘密はどこにあるのだろう?
 初年度は16人しかいなかった「レディ・サムライ」の授業の履修生が、レクチャラーに就任した3年目には251人に。爆発的に人気を得た理由の一つには、そのユニークな授業スタイルがあるだろう。日本でも有名なハーバード大学・サンデル教授のそれはディベート型をとるアクティブ・ラーニングだが、北川さんはまた異なる形の独特なアクティブラーニング型を実践するクラスを築いた。
 例えば中世の京都について学ぶ「KYOTO」のクラスなら、16世紀日本に渡来してきたヨーロッパの宣教師たちの書簡を読んでのグループ・プレゼンや、秀吉の外交政策や天正遣欧少年使節団としてヴァリニャーノが派遣した少年4人組の外交・見聞に関する2分間のラジオ番組の制作が課題となる。ほかにもラップでのプレゼンや、映画制作などを通して、学んだ内容に自分らしくクリエイティビティを加えながら表現していくことなどが組み入れられている。
 なぜ、こんな授業を実践しているのか。「私はまだ若く、今までの先生がやっていた授業を踏襲しても仕方がないし、ITを取り入れるのも得意。だから、学生たちにとって面白そう、有意義そうと思われる内容には貪欲にチャレンジしてきた」(北川さん)。だが、それ以上に、学生たちに「普遍的な歴史を学ぶ」意義を体得して欲しいという北川さんの願いも込められている。
 アメリカの大学で日本史を学ぶことは、普通に考えれば、それほどメリットがあることではない。だからこそ、北川さんは「歴史を学ぶ普遍的な意義」を強く意識している。「それは、に隠された秘密出来事の歴史的な意義を見出せるスキルを身に付けること。そして時代の雰囲気をつかみ、自分なりに理解していくことにつながります」。
   それは、今、北川さんが打ち出している新しい「歴史学」のコンセプト、「印象派歴史学」にも通じる。「歴史研究というと、細かい事実を一つ一つ検証して正誤表をつくるというようなことが主流です。でも、もし、日本の歴史を海外の人に伝えるとしたら、もっと大きなストーリーで、全体像を伝えたほうが理解できる。細部の一つ一つが正確な細密画より、全体の印象を強く伝える印象派の絵画みたいに」と北川さん。
 歴史の全体像を見直し、その新しい歴史像を自分なりの表現で発信していく。こんな具合に歴史と向き合う視点は、海外の大学で日本史を学び、海外の学生に日本史を教えてきた北川さん独自のもの。だからこそ、ハーバードの学生たちも、「日本史」を学ぶことの面白さを感じ、熱中したのだろう。
 日経WOMANの読者にも、北川さんはこんなアドバイスを贈る。「歴史の勉強というと、教科書を覚えて終わり、正しいことと間違っていることの正誤表を作ったら終わりと思っていませんか? それでは、時と向き合う面白さはなかなか味わえません。できれば、その時代の人がどのように生きていたのか、何を感じて生活していたのかを想像してみてください。そして、その自分の想像した内容を、自分の友人や周囲の人と話し合ってみてください。それだけで、歴史というを扱うスキルが格段に上がると思います」と北川さん。
 今そこにある日本史の既成事実を疑い、積極的に考え直す姿勢を持つ。その時、過去と今のつながりの上に自分がいることを実感できるようになる。歴史を学ぶわくわくするような旅に出た北川さんに、私たちもぜひ続いてみたい。そうすれば、今の日本に生きている面白さをも、もっと感じられるのではないだろうか。

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