ホテルオークラ総料理長の美食帖  根岸規雄  2012.10.10.


2012.10.10. ホテルオークラ総料理長の美食帖

著者  根岸規雄 1941年埼玉県羽生市生まれ。母は栄養士。内幸町の本格的フランス料理屋「常磐屋」の料理人に知り合いがいた関係でフランス料理を志す。東京YMCA国際ホテル専門学校卒。61年ホテルオークラ調理部入社(開業1年前)66年より6年間スイス・フランス修行に。2001年総料理長就任(長峰六郎、小野正吉、釼持恒男に次いで4代目)09年後進に道を譲る

発行日           2012.8.20. 発行
発行所           新潮社(新潮新書)

濃さも味わいも倍のダブルコンソメスープ、行列のできるローストビーフ、「世界一」のフレンチトースト。ホテルオークラには食通も唸る数々の逸品がある。開業以来腕を振るってきた著者が初めて明かす、美食と饗応の極意とは―――。「客よりも美味いものを食え」という師の教え、給料をつぎ込んだ本場美食ツアー、VIPの大好物、天皇陛下のトナカイ料理…「最後の総料理長」による矜持と秘話に満ちた半世紀

ダブルコンソメ ⇒ 水からではなく、コンソメから作ったスープ。値段は2100円。ホテルオークラの人気メニュー。01年総料理長になって開発した一品
開業50周年記念で、「絶対の一品」をリストアップ

Ø  西洋の模倣はいらない
ホテルには、川端康成の書で、ローテンブルク・シュピタール門に書かれたラテン語の文章:「歩み入る者にやすらぎを、去りゆく人にしあはせを」(ホスピタリティの要諦)がある
開業19625月。大倉財閥2代目当主大倉喜七郎と、三井物産からニチメンに転じ、戦後GHQ傘下の「持株会社整理委員会」にいた野田岩次郎が手を組んで興した事業
大倉は、追放前の帝国ホテル会長への返り咲きを狙ったが拒否され、帝国ホテル以上のものを作ろうと立ち上がった
「美術館をホテルに」という贅沢なビジョンの下で誕生、日本の伝統美に対する矜持を持ちつつ、和と洋の絡み合う独特な美空間を追求
ベストA(設備)C(料理)S(サービス)を目指す

Ø  ロビーに静けさを、エレベーターに金蒔絵を
喜七郎夫人の実弟で漆芸の大家・溝口三郎氏を中心に設計委員会を組成し、細部にわたって日本の美を追求した
「館内には絵画を架けるな」 ⇒ コスト面で経営的な成功の一因となった

Ø  これが本場の味なのか
初代総料理長は、帝国ホテル出身の長峰六郎
フランスからシェフを招いて、初めて本場のフランス料理を学ぶ ⇒ 「フォン・ド・ヴォー」という軽いテイストのソースも初めて見た

Ø  運命のローストビーフ
日比谷のアラスカで小野シェフが焼いたローストビーフの味を野田社長が認めて、小野シェフをスカウト

Ø  ご飯でキャビアを
Ø  サリー・ワイル氏の恩返し
1927年誕生の横浜のホテルニューグランドの初代総料理長サリー・ワイルは、スイス人だがフランス料理のセルティフィカを何枚も持ち、それを武器に日本にも来て、ホテルの業務を通じて多くの日本人シェフを育てる ⇒ 小野シェフもその1
終戦とともにホテルが接収され、失意のうちにスイスに戻る ⇒ 56年に日本で育った弟子たちが夫妻を日本に招待、その恩返しとして全日本司厨士協会宛に、日本からのシェフ修行希望者の身元を引き受ける旨の申し出が来る。そこから日本のフランス料理界の若者たちのヨーロッパへの門戸が開かれた

Ø  ソースの魔法
著者が最初に修行したのは、ジュラ山脈に近いフランスとの国境の町、駅構内にあるレストランに1年。次いでスイス国内の一流ホテル。3年目にしてようやくフランスのジョルジュ・サンクに入る。トロワグロでも短期間修行

Ø  初めての三つ星の味
異文化に触れて、帰国後は日本の食材を活用したソースを工夫

Ø  スプーンはタテかヨコか
開業当初、レストラン部門のサービスを指導してくれたのは、3年目にジョルジュ・サンクから来たフランス人で、彼の指導でサービスのスタンダードが作られた
デクパージュという、元々の料理のサーブする際の基本だった料理の仕上げと盛り付けを客のテーブルサイドでやる技術もその時習う ⇒ 70年代のヌーベル・キュイジーヌの登場で、シェフが最後の盛り付けまでやるようになった

Ø  レストラン・ウェディング誕生
「ラ・ベル・エポック」でよく開かれた再婚カップルのパーティーが起源 ⇒ 再婚がまだ珍しかった頃、お嫁さんが初婚だとウェディングドレスは着せたいという要望に応えた

Ø  お客さまをお名前で呼ぶために
「ラ・ベル・エポック」で始めたサービスに、記念写真の撮影があり、あとで写真を送るために住所と名前を手に入れて、個人的な付き合いに発展させ、馴染客としてフォロー

Ø  迎賓館のイワツバメ・スープ
1974年 初の米大統領訪日実現 ⇒ 迎賓館にフォード大統領を迎えて大統領が両陛下を招待した返礼晩餐会に、小野シェフと著者が出張調理。オークラが地下1階の調理場の設計や食器類のアドバイスをした関係で、その年の運営はオークラが、以降帝国とオータニを加えた3社で1年交代に担当。「ホテル御三家」という呼称が一般化
イワツバメの巣を使ったスープを出す ⇒ 適温管理に腐心
以後、米大統領が来日する際はオークラを使うパターンが増えた

Ø  皇族方への接遇
1962年 メキシコのロペス・マテオス大統領主催の晩餐会に、戦後初めて両陛下が民間のホテルにお出まし
皇族は熱い物が苦手 ⇒ いつも毒見をしてから食べるので、大抵は冷えている
必ず2人でサーブする、飲み物は一杯に注がない(手が震えてこぼす)、一律のサービス
01年 ノルウェーのハラルド国王夫妻が迎賓館で主宰した返礼晩餐会でのこと、メインにトナカイの肉を出すとの話が出て、宮内庁に問合せしても、日本側の都合で変えるわけにもいかないとの返事、4人だけの食事だったので、両陛下だけ別のものを用意するわけにもいかず、試しに調理法を聞いて作ってみたところ、いける味だったので、そのままトナカイをメインとしたところ、好評だった
スウェーデンのグスタフ国王ご夫妻が両陛下をオークラにお招きした時は、国王自らテーブル・セッティングを確認したばかりか、ワイン・テイスティングにも、調理場にも出向いてチェックされたのには、そこまでするのかと驚く

Ø  VIPの大好物
長嶋茂雄のアップルパイ

Ø  世界一のフレンチトースト
調理開発室長時代、「ホテイチ」と総称された新商品群を開発
「オーキッドルーム」のフレンチトースト(予約制) ⇒ テイクアウトを工夫
塩味のチョコレート
「料理人は客よりも美味しいものを食え」という鉄則に従って、海外に出る時は、垂涎の的の店ばかりを狙って試す
クリヨン ⇒ 1909年創業。ウサギの肉を手長海老を芯にして巻いてローストし、ウサギからとったジュ(焼き汁)を添えた料理は絶品
ル・カメリア ⇒ オマール海老をホワイトソースで煮込んだ「フリカッセ・ド・オマール・シュナナ風」
シャトー・レ・クレイエール(シャンパーニュ地方ランスの古城ホテル) ⇒ サーモンを使った料理。ジンジャー味のダブルコンソメ
ジラルデ(ローザンヌ近郊) ⇒ トリュフ料理は世界最高
ポール・ボキューズ(リヨン近郊) ⇒ カエルにザリガニのソース
アラン・シャペル(リヨン近郊) ⇒ スズキの料理
メゾン・ピック(ヴァランス) ⇒ スズキにキャビアを添え、オマール海老をベースにしたソースで食べる
ル・サーク(仏語読みではシルク、ニューヨーク) ⇒ イタリア人マッチオーニがフランスで修業して出した店

21世紀になってからのフランス料理 ⇒日仏の国境がなくなったのみならず、日本の平松や松嶋啓介がフランスに店を出したり、日本人のシェフの店がミシュランの星を取ったりするようになった。冷凍保存技術や物流環境の発達で、食材も世界中のものが使われたり、フランス特有の食材が日本でも手に入るようになったり、世界中で美味しいフランス料理が楽しめるようになった

Ø  伝統にデータを加味して
ホテルオークラのフランス料理は如何にあるべきか ⇒ 最大の使命は「半世紀を越えても変わらない味と質を維持する」こと。変わり続けながらも普遍であること

Ø  「絶対の一品。」の真価
開業50周年 「絶対の一品。」キャンペーン
特製和牛トロトロカレー(カメリア)
ビーフストロガノフ(テラス)
伝統のローストビーフ(テラス)
特製和牛フィレ肉のウェリントン(ラ・ベル・エポック) ⇒ ヨーロッパの代表的な宮廷料理。イギリスのウェリントン公爵が愛した料理
ハンバーグ
ダブルコンソメ ⇒ 肉の臭味を抜くために混ぜていたエストラゴン(ハーブの一種)を除く

後輩に伝えた言葉 
⇒ コンソメ、フォン、フュメ(魚の出汁)、ブイヨン等のレシピは絶対に変えるな


朝日新聞書評
ホテルオークラ開業時から調理場で働き、200109年に総料理長を務めた著者の回顧録。6年間のヨーロッパ修行でみた華やかな世界と有名店の食べ歩きの感想、各国VIPが滞在した時の逸話、朝食の人気メニュー「フレンチトースト」をテークアウト商品にした時の様子など、半世紀の歩みを語る





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