天皇観の相剋   武田清子  2012.5.18.

2012.5.18. 天皇観の相剋―1945年前後

著者  武田清子 1917年兵庫生まれ。アメリカ・オリヴェット大卒。コロンビア大、ユニオン神学校にも学ぶ。文学博士。国際基督教大名誉教授。思想史専攻

発行日           1993.7.15. 第1刷発行      1978.7.岩波書店より刊行
初出 1976.10.78.3. 雑誌『世界』に連載
発行所           岩波書店(同時代ライブラリー)

廃止か、保持か―――日本降伏を廻る英、米、豪、中など連合国側の様々な天皇観の対立、相剋を初めて実証的に明らかにし、戦後改革を伝統社会の変容のドラマとして解明した。戦後史ばかりでなく、日本人の思考と行動様式を考えるための必読書でもある。

序説
連合国の中にどのような天皇観が存在し、それがどのような展開を繰り広げたのか?
そうした天皇観の相剋が日本の戦後の天皇、ないし、天皇制の性格付けにどのような決定要因となったか?
特定の民族文化・社会にとっての土着の価値体系が、外発的インパクトとの出会いの下に変容・発展を繰り広げてゆく上に、どのような内発的要因となって機能してゆくかを、ミクロの深層を顕微鏡で覗き見るように拡大して見せてくれるものとも受け取れる
絶対主義的天皇観 ⇒ 「天下は1人の天下」とし、万世1系という血脈の連続性に正統性の根拠を見出す。国民が献身すべき対象
制限君主的天皇観 ⇒ 「天下は天下の天下」とし、徳治にその正当性の根拠を見出す
明治憲法からして、両者の性格を持ち、近代日本の形成過程で、2つの天皇観がその時代に応じて垣間見えるが、それ自体日本独自のものではない
正確性はさておき、終戦当時の諸外国の「鏡」に映し出された天皇ないし天皇制のイメージは、天皇の問題に留まらず、いや、むしろ、日本人のものの考え方、社会心理、日本民族の集団的行動様式を理解し、日本人を操作する1つの重要な鍵として把握されていたところから天皇制の相剋の問題は、天皇制に関する1つの研究であるとともに、「鏡」に映し出された天皇制の考察を通して、日本人自身の思考様式、日本民族の集団的行動様式などの問題を自己省察的、かつ、自己批判的に考察するという課題をも同時に内包している

第1章     アメリカ国務省における天皇観の対立
第2章     イギリス人にとっての天皇制
第3章     太平洋問題調査会の天皇論
第4章     「天孫民族の世界制覇」観とオーストラリア
第5章     中国人と日本の「覇道」主義
補遺 韓国独立運動における天皇観
第6章     無条件降伏の「鍵」
第7章     占領政策と天皇制 ――「伝統主義的支配」変革のドラマ――
結びにかえて


武田清子「天皇観の相剋」 外国が映す日本の二重性

武田清子さん=郭允撮影

時の回廊  朝日新聞 2012.4.24.掲載
 廃止か存続か。天皇制の扱いは太平洋戦争中から連合国で論争になっていた。その成り行きを追ったのが『天皇観の相剋(そうこく)』(1978年)だ。戦前からのキリスト者である筆者が、いち早く各国の史料を集め、まだ生きていた関係者から聞き取って再現した思想のドラマ。昨年刊行の古川隆久『昭和天皇』は「現在でも十分な価値がある」と評価する。
    
 天皇制は、私の一貫した研究課題です。15年戦争のころの天皇は神として絶対化され、キリスト教の信仰にとって一番の障害でした。
 執筆には約10年かかりました。アメリカだけでなく、各国が天皇制をどうとらえたか客観的に知りたかった。当時、世界教会協議会の役員をしたり、英米の大学に講義に呼ばれたりで、いろんな国に行く機会がありました。公文書館などで史料を探すのと並行し、関係者に「今度日本から行くのでお会いしたい」と手紙を書きました。
 オーストラリアのマクマーン・ボール(連合国対日理事会英連邦代表)はご自分の山荘でお食事に招いてくださった。アメリカのカーター・ビンセント(極東地域委員会委員長)は、駐日大使だったライシャワーさんがハーバード大のオフィスから電話をかけてくださったので、すぐに会えました。
 多くのアメリカ人は丁重に迎えてくださった。いろんな史料もいただきました。他方イギリス人はなかなか意見を言ってくれない。ただ、イギリスの公文書館の職員は実力がありました。日本の真珠湾攻撃がイギリスへの「恵み」だったというチャーチル首相の覚書は、職員が「役に立つんじゃないですか」と探し出してきてくださった。サッと見てビックリでした。
 1945年前後の連合国では、天皇観が対立していました。アメリカの中国専門家オーエン・ラティモアは『アジアにおける解決』で、天皇制を廃止しなければ日本の民主化はできないと主張しました。オーストラリアも天皇制廃止論の強い国の一つでした。一方で、アメリカの駐日大使だったジョセフ・グルーは、天皇は秩序維持に不可欠な「女王蜂」であり、右翼や軍国主義者を排除すれば天皇がいても日本は民主化できる、と楽観的でした。
 この相剋の帰結は、天皇の人間宣言や象徴天皇制となりますが、実は外国という鏡に映った日本の中の相剋だったというのが私の見方です。そもそも明治維新のシンボルとしての天皇観に対立があった。吉田松陰は「天下は一人の天下」と絶対主義的な天皇観であり、山県太華は「天下は天下の天下」と制限君主的な天皇観でした。
 明治憲法の起草者である伊藤博文の思想も二重構造でした。「万世一系ノ天皇」は「神聖ニシテ侵スヘカラス」だから、天皇は憲法も超える存在だと民衆には説く。他方で、政治家や民権論者に対しては、憲法は君主権を制限するものだという解釈を示す。これはその後、超国家主義である国体明徴運動と、民本主義の大正デモクラシーや天皇機関説とに分解していきます。
 二重構造の天皇観が、敗戦で連合国という異質の文化と出会い、民主化というドラマが始まりました。その時、連合国と共演した日本人は誰なのか。私は、天皇の側近だったようなオールドリベラリストではなく、大正デモクラシーや天皇機関説でインパクトを与えられ、民主化への希望を懐に持っていた一般民衆だったと思いました。そういう人たちが新憲法を支持した。
 外でも内でも思想が相剋する中で、近代日本の歩みが刻まれてきたんじゃないでしょうか。日本を理解するにはいい勉強になったと思っています。
(聞き手=編集委員・村山正司)
     
 たけだ・きよこ 1917年、兵庫県生まれ。国際基督教大名誉教授(思想史)。戦前に米国留学し、キリスト教と日本人との関係を見つめてきた。著書に『人間観の相剋』など。


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