饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる  西川恵  2012.11.14.


2012.11.14. 饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる
Wine & Dine Diplomacy

著者 西川恵 毎日新聞外信部専門編集委員。71年毎日新聞入社。社会部を経て79年外信部。テヘラン、パリ、ローマ各支局。98年から外信部長。論説委員を経て02年から現職。『エリゼ宮の食卓』で97年サントリー学芸賞。フランス政府国家功労勲章受章

発行日           2012.4.25. 初版第1刷発行
発行所           世界文化社

国際政治をフォローする傍ら、饗宴のメニューを蒐集
華やかな饗応メニューから読み解く、国際政治と外交のキーワード。そして宴席の舞台裏に鮮やかに浮かび上がる人間ドラマ!

1.    皇室外交の真髄――誰にも平等に、最高のものを
09.12. 中国副主席習近平の天皇訪問の際、政府が「1か月ルール」違反を強行したが、天皇の国際親善が国の外交とは異なることを印象付けた事件
迎賓館 ⇒ 宿泊は、国賓で訪問した国家元首のみ。国賓に住まいを提供するのが目的なので、迎賓館での答礼宴はあっても日本政府が歓迎宴を開くことはない
相手の軽重によってもてなしに差をつけることこそが政治(外交)なので、日本の皇族のような姿勢を貫いている国の元首は恐らくいない

11.11. ブータン・ワンチュク国王夫妻歓迎宴(皇居・宮殿「豊明殿」)
シャブリ グラン・クリュ ヴォデジール97
シャトー・ラフィット・ロートシルト89
シャンパン ドン・ペリニョン96

09.7. カナダ訪問 ⇒ 英連邦諸国は英女王を元首としており、英女王は既に訪問しているからとして、連邦諸国訪問は控えていたため、今回が初の訪問
ジャン総督による歓迎晩餐会(オタワの総督公邸リドー・ホール)
ナイアガラ・カレッジ・ティーチング・ワイナリー シャルドネ06(オンタリオ州)
プラチナム・メリテージ シダー・クリーク・ワイナリー05(BC)
アイスワイン リースリング ケヴ・スプリング・ワイナリー00(オンタリオ州)

08.11. スペイン・カルロス国王夫妻
スペイン人シェフ、ジョセップ・バラナオ(BIKINI TAPAのオーナー)による答礼晩餐会
(明治記念館、迎賓館が工事中のためホテル泊)
ドライシェリー フィノ ラ・ノイ
白 ライマット・シャルドネ07
赤 アリオン・レゼルヴァ05(国王のお気に入り)
デザート ペドロ・ヒメネス1827
カタルニア料理/ピンチョス ⇒ カナッペの一種

2.    首相官邸のもてなし術――「白馬」ワインは通じたか?
11.9. 野田佳彦首相によるアキノ・フィリピン大統領の歓迎夕食会
主賓がアルコールを飲まない時はメニューに記載しない
白 ピュリニー・モンラッシェ クロ・ド・ラ・ムシェール07
赤 シャトー・パルメール02
首相官邸での歓迎宴 ⇒ 官邸が依頼しているホテル数カ所が輪番で料理を担当
「五七桐」紋入りの洋食器はあるが、和食器は料理に合わせてホテルのものを使う
ワインは、政府所蔵の中からホテルのソムリエがメニューに合せて2種選択し、官邸が最終判断。シャンパンは官邸が選択。日本酒は6銘柄

10.6. フランス、フィヨン首相を迎えての菅首相の歓迎昼食会 和食
コルトン・シャルルマーニュ03
シャトー・ラトゥール96
日本酒 田酒(青森県産)
席上、菅首相は結婚40周年記念をフランスで祝いたいとスピーチしたが、翌年5月ドゥーヴィルでのG8の際は、震災直後や菅政権に対する厳しい世論から伸子夫人は同行せず

11.5. 日中韓3か国首脳会談の際の菅首相主催歓迎宴(迎賓館) 
メニューは、震災見舞いの訪問目的を勘案、被災地の食材を多用した純和風に
アルガブランカ イセハラ01
シャンベルタン ブシャール・ペール・エ・フィス05
日本酒 飛露喜

09.12. トルクメニスタンから初のベルディムハメドフ大統領訪日の際の鳩山首相による歓迎宴 和洋折衷の料理
コルトン・シャルルマーニュ03
シャトー・シュヴァル・ブラン96
トルクメニスタンでは、アハルテケという世界で最も古い4種の古代馬の1つの子孫が国の宝とされ、これを操って騎馬民族として名を馳せてきたことを知った外務省からの出向者がシュヴァル・ブラン(「白い馬」の意)を選択、事前に首相の耳に入れたが、首相が食前に大統領に「馬の名に因んだワインが出るらしい」と囁いたのが伝わらずに、話題になることもなかった

3.    震災外交とサルコジ――郡山でのナショナルデー
08年洞爺湖サミットでも福田首相との会談に応ぜず、再三の訪日要請にも明確な言質を与えなかったサルコジが震災直後の訪日をしつこく要請 ⇒ 9.11でもシラク大統領が真っ先に駆けつけており、翌年の大統領選を意識したパーフォーマンス?
フランスは常に超大国アメリカとは一線を画していたが、ハンガリー出身のサルコジが実力本位のアメリカ社会に対する親近感は特別、アメリカでヴァカンスを過ごした(途中でブッシュ大統領夫妻と非公式に会談までしている)最初の大統領となる
直後の07.11.に国賓として訪米。ホワイトハウスでの歓迎晩餐会
HDVシャルドネ カルネロス”04
ドミナス ナパ・ヴァレー”04
シャンパン モエ・エ・シャンドン ロゼ
HDVは、米ハイド家と仏ド・ヴィレーヌ家(ロマネ・コンティの共同経営者)がナパで一緒に造るワイン
ドミナスも、ボルドーのワイナリーを所有するクリスチアン・ムーエックスがカリフォルニアに有するワイナリー
シャンパンも、ホワイトハウスでは米国産の発砲性のスパークリングワインと決まっていて、フランス大統領に対する最高の敬意の表明
酒を飲まないサルコジに通じたかどうか
サルコジは、文化への関心も薄く、食事にも興味がない。北アフリカに暮らしたときの習慣で、よく料理を手づかみで食べるのには驚かされる
08.1. 良家の子女だったスーパー・モデルのカーラ・ブルーニと結婚してエリゼ宮が変わると期待された ⇒ 直後の国賓としての英国訪問では完璧な振る舞いで絶賛を博す
シャサーニュ・モンラッシェ マルキ・ド・ラギシュ00
シャトー・マルゴー61
シャンパン クリュッグ マグナム82
英王室は国賓の歓迎宴では2番手のワインに留めているが、異例の厚遇。シャンパンも屈指の銘柄で異例づくめ

11.5. 菅首相を迎えての歓迎式典に続く大統領主催ワーキング・ランチ (エリゼ宮)
ピノ・グリ フォンダシオン96年 (アルザス地方産、エリゼ宮で出るのは珍しい)
シャトー・コス・デストゥルネ97
シャンパン ブリュノ・パイヤール N.P.U.95年 (戦後設立された唯一のシャンパン・ハウス)

3.11以降、各国がナショナルデーの祝賀レセプションを控える中、フランスだけが7.14.に郡山で1600人を招いての大レセプションを開催。半数は被災者。東京以外での開催はもちろん、フランスの閣僚が革命記念日に本国を離れるのも史上初

4.    英女王と歴史和解――地雷原を優雅に、巧みに
英女王は、ソ連時代に一度も訪問せず、ソ連からも国賓を招いていない ⇒ 94年にロシア訪問が初、初めて招いたのは03年のプーチン大統領 ⇒ ロシア革命で英王室と姻戚関係にある皇帝ニコライII世と家族が処刑されたことが関係
中国を国賓として訪問したのは86年、改革開放後7年経ってから
南ア訪問も、アパルトヘイトのある間は訪問せず、95年が初の訪問

08.10. スロベニアとスロバキア訪問 ⇒ ローマ法王、米大統領に次ぐ英女王の訪問により、両国は国際社会で最終的なお墨付きを得たという意味合いを持つ
第二次大戦直後英軍はオーストリアに亡命していたユーゴ出身の反共主義者を半ば強制的に帰国させたが、チトー政権によって処刑された
チェコでは、大戦直前ヒトラーの要求の前にチェコを犠牲にしたが、英国の実業家がユダヤ系の子供700人を強制収容所送りの直前にナチスから救い出した
英女王がまだ訪問していないEU加盟の旧社会主義国はブルガリアとルーマニア
英女王が元首として訪問できない国が2つ ⇒ ギリシャとイスラエル
フィリップ殿下は元ギリシャ王族、1歳の時軍事クーデターで国を脱出、その後英国に帰化 ⇒ 47年訪問時は王制に戻っていたが74年に王制が廃止されたため訪問は困難。いずれ実現されよう
イスラエルから国賓は招かれているが、女王の訪問はまだ実現していない

アイルランド訪問が実現したのはつい最近 ⇒ 07.3.北アイルファンド自治政府成立でプロテスタント(英国統治派)とカトリック(アイルランド独立は)の和解が成立。11.5.ついに英女王の訪問が実現、歓迎晩餐会がダブリン城で開催。英女王による謝罪の言葉が注目されたが、間接的な表現でうまく言い表した
シャトー・ド・フューザル05年 (アイルランド人所有のワイナリー)
シャトー・ランシュ・バージュ98年 (北アイルランド和平合意の年のワイン)
イギリス流に合わせて、チーズがデザートの後で出された
滞在中いくつもの両国の紛争を思い出させる歴史的遺跡を訪ねたが、地雷原の中の細い1本道を行くが如く、女王はそれを1歩も誤またず優雅にやってのけた

11.5. オバマ大統領夫妻を迎えた女王主催の歓迎宴 (バッキンガム宮殿)
シャブリ グラン・クリュ レ・クロ04
エシェゾー グラン・クリュ90年 (ロマネ・コンティ)
シャンパン ヴーヴ・クリコリッチ” 02
ロイヤル・ヴィンテージ ポート63
乾杯はシャンパンだが、英南部サセックス産のリッジヴューのロゼのスパークリングワインが使われた
バッキンガク宮殿のワインはフランス産と決まっている
前回イラクが混乱を極めていた03年の国賓ブッシュ大統領の時(白は無格付けのピュリニー・モンラッシェ96年、赤がボルドー2級のシャトー・グリュオ・ラローズ85)との違いは歴然

5.    招宴外交と料理人――美味しいところに人は集まる
在日英国大使公邸の料理長 ⇒ 畠山武光。40年勤務で名誉大英勲章MBE授与
02年 ストロー外相夕食会のメニュー
シャトー・ド・ルリー95
シャトー・ガザン93
シャンパン

日本の在外大使公邸 ⇒ 公邸料理人帯同制度によって1人連れて行ける

6.    オバマ大統領の饗宴――プラグマティスとの仕掛け
09.1. 上下両院合同のオバマ大統領就任歓迎昼食会 (56回目、連邦議会内で開催)
ソーヴィニョン・ブラン ナパ・ヴァレー07年 (ダックホーン・ワイナリー)
ゴールデンナイ ピノ・ノワール05年 (ダックホーン・ワイナリー)
コルベル 就任式特別スパークリングワイン
メインは、オバマが尊敬するリンカーンが好んだという鴨とキジのロースト
デザートの直前にエドワード・ケネディ上院議員が倒れ、救急車で搬送。7か月後死去
ホワイトハウスの料理長はフィリピン系移民の女性。95年から勤務、05年料理長に。マイノリティも女性も初めて

09.11. オバマが迎えた最初の国賓はインドのマンモハン・シン首相
ミシェル夫人は国賓歓迎宴の時、主賓の国出身の米国人デザイナーにドレスを特注することが多いが、この時も米国在住のインド人デザイナー、ナイーム・カーンに制作を依頼
前菜 モデュス・オペランディ(ナパ) ソーヴィニョン・ブラン08
スープとチーズ ブルックス・アラ(オレゴン) リースリング06年 (有機栽培)
ポテトの団子か海老 ベックマン(加州) グルナッシュ07年 (有機栽培) (新首相はベジタリアン)
デザート スパークリングワイン ティボー・ジャニソン(ヴァージニア)
前菜のルッコラは、ミシェル夫人がホワイトハウス菜園で栽培したもの
アリス・ウォーターズが71年加州のバークレーに「シェ・パニース」を開店、抗生物質やホルモン無添加の肉と除草剤や化学肥料を使わずに栽培された野菜や果物に拘った料理を提供していらい、全米に「校庭菜園」運動が拡大、ミシェル夫人が呼応したもの
1組の夫婦が紛れ込んで晩餐会場で記念撮影した写真をウェブにアップして発覚、警備体制の不備が問われた

11.1. 中国の胡錦濤主席訪米(オバマが迎えた3人目の国賓)の際の歓迎晩餐会 ⇒ 前回06年の訪問時は中国の領土拡張や人権問題等もあり、中国は国賓待遇を主張したが、ブッシュは公式訪問と割り切って昼食会をちょっと豪華にした程度でお茶を濁した
ロブスター デュモル・シャルドネ(加州) ロシアン・ヴァレー08年 (有機栽培)
仔牛 クィルシーダ・クリーク(ワシントン州) カベルネ コロンビア・ヴァレー05年 (ロバート・パーカーが州内最高のカベルネ生産者と評価)
デザート ポエーツ・リヴ(ワシントン州) リースリング08
最初の訪中の際は人権問題を棚上げにして、中国からオバマ与しやすしと取られ兼ねなかったが、今回は人権団体の代表者を招待したのみならず、両国大使と同じテーブルにつけ、しっかりと議論を戦わせた

7.    小渕首相と沖縄サミット――キミに勲章を授けよう!
饗宴外交の真髄に通じていた日本の首相といえば小渕 ⇒ 自ら細かい点にまで配慮
98.11. クリントン米大統領の非公式訪問の際の歓迎晩餐会 (迎賓館)
会場には蝦夷松の盆栽を展示 ⇒ 北方領土返還を示唆。お土産として贈呈
翌年首相の訪米の際、大統領が国立樹木園からホワイトハウスに運ばせ、首相と盆栽の元の持ち主を招待して見せた ⇒ 国立樹木園のゲートから盆栽までのアプローチは「サブロ・カトー・ストリート」と命名
ロシア首脳の訪日の際にも同じ盆栽を贈ろうとしていたが、急逝で果たせず

日本開催のサミットで、饗宴という点から最も成功したのも小渕首相主催の00年の沖縄だろう ⇒ 沖縄を主張したのは小渕自身、反米感情を理由に渋るアメリカもクリントンが小渕の言うことならと応諾したが、開催直前に小渕は急逝、森がホスト役に
歓迎のプランを劇団四季代表の浅利慶太に相談、その紹介で音楽評論家の安倍寧が総合監修で参画、料理は沖縄の旬の素材を活かした無国籍料理で辻料理専門学校に委嘱、晩餐会のコンセプトは「世界の調和」
フランスの某メーカーが20世紀末を記念して、20世紀を各10年単位で区切ってそれぞれの10年で最高のヴィンテージものを10種類ブレンドした特製シャンパンを作ったという話から、参加8か国首脳の国のワインを調合し、肉に合せた赤ワインを作る
白ワインの代わりに、日本酒もEU欧州委員会委員長を加えた9首脳に合わせ9種類をブレンド、食後酒の泡盛も古酒をブレンドし、9首脳の平均年齢57.8歳に合せる
乾杯用のシャンパンは、世紀末の記念シャンパンが12百万円と高いので、足利市の知的障碍者施設「こころみ学園」で造っているスパークリングワインを使う
美食家のシラクを念頭に「フランス料理をベースにした環太平洋料理」で準備していたところ、シラクから日本料理とのリクエストがあり、裏方を慌てさせたが、盛り付けを和風にすることで折り合う
シラクは、カクテルの時間に、用意していなかった日本酒を注文
ブレア首相は食事の時にビールを注文、打ち上げ用に用意していた缶ビールを出す
クリントンは、3時間以上冷やしたコーラでなくてはだめという
ブレンドした赤ワインは好評
翌日のサミット終了直後、シラクが野上外務審議官を見つけ特に晩餐会の素晴らしさを誉める。野上が「大統領の指示をすべて実現できず申し訳ない」と日本料理でなかったことを詫びると、「料理は素晴らしかった、準備してくれた君にレジオン・ドヌール勲章を授けたい」と言い、数か月後フランス大使公邸での叙勲式で改めて大統領の感謝の言葉があった

8.    Gbサミットと社交晩餐会――ファーストレディーの反乱
09.7. イタリアで拡大G8開催 ⇒ 3か月前に同国中部アドリア海に面したアプルツォ州で大地震発生、ベルルスコーニは急遽開催地を変更して被災地のラクイラで開催
会場は、同市の財務警察幹部学校の建物で、「史上最も質素なサミット」といわれた
直前に、大統領夫人が離婚を決意、サミットへの参加を拒否
ワーキング・ランチ(社交晩餐会が省かれたのは初めて)
ジュリオ・フェラーリ(南チロルの発泡酒)
ペコリーノ・テヌータ・バローネ・ディ・ヴァルフォルテ08
モンテプルチアーノ・ダブルッツォ・サンカリスト06
チェラスオーロ・ヘドス・カンティーナ・トッロ08
ナポリターノ大統領主催の晩餐会
ガルガネーガ・マラーニ04
トーレ・ミリオーリ・レゼルヴァ04(ロゼ)
チェラスオーロ・モンテプルチアーノ・ダブルッツォ05
ジュリオ・フェラーリ・リゼルヴァ(乾杯用発泡酒)
どちらの食事もカジュアルなテーブル・ワインばかり ⇒ 地震のみならず、世界の金融危機への対処がテーマのサミットならでは。08年の洞爺湖サミットが下地としてあった
ラクイラを機に、新興国台頭によりサミットが変質。初日の華やかな晩餐会もなくなって儀礼的要素を落とし実務本位となる
参加した夫人たちは、女性閣僚の案内で被災地を見舞う

08年洞爺湖サミットでの福田首相主催晩餐会 (ウィンザーホテル)
シャンパン ゾエミ・ル・レーヴ
純米大吟醸 磯自慢
コルトン・シャルルマーニュ05
リッジ・カリフォルニア・モンテベロ(カベルネ)97
トカイ(ハンガリー) エッセンシア99
料理の指揮は、ホテル・メトロポリタン・エドモントの総料理長・中村勝宏 和洋折衷
8コース、19皿の料理に、先ず英紙が噛みつく ⇒ 饗宴が世論に晒された最初

07.6. ハイリゲンダム(メルケルの選挙区、旧東独の中でも失業率が高かった北部の保養地)でのメルケル首相主催の社交晩餐会 (地方領主の館にて)
イーリンガー・ヴィーンクラーベルク・グラウアー・ブルグンダー05(独へーがー社)
クロ・デ・ムーシュ00年 (仏ドルーアン社)
メルケルの夫でフンボルト大の量子化学教授ザウアー氏も06.7.ブッシュ訪独に次いでホスト役を務める
1か月前に大統領に就任し実質外交デビューとなるサルコジとセシリア夫人のカップルは、予てセシリアが「ファーストレディーは真っ平」と公言していたこともあって、2日目には娘の20歳の誕生日のパーティーのために帰国したが、4か月後離婚

10.6. カナダ・ムスコカ・サミット ⇒ 2日間の実務会議に徹した後、トロントに移ってG20サミットに合流
11.5. ドーヴィル・サミット
ワーキング・ランチ ⇒ ホテル「ノルマンディー・バリエール」のレストラン「ベル・エポック」にて
コンドリユ アムール・ドゥ・ディユ09
シャトー・ラローズ05
シャンパン ペリエ・ジュエ ベル・エポック
夫人同伴は2人のみ。メニューはシンプルだが内容は完璧

9.    シラクvs橋本龍太郎――米国の生みの親はフランス?
シラクは、9507年大統領
03.6. 橋本首相訪仏時の日仏賢人会でのシラク大統領主催の歓迎ランチ (エリゼ宮)
ボーヌ第1級 クロ・デ・ムーシュ90
シャトー・ラグランジュ88年 (83年サントリーが買収、欧米企業以外に買収を認めた最初の例)
シャンパン ブリュノ・パイヤール90
イラク戦争終結直後で、シラクが米国の単独行動主義を盛んに批判した挨拶の途中で橋本首相が、「その米国を生んだのはフランスでしょう」と茶々を入れる
シラクの日本文化への造詣は、中学時代に仏像を見て以来という、来日は50回を超える。
法隆寺の百済観音をパリに持ってくるのが夢で、橋本が首相だった97年「フランスにおける日本年」で実現、ルーヴルの特別会場で展示された
大の相撲ファン、毎日星取表を取組終了時にチェック、00.7.には大統領杯を新設、サルコジになってからも「日仏友好杯」として続いている
93年 パリ市長だったシラクが率いる保守・共和国連合RPRが総選挙で勝利、腹心のパラデュールを首相に送り込んでミッテラン大統領と保革共存政権を組ませ、党と政府と首都を抑え、95年の大統領選への万全の布石を打ったが、パラデュールが大統領選出馬を表明、更に若手のホープで目をかけてきた首相府のスポークスマンだったサルコジもパラデュールに同調、支持率低下に加えて相次ぐ腹心の裏切りで失意にあったシラクに立ち直るきっかけを与えたのは日本 ⇒ 箱根の行きつけの老舗温泉旅館に籠って英気を養い、大統領選への秘策を練った結果、地道な地方重視への戦術転換が功を奏して当選

99.1. 小渕首相訪仏時のシラク大統領主催の歓迎晩餐会 (エリゼ宮)
シャトー・オー・ブリオン88
シャトー・コス・デストゥルネル90
シャンパン ドン・ペリニョン90
ギメ美術館から国宝級の縄文時代の土器、古墳時代の埴輪などを借り出して展示

00.5. 森首相訪仏時のシラク大統領主催のワーキング・ディナー (エリゼ宮)
サントネー クロ・デ・ムース97年 (ホワイトアスパラガスに合せる)
シャトー・カノン・ラ・ガフリエール95
シャンパン テタンジェ コント・ド・シャンパーニュ90
森首相愛飲の薩摩焼酎「森伊蔵」が出される

01.7. 小泉首相訪仏時のシラク大統領主催のワーキング・ランチ (エリゼ宮)
シャトー・タルボー・カイユー・ブラン97
シャトー・シュヴァル・ブラン86年 (首相の干支に合せた選択)
シャンパン サロン・ル・メニル85
小渕と小泉へのもてなしが群を抜く

05.3. シラク大統領訪日の際の両陛下主催の宮中午餐会
コルトン・シャルルマーニュ96
シャトー・ムートン・ロートシルト85
シャンパン ポメリー ブリュット・ロワイヤル

07.5. シラク大統領退任の際の昼食会
シャトー・ランシュ・バージュ95
シャンパン テタンジェ95
シャンパンを前菜にも合せたので白ワインは無し
両方ともシラクが当選した年に合せている

11.12. シラクは、パリ市長時代(7795)の架空雇用事件で執行猶予付き禁固2年の有罪判決 ⇒ 戦う余力がないとしてすべての公判を欠席、控訴も断念

10. 日中の首脳交流――礼は往来を尊ぶ
06.9. 安倍首相就任直後の訪中の際の温家宝首相主催の晩餐会 (人民大会堂)
長城白ワイン02
長城赤ワイン02
貴州茅台酒(マオタイ)
飲めない首相より、飲める昭恵夫人への配慮

07.4. 温家宝首相訪日時の安倍首相主催の歓迎夕食会(首相官邸、帝国ホテル担当、和食)
コルトン・シャルルマーニュ99
シャトー・ムートン・ロートシルト98
シャンパン ドン・リュイナール ブラン・ド・ブラン
清酒 賀茂鶴
6年半ぶりの中国首脳の訪日を最大級のラインナップで歓迎

07.12. 親中派とされた福田首相訪中の際の胡錦濤主席主催の歓迎晩餐会(人民大会堂)
張裕(チャンユー)赤ワイン02年 
張裕白ワイン99
中国3大ワインメーカーのトップ、110年の歴史を誇る、孫文が試飲「品重醴泉」と揮毫
温家宝首相と共に、日中首脳による初めての共同記者会見
国家主席が主催した夕食会も初めて ⇒ 昼食会は99年の小渕首相訪中時江沢民が主催

08.5. 胡錦濤主席訪日時の宮中晩餐会
ピュリニー・モンラッシェ96
シャトー・ラトゥール90
シャンパン ドン・ペリニョン95
08.5. 翌日の福田首相主催の歓迎夕食会 (首相官邸、帝国ホテル担当、和食)
コルトン・シャルルマーニュ00
シャトー・ラトゥール95
シャンパン アヴィズ・グラン・クリュ
日本酒 賀茂鶴
官邸が赤白とも最高級格付のワインを出すのはそうあることではない

10.5. 温家宝首相訪日時の鳩山首相主催の歓迎夕食会 (迎賓館・游心亭、帝国ホテル担当、中国側のリクエストでいつも和食)
シャンパン ドン・ペリニョン00
パヴィヨン・ブラン・デュ・シャトー・マルゴー03年 (温首相が首相に選出された年に合せて調達)
シャトー・コルトン・グランセ99
清酒 久保田 萬壽(新潟県)
両国の緊密度が増し、懸案解決への道が見え始めた矢先、翌日鳩山が退陣を発表、中国側に失望感を抱かせる ⇒ 9月の尖閣事件で日中関係は一気に険悪に

11. イランとウィーン条約――ネクタイを締めるのはいつ?
アフマディネジャド大統領のナショナルデーの式典の執り行い方の変遷
06年 当選後初の式典は、前例踏襲で大使夫妻を招待
0709年 大使を前に演説するだけ
10年 大使夫妻を招き、男女別々の部屋で演説を聞く。大統領夫人が初めて公の場に姿を現し、大使夫人達をもてなす
11年 革命以来初の夕食会、男の大使のみ対象 ⇒ EU各国はイラン生まれのオランダ国籍の女性が麻薬所持容疑で死刑になったのに抗議して欠席
12年 大使夫妻を夕食会に招待
年々融和的姿勢を強めているのは、国際社会との緊張関係へのイランなりの態度の変化
イランの公式の場における服装は、黒の上下にスタンドカラーのホワイトシャツ、ノーネクタイ
ネクタイは、キリスト教の十字架とされている
歴史的に西洋の服飾文化は、王侯貴族や上流階級が指導し、より洗練されたものへと練り上げてきた ⇒ イスラムや共産主義が抵抗するのも無理はない
ソ連が初めてタキシードを着たのは、ソ連が崩壊した後の94年、エリツィンが英女王訪露の際の歓迎晩餐会 ⇒ 「プロトコールでロシアは西洋基準を取り入れた普通の国になった」と言われ、以降ロシアの指導者はタキシードを着用
中国はいまだにスーツ姿



饗宴外交ワインと料理で世界はまわる []西川恵[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]朝日新聞 20120624   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

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メッセージから読む駆け引き

 クリントン米大統領を招いての晩餐(ばんさん)会。メニュー内容から席次まで細かくチェックした小渕首相は盆栽を飾るよう外務省スタッフに指示し、こう念押しした。「盆栽は蝦夷(えぞ)松だぞ」。国後島原産の樹齢250年の蝦夷松を見せることで北方領土への関心を引こうという演出だった。だが、本番では思わぬハプニングに見舞われる……
 外交における饗宴(きょうえん)では、料理の素材から飲み物の種類、余興演目、服装、スピーチまで、ありとあらゆる部分にメッセージが込められる。そこに着目して首脳同士の信頼関係や外交の舞台裏を描き出した好著。著者の十八番だ。
 玄人顔負けの知日家だったシラク仏大統領をもてなすための苦労。中国の人権問題をめぐる胡主席訪米時のオバマ大統領の巧妙な仕掛け。饗宴は単なる奢侈(しゃし)ではない。
 激しく変動を続ける昨今の国際関係。そうした時代だからこそ、国のトップ同士が食を共にすることの重要性を本書が再認識させてくれる。

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