ヴァーグナー試論   Theodor W. Adorno  2012.7.8.

2012.7.8.  ヴァーグナー試論
Versuch ueber Wagner  193738

著者  Theodor W. Adorno 19031969ドイツ哲学者社会学者音楽評論家作曲家フランクフルト出身。フランクフルト学派を代表する思想家、その影響は現在でもなお大きい。
ナチスに協力した一般人の心理的傾向を研究し、権威主義的パーソナリティについて解明した。権威主義的態度を測定するためのファシズム・スケール(Fスケール)の開発者であり、20世紀における社会心理学研究の代表的人物。
作曲家としても作品を残し、アルバン・ベルクに師事した。シェーンベルクをはじめとした新ウィーン楽派を賞賛する一方、ストラヴィンスキーパウル・ヒンデミットなどの新古典主義的傾向をもつ音楽や、シベリウスリヒャルト・シュトラウスヨーゼフ・マルクスといった、20世紀において後期ロマン主義のスタイルをとり続ける作曲家には否定的。また、一貫してジャズポピュラー音楽には批判的な態度をとり続けた。
ワイン商人の父と、歌手の母。一人っ子。父はもともとユダヤ系であったが、カトリックの母と結婚する前にプロテスタントに改宗。
アドルノは学業成績も極めて優秀であり、ギムナジウム2飛び級で卒業した上にアビトゥーアに首席で合格。フランクフルト大学で哲学・音楽・心理学・社会学を学ぶ。
大学時代から音楽批評を多く発表していたが、目指したのは作曲家。1924年に大学を卒業すると、本格的に作曲を学ぶためアルバン・ベルクを頼ってウィーンへ移るが、肩入れしていたシェーンベルクらの音楽が世間で不評であったことに落胆し、再び音楽批評の活動に戻った後、1926年にウィーンを去った。
その後フランクフルトに戻り、次いでベルリンに滞在するが、ナチスの勢力伸長に伴い、ユダヤ系の出自であるアドルノは1934年にイギリスへ、さらに1938年にアメリカに渡る。この頃からTheodor W. Adornoという名前表記を用いるようになった。
第二次世界大戦後の1949年、フランクフルト大学の社会研究所が再スタートを切った際に帰国、ホルクハイマーと共にこの研究所の所長に就任し、亡くなるまでここに籍を置く。
19698月、妻とともに休暇で訪れたスイス・フィスプで心筋梗塞を起こし、当地にて死去。65歳。

訳者 高橋順一 1950年宮城生まれ。埼玉大大学院文科学研究科修了。現在早大教育学部(教育、総合科学学術院)教授。選考はドイツ・ヨーロッパ思想史

発行日           2012.3.25. 第1刷印刷      3.30. 発行
発行所           作品社

ヴァーグナーの最初に上演されたオペラ《恋愛禁制》(別名《パレルモの修道女》)では、シェークスピアの『尺には尺を』に素材を取った台本が使われている。田舎の劇場での不幸な初演の後、すぐに全く忘れ去られ生き返ることはなかった
《リエンツィ》は、《恋愛禁制》と同様ヴァーグナーの楽劇の規範とは根本的に相容れないにもかかわらず、最初の名声と地位をもたらす大きな成功となった
ヴァーグナーがある悪評高い場面でニーチェに対して怒りを爆発させ、ニーチェが黙ってしまうと、次のように言った。「君は上品に振る舞うし、きっとこれからも世間に対してそうだろう。だが私には生涯に渡ってそうして上品さが欠けている」
犠牲者の嘲笑と自己啓発の間の矛盾がヴァーグナーの反ユダヤ主義を規定している

オペラ・ブッファ(市民的抵抗に属する芸術)とオペラ・セリア(宮廷的・封建的な儀式に属するもの)を、ブルジョアジー優位の下に1つに融合しようと努めたため、市民的抵抗運動は放棄。全体として言葉に対して態度を変えている ⇒ 音楽が言葉に応答していない

訳者:解説にかえて
アドルノが本書を書く動機がナチズムとの内在的対決に由来している ⇒ 本書は時代との対決の契機を孕んだ「政治的」な性格を持つ
ヴァーグナーの中に、ナチズムとの関連から見える「不吉さ」と、「現代音楽の全要素」の起源ともなった「美的偉大さ」との両義性を見ようとする ⇒ その本質を、「ヴァーグナーの作品において具象化されている社会的・人間学的類型との関連」を通じて明らかにしようとする


訳者あとがき
アドルノが音楽家として特に強い関心を持ったのは、生涯にわたって著作をまとめたいと願いながらその早すぎる死のために果たせなかったベートーヴェンと、自ら作曲家として、或いは理論家として実践的に関わった無調音楽及び12音音楽、さらにはミュジク・セリエルや偶然性の音楽に繋がる20世紀新音楽の歴史の起点に位置するシェーンベルクであった
ベートーヴェンは、最もポジティヴな意味での市民社会の音楽の典型。啓蒙理性の力が、アンシャン・レジームの非合理性を打破しようとする市民革命の批判的・解放的力と結びついた時代
シェーンベルクは、市民社会が近代国民国家と産業資本主義の出現によってその批判的ポテンシャルを失い、硬化した物象化社会の現実へと変貌してゆくことに対し音楽を通して最も真摯に対決しようとしたアヴァンギャルド。ブルジョアに対し現実認識の喪失を暴き立てるラディカルな批判のメスとしての「不快な」音楽
市民社会に潜在していたはずの批判的ポテンシャルの喪失から再生をつなぐ「過渡的なもの」「移行の過程にあるもの」こそ、ヴァーグナーの音楽で、そこには肯定性と否定性の両面が表裏一体の形で現れる ⇒ ベートーヴェンの晩年様式の交響曲第9番から出発し、シェーンベルクへの道の開拓者となった
シューベルトの音楽にも興味を示す。ナポレオン敗北以降の反動の時代、いわゆる「ビーダーマイアー」の時代に、非政治的な内面や心情の世界をつつましく描いたように見えるが、実は逆説的な形で否定的心理が現れている
ヴァーグナーの本質をアレゴリー(ある事物を,直接的表現するのではなく,他の事物によって暗示的に表現する方法の意、寓意、比喩)としての性格に求める


ヴァーグナー試論 テオドール・W・アドルノ著 起爆力を秘めた現代社会批判 日本経済新聞 書評 2012/4/29
フォームの始まり
フォームの終わり
 待望の訳書である。日本では意外に隠れ人気があるのか、アドルノの主要著書のほとんどは訳されている。だが彼の著作の中でもとりわけ難解で知られるこの記念碑的なワーグナー論だけは、なかなか翻訳が出なかった。ワーグナーのスコアと台本のあらゆる細部に通じつつ、同時にマルクスやフロイトやベンヤミンの思想にも明るい――そんな途轍(とてつ)もなく高いハードルを訳者/読者に課してくるのが、本書なのである。
(高橋順一訳、作品社・4000円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 これはワーグナーを切り口にした19/20世紀社会論である。ワーグナーをハイアートと思うな。むしろ彼こそは近現代のあらゆるマスカルチャーの源流であり、独裁者とそれに吸い寄せられる大衆、プロパガンダ芸術、映像を駆使した広告産業などのルーツは、すべてワーグナーに遡ることが出来る。アドルノはそう考える。1930年代後半に書かれたこのワーグナー論は、暗黙の激越なファシズム批判でもある。
 本書における最も重要な概念は「ファンタスマゴリー」だろう。幻灯機のことである。これは映画の前身ともいうべき光学装置で、19世紀に大変人気があった。どこにも実体がない不可思議な光景が、光の戯れによって幕の上に虚構され、人々の目を眩ませ、脳髄の中で次第に実体となっていき、無意識の欲望を自在にコントロールしていく。ショーウィンドーの商品や映画やCMがそうであるのと同じように、ワーグナーの音楽もまた、ハイテクによって演出される現代の魔術の一つである。
 簡単に読める本ではない。だが、これだけ強烈な起爆力を秘める現代社会批判は、ざらにあるものではない。頭が割れそうな文章を、それでも何度も反芻して読んでいるうちに、突如として眩暈がするような啓示が降ってくるだろう。訳文は極めて手堅く明瞭。これ以上分かりやすくしてしまったら、それはもうアドルノではなくなる。
 ちなみに舌を巻くアドルノのワーグナー通ぶりから察するに、本当のところ彼は熱狂的なワグネリアンだったのだろう。
(音楽学者 岡田暁生)

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