岡本にて  谷崎潤一郎  2012.7.1.

2012.7.1. 岡本にて                             (昭和4628日記)

著者  谷崎潤一郎 

発行日           2001.12.25. 印刷             1.10. 発行
発行所           中央公論新社(中公クラシックス) 中央公論社刊『谷崎一郎全集』第20(1982.12.)、第21(1983.1.)、第22(1983.6.)からの転載

震災の明くる年の9月蘆屋に逃げて来て、その翌年岡本へ家を持ったのはついこの間のような気がするが、東京が復興するまでの間と思っているうちに、もう足かけ6年になる
元来移転好きで、生まれたのは日本橋だが、自分が一家を構えるようになってから、本所の小梅を振り出しに、本郷、小石川、相州鵠沼、小田原、横浜と、一カ所にまる2年と居ずに転々としていたのに岡本ではすっかり癖が止んでしまった
名高い梅林の山の西に家を作ったので、永久に帰る気はない
年忌のたびに上京するのも億劫なので、墓も移そうと思っている
谷崎家の寺は法華宗、地震の数年前に染井に移転、芥川家と墓が背中合わせ
震災後は、かねて住みたいと思っていた京都に家を持つ。洛北等持院の近くに11月までいて、東山三条の「花洛名所図絵」にも出ている日蓮宗本山要法寺の廃寺になっていた1軒を借りたが、寒さと日当たりの悪さから暮れには苦楽園に逃げ出した
もともと江戸っ児というものにそんな古い家族は有り得ない。彼等の大部分は、近江、伊勢、三河の出身が多い。「谷崎」はめったにない姓で、現存の人に少ないばかりか、歴史上にも殆ど聞かない。系図もなく、五六代前に近江から来た、江州商人の子孫であろう。太閤記の中で滝川一益の家来に「谷崎忠右衛門」が出てきて、それが蒲生氏の臣となり、近江の日野に移り住んだことを知った。氏郷が会津に国替えした時、従って行ったらしい

人に揮毫を求められることが多くなったが、悪筆を恥じて剛情に断り通しているものの、そうもいかなくなって苦し紛れに短冊を汚すことにした
元来歌は巧拙よりも即吟即興が面白いので、小便をたれるように歌をよんだらいい
何十年も前、上海三井銀行支店長で旧友の土屋計左右氏(一中の1年後輩)宅に世話になった時、芳名録に書けといわれ、適当な文句が浮かばないし、非常なる悪筆だから厭だといって辞退しても承知しない。文句がなければ自作の小説の表題なりとも記せという。仕方がないので処女作から順々に自分の小説集の目録のようなものを楷書で書いたのが、また運悪く、えりにえって拙く出来て、どう見ても小学校の1年生の習字のようだった。ところがその後土屋君が次第に上海実業界に頭角を現し、交際の範囲が広くなるに従って、支那でも知名の文人墨客が芳名録を飾るようになり、その間に介在する私の悪筆はいよいよ醜を異邦に晒すことになった。そういうのが謙譲でない証拠には、支那の知名人の1人が余り見苦しいから彼処だけ破いたらどうかといったそうだ。ところが土屋君はその芳名録を帰朝の度に内地へも持って廻って、画家文人の揮毫を求めるので、恥はだんだん日本人の間にも広がって行った。安田靫彦君も一見して「むしろその勇気を珍重する」といったそうだが、まったくそうでもいうより外にいいようもあるまい。それから七八年を経て再び上海に行った時、もう大概破って捨てたことと思っていたら、意地の悪い土屋君は、「このくらいまずいと却って話の種だからね」と、依然として保存しているのである。あの工合ではおそらく一生、恥を上海に曝すことになるのであろう


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