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原発とメディア  朝日新聞連載  2011.10.3.~12.12.27.

2011.10.3.~ 朝日新聞夕刊連載  原発とメディア 第1部 「平和利用」への道 新聞などのメディアは原発をどう報じ、どう論じてきたのか。安全神話の形成にどうかかわってきたのか。その道のりを振り返る。 1-1元科学部長の悔恨 新聞、雑誌が原子力の「平和利用」による明るい未来像を描き出していた時期に、湯川秀樹がオフレコと念押しした上で言った話:原子力発電は感心しません。放射能の怖さをもっと認識してもらわないと。平和利用、平和利用というが、そんな生易しいものではありません 64年から朝日新聞の科学部長を務めた高津は今、悔恨を込めて語る:原子力の安全性の問題を、もっと紙面で取り上げるべきだった 英国物理学者バナールの言葉:幻想をできるだけ排除することだ。未来は、あらゆる望みや願いを託するのに、あつらえ向きの場だが、科学的予測においては、そういう願望は極めて人を欺きやすい道案内である 1-2原爆が落ちた日 広島原爆投下翌日の朝日の報道(僅か5行の記事):6日7時50分頃B29二機は広島市に侵入、焼夷弾爆弾をもって同市付近を攻撃、このために同市付近に若干の損害を蒙った模様である 地元紙、中国新聞は、社屋が焼けて新聞の発行が出来なくなり、社員が「口伝隊」を編成し、メガホン片手にトラックの上からニュースを流す 長崎原爆では、NY Times記者ウィリアム・ローレンスが唯一の従軍記者として上空から取材、「それは(略)新しい種類の生き物だった」との談話を米陸軍省が発表 長崎原爆当日の午後、長崎市の北東約20㎞、諫早郊外の田んぼで、米軍がパラシュートで投下した爆風観測用の装置が回収され、その装置に貼り付けられた1通の鉛筆書きの手紙が回収された。宛名は「サガネ教授へ」 1-3嵯峨根遼吉への手紙 物理学者嵯峨根遼吉宛の手紙:戦争を継続すれば、日本の全都市は絶滅されてしまうよりほかないことを、貴国の指導者に確証し、この生命の破壊と空費を停止するために、君が全力を尽くすことを切望する 署名はなく、「君がアメリカに滞在中、科学研究の同僚であった3人の友より」とだけあったが、嵯峨根が手紙を読んだのは9月末 嵯峨根(1905~):物理学者長岡半太郎の息子。湯川や朝永と同世代。東大に学び、35~38年カリフォルニア大放射線研究所で、原子核の人工破壊に使うサイクロトロンの考案で39年にノーベル賞を受けたローレンスに学ぶ。43…